2010年12月03日(金)
龍神温泉マラソンに、「喝!」 [ランニング]
人の悪口は言うのも書くのもイヤ。
どんなに腹が立つことがあっても、それを言ったり書いたりするとますます気分が悪くなるだけ。でも、こんなこと、走りだして30年近くになるが初めて。あまりにもひどい。
今日、龍神温泉木の郷マラソン大会実行委員会からハガキが届いた。
「火曜日に受付票が届いたばかりなのに、大会直前にナニ?」と不審に思った。
そのハガキの内容は以下のとおり。
「はー? なにー、今ごろ。『ハーフの部が3km程度短縮」って!」
これ、あさってのレースの話ですよ。
悪天候などの天変地異によるコース短縮は今までに経験しているが、「1週間ほど前から道路工事が行われて」コースが短縮など聞いたこともない。
町内会の運動会なら、直前に距離が短縮されようと何の問題もない。しかし、全国から参加者を募集している大会がこんな対応でいいのだろうか。昨年のハーフの参加者が200名にも満たない規模らしいが、だからと言ってこんな町内会の運動会のような対応で許されるのだろうか。
うちの事情を説明すると・・・。
11月3日の「丹波ロードレース」のハーフに挑戦した母娘は、関門が去年より20分も厳しくなったこともあり14kmで収容。
そのあと、娘に再挑戦する気があるかたずねると、「関門規制のない大会なら・・・」と。そこでヨメさんが、それほど遠くない場所で、うちの仕事のない日に行われるハーフの大会をしらみつぶしに調べてみた。そこで行き当たったのが「龍神温泉木の郷マラソン」だった。
関門については記されてなかったので電話で問い合わせてみると、「関門規制なし」とのこと。
「決定!」
ここは交通の便が悪いところなので、私は送迎役を命じられた。それプラス、「どうせ行くなら、最後尾になる可能性の高い真樹といっしょに走ったら」と。
私、ヨメさん、真樹の3人が同じレースを走るのは我が家史上初めてかも。折り返しコースなので、どんな展開になろうとヨメさん真樹の写真がいっぱい撮れるぞー。
真樹にとっても、目標を持って何かに挑戦することなどめったにないことだし。そのがんばっている姿を間近でみられるなんて・・・。
「ハーフマラソンのゴールを娘といっしょに迎えられる父」
いいねえ。
・・・という感じでした。
「ハーフの部の距離が3kmほど短くなる」というこんな大事なことを出発する前日に届くハガキで知らせるなんて。そんなに多くの参加者でもないので、少なくとも直接電話を入れて説明すべきでしょう。
これでは納得できないので、大会実行委員会に電話を入れた。(お知らせのハガキには、電話連絡先さえ書いてないんですよ。)
以後のやり取りは、思い出しただけでムカムカするので省略。
分かったことは、道路工事は災害復旧の緊急工事ではないこと。ハーフの距離になるようにコース変更の努力をされたふしが見られないこと。参加者へのおわびは、今日届いたハガキで済ませようとしておられること。などなど。
今から考えると、ランネットの大会レポートで、他の項目は評価が高いのに「距離表示」の評価が極端に低かった。ここをしっかり見ておけばよかった。この大会は過去22回も実施されているのに、距離表示に「1」の評価が出ている。今まで改善されなかったのだろうか。こんな大会は要注意。この大会は、以前からコースの距離にはいいかげんであったということだ。
「ハーフマラソンをどうにかこうにか完走できたー」と笑顔で言う真樹の姿を見たかった。もう、それはありえない。約18kmですから。ガックリにもほどがある。
でも、このガックリが、町内会の運動会の感覚しかない主催者には分かってもらえないんでしょうね。
もう、よっぽど行くのをやめようと思ったが、真樹は「それでも行きたい」と言う。それがせめてもの救いです。
気を取り直して、約18kmのレースに行ってきまーす。
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2010年12月02日(木)
「上地に似てるから・・・」ー兵庫・ゆめさき舎にてー [私の好きな人]
ゆめさき舎のSA君。
丸1年ぶりに会うというのに、1年前の話の続きから始まった。
「スザンヌが・・・、里田まいが・・・、上地が・・・。」
「どうなっとんじゃー。この1年のブランクは関係なしかい!」と心の中で思いながらも、その話がどんどんふくらんでいく。まあ、これはこれでええことなんかな。久しぶりでもスッと受け入れてもらえたってことやね。
SA君はおしゃべりが大好き。だいたい私の5倍くらいしゃべっている。でもちょっと声が小さいので、私はその半分くらいしか聞き取れていない。それでも言いたいことはだいたい分かる。
またまた出ましたー。
「ぼくは上地に似てるから・・・」
そうか、鼻の下とあごにヒゲをたくわえているのはそうゆう理由なんやね。やるじゃん!
「ところで、SA君、下の名前はなんて言うん?」
「こうじです。」
「こうじー、こうじー、こうじー!」
「なんですか。」
「こうじってゆう名前の人は、いい人が多いでー。」
「えっ?」
「実はな、ボクもな、こうじってゆうねん。」
「・・・。」
「妹が弁当作ってくれてる。」
「えー、そんなええ妹がおるんかいなー。こうじー、自慢の妹やんけー。」
「弟とは野球をやってる。」
「そっか、弟に教えたってんのー。こうじー、ええ兄ちゃんやんけー。」
SA君は、「こうじー、こうじー」を連発されてちょっと困っていた。でも、ちょっとうれしそうでもあった。
別れる前に言われた。
「明日、来れる?」
「明日は無理やわ。」
「じゃー、金曜日は?」
「金曜日って、あさってやん。それは無理やて・・・。」
そう返事しながら泣けてきた。明日でもあさってでも、こんな変なオッサンでも来たら喜んでくれるんや。
ほんま、この1年間なにしとったんやろ。こうやって私がただ来ただけで喜んでくれる子たちがいっぱいいるのに・・・。
今年は、干支の絵馬作りは予定に入ってなかったそうだ。ところが、私が何度も残念だと言ったのを受けて、急きょ今年も取り組んでくださることになった。それなら少しでも手伝わなければ。
私は、絵馬の屋根の部分の色付けをさせてもらった。こういう単調な作業は、得意中の得意。
松本さんは、SA君にはんこを使った模様付けを教えておられた。今年はうさぎだが、去年の絵馬よりだいぶバージョンアップしているようだ。
色付けをしていてハタと気づいたことがあった。
あっちで「オーオー」、こっちで「ウィーウィー」、向こうで「ブルンブル」。何年か前の私なら、これらをひっくるめてみな「奇声」と言ってしまっていただろう。でも、何かちがう。これらの声は、私が以前は奇異に感じていたものとはちがう。
なぜだか私のことを気に入ってくれているMI君の一人ミュージカルが、周りのみんなの気分を高めてくれたのだろうか。紅一点のKOさんは120%と言っても言い過ぎではないような満面の笑み。前来たときには声が聞けなかったTA君も、なにやら歌っているように聞こえた。
「奇声」と決め付けているのはこっちの都合。彼ら彼女らの何らかの表現を、そんなに簡単に片付けられてはかなわない。
前来たときにはまったく近づけなかったMA君は、今回もにたようなものだった。でも、せわしなく動きまわっていたのがだいぶ落ち着いたように感じた。表情もおだやか。
今日のメンバー6人中、私にとってただ一人の新人さん。(MA君とイニシャルが重なるので、ここでは「大型新人君」と表記します。体重100kg超級だそうだ。)彼ともまったくコミュニケーションがとれなかった。
ところが、松本さんが「おやつにしょうか」と言われ、私が手を洗って戻ってくると、私の手を引っぱって行ってくれたのだ。もう、それが不思議で不思議で・・・。
大型新人君にとって、それまでの私は視界に入っていなかったはずなのに、突然どうしたんでしょう。これは、よう分からん。でも、予想もしていなかった行動だったのでよけいにうれしかった。
私が持って行かせてもらったクッキーのようなお菓子をみんなで食べた。いろいろな理由で食べられない子もいる。でも、こうしてみんなそろって座ってものを食べるっていいですよね。
今日の男子メンバー5人中、3人が70kg台、1人が100kg台。小さめで細いランナー体型の松本さんは、体力的にも大変だ。その日のきげんによっては大暴れする子もいるらしい。「だいじょうぶかいな」と心配になる。
ご家族の中には大きな施設に入れたがる方も多いらしい。でも、松本さんは「そういうところは、薬漬けにして動きを鈍らせて管理していくところが多い」とおっしゃっていた。
前にはこんなこともおっしゃっていた。「どこからも断られた子を、みんなうちでひき受け入れるという意気込みでやっている。」
「ちっちゃいおっさん、しっかり!」
トイレをお借りした時、洗面所に置かれている絵馬の型が目に留まった。
出来上がった絵馬だけを見ていたらあかんね。こっから始まってるんやね。
もうちょっとお手伝いをしたかったのに、松本さんに急用が入り、早めの帰宅ということになってしまった。
送迎車は、○○君の車内での大暴れの結果、バックミラーまで取れてしまっているハイエース。今日も退屈して暴れそうになっていたので、私がそれに輪を掛けて暴れまくったった。
「先手必勝!」(意味不明)
そしたら、さすがの○○君もあきれて笑ってた。
紅一点KOさんのおうちの前に、ちょうどご両親が歩いておられた。
「私みたいなもんでもおじゃまさしてもうたら、ものすご喜んでくれはって・・・」と言うと、
「そうでしょ。うちの子はお客さんが大好きで・・・」とお母さん。お父さんもうれしそうに笑っておられた。
私も姫路駅前まで送ってもらった。
松本さんとお別れする前に話したこと。
「ボクはほんまにたまに来て、自分のしたいことだけして引っかきまわして帰っていくだけ。毎日毎日ずーっとたいへんなことをし続けてはる松本さんらの苦労は忘れたらあきません。それだけは肝に銘じとかんとね。」
以前、松本さんが「藤井さんの考えが自分とよく似ていてびっくりしています」とおっしゃっていた。福祉の仕事に骨身をけずっておられる松本さんと、ヨメさんの稼ぎで食わしてもらっている私をくらべたらあかんて。
でも、一つだけ似ているところがある。
「どんな運動も、内輪だけで盛り上がっていてはダメ」と思っているところ。私のような福祉の「ふ」の字も知らんような者も、邪魔くさがらずに受け入れて下さるのはそう思っておられるからだと思う。しろうとにはしろうとなりの「Good idea」があったりしますもんね。
このブログの記事を見て下さった方が、福祉の仕事への理解を少しでも深めてくだされば私はうれしい。
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2010年12月01日(水)
「10時40分!10時40分!」ー兵庫・ゆめさき舎にてー [私の好きな人]
「MI君、『10時40分!』やってー。今日のブログの題は、『10時40分』に決まり!」
私がゆめさき舎について、一番喜んでくれたのがこのMI君。なぜかずっときげんがよく、一人ミュージカル状態になっていた。
その中で、腕をまくって「10時40分! 10時40分!」
そんなシュールなギャグを、この私が見逃すはずがない。
「それ、もーらい。それ京都に持ってかえってはやらすわー。10時40分! 10時40分!」
そのあと間欠泉のように突然「10時40分! 10時40分!」
その声を聞いた私は、多少離れたところにいても「10時40分! 10時40分!」と返事。
「MI君、ほかのんもできるで。11時30分! 11時30分!」
「2時55分! 2時55分!」
「おっ、やるやんけー。4時50分! 4時50分!」
「10時40分! 10時40分!」
「おっ、またもどっとる。10時40分! 10時40分!」
こうして、パオパオ対MI君の禅問答(?)は果てしなく続くのであった・・・。
昨日、ゆめさき舎のまっちゃんこと松本さんに電話。
「急で申し訳ないんですけど、明日行かせてもらっていいですか。なんかお手伝いできることがあったらさせてください。
朝早めに出て、JRで姫路駅まで行って、そっから走って行きますわ。姫路駅からゆめさき舎までちょうど20kmくらいみたいです。『平和・憲法九条』ののぼり背負って行きますわー。」
のぼりを背負って行くのは平和のアピールランをするというより、変なオッサンがのぼりをはためかせてやってきたらゆめさき舎のみんなが喜んでくれるだろうと思ったから。
だいたい思い通りの時間に姫路駅に着いた。
でも、駅前でのぼりを背負う形にセットするのにてこずってしまった。着替えなどを入れてきたバッグも背負わなくてはならないのでよりてこずった。
駅をスタートしたのは10時15分。
ここから20kmを2時間20分くらいで行く予定だったので、これでは到着がかなり遅くなってしまう。
スタートした場所は日陰で寒かったので、上は3枚も着ていた。ほぼ、だるまさん状態。
姫路城は修復中のようでよく見えなかった。その代わりに、歩道上に設置されていたしゃちほこの写真を撮っておいた。
交差点で信号待ちをしている時、向かいの軽バンのおじさんが「がんばってやー。」
これだけ大きな字で「平和」と書いたのぼりを見まちがえるはずがない。「平和」をアピールして走っている私に向かっての声かけだ。ああ、ありがたいお言葉。がぜんやる気がわいてくる。
その少し後には、車の助手席で笑顔で拍手をしてくださっている若者とも出合った。声を出しての応援は恥ずかしいけど拍手ならしてあげられる、という気持ちだったんでしょう。ありがとね。これもうれしかった。
日なたに出ると汗がふき出してきた。
美術館前でいったん荷物を降ろして、ウインドブレーカーを脱いだ。これでちょっと動きやすくなった。
国道312号と山陽道が交差するところ。
「うん? ここなんか見覚えあるぞー。」
通り過ぎたところで確信した。
「○○君ちや。」
表にお母さんがおられた。
「すいませーん。ここ、○○君のおうちですよね。」
「はい、そうです。」
「私、ゆめさき舎の松本さんの友だちです。○○君とも仲良くさせてもらってる者です。これから、ゆめさき舎まで走っていきますねん。」
「そうなんですか。」
「お母さん、○○君に『お母さんにおうた』てゆわんならんし、写真撮らせてください。」
「はい。」
それにしても1年前に一度通っただけのおうちを、よくおぼえていたものだ。
走っている途中に、大きな会社や工場がたくさんあった。上の写真は、「ショーワグローブ」さん。
踏み切りを越えたら、ちょうど「カーンカーンカーン」。
せっかくなんで電車(播但線)の写真も撮っておいた。
もう、汗ブルブル。
上着を脱いで、代わりに「ランナーズ9の会」のランシャツを着る。こんないい天気なら、初めからこのスタイルでよかったかも。
またもや「ショーワグローブ」さん。ほんまに大きな会社みたい。
さっきとは反対側からまた電車。さっきのとはちがう色の電車だ。
横道から出てきたかわいいハスキーちゃん。ハスキーは誰にでもなつくようなので、「雑種専門」を公言している私にはある意味禁じ手。でも、かまいに行ってしまった。
「やと・オス・2歳半」
変った名前なので由来を聞いてみたが、「特別な意味はない」とのこと。私的には、「やっと」買うことができたから「やとちゃん」なんかなあと思ったり・・・。
そのちょっと先に、かわいい柴犬君。
ありゃりゃ、ぎょうさんおる。
みゃー、いっぱいいっぱい・・・。
とよく見てみたら、ブリーダーさんのよう。
後ろから「プップップ」とクラクション。
よく見たら、松本さんのハイエース。何人かを乗せて、ゆめさき舎に帰られるところのようだった。
ちょっと先回りして、私への応援。
MI君とSA君と松本さんが車から降りて、「パオパオさーん」と手を振ってくれていた。私一人だけへの応援。なんとぜいたくな!
ここで荷物を預けさせてもらい、再スタート。たぶん、残り半分(10km)くらい。
「きばって走りまっさー。待っててねー。」
「ネッスル」の工場を通り過ぎ・・・。
紅葉のきれいな小高い山を越え・・・。
そうそう、この手前の畑で農作業をされている方(40前後の男性)からも応援が。
「がんばってくださーい。」
少しはなれたところからだったのに、私ののところまでしっかり届く大きな声の応援だった。本当にありがとうございます。
丘の上に見えるのは、香寺町運動公園の体育館。
松本さんは、ここまで走りにこられることが多いと前に言っておられた。
十字路をまっすぐ入ったところから、やや迷走。
でも、太陽が出ていたのでとりあえず北へ。そこで中国道にぶつかったら左折(西へ)、そうすればゆめさき舎にたどり着けるはず。
携帯電話で松本さんに連絡をしようと思ったが、携帯は預けた荷物に入れたままやった。肝心なもん持ち忘れとる。
工業団地の丘を越え、下っていくと中国道が。
どうも予定していたルートより東側に出でしまったようだが、ここからは高速に沿っていけばまちがわない。
ただ、この時点で12時半。
先にお昼ごはん食べてくれてはったらいいんやけど、きっと心配して待ってくれてはんにゃろね。すいません。
福崎町から夢前町へ。
今は市町村合併で姫路市夢前町になっているので、分かりにくいったらありゃしない。
ところどころにため池があったが、ここらも雨が少ない地域なのだろうか。
おー、やっと見えた。
うん? 看板きれいになったんちゃうん。
もう、12時50分過ぎてるし。
「すんませーん、おそなりました」と言って声をかけると、「パオパオさん、パオパオさん、・・・」と首をふりながらMI君が出てきた。
いっしょに出てこられた女性スタッフさんが、「車と出会いませんでしたか?」
心配した松本さんが、予定ルートを逆走して探しに行ってくださったそうだ。私はちがう道から来てしまったためにすれちがい。ほんまにほんまにすいません。
女性スタッフさんが松本さんに連絡してくださり、戻ってこられた松本さんとやっと再会。なんと、このときちょうど午後1時。みなさん、この時間までお昼ごはんを食べずに待っていてくださっていたのだ。
のぼりを背負った変なオッちゃんのために、お昼ごはんがおそうなってしもうてごめんね。でもな、「平和」あってこその昼ごはんやから、それに免じて今日はかんにんしてな。(おー、我ながらむちゃくちゃな論理!)
私が着替え終わって、やっと昼食。
ほんまにこんなおそうまで、よう待ってくれたもんや。これ私が逆の立場やったら、絶対に暴れてる。まちがいない!
「MI君、パオパオさんに歓迎の言葉言おか」と、松本さん。
「むにゃむにゃむにゃ・・・。」
「ありがとう。」
私は私のことを明らかに嫌がっている人以外は、みな歓迎してくれているものと思っている。そういう意味では、私のことをまったく見てくれないあの子やこの子も含めて、ここにいる全員に歓迎してもらっていると思える。
みんなみんなありがとね。今はしゃべってくれていない子も、これからちょっとずつでもしゃべってな。
(注)まだ、続きます。
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2010年11月30日(火)
海老蔵顔面崩壊 [時事]
◎サンケイスポーツ11月30日
「にらみ」復活まで全治6週間…海老蔵、2時間半に及ぶ手術内容は
都内の飲食店で殴られ重傷を負った歌舞伎俳優の市川海老蔵(32)は29日、東京・港区の総合病院で顔面整復手術を受けた。(サンケイスポーツ)
関係者の話を総合すると、手術は午後5時ごろから2時間半ほど。左目の下の陥没骨折部分の修復と、殴られて顔の空洞部分にたまった血液などをメスで取り除くもので、耳鼻科部長が執刀した。術後は顔が腫れるため10日間の入院が必要で、その後は自宅療養しなければならず、完治には6週間かかるという。
詳細については不明だが、世田谷井上病院の井上毅一理事長は「海老蔵さんが受けた手術は、上顎洞(じょうがくどう=眼球の下にある空洞)の根治手術が中心と思われます。頭蓋骨(とうがいこつ)を軽くする機能を持つ顔の空洞部分に、殴られて血液がたまってしまったのでしょう。そのまま放置すると化膿(かのう)してしまうので、それを取り除く手術です」と説明。「形成外科医や眼科医が立ち会った可能性もあります」と語る。
気になるのは、市川家伝統の「にらみ」ができるようになるまでに、どれくらいの期間を要するかだが…。井上理事長は「私も歌舞伎をよく見に行くのですが、『にらみ』は両目を内側に寄せたり、斜めに動かしたり、かなり目の筋肉を使う。今回の手術と目の部分も殴られたことを考えれば、少なくとも1カ月半から2カ月はかかるでしょう」と指摘する。
この日午後4時前には父の市川團十郎(64)、母の希実子さんが病院に到着。付きっきりで看病にあたる妻の麻央(28)と手術を見守ったものとみられる。
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「顔面崩壊整復手術経験者・パオパオがお答えします。」
私の場合は相手がこぶしではなく氷の板でしたが、ほぼ海老蔵さんと同じ症状。
私の手術後7年目の経験から言うと、海老蔵さんは「にらみ」はできるようになったとしても「せりふ」がはっきり言えるかどうかねえという感じです。
私は手術後約7年たった今も、「満面の笑み」もできないし、「早口言葉」もできません。右上唇のしびれがなくなっていないから、自分の思い通りには動かせないのです。
2004年2月9日、家族4人そろって「醍醐スケートリンク」へ。
当時NHKの朝ドラで「てるてる家族」をやっていて、その中に何度もスケートのシーンが出ていました。これは一回スケートに行かんならんわい、ということで小6の廉、小3の真樹をつれて醍醐まで。
だいぶ慣れてきたので、2人組で駅伝をやろうということになりました。第1走者は廉対パオパオ。廉は母ちゃんに、私は真樹にタッチすべく猛然とスタート。そのあとの記憶なし。(氷に引っかかったようで、バタッと倒れたらしいです。)
気がついた時は、六地蔵病院の診察室から出てきた場面。待合室で廉と真樹が笑っていました。絶対にいてくれたはずのヨメさんの記憶が、なぜかまったくありません。これ、不思議。
翌日精密検査をするということで入院。
ここでは生まれて初めて車イスにも乗せてもらったし、生まれて初めての点滴も経験しました。口が痛くて全然動かせず、なにも食べられなかったからです。
検査の結果、右側の頬骨が砕けているとのこと。手術が必要。ただし、入院など長くかかるので少しでも家に近い病院に転院をすすめられました。結局、京都府立病院に行くことに。
府立病院は、私の大学時代3年間アルバイトをしたところ(地下の売店)。まさか、こんな姿で凱旋(?)するとは・・・。
口が動かせないので何も食べられません。でも水分は補給することができます。その時気がついたのですが、ペットボトルを口につけても感覚がないのです。神経がやられてしまっているらしい。
担当のお医者さんの説明では、それは手術してもたいていはよくならない。突然感覚が戻ることもないとは言えないが、死ぬまでそのままの人も多いそうです。(今の感じでは、私は後者のようです。)
一旦退院し、その間に静岡に出張販売にも行きました(2月22日)。左目のまわりが紫で、ほとんどしゃべれず物も食べられない状態で。
2月の終わりに再入院。そして、いよいよ手術。
右の上の歯茎と唇の間を切り、そこから器具を入れて砕けた頬骨を修復する手術だったらしい。
ヨメさんは仕事で抜けることができなかったので、家族への説明は姉夫婦に来てもらいました。いつまで姉に世話かけるんじゃーって話です。(当時、私は48歳。)
私にも手術の説明があったのですが、いっちゃんビビったのは「髪の毛が手術のジャマになるかもしれないから切ってほしい」と言われたこと。
「えー、ちっちゃい子どものときでも、丸坊主にしたことないのにー・・・。」
でもそんなことゆうてられません。病院の地下の理髪店でバッサリと。やってみたら、そんなにへんでもなかったです。
手術は午後5時から。
手術の前は絶食。「痛いですよー」と脅されながら、ふっとい筋肉注射もされました。こんなんもすべて初体験。
手術室に運ばれると、「いち、にの、さん!」で手術台へ。そして点滴による全身麻酔。意識があったのは5秒くらいでしょうか。
「藤井さーん! 藤井さーん! 終わりましたよー」という声で起こされる。
その時私が最初に発した言葉・・・。
「今何時ですか?」
「はい、今9時半です。」
そうか、4時間半も手術台の上にいたのか・・・。大手術やったんやね。
その日の夜はほとんど眠れませんでした。夜中に口から血を吐いて、「ナースコール」ちゅうやつもさせてもらいました。ほんまにお世話になりました。
次の日の朝、「朝ごはんを食べていい」と言われてビックリ。口の中の切ったとこにご飯つぶとかはさまらへんのかいなと心配。でも1日半ほど何も食べてへんかったので、出てきた食事は全部たいらげました。今までの人生で、あの時の食事が一番うまかったかもしれません。
そのころ(2月29日)、ヨメさんが子ども2人を連れて淡路島に出張販売に行ったらしい。結果は惨敗だったらしい。でも、その時ヨメさんが子どもらに言った言葉が泣かせます。 「パオパオがおらんようになっても、かあちゃんがちゃんと食べさしていったる!」
「わしゃー、顔面骨折くらいで死んでしまうんかい!」と突っ込みたかったけど・・・、ねえ。
手術の後1週間ほどで退院。
退院前に手術の写真も見せてもらいました。上唇をビローンとめくり、洗濯バサミみたいなものではさんで引っぱっている写真。そんなん見せてもらっても・・・、という感じでしたけど。
3月7日の篠山マラソンから出張販売復活。次の週(3月14日)のなかじま万葉マラソンでは親子レースにも出場。
そうして順調に回復していくのですが、やっぱり右上唇のシビレはずっと残ったまま。それは7年近くたった今も同じ。
いや同じでないこともありました。
丸坊主にした頭。
こちらも順調に回復・・・と思ったら、それから脳天の毛が薄くなってきたようで。そんなもん関連性はないとよく言われますが、私はこの事件以来髪の毛が薄くなってきたと信じています。
(注)私の丸坊主時代の写真が手元にありません。代わりに2005年の年賀状を見てください。
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2010年11月29日(月)
第31回瀬戸内海タートルフルマラソン・続き [ランニング・出張販売]
折り返して最初に会ったワンちゃん。
道の反対側だったが、もうだいぶ対向ランナーが減っていたので横断させてもらった。
「もみじ・メス・6歳」
ちょっとビビッていたが、かわいいワンちゃんだった。
15km、1時間15分01秒。
この5kmは24分34秒。いやー、ええ感じやん。
あそこのちょっとへっこんだところに・・・、おったー。
「れいらちゃん、ずっと応援してくれてんのー。ありがとね。・・・すいません、さっきも撮らせてもらったんですけどもう1枚写真撮らせてください。」
「あっ、ありがとうございます。」
「(バチリ!) ブログに載せさせてもらいます。」
「はい、どうぞ。」
よっしゃー、残り5kmちょっと。飛ばすぞー。
と思ったが、きつい向かい風。思うように体が進まない。
残り2kmあたりは、右手に湾が見え気持ちよく走れるところ。しかし、やっぱりきつい向かい風。
この給水所のきれいどころはカメラに収めておかなくては。実はいったん通り過ぎたのだが、思い直して写真を撮りに戻った。(そこまでせんでも、とも思ったが・・・。)
20km、1時間40分52秒。
この5kmは25分51秒。ここはガクンと落ちてしまった。
でも、残り1.1kmやん。きばらな。
ここまできたら、残り200mちょっと。
応援の方もぐっと増える。
人ごみの中をゴールという感じ。
ここはかなり晴れがましい。
私のゴールは、1時間46分28秒。
ハーフ男子50歳〜65歳の部、53位(312人中)。
ヨメさんにお願いして記念撮影。
「10km出てたときはずっと何か賞品(飛び賞)もらえてたんやけどなあ。今年はあかんかったわ。やっぱり10kmのほうが人数少ないし、当たる確立高いんかなあ。来年は、また10kmに戻すか。
まあ、今年はかわいいワンちゃんの写真がいっぱい撮れたしよしとするか。」
そのあと、「ずっと近くを走っていた者です」と言いに来てくださった方があった。「犬がいるたびに写真を撮られてたでしょう。そしてそのあとすぐまた追いついてこられて・・・。」
変なオッサンと思われてへんかなー。
絶対もらえない優勝の盾も写真に撮っておいた。小さな男の子がうらやましそうにさわっていたのが印象的だった。
男女総合優勝は、なんと去年と同じメンバー。
男子は大阪の蔵本さん、女子は愛媛の村上さん。
蔵本さんの優勝タイムは、2時間46分とか。去年より8分速い。
このアップダウンの多いコースでは驚異的といっていい。すごいです。
村上さんの優勝タイムは、3時間2分。こちらも去年より5分も縮めておられる。
今年は去年よりコンディションがよかったということでしょうか。
帰りは無事、大部港17時10分発のフェリーに乗船。
山陽道・三木SAで夕食。
ここのレストランは宝塚阪急ホテルの経営で、ちょっと上等だった。私は鍛冶屋ラーメンと鶏肉丼、ヨメさんは鯛と蛸のお茶漬け。ちょっと変った物が食べられてよかった。
ゆっくりしていったので、かえって渋滞がなく、思ったより早く家に帰ることができた。もううちの子どもらも大きくなっているので、あわてて帰らんでもええのかな。それやと楽なんやけどなあ。
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2010年11月28日(日)
第31回瀬戸内海タートルフルマラソン [ランニング・出張販売]
朝6時。まだ暗い中、会場に到着。
例年だとうちが一番乗りなのだが、今年は別のスポーツ店がこの時点でもうほとんど出し終わっておられた。「えらい意気込みだっせー。」
そら商売も大事やけど、マラソン大会に多少とも関わっている者ならその全体を見渡すような余裕も持ってほしいねえ。その大会の中身をほとんど知らないような業者が多いような気がしてならない。
さあ、ブラスバンドの行進だ。これは写真を撮っておかなくては。
ブラスバンドの先導をされているのは、土庄町役場の山神さん。いつもいつもお世話になっています。
この演奏をきっちり見た人は、レースのほうもきっちり走れます。まちがいない!
以前は一度フルに出て、その後はずっとハーフに出ていた。でもこの大会に10kmの部ができてからは、ずっと10kmに出ている。しかし、それもあきてきたので今年はハーフに出ることにした。
ここでは久しぶりのハーフなので、特別な目標はなし。海岸沿いのきれいな景色を楽しみにして走って行きたい。
9時半にフル(1064人のエントリー)がスタート。
その10分後、私たちのハーフ(1051人のエントリー)がスタート。
そのまた10分後に、10km(722人のエントリー)のスタート。
スタート直前に大変なことに気づいた。
「ウエストポーチ、わすれー!」
写真撮りながら走るんが私の「うり」やのに・・・。
もう手に持って走るか。でもいつもの10kmやったらそれもできたけど、ハーフは2時間近くかかるからなあ。肩こるちゅうねん。
うちの店で売ってるのをもらおうと思ったが、ヨメさんが却下。しゃーない。ビニールロープを腰に巻きつけ、それにぶら下げて走ろうっと!
スタートしていきなり、前にぶら下げたカメラがちょうど股間にあたり・・・ヤバイッス!
1kmちょっと行ったところで、かわいいワンちゃん発見。
腰にぶら下げたままのカメラで取れるかどうか試してみたが、まあまあいける。
「さくら・メス・3歳くらい」
ありがとね。走り出して最初に会ったワンちゃんがかわいいと、絶対に気持ちよく走れる。
最初の急坂で、またかわいいワンちゃん。ちょっと上等系だったが、行ってまえー。
「めぐ・メス・9歳」
「もうおばあちゃんなんですよ」と飼い主さんが行っておられた。
「そんなことないですよ。元気にほえてますやん。」
(写真の横に写っているのは私の指。カメラを腰にぶら下げたまま撮ると、こういうことになります。)
もうすぐ5kmというところで、またまたかわいいワンちゃん。
「いやー、かわいいワンちゃんですね。写真撮らせてくださいね。」
「はい、ありがとうございます。」
「(パチリ!) ちょっとさわらせてもらってもいいですかー。」
「はい。」
そばに行って口の周りをさわらしてもらって、ハタと気がついた。「(盲導犬やん!) ごめんね。お仕事中やったんやね。・・・すいません。」
「れいら・メス・7歳」
帰りもいてくれたらうれしいんやけど・・・。
5km、25分37秒。
キロ5分ちょっと。腰にぶら下げたカメラがそこらに当たって痛い割にはまあまあか。
いやま、またかわいいワンちゃん。すごくおとなしくてちょっとビビリンチョのワンちゃんだった。
「くーちゃん・メス・3歳」
次の上り坂の上り口。
目がくらむようなかわいいワンちゃん2ひき連れ。ご夫婦が1ぴきずつ連れておられた。
「ぽっぽとらん・両方メス・歳はもうだいぶ・・・」
ここからの上り坂、がぜんパワーアップ。前を行く人をどんどん追い抜いていく。ガッガツガッと力強い走り。こんな感覚何年ぶりやろう。
10km、50分27秒。
この5kmが24分49秒。坂がきつかったにもかかわらずだいぶスピードアップしている。これは、ぽっぽとらんのおかげやね。
気持ちよく折り返して、さあ後半。
(注)後半に続く。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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