2008年10月08日(水)
石井義彦氏 [石井慧選手関連]
昨日、石井慧選手の記者会見があった。
スポーツ新聞1面に大きく出た「石井、プロ格闘家へ」は、一応否定。「今は、とにかく大学卒業を第一に。その後のことはゆっくり考える。」という趣旨だった。
ただ、4年後のロンドンオリンピックはおろか、来年の世界選手権も目指すつもりはないという感じでもあった。
それを見ていて思い出したのが、石井慧選手の父・義彦氏のことだ。
今回の北京オリンピックでは、私は石井慧選手の母・美智子さんを通して応援ツアーに付け加えてもらった。しかし、実際にツアーのいろいろな手配などをされていたのは義彦氏のようであった。
ツアー中も、参加者が楽しめるよう、しんどくならないよう、いろいろと気を使われていた。
そして、ツアーの最後の方に言われた言葉、「また、みんなで行こうや」。
私は柔道に関してはまったくの門外漢だが、お金さえなんとかなるものならまた来たい、と本気で思った。
関空でお別れするときも、義彦氏のほうから私に近づいて来られお礼のごあいさつをされた。迷惑ばっかりかけていたのに、恐縮しました。
ちょっと見かけが恐いっぽい顔(すいません!)で、しゃべり方もぶっきらぼうなので、初対面ではちょっと心配だった。しかし、時おりニコッとされる顔がなんとも人なつっこく、ワンパクぼうずがそのまま大きくなったようにも見えた。気を使って、私にもよく話しかけてきてくださった。
さまざまなおもしろいお話をしてくださったのだが、残念ながらここには書けません。(石井義彦氏も、奥様と同じく現役の高校の体育の先生です。)
奥様の美智子さんにお聞きした話。これは公開してもいいでしょう。
お二人のなれそめは・・・。
お二人は同じ大学の先輩後輩で、同じお好み焼き屋さんに(別々に)よく行っていたらしい。そこのお店おばちゃんが美智子さんに、「いい人知ってるし、紹介するわー。」と言われて会ったのが初めだそうだ。
石井義彦氏は、じょうだんめかして全然ちがうなれそめを話してくださったが、「これはよそでゆうたらあかんでー。」
ツアーの3日間ごいっしょさせてもらっただけですが、本当に仲よしの、いいご夫婦に見えました。
だから、「石井、プロ格闘家へ」というニュースは、よけいショックでした。昨日のブログで、「お父さんお母さんは、どう思っておられるのかな。」と書いたのは、お二人が決してプロになることを望んでおられないと思ったからです。
石井義彦氏は、石井慧選手が金メダルを取った直後も、世界の選手の分析をされていました。済んでしまったことより、次の試合に目を向けておられたからだと思います。世界選手権やロンドンオリンピックのことも話題に上っていました。
石井慧選手の北京柔道金メダルを一番確信されていたのが、父の義彦氏。そして、4年後のロンドンオリンピックも当然目指すものと思っておられたにちがいない。
そして、今日。
石井義彦氏が、フジテレビの朝の「とくダネ」のインタビューに答えておられた。
ヒゲをきれいに剃られ頭も丸められ、北京ツアーの時に比べると少し疲れておられるような表情だった。
話の内容は・・・。
本人と直接話していないので、一連の報道の内容についてはよく理解していない。しかし、本当に本人がプロに行くことを希望しているなら、大学を卒業してからよく考えて決めさせたい。
少しふりしぼるような言い方にも見えた。親の心子知らずというような感じでもあった。
親を喜ばすために柔道を続けてきたわけではないだろうけれど・・・、石井慧君、お父さんお母さんとはきっちり話をしてね。
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2008年10月07日(火)
石井慧選手記者会見 [石井慧選手関連]
■毎日新聞 2008年10月7日 11時16分(最終更新 10月7日 11時59分)
柔道:石井慧選手「プロ格闘家転向、ゆっくり考えたい」
北京五輪柔道男子100キロ超級金メダルの石井慧(さとし)選手(21)=国士舘大4年=が7日、東京都内の国士舘大柔道部寮で記者会見し、「総合格闘技に関しては将来行ってみたいという興味はあるが、今は卒業のことで頭がいっぱい。これから振り出しに戻って考えていきたい」と述べ、柔道を続けるかプロ格闘家に転向するか迷っていることを明らかにした。
結論を出す時期については「焦ってもよくないのでゆっくり考えたい」と区切らず、全日本柔道連盟の強化指定選手の辞退届を近日中に出す考えはないことを明言。仮に転向する場合でも「(時期は)30(歳)で行くかもしれないし、それは全然分からない」と述べた。一方で「指導者として柔道界に残るのはないと思う」と、将来的に転向する可能性が高いことも示した。
石井選手は5日に吉村和郎・全日本柔道連盟強化委員長に「将来、(プロ格闘技に)行ってみたい」と伝えたことも明かした。吉村委員長は6日に「向こう(プロ格闘界)へ行きたいのだろう。次のロンドン五輪は考えられない」と、強化選手から排除する意向を示していた。【来住哲司】
◎どうも腑に落ちない。
北京オリンピックの石井慧選手応援ツアーのかえり、石井慧選手の父・義彦氏が、「来年の世界選手権(オランダ)も、また、ツアー組んで行こかー。」とおっしゃっていたのに。
「わし、ツアコン(ツアーコンダクター)できるやろう。」ともおっしゃっていて、ノリノリの感じだったのに。(北京ツアーは、石井義彦氏が計画し手配の指示などもされていたようだ。おかげさまで、私たちは格安で楽しい旅行を味わわせてもらった。)
それが今日の記者会見だと、すぐプロに行くわけではないが、来年の世界選手権は目指さないというニュアンスであったようだ。
なんでー。北京の応援ツアーの参加者はこのツアーが楽しかったので、次もけっこう期待してたのに。ツアーのお金どうしょとか、私もまたたくらんでたのに。
まっ、これは本人の将来とは関係ないか。応援ツアーのメンバーのために柔道がんばっていたわけやないもんね。
お父さんお母さんは、どう思っておられるのかな。
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2008年09月19日(金)
石井慧選手応援ツアー・一行 [石井慧選手関連]
昨日、石井慧選手のお母さん・美智子さんから写真が届いた。北京オリンピック応援ツアーの時のものだ。
9月の初めには、ビデオを送ってくださったばかり。そして今度は写真も。本当に仕事が早い。
いっしょに添えてあった手紙は、次のようなもの。
「(前半部分省略)
今月もばたばたとしており、花背に行くことも出来ません。
10月には、必ず、私達兄弟姉妹三人で行きたいと思っています。
息子は、今も有頂天で、マスコミに追われては、しょーもない事を言って、
世間をさわがせています。
また会える日を楽しみに、お元気で!! 」
私もカメラを持って行き、たくさんの写真を撮ったが、ほとんど自分の写っている写真はない。集合写真の時にお願いしようと思ったが、5、6人の方が次々頼んでおられたので気後れしてしまった。
こんな余分なおじゃま虫系の私にまで写真を送ってくださり、本当に申し訳ない。
送ってきていただいた写真を息子に見せると・・・。
「よかったなあ。これがなかったら、誰もパオパオが北京行ったって信用せーへんで。」
(わしゃー、そんなほら吹きかい!)
今思い返せば、大会当日深夜、石井慧選手が私たちのホテルに来た時、いっしょの写真が撮れなかったのが残念だ。あつかましく、くつろいでラーメン食べてる横に無理やり行ってもよかったのかも・・・。
でも、今回一回きりじゃなく、またの機会がありそうな気もする。その時は、どうかよろしくお願いします。
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2008年09月17日(水)
やくみつる「週刊テレビ評〜日本柔道を救った男〜」 [石井慧選手関連]
漫画家・やくみつるさんは、すごい。
いつも感心させられる。
9月11日、毎日新聞夕刊のTV批評欄に、石井慧選手を取り上げた番組の批評があった。
■日本柔道を救った男
(前半、朝青龍を取り上げた番組の批評・・・省略)
一方、もう一人の注目の“異端児”といえば柔道の石井慧。こちらも口を開けば超ユニークな発言が飛び出すことから、テレビ等のかっこうのターゲットとなっている。
そんな彼を2月のパリ国際合宿から丹念に取材していたのが8月30日放送のNHK「日本柔道を救った男〜石井慧 金メダルへの執念〜」であった。美しく一本を決める日本柔道の限界を見極め、「織田信長が鉄砲に気づいたように、新しい物に目を向け」て、国際化著しい“JUDO"の頂点を貪欲に追求する石井。カメラはその石井が対峙を余儀なくされる。各国の民族格闘技色濃厚なJUDOの乱取り風景を追う。タックルあり、ブリッジありの映像は異様といえば異様。我が日本の柔道関係者ならずとも身の毛がよだつような、ある種衝撃的な代物だ。
だが石井は幾度かの敗戦を経て、その対処法をさぐり出す。必殺の決定技をもたないといわれる石井が臨機応変に現場に対応した結果、選んだ道が北京の金メダルへとつながった。彼の突飛な言動も、そのバックボーンにその柔軟な思考回路があったればこそと思えば、関係者が気をもむほどのことでもあるまい。
重厚な番組のテーストとは裏腹の、どこか痛快な後味の残る番組であった。
蛇足ながらその石井。握手の時点で、福田総理の退陣を感じ取っていたという。さすがだ(笑い)。
◎私は、残念ながらこの番組を見ていない。しかし、やくさんの批評は、分かりやすく適格だ。
「柔軟な思考回路」と説明されているが、はっきり「頭がいい」と言ってもいいと思う。中でも、情報分析力は卓越している。そのへんをもっと解説してくれる人が出てくるとうれしいのですが・・・。
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2008年09月12日(金)
石井美智子さん [石井慧選手関連]
「石井美智子様様という題で、ブログ書きます。」
「いやっ、絶対書かんといてね。」
石井慧選手応援ツアーから帰る時、私と石井美智子さんとの間にこんなやりとりがあった。
確かに、石井美智子さんは現役の高校教師やし、少しでも誤解されるようなことはこちらも書けない。それは分かります。
ただ、今日の朝のフジテレビ「とくダネ」(関西ローカルではなく、全国放送)に、石井美智子さんが写っていた。大阪市役所内で話されている内容も放送されていた。
「息子は大阪人なので、人を笑わせようとしていろんなことを言っているようです。大学を卒業したら、もう少し落ち着くのでは。」と言っておられた。
ちゃんと顔を出して発言しておられたし、これなら私のブログで少し紹介してもだいじょうぶでしょう。
と言うか、今日の私のブログのリンク元を見ると、「石井慧 母」とか、「石井美智子」というのが急増している。これは、多分「特ダネ」での放送のせいだと思う。
さしさわりのない範囲で・・・。
前にも何回か書いたが、石井美智子さんと私は同郷。京都市の北のはし、鞍馬からまだ一つ峠を越えたところ、左京区花脊別所町の出身です。
美智子さんの兄と私が同級生。美智子さんは、私の4歳下。ただいなかの学校は人数が少なく、小中併設校だったこともあり、4つ下でもよく知っている。
当時の美智子さんの印象は、4つも下やのにでかい。めちゃくちゃ元気。それくらいです。
私が中学を卒業してから、一度も会ったこともなく話したこともありませんでした。
それが昨年の冬、私たちの母校(別所小・花一中)が閉校になることが決定。当時私がその学校のPTAの広報役員をしていた関係で、卒業生である石井美智子さんにPTAだよリへの寄稿をお願いしました。
その時の私は、PTA仲間(美智子さんの1つ上・藤井宗明さん)から教えてもらうまで、美智子さんがその前年柔道日本一になった石井慧選手のお母さんだということさえ知りませんでした。知っていたのは、高校の体育の先生をしているということくらいです。
電話で話をさせてもらった時、「えらいまた低い声やなあ。この声やったら、高校生、ようゆうことききよんで。」と思いました。
美智子さんは、学校がいそがしい時期であったにもかかわらず、すごくいい原稿を送ってきてくれました。(その一部は、私の4/30のブログで紹介しています。)
そこからおよそ一年がたち・・・。
今年4月29日の柔道全日本選手権で、石井慧選手が優勝。北京オリンピック100kg超級、日本代表決定。
「ぜひ、北京での活躍が見たい。」
そこから、私の「お願い、連れて行ってください。」が始まりました。
5月、久しぶりに電話させてもらった。
「慧くんの応援に行きたいんですけど・・・。」
「ありがとうございます。後援会の応援ツアーに入れないか聞いてみます。」
そして、その週のうちにOKの返事をいただいた。仕事が早い!
美智子さんにとっては、私のツアー参加はまったく想定外であったはず。にもかかわらず、すばやく対応してくださった。7月には、お仕事中に足を骨折され入院されていた。その入院先からも、メールでツアーの連絡をいただいた。お手間をかけてしまいました。
「石井美智子様様」・・・は、書いたらあかんかったね。でも、私が北京オリンピックに行けたのは、本当に石井美智子さんのおかげです。
ここで一つおもしろいこと。
美智子さんが電話連絡してくださる時、どういうわけか私はいつも高速道路運転中。仕方なしにヨメさんが電話に出ていたのだが、あのこわいものなしのヨメさんが美智子さんの低音にかなりびびっていた。
私も、私の中学卒業以来会ってないので、声からはどんな人になっているのか想像できなかった。
8月、関空で37年ぶりに会った時、なぜかちょっとほっとした。お姉さんの豊栄さんと兄の修平君はどちらかと言うとお母さん似(まるいほっぺ)だが、美智子さんはお父さん似(すずしい目)やなあとその時思った。
石井慧選手が金メダルを取った夜、一つだけ聞いてみた。
「よう、選手のお母さんが、『心配で心配で試合の様子は見れませんでした。』って言ってはりますやん。美智子さんはどうやったんですか。」
「私はずっと慧に向かってどなり続けてました。」
(そうか、それであんなドスのきいた声に・・・。納得。)
確か美智子さんが中学生の時に亡くなられたお父さん、2年前に亡くなられたお母さん。石井慧選手にとってはおじいさんとあばあさんになるのだが、きっとお二人が空の上から慧君にパワーを送っていたのだろう。
そして、別所からは「ひーばあちゃん」のパワーが。「もう、二度と来んなー」じゃなくて、「またいつか、あそびに来てやー」って。
いろんな人が、いろんなところで応援している。世界に羽ばたいて行っても、そんな人たちのことを忘れないでね、慧君!
(注)「ひーばあちゃん」が分からない人は、9/5のブログを見てください。
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2008年09月11日(木)
石井慧選手生出演 [石井慧選手関連]
今日、関西テレビ(8チャンネル)の「スーパーニュースアンカー」に石井慧選手が生出演していた。
6時過ぎにたまたまテレビをつけると、石井慧選手と齋藤監督が目に入った。いつもならまだ仕事で店にいる時間だが、今日は早く帰ってテレビを見る余裕があった。
内容豊富だった。
いくつかおもしろかったところをピックアップ。
まず、母校の清風中高でのあいさつ。
人生を生きていくためのアドバイス。
?絶対に保証人にならない。
?たばこをすわない。
?ネクタイは上までしめる。
三つがそれぞれバラバラの要素で、ちょっととらえどころがない感じ。しかし聞いていた中高生は、頭の中にしっかりこの言葉が入ったのではないだろうか。話がうまい。
次に、清風中高の裏にある「木村屋」というパン屋さんの話。
石井慧選手は、中学時代、毎朝このパン屋さんでパンを買って食べていた。大好物のピロシキにマヨネーズをつけて、毎朝5個食べていたそうだ。
今日もその店に立ち寄り、パン7個をペロリと立ち食いしていた。
「ここは、夜はパンを売ってくれないんですよ。晩ごはんは、家で食べろって言ってね。」
学校のそばのお店はこれでないとね。儲けより、子どもが好きで店をやっている。本当に子供たちのことを考えられる人の店でないとね。
「お父さんと齋藤監督、どっちがこわいですか?」
「両方それぞれこわいです。こわさの種類が違いますけど・・・。」
この質問、もっと突っ込んでほしかったなあ。
最後に、色紙が渡された。
なにやら見えないように、小さな字をチョコチョコ書いている。
「あっ、まちがえました。」
マジックでぬりつぶしている。(そんなもん、テレビで見せられへんやろ。)
「それでは、CM中に書き直してもらいましょう。」
さすが山本浩之キャスター、伊達にハゲてません。
CMの後、ご披露された色紙には、「昨日の自分に勝つ」。
オリンピックや試合を目標にしていると、それが終わった時に目標がなくなってしまう。いつも、「昨日の自分に勝つ」という目標ならずっと続けられる。
ええこと言うがな。
すぐ横にお目付け役・齋藤監督がいるから?
私はそうじゃないと思います。石井慧選手、世間が言うほど変わり者じやない。
人を評価するには、いろいろな角度からその人を見ることができる目を持たなくては。
今私が思うのは、「石井慧選手はおもしろい。いつもうれしそうにしている。」これくらい。もっともっと知りたくなってきた。
これからも、石井慧選手に注目します。
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