2010年12月17日(金)
冬のランニングウェア [ランニング用品]
冬のランニングウェアはむずかしい。みなさん、どうされているんでしょう。
私は若いころこそ練習していたが、今はほとんどなし。若いときは、練習の時もレースと同じようなウェアで走っていたような気がする。
今も、レースの時のウェアはそんなに悩まない。どんなに寒くても、ランシャツランパンでランシャツの下に半そでTシャツ、これが定番。
しかし最近心を入れかえ(?)、多少は練習するようになった。さすがに真冬はランシャツランパンというわけにはいかない。走り出すときふるえる。かといって、たくさん着て出ると必ず後悔する。
前にも書いたが、私は自称・発熱体。5分ほど走ればたいてい体全体が温まってくる。手袋をはめ後悔し、長そでTシャツを着て後悔し、ロングタイツをはいて後悔し・・・。こんなこと、何度くりかえしたことか。
しかし、最近やっと自分に合うスタイルを見つけられた。
「ライトトレーニングウェア上下」または「クロストレーニングウェア上下」
今まで、「ライトトレーニングとかクロストレーニングって、ジャージにしたら薄すぎるし、ウインドブレーカーみたいに雨をはじくわけでもないし、中途半端なもんやなあ」くらいにしか思っていなかった。でも、これ、真冬に着て走るのにぴったり。特に私みたいにすぐ体が温まる人には。
薄くて軽いので、キロ5分ペースくらいで走る私には十分。薄い割りにはけっこう風を防いでくれる。
体が温まれば、ぬいで腰に巻きつけてもそれほど気にならない。下は半そでTシャツなので、練習の最後は汗を気持ちよく発散させて終わることができる。
「これいい! うちのお客さんたちにも教えてあげよう!」と思って、「京都キャロット」のホームページを見てみると・・・。残念! 現在ほとんど在庫がありません。どうもメーカー側は春夏用のウェアとして出しているようだ。私の思惑とは完全にずれていた。
これ、真冬の練習用にいいと思うんですけど・・・。
(ちなみに、私のライトトレーニング上下は10年近く前のもの。使ってないから全然いたみません。夜走る用に、白っぽいのがほしいんですけど・・・。)
朝9時半、「走りに行こう!」
おいてきぼりのきくはうらめしそう。
コースは、「9の日平和ラン」用に設定したノートルダム往復9.9km。
空は快晴だが、日陰は寒い。
きつね坂の温度計は4℃。もうすぐ10時だというのに。
ノートルダム女学院前(約5km)で、26分52秒。
ここで暑くなって、ライトトレーニングの上着を脱ぎ腰にまく。
折り返して宝ヶ池前。
明るいうちに宝ヶ池トンネルを通るとこんな感じ。
トンネルを出たところが、新設京都マラソンの中間点予定地。
先日視察した時、「天気のいい日は比叡山が見える」と書いたが見えない。
実際に比叡山が見えたのは、長代川にかかる宝池橋を渡った地点。マラソンの21.5kmあたりでしょうか。
北陵高校前のまっすぐな道は気持ちよく走れる。
来年、京都学生駅伝で廉が走れたらいいんやけど・・・。
帰りの4.9km、28分44秒。
ゆるやかな上り坂なので、行きよりだいぶ時間がかかった。
結局9.9km55分37秒。もうちょっと早く走ってもよかったかな。
すねていたきくを連れ出し、ダウン約1km。(今日はこれで一応11kmということに・・・。)
今週はこれで平日に2回走ることができた。長い距離をたまに走るという練習はやめて、これからは少しの距離を日をあけず走るという練習に変えていきたい。
【おまけ】昨日の親子の会話
「真樹、めっちゃ短い駅伝があんにゃけど、かあちゃんと3人で出えへん?」
「出えへん。『エキデン』と聞いただけでイヤになる。競争はイヤ。」
「そっかー。ほな、来年あたりホノルルマラソンでも行くか。」
「パオパオとは行かへん。」
「そやそや、彼氏といくんやったな。」
「そういうのはイヤ。結婚してから行く。」
「真樹はまじめやからなー」とヨメさん。
「ほんほんま。だれぞとはちょっとちがうな。」
さて・・・、こんなこと言ってる子が・・・、どうなっていくでしょうねえ。
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2010年12月16日(木)
びわ湖クロカン・ハイライト [ランニング・出張販売]
12月12日のびわ湖クロカンでは、写真を170枚ほど撮った。その中で一番のお気に入りは、上の写真。3部女子(中学生)3000mをぶっちぎった高松望ムセンビ選手。
実はこの写真、偶然撮れたもの。
3000mコースの1800m付近。コース上で最も幅が広く直線が続くところ。私は高松選手を撮ろうと、カメラをかまえて選手が来る方向を向き待っていた。
「誰? 知り合い撮ってんのん?」と走友・森さん(滋賀の中学校教諭)。
「そうや。高松望ムセンビちゃん。」
「えっ、どんな関係?」
「あの子のお母さんがな、ボクのブログ見てくれてはんねん。」
「・・・」
「それだけやけど・・・、なにか?」
「あっ、この子ちゃうん。」
「ほんまや、えらいこっちゃ。」
気がつくと、最も内側を走っていた高松選手が、応援の人垣の影から突然現れた。あわててシャツターを押したが近すぎてピンボケ。せめてうしろ姿だけでもと思ってとっさに撮ったのが上の写真。
「きれい」
このひと言につきる。
実は、朝早く、高松望ムセンビ選手のご家族が「京都キャロット」の出店テントにごあいさつにこられた。
「お久しぶりです」とお母さん。(2年前のこの大会で、お母様のほうから「いつもブログを見せてもらってます」と言ってこられたのだ。)
「しばらくお目にかかれませんでしたけど、ブログはずっと見せてもらっています。お兄ちゃん、陸上部に入られて楽しみですね。お母さんも走られてますしね。」
「ありがとうございます。こちらのお母様は走られないんですか。」
「ええ、私はまったく。」
廉が大学から陸上部に入ったこと、ヨメさんがこのごろちょこちょこと走っていることを知っておられる。これは、まちがいなくブログを読んでおられる。決してお愛想で言っておられるのではない。ありがたい。こんなご家族は応援せずにはおられない。
結果は、10分17秒。2位とは21秒の大差。
これでもたぶん本人は満足していないと思う。2年前、小学生女子の部で優勝した時、「男子優勝者のタイムより遅かった」と悔しがっていた。そんな頼もしい子ですから・・・。
レースが終わり、帰られるときにも高松選手のご家族とお会いした。
「またたくさん写真撮らせてもらったんですけど、私のブログに載せてもいいですか。」
「どう?」
お母さんは即答せず、高松選手本人に返事を促された。
「はい、いいです。」
高松選手は、はっきり大きな声で答えてくれた。
いいお母さんや。でしゃばらずに、本人の気持ちや考えを尊重しておられる。見習いたいなと思った。
「私が行く先行く先にお父さんも先回りされていて・・・。」
よく考えたら当たり前のことで、家族でもない私がうろちょろしてジャマだったかもしれない。
でも、できればこれからも高松選手のかっこいいランニングフォームを写真に撮らせてくださいね。
2部女子4000mに出場していた塚本彩子選手(京都文教高)。
今年の3月まで真樹の中学校のクラスメイトだった「あーちゃん」。高校から陸上部に入り長距離に取り組んでいる。
走っている写真を撮りたかったのだが、間に合わなかった。ゴール直後の一枚。
「あーちゃん!」と呼んだら、にっこり。
2部女子4000mは、私の出た2部男子8000mの1周目とまったく同じコース。
あーちゃん17分09秒、私の1周目17分58秒。これは、競ったら負けるかー。
腕上げたなー、あーちゃん! おっちゃんも、まだまだ負けへんでー。
1部男子ジュニア5000mに出場した藤井廉選手。
5000mトラックのベストが16分10秒なので、この芝生のコースでどれくらいで走れるか楽しみだった。
結果は、17分42秒。165名出場中の91位。やはり、かなりきつかったようだ。
ほとんどが高校陸上部の選手。大学生の多くは8000mのほうに出場していた。でも、ここで得したことが・・・。高校陸上部は当然茶髪禁止でしょう。廉は茶髪なので、大勢の中から見つけやすいったらありゃしない。
息子が必死で走っているとき、父親はこんなことを楽しみながら写真を撮っている。へへへー。
1部女子ジュニア4000mに出場した岩内紗絵選手(桂高)。
お父さんと知り合いなので写真を撮らせてもらった。
ゴール直後。
「お父さんの友だちです。写真撮らせてもらったんやけど、私のブログに載せていいですか。」
「はい、ありがとうございます。」
ゴール直後だというのに、ほとんど息が乱れていない。この子はまだまだ伸びる。その時、そう思った。
桂高校のユニフォームが上位に次々と入ってきていた。強い人たちの中でもまれて、さらに強くなっていってほしいと思う。できればずっと続いている立命館宇治高の牙城を崩してほしい。
このあと私が「京都キャロット」の出店テントを一時離れている時に、あいさつに来てくれたそうだ。礼儀正しく、いつもニコニコしている感じのいい子。これからも応援させてもらいます。
高校卒業後は、ぜひ京都府立大学へ!
4部男子(小学生)1000mに出場した恵藤嶺選手。
私の甥の次男です。4年生なのに、5、6年生の中に入ってしっかり走っていた。4分17秒。
「れいー」と呼んだら、すぐにこっちを向く余裕があったので、まだまだだいじょうぶ。これからも楽しく走ってや。
3部男子(中学生)3000mに出場した恵藤陸選手。
私の甥の長男です。まだ中1。しかし、今年の2月の「京都市小学生大文字駅伝」の時に見たよりはるかに力強い走りになっている。11分10秒。
陸の中学校は、女子が全国中学駅伝大会出場を決めた。来年は、男子もたのむでー。
ということで、私は写真ばっかり撮って仕事をほとんどしていない。そんな私なのに、ヨメさんはめずらしく私の走っている写真を撮ってくれた。ありがとね。
ただやりなれんことをするから、レンズカバーが開ききってないことも気づかなかったみたいやけど・・・。
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2010年12月15日(水)
波平越え [家族]
◎毎日新聞12月5日朝刊
Dr.中川のがんから死生をみつめる:/85
「年齢調整死亡率に疑問も」
がん対策基本法を実現するがん対策推進基本計画が掲げる目標の一つ、「がん死亡率の2割減」の死亡率とは「年齢調整死亡率」のことです。「年齢調整」とは、どういう意味でしょうか?
がんは、細胞の老化といえますから、基本的に年齢とともに増えていきます。日本が「世界一のがん大国」となった大きな要因です。10万人あたりのがん死亡数を「粗死亡率」と呼びますが、高齢者が多い山村と若者が多い都会を比べれば、山村の粗死亡率が当然高くなります。年齢構成が異なる場合、がん死亡の多さを粗死亡率で比較するのはフェアとはいえません。
「年齢調整死亡率」は、対象地域の各年齢別の死亡率を1985年当時の各年齢の人口割合にあてはめ、補正した死亡率です。これを使えば、年齢構成の違いを気にせず、がん死亡率を比較できます。
日本のがんの年齢調整死亡率は、国際的にトップクラスとはいえ、90年代以降、ゆるやかに減少しています。早期発見や医療技術の進歩のおかげと言えます。しかし、僕は「年齢調整死亡率が減ればよい」とは思っていません。年齢調整死亡率を使う根底には、「人間は年齢の分だけ年老いる」という前提があると思いますが、僕は、日本人が「若くなっている」ことを忘れてはいけないと考えます。
例えば、「サザエさん」のお父さんの磯野波平さんと歌手の郷ひろみさんは同年代です。郷さんは今年55歳になりましたが、波平さんは60年以上前に作品が発表されたときから54歳です。波平さんの妻のフネさんは原作では48歳ですが、女優の由美かおるさんは還暦です。現代の年齢感覚は60年前とまったく違うのです。直腸がんで、4回の手術や抗がん剤治療を受けたジャーナリストの鳥越俊太郎さんは、今年70歳です。髪もふさふさで元気いっぱいです。
日本人が昔より「若くなっている」ことは間違いありませんから、「戸籍上の年齢」で調整した死亡率の減少を目標にしてよいのか疑問です。欧米のように、がんによる死亡者数自体も減っていくことが望ましいと思います。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)
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恐ろしいことが発覚した。
波平・フネ夫婦はうちの夫婦と歳がまったく同じ。私は昨日55になったので、ついに波平越え。ある意味すごい。波平さんに比べたらまだ髪の毛もたくさんあるし・・・。
うちのヨメさんも、来年3月でフネさん越え。こりゃすごい。
今日は真樹の学校が昼までだったので、3人でお昼を食べに出かけた。
ホリデイ・イン京都の中の「中華料理・彩彩」。ランチバイキングが980円から。
真樹とヨメさんは、ワンタンメン(980円)。
私は角煮ラーメン(こちらは1080円)。
デザートも充実している。
ヨメさんバージョン。
メロンがおいしかったと言っていた。
私バージョン。
コーヒー2杯、紅茶1杯もいただいた。コーヒーの受け口をまちがって半杯分ほど流してしまったけど・・・。
食べ過ぎたので、夕方、「お腹へこましラン」。
まずはきくと2kmジョギング。約15分。
「靴かむな」ちゅうねん!
「走れへん」ちゅうねん!
このあときくを返品して、一人でコーナン往復5km。26分57秒。ダウン1kmと合わせて今日は8km。
でも、これくらいではじぇんじぇんお腹はへっこみませーん。これからはもっともっと走ろうっと。
「わしゃー、まだ波平さんにはならんどー。」
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2010年12月14日(火)
G0G0、55 [家族]
私の55歳の誕生日。
廉がシマシマのシャツを買ってきてくれた。去年廉が買ってくれたフード付きスエットとあわせればバッチリ・・・かな?
ばんごはんは、私の大好きな手巻き寿司。今日はヨメさんがはり込んで、ネタがいっぱい。食べ切れんかった。
昨日真樹は午後お出かけだったので、私へのプレゼントを買おうと探したがいいのがなかったとのこと。ちょっと遅れてもいいし、なんかちょうだいね。
真樹の洛中時代の元同級生の「ナリケン」が、「誕生日おめでとうございます」のメールをくれた。ほんま、ありがとね。ナリケンだけやで、そんなんしてくれるん。
今は静岡に引っ越してしまったけど、おっちゃんはずっと気にしてんでー。
今回はろうそく付きのケーキはないらしい。代わりに簡単な(?)ケーキを買ってきてくれたが、手巻き寿司でお腹いっぱい。もう食べられましぇん。最近ますますお腹が出てきたので、要注意!
「しっかり走ってお腹をへこまそう!」
走ると言えば、私が勝手にライバル視させてもらっている廉の大学陸上部の「み○○○」ちゃん、なんと私と一日ちがいの誕生日。なんか、かしこそうなよさげな子やなあと思とったら・・・。
私は松尾貴史といっしょで、科学的根拠のまったくない血液型診断は信じない。しかし、畑田国男さんの「兄弟姉妹型」や、私が勝手に言っている「生まれ月子育て型」などはある程度の根拠があるのではないかと思っている。
私のような人数大めの兄弟の末っ子は、文句なくかわいらしい。両親に甘やかされて育っているので、いつもニコニコ。
また、12月生まれはこれから一番寒い時期に突入という時に生まれている。これは、母親と一番密着して育てられていくと考えられる。それと関係あるかどうかは分からないが、かしこい子が多いように思う。かぜをひく心配の少ない夏生まれの子とはちょっとちがう・・・、おっと、うちの子ふたりとも8月生まれでした。
昔好きになった人がみななぜか12月生まれで、きっと12月生まれ同士で結婚するんやろうなと勝手に思い込んでいた。それが、まさか母や姉二人と同じ3月生まれのますみ様と結婚するとは・・・。人の縁とは不思議なもので・・・。
その3月生まれというのを分析すると・・・、やめときましょう。
今日はいなかに用事があって、久しぶりに帰ることに。
真樹のいっこ下のそうへい君に、アドベンチャーワールドのおみやげを持っていかなくては。
「メイよー、ふるえながらほえとるやんかー。ほえんでもええんやで。私は単なるあやしいオッサンです。」
哀愁ただようメイの背中。
こうしてそうへい家を守ってくれてるんやね。
ごくろうさんどす。
私が持っていったのは、ビカビカ輝く金メダル。
この金メダルはうまいでー。
そうへい君はまだ学校の時間だったので会えなかった。でも、そうへい家代表としてメイに会えたのでよかった。
そのあと父の家に行き、ちょっとしゃべってきた。
まあ特別な盛り上がりはなかったが、いい誕生日だったと言えるでしょう。
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2010年12月13日(月)
第22回全日本びわ湖クロスカントリー・続き [ランニング・出張販売]
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2010年12月12日(日)
第22回全日本びわ湖クロスカントリー [ランニング・出張販売]
今日のトップ写真に予定していたもの。
廉の1部男子ジュニア5000m。
あーちゃん(真樹の友だち)の2部女子4000m。
岩内さん(私の友だちの娘さん)の1部女子ジュニア4000m。
嶺(甥の子)の4部男子1000m。
陸(甥の子)の3部男子3000m。
高松望ムセンビさんの3部女子3000m。
いやいやー、これが大逆転。
「アンタの写真も撮ったったで」とヨメさん。「廉の写真撮るついでにな。」
「いや、ますみちゃんの愛情をひしひしと感じる今日この頃・・・。」
「あんなあ・・・、ええかげんにしいや。うちとこと○○さんとこと、どっちが夫婦の危機が迫っとるかなあ・・・。まあ、うちやな。」
えー、ななんで写真の話がそんなとこにー。
さて、私が出場したのは2部男子A8000m。
2部は陸連登録をしていない人むき。森の中にも入っていく4000mのコースを2周。
2008年、18分05秒+18分25秒で36分30秒。
2009年、18分30秒+19分30秒で38分00秒。
今年は廉がついてきてくれたので、ウォーミングアップの仕方を教えてもらった。
スタート1時間前くらいに20分ほどジョグ。そのあと「流し」を5本ほど。
「その『流し』って、ナニ?」
「青ちゃんがレース前にやってたやろ。8分くらいの力でダッシュするやつ。」
「はあーはあー。」
分かったような分からんような。
とりあえずジョグ。
昨日インターバルをやったので足が重い。廉から、「レースの前の日にインターバルなんかしたらあかん」と言われた。もっと軽い練習でないとあかんらしい。
10分ほど走ったらお腹ゴロゴロ。トイレへGO!ジョグは予定の半分で終了。
「流し」と言われてもよう分からんので、廉の陸上部の青ちゃんのマネ。上り坂をガッガッと。オッサンが一人黙々と走っている姿は、たぶん不気味。
これから短い距離のレースは真剣に走るということで、ウエストバックにカメラというスタイルは封印。
スタートから積極的に行ったつもり。1周目17分58秒。
2周目はさすがにバテたが、しんどくなった時は昨日の宝ヶ池の走りを思い出した。ラスト1kmのところで、廉からひと声。これは効いた。2周目18分41秒。
トータル36分39秒。やったー、2年前のレベルに戻ってる。
これからも廉に相談にのってもらって、短い距離のスピードに磨きをかけていこう。
(それにしても、ヨメさんが撮ってくれた写真が、お腹の出た私の兄にそっくりでビックリ!)
(注)まだまだ、続きます。
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