パオパオだより

2017年10月05日(木)

堀先生 [昔話]

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奥四校体育大会

 私はつくづく変わり者だと思う。
 小さい時にお世話になった先生を、いつまでも慕うというのはよくあること。しかし私は、(4月に長崎まで会いに行った)真柴先生もそうであったように、担任でもない先生をよく慕っていた。

 7月25日にも書きましたが・・・。
 その日、銀行のATMでお金をおろし車で出ていくときに、こちらに向かって「おっ」と手をあげる男性あり。
 「あっ、堀先生!」
 急いでいたのでしゃべることはできなかったが、先生のほうから見つけてくださってすごくうれしかった。

 私は別所小学校の出身。私が小学校高学年の時、堀勢津夫先生は(たぶん新採で)久多小学校に赴任されていた。
 当時は鞍馬以北に、別所・八桝・堰源・久多の4つの小学校があり、「奥四校」と呼ばれていた。ひとくくりにされていたが、それぞれの学校間が5kmほどあり、別所小学校と久多小学校は15kmほど離れていた。
 この四校合同で、スポーツ大会や修学旅行が行われていた。その時に「久多の堀先生、ええなあ」と思っていた。担任でないどころか、私はよその学校の先生をええなあと思っていたのだ。

 ほとんどお会いする機会はなかったのに、そのたびになついていたんでしょうね。その10数年後、私が小学校教師になった時も、どこかでお会いすることがあり、すごく喜んでくださった。
 私が教師を辞めてからはほとんどお会いすることもなかったのに、この7月に顔を覚えていてくださっただけでも大喜び。「61歳と71歳のごたいめーん」でしたね。

 今日、なんでこんなことを思い出したかというと・・・。
 JAに父がかけていてくれていた保険の名義変更をしなくてはならなかった。その担当者が堀さん。堀先生の甥。
 今日手続きの書類をうちに持ってきてくださった。

 「堀先生って、堀さんのおじさんですよね。7月に銀行のATM前で偶然でお会いしたんですけど、おうちはこのご近所なんですか。」
 「はい、岩倉の○○○・・・。」

 そうやったんや。うちからすぐやん。
 遊びに行かせてもらおうかな。

 そうそう、言い忘れていましたが、堀先生も堀さんも八桝小学校出身。別所のお隣の地区出身です。そんなところも親しみがわいたんでしょうか。

 私が人を好きになるとき、ほとんど顔で好きになる。
 堀先生の写真が見つからんのが残念。ほんまに引っ付きたくなるようなええ顔。ちょっとカバっぽい感じもしたけど・・・。

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 写真が見つからないので、私のへたなイラストで。
 堀先生の一番の顔の特徴は、広いおでこ。
 髪の毛はテンパだったような気がするが・・・。

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2017年07月12日(水)

悲しい思い出 [昔話]

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※今ごろ監禁真っ最中。この記事は7月11日に書いています。

 京大病院に関することでずっと忘れていたことがあった。

 高校卒業後、私は立命館大の2部(夜間)に進学。それと同時に、京大正門前にある「ナカニシヤ書店」に就職した。今から43年ほど前の話。
 仕事は、京大職員さんへの本の配達。私の配達区域は、医学部・病院だった。たいていは定期購読の医学雑誌などを配達する。「蛋白質・核酸・酵素」とかいう月刊誌もあったなあ。

 たいていは決まったルートを順番に配達して行くだけ。まあそれさえまちがわなければ、誰にでもできるような仕事。
 しかしある日、いつもとちがう方からの注文がありそ、その部屋を探すことになった。京大医学部の裏手あたりをウロウロしていると、檻に入れられたたくさんのワンちゃんが悲しそうに鳴いていた。いや、泣いていたといったほうがいい。
 そのあと、やっと注文された方の部屋が見つかり入っていくと、檻の中にネコちゃん。体中にチューブかなにかがいっぱいつけてあった。

 私が目の当たりにしたのは、まちがいなく「動物実験」。そのおかげで何人もの命が助かり、私が使う薬の研究にも貢献しているのかもしれない。それは分かっているのだが、18歳の犬猫好きの私には、厳しすぎる現実だった。
 けっきょく、「ナカニシヤ書店」は3か月でやめてしまった。

 今日お昼に、洗面所にヒゲをそりに行った。 
 その時に、「ひゅー、ひゅー」と悲しげな音。たぶんそれは風の音であったと思う。(そう思いたい。)でもその音で、43年前の悲しい記憶が一挙によみがえった。

 もうここまでいろいろなことが進歩したんやし、もう動物実験はかんにんしてほしい。甘いでしょうか・・・。

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2014年12月04日(木)

京滋駅伝の思い出 [昔話]

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 昨日ちょっと書いていた「京滋駅伝」。
 この言葉で検索しても、今はほとんど何も出てこない。私が出たのが31年前と29年前だから無理もない。そのあと大会自体がなくなってしまったので、今や「伝説の駅伝大会」と言っていいのかもしれない。

 「たしか、あのへんに置いてあったはず・・・。」

 探したら見つかりました。31年前の「京滋駅伝」の写真。どの子からもらったのか忘れてしまったが、たしか写真はお父さんが撮ったものということだった。

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 応援に来てくれた教え子の作文も見つかった。
     ◇
   「先生が走る」
               錦部 詠子

 十六日の朝、雪が降ったりやんだり、マラソン選手にとっては、あいにくの天気だった。

 午前11時私は母と妹と犬の太郎といっしょに家を出たが、外は雪が降っている。上賀茂橋に先生たちが通過するので行ってみたら、同じクラスの人たちが10人寒そうに、先生が来るのを待っていた。

 先生だってわからなくても応援してくれることを走りながら思っているだろう。やっぱり「はげましの声」が必要なのだ。

 
 先生が予定した、上賀茂橋のタイムは、11時26分ごろである。「もうそろそろだなあ」と友達としゃべっていると、一番手の選手が私たちの前を通過した。・・・・・残念ながら先生は一番手にはいなかったのである。

 いろいろなチームが来るのに先生は来ない。雪はますます降る一方に選手たちが5〜6人がたばになり走って来る。
 「あっ!」
 「先生だ!先生だ!」
 先生の顔は、ふだんとはちがいマラソンにかけた先生のもう一つの顔だった。生徒の私たちが見ても「あれ先生だったん?」と言っていたぐらいだった。

 先生が通過した時「がんばれ!」「がんばって!」とゆう声がよく聞こえた。
 私はとてもはずかしくていえないけれど、小声で「先生がんばって!」と言った。

 川原の上を、半そで半ズボンのかっこうで、一番雪が降っていた一時期に先生は走ったのだ。そして厳しいゴールまでの9.2km走る先生を、生徒の私たちは尊敬の目で見ているのだった。
          (終わり)


※31年前、「京都ランナーズ」のおたより「走人ニュース」に錦部さん本人の承諾をとって載せさせてもらったものです。   

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 名文すぎる!

 --私はとてもはずかしくていえないけれど、小声で「先生がんばって!」と言った。--

 この部分は呼んでて泣けてきた。
 雪が降る寒い中、よう応援に来てくれたね。

 1984年1月16日の「京滋駅伝」。
 私は当時28歳。初めて40人を超えるクラスの担任になり、もうすぐ卒業させるという時期。マラソンしかとりえのない若い先生を、保護者の方々も暖かく見守ってくださっていた。

 わが「京都ランナーズ」からはABCDと4チームが出場。私はCチームの第1区を任された。結果は、ゲリラ雪で前が見えないような第1中継所へ、「京都ランナーズABC」がだんごでなだれ込む。
 A 29位 29分47秒
 B 30位 29分48秒 
 C 31位 29分48秒

 第1区は9.2kmと聞いていたので(距離不足でしょう)、当時は驚異のスピードランナーだったということでしょうか。

 錦部さんは言う。--やっぱり「はげましの声」が必要なのだ。--
 応援の人たちに気付いたとき、どんなに力強かったことか。錦部さんが精一杯応援してくれたのを見習い、私も廉や北山高校女子をしっかり応援しよう。

 錦部さんやお母さんが、このブログを見てくれはったらいいのになあ。今ごろ(31年ぶり)やけど、あらためてちゃんとお礼を言いたい。

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【今日のきく】

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 今日は朝から冷たい雨。ヨメさんと行くきくの朝の散歩が短かったので、お昼に散歩に行こうと思っていた。ところが雨はやまず、午後から私は歯医者さんだったのでけっきょく行けなかった。
 ヨメさんが、夕方に散歩。これで夜の散歩はいらんかなあと思ったが、やっぱり行きたいたらしい。

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 夜9時ごろ、いつもより遅めの散歩。
 昼間雨で走れなかった廉が、ちょうど夜練習に出てきた。きくは、めったにないことだったので大喜び。道の反対側を走っていたので写真が撮れず残念。

 さあ、私は夜11時からの24時間バイトに行かなくては。寒い「一畳部屋」でちゃんと寝られるかなあ。

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2012年11月02日(金)

屋台に腰掛けラーメンあなたも好きだった [昔話]

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  「ひとりの冬なら来るな」

 (一番、二番略) 

 通りを悲しく過ぎる チャルメラ悲しく過ぎる
 屋台に腰掛けラーメン あなたも好きだった
 白い湯気にうつる 恋の物語 冷えた空の中に 淡く消えてく
 淋しい冬なら来るな わびしくなるから来るな
 春まで待つには寒い ひとりの冬なら来るな
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 昨日、「京都キャロット・産大前店」に行くと・・・。
 「元ふきのとうの人のコンサートがあるんやて。さっき、FMでゆってたわ」とヨメさん。
 「えっ、細坪基佳?」
 「知らんがな。」
 「まさか、山木康世とちゃうわなあ・・・。」

 ヨメさんはほとんど興味なし。そらそうやわ。1974年9月「白い冬」でデビューということは、私は18歳でヨメさん12歳。まあ、お子ちゃまにはふきのとうのよさは分からんわなあ。
 でも、私の大好きな名曲「ひとりの冬なら来るな」は1982年10月やから、私27歳ヨメさん21歳なんやけどなあ・・・。

 私がこの曲を好きなのにはわけがある。この曲が流れると必ず思い出す場面がある。
 たぶん私が27か28の冬。私は18歳からひとり暮らしなので、10回目の「ひとりの冬」を迎えたころのこと。そのころ、ほとんど自炊はせず外食ばかりしていた。
 寒い冬の日の夜。出町広場の屋台のラーメンを食べに行った。そのラーメンは私好みののびのびラーメンで、わざわざ柊野の家からちょくちょく食べに行っていた。
 その日の客は、私と男子大学生2人連れ、そしてもう一人スーツ姿の疲れたサラリーマン風の中年男性。中年男性が一番に食べ始め、次に私、大学生は出来上がりを待っていた。
 そのとき、男子大学生同士がひじを突き合ったりし出した。何事かとそちらを見ると・・・。
 なななんと、中年男性はこっくりこっくり、ひざに乗せたラーメンどんぶりから男性の股間に汁かダラダラと・・・。男子大学生は「起こしたげんとあかん」と思ったのだろう。しかし、時すでに遅し。ラーメンの汁はほぼ全部中年男性の股間へ。それでもその男性はこっくりこっくりを続けていた。ああ恐ろしや!

 この曲の思い出が、彼女と食べに行った屋台のラーメンやったらよかったんですけど。残念ながら、私にはそんなロマンチックな思い出はありません。でも、あの男子大学生の顔(表情)は今も覚えてるんですよね。
 この話、たぶん私が死ぬまで語り継ぐでしょうね。爺さんの昔話として。どうってこともないような話やけど、私にとっては映画の中の一場面のようでした。

 この翌年か翌々年、私は結婚しやっと「ふたりの冬」を迎えることができた。そして、その6年後には「三人の冬」、9年後には「四人の冬」を迎え現在に至っている。
 眞寿美さんに出会わなかったら、きっと今年は39回目の「ひとりの冬」を迎えてたんでしょうね。あー・・・。(私がふきのとうを好きなのを、ヨメさんが覚えてくれていただけでも喜ばなくては。)

 11月4日は婚姻届を出した日。(結婚記念日は、一応8月20日。)
 さて、眞寿美さんはおぼえているでしょうか。
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【RUN】

 今日は兵庫の氷ノ山で初冠雪。去年より19日も早いらしい。寒いはず。

 夕方1.5kmジョグ、1kmジョグのあと1000+1000。3分54秒、5分49秒。1kmスロージョグをプラスで、今日は5.5km。下りは3分50秒切りたかったなあ。
 
 明日の「丹波ロードレース」5kmで20分を切れるでしょうか。

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2012年08月27日(月)

新婚レース [昔話]

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 今日は早朝バイトのない日なのだが、ジジィ仲間の Iさんがお休みのため代役。このあと9月も休まれるということなので、私は月火木金と週4日行くことになってしまった。出張販売の翌日の早朝バイトは、やっぱりちょっとつらい。

 午後は、いなかに帰って倉庫の整理。今年4月からいなかに住んでいる多鶴子姉(2番目の姉)が、「はよう倉庫の整理しー」とせかす。でも、こんな口うるさい人もいないとなかなか整理はできない。感謝しないと。

 残暑が厳しすぎる。いなかに帰れば涼しいと思っていたのに、倉庫で動き回っていると汗ダラダラ。けっきょく4時間近く物を運んだりしていた。そのおおかたは本。本の重いこと重いこと。明日の古紙回収で、大事にしていた本たちともおさらばです。

 本以外のものも少しあった。
 懐かしい写真も出てきた。
 上の写真は、1986年3月の「京都ロードレース」。私たちが結婚した翌年のこと。当時はまだ「5km宣言タイムレース」というのがあった。眞寿美さんは、人生初レースだった。

 私は18分00秒の宣言で19分11秒。1分11秒差で34位。
 ゴールしてすぐ眞寿美さんを探して伴走。
 眞寿美さんは35分00秒の宣言で37分12秒。2分12秒差で42位。

 私はそのころ人生で一番速かったころなので、5km18分くらい軽々だと思っていた。ええかっこ見せようとして力みすぎてしまったのでしょうか。
 眞寿美さんは初の5kmをしっかり走った。それまで、京都ランナーズの例会4.1kmは何回か走っていたはず。35分はそこからはじき出したタイムだと思うのだが、やっぱり練習会とレースとでは勝手がちがったんでしょうね。
 眞寿美さんは、この後5km23分台まで縮めていく。立派なもんです。私はこの後ひたすら下り坂を・・・。
 
 26年前、私30歳・眞寿美さん24歳のときの写真でした。

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 写真といっしょに出てきた一通の手紙。
 それは、当時私と同じ学校に勤務されていた先輩の女性の先生から(眞寿美さんは私と同じ小学校に勤務したのは1年だけで、その後別の小学校に勤務していた)。私たち二人それぞれに、ていねいなお手紙を下さった。
 もう27年も前の手紙なので公開してもいいですよね(私宛の分のみ)。
     ◇     ◇     ◇
 藤井先生、ご結婚おめでとうございます。 
 どこまでじょうだんで、どこまでが本気なのかわからず まだ、「うそ!」という気持ちがとれませんが、それでも事実なんですね。
 やっぱりほんとうなんですね。12日に聞いて以来、何かこれまでの藤井先生とは全く別人のようにみえてしかたありません。
 臼井先生と結婚されるのは別の藤井先生だって、でもこの学校にはお一人しかいないし、やはりあの方だなあって自分にいってみるのですが・・・、まだ夢のようです。
 男心は私にはわからないので、どんな気持ちでおられるのかわからないのですが、女心として、どうか臼井先生を幸せにしてあげてください。おっちょこちょいで、すぐなみだが出てものすごくかわいいやさしい人です。(なんて、数年前にに出会った時の思い出しかないのですが)
 人はいろいろあって、いいところもよくないところもあるのですが、うまくいっているとスムーズにいきますが、悪くなると人の欠点ばかりがめに入り、よけいその人を悪くしたりしてどうしようもなくなるんですね。でも、きっとお二人のことだからしんどいことはのりこえてのご結婚だと思います。二人のすばらしい若さでこれからものりこえていって下さい。
 ただ、私としてはもうじょうだんで相手にできませんね。とてもさみしいですねえ。また一人へり、また一人とお一人の男性先生がへっていくのはさみしいかぎりです。
 職場ではあいかわらずおもしろい藤井先生でいてくださいね。
 あっそうそう、遊びに寄せてもらっていいですか。ずっと先ですが、なつかしい臼井先生のお顔をみたいです。夏休み一度会い、ひさしぶりでびっくりしましたが、これで二度びっくりです。今度はおちついてお話ししたいです。

 藤井先生にお願い
  あまりこれからは一人で遊ばないでください。足が悪くなるくらい走りすぎないでください。臼井先生をぜったい幸せにしてあげてください。
     ◇     ◇     ◇
 ○○先生とはずいぶん長くお会いしていません。当時、小さなお子さんの子育てをしながらも笑顔を絶やさない素敵な先生でした。同じ職場の先輩の先生として、二人の結婚をハラハラして見てくださっていたんでしょうね。心配かけて、本当に申し訳ありませんでした。私の先輩の先生でしたから、もう定年退職されたのでしょうか。
 こちらは教師は辞めてしまいましたが、夫婦としてはまあ何とか27年はもっています(365日×27年=9855日。おう、もうすぐ10000日突破!)。
 ○○先生がこのブログを見てくださったらうれしいんですけど・・・。                          

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2012年07月17日(火)

33年前と22年前 [昔話]

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 昨日、いなかの家の草刈りと倉庫の整理に行ってきた。家の前の草は、克己のおっちゃん(うちの本家で私のまたいとこ)と隆雄兄さん(姉の夫)がもうやってくれていた。
 前に屋根のトタンがはがれて水浸しになった倉庫の整理。思っていたよりは雨の被害は少なかった。父から預かっていたアルバムが一番心配だったが無傷。本当によかった。

 私の「私物」と書いてある段ボール箱を整理しているといろいろなものが出てきた。おおかたは本。ぬれてしまったものはなかったが、この際だったのでほとんど古紙回収に出すことにした。どうしても捨てられないのは、「カフカ全集」と「倉橋由美子全作品」。この二つは私の原点みたいなものなので、できれば棺おけまで持って行きたい。
 あのころ買った本は、あっという間にすぐ読み終わった。すごい集中力があった。それに比べて今は、途中まで読んで放置したままの本が数百冊・・・。

 「この版画、だれのん?」
 いっしょに整理を手伝ってくれていた姉が言った。
 「いや、すごいやん。どっかでこうたやつかなあ・・・」と私。
 いやいや、よく見てみると「K」のサイン。これで思い出した。これは私があこがれていた版画家・徳力富吉郎氏(一時期、私のいなか・花背別所に住んでおられた)の「富」のサインを真似たものだ。(「K」はKoujiのK。) この前後10年近く、私の版画の年賀状は続いたはずである。
 残っているのは失敗作で、出すことのできなかったもの。そう思うと、33年前23歳の私はすごい。

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 同じ版画の色ちがい(これも失敗作)。この年は2版5色刷りに挑戦した。
 大学を卒業し、仏教大学の通信教育で小学校教員免許を取っていたころ。時間がいっぱいあったんですね。(今もか・・・。)

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 1版目がこんな感じ。これにもう1版をかぶせる。
 これするのに何日かかってたんやろう。
 だれか私の版画の成功作を残してくれてへんかなあ。33年前やからなあ、そら無理な話か。

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 ポロッと出てきた1990年の写真。
 このとき、廉の素(?)がお腹の中に。ヨメさんは20kmで入賞。

 写真を見た廉の感想。
 「顔がまるすぎ。歯が出すぎ。」

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 22年前34歳の私は毛がフサフサ。
 「髪の毛、かえってきてくれー・・・。」

 この少しあとヨメさんの妊娠が分かり、真剣に「教師辞職」を考えだしたころ。
 「生まれてくる子どもの前で胸をはれる父でありたい・・・。」

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 8ひきいたうちのネコの中で、一番年上できれいでかわいかったキャロちゃん。
 「京都キャロット」の名前はここからつけたんですよ。

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 ほんま、かわいいでしょ。
 このときで5歳くらいかな。

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 キャロちゃんの娘、ルビちゃん。このとき4歳。
 2002年、8ひきの中で一番最初に死んじゃった。それでも16歳まで生きてくれた。うちのネコはみんな長生きしてくれた。ありがとね。

 うーん、キャロちゃんもルビちゃんも地獄行きの可能性がそこそこあるので、「地獄行き確実」の私とはもうすぐ会えるかもしれない。そう思うと、地獄行きも楽しみやねえ・・・。

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