パオパオだより

2021年05月08日(土)

証書 [昔話]

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 今日、上の姉が山椒の炊いたんを持ってきてくれた。
 いなかの家の近くの山椒の木からつんできた。

 その時、兄から私の証書類を預かってきた。父の荷物を整理していたら出て来たそうだ。
 小中高の卒業証書は何となく記憶にあるが、別所保育園の「保育証書」というのは初めて見た。こんなんあったんですね。
 園長先生は福田寺住職の津田勇禪さん。とてもやさしい先生で、いい思い出しか残っていません。

 もう一つ驚いたのが、ローマ字の賞状。
 「あなたのローマ字作文は大変良く書けていました。
 これからもローマ字をすすんで書き、あなたの言葉をますます磨いてください。」
 私が小学校5年生の時のもの(今から54年前)。
 私の名前は、ローマ字で「Hujii-Kozi」やったんですね(oの上に傘。)

 ついでに言うと、「こうじ」の「こう」は「広」を使っていたが、戸籍上は「廣」の横棒一本がないやつ。まだれに黄です。

 いっぱいいっぱい賞状をもらったはずなのに、ほとんど残っていない。
 そんなもんです。

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【今日のきくみー】

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 今日午前中は元気のなかったきくちゃん。 
 でもヨメさんが鍼をしてくれたあとは元気が出てきた。
 
 近くの田んぼまで。
 この田んぼの持ち主さんはやさしい。前にきくを散歩させているとき、軽トラで近づいてこられたのだが、きくがゆっくり歩くのをずっと待っていてくださった。いい人です。

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 調子よく歩いていたのだが、段差につまづいてポテチン。
 でも、ツツジに囲まれてかわいい。

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 みーちゃんは寝てばっかり。
 キャットタワーを買っても、使ってくれるんでしょうか。ギモン。

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 「お金使わんでも、ただの段ボールで十分ですけど」と言っているような・・・。

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【RUN】

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 4日連続の体調不良。
 でも、今日は今までよりちょっとましな気がする。

 うちから北へ。
 静市公園往復2km、12分19秒。
 これ以上は今は無理。

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 町内猫パトロール1km。
 猫ちゃんに会うのが楽しみ。

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 2時間近く昼寝。
 起きたら走れそうな気がしてきた。
 どこを走ろうかと考えたとき、姉夫婦の家がある深泥池に行ってみようとひらめいた。

 午後5時過ぎにスタート。

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 ここまで2.5km、17分半。

 まだ走れそうだったので、そのまま帰るのではなく、宝が池をまわることにした。

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 めずらしく、たこ焼きさんが営業中。
 ここのたこ焼き、おいしいよ。

 この先の寒暖計は21℃だった。

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 宝が池はずっと駐車場閉鎖。
 でも散歩の人たちは入っていいようだ。

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 ここに来たら「ごんぞう」探し。

 「いましたー!」

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 「ごんぞう」のお上品な感じが好き。

 「またねー!」

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 幡枝八幡さん前で約6km。
 家まであと1km。

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 一応、野菜自販機も調査。
 今日は買いに来るほどでもなさそう。

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 家で7km、49分半。
 キロ7分ペースで7kmなら、なんとか走れた。
 でも、ペースも距離もこれ以上は無理。

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 また町内猫パトロール1km。
 これはどの黒猫かなあ。分からん。

 午前に3km、夕方に8kmで合計11km。
 速くは走れないし、長い距離も無理なので、当分こんな練習になりそう。

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2018年11月09日(金)

友だちは少なく [昔話]

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 今日は、寮2の管理代行24時間。
 高野川の桜かな、紅葉してますね。

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 10月19日以来なので3週間ぶり。
 ここの寮長さんは、私が新聞チェックするのを楽しみにしていることを理解してくださっている。10月20日以降の朝日と日経を全部残してくださっていた。

 この3週間の間にいろいろなニュースがあったが、私が見入ってしまったのはやっぱれこれ。
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◎日本経済新聞10月22日朝刊

   「今日終わるとは」 西武・辻監督、悔し涙

▽…ソフトバンクの表彰式を見届けたあとのシーズン最終戦セレモニー。西武・辻監督は無念さを隠せなかった。「悔しいです。まさか今日、2018年シーズンが終わるとは考えてもいませんでした」と、涙ながらにあいさつした。

 ホームのファンへの優勝ペナントのお披露目も兼ねて球場を一周したが、笑顔なき優勝報告となった。

 シーズン覇者の意地はみせた。六、八回と追加点を許しながらも、浅村、中村のソロなどでソフトバンクを追い詰めた。八回は中堅秋山、九回は右翼外崎が美技を披露。決して打つだけではない、という今季の西武の津よそを示した。

 昨季はチームを4年ぶりのクライマックスシリーズに導き、今季は10年ぶりのリーグ優勝。就任以来2シーズン、階段着実に上ってきた形の辻監督は「開幕8連勝から、一度も首位を譲らず優勝できたことを誇りに思う」と、選手たちをねぎらった。

 ソフトバンクとの差を、救援陣の投手の質と指摘。「(ソフトバンクの投手は)怖がらず、どんどん攻めてくる。ウチ(の投手)も精神的、技術的にタフにならないと」と来季を見据えた。
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 今現在の私の話し相手はヨメさんだけ。
 新聞やネットのヤフーニュースで仕入れた話題を、いつもヨメさんに聞いてもらっている。そのほとんどはヨメもさんにとっては関心のないもの。それでもヨメさんは、適当に相槌をうってくれている。その反対のヨメさんからの話題に、私は関心を示さないのに。

 西武の辻監督。
 私が高1の時仲良くしてくれた「大道(だいどう)君」に似ている。いつしか学校に来なくなり、たぶん途中退学したのだと思う。
 いなかの中学校から進学した私は、高校では友だちがひとりもできなかった。そんな時、「藤井、体操してみる?」と言って体操部の器具を使わせてくれた。部員でもないのに、いろいろと教えてくれたよね。

 下鴨中出身だったので、同窓会の幹事さんに聞いたら現況が分かるかと期待していたが、まったく不明。どうも、中学卒業間近にどこかから転校してきたみたい。たぶん大道君も友だちおらんかったみたいやね。

 高校時代に好きやった女子にも会いたいが、やっぱりそれより仲良くしてくれた大道君のほうに会いたい。
 辻監督が大道君やったりして・・・と思って調べたら、辻監督は60歳。大道君とちごたね。

 どこでどうしてんねん、大道!
 何とか見つける方法ないんかな・・・。

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2018年05月21日(月)

通知簿 [昔話]

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京都市立別所小学校?年

 今日、旧事務所に廃品処理業者が入っているはず。
 (私は臨時で寮の管理の24時間バイトのため、実際どうなったのかは分からない。)

 必要なものは昨日までに持ち出さなくてはならなかった。そのため土曜の夜と日曜の夜、出張販売のさなかに無理して整理に行っていた。私の腰痛がひどくなったのは、中腰で作業をしていたせいもある。
 
 ヨメさんは「ぜんぶほかし」と言う。
 (関西以外の人には分かりませんよね。「ほかす」は「捨てる」という意味です。)
 「どうせ、もうじき死ぬんやから」とは言われませんでしたが・・・。

 とりあえず写真は全部救出。ほかすにしても、もう一度見てからほかしたい。
 本は半分以上ほかした。でも、またアイソトープ治療のときに「捨ててもいい本」を持ち込まんなん。ひどい場合は毎年入院治療が必要だから、ちょっとは残しとかなあかん。
 服は全部ほかす。なんちゅうても21年以上前のものばかり。(いなかに10年+今の家に11年のその前からあった服。)全部きれいに洗っておいてあるので着られないことはない。でも、さすがにこれはもういらん。

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 あとは、大事な大事な通知簿(正式名は「通知票」)。
 「たしか、オール5ちゅうのんを1回取ったったことがあるはずなんやけど・・・。」

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 しかし、それはなんぼ探してもない。夢見とったんかなあ。
 「この抜けてる年にオール5が・・・」、そんなことないか。

 小3の時の木村先生(年配の男性教諭)は、「まじめに努力する態度を養いたい」「気ままな面」「態度にきままなところ」とか書いてはるなあ。よう見てくださる、いい先生でした。

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 中学3年間担任してくださった中古賀先生(若い英語の男性教諭)は、最後まで「慢心にならぬよう」と注意してくださっている。「大海に出て大魚に成長されることを期待します」と。いい先生でした。
 「大海」には出てへんけど、マラソン「大会」にはいっぱい出て、そこそこ入賞しとりますよ〜ん。(小魚!)
 
 まあ「オール5」は幻想やったとしても、小3も中3も一日も休んでへんのがえらいね。めっちゃチビやったのに。(関係ないか。)

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 話は変わりますが・・・。

 私の3台目GPS腕時計の具合が悪い。ついに充電できんようになってしもた。昨日の「奥びわ湖」が最後の晴れ舞台になるんでしょうか。
 60の還暦祝いに買ってもらったものだから、まだ2年5か月なのに。前の2台も同じように充電できなくなり、使えなくなった。

 「こうじさんは、人のエネルギーを吸い取って生きてるからなあ。機械系のエネルギーもみんな吸い取ってしまって、こわしてしまうんやわ。」
 「そうなんかなあ。」
 「私のエネルギーもみんな吸い取って、私はボロボロやわ。こうじさんが死んだら、急に元気になるんやろなあ。」
 「なんちゅうことゆうねん! でも、そうかもしれん・・・。」
 変に納得。

 私の人生の自己採点の通知簿は、「オール5」とは言わんけど、「5と4が半々、3がひとつ」くらいですかねえ。自分にも他人にも大甘な私ですから。
 でも、ヨメさんが評価したら「オール1」に近いんでしょうね。そら、33年もエネルギー吸われ続けたらきついわねえ。
 「ご苦労、お察しします!」

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※ 通知票の氏名ゴム印が「藤井広司」になっている。それも「広」が「まだれにカタカナの『ム』を手書き」。これは、私の戸籍名「まだれに『黄』の字」がなかったからだと思う。活字の「廣」とも少しちがうので。
 でも、手書きするなら正しい表記で全部手書きしてくれたらよかったのに。

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2017年10月05日(木)

堀先生 [昔話]

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奥四校体育大会

 私はつくづく変わり者だと思う。
 小さい時にお世話になった先生を、いつまでも慕うというのはよくあること。しかし私は、(4月に長崎まで会いに行った)真柴先生もそうであったように、担任でもない先生をよく慕っていた。

 7月25日にも書きましたが・・・。
 その日、銀行のATMでお金をおろし車で出ていくときに、こちらに向かって「おっ」と手をあげる男性あり。
 「あっ、堀先生!」
 急いでいたのでしゃべることはできなかったが、先生のほうから見つけてくださってすごくうれしかった。

 私は別所小学校の出身。私が小学校高学年の時、堀勢津夫先生は(たぶん新採で)久多小学校に赴任されていた。
 当時は鞍馬以北に、別所・八桝・堰源・久多の4つの小学校があり、「奥四校」と呼ばれていた。ひとくくりにされていたが、それぞれの学校間が5kmほどあり、別所小学校と久多小学校は15kmほど離れていた。
 この四校合同で、スポーツ大会や修学旅行が行われていた。その時に「久多の堀先生、ええなあ」と思っていた。担任でないどころか、私はよその学校の先生をええなあと思っていたのだ。

 ほとんどお会いする機会はなかったのに、そのたびになついていたんでしょうね。その10数年後、私が小学校教師になった時も、どこかでお会いすることがあり、すごく喜んでくださった。
 私が教師を辞めてからはほとんどお会いすることもなかったのに、この7月に顔を覚えていてくださっただけでも大喜び。「61歳と71歳のごたいめーん」でしたね。

 今日、なんでこんなことを思い出したかというと・・・。
 JAに父がかけていてくれていた保険の名義変更をしなくてはならなかった。その担当者が堀さん。堀先生の甥。
 今日手続きの書類をうちに持ってきてくださった。

 「堀先生って、堀さんのおじさんですよね。7月に銀行のATM前で偶然でお会いしたんですけど、おうちはこのご近所なんですか。」
 「はい、岩倉の○○○・・・。」

 そうやったんや。うちからすぐやん。
 遊びに行かせてもらおうかな。

 そうそう、言い忘れていましたが、堀先生も堀さんも八桝小学校出身。別所のお隣の地区出身です。そんなところも親しみがわいたんでしょうか。

 私が人を好きになるとき、ほとんど顔で好きになる。
 堀先生の写真が見つからんのが残念。ほんまに引っ付きたくなるようなええ顔。ちょっとカバっぽい感じもしたけど・・・。

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 写真が見つからないので、私のへたなイラストで。
 堀先生の一番の顔の特徴は、広いおでこ。
 髪の毛はテンパだったような気がするが・・・。

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2017年07月12日(水)

悲しい思い出 [昔話]

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※今ごろ監禁真っ最中。この記事は7月11日に書いています。

 京大病院に関することでずっと忘れていたことがあった。

 高校卒業後、私は立命館大の2部(夜間)に進学。それと同時に、京大正門前にある「ナカニシヤ書店」に就職した。今から43年ほど前の話。
 仕事は、京大職員さんへの本の配達。私の配達区域は、医学部・病院だった。たいていは定期購読の医学雑誌などを配達する。「蛋白質・核酸・酵素」とかいう月刊誌もあったなあ。

 たいていは決まったルートを順番に配達して行くだけ。まあそれさえまちがわなければ、誰にでもできるような仕事。
 しかしある日、いつもとちがう方からの注文がありそ、その部屋を探すことになった。京大医学部の裏手あたりをウロウロしていると、檻に入れられたたくさんのワンちゃんが悲しそうに鳴いていた。いや、泣いていたといったほうがいい。
 そのあと、やっと注文された方の部屋が見つかり入っていくと、檻の中にネコちゃん。体中にチューブかなにかがいっぱいつけてあった。

 私が目の当たりにしたのは、まちがいなく「動物実験」。そのおかげで何人もの命が助かり、私が使う薬の研究にも貢献しているのかもしれない。それは分かっているのだが、18歳の犬猫好きの私には、厳しすぎる現実だった。
 けっきょく、「ナカニシヤ書店」は3か月でやめてしまった。

 今日お昼に、洗面所にヒゲをそりに行った。 
 その時に、「ひゅー、ひゅー」と悲しげな音。たぶんそれは風の音であったと思う。(そう思いたい。)でもその音で、43年前の悲しい記憶が一挙によみがえった。

 もうここまでいろいろなことが進歩したんやし、もう動物実験はかんにんしてほしい。甘いでしょうか・・・。

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2014年12月04日(木)

京滋駅伝の思い出 [昔話]

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 昨日ちょっと書いていた「京滋駅伝」。
 この言葉で検索しても、今はほとんど何も出てこない。私が出たのが31年前と29年前だから無理もない。そのあと大会自体がなくなってしまったので、今や「伝説の駅伝大会」と言っていいのかもしれない。

 「たしか、あのへんに置いてあったはず・・・。」

 探したら見つかりました。31年前の「京滋駅伝」の写真。どの子からもらったのか忘れてしまったが、たしか写真はお父さんが撮ったものということだった。

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 応援に来てくれた教え子の作文も見つかった。
     ◇
   「先生が走る」
               錦部 詠子

 十六日の朝、雪が降ったりやんだり、マラソン選手にとっては、あいにくの天気だった。

 午前11時私は母と妹と犬の太郎といっしょに家を出たが、外は雪が降っている。上賀茂橋に先生たちが通過するので行ってみたら、同じクラスの人たちが10人寒そうに、先生が来るのを待っていた。

 先生だってわからなくても応援してくれることを走りながら思っているだろう。やっぱり「はげましの声」が必要なのだ。

 
 先生が予定した、上賀茂橋のタイムは、11時26分ごろである。「もうそろそろだなあ」と友達としゃべっていると、一番手の選手が私たちの前を通過した。・・・・・残念ながら先生は一番手にはいなかったのである。

 いろいろなチームが来るのに先生は来ない。雪はますます降る一方に選手たちが5〜6人がたばになり走って来る。
 「あっ!」
 「先生だ!先生だ!」
 先生の顔は、ふだんとはちがいマラソンにかけた先生のもう一つの顔だった。生徒の私たちが見ても「あれ先生だったん?」と言っていたぐらいだった。

 先生が通過した時「がんばれ!」「がんばって!」とゆう声がよく聞こえた。
 私はとてもはずかしくていえないけれど、小声で「先生がんばって!」と言った。

 川原の上を、半そで半ズボンのかっこうで、一番雪が降っていた一時期に先生は走ったのだ。そして厳しいゴールまでの9.2km走る先生を、生徒の私たちは尊敬の目で見ているのだった。
          (終わり)


※31年前、「京都ランナーズ」のおたより「走人ニュース」に錦部さん本人の承諾をとって載せさせてもらったものです。   

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 名文すぎる!

 --私はとてもはずかしくていえないけれど、小声で「先生がんばって!」と言った。--

 この部分は呼んでて泣けてきた。
 雪が降る寒い中、よう応援に来てくれたね。

 1984年1月16日の「京滋駅伝」。
 私は当時28歳。初めて40人を超えるクラスの担任になり、もうすぐ卒業させるという時期。マラソンしかとりえのない若い先生を、保護者の方々も暖かく見守ってくださっていた。

 わが「京都ランナーズ」からはABCDと4チームが出場。私はCチームの第1区を任された。結果は、ゲリラ雪で前が見えないような第1中継所へ、「京都ランナーズABC」がだんごでなだれ込む。
 A 29位 29分47秒
 B 30位 29分48秒 
 C 31位 29分48秒

 第1区は9.2kmと聞いていたので(距離不足でしょう)、当時は驚異のスピードランナーだったということでしょうか。

 錦部さんは言う。--やっぱり「はげましの声」が必要なのだ。--
 応援の人たちに気付いたとき、どんなに力強かったことか。錦部さんが精一杯応援してくれたのを見習い、私も廉や北山高校女子をしっかり応援しよう。

 錦部さんやお母さんが、このブログを見てくれはったらいいのになあ。今ごろ(31年ぶり)やけど、あらためてちゃんとお礼を言いたい。

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【今日のきく】

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 今日は朝から冷たい雨。ヨメさんと行くきくの朝の散歩が短かったので、お昼に散歩に行こうと思っていた。ところが雨はやまず、午後から私は歯医者さんだったのでけっきょく行けなかった。
 ヨメさんが、夕方に散歩。これで夜の散歩はいらんかなあと思ったが、やっぱり行きたいたらしい。

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 夜9時ごろ、いつもより遅めの散歩。
 昼間雨で走れなかった廉が、ちょうど夜練習に出てきた。きくは、めったにないことだったので大喜び。道の反対側を走っていたので写真が撮れず残念。

 さあ、私は夜11時からの24時間バイトに行かなくては。寒い「一畳部屋」でちゃんと寝られるかなあ。

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