2010年12月30日(木)
もちつき大会、あわや大惨事 [家族]
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2010年12月29日(水)
2010後半・家族編 [振り返って]
今日は年賀状作り。
写真を見ながらこの1年を振り返る。
いろいろなことがありました。
私はどの写真も笑っている。ムカツク人はムカツクんですねー、これが。
ヨメさん、廉、真樹は、私が「笑いや!」と言ったら無理やり笑ってる。でも、自然に笑っている表情も写真に撮れることがある。そんな写真を中心にした年賀状にしたい。
家族と言っても勝手なことを書くとおこられるので、今年の年賀状も説明なしの写真だけのものにする予定。なかなかむずかしいです。
我が家の希望の星は、高齢猫・あんも。
「天安門事件」の年に拾ってきたので、今21歳。正直、こんなに長生きしてくれるとは思っていなかった。ほかの猫たちがみな16歳くらいで死んでしまったので・・・。
ここまできたら、「めざせ、30歳!」
あんもに関しては、ずっとこわい顔の写真しか撮れなかったのだが、ついこないだ奇跡的にかわいいのが撮れた。だから、今年の年賀状ではいいポジションに置いてやろう。
ヨメさんや子どもに相手にされんようになったら、どんどんきくとあんもにのほうにいってしまうなあ。
「あんもちゃん、なかよくしてね。パンチ入れんといてね。」
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2010年12月28日(火)
2010後半・ブログ編 [振り返って]
「仕分け」という言葉がはやったなあ。
このブログ「パオパオだより」も、もうすぐ3年。きっちり仕分けをしなくては・・・。
まず、今まで「ごあいさつ」のカテゴリーに入れていた「振り返って」シリーズを独立させる。
「ごあいさつ」は、このブログの「プロフィール」の代わりのようなものなので、一番最初の一つの記事に戻す。それ以外は新たに「振り返って」というカテゴリーをつくり、そこにほうり込む。
【例】「2010後半を振り返って・ブログ編」→「「2010後半・ブログ編」 (振り返って・カテゴリー)
「ごあいさつ」はプロフィールの代わりなので、書き始めて3年たった今、ちょっと書き加える必要がある。コメント欄に書けない直のメールの送り先(アドレス)を表示する方法を考えなければ。しかしこれは、公開すると変なメールが大量に入ってくるとか。なかなかむずかしい問題だ。(このあたりどうするか、まだ考え中・・・。)
さて、本題の「2010後半のブログ」の記事だが・・。
7月末の真樹との沖縄旅行など、書いている途中で放置してしまっている記事もある。中途半端でちょっと心苦しい。
アクセス数が多かったのは、?海老蔵顔面崩壊(11/30)、?NB・MR967R・NN(9/7)、?かけはし食堂・カレーハウス(7/17)。時事・ランニング用品・グルメ情報と、いろいろなカテゴリーの記事を読んでもらえているということなので、かたよりがなくていいのかも。
話題になり、コメントがたくさん入ったのが、「臓器移植とあんもちゃん(8/30)」。
でも、私が一番真剣に書いた記事は、「幸せそうじゃない先生(10/28)」です。
まだ読んでおられない方、よかったら見てください。
自慢のアクセス数については、実は6月の128130からジリ貧。
「めざせ月間15万アクセス!」ということで1日4000から5000にアップをねらっていたのだが・・・。原因不明。(あきられた?)
ただ、今月はやや回復。久しぶりに12万アクセスに届くかも。
廉の話によると、1日1万アクセスを超えるとスポンサーが付くらしい。どうせやるなら、めざすはここやね。道はけわしいけど・・・。
2010後半、ブログを書いていて一番うれしかったこと・・・。
それは、沖縄で福祉の勉強をしている智君と知り合えたこと。彼は、私がブログを書いていなければ決して知り合うことのできなかった人。
ブログを書いていると、変な解釈をされていやな気持ちにさせられることもないではない。でも、この智君のように「対話をしよう」という姿勢で話しかけてくれる人も現れる。本当にありがたい。
私くらいの歳になると、若い人とはなかなか付き合う機会がない。そういう意味で、智君は貴重な存在である。この先も、私の知らないことをいろいろと教えてもらおうと思っている。
「よろしくね、智君!」
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2010年12月27日(月)
「酔いがさめたら、うちに帰ろう」 [映画]
◎京都新聞夕刊・映画紹介欄「シネマ主義」12月14日より
「酔いがさめたら、うちに帰ろう」
不器用な男と家族の再生物語
単身生活も長くなると、ふと思うことがある。人間いずれは最期を迎える。その時、見送ってくれる人がいることは、どれほど心丈夫なことだろうか、と。
戦場カメラマン鴨志田譲(2006年没)が、アルコール依存症の闘病体験を元に書いた自伝的小説が原作。男(浅野忠信)が病気を乗り越え、元妻(永作博美)ら、家族の元へと帰って行く軌跡を映し出す。
もちろん病を扱う作品である以上、酒の誘惑に崩れていく様子や、泥酔し、家庭内で暴力をふるう怖さにも触れる。ただ、作品に描かれるのは病そのものではない。病気につまづいた不器用な男が、生気を取り戻していく歩みだ。
主な舞台となるのは依存症患者が集められた病院。病院食でカレーが食べられるかどうかでドキドキする感覚、患者のリーダー選びを巡る争い、面会に来た子どもたちと弁当を食べる幸せー。風変わりな入院患者とのささいな日常や家族との絆が軽妙に描かれ、穏やかで幸せな気分が作品を包む。
東陽一監督は映画化にあたって、鴨志田譲の妻で漫画家の西原理恵子にも取材、男の目線からのみ書かれたストーリーを深め、夫婦、家族の物語に仕立て直した。冒頭、救急車で運ばれる元ダンナに元妻が一言。「大丈夫、まだ死なないよ」。過度なウエットさはないが、決して乾いてはいない。大人の深い愛情を、永作がさらりと体現してみせる。
現実の世界では。鴨志田は退院後、1年ほどでこの世を去っている。映画化に合わせて、西原が寄せた文章に、こうある。「さいごに、ちゃんと帰ってきました。いい男でした」。きちんと旅立つことのできた、幸せな人生だったのだろう。
京都シネマで18日から上映。 (長谷川真一)
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12月22日、「うまれる」を見たあと休みなしで飛び込んで見た「酔いがさめたら・・・」。映画化されたら絶対に見に行こうと心に決めていていた作品。漫画家・西原理恵子さんの元夫の話。
今は戦場カメラマンと言えばバラエティ番組に出まくっている渡部陽一さんだが、それまでは鴨志田さんではないだろうか。それは、もちろんその写真で有名になったのではなく、西原理恵子の夫としてだが・・・。
だから、戦場カメラマンと言えば、流れ弾に当たって死ぬか精神が持たず身の破滅を迎えるかどちらかだと思っていた。まさか、お笑い番組の常連が出てくるなんて・・・。
私は身近に「アル中」と呼ばれる人がいなかったので、アル中の気持ちが分からない。自分自身もほとんど飲めないし。「ヤク中」は犯罪なのに「アル中」はそうでもないというのも分からない。
この映画で、アルコール類を飲むと気持ち悪くなる薬を飲んだ後にまた酒を飲んでいた主人公を見て、わけが分からんようになった。それが病気なんでしょうか。
夫役浅野さん、妻役永作さん、ピッタリ。
この夫婦の安もんくささ(実際に安物とは言いません)がうまく演じられていた。
西原さんの、「どうじゃー、この安っぼさ!」と胸を張っているようなフンイキが大好き。
「悲しみでいっぱいになると、悲しみも喜びも何がなんだか分からなくなる。悲しみで体いっぱい満たされている時は、何もない空っぽよりいいのかも」みたいなせりふがあった。私はこの場面が一番心に残った。安っぽいけどいいせりふ。
鴨志田さんが亡くなったあと、お母さんがインタビューに答えられている映像を見た記憶がある。「彼は・・・、彼は・・・」を連発されていた。
鴨志田さんが早死にした原因の重要な部分をこのお母さんが占めている、とそのとき思った。そういう意味で、母役の香山美子さんは適役ではなかったように思う。私は、そこだけが残念だった。
私が死ぬ時、元妻(?)はなんと言うだろう。何も言わんか・・・。
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2010年12月26日(日)
第29回あのつ越年マラソン [ランニング]
「すいません、後ろの字が入るように写真撮ってもらえませんか。」
「あっ、はい・・・」
5kmのゴール後、ちょうど大会名の入った横断幕の前におられた女性にお願いした。しかし、どこかいぶかしげ・・・。
シャッターを押してくださったあと、「京都キャロットさんて、前に・・・。」
「ああ、ああ、どこかで見たことある方やと思ったら、なんとか由美子さん!」
「そうです。」
「いやあ、三重の大会やし、ひょっとしたら来てはるかなあと思って名簿を見ていたんです。でも下のお名前だけしか覚えてなくて・・・。由美子さんはなかったし・・・。」
「今日は出てないんです。」
「お友だちの応援ですか。」
「そうなんです。でも家からここまでは走ってきたんですよ。」
「えっ、このお近くでしたっけ?」
「いえ、16、7kmはあります。」
「いやー、それはすごいですやん。でも、まさかここでお会いできるとは思ってませんでしたわ。写真をお願いした人が由美子さんやなんて・・・。」
○○由美子さんとは、去年の3月の「美杉の里・桜マラソン」でお知り合いになった。私と同じ10kmに出場されており、きれいなランニングフォームだったので写真に撮らせてもらった。その少しあとの「龍王桜マラソン」でもお会いしたのだが、それ以来。本当にお久しぶりだった。よく覚えていてくださったものだ。
「あのつ越年マラソン」が行われたのは、三重県津市河芸町。かなり前に一度出場したことがある。その時とは会場が変ったような気がする。
この年の暮れに、わざわざ三重まで走りに来たのには理由がある。
今年10月の「四万十ウルトラ」の関門に引っかかったあと考えた。「私にはウルトラの適性がない。昔のように短い距離を風を切って走りたい。でも、今さら昔のように走れるのだろうか。」
そんなこと考えていても仕方ない。実際に短い距離のレースに出てみなくては・・・。
朝6時半に起き、6時40分出発。
2時間はかかると思っていたが、会場に着いたのは8時20分。9時の開会式には余裕で間に合った。
この大会は、「三重走友会」が主催。今やクラブが単独開催している大会はめずらしい。でも、「つう」はこういう大会を選ぶ。
9時30分、10kmがスタート。
その10分後、私の出る5kmがスタート。
5kmは、言わば「長距離スプリント」。20分を切って走れたら、「風を切る」と言ってもいいだろう。最終目標はここ。今日はその目標への第一歩。何とか22分は切りたい。
「京都キャロット」のプリント入り長Tが出来上がったので、今日デビューと思ったが・・・。気温は低い(4℃)が風はなし。これは走り出したら絶対暑くなる。けっきょく、ランシャツランパンで。写真を撮るヒマもないので、ウエストバックなし。
廉の教えどおり、スタート約1時間前からウォーミングアップ。
ジョグ2km+流しとかいうヤツ100m×5。
かわいいワンちゃん(カイ・オス・8歳)にも会えたし、「がんばんでー」。
50歳以上5kmは7名。これはがんばったら3位以内入賞も・・・。
スタートからいい感じ。前にも後ろにもランナーがいて走りやすかった。
5kmはええわ。あっと言う間にゴールや。
最後の下りを軽快に飛ばし、この300mほどだけはキロ4分ペースを切っていたと思う。これを5km続けたら20分を切れるわけや。下りを飛ばす練習なんかもいいかもね。
こんな感じでゴールへ。ちょっとだけ風を切った。
タイムは21分15秒。再起(?)第一戦としては出来すぎ。
このあと、ダウンのジョグ2km。このとき走りながら思ったのだが、ちゃんとアップをしてレースにのぞんだらゴールしたあとが楽。今までなら全力で5kmを走ったら、ゴール後はせきが止まらず呼吸困難一歩手前になっていた。
これからも「廉コーチ」の教えをよく聞き、「5km20分切り」をめざしてがんばろう。
暮れにこんな涼しそうなかっこうで走ったので、記念写真。
シューズはもちろん私の持っている最軽量の「ミズノ・ウェーブスぺーサーGL」。やっぱり軽いシューズは足がよく上るような気がする。
「ひょっとしたら3位以内かも・・・」という期待もあったが、発表まで時間がかかりそうだったので帰ることにした。
帰る前に、お友だちを応援されている○○由美子さんを撮らせてもらった。
「すんません、応援してはるとこ撮らせてもらったんですけど、ブログに載せていいですか。」
「えー、ええ。」
「ちゃんと、『三重の美人ランナー』って書いときますし・・・。」
ということで、今日の成果は?「長距離スプリント」への希望の灯が見えてきたこと、?三重の美人ランナーさんとお会いできたこと、でした。
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2010年12月25日(土)
第12回勝手に国労応援ラン [ランニング]
今月は先月の続き、JR山崎駅をスタートして大阪府内のJRの駅をめざす計画を立てていた。でも、昨日ひらめいた。
「大文字山に登ろう!」
自宅から銀閣寺前までが約8km。そこから大文字の中心まで約1.6km。これを往復したら20km近く。帰りがしんどくなったら叡電で帰ることもできるし・・・。
昼間の明るい時に、できるだけ人がたくさんいるところを走るほうがアピールになる。「JR不採用問題は、まだ決着がついていない。」
午後2時過ぎスタート。
今日はかなり冷え込んでいたので、いつものライトトレーニング上下の上にウィンドブレーカー。しかし、やっぱり1kmほど走ったら暑くなってきた。
国際会館前からは、明日の高校駅伝の男子4区と同じコース。
やっぱりウインドブレーカーは暑すぎた。3kmも走らないうちにウインドブレーカーを脱ぎ、腰に巻きつける。
宝ヶ池通りには「高校駅伝」ののぼりがづらり。
花園橋の少し南のおうちにいたワンちゃん。勝手に写真を撮らせてもらった。
弧線橋の部分は歩行者進入禁止。もちろん、明日走る高校生も試走できない。
叡電・一乗寺駅近く。
私は大学のとき、1年だけこの近くに住んでいた。「京一会館」の3本立て映画をよく見に行ったものだ。
京都造形芸大のネコちゃん、今日もいるかなあ。
いたー。
近づいても逃げない。
これはやさしくしてもらっている証拠。
有名な「ガケ書房」。
やっと、今出川通りに到着。ここを左折して大文字へ。
見えたー。
そばまで来ると、けっこう高く見える。
「いやっ、かわいいワンちゃん! 写真撮らせてください。」
「はい。」
「何歳ですか。」
「14歳です。」
「おー、14歳! 元気、元気! オスですよね。」
「はい。」
「お名前は?」
「ハチです。」
「ハチ君、なでてもええか。」 ナデナデ・・・。
銀閣寺まで上る坂。
土曜日なので人出が多い。
観光客のみなさんをかき分けかき分け・・・。
やっと銀閣寺門前到着。
銀閣寺門前を少し左に行くと八神社。
ここで8kmくらいでしょう。51分16秒。
毎年7月の最終日曜あたり、京都走ろう会主催で「大文字登山ランニング大会」が行われている。八神社をスタートして大文字の中心まで。
確か廉が1歳の時、背中に背負って出場したのが最後。そのとき、どれくらい時間がかかったのだろう。18年前でまだ若かった。16分くらいでゴールしたような・・・。
せっかくなんで、「落ち葉を踏みしめ力走するセルフ写真」を一枚。
超久しぶりだったが、だいたいコースの景色は覚えていた。
確か、この長い階段を上りきるとゴールも近かったはず。階段は149段あった。
しかし、上りきったあとにまた階段!
両手につえを持った男性が一人で登っておられた。
やっとゴール、16分50秒。
自宅からは、合計で1時間08分07秒。
この歳でこのタイムなら上出来でしょうか。
写真を撮ったが、逆光で・・・。
さえぎるものが何もないので、風がビュンビュン。
汗をかいた体が冷えてきた。5分も休まないうちに再スタート。ここからは急な下り。
落ち葉に滑らないように気をつけて・・・。
「なっ、なに? さっ、さる?」
目をあわさんようにして、気づかれんように写真を撮ってと。
八神社到着、13分05秒。
またまた、人ごみをかき分け・・・。
この門前通りには、八ッ橋屋さんだけでも3店舗ある。どこのがおいしいんでしょう。
なかなかフンイキのいい石畳。
京都に来られたら、ぜひここは走ってほしい。
さあ、ここからは高校駅伝男子3区のコース。
反対側の歩道を走っている高校生がたくさんいた。
行きしに写真を撮ったワンちゃん。帰りにももう一枚。
帰りも宝ヶ池通りののぼり。
地球研前を右折して100mほどで自宅。
八神社から56分05秒。大文字山からは1時間09分12秒。
今日は多くの人にゼッケンを見てもらえたと思う。私自身も高いところから京都の町を見下ろせて気持ちよかったし・・・。
20kmにはちょっと足りないコースのようだが、なかなかいいコースだった。これからもこのコースを走りたい。
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☆政治の責任でJR不採用問題の解決を求める!
「国会前54日間連続フルマラソンアピール行動」報告
リンクしようとしましたが失敗。「54日連続フルマラソン」で検索して見てください。
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