2010年11月30日(火)
海老蔵顔面崩壊 [時事]
◎サンケイスポーツ11月30日
「にらみ」復活まで全治6週間…海老蔵、2時間半に及ぶ手術内容は
都内の飲食店で殴られ重傷を負った歌舞伎俳優の市川海老蔵(32)は29日、東京・港区の総合病院で顔面整復手術を受けた。(サンケイスポーツ)
関係者の話を総合すると、手術は午後5時ごろから2時間半ほど。左目の下の陥没骨折部分の修復と、殴られて顔の空洞部分にたまった血液などをメスで取り除くもので、耳鼻科部長が執刀した。術後は顔が腫れるため10日間の入院が必要で、その後は自宅療養しなければならず、完治には6週間かかるという。
詳細については不明だが、世田谷井上病院の井上毅一理事長は「海老蔵さんが受けた手術は、上顎洞(じょうがくどう=眼球の下にある空洞)の根治手術が中心と思われます。頭蓋骨(とうがいこつ)を軽くする機能を持つ顔の空洞部分に、殴られて血液がたまってしまったのでしょう。そのまま放置すると化膿(かのう)してしまうので、それを取り除く手術です」と説明。「形成外科医や眼科医が立ち会った可能性もあります」と語る。
気になるのは、市川家伝統の「にらみ」ができるようになるまでに、どれくらいの期間を要するかだが…。井上理事長は「私も歌舞伎をよく見に行くのですが、『にらみ』は両目を内側に寄せたり、斜めに動かしたり、かなり目の筋肉を使う。今回の手術と目の部分も殴られたことを考えれば、少なくとも1カ月半から2カ月はかかるでしょう」と指摘する。
この日午後4時前には父の市川團十郎(64)、母の希実子さんが病院に到着。付きっきりで看病にあたる妻の麻央(28)と手術を見守ったものとみられる。
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「顔面崩壊整復手術経験者・パオパオがお答えします。」
私の場合は相手がこぶしではなく氷の板でしたが、ほぼ海老蔵さんと同じ症状。
私の手術後7年目の経験から言うと、海老蔵さんは「にらみ」はできるようになったとしても「せりふ」がはっきり言えるかどうかねえという感じです。
私は手術後約7年たった今も、「満面の笑み」もできないし、「早口言葉」もできません。右上唇のしびれがなくなっていないから、自分の思い通りには動かせないのです。
2004年2月9日、家族4人そろって「醍醐スケートリンク」へ。
当時NHKの朝ドラで「てるてる家族」をやっていて、その中に何度もスケートのシーンが出ていました。これは一回スケートに行かんならんわい、ということで小6の廉、小3の真樹をつれて醍醐まで。
だいぶ慣れてきたので、2人組で駅伝をやろうということになりました。第1走者は廉対パオパオ。廉は母ちゃんに、私は真樹にタッチすべく猛然とスタート。そのあとの記憶なし。(氷に引っかかったようで、バタッと倒れたらしいです。)
気がついた時は、六地蔵病院の診察室から出てきた場面。待合室で廉と真樹が笑っていました。絶対にいてくれたはずのヨメさんの記憶が、なぜかまったくありません。これ、不思議。
翌日精密検査をするということで入院。
ここでは生まれて初めて車イスにも乗せてもらったし、生まれて初めての点滴も経験しました。口が痛くて全然動かせず、なにも食べられなかったからです。
検査の結果、右側の頬骨が砕けているとのこと。手術が必要。ただし、入院など長くかかるので少しでも家に近い病院に転院をすすめられました。結局、京都府立病院に行くことに。
府立病院は、私の大学時代3年間アルバイトをしたところ(地下の売店)。まさか、こんな姿で凱旋(?)するとは・・・。
口が動かせないので何も食べられません。でも水分は補給することができます。その時気がついたのですが、ペットボトルを口につけても感覚がないのです。神経がやられてしまっているらしい。
担当のお医者さんの説明では、それは手術してもたいていはよくならない。突然感覚が戻ることもないとは言えないが、死ぬまでそのままの人も多いそうです。(今の感じでは、私は後者のようです。)
一旦退院し、その間に静岡に出張販売にも行きました(2月22日)。左目のまわりが紫で、ほとんどしゃべれず物も食べられない状態で。
2月の終わりに再入院。そして、いよいよ手術。
右の上の歯茎と唇の間を切り、そこから器具を入れて砕けた頬骨を修復する手術だったらしい。
ヨメさんは仕事で抜けることができなかったので、家族への説明は姉夫婦に来てもらいました。いつまで姉に世話かけるんじゃーって話です。(当時、私は48歳。)
私にも手術の説明があったのですが、いっちゃんビビったのは「髪の毛が手術のジャマになるかもしれないから切ってほしい」と言われたこと。
「えー、ちっちゃい子どものときでも、丸坊主にしたことないのにー・・・。」
でもそんなことゆうてられません。病院の地下の理髪店でバッサリと。やってみたら、そんなにへんでもなかったです。
手術は午後5時から。
手術の前は絶食。「痛いですよー」と脅されながら、ふっとい筋肉注射もされました。こんなんもすべて初体験。
手術室に運ばれると、「いち、にの、さん!」で手術台へ。そして点滴による全身麻酔。意識があったのは5秒くらいでしょうか。
「藤井さーん! 藤井さーん! 終わりましたよー」という声で起こされる。
その時私が最初に発した言葉・・・。
「今何時ですか?」
「はい、今9時半です。」
そうか、4時間半も手術台の上にいたのか・・・。大手術やったんやね。
その日の夜はほとんど眠れませんでした。夜中に口から血を吐いて、「ナースコール」ちゅうやつもさせてもらいました。ほんまにお世話になりました。
次の日の朝、「朝ごはんを食べていい」と言われてビックリ。口の中の切ったとこにご飯つぶとかはさまらへんのかいなと心配。でも1日半ほど何も食べてへんかったので、出てきた食事は全部たいらげました。今までの人生で、あの時の食事が一番うまかったかもしれません。
そのころ(2月29日)、ヨメさんが子ども2人を連れて淡路島に出張販売に行ったらしい。結果は惨敗だったらしい。でも、その時ヨメさんが子どもらに言った言葉が泣かせます。 「パオパオがおらんようになっても、かあちゃんがちゃんと食べさしていったる!」
「わしゃー、顔面骨折くらいで死んでしまうんかい!」と突っ込みたかったけど・・・、ねえ。
手術の後1週間ほどで退院。
退院前に手術の写真も見せてもらいました。上唇をビローンとめくり、洗濯バサミみたいなものではさんで引っぱっている写真。そんなん見せてもらっても・・・、という感じでしたけど。
3月7日の篠山マラソンから出張販売復活。次の週(3月14日)のなかじま万葉マラソンでは親子レースにも出場。
そうして順調に回復していくのですが、やっぱり右上唇のシビレはずっと残ったまま。それは7年近くたった今も同じ。
いや同じでないこともありました。
丸坊主にした頭。
こちらも順調に回復・・・と思ったら、それから脳天の毛が薄くなってきたようで。そんなもん関連性はないとよく言われますが、私はこの事件以来髪の毛が薄くなってきたと信じています。
(注)私の丸坊主時代の写真が手元にありません。代わりに2005年の年賀状を見てください。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
智さん、やっぱり「ケガ」と「毛が」少なくなるのは関連性がありましたか・・・。
でも「笑って介抱」って、すごい!
「なんくるないさ」って、すごい! なんくるあるやろー。(「なんくるないさ」の反対語はなんと言うのでしょう。)
今日、約1年ぶりに兵庫の「ゆめさき舎」に行ってきました。これからブログに書きますので、また見てくださいね。(智さんの「ひとり旅に出たい」というのもちょっと気になりますが・・・。)
こんばんは。
最近の僕は、師走の前から走り回って「ひとしきり心が痛い毎日だなぁ」と思っていたところ、京の人里のすきま風を求めて(?)パオパオだよりを見ていました…。
ひとり旅に出たいです。
今回の記事のような顔面の傷ではないけれど、僕の父親の似たような体験を思い出しました。
あるとき、父親が家の風呂場ですってんころりん。ガラスを割って背中が痛々しかったこと…。
でも、何故か僕も含めて穏やかに笑って介抱していたので、今では父親にとって「なんくるないさ」の思い出です。
そういえば、その頃から父親の頭髪の手入れが巧みに…笑。