2014年05月04日(日)
京都走ろう会例会〜ホマレと書いてタカシです〜 [ランニング]
「誰からも好かれている人は?」と聞かれて、一番に思い浮かぶ人。
数年前京都走ろう会例会で初めてお会いしたとき、「山本・・・ホマレと書いてタカシです」と自己紹介してくださった。京都は山本姓が多いので、この自己紹介は印象に残った。
その次は・・・。
例会で走る用に持ってこられたシューズの中敷を忘れてこられた。たぶんシューズを洗ったときにはずし、そのまま持ってこられたのだろう。けっきょく、中敷なしのペッタンコシューズで10kmを走られた。
「やっぱり、たいへんでしたー」と照れくさそうに言いながらゴールされたときのかわいい(?)顔が忘れられない。
最近ドイツ出張が続き、例会でお見かけすることも少なくなっていた。
そして今日、「ドイツに2年から5年住むことになりました」と発表。もちろん、その間この例会に来られることはない。
私の10kmゴール後、また岩田さんにお願いしてタカシさんとのツーショットを撮ってもらった。
「今日のボクのブログのトップ写真に使わせてもらいます。今日の題は『ホマレと書いてタカシです』にします。」
「えー。」
いつもどなたともにこやかに話されていたタカシさん。私にもよく話しかけてくださった。きっとみなさんも「誰からも好かれる人は?」と聞かれたら、タカシさんのことを思い浮かべると思いますよ。
どうかお元気で。
そして、また何年後かには京都走ろう会例会に戻ってきてくださいね。待っています。
ゴールデンウィーク真っ最中だが、今年一番の参加者数だろうか。
少し暑いが、ゆっくり走るには最適な季節。
早めに行って、2kmウォーミングアップジョグ。
今日も八田さんの準備運動から。
私は個人的に、「左のお尻あたりの痛み」について治す方法を教えてもらった。ほんまに、八田さんは何でも知ってはります。指示が短くて具体的で的確。心から信頼できる方です。
前回4月20日の例会では10kmが2人だけ。ところが、今日は10人以上。にぎやかなスタートになった。
計時担当が日射病になる危険性があるので、今日はいつもより20mほど南の橋の下がスタートゴール。
毎度のように、いきなりのスタート。
私の同い年最強ランナー・北出さんが先頭。それを追う私と古澤さん。
最初の1kmが4分40秒。
「えー、ゴール46分半ペース? 遅すぎるやん!」
あとで北出さんに聞くと、「ウォーミングアップができてなかったので、最初はゆっくり行きました」とのこと。そうやろねえ。
1kmすぎから北出さんはスピードアップ。徐々に離されてしまった。
丸太町橋(約2.4km)、10分53秒。
出雲路橋(約4.8km)、21分38秒(10分45秒)。
折り返して上りになってからがんばったと言える。
北出さんとはもう大差がついてしまった。
しかし後ろに古澤さんがピタッとついてくれたので、気をゆるめることなくしっかり走れた。
北の折り返し御薗橋(約7,4km)、33分20秒(11分42秒)。
今日の折り返し担当は、塚本さんではなく阿加井さん。
このちょっと先で古澤さんに抜かれ、だんだん差をつけられた。
この写真は偶然撮れた1枚。
今日も「ゲルスカイライト」。小石などを踏むと足にまともに来るが、まあそれはそれでいいのかもしれない。
ゴール、44分49秒(11分29秒)。
下りはもうちょっと行けるかと思ったが、バテました。
でも、今日の暑さの割にはまずまずですか。
最後尾担当は、いつもの平田さん、吉田さんにプラスで久しぶりの堂本さん。
ずっと私たちの応援をしてくださっていた山本さん。
その理由はこれ。
4月30日に半月板の手術をされたばかり。軽いジョギングができるようになるのは1ヵ月後だそうだ。
今日は会の親睦会。
みんなで記念撮影。ほんとうにたくさんの方が参加された。
以前はお花見の季節にされていたのだが、若葉繁れる5月もいいもんです。
お弁当配布担当の松山さん、ご苦労さまでした。
私は事前申し込みをしていなかったのだが、松山さんが誘ってくだった。
比叡山をバックに、お弁当タイム。
横に座っておられた岩本さん。
「藤井さんのブログ見せてもらったら、最近ずっといいタイムを維持されてますね。以前はそうでもなかったように思うんですけど、それはどういうわけで?」
「長いこと、練習せんとレースばっかり出てたんですよ。それが3年前55歳から練習するようになって。長いこと休んでたのがよかったのかもしれません。」
「だから藤井さんは故障が少ないんですかねえ。」
「たぶんそうやと思います。今は、2年後60歳になったときに同じ部門で松本一之さんに勝つのが目標です。」
「ぜひ、がんばってください。」
久しぶりに、京都走ろう会の先輩・岩本さんともお話ができてよかった。
みなさんにうながされ、山本さんの「しばしお別れ」のごあいさつ。
「ドイツに2年から5年住むことになりまして・・・」
「4日前にヒザの手術をして、2日前に退院したばかり・・・」
京都走ろう会の会員さんは、やっぱり前者より後者の話題に食いついておられた。
「ドイツのフランクフルトというところにおりますので、ぜひ遊びに来てください。」
めっちゃ行きたいんですけど、ドイツ行きのLCCってないんですかねえ。
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【今日のきく】
なんでわざと暑いとこに行くんかなあ。
「めーちっちゃ。ますみちゃんそっくり。」
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2014年05月03日(土)
憲法9条にノーベル平和賞を! [時事]
◎毎日新聞5月3日朝刊
母の思い 平和賞の夢
選考委にメール「9条に授与を」
戦後67年間、戦争放棄をうたう憲法9条を保持し続けてきた「日本国民」が先月、今年のノーベル平和賞候補にエントリーされた。きっかけは、平和賞を選考する「ノルウェー・ノーベル委員会」に神奈川県の主婦が昨年送ったメールだった。1人で始めた運動が約2万5000人の署名を集めるまでに広がり、ついには選考委員を動かした。5月3日は憲法記念日。【河津啓介】
「日本国民」がノーベル賞候補
神奈川の主婦 実現への努力も評価されるはず
運動を始めた同県座間市の鷹巣(たかす)直美さん(37)は、憲法を改正しようという世の中の空気に、7歳と1歳の子供の母親として素朴な疑問を抱いていた。「戦争になれば、子供が悲惨な目に遭う。9条を守るためにできることは……」。思いついたのが「9条に平和賞を」とノーベル委員会に訴えることだった。
「9条に平和賞を授与してください」。むちゃを承知で昨年1月、初めてメールを送った。英語でしたためたが、返信はなかった。
あきらめなかった。
冷戦終結後の欧州をまとめようと尽力する欧州連合(EU)が、前年に平和賞を受賞した。「平和賞は結果だけでなく、平和実現のための努力も評価されるはず」と信じ、メールをその後4カ月間で7通送った。やはり返信はなかった。
転機は昨年5月。インターネット上の署名サイトで「9条に平和賞を」と呼びかけると5日間で約1500人の署名が集まった。委員会に知らせると、翌日返信があった。「2月1日の推薦の締め切りを過ぎている」という内容だったが「エントリーには有識者の推薦が必要」などとヒントも記されていた。何より、受賞者は個人や団体に限られ、「憲法9条」のような抽象的なものはそもそも候補になれない、と知った。
そこで鷹巣さんは、憲法が主権者と定めている「日本国民」を受賞候補にしようと決めた。「憲法にはいろんな意見がある。でも『戦争したくない』という気持ちは同じはず。戦争の悲惨さを語り継いだ人々の思いにも光を当てたい」。そんな願いも込めた。
昨年8月には、知人らと「『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」を結成し、推薦人と署名を募った。今年2月1日の応募締め切り時点で、大学教授など43人の推薦人と2万4887人分の署名を集め、委員会に提出した。4月9日。ノーベル委員会から「今年の278件の受賞候補の一つにエントリーされた」とメールがあった。
推薦人の一人、光延(みつのぶ)一郎・上智大神学部長は「受賞は簡単ではないと考えているが、9条の価値を伝えるためにはインパクトのある良いアイデアだと思う」と、エントリーにこぎ着けた取り組みを評価する。
今もネット上(http://chn.ge/1bNX7Hb)で署名集めを続けており、4月末現在、署名は4万9861人に膨らんでいる。
鷹巣さんは言う。「『戦争しない国、日本』はかっこいいと思う。9条が世界に広がる可能性にわくわくしています」
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まず、ノーベル平和賞の候補が278もあること自体にびっくり。それでも、推薦数はその何倍か何十倍にも及ぶだろうから、候補に入っただけでもすごいと思う。
発表は10月10日。
今まで「ノーベル賞」は特別賢い人に与えられるものと思い込んでいたが、私も含めた普通の人々にも受賞の可能性があると分かった。
「平和賞は結果だけでなく、平和実現のための努力も評価されるはず」
いい言葉です。
私も自分できることをしていこう。
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【RUN】
今日は「憲法記念日」。あちこちでいろいろな催しが行われている。
私は私のできること。「9の会」のはしくれとして、「ランナーズ9の会」のTシャツを着て走る。できれば9kmを・・・、
ありゃりゃ、これって毎月9日の「9の日平和ラン」と変わらんやん!
いいんです。これもひとつの「平和実現のための努力」ということで・・・。
「微力ではあるが無力ではない」と信じて。
松ヶ崎橋まで、4.71km、26分28秒。
連休中なので、車がすごく多い。黄色のTシャツで走っていたら、少しはアピールランになったかな。
松ヶ崎橋で折り返し。
同志社グランドの横を通って家まで。
4.76km、28分13秒.
合計、約9.5km、54分41秒。
ほんとうは、今日こそ「平和・憲法九条」ののぼりを背負って走るべきだった。でもね、まだ「香住フル」の疲労が抜けてないんです。こんな時に無理をするとまた腰を痛めてしまう。そのときの自分にできることをしたらいいのだと思う。
そんな感じで、多くの人がちょこちょこ動いてくれたらうれしいなあ。
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2014年05月02日(金)
もう一歩上の練習 [ランニング]
「藤井さん、マラソンやってるんだって。」
「はい、ヨメさんがその関係の店をやってるのもあって・・・。」
昨日、バイト先の寮の食堂のチーフのおばちゃんが話しかけてこられた。
「私は68歳なんだけどね、中3のときに初めて『女子80mハードル』という種目ができて、延岡で優勝したんだよ。」
「いやー、すごいですやん。ハードル種目って、見ててすごくきれいですもんね。」
「そうだよ、きれいだよ。ただ、ハードルに合わせるためにすごい練習が必要だけどね。」
「でも、第1回の優勝ってほんとにすごいです。」
「今はもう全然走れないよ。見るほうばっかり。お正月の箱根駅伝を見るのが楽しみでねえ。」
「ボクの知り合いが3年前の箱根駅伝に出まして、東京まで見に行きました。」
「えっ、どこの大学?」
「東海大学です。私と同じ藤井という名前で、10区を走りました。」
「3年前っていうと、東海大は3位くらいじゃなかったっけ。強かったよね。」
「はい、たしか3位か4位くらいだったと・・・。」
ちょっとあせった。70前のおばあちゃんがいやに箱根駅伝にくわしい。私もこんなことではいかん。しっかりせにゃー。68歳のおばちゃんから刺激を受けた。
さすがにフルマラソンの疲れが出ている。昨日は一日体が沈んでいた。
しかしこれからは、今までより一歩上の練習をしようと思う。
今日は、いつも行く仏大グランドよりちょっと先へ行ってみよう。
岩倉実相院の横にある石座神社の石段を上り、そこから仏大グランドへ。
仏大グランド前で5km、30分23秒。
キロ6分ペース。
たしかこの奥に行ける道があったはず・・・、と思ったら「立入禁止」。
ロープも張ってあったけど、かまへん、行ってまえー。
ちょっと行くと分かれ道。
左はまたも通行止め。右に行くしかない。
ちょっと自分撮りをして・・・。
右側の奥まで、5.5km地点、34分10秒。
帰りは下りが多いのだが、抑えて抑えて34分。
トータル約11km、1時間08分10秒。
ダウンジョグはしなかったが、その前に店往復1.3kmを2回したので2.6km。
今日は全部で13.6km。一歩上の練習になったかな。
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【今日のきく】
今日も元気でわがままなきくです。
※ まだらぼけブログ、今のところ何とかつながっているようです。また月末の何日かがつながらなくなるのかも。お金がないので、何とかこんな感じで続けていけたらいいんですけど・・・。
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まだらぼけブログ [ブログ]
4月30日、「パオパオだより」が見られなくなった。要するに、古いタイプのブログなので今のシステムに対応できていないということらしい。
その日の夜に、ヨメさんがまた管理会社に連絡をしてくれた。そしたら翌朝、またつながるようになっていた。「夜中に仕事しとるんかいなー」とか言っていたが、それは偶然つながったようだ。管理会社は何もしてくれてなかったようだ。
5月1日の朝に、4月30日分の記事を書きほうり込んだ。そして、お昼過ぎにその日の分の記事(映画「猫侍」)を書こうとすると、また database access error。
そのあと、寮の管理代行のバイトで夜12時前まで。バイト先のパソコンで1時間ごとくらいにアクセスを試みたがずっと database access error。
ヨメさんからメール。「このままこのブログを使い続けるには20万円ほどの費用が必要」。とほほ、20万円はとうてい無理。
バイトから帰り、風呂から上がって試しにアクセスしてみた。なななんと、つながるではないですか。どういうことですかねえ。
急いで映画「猫侍」の記事を書き、5月1日分としてアップ。
つながらんようになったら、ずっとつながらへんのとちゃうんかい!
まだらぼけかい!
そして今日の朝、またつながらず。
でも今までのことがあるのでたびたびアクセスしてみると、10時20分ごろつながった。
「急いで、記事を!」ということで今書いているんですが、これを書いたところでみなさんに見てもらえるんかちゅうのが問題。いつつながり、いつつながらないのかがまったく分からない。
20万円を分割払いで・・・、と真剣に考えたほうがいいのでしょうか。
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2014年05月01日(木)
「猫侍」-夫婦50割引- [映画]
◎シネマトゥデイより
■チェック:『ねこタクシー』や『幼獣マメシバ』などの動物作品群を手掛けてきたスタッフが再集結した人情時代劇。幕末の江戸を舞台に、猫暗殺の依頼を受けたことで大きな人生の転機を迎える浪人剣士の姿を描き出す。『ATARU』シリーズなどのマルチ俳優北村一輝が主演を務め、ヒロインを『源氏物語 千年の謎』などの蓮佛美沙子が演じ、寺脇康文や温水洋一らベテラン勢が脇を固める。猫とこわもての侍が織り成す、笑って泣ける物語に心癒やされる。
■ストーリー:江戸時代末期、かつて一流の剣の使い手と恐れられた斑目久太郎(北村一輝)も、今やしがない浪人暮らし。ある日、彼の元に久しぶりに仕事の話が舞い込むが、何とそれは対立する一家の親分がかわいがっている猫を暗殺せよとの命令だった。久太郎はやむを得ず仕事を引き受けるが、踏み込んだ屋敷で彼を待っていたのは愛らしい白猫だった。
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昨日見た「猫侍」。
これは、私の映画鑑賞史上最高傑作と言える。
「アナと雪の女王」の100倍くらいいい映画です。
この映画は猫好きマニア向けの映画ではない。
最後のシーンの相川親分の言葉を聞け!
「犬も猫も人も・・・」
(注) 現在、「パオパオだより」がまだらボケ状態になっています。突然つながったり切れてしまったり。つながっているときにチャチャッと記事を書かなあかんので、今日は短く。
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【今日のきく】
きくは、今日も午後1時出勤で7時まで。
お仕事、ごくろうさんです。
パオパオはバイトに行ってきます。
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2014年04月30日(水)
「YEBISU」 [グルメ情報]
※ また、4月30日の午後 database access error のため「パオパオだより」が見られませんでした。この記事は、あとで書き4月30日分に入れています。
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今週水曜は、京都みなみ会館に「猫侍」を見に行く約束。映画は午後3時10分からなので、ゆっくりできる。
ヨメさんを学校前に迎えに行くと、同級生がお見送り。「ダンナさんを見たい」ということで待っていてくれたらしい。「異色のオバサン生徒のダンナはどんなんやろう」という興味でしょうか。
ヨメさんがユニクロで買いたいものがあるということで、丹波口店の近くでお昼を食べるところを探した。ところが1時前だったので、どのお店も満員。五条通りを西へ、丹波口を通り過ぎた「京都リサーチパーク」の横に「YEBISU」というきれいなお店を発見。
ガラス張りのお店は中が見え、すいていたのでここに入ることにした。
ヨメさんは、日替わりランチ(800円)。
ポークソテー、カレークリームソース。
私は、どんぶりランチ(900円)。
角煮ごはんの半熟玉子ぞえ。
きれいなお店でお料理もおいしかったが、ランチにはコーヒーがほしいところ。ところがこのお店はカフェメニューなし。
「昼間からビール飲めってことか。外国はそうなんかなあ。日本ではちょっとなあ・・・。そんなんしたら、このあと映画見るのに、寝てしまうかもね。」
また別の機会の車じゃないときに、昼間からビールいただくことにしましょか。
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2014年04月29日(火)
「チスル」 [映画]
◎シネマトゥディより
■チェック:太平洋戦争終結後、南北に分断された朝鮮半島の済州島で起きた「済州島四・三事件」を題材に描く衝撃のヒューマンドラマ。1948年、3万人を超える島民たちが犠牲となった実話を基に、戒厳令下でおびえながら暮らす人々の戦々恐々とした日々を映し出す。済州島出身のオ・ミョル監督が韓国の歴史的タブーに挑み、サンダンス映画祭ワールドシネマ・グランプリなどを受賞。明らかになる現代史の知られざる暗部に、言葉をなくす。
■ストーリー:1948年10月、済州島の海岸線から5キロを超えて内陸にいる者は全員射殺するとの韓国軍からの有無を言わせぬ通達に島民たちは面食らう。風評に惑わされた彼らは山中深く逃げ込んだり、銃を手に応戦しようとしたりとさまざまな反応を見せる。そして韓国軍は実際に村人たちの無差別虐殺を開始し、家を追われた人々は洞窟に逃げ込んで命をつなぐ。
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4月23日、「京都シネマ」で見た2本目。
こちらの映画は観客が少なく、20数人。
韓国内部でも語られることが少ないと言われる「済州島四・三事件」。済州島出身の監督は島出身者にこだわり、ほとんどの出演者を島出身者にしたそうだ。そのこだわりだけでも、この映画を見る価値があると思った。(題名「チスル」は、この地方ではジャガイモのこと。)
戦後の韓国済州島でこんなことがあったとは。まったく知りませんでした。
現在の済州島は、観光客年間1千万人を超えるリゾート地とのこと。このあたり、沖縄と似ているところもある。
日本も沖縄はアメリカ、北海道にはソ連が進駐していたので、箱根あたりを境に東日本国と西日本国に分裂していたかも。そして、日本人同士で殺し合いを繰り返していたかもしれない。
直接は関係のない話だが、韓国の沈没船のニュースを聞くたびに、人を殺すことは簡単で救うことはなんてむずかしいんだろうと思う。
すべての人の命を救うことに血まなこになる国ばかりだと、戦争も起こらないのにね。
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「世界の果ての通学路」 [映画]
◎毎日新聞4月26日夕刊「シネマ通信」より
この国では、子供が教育を受けるということは義務であり権利とされている。おそらく私たちは、小さいころから何ほどの疑念もはさまずに学校に通ってきたことだろう。しかし世界には大人の足でも過酷で危険だらけの道のりを、毎日数時間もかけて通う子供たちがいる。今回紹介する映画は『世界の果ての通学路』。地球を通学路という視点からとらえた実に興味深いドキュメンタリーだ。
野生のキリンや象が生息するサバンナを駈け抜けるケニアのジャクソン。ヤギ飼いの仕事を終えてから、愛馬で学校へ向かうアルゼンチンのカルロス。女子に教育は不要とする古い慣習が残る村から、4時間かけて寄宿学校に通うモロッコのザヒラ。生まれつき足が不自由で、弟たちに車椅子を押されて登校するインドのサミュエル…。
別の大陸、違う言語、宗教、生活環境の中で暮らす4人の子どもたちは、真っ直ぐな瞳で夢を語る。ひたむきな彼らを見て、教育とは未来を切り開くためのパスポートだということに気づかされる。撮影後のインタビューでパスカル・ブリュッソン監督は「エネルギッシュでモチベーションの高い彼らを、もっとサポートすべきだ」と語る。私たちもこれを見て学べることがあるはずだ。
◇
『世界の果ての通学路』は下京区の京都シネマにて公開中。(京都シネマ・谷口正樹)
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4月23日に「京都シネマ」で見た1本目。
私が見る映画としてはめずらしく、ほぼ満席。
私はすごくおもしろかったのだが、今の若い子が見てもおもしろいのだろうか。戦争関連映画を見て、「戦争のない今の日本に生まれてよかった」という感想しか持てない子が多い。そんな子らは、この映画を見て「苦労せずに通学できる今の日本に生まれてよかった」という感想で終わるのかもしれない。
私は小中といなかの学校に通学したのだが、その学校は山間にある川沿いに伸びた長さ2kmの集落の中心にあったので通学の苦労はなかった。うちの家から学校までは700mほど。
ただ中学は、峠を越えた別の集落から徒歩で通う同級生がいた。その距離約4km、山道を1時間。普段も大変だが、雨の日や冬の雪の日はそれはそれは大変だったと思う。しかしその当時の私は、峠を越えて通っている同級生のことをなんとも思っていなかった。(2年前に亡くなった私の相棒、幸博君もその中の一人。)身近にそんな友だちがいた私でもそんな状態だから、この映画を見たくらいではなんとも感じないという人がいたとしても不思議でもない。
私の母校の小中は統合でなくなり、今地元の子は「スクールバス」という名の乗用車で6kmほど先の統合校に送迎してもらっている。京都市の果ての小中一貫校の通学路は、今そんな状態のようです。(もう地元を出て7年になるので正確な情報ではありませんが、6kmほどの道を歩いては行ってないようです。)
学校のすぐ前の元旅館「小谷屋」のおばさんは、「学校があったときはうちの前を通って行くさかい、どんな子がいるのかよう分かったけど、なくなったらあかんな。さびしいわ」と言ってはった。「学校がなくなったとき、その集落も終わり」とよく言われるが、そのとおりだと思う。
学校があり、その子どもたちの通学路があり、その町や村が元気になるような気がする。私はこの映画を見て、そんなことを思った。
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