パオパオだより

2014年05月16日(金)

5.15平和行進 [平和]

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◎京都新聞5月16日夕刊

   復帰42年の行進
          沖縄・辺野古でスタート

 本土復帰から42年を迎えた沖縄の米軍基地周辺を歩き、平和の大切さを発信する「平和行進」が16日、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先、名護市辺野古からスタートした。約1100人が「新基地建設を止めるぞ」と気勢を上げた=写真。

 エメラルドグリーンに輝く辺野古の海の近くで出発前に集会を開催。抗議活動を続ける安次富浩さん(67)は「政府は集団的自衛権行使を進めようとしている。沖縄の将来をつぶす基地建設は許せない」と訴えた。

 平和行進の本土代表を務める広島市の佐藤奈保子さん(67)は「6年前に来た際と辺野古の海は変わっていない。このままであり続けるために私たちは歩く」と力説した。平和行進は、18日には普天間周辺を取り囲むように歩いた後、宜野湾市で集会を開く予定だ。
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 のぼりを見ると、胸が躍る。
 この平和行進は毎年行われているようだ。できれば参加したいのだが、ゆっくり歩くのは苦手。どうせなら走っていきたい。

 東・西・南コース・・・、北コースがないじゃないですか!
 来年、勝手に辺戸岬から名護までの「北コース」を作って、一人でのぼり背負って走ろうか知らん。

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【RUN】

 今日も暑くなった。
 久しぶりの5km、25分57秒。
 ダウン1km+店往復1.3kmで、合計7.3km。

 あさっての「奥びわ湖」は5kmにエントリーしていたのだが、バイトさんがお休みのため私一人で出張販売に行くことになった。一人なので、レースには出られない。
 一人でもがんばって、しっかり販売してきましょう。

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2014年05月15日(木)

あんも・葵祭・本土復帰 [ランニング]

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2011年5月13日

 「5月15日は、あんもの命日やな。もう3年や」と私。
 「ほかのネコさんらの死んだ日は何にも覚えてへんくせに・・・」とヨメさん。
 「5月15日は葵祭やし、忘れへんねん。(沖縄の本土復帰の日でもあるし。)」

 あんもが死んでしまったとき、私の人生で最高と言っていいくらいに泣いてしまった。たぶん、この先にこんなに泣くこともないだろう。「あんもの死」は、確実に「私のターニングポイント」だった。

 沖縄の本土復帰42年、42年前は私がまだ16歳(高2)の時。
 娘の大学進学によって、この歳で沖縄に関われていることがうれしい。これからも何やかや理由をつけて、沖縄に関わっていこう。  

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 去年の5月15日のブログ「あんもをしのぶラン」を見ると、今年とほとんどいっしょ。見比べたら笑ってしまう。

 まあ、あんもの生まれ故郷・雲ヶ畑には行っておかなくては。
 今日も午後からバイトなので、朝10時に自宅スタート。今日は、昨日おとといは一変涼しくなった。

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 去年も撮りました「シャガ」の花。
 あんもを弔ってくれているような・・・。

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 雲ヶ畑に入ると、突然の雨。

 「天国のあんもが泣いている」と一瞬思ったが、あんもは地獄行きでした。地獄で、パオパオが来るのを首を長くして待っているはず。忘れてた。

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 雲ヶ畑に来るといつも励まされる横断幕。
 たしか、私の兄の高校時代の同級生のおうちです。

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 着きましたー、雲ヶ畑小中学校。
 1989年の夏休み、ヨメさんが学校の近くで中くらいの黒猫を保護。そのまま、私がいた職員室に持ってきた。
 「ネコ7ひきもおんのに・・・」とか言っていたが、黒猫は黒猫でまたかわいかった。それから22年近く、先住ネコにいじめられたのによう長生きしてくれたなあ。生きてたら、もうすぐ25歳やったんやなあ。

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 学校前で約9.2km、52分56秒。
 ここで小雨に。

 私も校門前で1枚。
 あんもをしのんで黒Tシャツで走ったらよかったかも知れないけど、山道はカーブが多く、木が生い茂って薄暗いいところも多かったので車が来ると危ない。今度、黒猫Tシャツを見つけて買おうっと。

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 帰りは下りだが、できるだけ上りと同じくらいのスピードを意識して。

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 中島みゆきの「まつりばやし」を口ずさみながら・・・。

 肩にまつわる夏の終りの風の中
 まつりばやしが今年も近づいてくる

 そうか、「まつり」と言えば秋祭か。でも、あんもちゃんを思い出す時はこの歌もセットなんですよねー。

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 東北部クリーンセンター手前の寒暖計は18℃。
 走りやすいはず。

 自宅到着、なぜか約9.6km、52分59秒。
 同じ道を走ったのに、行き帰りで0.4kmもちがうとは・・・。
 おかしいことはおかしいのだが気にせず、今日は18.8km、1時間46分の「あんもをしのぶラン2014」ということにしておこう。

 「あんもー、もうすぐ行くから楽しみにして待っといてやー、地獄で。」
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小雨の中、新緑の京都御苑内を進む葵祭の行列(15日午前、京都市上京区)

◎京都新聞より

   緑ぬれ古都華やぐ 葵祭、平安王朝の雅を再現

 京都三大祭りのトップを飾る葵祭が15日、京都市内で繰り広げられた。平安王朝の雅(みやび)を再現する行列が、フタバアオイを揺らしながら新緑まばゆい都大路を、しずしずと進んだ。

 曇り空、気温19・4度(京都地方気象台調べ)。総勢約500人、牛馬計40頭の行列は午前10時半、「路頭の儀」として、京都御所(上京区)の建礼門前を出発した。前方の「本列」では神への供え物を収めた「御幣櫃(ごへいびつ)」が運ばれた。いっとき小雨もぱらついたが、牛車が車輪を「ギシギシ」ときしませ、行列で最高位の近衛使(このえづかい)代は威儀を正して進んだ。

 あでやかな「斎王代列」(女人列)が後に続いた。玉砂利を鳴らす命婦(みょうぶ)に先導され、十二単(ひとえ)姿の斎王代、神戸大2年の太田梨紗子さん(20)が乗る腰輿(およよ)が近づくと、見物客は席を立ってカメラのレンズを向けた。沿道では約2万3600人(午前11時現在、京都府警調べ)が見守った。

 行列は下鴨神社(左京区)で「社頭の儀」に臨み、午後に上賀茂神社(北区)に向かう。

 葵祭は両神社の例祭。正式には「賀茂祭」といい、起源は6世紀までさかのぼる。


【 2014年05月15日 14時00分 】
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半世紀余りにわたって、故郷への思いを琉歌に託し続けてきた宮城正雄さん=兵庫県尼崎市で、高尾具成撮影

◎毎日新聞5月15日朝刊

   亡き母へ 沖縄へ 9条へ
          心託す 琉歌30音

 米寿(とうかち)ゆ迎(む)けて 振り返(けぇ)てみりば 平和世(ゆ)ぬ宝 幾世(ゆ)までぃん。

 沖縄は15日、本土復帰から42年を迎える。戦中から兵庫県尼崎市に住む沖縄出身の宮城(みやぎ)正雄さん(87)は半世紀余り、沖縄に伝わる短歌「琉歌(りゅうか)」に故郷への思いを託してきた。沖縄戦で母を亡くしたが、米軍軍政下の古里に帰れず遺骨と対面したのは戦後13年目だった。 「幾代を経ても平和な島であれ」−−。そう願い続けている。【高尾具成】

   尼崎の87歳「忘れないことが孝行」

 「普段は関西弁やけど、琉歌の30音を刻む時はウチナーグチ(沖縄方言)」。琉歌は琉球古典民謡の基本とされ「8・8・8・6」の音数律を定型とする。沖縄県人会兵庫県本部(尼崎市)で続く月1回の琉歌の合評会で、宮城さんは最高齢の参加者だ。1950年代からわき上がった復帰運動に共鳴し、会社勤めの傍ら関西を拠点に琉球芸能の舞台監督や演出を手がけ、復帰の実現を訴えた。琉歌を詠み始めたのはこの頃だ。

 27年、沖縄の旧美里村北部(現うるま市)に生まれた。太平洋戦争中に16歳で徴用され、大津市の軍需工場で特殊潜航艇を製造。44年に移った尼崎で敗戦を迎えた。2年後に母カメさん(当時38歳)の死を知った。

 45年4月。米軍の沖縄上陸後、カメさんは山中に隠れ、深夜や早朝に水やサツマイモを運んだ。6月1日早朝、沖縄本島中部の恩納村喜瀬武原(きせんばる)で近所の主婦と芋掘りに行く途中に米兵に撃たれ、即死した。主婦は足を撃たれたが生き延び、カメさんの遺体を溝に隠して芋の葉をかけた−−。

 宮城さんは軍政下の沖縄に渡るために必要なパスポートを何度も申請したが、発給されなかった。理由は不明だが、宮城さんは「復帰運動に関わったからかもしれない」と振り返る。結婚後の58年、やっと古里の土を踏んだ。

 当時の沖縄では遺族に配慮し、骨を勝手に埋めたり動かしたりしなかったという。母の最期を知る主婦の案内で現場を訪ねた。芋畑はサトウキビ畑に変わり、散らばった遺骨と一緒に髪ひもが残っていた。「親孝行をしたかった。ウチナーグチを、沖縄を忘れないことが今の私にできる孝行なんです」。母がこうして亡くなったことをずっと語り残していこう、と思い詠んだ。

 戦場(いくさば)に散(ち)たる 母親(うやがなし)哀(あわ)り 子孫代までぃん 沙汰ゆ残(ぬく)さ

 宮城さんの父・伊波政貞さんは26年ごろにブラジルに単身で渡り、農園などで働いた。家族を呼び寄せようとして果たせぬまま、復帰前年の71年に死去。連絡が途切れがちで消息がつかめず、帰国した移民から父の遺骨を受け取ったのは88年だ。母の墓に納めた。

 安倍政権は集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更に向け、15日にその方向性を発表しようとしている。

 宮城さんは今月、本土復帰の日に向けて詠んだ琉歌を合評会で披露した。「憲法9条をノーベル平和賞に」との市民運動が認められたと報じられ、胸が躍った。「9条は平和の象徴。なんとか、踏みとどまれないものか。もう何年も生きられんからこそ、こう詠むんです」

 ノーベル(賞)候補に 憲法九条 夢叶(いみかな)てたぼり 命(ぬち)どぅ宝

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「そこのみにて光輝く」 [映画]

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◎シネマトゥディより

■チェック:『海炭市叙景』の原作者、佐藤泰志の三島由紀夫賞候補となった小説を基に、北海道函館を舞台に生きる場所のない男女の出会いを描くラブストーリー。仕事を失った男がバラックに住む女と出会い、家族のために必死な彼女をいちずに愛し続ける姿を描く。主演は、『シャニダールの花』などの綾野剛。主人公と惹(ひ)かれ合うヒロインを、池脇千鶴が演じる。メガホンを取るのは、『オカンの嫁入り』などの呉美保。美しい函館を背景につづられる、男女の愛の軌跡と人生の過程が心に突き刺さる。

■ストーリー:仕事を辞めて何もせずに生活していた達夫(綾野剛)は、パチンコ屋で気が荒いもののフレンドリーな青年、拓児(菅田将暉)と出会う。拓児の住むバラックには、寝たきりの父親、かいがいしく世話をする母親、そして姉の千夏(池脇千鶴)がいた。達夫と千夏は互いに思い合うようになり、ついに二人は結ばれる。ところがある日、達夫は千夏の衝撃的な事実を知り……。
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◎日刊アメーバニュース3月3日より

   綾野剛&菅田将暉、池脇千鶴の重鎮オーラに圧倒「俺たちは孫みたい(笑)」

 映画『そこのみにて光輝く』完成披露試写会舞台挨拶が3日、シネ・リーブル池袋にて行われ、主演の綾野剛をはじめ、池脇千鶴、菅田将暉、呉美保監督が登壇した。

 本作は、函館の短い夏を舞台に紡ぎ出す、運命の出会いと家族の物語。儚げな存在感でひとりの女を愛しぬく主人公に綾野剛、ヒロインに『ジョゼと虎と魚たち』の池脇千鶴、その弟には『共喰い』の菅田将暉と、今旬な俳優が出演。

 青いスーツ姿で登場した綾野は、赤いスーツを着た菅田と壇上で並び、「将暉と並ぶと漫才コンビみたい(笑)」と話し来場者を笑わせると、「気分が沈むようなアンダーな作品ですから、舞台挨拶のうちに笑っていただいて、観終わってどんよりして帰っていただく流れになると思います(笑)。陽気な感じでいきたいと思います」と挨拶。これに菅田も頷きながら「いつもに増して剛君が陽気で嬉しい!」と冒頭から和気あいあいとした雰囲気を作り、舞台挨拶を盛り上げた。

 同い年の池脇と共演した綾野は、「池脇さんはわんぱくに育った感じで、女性の強さを掲げていないところが素敵。現場では重鎮みたいなオーラを出してます。俺たちは池脇さんの孫みたいな感じ(笑)」と共演した感想を語り、菅田も「僕がパンツ1枚で股間を触った手で池脇さんに触れるシーンがあったんですが、あとでそのことを池脇さんに話したらゲラゲラ笑って『何してんねん!』って言ってて(笑)。池脇さんはそういう感じの人」と池脇とのエピソードを披露。池脇は「その話いる?」と照れながらも大爆笑していた。

 また、その池脇は本作で体当たりの演技を見せているが、「台本を読んだときに共感してしまい、女性なら誰しも観ていただければわかると思います」と語り、劇中での綾野を殴るシーンについては「本当に当たってます。現場ではやるしかないんですよ! 遠慮なんかしたら終わっちゃうんです」と迫真の演技を述懐。さらに、綾野に殴られた菅田は、「剛君は、人の脳はここで叩けば揺れないっていう知識を持ってたので、安心して殴られました。翌日クラっとしましたけど(笑)、剛君はすごいなって思いました」と綾野の知識に感心しきりだったが、綾野は「将暉の事務所の方には深々と謝っておきました(笑)」と申し訳なさそうに語った。

 映画『そこのみにて光輝く』は4月19日公開。
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 衝撃作。
 関西ふうに言うと、「えげつなー。」

 この映画を見たいと思ったのは、「海炭市叙景」がすごくよかったから。同じ作家の小説を映画化なら、きっといいにちがいないと思った。
 それと、池脇千鶴。「どこがいいん?」と聞かれると答えに困るが、私はファンです。最近テレビで見ることがないので、映画で見られるならぜひ行こう、という感じ。

 ああ、でも重かった。
 「気分が沈むようなアンダーな作品ですから、・・・観終わってどんよりして帰っていただく流れになると思います」って、その通り。

 主な出演者は、達夫(綾野剛)、千夏(池脇千鶴)、拓児(菅田将暉)と、千夏・拓児の両親、拓児の保護司である植木業社長。

 見ていて気になったのは、この社長。「どっかで見たことあるけど、思い出せん・・・。」「こんな悪役が似合うのって・・・、あっ、高橋和也!」
 元・男闘呼組(ジャニーズ)の、と言ってもほとんどの人は分からないでしょう。1997年のNHK金曜時代劇「寺子屋ゆめ指南」でさわやかな先生役をしていたのにびっくりしたが、今やこんなキッツイ役もできるようになったんやー。後で調べると、今44歳。ある意味、ジャニーズの出世頭と言っていいかもしれない。しびれました。

 そしてもう一人。千夏・拓児のくたびれた母親。「見たことあるけど、だれやったっけ。」けっきょく最後まで分からなかった。映画の終りの出演者を見て・・・、「伊佐山ひろ子!」日活ロマンポルノ出身の・・・、と言ってもこちらもほとんどの人は知らない。
 あとで調べると、今61歳。「えー、ボクより3つ上なだけかいなー。あのくたぶれ様には脱帽やなー。」

 池脇千鶴、ゆうことなし。
 もう40前くらいやろと思って調べると、まだ32歳。デビューが早い人は、なかなか歳いきません。いつ見ても、素人ぽい感じがするところが好きなのかも。

 衝撃作が見たい方は、ぜひこの映画を!

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2014年05月14日(水)

シネマラン [ランニング]

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 映画を走って見に行くと一石二鳥。
 ただし、今日も最高気温が29℃の予報。走って行って映画を見るというのは、汗ビチョビチョになりほかのお客さんの迷惑になる。これは見終わった後走って帰るということにしよう。

 「京都シネマ」で見たい映画は、「夢は牛のお医者さん」と「そこのみにて光輝く」。2本とも見ようと思ったが、完全に上映時間が重なっていた。こういう場合は、上映期間が早く終わるほうを優先。「そこのみにて光輝く」を見ることにした。

 行きはバスと地下鉄。11時45分に家を出て、12時20分過ぎに到着。映画は12時50分からだったので、コンビニで買ったサンドイッチをゆっくり食べられた。

 「そこのみにて光輝く」。
 「輝いてへんぞー」と言いたくなる重い映画。終わった後、走って帰る元気が残っているか心配になるようないい映画だった。(くわしくは、明日のバイト中に書きます。)

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 さあ気を取り直して、COCON烏丸前を3時にスタート。
 外はカンカン照りだと思っていたが、曇り空。ただし湿度は高そうで、走るには暑い。今日はランパンではなく長ジャージということもあるし・・・。
 以前もここから走って帰ったが、鴨川を通って帰ると9.7kmくらい。今日は鴨川を通らず、もっと直線的に最短距離で帰ることにした。

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 烏丸丸太町、御所の西南角で1.5km、9分。

 烏丸通に面するお店のウインドウに映る自分の姿。
 「なんちゅう太い胴回り。これで入賞狙うなんておこがましい。せめて体重60kgを切らなくては・・・。」

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 烏丸今出川、同志社大前で2.7km、16分。

 京都に誰かえらいさんが来ておられるのか、交差点にはたくさんの警官。空にはヘリ。

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 北大路駅前を右折し北大路橋へ。4.6km、27分。

 いつもならこのあたりから鴨川を北上。今日は、京都府立大の南側を通り、左折してそのまままっすぐ北へ。

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 北山駅前、5.8km、35分。

 ここまで来ればあと3km。
 前に見えている山をまっすぐ登れば最短距離。めっちゃきつい坂やけど・・・。

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 自宅到着、8.83km、53分47秒。

 これで地下鉄+バス代計450円は節約できた。
 走った距離は少なかったが、やっぱり汗ビチャビチャ。こうして、少しずつ暑さになれていけますように・・・。

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2014年05月13日(火)

暑い日こそ走ろう! [ランニング]

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 「明日の京都の最高気温は30℃を超えるでしょう。」

 昨日の天気予報を聞いたとき、「明日は絶対に昼の暑いときに走ろう」と思った。
 もちろん「一人沖縄平和ラン」対策。できるだけ日なたを選び、アスファルトの照り返しがきついところを走る。信号待ちで止まった場合も、絶対に日影に入らない。これで、12kmほど走りたい。

 3時半ごろ自宅スタート。うちの辺は京都盆地の北の端なので、30℃までは行っていない。ただし、走り始めてすぐ息苦しくなった。ええぞー。これでこそ、仮想・沖縄。

 国際会館前で2.7km。
 突き当りを右折して白川通りへ。

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 松ヶ崎橋で4.8km、28分。
 ここから北山通りを西へ西へ。

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 まっすぐな北山通りは飽きる。
 でも、京都の中では沖縄の通りに一番近いかもしれない。

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 北山大橋東詰で7.6km、45分.

 ここは7年前まで「京都キャロット」があったところ。今はきれいなブライダルショップになっている。

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 上堀川の北郵便局前で8.3km、49分。

 この先も北山通りは続くのだが、これ以上いくとオーバーワーク。ここを右折すると、家まででちょうど12kmくらいになるはず。

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 御薗橋で9.1km、54分。あと3km。

 さすがにかなりのどが渇いた。

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 「京都キャロット」前まで来ると、あと650m。

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 「きくちゃん!」

 こちらに気づいたみたいだが、まず家まで。
 「すぐ、お迎えに来るしなー。」
 家到着、12.1km、1時間13分10秒。

 これくらいでは耐暑ランの練習にはならんかな。

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【今日のきく】

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 家に戻ってすぐ店へ。
 きくは大喜び。

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 ところが、帰り道で「パンパーン!」(猿追いの脅しのピストル音。)

 「腰抜けたー。」

 ここから家まで帰るのがたいへんだった。
 きくちゃんはパオパオといっしょ、ビビリンチョの弱虫やね。

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2014年05月12日(月)

翻弄される辺野古 [時事]

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「東海岸1万人のまちづくりを目標に掲げてきたんだけど・・・」。飯田昭弘さんはそう言って老朽化した店舗を見上げた=4月25日、梅村直承撮影

◎毎日新聞5月11日朝刊・ストーリー

   翻弄される辺野古 
          ―「成田闘争の二の舞い」警告

 時折吹き抜ける風が香りを運ぶ。沖縄県名護市辺野古の中心部。幹線道路沿いに〈ようこそ辺野古商店街〉と書かれた看板が現れた。点在する店舗の多くは傷み、扉を閉ざしていた。
 「昔はにぎやかだったんだよ」。辺野古商工会の会長を務める飯田昭弘さん(66)は独りごちた。4月下旬の昼下がり。すれ違う人はほとんどいない。そんな一角に沖縄防衛事務所の出先機関、名護防衛事務所はあった。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる辺野古との連絡調整窓口として、国が2011年に開設した。

 今年3月のことだった。飯田さんは地元商工会会長として事務所を訪ね、こう宣言したという。
 「このまま辺野古区の要望に応えなければ、『成田闘争』の二の舞いになりますよ」。地域の自治会に当たる辺野古区は10年、基地受け入れについて「条件付き容認」を決議した。今年1月の市長選で稲嶺進市長(68)移設反対を訴えて再選された後、区は「条件を具体化し、各世帯への一時補償金などを防衛事務所に打診し始めた。それが「区の要望」だった。

 「警告」のつもりで口をついて出たのが「成田闘争」だった。千葉県成田市の新東京国際空港(現成田空港)の建設をめぐり、計画を強行しようとする国に地元農民が激しく抵抗、過激派が加わったことで反体制運動の色彩を濃くしながら30年近く、地域は大混乱に陥った。

 「今のところ辺野古の大半は『普天間移設容認』で、地元一丸となった反対闘争にはならない。けど、辺野古の意向を無視するなら、住民はこぞって反対に回ると伝えたかったんだ」。しかし、名護防衛事務所の担当官が首をたてに振ることはなかったという。

 でまかせで戦後最大の社会的混乱の名前を出したわけではなかった。地殻変動を感じていたからだ。

 移設が浮上して18年。飯田さんは「辺野古は翻弄され続けてきた。結果がこの有様だ」と閑散とした町並みを見た。怒り、悲しみ、いらだち・・・もろもろの感情が交じった表情だった。

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キャンプシュワブ(左)と辺野古地区を隔てるフェンス。右手の砂浜の向こうで、普天間移設に反対する座り込みが続けられている

   名護の中の東西格差
          「アメ」投入も町おこし遠く

 「普天間移設の見返りは、この学校くらいです。でもね・・・」。沖縄県名護市辺野古。米軍普天間飛行場の移設予定地が見渡せるマンションの屋上で、辺野古商工会長の飯田昭弘さん(66)は、特徴的な円筒形の建物を指さした。国立沖縄工業高等専門学校だった。2004年に開校した沖縄県初の5年制の高専で、在学生は800人。

 国が移設受け入れと引き換えの「アメ」として、辺野古の地に与えた目玉事業。約117億円が投じられた。飯田さんは高専を「地域おこしの起爆剤」ととらえ、8年前にマンション経営を始めた。けれども、その浮かない表情は、期待通りの展開でないことを物語っていた。

 沖縄県北部に位置する名護市は、西と東の両方に海岸線を抱える。市の中心部は市役所が置かれた西海岸側。そして米軍基地キャンプシュワブのある辺野古は、反対側の東海岸だ。名護市の人口は約6万人。辺野古は1900人足らずだ。

 国は1997年、普天間飛行場を受け入れてもらおうと、名護市を含む北部12市町村を対象とする北部振興策を打ち出した。「10年で1000億円」の約束で00年度に始まり、10年度以降も額を減らして継続されている。露骨な「見返り」だ。だが、辺野古に新しくできたものは高専、それに公民館・・・。

 「石破さんが選挙で約束した500億円も、何だったんだろうとおもいますよ。またか、とね。」

 普天間移設の是非が争点になった1月の市長選で自民党の石破幹事長が表明した「500億円の名護振興基金のことだった。飯田さんは移設推進派の新人候補を応援したが、現職の稲嶺進市長(68)に4000票以上の大差で敗れた。同時に「500億円」の話も消えた。

 またか―。その嘆息は深い。96年の普天間飛行場返還合意から辺野古は翻弄され続けてきた。99年、名護市が条件付きで受け入れを表明しながら計画は足踏み状態に。民主党の鳩山政権が「最低でも県外移設」を唱え、混乱に拍車をかけた。曲折を経て13年末、沖縄県の仲井真弘多知事が辺野古沖埋め立てを承認。決着するかと思われた揚げ句の名護市長選だった。

 「政治家がアメをちらつかせて、知事、市長が予算をぶんどる。でも、当の辺野古はすたれるばかりです。これまでに一体、国の金がいくら投じられたのか。反対、反対って言っておけばいいんだからね」
 飯田さんの声は自嘲気味だ。
     ◇
 戦前、辺野古は人口約750人の半農半漁の村だった。辺野古を抱える旧久志村は、占領米軍による土地の強制接収に対する「島ぐるみ闘争」が最高潮を迎えた56年、米軍と条件交渉するなかで土地提供に応じた。接収されるなら見返りがある方がいいという判断だったという。軍用地料で村は潤った。

 辺野古区のホームページによると、48年ごろは140世帯643人だったのどかな集落は、65年には309世帯2139人に急増。それがピークだった。

 70年、旧名護町などと合併し名護市が誕生。軍用地料について、市と辺野古区が6対4で分けることになった。13年度は市が3億1930万円、区が2億1290万円だった。しかし名護市街地と辺野古は車で約20分の距離。地域としての一体感はほとんどない。辺野古区行政委員の許田正儀さん(64)は言う。「辺野古はマイノリティー。声は届かない。大事なことは皆西側が決めてしまう」

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   地殻変動 自治組織から

 4月27日の昼下がり。辺野古の中心にある辺野古区公民館では、年に一度の区民大会が非公開で開かれていた。住民自治組織「行政委員会」が活動方針などを報告する場だ。嘉陽宗克区長(61)は「辺野古には(飛行場受け入れについて)賛成も反対もいる。そういう現状を踏まえて、区民の財産と生活を保障するよう、国に要請した」などと話したという。従来通り条件付き容認か、それとも反対するのかあいまいな言い方に終始した。国に対し、4月14日付で申し入れたという、個人補償額なども明かされなかった。

 出席者によると、配布された書類は出口で回収され、それと引き換えに5キロの米袋が渡された。ある住民によると、資料の外部流出を防ぐのと、「軍用地料」の分配の意味合いもあるという。米だけではない。1人当たり年5万円の生活支給金が支払われる。「軍用地料のバラまきだ」という声も聞かれる。

 辺野古区には軍用地料として年間2億数千万円が入る。それらの金をどう使うのか、移設問題にどう対処していくのかについては、行政委員会が決定権を握る。委員は計18人。辺野古区に10ある班の代表に加え、区長約選出の市議、青年会長、老人会長などがメンバーだ。

 実は、嘉陽氏は昨年3月、46年ぶりの区長選挙に挑み、初当選した。「住民の生命と財産の問題について、わずか18人で決めるのは荷が重すぎる」と問題提議し、内部改革に乗り出す姿勢を見せている。嘉陽氏の支援者、西川征夫さん(70)は「行政委員会はオープンな議論をしないまま、移設ありきで国との条件交渉を独善的に進めてきた。区長選挙後、そうした体質が変わってきている」と話した。
     ◇
 4月26日夕。名護市の稲嶺市長の姿は沖縄市にあった。沖縄市長選で普天間移設反対を掲げる新人候補の応援だった。同市は嘉手納基地を抱える。支持者を前に「相手候補は『国とのパイプ』を強調するが、国が金で言うことを聞かせようとするのが実態だ」と訴えた。

 取材に応じた稲嶺氏は「『金ありき』だから使うのに一生懸命になり、ハコモノばかり。新しい基地が来ると活性化すると言われるが、違う」と話した。国は10年度までに、名護市に普天間の移設に絡む振興策約400億円を投じた。しかし00年度からの10年で、市民1人当たりの所得は203万5000円から188万3000円に減少した。09年度の県平均(204万5000円)と比べてかなり低い。

 稲嶺氏が支援した反対派候補は、与党系候補に敗れた。しかし稲嶺氏の姿勢は揺らがない。沖縄防衛局は4月11日、移設作業のための漁港の使用許可などを求める申請書類を名護市に提出したが、市は今月、突き返した。

 再び辺野古。商工会長の飯田さんと会った。「稲嶺さんはまた4年間、突っ張るのかな。このまま反対を続けても何の補償もない」。飯田さんは危惧する。「西側は直接関わりないから・・・」

 抜き差しならない不信感。名護市はシュワブ、そして普天間の移設先という負担を辺野古に背負わせる。本土と沖縄の関係と重なるように感じられた。

 飯田さんの趣味は写真撮影。3年に一度の地域の伝統行事である「辺野古の大綱引き」の準備に励む住民たちの写真を見せてくれ、こう言った。「これが辺野古だよ。賛成も反対もない」

■今回のストーリーの取材は
  上野央絵(政治部副部長) 1991年入社。水戸支局、政治部を経て2005〜07年、西部報道部で沖縄を取材。鳩山政権下の普天間問題の経緯をまとめた本の執筆に携わり、13年から現職。沖縄問題の取材をはじめて9年になる。写真は東京写真部の梅村直承が担当した。

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 あー、ちゅかれた。
 新聞記事はコピーさえできたら1分ですむ。ところが、今回はなぜかできなかった。
 私のひらがな打ちで約3時間。ようがんばりました。たぶん、どっか変なところがあるはず。また、あとで見直すことにしよう。

 毎日新聞は、辺野古の問題についてかなり掘り下げて取材している。ただ、今回は「名護の東西格差」という点に注目しているところが今までとちがう。「名護市民から抗議されるのでは?」と思われる部分もある。

 記事を読んでいて、一つ頭に思い浮かんだことがある。去年の9月、名護市久志地区を走る「久志20kmロードレース」でのこと。
 会場は統合で休校になった小学校。コース途中には、その地域の何校かを統合した立派な小中一貫校が建設されていた。
 この景色は沖縄では見たことがない。私の中では、「沖縄=学校を死守する地域」だからだ。初めて訪れた鳩間小中、次に行った船浮小中、その次の平久保小も地域の人々が死守した学校と言える。こないだおじゃました国頭村の北国小もそうだ。それだけに、この地域に似合わない立派な校舎が異様に頭に残った。
 今日の記事を読んで、「うーん、そうなのか」と納得するところがあった。「この地域は、ひょっとしたら懐柔策に弱いのかもしれない。」もしそこまで見透かして普天間の移設先を選んでいたとしたら、それはそれですごいこと・・・なのかな?

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【今日のきく】

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 今さらですけど、何で私が犬が好きか分かった。

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 夜8時、大雨の中、散歩に行った。

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 きくは私の顔をチラチラ見る。
 「ひょっとして、このあとお風呂に連れ込むんですかー」と私の心を探る。
 ちょっと踏ん張って抵抗したりして・・・。

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 こんなふうに、ちら見しながら相手の心を探りあう。
 これがおもしろいんですよねー。
 ああ、犬はやめられん!

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2014年05月11日(日)

第36回鯖江つつじマラソン [ランニング・出張販売]

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 今日のトップ写真は、鯖江の有名人である速歩ランナーこと峯田芳則さん。
 私のこのブログにも、たびたびコメントを入れてくださっている。
 残念なことに、「XP」サポート終了に伴いパソコンともお別れということになったそうだ。せっかく「パオパオだより」のトップ写真に採用させてもらったのに・・・。いつかどこかでのぞいてみてくださいね。

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 5時10分に自宅出発。
 順調に名神を走っていたら、「敦賀〜武生通行止め」の標示。
 「なんでやねん! その分下の道走ったら、めっちゃおそなるがなー。」
 ところが、米原から北陸道に入ると「敦賀〜武生夜間通行止め」という標示に変わる。
 「あーよかった。朝6時までやったんや。」

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 7時すぎ、会場到着。
 今年から、催しもの会場が芝生広場に変更。それを聞いていなかったので、今までと同じ場所に出店。
 「お客さん、来てくれはるかなあ」と心配。

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 商品を全部出せたので、受付を済ませ、つつじをもらいにいった。

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 ヨメさんは、専門学校の小テスト惨敗以来知恵熱(?)が出て体調不良。
 こんな状態でも休めないヨメさんはかわいそう。 

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 「今日は熱があってしんどいし、レース中の写真は撮ってもらえへんわなあ」とお気楽なことを言っている私。

 10時10分、最後から2番目の種目「男子3km」。

 スタートして、「重てえー。」
 1km、3分56秒。
 「これは、なんとか3km11分台ギリギリちゅうとこかー。」
 2km、8分01秒(4分05秒)。
 「あっ、あかん。なんとか踏ん張らなくては・・・。」
 ゴール、11分59秒(3分58秒)。
 「おお、なんとか面目を保ったか。」

 ところが記録証をもらうと、12分01秒。
 「あーあ。」
 順位も14位と入賞には遠かった。。
 

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 昨日今日と、久しぶりのソーティスーパーマジック5。
 ゲルスカイライトと重さはほとんど変わらないのに、着地ごとに脳みそにズキンズキン来る。でも、勝負レースはやっぱりこれですね。

 さあ、クーリングダウンを兼ねて知り合いの応援に。

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 まずは、私の勝手なライバル松本一之さん。

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 今日も、10km39分16秒で2位を1分以上引き離す圧勝。
 「タイムが落ちない男」ですね。

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 京都走ろう会の堂本勲さん。

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 私を見つけて近づいてきてくださった。 
 「余裕じゃないですか。」

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 「ランナーズ9の会」の仲間、玉木さん。

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 「玉木さん、ランナーズ9の会のニックネームなんですか。」
 「なんだっけ。忘れました。」
 「そしたら、玉木さんのお名前で載せていいですか。」
 「いいですよ。」

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 来ました、走友・林さん。

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 林さんは、さすが陸上競技をずっと続けてこられただけのことはある。私のポッコリお腹とはえらいちがい。「脱いだらすごいんです」タイプですね。

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 ところが先回りして競技場前で待っていると、林さんがヘロヘロ。

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 あとで聞くと、「最後の1kmは5分20秒くらいかかった」とのこと。
 まあ、あの暑さでしたから・・・。

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 コースに戻ると速歩ランナーさん発見。
 「しっかり走られてるじゃないですか。」

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 速歩ランナーさんがおっしゃるとおり、たしかに参加費の高い大会が多くなってきましたね。参加賞も何もいらないので、1000円とか1500円で出られる大会があればいいのにね。

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 おなじみ、「京都キャロット」の取引きメーカーのA社のRさん。

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 私は「背の高い白髪」で見つけています。
 楽しそうに走っておられる姿が、すごくうらやましい。

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 これは、速歩ランナーさんからヨメさんにいただいたもの。
 あと、たい焼きもいただきました。
 ありがとうございました。

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 三重の林さんと記念写真。
 「これもブログに載せときますわー。林さんのヘロヘロ写真だけではねえ。」

 「やっぱり、フルマラソンに出た効果が出てますわ。短いのがはよう走れません。去年より30秒も遅くなりました。」
 「効果って・・・。逆効果ってことですか。」
 「林さんは、当分トラックのほうですか。」
 「そうでもないんですけど・・・。体重増加を防ぐためにしっかり走ろうと思ってます。」
 「そうですよね。ほんとうにしっかり走っていたら、体重は増えませんもんね。」

 我々は太らんために走っているのか。いやいや、それは大事なことです。

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 10Km60歳以上の部の表彰。

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 堂本さんの説によると、「松本さんは走り始めはった歳が遅かったから、今でもタイムが落ちひんのとちゃいますか」とのこと。そうかも知れん。
 もうちょっと落ちてくれんと、私との勝負にならんちゅうねん。

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 後片付けが早くできた。1時ちょうどに会場出発。
 南条SAで昼食。出張販売のときに、1時すぎにお昼ご飯が食べられるのはめずらしい。
 私は「福福セット(900円)」。越前そばはちょっと固めだがおいしかった。

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 廉も熱が出て、家で寝ている。
 廉へのおみやげを買って家路に。

 自宅到着、3時40分。朝早いのはしんどいが、早く帰ってこれると楽。
 売り上げは毎度のごとく、前年比2割ほど減。もっと買っていただけるように工夫しなければ。

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