2013年08月05日(月)
NAHAマラソン申し込み [ランニング]
今日8月5日は、「NAHAマラソン」の参加申し込み開始日。この大会は定員25000人だが、他の人気大会とちがって先着順。去年は開始2日でいっぱいになったらしい。
私は、去年の東京マラソン( 3時間28分44秒)を最後にフルマラソンを引退。もう、フルを走る気はない。しかし、今沖縄に住んでいる真樹が「フルマラソンを完走したい」と言う。今年2月の初フル「おきなわマラソン」で、29kmバス収容。この悔しさを覚えているうちに、ということだろうか。
本当は、真樹はかあちゃんと走りたいらしい。でも、一家の大黒柱である眞寿美さんはそうやすやすと仕事は休めない。ということで、またまたヒマジン・パオパオの登場。一応、真樹のサポーター役です。あんまり役には立たないかもしれんけど。
今日の朝9時、申し込み受付開始。私は9時45分くらいからパソコンに張り付いていたのだが、まったくつながらず。12時前にやっとつながり、真樹と私の申し込みがほぼ完了という寸前でパソコンが固まってしまった。これで一からやり直し。
その1時間後再びつながり、やっと2人分の申し込み完了(午後1時25分)。
あとは、真樹が本番に向けて自分で練習できるかどうかにかかっている。いっしょに住んでいればいろいろと誘ったりできるが、京都と沖縄ではどうしようもないし・・・。「21世紀の森ランクラブ」の比嘉さんたちが、また練習に誘ってくださったらありがたいんですが・・・。
「NAHAマラソン」といえば、一度だけ参加したことがある。もうずっと前のことだと思っていたが、計算したら25年前( 1988年)の第4回大会のようだ。
当時宝ヶ池で行われていた「スーパーウルトラマラソン・6時間走」の抽選会で、NAHAマラソンツアー1名分が当たった。それで、もう1名分実費を出し夫婦で行くことにした。
細かいことはよく覚えていないが、当時32歳の私は3時間20分くらい、当時26歳の眞寿美さんは5時間50分ちょっとで完走。私は自分のゴール後、コースを逆走し眞寿美さんを探しにいった。35kmすぎあたりで見つけ、そこからいっしょに走った。だから、合計55kmくらい走っているはずだ。
あのころは若くて馬力もあった。でも、今でも娘をサポートするくらいの力は残っているはず。
もう手続き完了したので、ごちゃごちゃ言わずとにかくがんばろう。
真樹もがんばってほしいなあ・・・。
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【RUN】
明日は午前10時45分からバイトで泊まり。あさっての昼1時ごろまで帰れない。連続25時間超の勤務。帰ってきてもクタクタで走れそうもない。
「今日、走っとかないと!」
3時すぎ、店まで650m。左足が痛くて走れない。
「こりゃいかん! 重症か?」
きくを連れて帰る道も、痛くてまともに走れなかった。
しばらくしてもう一度。
「シャトレーゼ」往復の4kmと思ってスタートしたが、足の痛みがまし。そこから叡電の下をくぐり、十王堂橋を越えた先の交差点で約2.5km。13分45秒。
折り返して家まで。4.98km、27分29秒(13分44秒)。このころはもう足の痛みはほとんどなかった。
このあとゆっくり2km。これで今日は合計8.3km。
新しいコースは走っていて楽しかった。また、気分転換にもなるし新しいコースを開発していこう。
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【今日のきく】
今日も夕立。大きな雷が落ちた。
きくはビビッて、体ブルブル。
こんな小さい箱に入りかけてました。
でも、雷がおさまったら元気元気。
「よかったね。」
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2013年08月04日(日)
京都走ろう会例会〜ヒザイター〜 [ランニング]
2週間前の例会に続き、今日も夫婦で参加。先週は京都走ろう会主催の「大文字山ランニング」だったので、3週連続で京都走ろう会のお世話になることになる。
ただしこのあと、私は例会には当分来れない。
8月18日 三瓶高原クロスカントリー
9月 1日 聖湖マラソン
9月15日 大江山登山マラソン
10月 6日 余呉湖健康マラソン
10月20日 舞鶴赤れんがハーフマラソン ( 出店交渉中)
11月 3日 京都丹波ロードレース
11月17日 中部トリムマラソン ( 真樹と私が走る予定)
12月 1日 NAHAマラソン ( 真樹と私が走る予定)
12月15日 びわ湖クロスカントリー
あらっ、私は今日が今年の最終?
「大文字山ですりむかはったんは、治りましたか」と岩井さん。
「まだ、こんなんですわ。なかなか治りません。」
見かけはひどく、何かに当たるとたしかに痛い。しかし、走るのにはそう影響はない。それより、左足が棒のようになってるのがねえ・・・。
駐車場から会場まで300mほど走ったあと、3.1kmコースをアップ代わりに。16分19秒。
京都走ろう会例会と賀茂川パートナーズの練習会は完全に重なる。前回は賀茂パーさんが少ないように見えたが、今回は盛況。
もう30℃を超えているけど、お互いにがんばりましょう。
今日は準備運動担当の八田さんがお休み。京都マスターズの記録会に行かれているようだ。
5kmのスタート地点に行ってビックリ!
なんと、私を含めて21名。伴走してくださる役員さんを入れると、みんなで25名ほど。この京都の暑い時期に、これだけの人が集まるだけでもすごいこと。
10時10分ごろスタート。
スタートしていきなり私の前に5人。
「ありゃりゃ?」
昨日走りすぎたこと。今日もアップをしすぎ。それに、頼りにしていたGPS腕時計がバッテリー切れで役に立たず。というか、とりあえず今日は調子よくなかった。
前回3.1km12分46秒から、今日の5kmは21分半くらいで行こうと目標を立てていた。でも、前を行く5人とは離れていくばかり。
「ありゃりゃー。」
対岸を疾走するヨメさんの姿を撮ったり・・・。
行き過ぎてから戻って、橋の下でくつろぐネコちゃんの写真を撮ったり・・・。
いつも北山大橋西詰に立ってくださっている塚本さんも、今日はお休み。たぶん、京都マスターズ記録会の役員さんとして行かれているのでしょう。
いつも、ここから下りをがんばるのに力が入らず。古澤さんに追いつかれ、すっと抜かれてついていけず。ゴールでは大差がついてしまった。
私のゴールは22分50秒。目標より1分20秒も遅れ。21人中の7番目。
「ぜんぜん、あきません。」
あとはいつもどおり仲間の写真撮り。
「保坂さん、キロ5分ペースで走るように頼んどいたのにー。速すぎますやん。」
「ほんまやねー。」
「京都キャロット」のお得意様・Kさん。
「保坂さんがキロ5分ペースで行かはるし、ついて行かはったらいいですわ」と言っておいた。
しかし、保坂さんは調子がよかったのか23分半くらいでゴール。
でも、そのすぐあとにKさん。
そうとうがんばられた様子。24分ちょっとでゴール。
ほんとうにお疲れ様でした。
ヨメさんは、5km36分08秒。もうちょいで35分台。
ずっと平田さんとしゃべりながら走ったらしい。この暑い中、一人ではなかなか走る気がわいてこない。みんなでわいわい言いながら走ると楽。そんな思いで、みなさん集まってこられるのかもしれない。
私は当分例会には来られませんが、京都走ろう会のことはこれからもあちこちで宣伝しておきます。「気軽に楽しく走れる例会を開催されてますよ」と。
今日は、3.4+5+1.5で合計9.9km。
出町商店街で買い物をして帰宅。
一つのお店で1000円以上の買い物をすれば、駐車場30分無料券がもらえる。これならまた来てもいいね。
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2013年08月03日(土)
宝ヶ池インターバル復活 [ランニング]
今日も一日何もせず。
足の具合がましなような気がしたので、久しぶりに宝ヶ池まで走りに行くことにした。
夕方5時、家出発。
宝ヶ池のジョギング起点まで約3.1km、17分38秒。
やっぱり、右足1、左足0.7くらいの感じで走っている。左足は一本の棒になっているような感じ。これが、ちょっとずつでもましになっいってくれたらいいのだけれど・・・。
さあ1000mインターバル。ほんまに久しぶりじゃー。
宝ヶ池1周は1500mで、200mごとに標識がある。それを使って、1000m全力走+100m歩き+400mジョグのインターバル。
1本目、4分01秒。 100m歩き+400mジョグで4分くらい。
2本目、3分58秒。 上に同じ。
3本目、3分59秒。 上に同じ。
冬場に比べたらだいぶ遅いが、まあまあ最低限は行けたかな。
今日は暑さもましなような気がした。
宝ヶ池周回は砂利もあり、決して走りやすいとは言えない。でも、道幅が広いので散歩の方を気にすることもない。
また、ここでの練習も増やしていきたい。
帰り3.1kmは、20分54秒。
このあと、店往復1.3km。ヨメさんときくとは入れ替わりになってしまった。
今日は、3.1+1.5×3+3.1+1.3で合計12km。これくらいなら足はだいじょうぶそう。
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2013年08月02日(金)
やせがまんの国で9条を背負って生きていく [時事]
◎朝日新聞7月25日朝刊・あすを探る
9条の国、誇り高き痩せ我慢 森 達也
アメリカでは銃の誤射や乱射事件が起きるたびに、銃規制についての議論が高まるが、結局は尻すぼみとなってまた事件が起きる。
昨年12月にコネティカット州の小学校で児童ら26人が殺害されたとき、全米ライフル協会(NRA)の副会長は記者会見で、「銃を所持した悪人の行為を止められるのは、銃を持った善人だけだ」と述べて銃規制に反対し、アメリカ全土では銃の売り上げが急増したという。
アメリカの銃社会をテーマとしたドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』でマイケル・ムーアは、黒人や先住民族を加虐してきた建国の歴史があるからこそ、アメリカ市民は銃を手放せないのだと主張した。報復が怖いからだ。つまり銃を手もとに置く人は勇敢なのではない。臆病なのだ。
こうしてアメリカの正義が発動し、正当防衛の概念が拡大する。丸腰の高校生を射殺した自警団男性の正当防衛が認められて、無罪評決になったことは記憶に新しい。
NRAの主張に同意する日本人は少ないだろう。頭の回路がどうかしていると思う人もいるはずだ。でも実のところこの思想と論理は、世界のスタンダードでもある。
核兵器や軍隊の存在理由だ。
我が国の軍隊は、他国に侵略する意図などない。でも悪い国が軍隊を持っている。だから攻められたときのために、国家は軍隊を常備しなくてはならない。つまり抑止力。理屈はNRAとまったく変わらない。
こうして誤射や過剰防衛が起き、それをきっかけに戦争が始まる。人類はそんな歴史を繰り返している。
しかし第2次世界大戦後にこの国は、新しい憲法で武力放棄を宣言した。その憲法が公布される前の衆院本会議で共産党の野坂参三議員が、「侵略の戦争は正しくないが自国を守るための戦争は正しいのでは?」との趣旨で質問し、これに対して吉田茂首相は、「正当防衛や国家の防衛権による戦争を認めるということが結局は戦争を誘発する」との趣旨で答弁した。記録ではこのとき議事堂では、与野党を超えた議員の大きな拍手が響いたという。
もちろん日本の背後には、世界最強の軍隊と大きな核の傘を持つアメリカがいた。だから不安や恐怖を押し殺して痩せ我慢ができた。極論すれば憲法9条の1項は、すべての国に共通する理念でもある。でも現行憲法には、軍事力と交戦権を放棄することを宣言した2項がある。アメリカに軍事的に庇護される国は数多いが、ここまでラディカルな宣言をした国はない。
その後に冷戦の時代が幕を開ける。ご近所はすべて銃を持っている。でも暴力に対して暴力の抑止は成り立たない。自衛の意識が戦争を起こすのだ。だから我が家は銃を持たないと決めた。アメリカからは何度も改正を要求されながらも、結果として日本は9条を60余年間にわたって守り抜いた。いろいろ妥協もしたけれど直接的な戦争には一度も参加せず、国民総生産(GNP)世界第2位を達成した。
改憲派は平和ボケなどと嘲笑するけれど、9条は抑止論にとらわれた世界への、とてもラディカルな提言となっている。スペインのグランカナリア島には、9条の碑が設置されている。戦争地域ではよく、「日本は9条の国だ」と話しかけられる。世界に対して日本は、身をもって稀有な実例を示し続けている。
この街から銃が消える日はまだ遠い。でもこの精神だけは手放さない。誰もが銃を持たない社会。その実現のために、我が家は街で最初に銃を捨てる宣言をした。怖いけれど高望みを維持し続けてきた。
自衛隊を軍隊にして誇りを取り戻そうと言う人がいる。意味がわからない。他の国と同じで何が誇らしいのだろう。不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う。
( もり・たつや 1956年生まれ。映画監督・作家。明治大特任教授。近著に『虚実亭日乗』)
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今日も昨日と同じ、寮の管理人代理のバイト。午前10時45分に家を出て、帰ってくるのは夜の12時前。また昼すぎの3時間ほどがヒマ。
先週の朝日新聞にすごくいい記事があったのだが、朝日新聞のデジタル版は有料でコピーできない。「せっかく多くの人に紹介しようと思ってんのに、ケチか!」とぼやきながら、「今日は指一本の長文手打ちに挑戦してみるか」とまで思っていた。でもいろいろ探していると・・・、ありました。ある人のブログに全文紹介。無断転載させていただきました。
何度読んでも、たいへんわかりやすいいい主張だ。
「この街から銃が消える日はまだ遠い。でもこの精神だけは手放さない。誰もが銃を持たない社会。その実現のために、我が家は街で最初に銃を捨てる宣言をした。怖いけれど高望みを維持し続けてきた。」
私が「平和・憲法九条」のぼりランをしているとき、「何をしているの?」とよく聞かれる。これからはこう答えよう。
「誰もが武器を持たない社会を実現するために、怖くてもやせがまんする人を増やそうと思って!」
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2013年08月01日(木)
雨の日は凶暴化 [わんこ・にゃんこ]
今日も私は寮の管理人代理のバイト。家を10時45分くらいには出て行かなくてはならない。
朝からきつい雨。10時前やっと小降りになってきたので、ヨメさんがきくのお散歩に出かけた。
「今日はきくとますみちゃんのお散歩風景でも撮っとくか。」
これが大きなまちがいの始まりだったらしい。
しばらくして、ヨメさんが一人帰ってきた。
「きくが動かん。」
助っ人・廉出動。
意外や意外、ハーネスの方が抜けやすいとのこと。
「きくは、関節はずすからなあ」と廉。
まさか!
そして、ヨメさんが首輪を付けなおそうとした瞬間「ガガガガガッ」とフライングアタック。ヨメさんのおけつをガブガブガブ。(さすがにその決定的瞬間は撮れなかった。)
「やっちゃいましたー。」
もうこうなると、廉や私の出る幕無し。
女同士(?)1対1の戦いが始まる。
「アンタさえ出てこんかったら、きくもこんなふうにならへんかったのに・・・」とヨメさん。
わしゃ、興奮剤かい!
雨の日は帰ったら洗われるので暴れたと思ったら、私の前でハッスルしただけって、ほんま?
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2013年07月31日(水)
お墓そうじラン [ランニング]
毎度おなじみお墓そうじの時期。
毎年恒例の不気味なお墓の写真は、今年は自重。
でも、母の仮の墓石は完全に土砂に埋まってた。土砂から救出してきました。父が生きている間はお墓そうじは続けていこう。私がお墓そうじをしたら喜んでくれるからね。父が亡くなったら、誰かバトンタッチしてね。
お墓そうじが終わって、せっかくいなかに帰ってきたので久しぶりの「花背峠ラン」。車で測ったら、家から花背峠まで3.9kmくらい。往復で8km弱。今日はこんだけがんばって走ってみる。
「花背山の家」前、400mくらい。
「別所小学校・花背第一中学校」前で、650mくらい。
「喫茶・カウベル」前で、やっと1km。6分31秒。
花背峠までの上りを、キロ7分弱のペースで行けたらいい。
そのお隣の「福田寺」。
この上に藤井善一家のお墓がある。
別所町の南端の家までおよそ1.5km。うちから一番北の端の家まで500mくらいなので、別所町は南北に2km伸びる町ということになる。
南の端にある寒暖計は「24℃」。
「すっずしー!」
ここらで2km、13分23秒(6分52秒)。
ここらで3km、21分01秒(7分38秒)。
やっと花背峠到着。26分15秒。
でも、距離が3.7kmって?
車で測ったより200mも少ないやん!
でも気を取り直して、下りがんばろう。キロ5分以内でバンバン行きたいなあ。
1km 5分25秒
2km 10分16秒(4分51秒)
3km 14分47秒(4分31秒)
4km 19分07秒(4分20秒)
だんだんペースを上げてゴールという理想的な走り。
家の前で3.85kmくらいだったので、もうちょい先まで、GPSの「ピピッ」がなるまで。ターコおばさんち前まで走った。
下りをうまく利用すれば、足に負担をかけることなくいい練習ができる。このコースいいですね。気温もだいぶ低めだし、またここを走ろうっと。
家に帰って晩ご飯を食べ、お風呂前に体重計へ。
「61.2kg、合格です。」
やっぱり、走らんとね。
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