2013年08月07日(水)
3ヶ月ぶりの真樹ときく [家族]
「きく、真樹が帰ってきたでー。」
廉の部屋の窓から真樹が登場。
さあ、きくは覚えているでしょうか。
でも、心配することはなかった。
きくは普通に大喜び。
「やっぱり、きくはかしこかったんやー。」
ガウガウゆうたらどうしようと思っていたのに。
廉も真樹とは3ヶ月ぶり。
「廉ちゃんも沖縄に来てほしいなあ」と真樹がゆうてるんやから、行ったってやー。
さあこれから1ヶ月、元の4人家族と1ぴきの生活が続く。
楽しい事がいっぱいありますように。
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【RUN】
昼過ぎにバイトから帰ったときはクタクタだったが、そのあとずっとボーとしていたら元気になった。夕方5時半すぎ、気温はまだゆうに30℃を超えている。それでも、私が一番走りやすい時間帯だ。(京都の最高気温は36.5℃。ちなみに那覇は34.0℃。)
夏は早朝や夜に走る人が多い。でも、私は31年のランニング暦で早朝に走ったことはない。朝は体が起きていないので走るなんて無理。ウルトラのスタートが、早朝5時とか4時半というのは本当につらかった。
また、以前は夜によく走っていたが最近はそれもほとんどない。晩ごはんを食べたあとに走るというのがつらくなってきた。
ということで、最近はほとんどが夕方ラン。この時間帯に走っておくと、晩ごはんも自然とセーブできていいんですよね。
最近は暑さが気にならなくなってきた。呼吸がしにくいくらいで、そのほかは気温が低いときとそんなに変わらないような気がする。それよりも、左足の具合が・・・。
しかし、走り出したら左足の痛みがまし。いつもは走り出しが一番痛むのに。思い切って久しぶりの6kmコース。
宝ヶ池通りの「ゆば泉」さん前の折り返しで16分半。まあまあ走れているじゃーありませんんか。
家に帰って、6km33分20秒。キロ5分半ペースで6kmを楽に走れた。次はこのペースで10kmを走りたいなあ。
続けて3kmスロージョグ。これで合わせて9kmだが、「足が渋くなる」こともなかった。まだまだ本格復調とはいえないが、徐々にましにはなっている実感。
1ヵ月後の「久志20km」に、万全の体勢でのぞめるように調整していこう。
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【今日のヨメ】
きくが本文に登場なので、「今日のきく」のかわりに「今日のヨメ」。
今日は「京都キャロット」の定休日なので、美容院に行ったらしい。
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2013年08月06日(火)
「憲法はむずかしくない」 [書評]
◎e-hon本より
憲法はむずかしくない (ちくまプリマー新書)
池上彰 2005年11月 筑摩書房
■ おすすめコメント
このところ、憲法のことがニュースにたびたび登場します。イラク戦争の後、イラクという国を建て直すために、新しい憲法を作ることになりましたが、どんな内容にするかをめぐって、難航に難航を重ねたことがニュースになりました。
日本でも、いまの日本国憲法を改正すべきかどうかが大きなニュースになっています。憲法を変えようという人たちは、「時代にあった憲法を」と主張しています。でも、「時代にあった」とは、どういう意味なのでしょうか。
一方、「憲法を変えるべきではない」と訴える人々は、「日本国憲法は世界に誇れる平和憲法だ」と言っています。「平和憲法」とはどういう意味なのでしょうか。それよりなにより、そもそも「憲法」とは、どんなものなのでしょうか。普通の法律と、どこが違うのでしょうか。
そこで、この本では、そもそもの基本から憲法について考えてみることにしました。憲法とはどういうものか。日本国憲法はどうやって生まれたのか。第二次世界大戦後、日本国憲法をめぐっては、どんな議論があったのか。憲法改正を求める人は、何を問題にしているのか。そんな基本を解説します。
まず知ってほしいことは、憲法はむずかしくない、ということです。この本を読んだ上で、あなた自身は憲法についてどう考えるのか、自分の意見をまとめてみてください。
■内容
憲法はとても大事なものだから、変えるにしろ、守るにしろ、しっかり考える必要がある。そもそも憲法ってなんだろう?この本は、そんな素朴な質問に答えます。
■著者
池上 彰 イケガミ アキラ
1950年長野県生まれ。1973年、NHKに記者として入局。32年間にわたり、記者として、キャスターとして、事件・事故・災害・教育問題・消費者問題など、様々な分野のニュースを取材。1994年からは11年間、「週間こどもニュース」のお父さん役として、日本と世界の様々なニュースを子どもにも分かるように伝える仕事に専念。2005年3月にNHKを退職し、フリーランスのジャーナリストに。ニュースの背景にある歴史などを解説する著書も好評を博している。
主な著書に『憲法はむずかしくない』『おしえて!ニュースの疑問点』(ちくまプリマー新書)、『そうだったのか!ニュース世界地図』『そうだったのか!中国』(以上、集英社)『そうだったのか!現代史』(集英社文庫)、『ニュースの読み方使い方』(新潮文庫)、『経済のことよくわからないまま社会人になってしまった人へ』(海竜社)、『ニッポン、ほんとに格差社会?』(小学館)ほか、多数。
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だいぶ前に買って途中まで読み放置されていた本。私の部屋にはそんな本が山とある。このままだと、私が死んで火葬にしてもらうとき、私の体重以上の「読みかけ」の本を焼いてもらわなくてはならない。
「こりゃいかん!」
幸い、管理人代理のバイトを始めてから本を読む時間ができた。200ページくらいの新書だと、だいたい3時間あれば読める。ありがたいことだ。
本を最後まで読むようになってから、新しい本を買わなくなった。まず、今持っている本を読まなくては。
この「憲法はむずかしくない」も、その名の通りむずかしくない内容なのに途中まで読んで行方不明になっていた。最近見つかり、一から読み直し。先週のバイトのとき、2時間くらいで読めた。
この本の帯に書いてあったが、「知らなきゃ議論できない」。ほんとにその通り。
最近では、大江健三郎「沖縄ノート」裁判で、名誉棄損で訴えた原告が「沖縄ノート」を読んでいなかったことが発覚。大江さん側が勝訴したからよかったが、これは「知らないのに議論」のいい(悪い?)例だ。(という私も、「沖縄ノート」に3回挑戦して最後までたどり着かず、その本自体も今はどこへ行ったやら・・・。)
その時の原告側の弁護士が、のちに自民党の国会議員になり、今や大臣。その大臣が、何が何でも8月15日に靖国に参拝するそうだ。
(あっ、ちょっと脱線しました。)
この本を読んでよかった。私も「日本国憲法」について大きな勘ちがいをしていた。長くなるが、引用。
◇ ◇ ◇
憲法は国家権力をしばるもの
憲法とは、簡単に言えば、その国の「法律の親分」のようなもの。一番上に憲法があって、その下にさまざまな法律が存在している、というイメージでしょうか。
でも、憲法は単に「法律の親分」ではないのです。法律は国民ひとりひとりが守るべきものですが、憲法は、その国の権力者が守るべきものだからです。
そもそも憲法は、国家権力を制限して、国民の自由と権利を保障するものです。
たとえばイギリスでは、17世紀、国王と議会がたびたび対立しました。国王が勝手なふるまいをして国民を苦しめることが多く、これに怒った議会のメンバーは、国王の力を制限する「権利の章典」を制定しました。これは「名誉革命」と呼ばれています。国王の力を、憲法のもとで制限してしまおうというものでした。「王様にだって、守るべきルールはある」というわけです。その後も、議会が国王と対立しながら、少しずつ国王の力を減らし、議会が力を持つようになりました。
このように、国家権力を制限する憲法にもとづいて政治を行うことを「立憲主義」といいます。
(中略)
憲法と法律の関係は、次のように区別することができるでしょう。
憲法は、国民が権力者に勝手なことをさせないように、その力をしばるもの。
法律は、世の中の秩序を維持するために、国民が守らなければならないもの。
◇ ◇ ◇
私は、「憲法は、私ら国民が守らなあかん決まりのいっちゃんきついやつ」だと思っていた。でもちがった。「憲法は、権力者が守らなあかん決まりのいっちゃんきついやつ」やったんや。
自民党関係者だけでなく、右翼と呼ばれる人の中にも「憲法96条改正反対」を訴える人が多いわけが分かった。「権力者が守らなあかん決まりのいっちゃんきついやつ」を時の権力者の都合で簡単に変えられるようにしたら・・・、そら恐ろしいことになる。
最近、国民全体の中でも憲法96条改正反対の割合が増えてきたのは、このあたりのことを理解する人が増えたからだろうと思う。
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【今日のきく】
明日、真樹が沖縄から帰ってくる。
きくとは、ゴールデンウイーク以来のご対面。3か月ぶりやねえ。
さあ、きくの反応やいかに。
楽しみ、楽しみ。
(バイト先のパソコンでは写真の取り込みがうまくできない。よって、今日はきくの写真なし。)
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2013年08月05日(月)
NAHAマラソン申し込み [ランニング]
今日8月5日は、「NAHAマラソン」の参加申し込み開始日。この大会は定員25000人だが、他の人気大会とちがって先着順。去年は開始2日でいっぱいになったらしい。
私は、去年の東京マラソン( 3時間28分44秒)を最後にフルマラソンを引退。もう、フルを走る気はない。しかし、今沖縄に住んでいる真樹が「フルマラソンを完走したい」と言う。今年2月の初フル「おきなわマラソン」で、29kmバス収容。この悔しさを覚えているうちに、ということだろうか。
本当は、真樹はかあちゃんと走りたいらしい。でも、一家の大黒柱である眞寿美さんはそうやすやすと仕事は休めない。ということで、またまたヒマジン・パオパオの登場。一応、真樹のサポーター役です。あんまり役には立たないかもしれんけど。
今日の朝9時、申し込み受付開始。私は9時45分くらいからパソコンに張り付いていたのだが、まったくつながらず。12時前にやっとつながり、真樹と私の申し込みがほぼ完了という寸前でパソコンが固まってしまった。これで一からやり直し。
その1時間後再びつながり、やっと2人分の申し込み完了(午後1時25分)。
あとは、真樹が本番に向けて自分で練習できるかどうかにかかっている。いっしょに住んでいればいろいろと誘ったりできるが、京都と沖縄ではどうしようもないし・・・。「21世紀の森ランクラブ」の比嘉さんたちが、また練習に誘ってくださったらありがたいんですが・・・。
「NAHAマラソン」といえば、一度だけ参加したことがある。もうずっと前のことだと思っていたが、計算したら25年前( 1988年)の第4回大会のようだ。
当時宝ヶ池で行われていた「スーパーウルトラマラソン・6時間走」の抽選会で、NAHAマラソンツアー1名分が当たった。それで、もう1名分実費を出し夫婦で行くことにした。
細かいことはよく覚えていないが、当時32歳の私は3時間20分くらい、当時26歳の眞寿美さんは5時間50分ちょっとで完走。私は自分のゴール後、コースを逆走し眞寿美さんを探しにいった。35kmすぎあたりで見つけ、そこからいっしょに走った。だから、合計55kmくらい走っているはずだ。
あのころは若くて馬力もあった。でも、今でも娘をサポートするくらいの力は残っているはず。
もう手続き完了したので、ごちゃごちゃ言わずとにかくがんばろう。
真樹もがんばってほしいなあ・・・。
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【RUN】
明日は午前10時45分からバイトで泊まり。あさっての昼1時ごろまで帰れない。連続25時間超の勤務。帰ってきてもクタクタで走れそうもない。
「今日、走っとかないと!」
3時すぎ、店まで650m。左足が痛くて走れない。
「こりゃいかん! 重症か?」
きくを連れて帰る道も、痛くてまともに走れなかった。
しばらくしてもう一度。
「シャトレーゼ」往復の4kmと思ってスタートしたが、足の痛みがまし。そこから叡電の下をくぐり、十王堂橋を越えた先の交差点で約2.5km。13分45秒。
折り返して家まで。4.98km、27分29秒(13分44秒)。このころはもう足の痛みはほとんどなかった。
このあとゆっくり2km。これで今日は合計8.3km。
新しいコースは走っていて楽しかった。また、気分転換にもなるし新しいコースを開発していこう。
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【今日のきく】
今日も夕立。大きな雷が落ちた。
きくはビビッて、体ブルブル。
こんな小さい箱に入りかけてました。
でも、雷がおさまったら元気元気。
「よかったね。」
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2013年08月04日(日)
京都走ろう会例会〜ヒザイター〜 [ランニング]
2週間前の例会に続き、今日も夫婦で参加。先週は京都走ろう会主催の「大文字山ランニング」だったので、3週連続で京都走ろう会のお世話になることになる。
ただしこのあと、私は例会には当分来れない。
8月18日 三瓶高原クロスカントリー
9月 1日 聖湖マラソン
9月15日 大江山登山マラソン
10月 6日 余呉湖健康マラソン
10月20日 舞鶴赤れんがハーフマラソン ( 出店交渉中)
11月 3日 京都丹波ロードレース
11月17日 中部トリムマラソン ( 真樹と私が走る予定)
12月 1日 NAHAマラソン ( 真樹と私が走る予定)
12月15日 びわ湖クロスカントリー
あらっ、私は今日が今年の最終?
「大文字山ですりむかはったんは、治りましたか」と岩井さん。
「まだ、こんなんですわ。なかなか治りません。」
見かけはひどく、何かに当たるとたしかに痛い。しかし、走るのにはそう影響はない。それより、左足が棒のようになってるのがねえ・・・。
駐車場から会場まで300mほど走ったあと、3.1kmコースをアップ代わりに。16分19秒。
京都走ろう会例会と賀茂川パートナーズの練習会は完全に重なる。前回は賀茂パーさんが少ないように見えたが、今回は盛況。
もう30℃を超えているけど、お互いにがんばりましょう。
今日は準備運動担当の八田さんがお休み。京都マスターズの記録会に行かれているようだ。
5kmのスタート地点に行ってビックリ!
なんと、私を含めて21名。伴走してくださる役員さんを入れると、みんなで25名ほど。この京都の暑い時期に、これだけの人が集まるだけでもすごいこと。
10時10分ごろスタート。
スタートしていきなり私の前に5人。
「ありゃりゃ?」
昨日走りすぎたこと。今日もアップをしすぎ。それに、頼りにしていたGPS腕時計がバッテリー切れで役に立たず。というか、とりあえず今日は調子よくなかった。
前回3.1km12分46秒から、今日の5kmは21分半くらいで行こうと目標を立てていた。でも、前を行く5人とは離れていくばかり。
「ありゃりゃー。」
対岸を疾走するヨメさんの姿を撮ったり・・・。
行き過ぎてから戻って、橋の下でくつろぐネコちゃんの写真を撮ったり・・・。
いつも北山大橋西詰に立ってくださっている塚本さんも、今日はお休み。たぶん、京都マスターズ記録会の役員さんとして行かれているのでしょう。
いつも、ここから下りをがんばるのに力が入らず。古澤さんに追いつかれ、すっと抜かれてついていけず。ゴールでは大差がついてしまった。
私のゴールは22分50秒。目標より1分20秒も遅れ。21人中の7番目。
「ぜんぜん、あきません。」
あとはいつもどおり仲間の写真撮り。
「保坂さん、キロ5分ペースで走るように頼んどいたのにー。速すぎますやん。」
「ほんまやねー。」
「京都キャロット」のお得意様・Kさん。
「保坂さんがキロ5分ペースで行かはるし、ついて行かはったらいいですわ」と言っておいた。
しかし、保坂さんは調子がよかったのか23分半くらいでゴール。
でも、そのすぐあとにKさん。
そうとうがんばられた様子。24分ちょっとでゴール。
ほんとうにお疲れ様でした。
ヨメさんは、5km36分08秒。もうちょいで35分台。
ずっと平田さんとしゃべりながら走ったらしい。この暑い中、一人ではなかなか走る気がわいてこない。みんなでわいわい言いながら走ると楽。そんな思いで、みなさん集まってこられるのかもしれない。
私は当分例会には来られませんが、京都走ろう会のことはこれからもあちこちで宣伝しておきます。「気軽に楽しく走れる例会を開催されてますよ」と。
今日は、3.4+5+1.5で合計9.9km。
出町商店街で買い物をして帰宅。
一つのお店で1000円以上の買い物をすれば、駐車場30分無料券がもらえる。これならまた来てもいいね。
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2013年08月03日(土)
宝ヶ池インターバル復活 [ランニング]
今日も一日何もせず。
足の具合がましなような気がしたので、久しぶりに宝ヶ池まで走りに行くことにした。
夕方5時、家出発。
宝ヶ池のジョギング起点まで約3.1km、17分38秒。
やっぱり、右足1、左足0.7くらいの感じで走っている。左足は一本の棒になっているような感じ。これが、ちょっとずつでもましになっいってくれたらいいのだけれど・・・。
さあ1000mインターバル。ほんまに久しぶりじゃー。
宝ヶ池1周は1500mで、200mごとに標識がある。それを使って、1000m全力走+100m歩き+400mジョグのインターバル。
1本目、4分01秒。 100m歩き+400mジョグで4分くらい。
2本目、3分58秒。 上に同じ。
3本目、3分59秒。 上に同じ。
冬場に比べたらだいぶ遅いが、まあまあ最低限は行けたかな。
今日は暑さもましなような気がした。
宝ヶ池周回は砂利もあり、決して走りやすいとは言えない。でも、道幅が広いので散歩の方を気にすることもない。
また、ここでの練習も増やしていきたい。
帰り3.1kmは、20分54秒。
このあと、店往復1.3km。ヨメさんときくとは入れ替わりになってしまった。
今日は、3.1+1.5×3+3.1+1.3で合計12km。これくらいなら足はだいじょうぶそう。
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2013年08月02日(金)
やせがまんの国で9条を背負って生きていく [時事]
◎朝日新聞7月25日朝刊・あすを探る
9条の国、誇り高き痩せ我慢 森 達也
アメリカでは銃の誤射や乱射事件が起きるたびに、銃規制についての議論が高まるが、結局は尻すぼみとなってまた事件が起きる。
昨年12月にコネティカット州の小学校で児童ら26人が殺害されたとき、全米ライフル協会(NRA)の副会長は記者会見で、「銃を所持した悪人の行為を止められるのは、銃を持った善人だけだ」と述べて銃規制に反対し、アメリカ全土では銃の売り上げが急増したという。
アメリカの銃社会をテーマとしたドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』でマイケル・ムーアは、黒人や先住民族を加虐してきた建国の歴史があるからこそ、アメリカ市民は銃を手放せないのだと主張した。報復が怖いからだ。つまり銃を手もとに置く人は勇敢なのではない。臆病なのだ。
こうしてアメリカの正義が発動し、正当防衛の概念が拡大する。丸腰の高校生を射殺した自警団男性の正当防衛が認められて、無罪評決になったことは記憶に新しい。
NRAの主張に同意する日本人は少ないだろう。頭の回路がどうかしていると思う人もいるはずだ。でも実のところこの思想と論理は、世界のスタンダードでもある。
核兵器や軍隊の存在理由だ。
我が国の軍隊は、他国に侵略する意図などない。でも悪い国が軍隊を持っている。だから攻められたときのために、国家は軍隊を常備しなくてはならない。つまり抑止力。理屈はNRAとまったく変わらない。
こうして誤射や過剰防衛が起き、それをきっかけに戦争が始まる。人類はそんな歴史を繰り返している。
しかし第2次世界大戦後にこの国は、新しい憲法で武力放棄を宣言した。その憲法が公布される前の衆院本会議で共産党の野坂参三議員が、「侵略の戦争は正しくないが自国を守るための戦争は正しいのでは?」との趣旨で質問し、これに対して吉田茂首相は、「正当防衛や国家の防衛権による戦争を認めるということが結局は戦争を誘発する」との趣旨で答弁した。記録ではこのとき議事堂では、与野党を超えた議員の大きな拍手が響いたという。
もちろん日本の背後には、世界最強の軍隊と大きな核の傘を持つアメリカがいた。だから不安や恐怖を押し殺して痩せ我慢ができた。極論すれば憲法9条の1項は、すべての国に共通する理念でもある。でも現行憲法には、軍事力と交戦権を放棄することを宣言した2項がある。アメリカに軍事的に庇護される国は数多いが、ここまでラディカルな宣言をした国はない。
その後に冷戦の時代が幕を開ける。ご近所はすべて銃を持っている。でも暴力に対して暴力の抑止は成り立たない。自衛の意識が戦争を起こすのだ。だから我が家は銃を持たないと決めた。アメリカからは何度も改正を要求されながらも、結果として日本は9条を60余年間にわたって守り抜いた。いろいろ妥協もしたけれど直接的な戦争には一度も参加せず、国民総生産(GNP)世界第2位を達成した。
改憲派は平和ボケなどと嘲笑するけれど、9条は抑止論にとらわれた世界への、とてもラディカルな提言となっている。スペインのグランカナリア島には、9条の碑が設置されている。戦争地域ではよく、「日本は9条の国だ」と話しかけられる。世界に対して日本は、身をもって稀有な実例を示し続けている。
この街から銃が消える日はまだ遠い。でもこの精神だけは手放さない。誰もが銃を持たない社会。その実現のために、我が家は街で最初に銃を捨てる宣言をした。怖いけれど高望みを維持し続けてきた。
自衛隊を軍隊にして誇りを取り戻そうと言う人がいる。意味がわからない。他の国と同じで何が誇らしいのだろう。不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う。
( もり・たつや 1956年生まれ。映画監督・作家。明治大特任教授。近著に『虚実亭日乗』)
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今日も昨日と同じ、寮の管理人代理のバイト。午前10時45分に家を出て、帰ってくるのは夜の12時前。また昼すぎの3時間ほどがヒマ。
先週の朝日新聞にすごくいい記事があったのだが、朝日新聞のデジタル版は有料でコピーできない。「せっかく多くの人に紹介しようと思ってんのに、ケチか!」とぼやきながら、「今日は指一本の長文手打ちに挑戦してみるか」とまで思っていた。でもいろいろ探していると・・・、ありました。ある人のブログに全文紹介。無断転載させていただきました。
何度読んでも、たいへんわかりやすいいい主張だ。
「この街から銃が消える日はまだ遠い。でもこの精神だけは手放さない。誰もが銃を持たない社会。その実現のために、我が家は街で最初に銃を捨てる宣言をした。怖いけれど高望みを維持し続けてきた。」
私が「平和・憲法九条」のぼりランをしているとき、「何をしているの?」とよく聞かれる。これからはこう答えよう。
「誰もが武器を持たない社会を実現するために、怖くてもやせがまんする人を増やそうと思って!」
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