2011年12月23日(金)
2011万博クロスカントリー [ランニング・出張販売]
「あさひさーん!」
「もうちょっとやね。」
10kmの部のだいぶ後ろのほう、やっと朝日さんが帰ってこられた。朝日さんは地元も地元。吹田市のご自宅からすぐ近くのこの大会には毎年出場しておられる。
私は今年は5kmの部に出場したので、10kmの部の朝日さんの応援がたっぷりとできた。
朝5時半過ぎ、自宅発。
天気予報では雪の可能性があったが、意外とそんなに寒くはなかった。
会場に着いたのは6時45分ころ。まだ薄暗い。
今日は廉がついてきてくれたので、出店準備もスムーズにできた。
朝からごあいさつに来てくださったのは、「ランナーズ9の会」のかわせみさん、「淀川ランナーズ」の朝日啓介さん、それにお母さんが「パオパオだより」ファンとおっしゃってくださっているムセンビさんご一家。
9時25分。
この大会のハイライト(?)、箕面自由学園のチアリーディングを見に行かなくては。
このすばらしい演技を見てしまうと、もう大会の半分以上が終わってしまったようで・・・。
いやいや、ここから。
今日は、舗装、芝生、石畳と走りにくい5kmだが、キロ4分15秒ペースをめざしてがんばろう。
店はヨメさんとミズノの社員さんに任せ、私と廉はウォーミングアップに(廉は10kmに出場)。
2km以上ジョギング。
「京都キャロット」の出店場所はちょうど日陰で、風がピューピュー。ところが、日の当たっているところを走ると意外と暖かい。
これで、ウェアを長ソデから半ソデに変更。
ヨメさんは、今日はサンタバージョン。
と言うより、だるまさん?
「かあちゃん、やめてやめて」の世界かな。
10、5、3のすべてのコースが、陸上競技場をスタートして、連絡橋を渡り、万博公園の中を走り戻ってくる。
中学生女子のトップは、高松望ムセンビさん。
3分前にスタートしている高校生女子を次々と抜いてゴールへ。速すぎて、写真を撮るのもたいへん。
今日の朝1年ぶりにごあいさつしたのだが、一段とかわいくなっていた。もちろんランニングフォームもすばらしいし。走っている姿を眺めているだけで、なぜか胸がすっとする。
「いやー、かわいらしいワンちゃん。」
「ワン、ワン。」
「お名前は?」
「ワン、ワン。」
「ミルです。」
「ミルちゃん、メスですね。」
「ワン、ワン。」
「そうです。」
「歳は?」
「ワン、ワン。」
「11歳です。」
「いやー、わこ見えますやん。」
「ワン、ワン。」
「そうですかー。」
「ちょっとさわらしてもらおっかなー。」
「ワン、ワン。」
「なにおこってんのー。」
「ワン、ワン。」
「種類はなんですか。」
「ワン、ワン。」
「さー、何でしょうね。ミックスやから・・・。」
「ワン、ワン。」
ずっとほえられっぱなしでした。
11時、いよいよ5kmのスタート。
今日の目標もキロ4分15秒ペース。ということは、ゴール21分15秒。
今日はあわてていて家に時計を忘れてきてしまった。時計がないと、段取りがうまくいかなくて困る。
スタートより1km地点で横を走っている人に聞いた。
「何分ですか。」
「4分ちょうどです。」
おー、けっこうがんばってるやん。
中間点でも横を走っている人に聞いてみる。
「今、どれくらいですか。」
「10分半です。」
おー、キロ4分15秒を切っている。
21分15秒、行けるかも・・・。
そのまま途中経過も分からないままゴール。
さあ、これはタイムが楽しみ・・・。
もらった記録証は・・・。
「22分19秒? 後半11分49秒もかかったん?」
キロ4分15秒ペースは、またもや幻に。
でも、40歳以上男子の部で19位やから、そこそこがんばったと言えるかな。
後で調べたら、2年前の10kmが53分18秒もかかっていた(去年はレース不出場)。2で割ったら26分39秒やもんね。そう思ったら、やっぱり今年はスピードアップできている。
今日はランシャツランパンも忘れてしまい、ウルトラを走るときのようなウェアで。
「ミズノ杯」と冠がついているので、それに敬意を表し、ゲイターとソックスはミズノ製で。
次は10kmの写真撮影。
ウォーミングアップ中のかわせみさんに出くわしたので、1枚パチリ。
こちらも恒例のサンタバンド。
メンバーのの中に子どものような小さな人がいてびっくり。いったいどこから来られているんでしょう。
競技場を出たところで、廉の写真を撮ろうとスタンバイ。
先頭争いをしているのは、廉の練習仲間・京都工繊大の久本君。
そして、ムセンビさん。ムセンビさんは、招待選手だった。
「第3回長野マラソンの優勝者で、5000m13分47秒7、マラソン2時間12分12秒・・・」
固まってきたので、けっきょく廉は見つからなかった。
後ろのほうに朝日さん発見。
とっさにシャッターを押した。何とか後姿を撮ることができた。
10kmトップは・・・。
「優勝を狙う」と宣言していたらしい久本君。
ステルス戦闘機のような独特のランニングフォーム。
これで、ダントツで帰ってくるのだから不思議。
5、6番目くらいで、ムセンビさん。
「ムセンビさーん!」と声をかけると、ニッコリとして手を振ってくださった。
そこからだいぶ離れて廉。
今日はあまり調子はよくなかったらしい。
35分24秒で18位。
これでも去年より1分ほどタイムを縮めているはず。
朝日さんの応援に公園の入り口まで。
いつも思うのだが、朝日さんはフォームがきれいで力強い。「いいお手本」とはこのこと。
後片付けが終わり、近くの「スシロー」へ。
もう4時近く。すっごい遅い昼ごはん。中途半端な時間だったので、がらがらだった。
ヨメさんが最初に取ったのは、「牛塩カルビ」。
廉に、「それ、おすしちゃうやろう」と突っ込まれていた。
さすが、肉食系女子です。
一人留守番している真樹におすしのおみやげ。
またみんなで「いらっしゃい」(出張販売)に行けたらいいね。
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2011年12月22日(木)
まっちゃんのお兄さんのお味噌は日本一 [私の好きな人]
兵庫「ゆめさき舎」のまっちゃんが、お味噌と絵馬を送ってきてくださった。
まっちゃんとは、「ランナーズ9の会」を通して知り合った。最初に声をかけてくれたのはまっちゃんから。そのとき、知的障害者の共同作業所を運営されていることを知った。それ以来、何度か「ゆめさき舎」におじゃまさせもらっている。
先日は、共通点の多い仕事をされている沖縄の智君との仲を取り持つこともできた。私の生きる道はこれやね。自分自身は空っぽな人間やけど、いろいろな引き出しを持っていて、いざとなればいろんな物(人)を出すことができる。これで行こう!
まっちゃんにお礼の電話をした。
いっぱいしゃべったが主なものは以下のとおり。
?まっちゃんお兄さん特製のの日本一うまいお味噌のこと。
ほんまにうまいんです、このお味噌。このお味噌に出会うまでは「たたらぎダム湖マラソン」で売っているお味噌が一番おいしいと思っていた。でも、このお味噌は「たたらぎ」を超えた。
ただしうちの毒嫁によると、「こうじさんのお母さんが作ってたお味噌に似てるだけとちゃうん。」
ふーん、そうなんやろか。20年前に亡くなった母の料理の記憶などほとんどない。茶碗蒸しがおいしかったことくらいか。自分の記憶にもない味噌の味を、いまだに舌が覚えているとしたらすごい。
?「ゆめさき舎」の現況。
今年は一度も「ゆめさき舎」に訪問させてもらっていない。『ゆめさき舎」のやっている日を聞いてみると、12月は29日まで。月8日の休みと決まっているらしく、正月4日休むとあとは4日しか休めない。本当に大変な仕事だ。
メンバーを聞いて見ると、1年前と同じだった。年内は難しいかもしれませんが、必ずまたおじゃまします。
今日は忘年会やったってねー。参加したかったなー。
?まっちゃんのランニングライフについて。
首の調子が悪いままらしい。「何の根拠もないけど、来年サブスリー達成します。」
単なるアホですね、まっちゃんは。
?まっちゃんのいとこの子、神奈川大の赤松宏樹選手のこと。
箱根駅伝特集の雑誌によると、赤松選手は1年なのに1区に起用される予想。すごいじゃないですか。「将来のエース候補」とも書いてあった。
まっちゃんのお父さんの弟の孫だそうです。いとこの子に負けてられんでー。まっちゃんもきばらんかい。
?私のランニングライフについて。
「ボクもサブスリーめざしてがんばるし、藤井さんもハーフ1時間半切り達成してくださいね。」
「あー・・・。速くなるような練習してたらええんやけど、毎日5kmほどちんたらと走ってるだけやしねえ・・・。」
?ブログ「パオパオだより」について
まっちゃんは、必ず「パオパオだより」の直近の記事について感想を言ってくださる。これはありがたい。今回は、12月14日の「90歳の野心」と12月20日の「きづな?」。
「きづな?」について。
「語源までさかのぼって考えるって、なかなか思いつかないですねえ」とまっちゃん。
「何でもかんでもはやりですわ。そこで、『ほんまにこれでいいんですか』と言ってくくれる人もおらんかったら、みんな大阪になってしまいますやん」と私。
「ほんま、ほんま。」
日本中が大阪化してしまったら、ほんまにおしまいです。
まっちゃん。
体は小さいけど、心は太平洋。
うちの中では「ちっちゃいオッサン」でとおってるけど、私は信頼し敬服しています。
うちの毒嫁はいつも言っています。
「口ばっかりで何の役にも立ってへんアンタとちがって、まっちゃんは体をはって弱い立場の人のためにがんばってはんなあ。」
「そのとーり!」
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2011年12月21日(水)
「えー、そんなんできるんですか」 [家族]
「2学期の通知簿な、1学期より11教科合計で10ポイント上がったわ」と真樹。
「えー、そんなんできるんですか」と私。 ( ここは、吉本新喜劇の内場君ふうに。)
「さすがかあちゃんに似てかしこい子やなあ」とヨメさん。
「また、私一人で生んで私一人で育てた子やゆうんか」と私。
今日は2学期最終日。( 真樹の高校は3学期制。)
5段階の成績発表をメモして帰ってきた。1学期はちょっとさびしい結果だったが、2月期は一挙に平均1ポイントもアップ。「5」も2教科でゲット!
すごい!
ほんまに、「こんなことできるんですか」の世界です。
これだけ上げるとさらにというのは難しいが、3学期もしっかり!
ついでなんでおもしろい昔話を。
私は、中学まで学年10数人のいなかの学校。通知簿はほとんど5で4が2つほど。つまり、平均4.8くらい。自分のことを天才少年だと思い込んでいた。
高校は京都府立洛北高校。初めてもらった通知簿は、ほとんど3で2が2つ。つまり、平均2.8。一挙に平均2ポイントダウン。
「なんやー、天才どころか普通以下かーい!」
これは笑うしかなかった。
このあとちょっとは盛り返したが、高校卒業まで通知簿の平均が3.5を超えることはなかった。特に、それまでずっと得意だった数学が高校では最後まで2だった。これはきつかったなあ。
そんな父親から、数学が超得意な廉が生まれたり、5をぺロっと取ってしまう真樹が生まれたということは、ヨメさんが言うように「私一人で生んで私一人で育てた」のはほんまかも。
なんにしても、楽しそうな真樹の姿を見ているとこっちまでうれしくなる。
塾や家庭教師の力をまったく借りずに、一人でようがんばったね。
「ええぞー、その調子で行けー。」
三人でお昼を食べたあと、おばあちゃん(ヨメさんのお母さん)のお見舞いに。
入院直後は集中治療室で酸素吸入器をつけていたとのこと。かなり大変だったららしい。今日でちょうど入院10日目。
病室に入ると、やっぱり元気がなかった。しかし、徐々に本来の元気が復活。娘が見舞いに来てくれるとうれしいんですよねー。おばあちゃんの目がキラキラしていたのでだいじょうぶ。
でも、私たちが病室を去るときはさすがにさびしそうだった。
「また、来ますね。」
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【RUN】
上がらない左足をかばって変な走り方をしていたのか、右足のヒザの内側が痛くなってきた。特に、日曜の「」びわ湖クロスカントリー」で悪化。月、火とランニングは休養した。
今日はゆっくりと5kmコース。
走り始めは痛かったが、しばらくすると痛みがましになった。
行き14分42秒、帰り14分25秒で29分07秒。
ゆっくりでも走れたのでいい。これからは右足ヒザと左足の付け根の両方を気づかいながら走らなくてはならない。
「うーん・・・。」
※ テスト期間中休眠状態だった真樹の「にょんにっき」が、久々の更新。見てやってください。
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2011年12月20日(火)
きづな? [時事]
◎毎日新聞12月11日朝刊 「時代の風」より
時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環
◇自由な個人の連帯こそ
3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。
確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。
しかし、疑問もないわけではない。広辞苑によれば「絆」には「(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)」という二つの意味がある。
語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。だから「絆」のもう一つの読みである「ほだし」になると、はっきり「人の身体の自由を束縛するもの」(基本古語辞典、大修館)という意味になる。
訓詁学(くんこがく)的な話がしたいわけではない。しかし被災後に流行する言葉として、「縁」や「連帯」ではなく「絆」が無意識に選ばれたことには、なにかしら象徴的な意味があるように思われるのだ。
おそらく「絆」には、二つのとらえ方がある。家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの。個人がそうした「いとおしい束縛」に対して抱く感情を「絆」と呼ぶのなら、これほど大切な言葉もない。
しかし「ピンチはチャンス」とばかりに大声で連呼される「絆を深めよう」については、少なからず違和感を覚えてしまう。絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。
つながりとしての絆は優しく温かい。利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。しかし、しがらみとしての絆はどうか。それはしばしばわずらわしく、うっとうしい「空気」のように個人を束縛し支配する。たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。
もちろん危機に際して第一に頼りになるものは絆である。その点に異論はない。しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないか。
絆は基本的にプライベートな「人」や「場所」などとの関係性を意味しており、パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。つまり絆に注目しすぎると、「世間」は見えても「社会」は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。これを仮に「絆バイアス」と名付けよう。
絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。たとえ社会やシステムに不満があっても、「社会とはそういうものだ」という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。そう、私には絆という言葉が、どうしようもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのだ。
それは現場で黙々と復興にいそしむ人々を強力に支えるだろう。しかし社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。
なかでも最大の問題は「弱者保護」である。絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。
かつて精神障害者は私宅監置にゆだねられ、高齢者の介護が全面的に家族に任された。いま高年齢化する「ひきこもり」もまた、高齢化した両親との絆に依存せざるを得ない状況がある。そして被災した人々もまた。
さらに問題の射程を広げてみよう。
カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインが提唱する「ショック・ドクトリン」という言葉がある。災害便乗資本主義、などと訳されるが、要するに大惨事につけ込んでなされる過激な市場原理主義改革のことだ。日本では阪神淡路大震災以降になされた橋本(龍太郎)構造改革がこれにあたるとされ、さきごろ大阪市長選で当選した橋下徹氏の政策も、そのように呼ばれることがある。
人々が絆によって結ばれる状況は、この種の改革とたいへん相性が良い。政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。
もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の「連帯」のほうに、未来を賭けてみたいと考えている。=毎週日曜日に掲載
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「絆」という言葉がよく使われるようになった時、自分なりに語源を考えてみた。「傷をなめあう仲」から来たんかなと思ったり・・・。それほど、「きずな」と「きず」は近い関係にあるのだと勝手に思い込んでいた。その「きずな」という言葉を聞くたびに「きず」を連想してしまって、痛い感じがしてあまり好きな言葉ではなかった。
話はぐーんとそれるが、小柳ゆきの名曲「あなたのキスを数えましょう」を知っておられますか。私は、「キス」のところをずっと「きず」だと思い込んで口ずさんでいました。「あなたのキズをかぞえましょう・・・、ああなんて痛々しい名曲なんやろう」と感慨にふけりながら・・・。アホでしょ。
でも、「絆」は辞書によると「動物をつなぎとめる綱」からきた言葉だそうだ。そうか、「木につなぐ綱」なんか。(それなら、もともとは読み仮名は「きづな」だったのだろうか。)そういう意味やったから、この言葉が好きになれへんにゃね。
20000パーセントの強制はまっぴらごめん。
私は協調性0パーセントに近い人間です。
「絆、絆」と言う人は、綱につながれたまま死んでいった動物のことも思い出してほしい。
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2011年12月19日(月)
第23回全日本びわ湖クロスカントリー・続き [ランニング・出張販売]
真樹の中学時代の同級生・あーちゃんのお父さんが写真を撮ってくださった。
顔に余裕が感じられるので、1周目かな。
あーちゃんのお父さんは私の写真を撮ったのでメモリーの容量がなくなり、私のあとに走っていたあーちゃん(女子4000mに出場)が撮れなかったらしい。お母さんはお母さんで、うちのヨメさんとしゃべりすぎて、あーちゃんのレースを見過ごしたそうだ。なかなか楽しいご両親です。
12時過ぎ食堂に入ったら、たまたまあーちゃんのお父さんも入ってこられた。
私は肉うどん(460円)、あーちゃんのお父さんはカレー。食事をしながらいろいろな話をした。
あーちゃんのお父さんは高校のとき陸上部。
「普通に走ったら負ける相手でも、ハードルやったらそこそこ」とか。てっきり長距離をやっておられたのだと思っていたので意外。
今もフルマラソンを走ってみたいという気持ちは捨てておられないそうだ。ただ、股関節炎のためお医者さんから走るのは止められているそうだ。
そこで私は、水中歩行のトレーニングとホノルルマラソンを勧めておいた。水中歩行は関節などへに負担が少ないし、ホノルルマラソンは心臓病のリハビリを目的としてスタートしたと聞いたことがある。
「いっしょにホノルルいきますか?」
※本日(2012年1月16日)、あーちゃんからメールあり。
「記事の訂正お願いします。うちのお父さんは、おっちゃんの思っておられる通り長距離選手です。5000mでしたが、途中から3000m障害にうつりましたー」
そうやったんかいな。それやったら、3000m障害の練習方法とか、もっとよく聞いといたらよかった・・・。
スタート前に声をかけてくださり、ゴールでも声をかけてくださった林さん。約束どおりお買い物に来てくださった。せっかくきてくださったので記念撮影。奥様にいやがられるかなと思ったが、きっとダンナさんが普段からうちの店のことをよく話して下さっているのだろう。よかった。
先日の奈良マラソンで奥様がフルマラソンデビュー。ダンナさんはそのサポートとして走られたそうだ。
奥様の話。
「最後は泣きました。」
「鹿が横断するところがあるんですよ。」
「きつい上り坂が何箇所もありました。」
厳しい初マラソンだったようだが、ダンナさんが横についていてくださったので心強かったしょう。
それにしても、「鹿が横切るマラソン」というだけで特色あるいい大会だと思います。また京都マラソン負けてしもたなあ。
1部男子8000mの優勝は、京都産大の野田一貴選手。
これは、写真を撮りに行かねば。
野田選手は、「京都キャロット」のお得意様。
うちのヨメさんのひいきです。
最初は何人かと先頭争いをしていたが、最後は5秒差でゴール。一流選手の5秒差というのは大差です。
「立派!」
競技性の高い大会だが、盛り上げ役として滋賀のゆるきゃらさんたちも参加してくれています。ほっこりしていいですね。
さあ、次は中学男子の3000m。
このレースに、私の甥の子「陸」が出る。今中2。
朝、「こうじおっちゃん・・・」とあいさつしに来た。去年より一回り体がしっかりしたように感じた。
「りくーゆうて、大声で応援するし、はずかしがりや。」
「へへへ・・・。」
何回か、「りくー」と大声を出すことができた。聞こえたかなあ。
陸は最後まで力強い走りだった。
身内に陸上をやっている子がいると応援のしがいがある。
去年までは全選手の記録がはり出されたのだが、今年は10位まで。その代わり、個人の記録証がすぐ出るようになった。
記録証をもらいに行くと、そのお隣りが救護所だった。
滋賀マスターズの阪下美雪さんが係としてスタンバイしておられた。お話をお聞きすると、運ばれたのは3人。
一人は私と同じレースに出ていた高校生男子。何かにつまづいてすねを強打したようだった。ねんのため病院に行ったがたいしたことはなかったとのこと。
もう一人も男子。その子は手首を骨折したようで大きく腫れていたそうだ。もちろん病院行き。
もう一人は女子。過呼吸で運ばれたそうだ。その子はしばらく横になっていたら普通に戻ったそうだ。
今日の「京都キャロット」のお客様はほとんどが中高校生。なけなしの小銭を出して1000円のグローブを買っている姿はほほえましかった。
カードになんか頼って生きる人生は送るなよー。今持っているお金で買えるものを、いつまでも大事に大事に使っていくような選手であってほしいなあ・・・。
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2011年12月18日(日)
第23回全日本びわ湖クロスカントリー [ランニング・出張販売]
「いつもブログ見せてもらってます。」
「あっ、ありがとうございます。」
「走った後、毎年キャロットさんで買わせてもらってます。」
「それはそれは、ありがとうございます。」
「今日は34分をねらっておられるんですよね。」
「そうなんですよ。でも去年の記録を見返したら、36分半ほどかかってるんですよ。ちょっと欲張りすぎたかなとも思ったんですけど、目標は高いほうがいいでしょ。」
スタート地点で声をかけていただいた。
三重の林尚樹さん。ありがとうございます。あなたのおかげで、「よし、がんばろう」と気持ちをひきしめることができました。
静原、大原、途中越え、びわ湖大橋経由で希望が丘へ。
大原では−4℃。びわ湖大橋でやっと2℃だった。
7時20分、希望が丘到着。
心配していた天気はだいじょうぶ。ただ、風がきつくて寒い。
9時20分から、ウォーミングアップを兼ねてコースの試走。
1000m地点を過ぎてしばらくいくと、藪の中コース。
この大会はちょっと変わっていて、陸連登録の部より未登録の部のコースのほうがきつい。
芝生から外れたコースは、落ち葉あり、木の根っこあり、坂ありでたいへん。
広いグランドの中も走る。
橋を渡れば元の芝生。
これで3kmほどウォーミングアップ。
体がまったく動かない。体全体がどーんと重たい感じ。
体が冷えきっているようだ。よって、今日のレースは長ソデTシャツで走ることにした。
さて10時20分からは、私が出場する2部8000m。
なんとか1周目を17分で。
1000m、 4分21秒。あらら、早くも目標の4分15秒ペースをオーバー。
2000m、 8分52秒(4分31秒)。
3000m、13分18秒(4分25秒)。
4000m、17分40秒(4分21秒)。後半の落ちこみを最小限に!
5000m、22分22秒(4分42秒)。あかん、もちなおせ。
6000m、27分06秒(4分43秒)。だっめー。
7000m、31分41秒(4分34秒)。
8000m、35分54秒(4分12秒)。応援の声で息を吹き返す。
34分めざして、結果は2分ほど遅れ。甘かった。
でも、ゴール前400mほどのところで、マスターズ陸上で知り合った川村さん、京都ランナーズの中山君のお母さん、真樹の中学時代の同級生・あーちゃんのお父さんの応援の声が聞こえた。そしたら、なんと最後の1000mは一番いいスプリットタイムに。応援の声は本当にありがたい。
目標には全然届かなかったが、去年より40秒以上縮めたのと、最後にスピードアップができたので良しとしよう。
(注)まだまだ、続きます。
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