2011年12月20日(火)
きづな? [時事]
◎毎日新聞12月11日朝刊 「時代の風」より
時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環
◇自由な個人の連帯こそ
3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。
確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。
しかし、疑問もないわけではない。広辞苑によれば「絆」には「(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)」という二つの意味がある。
語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。だから「絆」のもう一つの読みである「ほだし」になると、はっきり「人の身体の自由を束縛するもの」(基本古語辞典、大修館)という意味になる。
訓詁学(くんこがく)的な話がしたいわけではない。しかし被災後に流行する言葉として、「縁」や「連帯」ではなく「絆」が無意識に選ばれたことには、なにかしら象徴的な意味があるように思われるのだ。
おそらく「絆」には、二つのとらえ方がある。家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの。個人がそうした「いとおしい束縛」に対して抱く感情を「絆」と呼ぶのなら、これほど大切な言葉もない。
しかし「ピンチはチャンス」とばかりに大声で連呼される「絆を深めよう」については、少なからず違和感を覚えてしまう。絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。
つながりとしての絆は優しく温かい。利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。しかし、しがらみとしての絆はどうか。それはしばしばわずらわしく、うっとうしい「空気」のように個人を束縛し支配する。たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。
もちろん危機に際して第一に頼りになるものは絆である。その点に異論はない。しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないか。
絆は基本的にプライベートな「人」や「場所」などとの関係性を意味しており、パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。つまり絆に注目しすぎると、「世間」は見えても「社会」は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。これを仮に「絆バイアス」と名付けよう。
絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。たとえ社会やシステムに不満があっても、「社会とはそういうものだ」という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。そう、私には絆という言葉が、どうしようもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのだ。
それは現場で黙々と復興にいそしむ人々を強力に支えるだろう。しかし社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。
なかでも最大の問題は「弱者保護」である。絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。
かつて精神障害者は私宅監置にゆだねられ、高齢者の介護が全面的に家族に任された。いま高年齢化する「ひきこもり」もまた、高齢化した両親との絆に依存せざるを得ない状況がある。そして被災した人々もまた。
さらに問題の射程を広げてみよう。
カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインが提唱する「ショック・ドクトリン」という言葉がある。災害便乗資本主義、などと訳されるが、要するに大惨事につけ込んでなされる過激な市場原理主義改革のことだ。日本では阪神淡路大震災以降になされた橋本(龍太郎)構造改革がこれにあたるとされ、さきごろ大阪市長選で当選した橋下徹氏の政策も、そのように呼ばれることがある。
人々が絆によって結ばれる状況は、この種の改革とたいへん相性が良い。政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。
もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の「連帯」のほうに、未来を賭けてみたいと考えている。=毎週日曜日に掲載
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「絆」という言葉がよく使われるようになった時、自分なりに語源を考えてみた。「傷をなめあう仲」から来たんかなと思ったり・・・。それほど、「きずな」と「きず」は近い関係にあるのだと勝手に思い込んでいた。その「きずな」という言葉を聞くたびに「きず」を連想してしまって、痛い感じがしてあまり好きな言葉ではなかった。
話はぐーんとそれるが、小柳ゆきの名曲「あなたのキスを数えましょう」を知っておられますか。私は、「キス」のところをずっと「きず」だと思い込んで口ずさんでいました。「あなたのキズをかぞえましょう・・・、ああなんて痛々しい名曲なんやろう」と感慨にふけりながら・・・。アホでしょ。
でも、「絆」は辞書によると「動物をつなぎとめる綱」からきた言葉だそうだ。そうか、「木につなぐ綱」なんか。(それなら、もともとは読み仮名は「きづな」だったのだろうか。)そういう意味やったから、この言葉が好きになれへんにゃね。
20000パーセントの強制はまっぴらごめん。
私は協調性0パーセントに近い人間です。
「絆、絆」と言う人は、綱につながれたまま死んでいった動物のことも思い出してほしい。
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2011年12月19日(月)
第23回全日本びわ湖クロスカントリー・続き [ランニング・出張販売]
真樹の中学時代の同級生・あーちゃんのお父さんが写真を撮ってくださった。
顔に余裕が感じられるので、1周目かな。
あーちゃんのお父さんは私の写真を撮ったのでメモリーの容量がなくなり、私のあとに走っていたあーちゃん(女子4000mに出場)が撮れなかったらしい。お母さんはお母さんで、うちのヨメさんとしゃべりすぎて、あーちゃんのレースを見過ごしたそうだ。なかなか楽しいご両親です。
12時過ぎ食堂に入ったら、たまたまあーちゃんのお父さんも入ってこられた。
私は肉うどん(460円)、あーちゃんのお父さんはカレー。食事をしながらいろいろな話をした。
あーちゃんのお父さんは高校のとき陸上部。
「普通に走ったら負ける相手でも、ハードルやったらそこそこ」とか。てっきり長距離をやっておられたのだと思っていたので意外。
今もフルマラソンを走ってみたいという気持ちは捨てておられないそうだ。ただ、股関節炎のためお医者さんから走るのは止められているそうだ。
そこで私は、水中歩行のトレーニングとホノルルマラソンを勧めておいた。水中歩行は関節などへに負担が少ないし、ホノルルマラソンは心臓病のリハビリを目的としてスタートしたと聞いたことがある。
「いっしょにホノルルいきますか?」
※本日(2012年1月16日)、あーちゃんからメールあり。
「記事の訂正お願いします。うちのお父さんは、おっちゃんの思っておられる通り長距離選手です。5000mでしたが、途中から3000m障害にうつりましたー」
そうやったんかいな。それやったら、3000m障害の練習方法とか、もっとよく聞いといたらよかった・・・。
スタート前に声をかけてくださり、ゴールでも声をかけてくださった林さん。約束どおりお買い物に来てくださった。せっかくきてくださったので記念撮影。奥様にいやがられるかなと思ったが、きっとダンナさんが普段からうちの店のことをよく話して下さっているのだろう。よかった。
先日の奈良マラソンで奥様がフルマラソンデビュー。ダンナさんはそのサポートとして走られたそうだ。
奥様の話。
「最後は泣きました。」
「鹿が横断するところがあるんですよ。」
「きつい上り坂が何箇所もありました。」
厳しい初マラソンだったようだが、ダンナさんが横についていてくださったので心強かったしょう。
それにしても、「鹿が横切るマラソン」というだけで特色あるいい大会だと思います。また京都マラソン負けてしもたなあ。
1部男子8000mの優勝は、京都産大の野田一貴選手。
これは、写真を撮りに行かねば。
野田選手は、「京都キャロット」のお得意様。
うちのヨメさんのひいきです。
最初は何人かと先頭争いをしていたが、最後は5秒差でゴール。一流選手の5秒差というのは大差です。
「立派!」
競技性の高い大会だが、盛り上げ役として滋賀のゆるきゃらさんたちも参加してくれています。ほっこりしていいですね。
さあ、次は中学男子の3000m。
このレースに、私の甥の子「陸」が出る。今中2。
朝、「こうじおっちゃん・・・」とあいさつしに来た。去年より一回り体がしっかりしたように感じた。
「りくーゆうて、大声で応援するし、はずかしがりや。」
「へへへ・・・。」
何回か、「りくー」と大声を出すことができた。聞こえたかなあ。
陸は最後まで力強い走りだった。
身内に陸上をやっている子がいると応援のしがいがある。
去年までは全選手の記録がはり出されたのだが、今年は10位まで。その代わり、個人の記録証がすぐ出るようになった。
記録証をもらいに行くと、そのお隣りが救護所だった。
滋賀マスターズの阪下美雪さんが係としてスタンバイしておられた。お話をお聞きすると、運ばれたのは3人。
一人は私と同じレースに出ていた高校生男子。何かにつまづいてすねを強打したようだった。ねんのため病院に行ったがたいしたことはなかったとのこと。
もう一人も男子。その子は手首を骨折したようで大きく腫れていたそうだ。もちろん病院行き。
もう一人は女子。過呼吸で運ばれたそうだ。その子はしばらく横になっていたら普通に戻ったそうだ。
今日の「京都キャロット」のお客様はほとんどが中高校生。なけなしの小銭を出して1000円のグローブを買っている姿はほほえましかった。
カードになんか頼って生きる人生は送るなよー。今持っているお金で買えるものを、いつまでも大事に大事に使っていくような選手であってほしいなあ・・・。
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2011年12月18日(日)
第23回全日本びわ湖クロスカントリー [ランニング・出張販売]
「いつもブログ見せてもらってます。」
「あっ、ありがとうございます。」
「走った後、毎年キャロットさんで買わせてもらってます。」
「それはそれは、ありがとうございます。」
「今日は34分をねらっておられるんですよね。」
「そうなんですよ。でも去年の記録を見返したら、36分半ほどかかってるんですよ。ちょっと欲張りすぎたかなとも思ったんですけど、目標は高いほうがいいでしょ。」
スタート地点で声をかけていただいた。
三重の林尚樹さん。ありがとうございます。あなたのおかげで、「よし、がんばろう」と気持ちをひきしめることができました。
静原、大原、途中越え、びわ湖大橋経由で希望が丘へ。
大原では−4℃。びわ湖大橋でやっと2℃だった。
7時20分、希望が丘到着。
心配していた天気はだいじょうぶ。ただ、風がきつくて寒い。
9時20分から、ウォーミングアップを兼ねてコースの試走。
1000m地点を過ぎてしばらくいくと、藪の中コース。
この大会はちょっと変わっていて、陸連登録の部より未登録の部のコースのほうがきつい。
芝生から外れたコースは、落ち葉あり、木の根っこあり、坂ありでたいへん。
広いグランドの中も走る。
橋を渡れば元の芝生。
これで3kmほどウォーミングアップ。
体がまったく動かない。体全体がどーんと重たい感じ。
体が冷えきっているようだ。よって、今日のレースは長ソデTシャツで走ることにした。
さて10時20分からは、私が出場する2部8000m。
なんとか1周目を17分で。
1000m、 4分21秒。あらら、早くも目標の4分15秒ペースをオーバー。
2000m、 8分52秒(4分31秒)。
3000m、13分18秒(4分25秒)。
4000m、17分40秒(4分21秒)。後半の落ちこみを最小限に!
5000m、22分22秒(4分42秒)。あかん、もちなおせ。
6000m、27分06秒(4分43秒)。だっめー。
7000m、31分41秒(4分34秒)。
8000m、35分54秒(4分12秒)。応援の声で息を吹き返す。
34分めざして、結果は2分ほど遅れ。甘かった。
でも、ゴール前400mほどのところで、マスターズ陸上で知り合った川村さん、京都ランナーズの中山君のお母さん、真樹の中学時代の同級生・あーちゃんのお父さんの応援の声が聞こえた。そしたら、なんと最後の1000mは一番いいスプリットタイムに。応援の声は本当にありがたい。
目標には全然届かなかったが、去年より40秒以上縮めたのと、最後にスピードアップができたので良しとしよう。
(注)まだまだ、続きます。
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2011年12月17日(土)
高津、プレーイングマネージャーに [雑感]
◎スポニチアネックスより
「元ヤクルト・高津 来季から新潟の選手兼任監督に就任」
プロ野球歴代2位の通算286セーブをマークし、今季はBCリーグの新潟アルビレックス・ベースボールクラブでプレーした元ヤクルトの高津臣吾投手(43)が来季から選手兼任監督に就任することが15日、分かった。16日に発表される。選手兼任監督はBCリーグでは初めて。
高津はメジャーでも通算27セーブを記録し、その後は韓国、台湾でも守護神として活躍。今季は名球会の選手として初めて独立リーグでプレーし、27試合で0勝2敗16セーブ、防御率2・16だった。今季監督を務めた橋上秀樹氏(46)が先月、巨人の1軍戦略コーチに就任したことを受け、新潟は選手兼任での監督就任を要請していた。
新たな挑戦となる高津は「1年間新潟でプレーし愛着もあるし、指導者として勉強できることは今後にも役立つと思う」とコメント。選手兼任となることには「リリーフなので難しい部分もあるし、不安もある。でも、野球が好きなので」と現役にもこだわる。かつてバッテリーを組んだ古田敦也氏はヤクルトで06年から2年間、捕手兼監督を務め、「代打、オレ」が話題を呼んだが、来季は新潟で「ピッチャー、オレ」が見られそうだ。
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「うれしい。」
今年台湾プロ野球から、日本の独立リーグの一つBCリーグの「新潟アルビレックス」に入団した高津。高津が見られるなら新潟まで見に行く値打ちはあると思っていた。ただ、高津は押さえのピッチャーなので全試合に出るわけではない。勝ち試合か同点の9回にでることがほとんど。つまり、わざわざ見に行っても見られずに帰ってくる可能性もある。
しかし、来シーズンから監督兼任。当たり前のことだが、全試合ベンチ入り。投球は見られなくとも、監督として采配をふるっている姿は必ず見ることができる。
「きーめた!」
来シーズンは新潟アルビレックスのファンクラブに入ろうっと。そして、新潟まで高津見に行こうっと。
高津が以前言っていた言葉。
「死ぬまでプロ野球をやりたい。自分でお金出してでもプロ野球をやっていたい。」
高津、好き!
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【RUN】
今日もまたまた5kmコース。
今日は、明るいうちに。
行き12分40秒、帰り12分31秒で25分12秒。
いい感じて走れた。
明日はとりあえず、1周目4kmを17分で。2周目は粘る。
「よし!」
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2011年12月16日(金)
落ち葉ラン [ランニング]
今日も仕事らしい仕事がなく、4時に宝ヶ池へ。
あさって「びわ湖クロスカントリー」の8kmの部に出るので、未舗装路を走っておきたい。宝ヶ池を5周すれば7.5kmなのでいい練習になる。
1.5km 7分44秒
3km 15分27秒(7分43秒)
4.5km 23分07秒(7分39秒)
6km 30分34秒(7分34秒)
7.5km 37分58秒(7分24秒)
最初、自分ではキロ4分40秒くらいで走っているつもりだった。ところが1000mの標識前で時計を見てびっくり。「5分超えてるやん!」
それならこのペースでいくしかない。ということで、最後までキロ5分ペースになってしまった。
今日は落ち葉がすごかった。
一番積もっているところでは5cmほど。
走りにくいったらありゃしない。
そうそう、4時半ころ、ちらほらと雪が・・・。初雪です。
最後にゆっくりともう1周。これがぴったり10分。申告タイムレースやったら優勝です。
これで合計9km。私の1回の練習は、これくらいが適当みたいです。
「練習のしすぎは体に悪い!」
あさってのクロカンは、距離は正確だがコースは厳しい。それでもキロ4分15秒で8km34分をねらいたい。
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2011年12月15日(木)
90歳の野心 [家族]
私の父は1921年12月5日生まれ。
先日90歳の誕生日を迎えた。
昨日、恒例の東華菜館洛北店へ。
「えー、今日はおいそがしいなか、私の56歳の誕生パーティーにご出席いただき・・・」
「ちゃうちゃう!」
「えー、そうや、こうじ、14日やったなー」と姉。
今日の主役は、もちろん90歳になった父。
でも私も便乗で「合同誕生パーティー」ということに。
今日のメンバーは、父とうちの家族4人、それに姉夫婦。
このメンバーで東華菜館洛北店に来るのは4年連続。
去年ちょっと弱っていた父は、今年は元気。
ますみさんも、ビールと紹興酒でベロベロに。
お腹いっぱい食べたあとに杏仁豆腐。
これは別腹。
そのまたあとにバースディケーキの登場。
「90」の文字のろうそくをたてたのだが、ちょっと分かりにくかったかな。
みんなで記念写真。
父のうれしそうな顔。なによりです。
「おじいさん、このろうそくの火が消せんようになったら終わりやで。」
「これくらいできるわい。」
廉と真樹がケーキを切り分けて配ってくれた。
「えー、そしたらそろそろ終わりに近づいてきたし、おじいさんにひと言ずつお祝いの言葉ゆうことにしましょうか。まずパオパオから言います。
おじいさん、90歳おめでとう。まあ90歳はきりがええといえばええんやけど、もうこれでええわと思わんと95歳、100歳をめざして元気に生きていってください。
こないだ、『101歳のアスリート』という本を読みました。それは、岩手の下川原さんという方が書かれた本です。98歳からやり投げと円盤投げをやり始め、99歳で初めてマスターズ陸上に出られたんです。
下川原さんは、『いくつになってもどこまでやれるかやってみたいという野心がある』と書いておられました。『野心』という言葉がそんな歳の人から出てくるなんてびっくり。
残念なことに、下川原さんは3月の大震災の津波にやられて亡くなられました。104歳です。今年から105歳以上の部でマスターズ陸上に出られることを楽しみにしてはったやろうに。でも、下川原さんは最後の最後まで野心を持ったまま亡くならはったと思います。
だから、おじいさんも『ここまで生きたからもうええ』とは絶対に思わんと、これからも野心を持って生きていってほしいと思います。」
私のあと、順番にひと言ずつお祝いの言葉を言ってもらった。
でも、私は人の言葉はしっかり聞いていないのでおおかた忘れた。ただ、父がひと言ひと言しっかり聞いて反応していたのがよかった。父はまだまだぼけません。
最後に父のお礼の言葉。
去年は精神的にも弱っていたのか、感極まったあいさつになった。しかし、今年は落ち着いたいいあいさつだった。
毎年ひとついい話がある。今年はこれ。
「なんぼえらいもんになったかてな、自分の親をバカにしたことをゆうようなもんはあかん。」
そのとーり。
でも、うちはその点ちょっとあぶないかも・・・。
父は去年、このお店の階段の上り下りも四苦八苦していた。ところが、今年は杖もつかずスイスイと。
今父は、1kmほどのウォーキングを続けているらしい。診療所の先生からも「あと5年は保障する」」と言ってもらったらしい。顔色がよさそうに見えたのはそんなことも影響してるのかな。
そうそうその調子。その調子でまた来年もね。
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【RUN】
今日も5kmコース。
行き13分24秒、帰り13分25秒で26分50秒。
もうこのパターン、あきてきたなあ。
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