2011年04月24日(日)
第1回春のFUNRUN at 大阪城公園 [ランニング]
「ブログ、見せてもらってます。」
「ありがとうございます。」
初対面なのに、なぜかなつかしい感じがするお顔。すごくあまーいお菓子のような・・・。
5kmのレースが終わり、着替えようかとうろうろしているとき声をかけられた。
「あのー、ボクに声をかけてくださった方はもれなくブログに写真が載るということで・・・。」
「あっ、そうなんですか。そしたら・・・(とカバンからなにやら取り出される)。さっきの抽選会でマニラ往復の航空券が当たったんです。いっしょに・・・。」
「あーあー、さっきの人。それはよかったですね。」
「ほんとうは『日吉ダムマラソン』に申し込んでたんですけど中止で、代わりにどこに出ようかなとさがしてたんですよ。そしたらこの大会が見つかって、この大会名で検索してたらキャロットさんのブログが見つかって・・・。それ以来ずっと見せてもらってます。昨日も遠いところまで行ってられたんですよね。」
「いやーうれし。昨日の記事もちゃんと見てくれてはるんや。フィリピン旅行、しっかり楽しんできてください。また、どこかで。」
宝塚の森脇さん。
ほんとうにおいしそうなお顔・・・、じゃなくて笑みのたえないさわやかな方でした。
そのちょっと前、もうお一人からも声をかけられた。
「さっきはありがとうございます。コースがよく分かってなくて。教えていただいて助かりました。しんどい時に申し訳なかったです。」
「いやー、全然だいじょうぶですよ。いつもキョロキョロしながら走ってますんで。ここはおんなじ様な景色が続くんでまちがえやすいですよね。」
5kmレースは1.25kmを4周回する予定だったが、北のほうが使えなくなり1kmを5周回に変更。ここを何度も走った人ならまちがえないが、初めての人には気の毒だった。彼がまちがえたのは2周目なので、普通はまちがえにくいと思われるかもしれないが、走っていると分からなくなるんですよね。
私を追い抜いて本来のコースの手前を左折してしまわれたので、後ろから正しいコースを教えてあげた。そんなロスもあったのに、私より15秒ほど速くゴールされたようだ。やるねー。
彼の話によると、いっしょに参加した会社の先輩は、4周回でゴールしてしまわれたらしい。4周回から5周回への変更は事前に説明はあったが、スタート前に再三再四しつこく言われたほうがよかったですね。
「走路員の配置場所」と「コース変更の周知徹底」、これは今後の改善点です。
枚方の○○さん(お名前をお聞きするのを忘れました)。
私のとっさのひと言を喜んでもらえてよかったです。また、どこかでお会いしましょう。
会場である大阪城公園に着き、まず山口ボンアレザさんをさがした。参加通知のハガキにもご本人の名前が書いてあったくらいだから、大会実行委員長さんですよね。3月末にこの大阪城公園で一度お会いしただけだが、あの人懐こい笑顔は忘れられない。
ところが、いくらさがしても見つからない。似た感じの方はおられたのだが、むずかしい顔をしておられる。まさか、あの人じゃないよね。
お堀の向かいにネコちゃんが見えたのでかまいにいくことに。
このあとネコちゃんの写真をいっぱい撮ったので、それは明日独立させて記事にすることにします。今日載せるとネコちゃんが多すぎて、「大会レポート」か「ネコちゃんレポート」か分からんようになりますから。
受付テントの横あたりにボーとしていると、さっきのむずかしい顔をした人が私を見つけて話しかけてきてくださった。
「バタバタしていてすいません。いろいろうまく行かなくて・・・。」
あー、やっぱりボンさんやったんや。
でも、そのあととてもここには書けないような弱気な発言も・・・。ボンさん、こないだとは別人。あの人懐こい笑顔が消えている。いわゆる「てんぱった」状態。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。回を重ねるごとによくしていったらよろしいやん。」
「そうですね。」
少しだけ笑顔が戻ったような気がした。
私らテレビの影響もあって、日本に長くおられる外国人はみな柔軟であっけらかんとしていると勘ちがいしている。よう考えたら、中にはボンさんのような繊細な人もおられてもおかしくない。
初めてマラソン大会を主催するのだから、緊張してむずかしい顔になっても仕方のないことだ。
板を組み立てておられるのでなんだろうと見ていると、表彰台だった。
予定の時刻は次々と過ぎ去り、開会式はかなり遅くなってしまった。でも、参加者がこれくらいなら、手作り感がいっぱいのこんな大会もいいと思う。小さなことに目くじら立てる人もいないでしょう。
約1時間遅れの開会式。
ごあいさつされたのは、大会に協賛されている「メトロバンク大阪支店」のえらいさん。英語でのごあいさつ。司会の女性の方が通訳されていた。
参加者のほうものんびりした方が多く、かなり遅くから受付されている方も。開会式に参加していた人は、ざっと見ても200人弱。
1.25kmコースが1kmコースに変更ということもあり、まずはテストラン。
山口ボンアレザさんを先頭に。このとき、ボンさんのお顔は、いつものリラックスされた顔に戻っていた。
初心者ぽい人が多そうだったので、このテストランにもたくさん参加されると思ったが意外と少数。ウォーミングアップにはちょうどよかったのに・・・。
会場の北川にあるグランドで、マーチングの大会が開かれていた。この影響で大会のコースが短縮されたようだ。
記録計時は、おなじみ「アスレック」さん。田中ちひろさんのご主人がやっておられます。大阪城公園はアスレックさんの本拠地のようなところだし、計時に関しても信頼感抜群。ここに計時を依頼されたのは正解です。
田中さんのところは、ちひろさんとお二人の娘さんも来られていた。「娘さんたちは走られるんですか」とお聞きすると、「今日は走らないんです」とのこと。
1kmコースの実測がどれくらいか知りたかったのでちひろさんにお聞きすると、「よく分かりません」とのこと。ちひろさんはランナーの応援のほうにまわられ、大会にはノータッチのようだった。
私は1,25kmコースを1本目7分、2本目6分でジョグ。そのあと100m流し5本。テストラン1km。もうこれで約4.5kmのウォーミングアップになる。
ネコちゃんもいっぱいかまわせてもらったし。万全の体制でレースにのぞめそう。
一番最初は、小学生の2km。
前に飛び出したのはほとんど女の子。
「男子、きばれー!」
スタートゴール地点からは天守閣は見えないが、ちょっと北に行くとはっきりと見える。
表彰式は女子から。
3人とも2km8分台。
司会をされていた女性が、一人一人ていねいにインタビューされていた。こういったことは、小さな子たちにはすごく励みになると思います。
優勝者には月桂冠が。
とょっとはにかんでいた表情が、見ていてほほえましかった。
男子は3人とも9分台。
みんな小ぶりだと思ったら4年生だった。
優勝者は「りん」君。
確かサッカーをやっているとか。
次は3km。
意外と参加者が少なかった。ということは、残っている大人はほとんど5km。あわよくば入賞がねらえるかもと思っていたが甘かった。
またネコちゃんをかまいに行って、もう一度1kmジョグ。
5kmレースに出るのに、合計5.5kmのアップ。やりすぎかなあ。
3km女子の表彰。
3位は中1の子。18分台だったので、うちのヨメさんが出ていたら、この子とデッドヒートの争いだったかも。(一応さそったけど、のってこなかった。)
月桂冠は、女性のほうが似合いますね。
3km男子の表彰。
1位は確か11分30秒くらい。中3でソフトテニス部に入っているらしい。独走でした。
でも、このタイムなら私もついて行けたかも・・・。3kmに出たらよかったなあ。
このあと、お楽しみ抽選会。
この様子を見つめる子どもたちの表情は真剣。
キャップやウエストバックなどの賞品のあと、「MP3プレーヤー」、「デジカメ」、「フィリピン往復航空券」。
最後ではなく、日程の中間に抽選会をしてもらえるとありがたい。ずっと待ってんでもええからね。
さて、私の出る5km。
真剣モードなのでカメラは荷物預かりへ。よって、レース中の写真はありません。
3kmとちがってかなりの人数。それでも、一応入賞狙いなので一桁順位あたりに食らいつく。でも、1kmももたんかった。
1km 4分01秒
2km 8分16秒(4分15秒)
3km 12分38秒(4分22秒)
4km 17分03秒(4分24秒)
5km 21分24秒(4分20秒)
順位は13位。入賞なんてとんでもなかった。
タイムも、あのフラフラの「伊江島マラソン」5kmより7秒速いだけって・・・。
たぶんこの1kmコースはちょっとだけ長いのでは。最初の1kmが4分以上かかったのも久しぶり。記録が悪かったのはコースの距離が長かったということにしておこうっと。
5km女子の表彰。
タイム的にもかなりレベルが高かった。
1位の方はすごく若くてかわいい方だった。
5km男子の表彰。
3人とも18分台。
私の入賞狙いはとんでもなかった。入賞には3分も届きません。
同じレースを走っただけで、友だちのようにしゃべりやすくなる。それがマラソンのいいところです。
レース中にコースを教えてあげた枚方の○○さん。「写真載せさせてもらいますけ」と言っておいたのだが、このブログ見つけられたかなあ。
今日一番のラッキーボーイ、宝塚の森脇さん。
あらためてお写真を眺めさせてもらうと、当たるべくして当たるお顔をしておられます。いわゆる「福男?」
私の今日の目標「21分切り」を達成できたら、義援金1000円を募金しようと思っていた。でも25秒届かず。よって、募金は半減の500円。すいません。
でも、一回一回こういう目標を立てておくと走り甲斐がある。次もがんばろう。
一番最後の種目「10km駅伝」が始まる前、ボンさんにお礼だけ言って帰ることに。
10kmを4〜8名でタスキをつなぐ駅伝。これくらいが手ごろでおもしろいかも。
こんなんもいっぺん出てみたいなあ。
「ボンさん、楽しくていい大会やったよ。次もしっかりね。予定があいていたら、また出さしてもらいますね。」
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2011年04月23日(土)
知多半島一周ウルトラ遠足・前日受付 [ランニング・出張販売]
「藤井さん、藤井さん。」
受付会場になっている「ホテルAU」(愛知県常滑市)に入ったとたんに呼ぶ声が。滋賀の阪下美雪さん。まさか、こんなところでお会いできるとは・・・。
大会実行委員長である川崎さんにお願いし、私たち夫婦とスリーショット写真。ヨメさんは「すっぴんやし・・・」と固辞していたのだが、阪下さんがどうしてもということで。
すっぴんでもだいじょうぶ。それにしても、阪下さんもお若くてお美しい。うちのヨメさんのお母さんと同い年くらいだそうだ。
「ボク、4月から滋賀マスターズ入らせてもらいました。」
「わー、それはそれは。滋賀マスターズ、いいでしょ。」
「ほんまに。入らせてもらってよかったですわ。運営がしっかりしてはるし。」
「5月15日の競技会、出るんでしょ。」
「はい。いちびって、400、800、1500です。阪下さんは?」
「私は役員やりながらなんでねえ・・・。800、1500、3000です。」
「えー、阪下さんも3種目! すごい!」 (阪下さんは走られるごとに県記録更新。こら、負けられん。)
本来なら、明日予定されていた「日吉ダムマラソン」に出張販売に行くはずだった。ところが、東日本大震災の影響で中止。急きょ探して、この大会の前日受付で販売させていただくことになった。
この大会は、ランニングクラブが主催しているウルトラマラソン。40、50、70、80、100kmの5種目に総勢360名がエントリーされたそうだ。
ただし、前日受付に来られるのはそのうちの100名ほどだろうとのこと。ちょっと商売にはならないだろうが、家でじっとしていてもしょうがないし・・・。
案の定、受付に来られる方はパラパラとだった。
でも、今日はキャラバンではなく乗用車で来たので高速代は1050円。経費が少なくすんだので、あまり欲張らないようにしよう。「京都キャロット」の宣伝のつもりで・・・。
値段の高いウエアを買ってくださった女性のお客様。
「私、灰山由美さんと宮古島ウルトラでごいっしよさせてもらったものです。京都キャロットさんですよね。パオパオさんのブログも時々読ませてもらってます。」
「ありがとうございます。時々と言わず、毎日見てください。毎日更新してますから。」
その方は、大阪の鈴木さん。去年の10月、今年の1月と100kmに挑戦するも完走ならず。今回が3度目の正直となるようにしたいとのこと。
「そんなきばらんでも・・・。私なんか、15回連続関門収容ですから。」
「えー! どこに出られたんですか。」
「丹後10回、サロマ3回、四万十2回です。まあ、平均75kmくらいは言ってるとは思うんですけど・・・。」
「そしたら1回も完走はなしですか。」
「18年前に初めて出たときは完走できて、そのあと15回連続アウトです。それで、去年、ウルトラは引退しました。」
「えー、そうなんですか。」
鈴木さん、応援しています。明日は、あきらめずに完走めざして走りつづけてくださいね。
受付のすぐ前でお店を開かせてもらった。
五月雨式にパラパラと来られるランナーに、テキパキと応対しておられた。役員さんは高齢の方が多かったが、中にその役員さんの娘さんらしき方がおられ、その方が大活躍だった。一クラブが主催している大会なので問題点も多いのかもしれないが、参加者みんなで盛り上げて行ってもらいたいと願う。
5時から、ホテルのレストランで説明会兼前夜歳。
前日受付された方はほとんど出席されていたようだ。
大会実行委員長の川崎さん。いろいろとお世話になりました。
売り上げ自体はほんとに笑ってしまうくらいのものでしたが、新たにいろいろな方とお話もでき、来た甲斐はありました。
ヨメさんは、サロマにも出ると言っておられた母子さんとしゃべれたのがよかったと言っていた。お子さんといってもサブ10を達成しておられる立派な大人。また、サロマで会えたらいいんですが・・・。
荷物が少なかったので、準備も後片づけも30分くらい。これは楽チン。
うちだけなので、ほかの出店業者を気にすることもないし。これでもうちょっと売れていたら、言うことなかったんですけどね。
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2011年04月22日(金)
大江さん勝訴 [時事]
◎京都新聞4月22日夕刊
「沖縄ノート訴訟 集団自決に軍関与確定 最高裁・大江さん勝訴」
太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとする作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長らが名誉を傷つけられたとして、大江さんと出版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は22日までに、原告側の上告を退ける決定をした。21日付。
集団自決に軍が関与したことを認め、名誉毀損に当たらないとした大江さん側勝訴の一、二審判決が確定した。
軍や元隊長らによる住民への命令の有無などが争われたが、最高歳は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張で、民事訴訟で上告が許される場合に該当しない」と判断は示さなかった。
原告は元少佐で座間味島守備隊長だった梅沢裕さん(94)と、元大尉で渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟。「沖縄ノート」(1970年出版)と故家永三郎さんの「太平洋戦争」(1968年出版)の集団自決に関する部分の記述をめぐり「誤った記述で非道な人物と認識される」と2005年に提訴した。
08年3月の大阪地裁判決は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘。「元守備隊長らが命令を出したと断定できないとしても、大江さんらが命令があったと信じる相当の理由があった」と請求を棄却。
大阪高裁判決も同10月、「集団自決に軍が深くかかわっていることは否定できず、総体としての軍の強制や命令と評価する見解もあり得る」と判断していた。
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とにかく、よかった。
あったことをなかったことにしようとしている勢力に、一撃を食らわしたと言っていいと思う。
この「沖縄ノート」、私は若いときに一度、裁判になってからもう一度読みました。
はっきり言います。二回読んでも、さっぱり分からん。
あの大江健三郎さんのこねくり回したような文章は、私の頭になかなか入らなかった。けっきょく、二回読んでもなーんにも頭に残っていない。
あの「沖縄ノート」を読んで、一個人を貶める目的で書いたものと判断された人はそうとうな人です。わたしゃ、なにが書いてあるかさっぱり分からんかったもんで。
原告は、「沖縄ノート」を読まずして訴訟に踏み切られたらしい。いったい誰にそそのかされたんでしょうね。ちゃんと読まれたら、個人攻撃目的で書かれた本でないことくらいは分かると思いますが・・・。
文学まで規制する世界は、ただただ恐ろしいだけです。
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「スパイク? しゃーかれんで!」 [ランニング用品]
「ますみちゃん、400m出ることにしたし、スパイクちょうだい。」
「はー? なんの400やねん、なんのスパイクやねん。」
「滋賀マスターズの・・・。」
「しゃーかれんで!」
【解説】 ただいまの言葉についてご説明させていただきます。関西弁「しゃーかれんで」は、「ほほをぷたれますわよ、ほほほ」という意味です。
5月5日の「第3回南部杯大阪マスターズ陸上競技大会(長居第2)」では、800mと5000mにエントリー。
5月15日の「第24回全国スポレク祭滋賀県選手選考会(彦根)」も同じ種目に申し込もうと思っていた。しかし、滋賀マスターズの練習会の時に、「400mが速い」とちょっとほめてもらったので、400m、800m、1500mにエントリー。本当は、「マラソンばっかりやっていたわりにはちょっと速い」という程度の意味だったと思うんですが・・・。調子のりにもほどがある?
まあ、よろしいやん。初老パワー見せたろやないかい。
今「京都キャロット」にあるスパイクで、私の足のサイズに合うものといえば、「ミズノ・シティウスジャパンLR-U」(7900円)くらい。ほんとは2.5mm固定ピンのがよかったのだが、「400m出るんやったら、ピンは7mmでよろしい」とますみ店長のお言葉。
「引っかかってこけるかもしれん。」
「引っかかってこけて、頭打ってポックリいってくれたら・・・。」
ああなんというやる気のわいてくる熱い応援のお言葉(???)
このごろハデなシューズでないと走る気がおこらない。無理やりもらった「シティウスジャパンLR−U」はどちらかというとジミ。シューレース(くつひも)を変えたらちょっとはハデになるかな。
よっしゃー、これでトラックの400mと800mはこのシューズでバッチリ!
とりあえずの目標は、「打倒、太田君子さん」。確か、800mのベストが2分35秒くらいだったような・・・。
目標は書いとこ。
4月24日 「春のFUNRUNat大阪城公園」5km 21分切り
4月29日 「京都鴨川ゆっくりラン」10km 45分前後
5月 1日 「京都走ろう会例会」10km 45分前後
5月 3日 「マラソンに挑戦する会」10km 43分切り
5月 5日 「南部杯大阪マスターズ陸上」 800m 2分40秒 ☆スパイク
5000m 20分切り
5月 8日 「鯖江つつじマラソン」 5km 21分切り
5月15日 「スポレク滋賀陸上」 400m 1分08秒 ☆スパイク
800m 2分32秒 ☆スパイク
1500m 5分30秒
5月22日 「小豆島オリーブマラソン」 5km 21分切り
以上。
ぎょうさん、獲らぬ狸の皮算用ができた。あー、楽し。
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【RUN】 (「何を今さら・・・」というしつこい題はやめました)
4月9日の「伊江島マラソン」以降、普通の練習をしていない。平日はすべてお休み。こんなことでは・・・。
今日の夕方、久しぶりにスタンダードコース(コーナン往復5km)。
13分44秒+13分49秒で27分33秒。
久しぶりのわりには軽く走れた。
1kmダウンジョグをして合計6km。
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2011年04月21日(木)
新通学路 [家族]
今週から、真樹は自転車通学。
これで、毎朝叡電の駅まできくといっしょに見送りにいくのもなくなってしまった。私も、火・金の2日は早朝バイトがあり見送りに行けてなかったのでちょうどよかった。
ただ、高校までの道のりは約8km。急な坂や狭い道も通らなければならないので、ちょっと心配。
長代川のしだれ桜は、まだまだ見ごろ。
ここは、我が家から100mのところ。
朝8時、久しぶりにきくの朝散歩。
真樹は検診などのため、遅始まりらしい。散歩中に会えたらいいんやけど・・・。
北稜高校の校旗などは半旗になっていた。
この前で、なぜかきくは「ブルブル」。
道路と反対側に叡電通過。これは、鞍馬行き。
菜の花畑で時間つぶし。
「きくー、真樹ちゃん来やはったでー。あっち、あっち。」
カメラで連写。
なんか、ほとんどおんなじ写真になってしまった。途中できくは気がついたんかな。
ゆっくり、ゆっくり、気をつけて。
「行ってらっしゃい。」
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2011年04月20日(水)
すべての武器を被災地に [時事]
今日、いいニュースがあった。
今まで誰も言わなかったことだが、多くの人が心の中で思っていたことが実現した。
◎毎日新聞4月19日
「東日本大震災:復旧優先、地デジ完全移行延期へ 被災自治体は歓迎 /宮城」
◇受信施設遅れ
東日本大震災の被害が甚大だった岩手、宮城、福島の3県について、総務省が7月24日の地上デジタル放送(地デジ)への完全移行を延期する方向で調整に入ったが、移行への準備不足を懸念していた被災地の自治体などからは歓迎の声が上がった。テレビは地震や津波の貴重な情報源の一つだが、ライフラインの復旧が優先され、工事が間に合わず「地デジ難民」が多数生じる恐れがあるからだ。
震災で住宅3軒が半壊、住民3人が仕事先などで被災し死亡したという石巻市小船越山畑。三浦正一郎・前自治会長(71)によると、この地区では山陰による難視聴のため住民約30世帯が組合を作り、昨年11月から共同受信施設の建設準備を開始。今年6月末の完成予定だった。
しかし、工事を受注した仙台市内の通信設備会社が震災後、有線をひくため大手通信会社に既存の電柱の利用を申請したところ、「電力の復旧に忙しい」と断られたという。今後いつ工事を始められるか未定だ。通信設備会社幹部は「住民向けに共同受信施設の工事説明会をしようとしていたところに津波で壊滅し、連絡がとれない被災地もある」と話す。
三浦さんは「もっと厳しい状況の被災者のことを思えば、地デジが間に合わなくてもラジオで我慢すればいい」と50年以上使うラジオをいとおしそうに見つめた。
地デジ難民を出さないよう、市民に繰り返しPRしてきた石巻市の鈴木瑞彦・情報政策課長は「アンテナ工事を進めようにも、ライフラインの復旧が最優先でそれどころではない状態。7月に間に合わせるのは難しい。延期なら歓迎だ」と話す。
放送する側にも震災のダメージがのしかかる。東北放送(仙台市)では南三陸町で地デジの中継局1局が津波で流失した。同社技術管理部は「被災地の状況を考え、震災直後から、7月25日以降の地デジとアナログ放送の同時送信を検討していた。国にはアナログ放送にかかる経費や被災地での新たな地デジ対策費を支援してほしい」と話す。
放送ジャーナリストの坂本衛さんは「元々準備が遅れている東北でのアナログ放送停止の延期は当たり前だ」と指摘している。
総務省などによると、全国の地デジ対応受信機の世帯普及率は10年12月現在、94・9%だが、県内は90・7%にとどまっている。【土本匡孝】
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震災後に一番に思ったこと。
いなかでのお年寄りの一番楽しみはテレビを見ること。震災直後は関連のニュース番組ばっかりで見たくもなかったやろうけど、落ち着いてきたらテレビが見られんかったらつらいやろうなあ。ほんまにささやかな楽しみやのになあ。
それが、7月24日ですべてのテレビが見られなくなるなんて。
「地デジ化」を急ぐ意味がいまだによう分からん。今まで普通に見られていた何千万台ものテレビがすべてゴミになるなんて。史上最大の反エコ政策としか思えんのですけど。
そんなことを平気で決定するような人たちは、都会といなかの人口だけを単純に比較し「一票の格差」をなんかの一つ覚えのように唱えている人にちがいない。
「一票の格差」がうらやましい人は、どうぞいなかに移住してください。そして、テレビを見るのを唯一の娯楽としているようないなかの暮らしを体験してください。そしたら、「一票の格差」もそうそう強行主張しにくくなるし、「地デジ化」も・・・。
とにかく、被災地3県だけでも延期が決まってよかった。いっそ、全国一斉延期にしても何の問題もないのでは。もし問題があるとしたら、どっかとどっかの癒着としか考えられません。どうですか。
さて、本題。(長い前ふりじゃー。)
「地デジ化」の延期については、震災後に思っていたのだがブログに書く機会がなかった。思ったことはすぐ書いとかななあ。
これ。
「今日本の軍隊(自衛隊)が史上最高に手薄になっている時なのに、どうして仮想敵国とやらは攻めてこないんですか。」
どなたか、これをきちっと説明してください。
日本を攻めるなら今しかないでしょう。「9.11」のような方法で原発施設に突っ込まれたら、日本はもう終わりでしょう。自衛隊が持っている武器なんて、何の役にも立ちません。それから米軍に援護を頼んでも後の祭り。と言うか、このたびの対応を見ても米軍は放射能の漏れている地域には入ってこないでしょう。
この際、何の役にも立たない(役に立っても困るけど)武器の購入はやめましょう。その予算を、全額震災復興に使うというのはどうでしょう。そうすれば、今ドサクサまぎれに消費税増税が画策されているが、それを阻止できるかも。「財源を示せ」とよく言われるけど、これで立派な財源になる。
この非常時に、殺人兵器の使用訓練なんかしている場合ですか。不謹慎な。自粛、自粛。(「不謹慎」、「自粛」という言葉ははこういうふうに使いましょう。)
そんな訓練せんでも、自衛隊の皆さんには当分の間災害復旧という大事な仕事が待っている。人を殺すのではなく、人を救うというやりがいのある仕事が。どうか、それに専念してください。
「すべての武器購入予算を被災地に!」
これが、私の真意です。
ついでやし、もう一つ言っとこ。(これは以前から言ってます。)
「一票の格差」を言う人は、「一原発の危険の格差」も「一米軍基地の危険の格差」もいっしょに論じること!
原発は過疎地に、米軍基地は沖縄に押し付けるな!
受益者負担の原則から言えば、人口の多い関東圏関西圏は原発・米軍基地を積極的に受け入れるべき。
「東京湾大阪湾に、原発・米軍基地を!」
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2011年04月19日(火)
「野球バカ」はどこ行った? [時事]
◎asahi.com 4月17日より
「新潟アルビ引き分け、高津投手も登板 BCリーグ開幕 」
プロ野球独立リーグ・BCリーグが16日、開幕した。新潟アルビレックスBCは、長岡市悠久山野球場で群馬ダイヤモンドペガサスと対戦、投手戦の末0―0で引き分けた。高津臣吾投手が9回に登板し、球場に訪れた1081人のファンを湧かせた。震災の影響で1週間開幕が遅れたが、選手らは「被災者に元気と希望を」と、無失策の全力プレーを見せた。
9回、高津の名前が呼ばれると、この日一番の歓声が上がった。群馬の小林恭兵に二塁打を浴びたが動じず、後続を抑えた。高津は試合後、「こんなに大きな震災の後に、たくさんの人が球場に足を運んでくれ、感謝している。登板して、今年も野球ができたという実感がわいた。仕事ができた」と話した。
観戦した新潟市の大野彦栄さん(63)は「高津も見られたし、ぴりっとした試合で、最高にいい開幕戦だった」と話した。
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東日本大震災後、私が一番残念だったのはプロ野球の開幕が遅れたことである。
被災地仙台を本拠地とする「東北楽天」が所属するパリーグは、早々に開幕延期を決定。しかし、セリーグは経営者側は当初の予定通りの開幕、選手会側がパリーグとの同時開幕を主張していた。紆余曲折があったが、最終的に選手会側の主張通り、4月12日・セパ同時開幕となった。
震災の数日後、ツィッターにこんなつぶやきがあった。
普段は「スポーツは人に夢と希望を与える」と言いながら、一番それらが必要な時には不謹慎ということで自粛される。さすがに矛盾を感じる。
【スポーツ協会へ】不謹慎という言葉を恐れてイベントを止めないでください。
私も同じことを思った。
まず、「東北楽天 」。
新監督は、原発のCM(いわゆる広告塔)を長年されていた星野氏。あの人は、震災後いったい何をされていたんでしょう。自分のまったく専門外の分野のCMを引き受け、「絶対に安全です」みたいなことを言っておられた。あなたの専門分野は、「野球」。もし心に引っ掛かるところがあるなら、一日も早く「野球」で償うべきでしょう。
「東北楽天」と名乗っているのなら、仙台の球場にこだわらなくても東北にはいい球場がいっぱいあると思いますけど・・・。収益は度外視して、東北全体をワクワクさせるような試合を早く開催するのはでけんかったんかねえ。
それから、選手会。
選手会も、震災後何をしていたんでしょうね。私には、ただ開幕を遅らせることだけ主張しているように見えた。その代わりに何をされたんでしょう。避難所で退屈している子どもらとキャッチボールをしたりとか、被災地の高校生と交流戦をしたりとか、私の知る限りではほとんどなかったような・・・。もししていたとしたら、アピール不足ですね。
人それぞれでいろいろな考えがあるとは思いますが、私がプロ野球が好きなわけは、「野球バカ」の集まりだと思っているからです。「他のことはなーんにもでけへんけど、野球やらせたら目が飛び出るほどうまい」人の集まりだと思っているからです。
ほんまかウソかよう分からんけど、清原は野球ばっかりやってたから電車の乗り方も分からへんかったとかゆううわさ。ふつうそんな大人がいたらエライこっちゃけど、プロ野球の一流選手ならどうってこともない。ほほえましいくらい。
大の大人があんなちっちゃいボールを必死で投げて、必死で打って、必死で追いかけるからおもしろい。「あの人ら、あれでけんようになったら(人生)しまいやで」と思うから、こっちも必死で見てしまう。
ちゃいまっかー、選手会さん。
「野球バカ」が野球やらんで、どーする!
世の中の多くの人と同じように「にわか善人」になっても、誰も喜ばんと思いますけど。
そんなもん、似合わんちゅうねん!
野球で一流のプレー見してくれちゅうねん!
私が日本一の野球バカだと思っている「高津選手」は、今回の選手会の動きをどう見てはったやろうね。聞いてみたい。
最後に、私の大好きな高津の言葉。
「野球が大好きなので、お金を出してでも野球をやりたい。
死ぬまで野球をやり続けたい、もちろんプロの現役選手として。」
あー、ちょっとすっきりした。
(新潟まで、高津見に行きたいなあ。)
全然関係ないけど、もうひと言。
「47歳の『野球バカ』工藤にも野球やらしたってくれー!」 (現在、浪人中。)
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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