2011年04月19日(火)
「野球バカ」はどこ行った? [時事]
◎asahi.com 4月17日より
「新潟アルビ引き分け、高津投手も登板 BCリーグ開幕 」
プロ野球独立リーグ・BCリーグが16日、開幕した。新潟アルビレックスBCは、長岡市悠久山野球場で群馬ダイヤモンドペガサスと対戦、投手戦の末0―0で引き分けた。高津臣吾投手が9回に登板し、球場に訪れた1081人のファンを湧かせた。震災の影響で1週間開幕が遅れたが、選手らは「被災者に元気と希望を」と、無失策の全力プレーを見せた。
9回、高津の名前が呼ばれると、この日一番の歓声が上がった。群馬の小林恭兵に二塁打を浴びたが動じず、後続を抑えた。高津は試合後、「こんなに大きな震災の後に、たくさんの人が球場に足を運んでくれ、感謝している。登板して、今年も野球ができたという実感がわいた。仕事ができた」と話した。
観戦した新潟市の大野彦栄さん(63)は「高津も見られたし、ぴりっとした試合で、最高にいい開幕戦だった」と話した。
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東日本大震災後、私が一番残念だったのはプロ野球の開幕が遅れたことである。
被災地仙台を本拠地とする「東北楽天」が所属するパリーグは、早々に開幕延期を決定。しかし、セリーグは経営者側は当初の予定通りの開幕、選手会側がパリーグとの同時開幕を主張していた。紆余曲折があったが、最終的に選手会側の主張通り、4月12日・セパ同時開幕となった。
震災の数日後、ツィッターにこんなつぶやきがあった。
普段は「スポーツは人に夢と希望を与える」と言いながら、一番それらが必要な時には不謹慎ということで自粛される。さすがに矛盾を感じる。
【スポーツ協会へ】不謹慎という言葉を恐れてイベントを止めないでください。
私も同じことを思った。
まず、「東北楽天 」。
新監督は、原発のCM(いわゆる広告塔)を長年されていた星野氏。あの人は、震災後いったい何をされていたんでしょう。自分のまったく専門外の分野のCMを引き受け、「絶対に安全です」みたいなことを言っておられた。あなたの専門分野は、「野球」。もし心に引っ掛かるところがあるなら、一日も早く「野球」で償うべきでしょう。
「東北楽天」と名乗っているのなら、仙台の球場にこだわらなくても東北にはいい球場がいっぱいあると思いますけど・・・。収益は度外視して、東北全体をワクワクさせるような試合を早く開催するのはでけんかったんかねえ。
それから、選手会。
選手会も、震災後何をしていたんでしょうね。私には、ただ開幕を遅らせることだけ主張しているように見えた。その代わりに何をされたんでしょう。避難所で退屈している子どもらとキャッチボールをしたりとか、被災地の高校生と交流戦をしたりとか、私の知る限りではほとんどなかったような・・・。もししていたとしたら、アピール不足ですね。
人それぞれでいろいろな考えがあるとは思いますが、私がプロ野球が好きなわけは、「野球バカ」の集まりだと思っているからです。「他のことはなーんにもでけへんけど、野球やらせたら目が飛び出るほどうまい」人の集まりだと思っているからです。
ほんまかウソかよう分からんけど、清原は野球ばっかりやってたから電車の乗り方も分からへんかったとかゆううわさ。ふつうそんな大人がいたらエライこっちゃけど、プロ野球の一流選手ならどうってこともない。ほほえましいくらい。
大の大人があんなちっちゃいボールを必死で投げて、必死で打って、必死で追いかけるからおもしろい。「あの人ら、あれでけんようになったら(人生)しまいやで」と思うから、こっちも必死で見てしまう。
ちゃいまっかー、選手会さん。
「野球バカ」が野球やらんで、どーする!
世の中の多くの人と同じように「にわか善人」になっても、誰も喜ばんと思いますけど。
そんなもん、似合わんちゅうねん!
野球で一流のプレー見してくれちゅうねん!
私が日本一の野球バカだと思っている「高津選手」は、今回の選手会の動きをどう見てはったやろうね。聞いてみたい。
最後に、私の大好きな高津の言葉。
「野球が大好きなので、お金を出してでも野球をやりたい。
死ぬまで野球をやり続けたい、もちろんプロの現役選手として。」
あー、ちょっとすっきりした。
(新潟まで、高津見に行きたいなあ。)
全然関係ないけど、もうひと言。
「47歳の『野球バカ』工藤にも野球やらしたってくれー!」 (現在、浪人中。)
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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