2011年04月20日(水)
すべての武器を被災地に [時事]
今日、いいニュースがあった。
今まで誰も言わなかったことだが、多くの人が心の中で思っていたことが実現した。
◎毎日新聞4月19日
「東日本大震災:復旧優先、地デジ完全移行延期へ 被災自治体は歓迎 /宮城」
◇受信施設遅れ
東日本大震災の被害が甚大だった岩手、宮城、福島の3県について、総務省が7月24日の地上デジタル放送(地デジ)への完全移行を延期する方向で調整に入ったが、移行への準備不足を懸念していた被災地の自治体などからは歓迎の声が上がった。テレビは地震や津波の貴重な情報源の一つだが、ライフラインの復旧が優先され、工事が間に合わず「地デジ難民」が多数生じる恐れがあるからだ。
震災で住宅3軒が半壊、住民3人が仕事先などで被災し死亡したという石巻市小船越山畑。三浦正一郎・前自治会長(71)によると、この地区では山陰による難視聴のため住民約30世帯が組合を作り、昨年11月から共同受信施設の建設準備を開始。今年6月末の完成予定だった。
しかし、工事を受注した仙台市内の通信設備会社が震災後、有線をひくため大手通信会社に既存の電柱の利用を申請したところ、「電力の復旧に忙しい」と断られたという。今後いつ工事を始められるか未定だ。通信設備会社幹部は「住民向けに共同受信施設の工事説明会をしようとしていたところに津波で壊滅し、連絡がとれない被災地もある」と話す。
三浦さんは「もっと厳しい状況の被災者のことを思えば、地デジが間に合わなくてもラジオで我慢すればいい」と50年以上使うラジオをいとおしそうに見つめた。
地デジ難民を出さないよう、市民に繰り返しPRしてきた石巻市の鈴木瑞彦・情報政策課長は「アンテナ工事を進めようにも、ライフラインの復旧が最優先でそれどころではない状態。7月に間に合わせるのは難しい。延期なら歓迎だ」と話す。
放送する側にも震災のダメージがのしかかる。東北放送(仙台市)では南三陸町で地デジの中継局1局が津波で流失した。同社技術管理部は「被災地の状況を考え、震災直後から、7月25日以降の地デジとアナログ放送の同時送信を検討していた。国にはアナログ放送にかかる経費や被災地での新たな地デジ対策費を支援してほしい」と話す。
放送ジャーナリストの坂本衛さんは「元々準備が遅れている東北でのアナログ放送停止の延期は当たり前だ」と指摘している。
総務省などによると、全国の地デジ対応受信機の世帯普及率は10年12月現在、94・9%だが、県内は90・7%にとどまっている。【土本匡孝】
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震災後に一番に思ったこと。
いなかでのお年寄りの一番楽しみはテレビを見ること。震災直後は関連のニュース番組ばっかりで見たくもなかったやろうけど、落ち着いてきたらテレビが見られんかったらつらいやろうなあ。ほんまにささやかな楽しみやのになあ。
それが、7月24日ですべてのテレビが見られなくなるなんて。
「地デジ化」を急ぐ意味がいまだによう分からん。今まで普通に見られていた何千万台ものテレビがすべてゴミになるなんて。史上最大の反エコ政策としか思えんのですけど。
そんなことを平気で決定するような人たちは、都会といなかの人口だけを単純に比較し「一票の格差」をなんかの一つ覚えのように唱えている人にちがいない。
「一票の格差」がうらやましい人は、どうぞいなかに移住してください。そして、テレビを見るのを唯一の娯楽としているようないなかの暮らしを体験してください。そしたら、「一票の格差」もそうそう強行主張しにくくなるし、「地デジ化」も・・・。
とにかく、被災地3県だけでも延期が決まってよかった。いっそ、全国一斉延期にしても何の問題もないのでは。もし問題があるとしたら、どっかとどっかの癒着としか考えられません。どうですか。
さて、本題。(長い前ふりじゃー。)
「地デジ化」の延期については、震災後に思っていたのだがブログに書く機会がなかった。思ったことはすぐ書いとかななあ。
これ。
「今日本の軍隊(自衛隊)が史上最高に手薄になっている時なのに、どうして仮想敵国とやらは攻めてこないんですか。」
どなたか、これをきちっと説明してください。
日本を攻めるなら今しかないでしょう。「9.11」のような方法で原発施設に突っ込まれたら、日本はもう終わりでしょう。自衛隊が持っている武器なんて、何の役にも立ちません。それから米軍に援護を頼んでも後の祭り。と言うか、このたびの対応を見ても米軍は放射能の漏れている地域には入ってこないでしょう。
この際、何の役にも立たない(役に立っても困るけど)武器の購入はやめましょう。その予算を、全額震災復興に使うというのはどうでしょう。そうすれば、今ドサクサまぎれに消費税増税が画策されているが、それを阻止できるかも。「財源を示せ」とよく言われるけど、これで立派な財源になる。
この非常時に、殺人兵器の使用訓練なんかしている場合ですか。不謹慎な。自粛、自粛。(「不謹慎」、「自粛」という言葉ははこういうふうに使いましょう。)
そんな訓練せんでも、自衛隊の皆さんには当分の間災害復旧という大事な仕事が待っている。人を殺すのではなく、人を救うというやりがいのある仕事が。どうか、それに専念してください。
「すべての武器購入予算を被災地に!」
これが、私の真意です。
ついでやし、もう一つ言っとこ。(これは以前から言ってます。)
「一票の格差」を言う人は、「一原発の危険の格差」も「一米軍基地の危険の格差」もいっしょに論じること!
原発は過疎地に、米軍基地は沖縄に押し付けるな!
受益者負担の原則から言えば、人口の多い関東圏関西圏は原発・米軍基地を積極的に受け入れるべき。
「東京湾大阪湾に、原発・米軍基地を!」
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2011年04月19日(火)
「野球バカ」はどこ行った? [時事]
◎asahi.com 4月17日より
「新潟アルビ引き分け、高津投手も登板 BCリーグ開幕 」
プロ野球独立リーグ・BCリーグが16日、開幕した。新潟アルビレックスBCは、長岡市悠久山野球場で群馬ダイヤモンドペガサスと対戦、投手戦の末0―0で引き分けた。高津臣吾投手が9回に登板し、球場に訪れた1081人のファンを湧かせた。震災の影響で1週間開幕が遅れたが、選手らは「被災者に元気と希望を」と、無失策の全力プレーを見せた。
9回、高津の名前が呼ばれると、この日一番の歓声が上がった。群馬の小林恭兵に二塁打を浴びたが動じず、後続を抑えた。高津は試合後、「こんなに大きな震災の後に、たくさんの人が球場に足を運んでくれ、感謝している。登板して、今年も野球ができたという実感がわいた。仕事ができた」と話した。
観戦した新潟市の大野彦栄さん(63)は「高津も見られたし、ぴりっとした試合で、最高にいい開幕戦だった」と話した。
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東日本大震災後、私が一番残念だったのはプロ野球の開幕が遅れたことである。
被災地仙台を本拠地とする「東北楽天」が所属するパリーグは、早々に開幕延期を決定。しかし、セリーグは経営者側は当初の予定通りの開幕、選手会側がパリーグとの同時開幕を主張していた。紆余曲折があったが、最終的に選手会側の主張通り、4月12日・セパ同時開幕となった。
震災の数日後、ツィッターにこんなつぶやきがあった。
普段は「スポーツは人に夢と希望を与える」と言いながら、一番それらが必要な時には不謹慎ということで自粛される。さすがに矛盾を感じる。
【スポーツ協会へ】不謹慎という言葉を恐れてイベントを止めないでください。
私も同じことを思った。
まず、「東北楽天 」。
新監督は、原発のCM(いわゆる広告塔)を長年されていた星野氏。あの人は、震災後いったい何をされていたんでしょう。自分のまったく専門外の分野のCMを引き受け、「絶対に安全です」みたいなことを言っておられた。あなたの専門分野は、「野球」。もし心に引っ掛かるところがあるなら、一日も早く「野球」で償うべきでしょう。
「東北楽天」と名乗っているのなら、仙台の球場にこだわらなくても東北にはいい球場がいっぱいあると思いますけど・・・。収益は度外視して、東北全体をワクワクさせるような試合を早く開催するのはでけんかったんかねえ。
それから、選手会。
選手会も、震災後何をしていたんでしょうね。私には、ただ開幕を遅らせることだけ主張しているように見えた。その代わりに何をされたんでしょう。避難所で退屈している子どもらとキャッチボールをしたりとか、被災地の高校生と交流戦をしたりとか、私の知る限りではほとんどなかったような・・・。もししていたとしたら、アピール不足ですね。
人それぞれでいろいろな考えがあるとは思いますが、私がプロ野球が好きなわけは、「野球バカ」の集まりだと思っているからです。「他のことはなーんにもでけへんけど、野球やらせたら目が飛び出るほどうまい」人の集まりだと思っているからです。
ほんまかウソかよう分からんけど、清原は野球ばっかりやってたから電車の乗り方も分からへんかったとかゆううわさ。ふつうそんな大人がいたらエライこっちゃけど、プロ野球の一流選手ならどうってこともない。ほほえましいくらい。
大の大人があんなちっちゃいボールを必死で投げて、必死で打って、必死で追いかけるからおもしろい。「あの人ら、あれでけんようになったら(人生)しまいやで」と思うから、こっちも必死で見てしまう。
ちゃいまっかー、選手会さん。
「野球バカ」が野球やらんで、どーする!
世の中の多くの人と同じように「にわか善人」になっても、誰も喜ばんと思いますけど。
そんなもん、似合わんちゅうねん!
野球で一流のプレー見してくれちゅうねん!
私が日本一の野球バカだと思っている「高津選手」は、今回の選手会の動きをどう見てはったやろうね。聞いてみたい。
最後に、私の大好きな高津の言葉。
「野球が大好きなので、お金を出してでも野球をやりたい。
死ぬまで野球をやり続けたい、もちろんプロの現役選手として。」
あー、ちょっとすっきりした。
(新潟まで、高津見に行きたいなあ。)
全然関係ないけど、もうひと言。
「47歳の『野球バカ』工藤にも野球やらしたってくれー!」 (現在、浪人中。)
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2011年04月18日(月)
第6回宍粟市さつきマラソン・続き [ランニング・出張販売]
この「ブツ」にピンときたら110番、・・・じゃなくてー。
この「ブツ」にピンときた人は、ブログ「パオパオだより」のつうです。
さて、この「ブツ」はなんでしょう。
私のゴール後、兵庫の友人・まっちゃんがわざわざたずねて来てくださった。まっちゃんはハーフにエントリーしていたのだが、用事ができてしまい不出場。それでも地元姫路から近いということもあり、顔を出しに来てくださったのだ。
思い起こせば2年前、この大会でまっちゃんとのツーショット写真撮りましたなあ。
まっちゃんといえば、姫路市夢前町で小規模共同作業所を運営されている人。そして、「ランナーズ9の会」の会員であり、今もサブスリーをめざしている人。常に前むきで、自分に妥協することがない人という印象。
確かにそうなんですけどね、私にとっては頭がクラクラするほどおいしいお味噌を持ってきてくださる人でもあるんです。
そう、最初の写真の「ブツ」の答えは、「まっちゃん家特製お味噌」でした。
あのお味噌、私が思うに、絶対「ヤク」が入っているにちがいない。前にいただいたお味噌が切れてしまった時、私は完全に禁断症状が・・・。心イライラ、胸がムカムカ、よだれダラダラ・・・、ってそれはたいそうか。
私が生涯いただいたお味噌の中で最高のおいしさ、・・・と言うより生涯いただいたすべての食べ物の中で最高のおいしさと言ってもいいかもしれない。これは、たいそうにゆってるわけじゃあありません。ほんま、ほんま。ほんまにありがとうございます。また、お願いしますね。
さあ、知り合いの写真を撮りに行かなくては。
最初は、海部進さん。
岡山の釣りの達人です。数年前、「瀬戸内海タートルマラソン」の帰りのフェリーでお話させてもらってから親しくさせてもらってます。
もう70代なのに、ハーフ1時間48分台でゴール。すごいです。
「写真撮らせてもらったとき、すごいしんどそうでしたね」と言うと、「初めての参加でゴールがよく分かってなかった。スタート地点がゴールじゃと思うとった。あと300mもあったとは・・・」とのこと。
「どなたか存じませんけど、写真撮らせてもらいます。」
「ランナーズ9の会」のユニフォームを着ている人を見つけたら必ず写真を撮る。あとでナンバーカードでお名前を確認しようと思っていたが、半分しか写っていませんでした。
どなただったんでしょう。
次は、藤本綾乃さん。
出ておられるとは知りませんでした。でも、このスタイルにピンときたら・・・綾乃さん。元くのいち、現在は宇宙人?
とっさにシャッターを押したので、横からの姿になってしまった。残念。
はるか遠くまで見通せる直線。その向こうから、着実にきれいなランニングフォームで帰って来る人がいた。フラッシュグリーンのユニフォームがまったくぶれずに近づいて来る。
あれは、朝日啓介さん。
朝日さんは74歳。マラソン大会には必ず奥さんとごいっしょに来られる愛妻家だ。この大会も奥様が5kmにエントリーされていたのだが、奥様の体調がかんばしくなく一人で来られたらしい。「2時間以上も一人で待たせておくのはかわいそう」とのこと。
ゴールされたあとテントにあいさつに来られた時、お友だちが朝日さんの秘密をばらしてしまわれた。
「朝日さんね、心臓にペースメーカー入れてはるんですよ。」
「えー、それで毎週ほどマラソン大会出てはるんですか。だいじょうぶなんですか。」
「ずーっとやってきてるからね。でもね、去年の夏はそのペースメーカーの調子が悪くなって、とうとう取替えの手術になってしもうたんやけどね。そのあとウォーキングから始めて、ぼちぼち走って、また大会に出られるようになりました。今年の夏は、去年出られなかったアクアスロン(水泳+ラン)も3回ほど出る予定です。」
「そら、すごい。」
もうびっくりして言葉もありません。
「上品な愛妻家ランナー」、朝日さんにぴったりな形容ですね。
私もそうなりたい。
10時スタートのハーフは2時間半で交通規制解除。
このあたりからぼちぼち片付け始め、2時半ころにはきれいに片付け終わった。
土地をお借りしたDさん宅へお礼に。
猛烈にしっぽをふってくれている白いワンちゃん。
たしか、しろちゃんやったね。
あんなにしっぽふってくれてたのに、近づいたら急に元気なくなんねんなあ。なんで?
でも、お客さんの手をペロペロしてくれるからいいワンちゃんです。
このワンちゃんに会えるのも、この大会の楽しみの一つなんですよね。
また、来年会おうね。
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2011年04月17日(日)
第6回宍粟市さつきマラソン [ランニング・出張販売]
10kmスタート直後、「京都キャロット」の出店テント前を通過する。
まさか、ますみさんがカメラを構えて待ってくれているとは思わなかった。
きれいに撮ってくれてありがとう。
昔はこんなことしょっちゅうやったのに、ボクがちゃんと「ありがとう」を言わへんかったから、最近はごぶさたに。これですごくいい気分のスタートが切れた。
こっちもお返しの「パチリ」と思ってトライしたのだが・・・。
「なんじゃー、こらー!」
自分で自分の影を撮っていた。
「あーあー。」
話はドーンと飛んで、私のゴール後。
テントに戻ろうとすると、ますみさんがランナーの来る方向をずっと見つめていた。
「何してんのん?」
「また、写真撮ったげようと思って・・・。」
まあ、なんてけな気で気立てのいいヨメなこと。前からそうちゃうかなーと思ってましたけどね。
5時自宅発、7時会場着。
この大会は、会場向かいの畑をお借りして出店している。
まだ準備完了までいかずバタバタしているとき、かわいいワンちゃん発見。首に黄色いバンダナ。私がかまいに行くと飛びついてきてくれた。きゃー、うれしい。
「ちゃこ・メス・6歳」でした。
この畑をお借りするようになって、もう何年になるのだろう。それから幸い一度も雨が降っていないが、もし降ったらとんでもないことになるような場所。お天道様も、「京都キャロット」を応援してくれているのかな。
畑の横の細長い空き地に、細ながーく商品を並べる。
すべて並び終えたのは、受付終了時刻の9時近くだった。
受付をすませ、着替えてウォーミングアップのジョグへ。
会場のすぐ近くに、見えているだけで5ひきの犬を飼ってられるおうちがあった。その向こうにもちがう鳴き声が聞こえていたので、もっといるのかもしれない。すっげー!
ジョグしている時、朝日啓介さんとばったり。朝日さんは、私がお手本としている70代のランナーです。今年の「亀岡元旦ロードレース」でお会いする予定だったが、雪のため中止。渡そうと思っていた「万博クロカン」の写真を持ってきてよかった。
10時スタートのハーフは、1286名のエントリー。
朝日さんも、今日はハーフに出場。スタート地点で写真を撮らせてもらおうとしてさがしたが、ここでは見つけられなかった。
私が出る10kmは、一番最後の10時20分スタート。
今日の目標は、42分台。
前半の上りを22分以内、後半の下りを21分以内で。今の自分には、かなりきつい目標かも。
10時10分スタートの5km(368名)を見送り、いよいよ10kmのスタート。
全種目山側に向かってスタートなので、10kmも折り返しまで60mほど上る。
スタートのまん前に競技役員さんのテントがあったので、写真を撮っておいた。
10時20分スタート。
10kmは753名のエントリー。
最初に1kmごとの距離表示がなかった。ハーフ、10km、5kmとスタート地点が微妙にちがうので表示できないようだ。往復コースなので、スタート地点は3種目共通にしても問題ないと思うんですが・・・。
距離表示がないため、今自分がどれくらいのペースで走っているかが分からない。反対側にある「あと1km」「あと2km」の看板を見て、キロ4分半くらいのペースであることが分かった。
上の写真は、折り返してきた5kmのトップ。2位以下が豆粒ほどにも見えないくらいのダントツだった。
郵便局前で、毎年鳴り物の応援をしてくださる地元の方。これは元気が出ます。ありがとうございます。
4km地点あたりだと思うが、10kmのトップも帰ってきた。こちらもダントツ。2位以下が見えません。
私も折り返し、300mほど来たところが中間点。
22分32秒。思った通り、ちょうどキロ4分半ペース。目標より30秒ほど遅れ。42分台を出すには、残り5kmを20分27秒。それって、今の5kmのベストタイムじゃあーりませんか。いやいや、それでもチャレンジしよう。
ところが、帰り道には数々のトラップが・・・。
まずは、ゴレンジャートラップ。
こんなポーズのサービスまでされたら、しっかり立ち止まって写真を撮らないわけにはいきません。
出たー!
次は、美人殿様(?)トラップ。
ここは、毎年ちがうキャラでトラップを仕掛けている。それに毎年引っかかってしまう私のような「アホ」もいる。
ゴール前残り300m。
ここは、「京都キャロット」トラップ。
本来なら、ラストスパートで怒涛の走りをするところだが、「ますみちゃーん」。ちょうど接客中。私情よりも売り上げ優先、これは当たり前のこと。
すぐ記録証発行所に行くと、「まだ、出ませんね。もうちょっとしてから来てください。」
おー、これはゴールから発行所までの早さでは私が一番ってゆうこと?
しばらくしてからもらった記録証は、43分22秒。
目標の42分台には23秒届かんかったね。でも、後半5kmは、20分50秒。数々のトラップをかいくぐり、しっかり走れました。
最後の1kmも、「ますみちゃーん」と探してたわりに、3分59秒。なかなかやるやんけー。
記録証発行所の横に、見覚えのあるワンちゃん。
「いや、ちゃこちゃん。」
連れておられるのは、朝は女性、今度は男性。
「朝、ワンちゃんの写真撮らせてもらったものです。その時連れておられたのは奥さんですよね。今、走っておられるんですよね。」
「はい。」
「ハーフですか。10km?」
「えーと・・・。」
ダンナさんのほうは、マラソンにはあんまり興味がなさそう。それに、朝あんなにはしゃいでいたちゃこちやんも、なぜかうなだれている。きっと、今走っておられる奥様に早く帰ってきてほしいんでしょうね。
「京都キャロット」のテントに戻ろうとすると、ますみさんが・・・。
いつもは戻った途端にぼやかれることが多かったのに、こんなふうに迎えてもらうと疲れも吹っ飛ぶ。
あとは、知り合いの写真をしっかりとること。
それで喜んでもらえたら、私もうれしい。
まあ、ゴレンジャーはいいとして・・・。
(注)まだ、続きます。
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2011年04月16日(土)
滋賀マスターズ練習会 [ランニング]
「藤井さん、陸上競技やられてたんですか」と中島コーチ。
「いえ、全然。」
「最後の400m、すごいスピードでしたね。」
「そうですかー(ひっひっひー)。」
「よっ、ほめ上手!」と言いそうになりましたわー。
そんなんゆわれたら、私も太田君子さんに対抗して400m出てみようか知らん。去年までウルトラマラソンやってたのに、ついに400m出るか?
また、「パオパオは何がしたいねん!」って言われるやろなー。
今日も、途中越えで滋賀県栗東市の野洲川運動公園へ。
うちから静原を抜け、江文峠越え。
この道は、「とかしき島マラソン10km」の坂道対策として、去年おととしと何べん走ったか分からん。
大原の里を抜け、途中トンネル(無料化)をくぐり、琵琶湖大橋(200円)を渡って約1時間で到着。
滋賀マスターズの中島コーチから、今日の練習メニューの説明。
「6000mのペース走のあと、1000mと4000mをそれぞれ7分ほどあけて・・・」と聞きまちがえてしまいました。6000m+1000mはええけど、最後に4000mやてか。これは最後にフラフラになるパターンやな。こら、力温存しとかな危ないな。
◎実際のメニュー
最初に、トラックの大外6周ジョグ、約3km。
6000mペース走。
A、B2つにグループ分け。
私が入れてもらったBグループは、キロ5分ペース。
先頭小嶋さんと太田さん、2列目木村さんと私、その後ろに稲垣さん。女性陣3人に男性陣2人が引っ張ってもらうという光景に。
4分54、4分49、4分46、4分44、4分42、4分29で、28分27秒。
つなぎのジョグ1km。
次は1000m1本。
さっきより早く。でも私はこの後4000mが控えていると勘ちがいしていたため、あまり飛ばさなかった。
4分11秒。
また、つなぎのジョグ1km。
「さあ、最後の4000mじゃー」と意気込んでいたら、「藤井さん、何言ってんの。今から4000mも走るわけないでしょ。400m1本ですよ」と太田さん。
「えー、力残しといたのに・・・。」
「それなら、400m3本走りなさい。」
「それは、ちょっと・・・。」
400m全力。
こんなに必死に走ったのは、超久しぶり。
74秒。
それを見ていてくださった中島コーチが、「藤井さん・・・(最初の話に戻る)」。
このあと、トラック5周ジョグ。
これにて本日のメニューおしまい。
3+6+1+1+1+0.4+2で、今日は合計14.4km。
みなさんと少しお話したあと車に戻ると、ネコちゃんを散歩させている男の人発見。
「いやー、めずらしい。ネコちゃんのお散歩ですか。写真撮らせてください。」
「いつもは家から出さないようにしてるんですけど、外ばっかり見てるから出たいんかなあと思って連れてきたんです。」
「そうなんですか。お近くの方ですか。」
「いえ、水口からなんです。」
「えっ、わざわざ散歩に来られたんですか。」
「子どもの送り迎えがあって、そのついでに・・・。」
あーあー、競技場にいっぱい来てた小学生陸上教室の子のことやね。
「ちょっと小ぶりですけど、まだ子ネコですか。」
「いえ、ちょうど1年になります。」
「いやま、かわいらしい。お名前は?」
「りりぃです。」
「りりぃちゃん、全然こわがらへんにゃね。」
「そうでしょ。誰にでもなつきますよ。」
わー、うれし。お子さんが陸上教室に来てはるということは、またりリぃちゃんにも会える可能性が高いちゅうことやね。また、ぜひ連れてきてくださいね。
5月15日の滋賀マスターズの記録会は、800mと5000mにエントリーしようと思っていた。でも、今日太田さんに聞くと、5000mは朝一番の可能性が高いらしい。朝一番のトラック5000mはきつい。中島コーチにもほめてもらった事やし、400m、800m、1500mから2種目選んで出ようかな・・・。
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2011年04月15日(金)
バイトの先輩 [雑用]
おとつい、長代川の土手をきくと散歩していたら、バイト先の先輩と出会った。その方はUさんという人で、会社を定年退職後にこのバイトに来られたらしい。
毎日、長代川の散歩道をジョギングしたりウォーキングをしたりしておられるそうだ。バイトのほうも、ご自分の健康管理のつもりで来られていると言っておられた。バイトが決まった時、家族のみんなが「よかった、よかった」と喜んでくれたそうだ。
私の場合は・・・、どうなんでしょうね。
バイトが決まった時、なぜか真樹がうれしそうにしていたのを覚えている。ふだん失敗ばっかりでボロクソに怒られている姿しか知らないので、パオパオがどっかで役に立てたらいいなあとでも思ってくれたんかな。
あの時の笑顔は、ナゾ!
こないだおもしろいことがあった。
仕事が早く終わると、バイト仲間が集まって休憩する。その時、バイトの年休の話になった。
私が行っているバイト先はしっかりしたところで、アルバイトでも6ヶ月を過ぎると年休が取れるそうだ。ただし、自分が休むと穴があいてしまうので、そこをうめてくれる人を自分で探さなくてはいけないらしい。
私の指導係の先輩Kさん(大学生)の話。
「藤井さんの入っている曜日は、代わりがなかなかいませんね。うーん、でも何とかしましょう。休みたい時は言ってください。」
「あっ、ありがとう。」
あー、ありがたいお言葉。大学生やのにしっかりしとるわい。
うん? ちょっと待てよ。年休取れるのって、半年先の話やろ。
わしゃーまだ1カ月も来とらんのに、半年先まで期待されてるってこと?
バイトし出してからけっこうミス連発してたけど、ちゃんと受け入れてもらってるってこと?
ほんまのほんまに、私のような初老のオッサンをうまいこと使ってくれて、ありがとうねー。
今日は雨が降り、満開だった桜もだいぶ散ってしまった。
写真をとっておこうとうろうろしていると、見覚えのあるワンちゃんが・・・。
「ワンちゃん、お名前なんでしたっけ。」
「パプロです。」
「そうそう、パプロちゃん。何歳でしたっけ。」
「もう14歳で、真っ黒だったのがだんだん薄くなってきて・・・。」
「いやいや、まだまだ元気ですよ。なあ、パプロちゃん。」
「上の橋のところのしだれ桜がすごくきれいですよ。」
「あっ、そうですか。それは写真撮らなあかんね。行ってきますわ。」
実は、真樹も来週からバイトに行くらしい。
パオパオもがんばって続けるし、真樹もしっかりな!
※ 4月11日「沖縄KING」の記事をやっと書き上げました。よろしかったら戻って見てください。
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