2010年10月20日(水)
きく、よわ! [わんこ・にゃんこ]
また、きくが返り討ちにあってしまった。
今日の午前、私がお皿洗い、ヨメさんが洗濯物干しをしている時、表できくの「ギャウン」という声。私もヨメさんも、きくはお互いのほうに引っ付いているものと思い込んでいた。知らん間に開いていたところから表に出ていたようだ。
しばらく二人で探し回って、やっとヨメさんが見つけて連れて帰ってきた。
家に帰ってからのきくの様子がおかしいので、前足を見てみると血が・・・。つめ1本が折れかけていて、肉球の皮もむけている。
ヨメさんがきくを発見したとき、近くには犬も何もいなかったらしい。いったいどうしてケガをしたのか。
私は車にでも引っかけられたのかと思った。でも、車は通っていなかったようだし。
「まさか、熊?」
それはないわなあ。
ヨメさんの説では、ネコを追いかけて行って、どこかによじ登って自分で落ちたのではないか。だから肉球がすりむけていると。
でもきくって、今までどっかによじ登ったことってあったっけ。
ナゾにつつまれた「事件」だが、きくが相当ショックを受けていることはまちがいない。
とにかく、これからきくが私らの目の届かないところに行かないように気をつけなければ。
昨日は、いなかのおじいさん(私の父)が、土手の草刈りをしていて転げてしまい、救急車で運ばれた。(大事には至らなかった。)
今、ちょっと気を引き締めなければいけない時期なのかもしれない。
それを、きくちゃんが教えてくれたのかな。
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2010年10月19日(火)
「四万十」前日 [ランニング]
順番逆ですけど、「四万十」前日。
玄関の戸を開けたまま荷物を車に積んでいると、知らん間に後部座席にきくがちょこんと。
「きくちゃん。きくちゃんは行かへんねんでー。待っててね。ますみちゃーん、きくによう言い聞かせたって。」
きくは私のゆうことはあんまり聞かへんのに、ますみちゃんが説得したらすぐ納得する。
今年も瀬戸大橋を渡って四国入り。
運転しながらカメラをパシャパシャ。(よい子はマネしないでね。)
受付会場に着いたのは、夕方の5時45分。残り15分、ギリギリセーフ。
こんなギリギリに来ている人はほとんどいない。
広い体育館がガラーンとしていた。
ここから、また泊まる予定の窪川へ戻る。
1階がうなぎ料理店の「うなきち」さん。
前もって電話予約をしておいたのだが忘れておられたようだ。まあ、食事ができてそのあと寝られたらぜいたくは言いません。
お店には先客があり、私がウルトラを走ると言うといろいろと話しかけてこられた。
結論。「うなきちのうなぎを食べたら、明日の完走まちがいなし!」ということらしいです。
この「うなきち」さんの若い従業員さんも、毎年「四万十」に出ておられ、入賞もしておられるらしい。
ウルトラの前日に、こんなにたくさんの地元の人とお話させてもらったのは初めて。
注文したのは「うなきち定食(2500円)」。
このうなぎがまた、食べに来ておられたお客さんが言われるとおりの抜群のうまさ。いやほんまに、明日馬力が出そう。
鮎の塩焼きもついてこの値段は安い!
ビールをジョッキ2杯飲んだ後、「さっきのお客さんが残していったビンビールが手付かずで残っているんだけど、飲まれます?」
「はい、いただきます。」
こんなに飲んだのは久しぶり。顔まっかっかになって、さっき勧められたおかみさんまで今度は「だいじょうぶですか」と心配しておられた。
「だいじょうぶ、だいじようぶ。あとは寝るだけですから・・・。」
エレベーターで上った部屋は、シーンと静かだった。どうもこのビルは、「うなきち」のお店の方が帰られた後は私一人になったようだ。これはゆっくり寝られるわい。
おっと、一個だけしっかり準備しておかなくてはいけないことがあった。ゼリー系食糧の半分をウエストバックに詰め込み、残り半分を62km地点のレストステーションに送る荷物に詰め込む。
今までも同じようなことをくり返してはいたのだが、いつもほとんど手付かずで終わってしまっていた。でも、今回は初めから積極的に食べるぞー。
そう思いながら、しっかり寝ることができた「四万十」前日でした。
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2010年10月18日(月)
第16回四万十川ウルトラマラソン・続き [ランニング]
「すいませーん。あのー、フェンシングをやってられた方ですよね。」
ヨメさんの高校のフェンシング部の先輩が、この大会に出ているはずと聞かされていた。それで、京都から参加の選手が見つけられないか注意しながら走っていた。
この大会のナンバーカードは、ナンバーの下に大きく都道府県名が書いてある。これは助かる。
60km過ぎ、追いついた「京都府」のナンバカード。よく見ると、今度は小さな文字でお名前が・・・。「大坪○○」、まちがいない。
「はい。えーと、藤井さんですよね。」
「そうです。ヨメさんからお世話になったと聞いてます。」
ここから「カヌー館」まで、いろいろな話をしながら並走。私が一番聞きたかったのは、ヨメさんの高校時代の悪事の数々。しかし残念ながら、そのあたりの話は聞き出せなかった。
ヨメさんと、「何で先輩は高知の端である大会やのに何回も参加してはんにゃろう」と言っていたのだが、そのわけが分かった。奥様の実家が、この大会の地元中の地元・西土佐村(現在は、四万十市西土佐)。さらに聞いて驚いたのは、奥様のお父様が大工さんで、その時私たち二人の目前に迫っていた「カヌー館」を建てられたというのだ。それなら毎年来られるのもよく分かる。
「今まで一度も関門収容されたことはないんですけど、今回はダメです」と大坪さん。
「そんなんまだ分かりませんて。最後まであきらめんと走りましょ。」
一つだけ大坪さんにあやまらなあかんことがある。
今まで一度もリタイアされていないと聞いて、「フルはどれくらいで?」と聞いたとき、「速い時でサブ4です」と答えられた。その時思わず「そんな遅いんですかー」と言ってしまった。なんと失礼な!
フルまでのタイムがそんなに速くなくても、そのまま100km走れる人が本当にウルトラの適性がある人と言える。見習わなあかん人でした。
大坪さんといっしょに入った第3関門62.1kmの「カヌー館」。
ここも見かけは30分の貯金だが、実質12分。あまりゆっくり休んでいられない。
ここで待っておられた大坪さんの奥様にお願いして記念写真。
大坪さんの奥様は、美しさとかわいらしさを兼ね備えた魅力的な方でした。まあ、うちのヨメさんとええ勝負です。(ヨイショっと。)
5本指ソックスをはき替えたあと、またエイドでおにぎりをパクリ。本当にゼファー750さんの教え通り、初めから食べておいたら後半も気持ちよく食べることができる。ウエストバッグに入れてきたゼリー系の食糧も、ここまでで全部食べつくしていた。こんなことは初めて。
「最初から食べる」というこの教えは、もしまたウルトラに出ることがあったら守っていこう。
ただし、途中で抜けた差し歯を元の場所に戻していたことを忘れていた。歯がないと、肝心なときに歯を食いしばれない。(私が今までウルトラを完走できないのは、食いしばるべき歯が欠損しているのが原因かもしれない。)
今度はおにぎりごと変な噛み方をしたので、「バキッ!」
わずかに残っていた土台の歯がポロポロに。あーあ。
でも、そんなことにかまっているヒマはない。抜けた差し歯をまたポケットに入れ、再スタート。
このトランペッターさんは、去年もここで応援してくださっていた。
このあたりは応援の少ない区間なので、ほんとに心強く思います。ありがとうございました。
去年、ちょっと余裕をかましすぎてしまった沈下橋。その時は、この先の関門に引っかかるとは思ってもみなかった。
今年は、関門規制時刻をきっちりメモしてきたのでだいじょうぶ。
大会役員さんらしき方にお願いして写真を撮っていただいた。
「平和・憲法九条」のミニのぼりが光っています。
橋を渡ると、オカリナ奏者。心なごむ音色です。
確か、去年はこの場所ではなかったような・・・。
70km、9時間54分。
平均ペースでは、ここは9時間48分で通過しなければいけないところ。かなりペースが落ちてきているが、71.5kmの関門は甘くしてあるのでたいじょうぶ。ただ、その先の79.8kmの関門が危なくなってきた。
「おー、立命(立命館大学)の旗! 私も立命の卒業生です。」
それより、ワンちゃんの写真やね。
でも、柴犬は飼い主さん以外には愛想なしです。
橋を渡れば71.5kmの関門。
去年は2分足らずでアウト。今年は2分余しでセーフ。
関門ギリギリまで待ってみたが、大坪さんは追いついては来られなかった。残念!
さあてここから次の関門までの8.3kmを、1時間ちょいで行かねばならない。キロ8分ペースをキープしないと・・・。
ここから先は去年到達できなかったところ。
ギター演奏での応援、ありがとうございます。
だんだんと、明らかにキロ8分ペースをオーバーするペースに落ち込んでいく。
ただし、ゼファー750さんの教え通り食べ物の補給をこまめにしているので、割と意識ははっきりしている。歩きたいとも思わない。自分ではしっかり走っているつもりだったが、歩いている人に次々と抜かれる。
「なんじゃー、こりゃー。」
ちょっと退屈しかけた時、目を覚ましてくれる美人ダンサーさんが。
「写真撮らせてください。ブログに載せたいんでー」と言うと、喜んでポーズをとってくださった。ありがとうございます。
ここらあたりから、再びキロ8分ペース復活。
あーん、わき道にかわいいワンちゃん見つけてしもたー。これ、かまわんでどうする。
「かわいいワンちゃんですね。お名前は?」
「ラム。」
「いやー、ラムちゃんかいな。女の子やね。お歳は?」
「歳? 歳はなんぼじゃろうね。」
へへへー、歳がすぐ出てこんワンちゃんは、たいてい雑種です。めっちゃ、かわいいー。
小学生が作ってくれた看板が設置されていたので、大会役員さんにお願いして写真を撮っていただいた。
次の関門制限時間まで、あと3分か。うーん。
それでも強制収容されるまでは、一歩でも前に進むぞー。
結局、78.3kmあたりでお迎えの車に。
その先の79.8kmの関門から、バスでゴール地点へ。
ここからバスに乗った人はすごく少なかった。
この大会は完走率が8割とか。きっちり練習されてきたランナーには完走しやすいコースだと言えるのだろう。
今回は左足の痛みも何とかおさえ、食べ物も小きざみにとり、歩きたくなってしまうということもなかった。でも、自分の思っていた速さはキープできなかった。やっぱり、前半でもうちょっとたくさん貯金を作っておかなくてはならないのだろうか。悩みは尽きないですね。
今回ウルトラ初使用の「NB・MR967R」は思っていた以上によかった。私のように足の痛みが出ないかと不安を持っているものには、最適であったように思う。
ただ、「シューズ全体が光る」という特徴を夕闇の中で確認したかったなあ。まだ明るいうちにバスに収容されてしまったし・・・。
ゴールに戻ると、12時間少しのランナーが次々とゴールされていた。ああ、うらやまし。
荷物を取りに行くと、「キャロットさん」と声をかけてくださる方が。長崎の宮園さんでした。「京都キャロット」の通販のお客様です。
阿蘇ウルトラが中止になったので、急きょこちらを申し込まれたらしい。軽々11時間台で完走のようです。
うらやましい。
荷物を持って帰ろうとしたら、スタート直後かなり長くいっしょだった仮装ランナーさんにバッタリ。なんと、こちらも11時間台で完走。強い!
またまた、うらやましい。
かっこよかった蛍光色のゲイターをパチリ。
「私のブログで宣伝しときます。」
きようは素泊まりの予約なので、会場から車で5分ほどのところにあるスーパー銭湯へ。名前がよろしい、「平和の湯」。
おふろから上がって、ラーメンとミニ親子丼。いつものように気持ち悪くもならず、ぺロリと食べられた。
あーあ、楽しかった3大ウルトラ(サロマ、丹後、四万十)が終わってしもたね。69→87→78か。(というより、参加費だけでも3つで45000円か・・・。)あーあ。
これからどうしたらいいんやろう。ゆっくり考えることにしよう。(しみじみ・・・)
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2010年10月17日(日)
第16回四万十川ウルトラマラソン [ランニング]
※前回「丹後ウルトラ」は結果報告をじらしましたが、それは何の意味もない。
「四万十川ウルトラ」は、およそ78.3km地点で強制収容でした。
ぼちぼち記事を書いていきますので(どんどん増えていきますので)、また見てくださいね。
3時起床。
私が泊まった窪川から四万十市までは約50km。
前の晩に作っていただいたおにぎりをほおばりながらの運転。3個のうち2個は運転しながら食べることができた。
四万十市からはバスでスタート地点の蕨岡中学校へ。残りの1個のおにぎりも、その蕨岡中学校についてから食べきった。
今日の最大のテーマは、走友・ゼファー750さんからの教え「食べたくなくても初めから積極的に食べる」を実践すること。いつもより大きめのウェストパックに、ゼリー系の食糧を入れられるだけ入れた。(ちと重い。)
そろそろスタート地点に向かおうかというとき、「藤井さん」と呼ぶ声が。「丹後」でもお会いした土井さん。
土井さんは過去5回申し込んでみなはずれ。今年やっと選ばれたそうだ。そう思うと、私は2回申し込んで連続当選なので運があるほうなのかもしれない。はずれた人のためにも、あきらめずにできるだけ進まなければ・・・。
ただし、気になるのは左足。2週間前は50mも走れなかった。
「あいおわ治療院」さんに詰めて通ったので痛みは和らいできたが、いまだにこわくて走れない。5日間まったく走らずに本番を迎えたが、これがどっちに出るか。
最後尾に陣取っていたら、今年もまた「みかた」の久保井さんがギリギリになって駆けつけた。どう見ても目がしょぼしょぼ。「また、二日酔いのスタートかいな・・・」と思ったが、どうもそれだけが理由ではなかったようだ。
「藤井さん、ウルトラの途中で眠たくなったことない?」
「ボクはあんまりないですけど、それってよう聞きますね。」
「こないだの『村岡』で眠り病になってしもて、途中で1時間半も寝てしもたわ。」
「えー、それで完走できたんですか。」
「それは問題なかったんやけど・・・。」
久保井さんは、去年の「村岡」では携帯電話に仕事の依頼が入り途中抜けをしたというし、ほんまわけわからんオッサンです。(私と同い年。)
久保井さんとしゃべっていると、横から「こんにちは」とあいさつしてくださる方あり。去年もこの「四万十」の記事に登場していただいた原さん。おきれいな八田さんという方との2ショット。お二人とも、「京都キャロット」のお得意様です。
さあ、そろそろスタートかというとき・・・。
「あれ、みんな両足にチップつけてるやん。これって片方だけでいいんとちゃうの?」と久保井さん。
「いや、他の大会は片っぽだけですけど、なんやさっきから『両足につけてください』って放送してましたで。」
「あー、えらいことや。一応持っては来たんやけどな。今からつけよう。」
ピストルの音は聞こえなかったが、前にいたかたまりが遠ざかっていく。
「藤井さん、ええから先行って。」
人のことをかまえる余裕もなく、もちろん私は久保井さんを見捨ててスタート。(と言っても、最後尾ですが。)
今年は100kmの部に3000人ちょいの応募があったそうだ。出場枠は1500人ちょい。競争率2倍です。
スタート地点までバスでの選手の送迎があるので、ここらが限界か。でも、100kmにこだわらず、ゴール地点からスタートしたらあかんのかな。バスで10分ちょっとやったから、10kmほどとちがうんかな。いっそ「四万十川110kmウルトラマラソン」にしたら、定員増やせるのに。
レースに出るとき、いつもウェアで悩む。それは暑さ寒さで着用するものを悩むのではない。
今持っているランシャツランパンは、「京都キャロット」の黄色と、「ランナーズ9の会」の青。店の宣伝が重要な時は「京都キャロット」、そうでもないときは「ランナーズ9の会」と使い分けている。
今回は店の出店もしていないので、「ランナーズ9の会」のユニフォームで出ようかとも思った。でも、この大会の参加費や旅費などはすべてヨメさんがかせいだお金から出ている。それならせめて店の宣伝をせんとね。今回は、「京都キャロット」の赤いTシャツで出ることにした。
その代わり、多少とも平和のアピールもしたい。「ランナーズ9の会」には、大きなのぼりを持って100kmを走る人もおられる。私にはとても無理なのでネットで調べてみた。
ありました!
「関西共同印刷所」の憲法グッズ。
ちっちゃいのぼりをウエストパックにはさみ、憲法9条シールをTシャツに貼り、頭には憲法9条手ぬぐいを・・・。これなら私でもできる。(ちっちゃなアピール!) ここで、トップの写真へ↑
あたりが薄明るくなったころ、かわいいワンちゃん発見。
たぶん、2ひきともかわいい雑種。
ここのコースは、いなかのわりにワンちゃんが少ない。そういう意味でも今年はラッキー!
給水所があるところで、用意してきたゼリー系をいっしょにガブリ。今まで食糧を持ち歩いたことはなかったが、食べようと思えば食べられるものだ。
蛍光色のゲイターをつけているランナー発見。
「あっ、すいません。そのゲイター、すごく目立ちますよねー。」
「よくぞ聞いてくれました。」
「ちょっと見たことないような・・・。」
「そうでしょう。僕の友だちが輸入の仕事をしていて、外国から仕入れたものなんです。蛍光ピンクとか全部で15色くらいあって、値段も日本製と変らないんですよ。」
どうせ身に着けるのなら、あんな目立つ色がいいなあ。
10km、1時間12分。
キロ7分ちょっと。とりあえず、理想的なペース。
左足は痛み出しているが、普通の痛み。激痛とまではいっていない。そうろりと走ったら、まだまだ行けそう。
コース沿いのおうちから「ワンワン」とほえ声。
「こら、写真撮らんなん。」
ちょっと道をそれると、かわいいかわいいワンちゃんが。これは、私らを応援してくれてるんやね。
「あっ、『9条の会』の人や。9条ゆうても九条ねぎとちゃうで。憲法9条やで」とプロペラさん。
「あっ、そうそう。スポーツ店の雑用係さんや。ねえ」とオレンジTシャツさん。
「お二人とも『つう』ですなあ。『9条の会』とか『雑用係』とか、なかなか言えませんでー。」
「あっ、『京都キャロット』というと・・・。」
「はい、ランニング用品店です。」
「あっ、やっぱり。僕も京都からの参加なんです。」
「もう何回も出てはるんですか。」
「いえ、去年初めてで。ウルトラ自体が初めてだったんですけど・・・。」
「ひょっとして、それで完走?」
「ええ、ぎりぎりですけど・・・。」
「すごいですやん。」
「81kmに、すごい私設エイドがあるでしょう。」
「いや、私もここは去年初めて出たんですけど、そこまで行けてませんねん。」
「ビール出ますよ。カニとかもありますよ。」
「えー、そらええこと聞いた。今年はどんなことしても81kmまで行かなあきませんね。」
しばらく話をしながら並走してくださったのは、佐山さんという方でした。走る意欲のわく情報をありがとうございました。「ビールは苦手だが、カニは食いたい!」このあと、この思いがだいぶ私の推進力になりました。
20km、2時間30分。
この10km、1時間18分。ずっと上りであった割には健闘。
「最初の堂ヶ森の上りが・・・」と言われる方が多いようだが、私はこの上りは大好き。
さあ、やっと来ました。おにぎりがある最初のエイド。
ゼファー750さんの教えどおり、それほど食べたいという感じでもなかったが1個いただく。
このとき事件が・・・。
なんか歯がおかしいと思ったら、おにぎりをかんだ拍子に差し歯がポロリ。「あー、こういう恐れがあったんや。」すっかり忘れていた。ああ、こんな大事な時に・・・。
取れた差し歯はトランクスのポケットに。いつもならランパンだったので、今日はトランクス型パンツにしといてよかった。
差し歯抜け記念の1枚。大会カメラマンらしき方にお願いして撮っていただいた。
21kmのエイドを少し上ったところから、今度は下り。
スピードアップするかと思えば意外に遅い。
給水所を手伝ってくれていた小学生。
「名前、教えて」と言ったら、ちっちゃな声で「○○たくひろ。」
ありがとね、たくひろ君。おっちゃんはな、ちっちゃい子が応援してくれたらほんまにうれしいねん。
おー、川向いの田んぼから大声の応援。うれしいっス。
30km、3時間48分。
この10km1時間18分ということは、下りばっかりやったのに上りばっかりと同じタイム。
どういうこっちゃ!
やはり、下りのほうが足への負担は大きい。
調子に乗って飛ばしてしまわないように、道端の花などもゆっくり観察しながら走らなくてはいけない。
小さくてかわいい女の子のハイタッチの応援。
「写真、撮らせてね」と言ったらはにかんでしまった。
お母さんに娘さんのお名前をお聞きすると、「かこです」とのこと。ありがとね。その応援がどんなにうれしいことか・・・。
「わかものー、写真撮るでー」と言ったら、このポーズ。
ここではバナナをいただいた。
エイドの近くにすわっておられたおばちゃんが、私が腰につけている「平和・憲法九条」のミニのぼりを見て一声。「平和の使者、がんばれー。」
「ありがとうございます。最後の最後まで走り続けまーす。」
この橋を渡ると大通り。しばらく単調なコースになる。
道路の反対側にかわいいワンちゃん発見。わざわざ横断して見に行った。
「いやま、バナナ食べてはりますやん! うちのは、バナナは食べませんけど・・・。」
「今、知り合いのランナーが通ってやってくれたんですよ。だから食べてるんやと思います。」
「ハチ・なんとメス・1歳」でした。
四万十川沿いにしばらく走るとトンネル。
トンネル内は1車線をコース専用にしてくださっていた。これだと恐怖感なく走ることができる。
40km、ちょうど5時間。
この10kmは1時間12分。
ほんとうに理想的なペースで進んでいる。
この先の大きなエイドで、またおにぎりをパクリ。
全然普通に食べられた。今までの大会で食べたくなかったのは何でやろ? よう分からん。
エイドを手伝ってくれている中学生が、私のミニのぼりに気付いてくれた。
「平和・・・、憲法九条・・・」と小さな声で読んでくれた男の子。
「守って行こな!」と私。
この思い、伝わったかな。
写真ばっかり撮っていて、タッチをするのを忘れてしまった。これはもったいない。
四万十川を見下ろすと、渡し船が見えた。
風情がありますなあ。時間があれば乗ってみたいなあ。
道路わきの石の階段の上にかわいいネコちゃん。カメラを向けても逃げない。
こんな一瞬の間にネコちゃんを見つけられるということは、私もまだまだ余裕があるといえる。
50km、6時間26分。
この10kmは1時間26分もかかっちゃったね。日差しがきつくなってきたのが一番の原因かな。でも、まだ34分の貯金があるのだからうれしい。
沈下橋では、プロのカメラマンさんが写真を撮ってくださっていた。
「きれいに撮れてたら、買います!」
「あっ、お願いします。」
この先は第二の上り坂。去年はここでだいぶ歩いてしまった。今年は歩くまいと思い、自分では走っているつもりだったが、明らかに歩いている人に抜かれていく。「くっそー。」
去年もここから同じ写真を撮った。これぞ、「四万十の清流」。
去年はこの辺からヨメさんに電話した。
京都を出るとき「今年も電話していい?」と聞いてみたが、「アンタの遊びの相手をしてるヒマはない!」とキッパリ。しょうがないので真樹にメール。真樹は、3時ごろ、冬休みのバイトの面接に行く。
「面接、しっかりね! 今、55キロをこえました。足は棒。でも、まだまだ走ります。」
峠を越え下りに入ったところで声をかけられた。
大会でよくお会いする大阪の福原さん。少し弱りつつある私を追い抜き、快調に下って行かれた。
第2関門55.6km地点到着。
これだと38分の貯金に見えますが、平均ペースから計算すると実際は18分くらい。もうおしりに火が・・・。
またもや、広くて真っすぐな単調なコース。
しかし、給水所から元気な声が聞こえてきた。「がんばってくださーい!」
「ありがとうね。高くてよく通るいい声やわ。その声で、ほんまに元気が出てくるわ。ここ単調なコースであきてくるから、しっかり声かけてね。たのむわ。」
60km、8時間11分。
この10kmは1時間45分かー。貯金は13分まで減ってしもた。
でも、まだまだあきらめへんでー。
(注)後半に続く。
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2010年10月16日(土)
「四万十しっかり!」 [ランニング]
「廉、四万十行ってくるわ。」
「あっ、またかあちゃんにおこられるヤツか。」
「そそそ。」
うちの子どもらにとって、私の「ウルトラ挑戦」=「かあちゃんにおこられるヤツ」。トホホー。
こんなときは、きくとあんもに応援してもらうしかないね。
今日の朝8時にきくのお散歩。
帰り際、なんか私の顔をチラチラ見る。
と思えば、いきなり私のシューズを「ガブガブ」。
「きく、あかんて、これさらの高いヤツやにゃってー。」
きくは、そんなことおかまいなしに「ガウガウガウ」。
「くつに穴あくって!」
「そっかー、パオパオに喝入れてくれとんのか。」
ずっと「四万十」で使うシューズを、「サロマレーサーST」にするか「NB・MR967R」にするかで悩んでいたが、これで決まり。
きくチャンのツバつきシューズに決定。
「次は、私の出番ですかな?」
「あいおわ治療院」に行った後、10時ごろ、あんものえさやりに。
「オッサンに2、3発、ネコパンチ入れといたろ。」
「ありがとうございます。」
「シャー、シャー・・・」 (目にもとまらぬ早わざ。)
「そんなことより、ごはん、ごはん。」
「ははー。」
「オッサン、本場高知のかつお、こうてきてな。」
「ははー。」
「ほんなら、行ってきまーす。」
※悲しいお知らせ
「丹後ウルトラ」ブログコンテストの結果が発表されました。31分の5の確率で当選だったので、ほぼ当選かなあと思っていたら・・・。
見事、落選。
当選の報を聞いて「四万十」に臨めると思っていたのに・・・。ガックリでした。
あのー、「読者が選ぶ特別賞」とかはないんでしょうか。それやったらひっかかったかも・・・。
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2010年10月15日(金)
野良犬、野良猫 [わんこ・にゃんこ]
上の写真は、1996年8月21日、いなか(花背別所町)の私の実家の前の川で遊んだときのもの。廉5歳になりたて、真樹はあと2日で2歳。川側にひかえる「エリちゃん」は、推定8歳半(ひろってから7年。)
エリちゃんは、れっきとした野良犬。このあともう8年生き、推定16歳半で天国に行ってしまった。あれから6年がたつ。
この写真は、今も真樹の部屋に飾ってある。
1989年、当時私は雲ヶ畑小学校に勤務していた。その年の2学期が始まった時、白っぽい犬の親子が雲ヶ畑にほかされている(捨てられている)と話題になっていた。子犬のほうは学校の管理用務員さんが引き取ってくださった。
母犬はすごく人なつっこい犬で、お昼は学校に来て、中学校の女子からパンや牛乳をもらって飢えをしのいでいた。その女の子たちは、その犬に「エリ」という名前をつけていた。
そして、いつの間にか講堂の裏にねぐらを作っていついてしまった。それが管理職の間で問題になり、ついに保健所行きということになりかけていた。その前の日、講堂の裏で日向ぼっこをしていたエリちゃんに聞いてみた。
「エリちゃんなあ、ここにいたら明日保健所に連れて行かれんねん。よかったら、うち来る?」
エリちゃんは、へらへら笑いながら私についてきて、自分で私の車に飛び乗った。(誘った私も、ちょっとビックリ。)
ひろってきてから15年、エリちゃんの世話は全部ヨメさんがやってくれていた。私は、いいとこだけもらって世話をせず。
一番きつかったのは、エリちゃんの2回目の(通算3回目の)出産の時。これがうちのヨメさんの2回目の出産(真樹)と重なって大変だった。生まれた子犬が毎日夜泣き。エリちゃんは心労が重なって毛がいっぱい抜け・・・。ヨメさんも心労が重なって・・・。
1997年、いなかに引っ越してからのエリちゃんは悠々自適な生活。
でも、2004年の夏、ついにその日はやってきた。
膀胱の具合が悪くなり、そこからたぶん体の毒が全身に回ってしまったのだろう。7月の終わりに立てなくなり、寝たきりになってしまった。もう動くこともできなくなった夜、玄関の板間でエリちゃんと一晩いっしょに寝た。
何分かごとに、「ヒー、ヒー(痛い、痛い)」と泣く。ところが、私が起きてエリちゃんをヒザの上に抱っこしてやったら、その「ヒー、ヒー」がおさまった。あれは痛みがましになったのではなく、夜中に起きている私に気を使ったのではないかと思う。その時のことは思い出すたびに泣けてくる。(あかん、今もちょっと泣いてます。)
次の日のお昼、「エリちゃん、きれいきれいにしようなあ」と言いながらエリちゃんの背中にブラシを入れている時、エリちゃんの心臓は止まってしまった。私と真樹に看取られて、エリちゃんは天国へ。そのあと廉も呼んで、3人でどんだけ泣いたことか・・・。
フルマラソンやウルトラマラソンを走っていると、今も必ずエリちゃんが現れる。ほかの時はほとんど忘れているのに。私が完走もできないくせに何度もウルトラマラソンに出るのは、エリちゃんに会いたいからかも・・・。
さて、エリちゃんがうちに来た年からさかのぼること3年。1986年にひろってきたのが、キャロちゃん。キャロちゃんも、れっきとした野良猫です。(と言っても、まだ子猫でしたが。)当時私が勤務していた上賀茂小学校の子がひろってきて、こちらも保健所行きの前に引き取ってきた。
キャロちゃんの正式名称は「キャロット」。もうお分かりですよね。「京都キャロット」の「キャロット」はにんじんではありません。このキャロちゃんの名前をそのまま店の名前につけたんです。
キャロちゃんが出産して3びき。その子のルビコとパティコがそれぞれ出産してもらわれていかなかった(残った)3びきとあわせて計7ひきが我が家に。
(キャロちゃん→チョンちゃん・ルビコ・パティコ→チビンタ・ネーモちゃん・コメちゃん)
きくをひろってきた同じ年に、雲ヶ畑で黒猫あんもをひろう。
つまり、廉が生まれたときには犬1ぴき猫8ひきの大家族。みんな人間の子がめずらしくて、見て見てしていた。
真樹が生まれたときも同じ。
うちの二人の子は、犬と猫に見守られてすくすくと育ちました。
今は21歳のあんもだけになってしまったけど、廉も真樹もきっといい思い出をいっぱい持ってくれていると思う。
やっと、本題です。
なぜこんなに長々とうちの野良犬あがりの犬、野良猫あがりの猫を書いたかと言いますと・・・。
おととい、テレビでお笑い芸人が「お前は野良犬のにおいがする。くさい、くさい」。
きのう、またテレビでお笑い芸人が「お前は皮膚病の犬か」。
こんな表現で笑いを強要する愚かなお笑い芸人。好きで野良犬になっている犬はいない。好きで皮膚病になっている犬もいない。みんな私たち人間のせいです。
これらの発言には氷ついた。どうか、こんな発言をおもしろいと思う人が多くありませんように。どうか、こんな発言をマネする子がいませんように。多くの人が見ていたはずだから、必ず批判が出て来てくれると思いますが・・・。
(ちなみに、おとといの番組は「イチハチ爆笑秋祭り」、昨日の番組は「VS嵐ゴールデン1周年」だったと思います。)
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