2010年10月16日(土)
「四万十しっかり!」 [ランニング]
「廉、四万十行ってくるわ。」
「あっ、またかあちゃんにおこられるヤツか。」
「そそそ。」
うちの子どもらにとって、私の「ウルトラ挑戦」=「かあちゃんにおこられるヤツ」。トホホー。
こんなときは、きくとあんもに応援してもらうしかないね。
今日の朝8時にきくのお散歩。
帰り際、なんか私の顔をチラチラ見る。
と思えば、いきなり私のシューズを「ガブガブ」。
「きく、あかんて、これさらの高いヤツやにゃってー。」
きくは、そんなことおかまいなしに「ガウガウガウ」。
「くつに穴あくって!」
「そっかー、パオパオに喝入れてくれとんのか。」
ずっと「四万十」で使うシューズを、「サロマレーサーST」にするか「NB・MR967R」にするかで悩んでいたが、これで決まり。
きくチャンのツバつきシューズに決定。
「次は、私の出番ですかな?」
「あいおわ治療院」に行った後、10時ごろ、あんものえさやりに。
「オッサンに2、3発、ネコパンチ入れといたろ。」
「ありがとうございます。」
「シャー、シャー・・・」 (目にもとまらぬ早わざ。)
「そんなことより、ごはん、ごはん。」
「ははー。」
「オッサン、本場高知のかつお、こうてきてな。」
「ははー。」
「ほんなら、行ってきまーす。」
※悲しいお知らせ
「丹後ウルトラ」ブログコンテストの結果が発表されました。31分の5の確率で当選だったので、ほぼ当選かなあと思っていたら・・・。
見事、落選。
当選の報を聞いて「四万十」に臨めると思っていたのに・・・。ガックリでした。
あのー、「読者が選ぶ特別賞」とかはないんでしょうか。それやったらひっかかったかも・・・。
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2010年10月15日(金)
野良犬、野良猫 [わんこ・にゃんこ]
上の写真は、1996年8月21日、いなか(花背別所町)の私の実家の前の川で遊んだときのもの。廉5歳になりたて、真樹はあと2日で2歳。川側にひかえる「エリちゃん」は、推定8歳半(ひろってから7年。)
エリちゃんは、れっきとした野良犬。このあともう8年生き、推定16歳半で天国に行ってしまった。あれから6年がたつ。
この写真は、今も真樹の部屋に飾ってある。
1989年、当時私は雲ヶ畑小学校に勤務していた。その年の2学期が始まった時、白っぽい犬の親子が雲ヶ畑にほかされている(捨てられている)と話題になっていた。子犬のほうは学校の管理用務員さんが引き取ってくださった。
母犬はすごく人なつっこい犬で、お昼は学校に来て、中学校の女子からパンや牛乳をもらって飢えをしのいでいた。その女の子たちは、その犬に「エリ」という名前をつけていた。
そして、いつの間にか講堂の裏にねぐらを作っていついてしまった。それが管理職の間で問題になり、ついに保健所行きということになりかけていた。その前の日、講堂の裏で日向ぼっこをしていたエリちゃんに聞いてみた。
「エリちゃんなあ、ここにいたら明日保健所に連れて行かれんねん。よかったら、うち来る?」
エリちゃんは、へらへら笑いながら私についてきて、自分で私の車に飛び乗った。(誘った私も、ちょっとビックリ。)
ひろってきてから15年、エリちゃんの世話は全部ヨメさんがやってくれていた。私は、いいとこだけもらって世話をせず。
一番きつかったのは、エリちゃんの2回目の(通算3回目の)出産の時。これがうちのヨメさんの2回目の出産(真樹)と重なって大変だった。生まれた子犬が毎日夜泣き。エリちゃんは心労が重なって毛がいっぱい抜け・・・。ヨメさんも心労が重なって・・・。
1997年、いなかに引っ越してからのエリちゃんは悠々自適な生活。
でも、2004年の夏、ついにその日はやってきた。
膀胱の具合が悪くなり、そこからたぶん体の毒が全身に回ってしまったのだろう。7月の終わりに立てなくなり、寝たきりになってしまった。もう動くこともできなくなった夜、玄関の板間でエリちゃんと一晩いっしょに寝た。
何分かごとに、「ヒー、ヒー(痛い、痛い)」と泣く。ところが、私が起きてエリちゃんをヒザの上に抱っこしてやったら、その「ヒー、ヒー」がおさまった。あれは痛みがましになったのではなく、夜中に起きている私に気を使ったのではないかと思う。その時のことは思い出すたびに泣けてくる。(あかん、今もちょっと泣いてます。)
次の日のお昼、「エリちゃん、きれいきれいにしようなあ」と言いながらエリちゃんの背中にブラシを入れている時、エリちゃんの心臓は止まってしまった。私と真樹に看取られて、エリちゃんは天国へ。そのあと廉も呼んで、3人でどんだけ泣いたことか・・・。
フルマラソンやウルトラマラソンを走っていると、今も必ずエリちゃんが現れる。ほかの時はほとんど忘れているのに。私が完走もできないくせに何度もウルトラマラソンに出るのは、エリちゃんに会いたいからかも・・・。
さて、エリちゃんがうちに来た年からさかのぼること3年。1986年にひろってきたのが、キャロちゃん。キャロちゃんも、れっきとした野良猫です。(と言っても、まだ子猫でしたが。)当時私が勤務していた上賀茂小学校の子がひろってきて、こちらも保健所行きの前に引き取ってきた。
キャロちゃんの正式名称は「キャロット」。もうお分かりですよね。「京都キャロット」の「キャロット」はにんじんではありません。このキャロちゃんの名前をそのまま店の名前につけたんです。
キャロちゃんが出産して3びき。その子のルビコとパティコがそれぞれ出産してもらわれていかなかった(残った)3びきとあわせて計7ひきが我が家に。
(キャロちゃん→チョンちゃん・ルビコ・パティコ→チビンタ・ネーモちゃん・コメちゃん)
きくをひろってきた同じ年に、雲ヶ畑で黒猫あんもをひろう。
つまり、廉が生まれたときには犬1ぴき猫8ひきの大家族。みんな人間の子がめずらしくて、見て見てしていた。
真樹が生まれたときも同じ。
うちの二人の子は、犬と猫に見守られてすくすくと育ちました。
今は21歳のあんもだけになってしまったけど、廉も真樹もきっといい思い出をいっぱい持ってくれていると思う。
やっと、本題です。
なぜこんなに長々とうちの野良犬あがりの犬、野良猫あがりの猫を書いたかと言いますと・・・。
おととい、テレビでお笑い芸人が「お前は野良犬のにおいがする。くさい、くさい」。
きのう、またテレビでお笑い芸人が「お前は皮膚病の犬か」。
こんな表現で笑いを強要する愚かなお笑い芸人。好きで野良犬になっている犬はいない。好きで皮膚病になっている犬もいない。みんな私たち人間のせいです。
これらの発言には氷ついた。どうか、こんな発言をおもしろいと思う人が多くありませんように。どうか、こんな発言をマネする子がいませんように。多くの人が見ていたはずだから、必ず批判が出て来てくれると思いますが・・・。
(ちなみに、おとといの番組は「イチハチ爆笑秋祭り」、昨日の番組は「VS嵐ゴールデン1周年」だったと思います。)
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2010年10月14日(木)
付焼刃 [雑感]
つけ‐やきば 【付(け)焼(き)刃】
1 切れない刀にはがねの焼き刃をつけ足したもの。見た目は切れそうに見えるが、実際はもろくて切れない。
2 その場をしのぐために、知識や技術などを一時の間に合わせに習い覚えること。にわかじこみ。「―の勉強」
「付焼刃」は、最近ヨメさんが私を批判するときに多用する言葉。
「今まで何もしてこなかったくせに、前からずっとやってますみたいな顔をしてむかつく」らしい。「口ばっかりで何の役にもたたんええかっこしー」らしい。「かしこぶんのもええかげんにせい」らしい。
でも、この「付焼刃」の説明を読むとワクワクしてしまう。
「見た目は切れそうだが、実際はもろくて・・・」
「その場をしのぐために、・・・一時の間に合わせに・・・。にわかじこみ。」
いやまほんまに私にぴったりな・・・。これから、「付焼刃・藤井です」って名乗ろうか知らん。・・・こんなしょうもないこと書いたら、またヨメさんに「びしゃたたき」のめにあうんやろか。(この部分、あくまで比喩です。)
さて、付焼刃シリーズ第何段になるんでしょう。
「四万十川ウルトラ」の本番が3日後に迫りました。
前にちょっと書きましたが、9月19日の「丹後ウルトラ」は決して付焼刃ではなく、それなりに準備して臨みました。
4月「天女の羽衣70km」を8時間半で完走。
5月「長居」「鯖街道」2日連続フル完走。
6月「サロマウルトラ」猛暑の中、69kmまで。
8月「反核平和の火リレー」猛暑の中、のぼりを背負って22km完走。
「丹後」の本番中も、途中「これは完走できる」とうれしくなってしまいました。完走できたら、「ラーメン・藤」の大将に頼んで、肩組んだ2ショット写真撮ってもらおう・・・、とか。ああ、お気楽なヤツ。でも、結果は・・・。
「四万十」は、はっきり言って付焼刃以前。
左足の痛みは、高橋大輔似の先生の治療のおかげで最悪の状態からは抜け出しました。でも、今もこわくて走れません。いつ左足のゴキブリが動き出すやら・・・(意味不明)。
50kmくらいまではごまかせそうですが、そのあとはどうなることやら。もっともっとごまかそう!「ちがうか!」
今回初めて関門時刻を書き出したりしたのに・・・。こうゆう時の「付焼刃」的対策ってないんでしょうか。「もう、遅い!」
この期に及んでは、もうしっかり楽しむしかない。(って、毎回それやんかー。)
話変って・・・。
おととい、学ちゃん牧子さんのあかちゃんの内祝が届いた。
「すまんなー、『食べられる金の延べ棒』しか渡してへんのになー。こんな上等なバームクーヘン、すまんなー。」
またまた、話変って・・・。
今日、6月に書いたブログ「沖縄・第一部」に沖縄県人であるさとしさんという方からコメントをいただいた。
このごろ、エッチ系の業者から変なコメントがいっぱい入っていて、そのコメントを一挙に30くらい消さんなんときがある。今日は、その間にさとしさんからのコメントがはさまれていたので、もうすってんで消してしまうところだった。ああ、あぶなかった。
私のブログには、どうゆうわけかコメントが極端に少ない。これはたぶん、私がマジメな人間なのか否かが分かりにくいからであると思う。マジメなことを書いてるかと思えば、人生なめたようなことも書いている。これは、手が出しにくい。
今日コメントを入れてくださったさとしさんは、文面から若者であるようだ。ああうれし。沖縄の若者とお友だちになれそう。
そのコメントの最後にはこう書かれていた。
「とりとめのないコメントでしたが、
また、へいわってなんだろうと感じたときに
パオパオさんのブログをすーみーしてみます。」
うれしいなあ。うれしいなあ。ほんまにほんまにうれしいなあ。
さとしさん、これからもぜひ「すーみー」してね。
私は私なりに、沖縄を通して平和について考えていこうと思っています。
またまたまた、話変って・・・。
今日の廉の言葉。
「○○先輩なあ、廉よりよう『パオパオだより』見てはるみたいやわ。こないだ載ってたネコがかわいかったってゆってはったわ。」
「おお、そうかー。」(ああ、うれし。)
「家でネコ飼ってはるらしい。」
「そうなん。」(これは、「ネコちゃんネタ」の記事、気張って書かんなん。)
ということで、今日は本文とは無関係に近所のネコちゃんの写真をペタペタと貼り付けました。どう、○○先輩。今日のネコちゃんは、「美猫・こたろう」に比べたらちょっとおちるかな。でも、写真撮るのに結構苦労したんやから・・・。
ていうか、今日は何について書いてたんやったっけ?
ああ、「付焼刃」ね。
「付焼刃もたくさん積もれば山となる」
意味不明のため、これにておしまい。
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2010年10月13日(水)
「あしたまた、来るん?」のMI君 [私の好きな人]
今日、兵庫の「ゆめさき舎」のまっちゃんから電話があった。
まっちゃんとは、6月6日の「たたらぎダム湖マラソン」以来会っていない。
昨日、「京都キャロット」へウェアの注文をしてくださり、即発送。「早く届いてビックリしてます」というお礼の電話だった。
この8月には、「京都キャロット・産大前店」にも来ていただいたそうだ。「ご無沙汰していますが、ブログはきっちり見せてもらってます」とは、うれしいお言葉。
その要件の前に・・・。
「藤井さん、ちょっとMI君がしゃべりたいゆってるんですけどいいですか。」
「はいはい。・・・もしもしー、もしもしー・・・。」
「パオパオー・・・」
「藤井さん、もうこれでいいらしいわ。」
「えー、もうちょっとしゃべってほしかったなあ。」
MI君と言えば、去年の10月初めて「ゆめさき舎」におじゃまさせてもらったとき、帰り際に「あしたまた、来るん?」と言ってくれた子。あの言葉は、ほんまにうれしかったなあ。そのあと12月にもう1回行ったきり。そんなんやのに、私のことおぼえてくれてるんかなあ。
「パオパオー」と言えば・・・。
廉が保育園に入ったころのお昼寝の時、目が覚めて「パオパオー」と叫んだそうだ。(「かあちゃーん」じゃなく。)それを聞いた先生は、「ぞうさんか」と言いながらあやしてくださっていたらしい。
このエピソードは、廉の結婚式の時にせんならん。
今日は、10ヶ月ぶりにMI君の声を聞いて、無性に会いたくなった。
去年2回行った時も、こんな変なオッサンのどこを気に入ってくれたのかよく引っ付いてきてくれた。「パオパオさん、パオパオさん」ゆうて・・・。
そうや、今度の日曜の「四万十ウルトラ」で、走るのがいやになったら「ゆめさき舎」のお友だちのことを思い浮かべよう。これは絶対、力が湧いてくる。
「Good idea!」
※去年10月と12月、「ゆめさき舎」におじゃまさせてもらった時の記事は、「パオパオだより」の名作中の名作だと思っています。よろしかったら、見てください。
「あしたまた、来るん?」(09/10/14)
「めげるって!」(09/12/03)
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2010年10月12日(火)
第18回京都鴨川ゆっくりラン・お友だち編 [ランニング]
「気がついたことがあったら何でもゆうてや。」
これが、大会実行委員長・太田さんの口ぐせです。
私のような者の意見までしっかりと聞いてくださる太田さんの姿勢が、この大会をここまでにぎやかになものにした一番の要因であると思います。
太田さんのことを「お友だち」と言うのはおこがましいのですが、私よりだいぶ年上なのに「カチカチ頭」になっておられないところはすごいと思っています。
そんな太田さんを慕って、多くの方が集まって来られるようです。
実行委員の矢瀧さん。
もう、すっかり「ゆっくりランの顔」的存在です。
「矢瀧さん、ツイッターの更新してはりませんやん。」
「いやー、見てくれてはんのん。ブログのほうは更新してるし、また見てください。」
「えっ、ブログ書いてはったん。知らんかったー。」
「『やたやん』で検索してくれはったら、すぐ見つかりますわ。」
見つかりました。
「やたやんの徒然なるままに」
この「京都鴨川ゆっくりラン」のことも書かれています。みなさん、ぜひのぞいてみてください。
前に出て準備運動の指導をされていた女性は、先日、「武庫川ロード記録会」でも指導されていた方。(お名前は聞きそびれました。)
この眺めは壮観。
9時スタートの先発組を加えると、過去最高の参加者数かも。
救急救命の講師、朝日さん。時間がなくてお気の毒でした。もう少し時間をさいて講習してもらってもよかったように思います。
さて、これから私が勝手にお友だちだと思い込んでいるランナーのみなさんを紹介していきます。写真に加工する(目隠しを入れる、ぼかすなど)のは、かえってそのご本人に失礼だと思っていますので、撮ったまま公開させていただきます。みなさんいい表情で写っていますので、私は問題ないと思っているのですが、もし不都合がありましたらご連絡ください。(お友だちなのに、タイミングが合わずに写真が撮れなかった人もいます。)
私は、「走った後のひと言」を書いてこなかった。でも、書くとしたらこれに尽きます。
「役員さんをはじめ、楽しい大会に盛り上げてくださったすべての方にありがとう!」
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2010年10月11日(月)
第18回京都鴨川ゆっくりラン・愛妻編 [ランニング]
「今日の写真の中では、これが一番かなー。」
「何で私の顔が写ってへんのが一番やねん!」
今日の「ゆっくりラン」の最重要課題は、ヨメさんのかわいい写真を撮ること。
でも、私がそこそこいけてると思った写真も、よくヨメさんからNGが出る。ほんま、むずかしいんですわー。
上の写真なんか、文句なしですよね。
釣り人二人がのんびりしている近くを、軽快に走っていく眞寿美さん。
写真家の愛情が画面いっぱいにあふれ・・・てへんか?
今日は、私がヨメさんを誘ったわけではなく、自分から走りに行くと言った。ああ、こんなことは超めずらしい。
ヨメさんは、とにかく参加人数の多さに驚いていた。今まで私が参加した「ゆっくりラン」のブログ、ちゃんと見てへんのかいな。毎回、大勢写ってたはずやけど・・・。やっぱり、写真と自分の目で直接見るのとでは大ちがいなんかな。
定刻の10時をちょっとすぎたころ、10kmと3kmがスタート。(それ以外は、その数分後。)
ヨメさんは、一番川側の端のほうに並んでいた。
今日は、10kmを1時間20分以内で走るのが目標らしい。
私は左足の具合がよくないので、今回は10km。ただし、ヨメさんから「絶対に近くを走らんといて」ときつく言われている。
スタートの写真だけ撮って、私は先行。
できるだけ振り返らないようにして走った。
第1折り返し(約1.5km)を折り返し、上流に向かって走り出すと、「あやや!」
もう、ヨメさんが。たぶん、まだ10分くらい。それ、速すぎるって。
第2折り返し(約6.5km)を折り返して、今度は南下。
西賀茂橋を過ぎたあたりでヨメさんと再会。
「笑いや!」と言ったら、「ニコッ」とした。
最後まで、その笑顔でね。
私はそのまま10kmのゴール。56分45秒。
左足は痛かったが、なぜか昨日よりましなような気がする。
ここから、ヨメさんを迎えに。
もっともっと写真を撮らないと。
厳選した写真は以上です。
実際撮った枚数は、この3倍以上。その中からよさそうなのを選んだつもりですが、またヨメさんに怒られるかも・・・。
ヨメさんのゴールタイムは書きませんが、当初の目標はかなりの余裕をもって達成。これも、ひとえに私がジャマをしなかったおかげです。
ゴール後、岩田さん(京都走ろう会)にお願いして、「仮面夫婦2ショット写真」。
岩田さん、ありがとうございました。ものすごく仲のいい夫婦みたいに撮っていただきました。
(注)大会レポートは、明日に。
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