2019年03月09日(土)
第114回9の日平和ラン〜乃木坂へ〜 [ランニング]
予約していた「東京さぬき倶楽部」は、地下鉄の駅から行くと、迷路みたいなところを通る。それでだいぶ迷走してしまった。
しかしワンちゃんの散歩をされていた方に道を尋ねると、わざわざ近くまでいっしょに歩いて案内してくださった。飼い主さんにもワンちゃんにも、何度も「ありがとう」と。
前もそうだったが、東京の方は意外とやさしい。
今日は3月「9日」。
ホテル着が7時半を過ぎてしまったが、夕食前に少しでも走ろうと思っていたので、「ランナーズ9の会」のTシャツに着替えて外出。
「麻布十番」をスタートし、六本木方面へ。
ここらが「六本木ヒルズ」ですか。
この中に、天気予報で出てくる「毛利庭園」もあるんですね。
土曜の夜なのに、そんなに人が多いわけでもない。
「テレビ朝日」前通過。
夜景がきれい。
「乃木坂駅」の表示があったので、そちらに向かう。
地下鉄・乃木坂駅到着。
せっかく記念写真を撮ったのに、「乃木坂」の表示が光って見えません。残念。
陸橋から下の写真を撮ってみた。
たぶん、この右側の坂が「乃木坂」なんでしょう。
■乃木坂(ウィキペディアより)
乃木坂(のぎざか)は、東京都港区の赤坂八丁目と九丁目の境、乃木神社前を西へ外苑東通りへと上る坂である。乃木坂の名称は、この坂や地下鉄・乃木坂駅周辺の汎称地名として使われる。
江戸時代には幽霊坂と呼ばれていた。また、「行合坂」、「膝折坂」とも呼ばれた。南側には麻布今井町、通称赤坂今井谷があり、北側は上から今井町、周防岩国藩吉川家下屋敷、交代寄合松平家下屋敷、青山組屋敷と続いた。幕末に松平家下屋敷は越後長岡藩牧野家下屋敷となった。明治以降、北側が赤坂新坂町、南側が赤坂檜町。赤坂一帯には軍関係の施設が点在したため、当地域にも軍人が移り住み、その中に乃木希典もいた。
乃木坂の名は1912年(大正元年)9月、大日本帝国陸軍の重鎮で、学習院院長であった乃木希典大将の殉死を悼み、赤坂区議会が改名を議決したことに由来する。
更にその周辺の地域も乃木坂と呼ぶようになり、1972年(昭和47年)10月20日に開業した営団地下鉄(当時)千代田線の駅が乃木坂駅と命名されたことにより、地域名として一般化した。
乃木坂という住所表記上の地名はなく、その範囲について正確な定義はないが、概ね赤坂八・九丁目、南青山一丁目、六本木七丁目の一部、外苑東通りと赤坂通りの乃木坂陸橋交差点を中心に、北は山王病院、東は赤坂小前の交差点、西は乃木坂駅の西端、南は東京ミッドタウン西の交差点を結んだ四辺形の中とされ、この地域に乃木坂の名を冠した施設や建物が多く見られる。
下におりてみると、乃木坂の横は青山墓地。
乃木坂って、けっこうこわーい坂やん。もともと「幽霊坂」で、乃木希典大将の殉死」からそう呼ばれるようになった・・・。ここから、あの「乃木坂46」にはなかなかつながりませんね。
「乃木坂という住所表記上の地名はない」ということですが、私みたいに夜に行ってみたら「こっわー」となって帰ってきた人も多いかも。
帰りは、東京タワー全体がきれいに見ることができた。
外は人がまばらだが、店内は満員。
「十番稲荷神社」。
ということは、ホテルもすぐそばのはず。
しかし、ここから帰り道が分からなくなった。
迷走に次ぐ迷走。
住宅地に入り込んでしまい、道を聞けそうな人も見当たらなかった。
しかしグルグル回っているうちに大通りに出て、なんとかホテルに戻ることができた。
GPS腕時計をつけ忘れたので距離は分らないが、全部で51分。
キロ6分半くらいのペースで走っていたので、7.5kmくらいかなあ。9kmには届きませんでした。でも、あこがれの(?)乃木坂に行けてよかった。
「あー、腹減ったー。」
ホテルのレストランのオーダーストップの9時ちょっと前に滑り込み。
「鶏ささみチーズ巻定食」(1200円)
ホテル内でこの値段で食べられるとありがたい。
すごくおいしくて、お腹いっぱいになった。
明日の下山さんの伴走に向けて、早めに就寝。
天気予報では、明日の午前中は雨はだいじょうぶみたい。
気合を入れて、しっかり走らねば。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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