2020年11月28日(土)
忍びの者 [私の好きな人]
思いもかけなかった今回の入院。
コロナの影響で面会禁止だったので、家族を含め病院へのお見舞いはなかった。
しかし、ヨメさんを通してうれしいお見舞いが届いた。
ここで冷静に考える。
お見舞いを届けてくださった方は、私ら夫婦共通の知り合い。
このお見舞いは私への励ましとともに、家事すべてを一人切り盛りし、それに入院している私の世話で疲れ果てているますみさんへの励ましも込められている。いや、後者の比重の方が高いのかもしれない。
私の大好きなコーヒーと、「あんもっち」というパン。このパンは、我が家の最後の猫・あんもちゃんの名前が入っているので買ってきてくださった。
それとお手紙。その封筒には「お忍び便です」と付箋がはられていた。これは「ブログに書かないで」というサインであることは分かっている。
昨日、「その辺の事情は分かった上でブログに書きたい」とメールしたら、匿名でアップすることを了承していただいた。
もちろん、お手紙の内容はヒミツですが。
そのあとの私からのお礼のメールは、(一部を除き)公表しても差しつかえないでしょう。
◇ ◇ ◇
「ジジイ泣かせ」
京都キャロットの藤井です。
お礼を言うのが遅くなりました。
先日の「あんもてぬぐい」、涙がポロリは比喩ではなく本当の話です。ジジイ泣かせるなあ。
今回の新聞切り抜きもうれしい。京都市動物園にツシマヤマネコが来た時、一番に見に行ったくらいですから。(私の一押しは、京都にはいないけどハイエナ、京都にいる中ではヤブイヌです。)
「○○○○○マラソン」ご一緒したいって、ジジイ泣かせるなあ。
こういうのが、がんばろうという気持ちの源になりますね。
正体不明(?)の○○さんの位置づけがどうもしっくりこなかったのですが、今回のお手紙でなんとなく・・・。
小学校教師をしていた私の最後の教え子のような感覚でしょうか。
先日の○○○○、不調でしたね。もう話題にもしたくないかもしれませんが、写真を撮らせてもらったのでお送りします。
今回のあんもっちの話、匿名ならブログにちょっと書いてもいいですか。「お忍び」と書いてあるときは、「ブログに書かないで」というサインだとは分かっているのですが・・・。
いろいろと、ほんとうにありがとうございました。
すぐ走れるようになるやろうと思っていた私の考えは甘かった。ちょっと動いただけでフラフラです。
「来年3月までには、なんとか」と思って、ぼちぼちがんばります。
では。
2020.11.27
藤井廣司
◇ ◇ ◇
そのお返事がまた秀逸。ごく一部ですが、こんな感じ。
「藤井さんもしぶとい香り」
「わたしは、たぶん何かと不気味」
「珍獣コビトカバのようなもの」
これからも、私の大事な「忍びの者」として末長くよろしくお願いいたします。
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今日は、24時間バイトからの朝帰り。
ストーブをつけると、みーちゃんがストーブの前でビロンビロン。
こんななってるのに、まだ私がこわいみたい。
いつになったら・・・、言うまい言うまい。
前立腺炎の方は、たぶんもうだいじょうぶ。
ところが、昨日の夜からまた恥骨痛。今日の朝、また歩くのがたいへんになってしまった。
頼みの綱は、ヨメさんの鍼灸。
かなりいっぱいしてもらったら、左足はすごく楽になった。右足もその前に比べたらまし。これで少しずつ少しずつ歩けるようになった。ああ、ありがたい。
みなさーん、「京都キャロット鍼灸院」よろしいよー。
ぜひ一度いらしてくださいねー。
「お昼はちょっと濃い味のもんが食べたい」との私のリクエストで、ヨメさんがおいしいラーメンを作ってくれた。
もちろん病院は薄味だったので、ラーメンの濃いスープがお腹にしみわたった。うまかったー。ありがとね。
このあと、少しでもお散歩へ・・・。
いやいや、そんな気持ちさえわいてこない。
今日はほとんど居間、時々トイレのみ。一歩も外に出なかった。
明日こそ、ちょっとでも歩こう。
晩ごはんは、また鍋。
今日は鶏つくね。
おいしいねえ。
あったまるねえ。
それに、安くつくらしい。
いいことづくめ。
体重もちょっとだけ回復。
私もきくちゃんも夕方寝。
私は夜もぐっすり寝れるだろうが、またきくちゃんが夜中にウロウロするパターン。
きくちゃん、オバサンを寝かしたってくれー。
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2020年10月20日(火)
ジャン=ポール・ベルモンド [私の好きな人]
◎京都シネマより
ジャン=ポール・ベルモンド傑作選【冒険&ロマンス編】
『大盗賊』/『大頭脳』/『オー!』/『ムッシュとマドモアゼル』
カッコイイの原点は彼に!伝説スターの魅力を再発見!
ルパン三世やコブラのモデルにして、ジャッキー映画のルーツである“アクション界のレジェンド”ジャン=ポール・ベルモンド。『勝手にしやがれ』などで知られるヌーヴェル・ヴァーグ時代とはまったく別の魅力を放つ数々の傑作が蘇る。
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◎ジャン=ポール・ベルモンド傑作選 公式サイトより
60〜70年代、スティーブ・マックイーン、クリント・イーストウッドと肩を並べた<アクション界のレジェンド>にして、本国フランスでは アラン・ドロンを遥かに凌ぐ人気を誇った国民的スーパースター、ジャン=ポール・ベルモンド(1933年4月9日生まれ、87歳)。
「ルパン三世」や「コブラ」のモデルといわれ、ジャッキー・チェンやトム・クルーズらの先駆として、体を張ったスタントで世界を魅了した男の中の男。日本ではジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』ばかりが語られがちですが、ヌーベルバーグ時代の彼よりも何倍も魅力的な、ベルモンド映画の神髄は数々の巨匠たちと組んだアクションとコメディにこそあります。しかし、そんな彼の傑作群の多くは近年、日本ではDVDでも見ることが出来ませんでした。今、忘れられていた数十年の時を経て、驚くほどクリアなリマスター版で最高のベルモンド映画の数々が日本のスクリーンに鮮やかに蘇ります。ご期待ください。
■JEAN−PAUL BELMONDO
1933年4月9日、パリ郊外のヌイイ=シュル=セーヌに生まれる。父は著名な彫刻家ポール・ベルモンド、母も画家だった。幼い頃は病弱だったが、その後サッカーに熱中、さらにボクサーになる夢を持つスポーツマンとなった。
やがて俳優を志し、コンセルヴァトワールに入学、56年に同校を優秀な成績で卒業する頃にはすでに有望な若手舞台俳優として注目を集めていた。
57年の『歩いて馬で自動車で』で長編映画デビュー後、クロード・シャブロル監督の『二重の鍵』(59)で注目され、さらに同年ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』(59)で一気にブレイクを果たし、母国での圧倒的大人気とともに、フランス・ヌーベル・ヴァーグの代表的スターとして国際的な知名度を得た。
多くの名匠、巨匠の作品に出演する一方、売り出し中のフィリップ・ド・ブロカ監督と組んだ『大盗賊』(61)が大ヒットを記録、コメディ・タッチのエンタテインメント作品で新たな魅力が開花した。ド・ブロカ監督とはさらに冒険アクション大活劇『リオの男』(63) 、『カトマンズの男』(65)で組み、危険なアクションをスタントマンなしで自ら演じたことも話題となり世界的な大ヒットとなって“アクション・スター”ベルモンドのイメージを強烈に印象付けることになった。
65年の『気狂いピエロ』を最後にゴダール監督とは袂を分かち、ベルモンドはアクション、コメディ、ラブ・ストーリーと、エンタテインメントの王道をいく作品を中心に出演して次々と大ヒットを飛ばし、フランス映画の顔として大活躍することになった。
70年には当時フランス映画界で人気を二分していたアラン・ドロン製作、主演の『ボルサリーノ』でドロンと共演、大きな話題となって大ヒットした。72年『ジャン=ポール・ベルモンドの交換結婚』からは自ら製作会社セリト・フィルムを設立して製作業にも進出、74年にはフランス映画界で出演料が最も高い俳優となった。75年の『恐怖に襲われた街』から、80年代中盤まではハードなアクションを見せ場にした主演作を連打し、年間興行成績の上位に君臨し続けた。
88年、アクション映画卒業後のクロード・ルルーシュ監督作『ライオンと呼ばれた男』(88)では初めてセザール賞主演男優賞を受賞。さらに2011年、カンヌ国際映画祭で名誉ゴールデン・パルム賞、2016年、ヴァネチア国際映画祭で栄誉金獅子賞など、数多くの生涯功労賞を受賞している。
2度の結婚で、元F1レース・ドライバーのポール・アレクサンドル・ベルモンドなど4人の子どもがあり、ウルスラ・アンドレス、ラウラ・アントネッリといった女優とのロマンスも有名。
香港のジャッキー・チェンやチョウ・ユンファ、日本のコミック「ルパン三世」、「コブラ」、フランス=ベルギーのグラフィック・ノベル「ブルーベリー」など、ベルモンドのファンを公にしている俳優、映画監督、作家、漫画家は世界中に数多く、ベルモンド映画の影響下にある作品も枚挙にいとまがない。
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昨日、京都シネマの11月の会報が届いた。
「おー!」と私が大きな声を出したので、「なにごとか」とヨメさんがこっちを見た。
「ジャン=ポール・ベルモンドの特集やるやん!」
「それがどうしたん?」というようなヨメさんの顔。
「アンタは目のギョロッとした俳優が好きなんやな。」
「そうかなあ・・・。」
外国の俳優で好きなんはジャン=ポール・ベルモンドだけ。彼は目がギョロっとというより、たれ目ですよね。
日本の俳優で好きなんは、三國連太郎、仲代達也、根津甚八、水谷豊・・・。たしかに、目がギョロッとしてますね。
まあそれはいいとして。
せっかく4本も集中して上映してくれはるんやから、見に行かな!
「特別料金」と書いてあったので、いつもの旧作500円と勘違いしていた。
「4本見ても2000円!」
ああ勘違い。
「特別料金」というのは、ふだんの会員割引などが効かない料金という意味。1400円でした。4本見たら5600円。全部割もないみたい。
でも見に行きたいわあ。
目がギョロ!
※ちなみに、私が一番好きなのは「ダンケルク」(1964年)です。
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2020年10月13日(火)
五十嵐ぴゅー太 [私の好きな人]
◎スポニチアネックス10月12日
ヤクルト五十嵐、15日に引退会見 剛球リリーバーが現役生活に別れ
ヤクルトは12日、五十嵐亮太投手(41)の引退会見を15日午後に都内で行うと発表した。
五十嵐は97年ドラフト2位でヤクルトに入団すると、代名詞でもある剛速球を武器に、抑えやセットアッパーとして活躍。石井弘(現投手コーチ)とのコンビで「ロケットボーイズ」とも呼ばれ人気を集めた。高津(現監督)のメジャー移籍後に抑えに指名された04年には、当時の日本最速タイとなる158キロを計測。37セーブを挙げ、最優秀救援投手にも輝いた。
09年オフには海外FA権を行使し、メジャー移籍。メッツやヤンキースなどでプレーし、自己最速も159キロまで更新した。ソフトバンクを経て昨年から古巣のヤクルトに復帰。8月には、日米通算ながら史上4人目の900試合登板を達成した。今季は2軍で22試合に登板も1軍登板なしだったが、実績を含めて、ひたむきに練習に励む姿は、若手の手本となっていた。
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また一人、私の大好きなヤクルトの選手が引退する。
五十嵐亮太投手。
五十嵐と言えば、速球。
2004年6月3日の対阪神タイガース戦で、当時の日本プロ野球最速タイ記録となる158 km/hを今岡誠に対して記録。
うちの家族は、その五十嵐の速球に敬意を表し「五十嵐ぴゅー太」と呼んでいた。
しかしあらためて五十嵐投手の経歴を調べてみると、すごいことが分かった。
高卒でプロ野球に入り、新人の年(1998年)とトミージョン手術をした翌年(2007年)以外は一線で活躍。
ヤクルト12年。
大リーグ3年。
ソフトバンク6年。
ヤクルト2年。
高卒から23年。
日米通算905登板すべてが中継ぎで、70勝41敗70セーブ167ホールド。939イニング投げて992奪三振。
よくがんばりました。
「五十嵐亮太引退」がけっこう大きなニュースになっていた。
そのとき「そんなたいした選手やったかなあ」と思った。調べてみると、五十嵐は「五十嵐が投げると勝てる」とまで言われた投手らしい。
入団3年目の2000年には中継ぎのみでオールスター戦前だけで11勝を記録。ハーラーダービートップを走り、監督推薦で自身初のオールスターゲームにも出場した。
中継ぎで勝利投手になるには、同点かビハインドの状態で投入され、しっかり押さえて味方の勝ち越しを待つ。
「五十嵐が投げたら勝ち越せる」と思わせる投手ってすごい。あの小気味いい投げっぷりで、味方に勝ち越せるという勢いを与えるんでしょうね。
そう言えば、去年ソフトバンクからヤクルトに帰って来てくれて、4月に中継ぎだけで5勝0敗。「五十嵐が投げたら勝ち越せる」を実証してくれた。なんで月間MVPをやらへんかったんかなあ。こんなこと、先にも後にもないと思う。
◇ ◇ ◇
端正な顔立ちでアイドル歌手グループSMAPの木村拓哉に顔が似ているとされ、『球界のキムタク』という異名をつ。
『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)出演時にて語ったエピソードによれば、妻と買い物に行った際、他人とエスカレーターですれ違うときに「(横にいるのが)静香(工藤静香)じゃない!」と言われたこともあったという。ただ、本人は常に似ていないと言っている。『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ)に古田敦也と共に出演した後、実際に木村拓哉と対面も果たしている。
◇ ◇ ◇
うちの家族はみんな「五十嵐ぴゅー太」が好き。
引退試合、見にいきたいなあ・・・。
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2020年10月07日(水)
舎弟? [私の好きな人]
◎ウィキペディアより
舎弟(しゃてい)
・自分の弟、実の弟、弟分。
・暴力団(ヤクザ)の身分。
・企業舎弟のこと。
・暴走族や不良(ヤンキー)の部下・手下のこと。
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昨日、植木屋そうへいさんがご来店。
そうへいさんとは、「宇治川」「篠山」「香住」「みかた」などでお会いできるはずだった。ところがそれらすべてが中止。この先も大会の中止が続いて行きそうなので、もう当分お会いすることもないと思っていた。
ところがわざわざ遠くから訪ねてきてくださった。ありがたいことです。
いつもいただいている本物のビールとおいしいプリンも、おみやげとして持ってきてくださった。いつもいつもありがとうございます。
「藤井組」なんてないんですが、舎弟として一番に思いつくのがこの「植木屋そうへい」さん。この場合、「舎弟」の意味は「ヘンタイ仲間」の弟分みたいなもんです。
今日、そうへいさんにお礼のメールをしておいた。
◇ ◇ ◇
「ありがたいビールとプリン」
こんばんは、京都キャロットの藤井廣司です。
昨日は、わざわざうちまで来てくださってありがとうございました。留守にしていて残念でした。
ビールとプリン、ありがたいです。
さっそく昨日バイトから帰った深夜にいただきました。プリンをアテに本物のビールをグビグビと。ああうまかったー、ヘンタイ飲みです。
数少ない商品からお買い上げもしてくださったそうで、本当にありがたいです。
ヨメさんが「お灸をしたげた」と言っていましたが、その効果はありましたでしょうか。
大会が全滅で、もうお会いする機会がなくなってしまいましたね。
宗兵さんのうちからは遠いですが、またよろしければ来てください。
それでは、また。
2020.10.7
◇ ◇ ◇
そのお返事が、「こんばんはニョウヘイです」から始まる。
おもろすぎる。
「舎弟」合格です。
これからも、どうかよろしくお願いいたします。
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「舎弟」と言えば、もう一人、ナリケン約100kg。
真樹の中学時代の同級生なので、弟と言うより「息子」。
でっかい「息子」じゃー。
今日誕生日で26歳。おめでとう。
焼肉を食べに行く約束、まだはたせてへんねー。
よその息子におごってみたいがな。
また、遊びに来てねー。
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【RUN】
ちょこっとスピード練習。
町内など約2.5kアップジョグ。
そのあと、叡電・木野駅から岩倉駅往復2kmコースを使ってタイムトライアル。
1本目は線路南側の平坦直線コース。
4分37秒、4分35秒で9分12秒。
「おそっ!」
1kmつなぎのジョグを挟み2本目。
線路北側のちょっとだけアップダウンのあるコースへ。
4分30秒、4分26秒で8分56秒。
「まあまあ。」
一条山一周してから家まで。
ダウンジョグを2.5kmしたらちょうど10kmになったのだが、途中で雨が降り出した。家まで2.3kmで、今日は合計9.8km。
もちろん、そのあとは入念にストレッチ。
とりあえずの目標は、10月27日の府民総体3000mで12分50秒。そのためには、この2kmコースを8分半で走れるようにならないと。
がんばろ。
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2020年07月21日(火)
ありがたい人 [私の好きな人]
おととい、クロネコヤマトから「荷物のお届け予定」のラインが来た。
「荷物の確認をする」というので私の名前と郵便番号を入れると、「確認できません」。「なんかあやしいもん送ってきたんかなあ」と心配になった。
そして昨日の夕方、その荷物が届いた。
配達員さんに「ラインで確認がでけへんかったんですけど」と言うと、「兵庫の松本さんという方からですけど・・・」と。
「なんやねん、まっちゃんかいな。そういや、ヨメさんがなんかゆうとったなあ。」
ヨメさん宛なのか、私宛なのか・・・。送り状がなんか中途半端で、確認がとれなかったみたい。
さっそくお味噌汁いただきました。
このお味噌が絶品なんです。
あと、カルピスのペットボトルに入ったお米も楽しみやねえ。カルピスの味、しみてへんかなあ。(よくよく見ると、アクエリアスのペットボトルでした。)
カボチャにピーマン、ニンジン。私のちょっと苦手なニンジンは少なめ。これもいいね。
ヨメさんの人徳で、貰い物が多い。
本当にありがたいことです。
でも、まっちゃんは鍼灸に来られてるわけでもないし・・・。
そうか、もうすぐ手術で入院する私を励まそうとして送ってきてくれはったんか。
ああ、ありがたいありがたいありがたい人。
ほんとなら、篠山、宍粟市、香住、たたらぎ、みかたのどれかでお会いできたはずなのに。全滅ですもんね。
この先も当分会えそうもないし・・・。
お礼参りとして、「ゆめさき舎」に殴り込みに行くか。
って、ボコボコにされるのはこっちやね。
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【みーちゃん逃げた騒動】
今日は寮1のバイト。
夜12時前に帰ってきたら、ヨメさんが「みーちゃん逃げた」。
お風呂から上がってドライヤーで髪を乾かしているとき、居間のドアが開いていて、ゲージから出しっぱなしだったみーちゃんが隣の部屋の網戸の穴から脱走。
それを聞いて、ご近所を歩き回った。
みーちゃんはずっと外に出たがってたし。万一見つかったとしても、絶対に捕まえられないし。
来週には沖縄から真樹が帰ってくるし、私も手術のために入院だし。こんなタイミングでいなくなるなんて、悲しすぎる。
途方に暮れて帰ってきたら、みーちゃんがいつもの場所に戻っていた。イリュージョン!
ヨメさんは「網戸の穴から出た」と言っていたのに、本当は出てなかったん?
もう帰ってきてくれたら、そんなことどうでもええわ。
よう帰ってきてくれたなあ。
オッサンは泣いて泣いてになるとこやったわ。
きくのキュッキュッちゃんを襲っているみーちゃん。
「なにか?」と言っているみーちゃん。
たのむし、もう逃げんといてね。
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2020年06月16日(火)
玉木昌美弁護士 [私の好きな人]
◎京都新聞6月16日朝刊
玉木昌美氏死去 再審の「日野町事件」で主任弁護人、元滋賀弁護士会会長
玉木 昌美氏(たまき・まさみ=元滋賀弁護士会会長)9日、肝臓がんのため死去、64歳。岐阜県可児市出身。自宅は大津市。葬儀・告別式は近親者で営んだ。喪主は妻泉(いずみ)さん。
1983年に弁護士登録し、98年4月〜99年3月に滋賀弁護士会会長を務めた。日野町で84年、酒店経営の女性が殺害され金庫が奪われた「日野町事件」で、強盗殺人罪で無期懲役が確定した阪原弘元受刑者=2011年に死亡=の弁護人を当初から務めた。主任弁護人だった18年7月、第2次再審請求審で大津地裁の再審開始決定を得た。その後、大津地検が即時抗告し、現在、大阪高裁が審理中。
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今日の新聞を見て、ショック。
私と同い年の走友・玉木昌美弁護士が亡くなった。
去年4月の沖縄、「伊江島マラソン」でいっしょに走らせてもらった。
「こんなところでお会いできるとは思ってもみませんでした」と言って、記念写真におさまってもらった。あんなにお元気そうだったのに・・・。
その時がお会いした最後かと思っていたが、よく調べてみるとその1か月後の5月の「鯖江」のときにもお会いしていた。
こうして、見つけたときは必ず写真を撮らせてもらっていた。
1年1か月前に元気に走られていた方が、こんなに早く亡くなられてしまうとは。こんなことが身近にあるなんて、本当にショックです。
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◎滋賀第一法律事務所のホームページより
2016年3月24日
弁護士走快 マラソン日誌
走ることは生きること
弁護士 玉木昌美
私の趣味は走ることであり、昼休みや夕方に琵琶湖岸を走り、時折市民マラソン大会に出場しています。1991年8月、琵琶湖ジョギングコンサートで5キロを走ってから、運動音痴だった私の人生が完全に変わりました。走ることは生きることであるといってもよいくらいです。また、休みがとれたたまの日曜日、家族をおいてひとり走りに行くのはけしからんという抗議に、妻や子をマラソンに巻き込むことにより家庭サービスを実現しました。
1995年、子ども達が小4と小2で、ホノルルマラソンを家族全員で完走しました。その影響で小2のときホノルルのフルマラソンを完走した長男は、中学、高校、大学と陸上部で走り続けました(長距離と競歩)。
スタートラインに立てることは健康である証です(これまで体調を壊したり、膝を壊したりして医師から止められ休んだこともありましたが、奇跡の復活を遂げました)。気力を奮い立たせながら、ゴールに向かいます。他のランナーとの駆け引き等心理ゲームの面白さがあります。また、ゴールしたあとの達成感と完走後のビールのおいしさは格別です。次の大会のことを考えるだけでわくわくする楽しさがあります。さらに、びわこランナーズのメンバーや弁護士仲間は勿論のことあちこちの大会で出会う人と仲よくなり、マラソン仲間が増えていき、再会を楽しみにしています。
2016年2月で還暦になりましたが、アンチエイジングでさらなる進化をめざしながら元気に走り続けています。加齢による体力の衰えを気力でカバーしているといえます。遅いながらもタイムにもこだわり続けています。
2016年のベストタイムは、10キロは5月の鯖江つつじマラソンの50分13秒で60歳以上の部で116人中19位でした。ハーフは2月の香川丸亀ハーフマラソンの1時間53分31秒でした。3月に久しぶりに板橋Cityマラソンでフルを走りましたが、4時間53分49秒でした。
2017年3月、ある工業高校に18歳選挙権、主権者教育をテーマに出張授業に出かけましたが、その高校では毎週全員が2・4キロ走るマラソンをしているということでした。「運動音痴だった私が還暦を過ぎても走ることに夢中になっている。次のマラソン大会をどこにするのか思うだけで楽しい。人生わくわくすることを持つことが大切です。」という話に力が入りました。
仕事をしつつ、また、憲法運動等に積極的に参加しつつ、かつ、走り続けています。マラソンが人生を変えたといってもよいほど重要な意味を持っています。
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ご家族でホノルルマラソンを走られたのは1995年でしたか。今から25年前ですね。
「小学生が着られるランシャツ・ランパンはないでしょうか」と京都キャロットを頼ってきてくださった。ヨメさんが探してお渡しできた時、ものすごく喜んでくださったのをよく覚えている。
25年前ということは、うちの廉が4歳で真樹が1歳。
「いつかはうちも家族4人でフルマラソンを」という気持ちはあったんですが、残念ながら実現できませんでした。玉木さんご一家がうらやましい。
一度ゆっくりお話がしてみたかったです。
残念です。
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【RUN】
玉木昌美さんを偲んで、「ランナーズ9の会」のTシャツを着て9km走る。
午後6時、ちょうど北郵便局に用事があったので、差出物を腰にぶら下げてスタート。
上賀茂神社はなにやら工事中。
その前の酒屋さん、理容院、金物屋さん、お好み焼き屋さんは取壊し。道路を広げて、新しい御薗橋につなげる予定。
北郵便局まで3.74km。
思っていたより近かった。
郵便物をポストに入れ、再スタート。
まともに折り返すと7.5kmくらいにしかならない。
遠回りして帰ろっと。
北山通りを東へ。
北山大橋を渡り、まだまだ東へ。
地下鉄・北山駅前で左折して北上。
深泥池の西の道を通ると、父が入院していた京都博愛会病院が見える。
父が亡くなって、もう5か月近くがたつ。
途中、店の軒下にツバメの巣。
「おかあさーん」って鳴いていた。
うちに帰って9km、59分半。
9kmというのは、走るのにはちょうどいい距離。
玉木さんの走ってはる写真、ご家族に送ってあげよう。
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【今日のきく】
昨日は4時間以上歩き回ったので、さすがに夜に起きることはなかったらしい。
でもヨメさんの説によると、「散歩だけではあかん。もっともっとかわいがったらんと」。最近猫の世話ばかりしているので、きくが焼きもちをやいているとか。
前の公園を散歩させているとき、ご近所さんが通りがかられた。私はここぞとばかりに、きくをべた褒め。きくもまんざらでもないという顔をしていた。
褒めて褒めて、かわいがってかわいがって、長生きしてもらわんなん。
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