2020年06月16日(火)
玉木昌美弁護士 [私の好きな人]
◎京都新聞6月16日朝刊
玉木昌美氏死去 再審の「日野町事件」で主任弁護人、元滋賀弁護士会会長
玉木 昌美氏(たまき・まさみ=元滋賀弁護士会会長)9日、肝臓がんのため死去、64歳。岐阜県可児市出身。自宅は大津市。葬儀・告別式は近親者で営んだ。喪主は妻泉(いずみ)さん。
1983年に弁護士登録し、98年4月〜99年3月に滋賀弁護士会会長を務めた。日野町で84年、酒店経営の女性が殺害され金庫が奪われた「日野町事件」で、強盗殺人罪で無期懲役が確定した阪原弘元受刑者=2011年に死亡=の弁護人を当初から務めた。主任弁護人だった18年7月、第2次再審請求審で大津地裁の再審開始決定を得た。その後、大津地検が即時抗告し、現在、大阪高裁が審理中。
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今日の新聞を見て、ショック。
私と同い年の走友・玉木昌美弁護士が亡くなった。
去年4月の沖縄、「伊江島マラソン」でいっしょに走らせてもらった。
「こんなところでお会いできるとは思ってもみませんでした」と言って、記念写真におさまってもらった。あんなにお元気そうだったのに・・・。
その時がお会いした最後かと思っていたが、よく調べてみるとその1か月後の5月の「鯖江」のときにもお会いしていた。
こうして、見つけたときは必ず写真を撮らせてもらっていた。
1年1か月前に元気に走られていた方が、こんなに早く亡くなられてしまうとは。こんなことが身近にあるなんて、本当にショックです。
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◎滋賀第一法律事務所のホームページより
2016年3月24日
弁護士走快 マラソン日誌
走ることは生きること
弁護士 玉木昌美
私の趣味は走ることであり、昼休みや夕方に琵琶湖岸を走り、時折市民マラソン大会に出場しています。1991年8月、琵琶湖ジョギングコンサートで5キロを走ってから、運動音痴だった私の人生が完全に変わりました。走ることは生きることであるといってもよいくらいです。また、休みがとれたたまの日曜日、家族をおいてひとり走りに行くのはけしからんという抗議に、妻や子をマラソンに巻き込むことにより家庭サービスを実現しました。
1995年、子ども達が小4と小2で、ホノルルマラソンを家族全員で完走しました。その影響で小2のときホノルルのフルマラソンを完走した長男は、中学、高校、大学と陸上部で走り続けました(長距離と競歩)。
スタートラインに立てることは健康である証です(これまで体調を壊したり、膝を壊したりして医師から止められ休んだこともありましたが、奇跡の復活を遂げました)。気力を奮い立たせながら、ゴールに向かいます。他のランナーとの駆け引き等心理ゲームの面白さがあります。また、ゴールしたあとの達成感と完走後のビールのおいしさは格別です。次の大会のことを考えるだけでわくわくする楽しさがあります。さらに、びわこランナーズのメンバーや弁護士仲間は勿論のことあちこちの大会で出会う人と仲よくなり、マラソン仲間が増えていき、再会を楽しみにしています。
2016年2月で還暦になりましたが、アンチエイジングでさらなる進化をめざしながら元気に走り続けています。加齢による体力の衰えを気力でカバーしているといえます。遅いながらもタイムにもこだわり続けています。
2016年のベストタイムは、10キロは5月の鯖江つつじマラソンの50分13秒で60歳以上の部で116人中19位でした。ハーフは2月の香川丸亀ハーフマラソンの1時間53分31秒でした。3月に久しぶりに板橋Cityマラソンでフルを走りましたが、4時間53分49秒でした。
2017年3月、ある工業高校に18歳選挙権、主権者教育をテーマに出張授業に出かけましたが、その高校では毎週全員が2・4キロ走るマラソンをしているということでした。「運動音痴だった私が還暦を過ぎても走ることに夢中になっている。次のマラソン大会をどこにするのか思うだけで楽しい。人生わくわくすることを持つことが大切です。」という話に力が入りました。
仕事をしつつ、また、憲法運動等に積極的に参加しつつ、かつ、走り続けています。マラソンが人生を変えたといってもよいほど重要な意味を持っています。
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ご家族でホノルルマラソンを走られたのは1995年でしたか。今から25年前ですね。
「小学生が着られるランシャツ・ランパンはないでしょうか」と京都キャロットを頼ってきてくださった。ヨメさんが探してお渡しできた時、ものすごく喜んでくださったのをよく覚えている。
25年前ということは、うちの廉が4歳で真樹が1歳。
「いつかはうちも家族4人でフルマラソンを」という気持ちはあったんですが、残念ながら実現できませんでした。玉木さんご一家がうらやましい。
一度ゆっくりお話がしてみたかったです。
残念です。
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【RUN】
玉木昌美さんを偲んで、「ランナーズ9の会」のTシャツを着て9km走る。
午後6時、ちょうど北郵便局に用事があったので、差出物を腰にぶら下げてスタート。
上賀茂神社はなにやら工事中。
その前の酒屋さん、理容院、金物屋さん、お好み焼き屋さんは取壊し。道路を広げて、新しい御薗橋につなげる予定。
北郵便局まで3.74km。
思っていたより近かった。
郵便物をポストに入れ、再スタート。
まともに折り返すと7.5kmくらいにしかならない。
遠回りして帰ろっと。
北山通りを東へ。
北山大橋を渡り、まだまだ東へ。
地下鉄・北山駅前で左折して北上。
深泥池の西の道を通ると、父が入院していた京都博愛会病院が見える。
父が亡くなって、もう5か月近くがたつ。
途中、店の軒下にツバメの巣。
「おかあさーん」って鳴いていた。
うちに帰って9km、59分半。
9kmというのは、走るのにはちょうどいい距離。
玉木さんの走ってはる写真、ご家族に送ってあげよう。
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【今日のきく】
昨日は4時間以上歩き回ったので、さすがに夜に起きることはなかったらしい。
でもヨメさんの説によると、「散歩だけではあかん。もっともっとかわいがったらんと」。最近猫の世話ばかりしているので、きくが焼きもちをやいているとか。
前の公園を散歩させているとき、ご近所さんが通りがかられた。私はここぞとばかりに、きくをべた褒め。きくもまんざらでもないという顔をしていた。
褒めて褒めて、かわいがってかわいがって、長生きしてもらわんなん。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
向かい側さん、コメントありがとうございます。
身近な同い年のランナーの突然の死を知ると、本当にショックです。今年のお正月にも走っておられたんですか。わずか5か月前のことですのにね。
「いつもヘラヘラ笑ってたパオパオさんが、ついに死にましたかー」と言われんようにがんばります。
ご冥福をお祈り申し上げます。
私も彼とは20年以上のラン友としての交流がありました
彼のスタートダッシュには毎回元気を頂いた一人でしたね
今年のお正月にもご子息さんと二人で走られ
「調子悪いの」と言いながら最後まで走られていました
もっと・・・いろいろと・・・話したかったです。