2019年10月31日(木)
ああ首里城 [沖縄]
朝から「首里城炎上」という悲しいニュース。
いろいろな方の言葉を聞いたが、ツイッターで見つけた「さかみちぐーりぐり」さんの言葉が心に響いた。
◇ ◇ ◇
さかみちぐーりぐり
@sakamichigooori
わたし個人的には、首里城は「世界遺産」だからショックなのではなく、「沖縄戦で失ったものを復活させた」ひとつの”象徴”だからショックなのです。
王の住居として見る臣民の気持ちは無いけども、戦争の時もああやって焼け落ちるのを見たのかなって思いながら、映像を見て重ねている。
◇ ◇ ◇
私が首里城を訪れたのは三度。
2006年6月、真樹(小6)とヨメさんと。
2007年3月、廉(中3)と。
2012年11月、真樹(高3)と。
三度目に真樹と訪れたときには、「那覇市街角ガイド」の金城さんにいろいろと説明していただいた。
◇ ◇ ◇
私が聞いて覚えていること。
1.首里城の各部分は次々と建て増しした経緯があり、どの部分が何年に建設されたかはっきりしないところが多い。
2.各地の豪族を首里に取り込み、地元に帰さず謀反を起こさせないようにした。
3.首里城の下働きの者には大事な仕事はさせない。それは、派閥ができたり不満を持つ者が出てこないようにするためだったらしい。
4.首里城は西向き。普通は南向きに建てるものだが、中国に対して背を向ける形になるので西向きになった。それと、王が東から上がる太陽の光を浴びて神々しくみえるようにという配慮もあったようだ(てぃーだ信仰)。
5.琉球王国の尚王朝は一度途切れているが、後継の王も「尚」を名乗った。現在も尚家は続いているが、一般人としてひっそり暮らしておられるらしい。
6.首里城は戦火で全焼したが、写真を元に復元。そのとき残っていた土台を更地にせず残し、その上にかさ上げして再建築したため世界遺産として認められた。
7.世界遺産に認められてから、障害者のための手すりやスロープがつけられなくなってしまった。
8.ハワイのハイビスカスは、沖縄からの移民がアカバナを持っていって広がっていった。
◇ ◇ ◇
首里城は、悲惨な沖縄戦からの復興のシンボルだったんですね。
前の炎上時は、戦中で多くの人が亡くなったと思う。しかし今回は、誰も亡くなっていない。
生きていれば、必ず復興できる。
そう信じて、みなさん、しっかり!
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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