2019年12月13日(金)
猫吸引ドーピング [わんこ・にゃんこ]
なかなか撮れない「はん・ぺん」の写真。
ちゃんと順番通り、上からはんぺんになっています。
いつもは私が真樹のアパートに着くと逃げ待っているはんぺんだが、なぜか今日はソファでくつろいでいた。逃げ回るのが「じゃんくさい」と思うようになったんかな。
犬吸引はきくちゃんで思う存分させてもらったので、次ははんぺんで猫吸引ドーピング!
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2019年12月12日(木)
ますみ鍼灸 [家族]
明日から沖縄。
上半身のバランスの悪さは、リハビリによってだいぶ改善された。しかし、左腰、左お尻、左太もも裏、左ひざはずっとスッキリしない。作業療法士さんにその話もしたのだが、医師の診断が出ていない部分は触ってはいけないらしい。ああ残念。
それらは走り出せばなんとかなりそうなのだが、左ひざの上だけはタチが悪そう。
ついに、恐怖の「ますみ鍼灸」を頼ることにした。
鍼がこわいんです。
若い時はじゃんじゃん鍼を打ってもらっていたのに。
なんでかねー。
お灸の熱いのんは全然平気なので、なんぼやってもうてもだいじょうぶ。
熱さには鈍感。
ひざの上のときはまあまあ熱かったが、アキレス腱の近くにお灸をしてもらったときはまったく熱くなかった。そうとう冷えているということらしい。
最後に、お尻にも一発。
これはかなり太い鍼だったらしく、ビリビリビリ。
「うー・・・。」
結果は・・・。
痛みが消えたわけではないが、痛みの種類が変った。初めは疲労蓄積ぽい痛みだったが、鍼灸をしてもらってしばらくたつとだるーい痛みに変わった。
ヨメさん曰く、「それがよくなって行ってる証拠。時間がたつにつれて、楽になっていくでー。」
そうであればうれしい。
信じる者は救われるー。
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【今日のきく】
てってがかわいすぎるきくちゃん。
こんなん見つけたら、すぐ写真を撮りたくなる。
お昼、家の中をウロウロしていたのでお散歩へ。
道の真ん中を歩くことは少なくなった。
すぐに壁際による。
柵際にもすぐに行く。
帰ってくるも、ゆっくりゆっくり。
急ぐことはなにもない。
ゆっくりゆっくり帰ったらいい。
そのあと2階に上がりたそうにしていたので、抱っこして2階へ。
オバサンのにおいがするのか、気持ちが落ち着いたようだ。
夜のお散歩は、家の前の小さな公園。
ゆっくりゆっくり、ウロウロウロウロ。
きくのお上品な○ッコ。
背中のツヤは色あせていない。
「いっしょに写真撮ろう」と言ったら、目がまん丸。
これくらいしっかり目を開けてくれていたら、安心。
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【RUN】
「今からでもおそくはない」ということで、キロ7分ペースの練習。
私はゆっくり走るのがすごい苦手。
家から銀行に寄って、宝が池へ。
3.3km、22分。
やっぱり速すぎた。
宝が池2周3kmを20分56秒。
これはキロ7分ペースで行けた。
ネコちゃんを見ながら、ダウンジョグ。
みんな、寒さに負けんとしっかり生きて行ってやー。
小学生の団体が走っていたので、すごく走りにくかった。
この時間の宝が池は、やめといたほうがいいみたい。
帰りは来た道とちがって、トンネルを通って。
家まで2.7kmだったので、町内をもう1km走って3.7kmに。
3.3+3+3.7で、今日はちょうど10km。
いい調整ができた。
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2019年12月11日(水)
国民感情とは? [時事]
◎朝日新聞12月11日朝刊・耕論
国民感情と言うけれど
国内外の対立で「国民感情」という言葉を耳にするようになった。今夏の国際芸術祭あいちトリエンナーレでも政治家の発言がきっかけで話題に。その「国民」にあなたはいますか。
*
■誰の思いか、わからない 小田原のどかさん(彫刻家)
「あいちトリエンナーレ」(あいトリ)で、企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったことは記憶に新しいでしょう。あいトリに出品していた作家の一人として、企画展中止後に集会を開き、ヒアリングをしました。芸術祭を支える市民ボランティアの率直な受け止めを聞いてみたいと思ったからです。
「友人にボランティアをしているといいづらくなった」「前回は宣伝の意味で(トリエンナーレのロゴ入り)Tシャツを着ていたのに、この騒動で着にくい」。何が問題かわからないという声とともに、そんな戸惑いの意見も寄せられました。芸術祭を支える市民の葛藤を目の当たりにするようでした。
一時中止された企画展で抗議が殺到したのは、慰安婦を題材にした「少女像」、昭和天皇の肖像を使った作品です。いずれも歴史認識に関わっています。河村たかし・名古屋市長が反発し、市が発表した声明で「国民感情を害する」と批判されていました。
「国民感情」という曖昧模糊(あいまいもこ)とした言葉によって、市民が素朴にあいトリを盛り上げたり、応援したりすることを難しくさせられたと感じます。「国民感情」という言葉で、過去の出来事をめぐる対話の機会が、分断と萎縮へと後退してしまったのです。
ただアートと歴史認識が交わる分野の制作現場では、萎縮につながりかねないことは以前から起きています。私は長崎の原爆を題材にした作品をつくってきました。助成金申請の面談で「この題材だと、ちょっと……」と言葉を濁され、暗に承認は難しいという反応をされたことがあります。
今回河村氏にとっては、慰安婦問題に対する従来のスタンスを主張しただけのこと。歴史問題について、私自身は「愛国心」や「日本人の誇り」という言葉に身構えてしまいますが、河村市長や作品に反発する人たちを理解不能だとはまったく思いません。歴史修正主義は否定されるべきですが、誇りやプライドの強調自体は否定されるべきものではないでしょう。
「国民感情」とは不思議な言葉です。国民=私たち、を意味するはずですが、その総体としての感情を誰が決めることができるのか。なのに、その言葉が投入されたことで、ツイッターなどネット上で対話ではなく、罵倒が増長してしまった。萎縮にとどまらない問題です。
しかも今回政府は、手続きの不備を理由に補助金の不交付という形で、「国民感情を害する表現」=「政府が好ましくないと思う表現」という図式を明示しました。誰の感情かわからない「国民感情」が今や政府の意思に置き換わっている。これには危機感を抱きます。(聞き手・高久潤)
おだわらのどか 1985年生まれ。創作活動とともに日本の彫刻の歴史研究も。編著に「彫刻1 空白の時代、戦時の彫刻」など。
*
■歴史観のもやもや、背景 松原隆一郎さん(社会経済学者、東京大学名誉教授)
「表現の不自由展・その後」は展示全体が左派的な作品に偏っていたので、公費で運営される場での展示としては政治的だと感じられても仕方なかったと思います。
ただ、批判派が「国民の感情」を持ち出して展示を批判した点には賛同できません。仮にそうした右派的な心情が日本社会の多数を占めていたとしても、多数派の感情を社会のルールにしろと迫るかのような言い方は適切ではないと思うからです。
「国民」という言葉のカギは、多様な価値観の共存です。「展示が表現の自由を逸脱した」と批判するなら、国民感情を持ち出すのではなく、なぜその展示が多様な価値観の共存を損なうのかをきちんと説明すべきでした。表現が誰の人権をどう侵害するのかなど、丁寧に検討されるべき論点はあったはずです。
今回批判されのは、慰安婦をモチーフにした少女像と昭和天皇の肖像が焼かれたかに見える映像でした。歴史認識が問われるテーマです。
戦前の日本のありようが国際的に否定されている状況に納得がいかない国民はいるでしょう。韓国が歴史問題で日本を批判することに、「いつまで謝ればいいのだ」と不満に思う人々もいます。
ただ、先の大戦は米英と日独伊の両陣営が互いの価値観を賭けた闘いでもありました。共存を拒絶したのですから、負けた側が体制を否定されるのは仕方ありません。また韓国は日本の植民地統治下にあったので、批判が終わらないのも仕方ない。もし解決するにしても数百年かかる問題だと考えるべきです。
頭では仕方ないことだと分かっていても心の整理がつけられない。国民感情というキーワードが浮上した背景には、こうした日本国民の心情があると思います。もやもやした心情にきちんとした言葉や表現を与えることに戦後日本の右派が成功していないことも、一因だと思います。
原因は、戦争責任の問題に日本人の手で決着を付けられなかったことでしょう。戦前を正当化しようとする右派の試みは、そのせいでどこか空転してしまうのです。近年の右派を見ていると、右派的な心情が世論の多数を占めると自負するあまり、丁寧に言葉を探す姿勢がおろそかになっているとも感じます。
国民感情に注目する試みにプラスの可能性が全くないとは思いません。たとえば、見送りが決まった英語民間試験。「経済格差が当然視されるのはおかしい」「地元で安心して教育を受けたい」という批判の中には、政治的な左右の違いを超えた心情の広がりがあったと思います。
こうした心情の根底にあるのは何か。その答えとなりうる言葉を探す作業が求められているのだと思います。(聞き手 編集委員・塩倉裕)
まつばらりゅういちろう 1956年生まれ。放送大学教授。著書に「経済思想入門」など。2008〜09年度に本紙「論壇時評」担当。
*
■「普通」を盾に、分断と排除 明戸隆浩さん(社会学者、東京大学特任助教)
「日本人ならば怒って当然ではないか」。世論を分ける問題が起きると、そんなぼんやりとしたナショナルな言説・雰囲気を支持する風潮が広がります。最近多少落ち着きましたが、数カ月前ならば徴用工や韓国の「ホワイト国除外」を巡る外交上の緊張などについて。連日テレビの情報番組などが韓国を「敵国」視する報道を繰り返し、一部週刊誌もそれに便乗しました。
私はポピュリズム(人民第一主義)とナショナリズムが結びついた問題として捉えています。「普通の人たち」が、そうではない人を批判・攻撃する。ナショナリズムは所属するネーション(国民)への肯定的な感情を指しますが、それだけでは攻撃を伴うとは限りません。今の風潮は自己肯定よりも、日本人以外への批判・攻撃が含まれています。
あいちトリエンナーレで河村たかし名古屋市長が「日本人の心」を持ち出し、慰安婦を題材にした「平和の少女像」に批判の矛先を向けました。彼が率先して世論をリードしたというより、世論の動きを察知、または後押しを受けたというのが正確でしょう。
では、彼をそういう動きに駆り立てたのは何だったか。市職員が作文したのかもしれませんが、市長発言の「日本人の心」は、抗議声明では「国民感情」と「翻訳」されました。「市民感情」「民意」など置き換えられる言葉は他にもありますが、国民感情になったのは示唆的です。
ポピュリズムが根差す「普通の人たち」に、ナショナルな意味が加わっていることを示しています。もちろん、その理由は河村氏が反発した作品がいずれも日本の歴史認識に関わるものだったからです。
歴史認識をめぐっては1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」が、まさに団体の名前が示すように、加害の歴史を反省し戦前の日本を否定する、既存の歴史認識に異を唱えた。少なくともこの時期は、歴史の反省・謝罪が普通であったわけです。
ですが戦後レジームからの脱却を目指す安倍政権が長期政権を担う中、「加害の歴史を繰り返し反省・謝罪する」ことへの違和感が定着しつつある。しかもこの文脈での自国=日本の肯定は、同時に朝鮮半島を始め、先の戦争での被害国の人々や、戦前の日本を肯定しない人の否定につながっている。
ポピュリズムがナショナルな言説と結びつく現象は日本だけではありません。米国のトランプ大統領が訴える自国第一主義もそう。かつて国民の感情たるナショナリズムは、国の一体性を生み出すとされていました。しかし今、国民感情は歴史の中で分断と排除を生み出すものになっています。(聞き手・高久潤)
あけどたかひろ 1976年生まれ。専門は多文化社会論。共著書に「奇妙なナショナリズムの時代」など。
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朝日新聞の「耕論」という欄は、いつも読み応えがある。
バイト先の寮で朝日新聞が読めるのがありがたい。
今回の「国民感情」特集もよかった。
その「国民」にあなたはいますか、と問われれば、「一度も国民になったことがない」と答えざるを得ない。
「国民感情」などという言葉を使う人は、自分が多数派であるという前提で物申す人だろう。もうそれだけでゲーが出そう。
少なくとも、あの気色悪い名古屋市長と同じ「国民」でいたくはない。
話は変るが、最近「税金はなんぼ上げてもらってもいい」と思うようになってきた。そのお金が、どうしようもなく困っている人のために使われるであればだが。(例えば、自然災害で途方に暮れている人などのために)。そういう使い方をしてくれれば、みんな惜しみなく税金を払うと思う。
「納税は国民の義務」と言う前に、「困っている人を助けるのが国民の義務」と思える国であってほしい。
こういう「国民感情」なら大歓迎である。
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【今日のきく】
昨日アップするのを忘れてた。
昨日のきく。(以下、全部昨日のことです。)
毎度おなじみ、うちを別荘と思ってくれている黒猫ちゃん。
ちょっと前なら、きくが気付いてファンファンゆってたのに。今はもう、全然気付かない。
夜、「きくちゃん、おちゃんぽ行こか」と言ってもぐーぐー寝たまま。
全然動かない。
むりやり起こしてお散歩へ。
○ッコがジョンジョロリン。
ちょっとしか歩かへんかったね。
でも、食欲はあるでー。
オッサンが一人で食べていた水炊きの残りを、ちょっとだけいただきました。
オバサンは10時前まで鍼灸施術。
そんな遅くからでも、きくのお散歩に行ったげてますよー。
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2019年12月10日(火)
ウルトラペース走 [ランニング]
「沖縄100K」まであと5日。
明日は17時間バイトなので、あと練習できるのは今日と木土の3日くらいか。
毎回言っているのだか、「初めから歩きを挟む村松流の走り」で完走をめざす。
具体的には、5kmごとに0.5kmのウォークを挟む。実際はアップダウンがあったり、トイレ休けいも挟むので、なかなか思い通りには走れないのだが。
それでも目安のパターンを決めておかないと、なかなか実行できない。
まずは体力が続く限りキロ7分ペースを守る。0.5kmウォークが5分半かかるとすると、残り0.5kmを3分半で走るので、その1kmは9分。
つまり、7×4+9で5kmを37分で行きたい。
前半50kmをこのペースで行ければ、370分なので6時間10分。
ギリギリ完走できた2年前が、前半6時間22分だったので、あまりの12分がトイレ休けいなどに使えるということ。
これをしっかり頭に叩き込んでおこう。
今日は、本当に初めから歩き。
0.5から5まで走り、また0.5歩きの4.5走り、また0.5歩きの4.5走り。これで15km行ってみる。
岩倉実相院経由の佛大グランドまでが5km。
最初の「歩き+走り」1kmが約8分。速すぎるので、ダメ。
石段を上がって、お寺の境内ものぞいてみた。
だいぶ散ってしまったけど、紅葉がきれいだったんでしょうね。
グランドまであと500mくらいのところにある大きな池。
鴨がいっぱい。
佛大グランド前到着。
8:00 6:19 6:31 7:10 7:05 で5km、35分06秒。
もっとゆっくり行かないと。
帰りは下りになるので、もっと抑えて。
まずは0.5km歩きが5分30秒ほど。
そこから家までの4.5kmを走る。
実相院前通過は5時前だったが、もう門が閉まっていた。
お月様が、いい具合に見える。
我が家到着。
8:34 6:57 6:18 6:34 6:48 で10km、1時間10分20秒(35分13秒)。また本番は「平和・憲法九条」ののぼりを背負って走って遅くなるので、練習はこんなタイムでいいんかな。
あと5kmは、東北部クリーンセンターへ。
ここも最初0.5kmは歩きで、残り4.5kmを走る。
市原野保育前を通ったのは5時半。まだまだたくさんの子どもたちがお迎えを待っていた。
いつものネコだまりにはネコがおらず。
でも、お向かいの空き地にかわいいネコちゃんが。
再び我が家に到着。
8:57 7:10 6:46 6:46 6:55 で15km、1時間46分56秒(36分35秒)。まあまあいい感じでゴールできた。
町内を1kmダウンジョグ。
今日は黒猫ちゃんが門番をしていたが、「暗闇に黒猫」は撮りにくいねえ。
さあ、今日のペースをしっかり覚えて、とりあえず前半を6時間20分くらいで行けるようにがんばろう。
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2019年12月09日(月)
第123回9の日平和ラン [ランニング]
今月はちゃんと9日に走れる。
午後3時半、この時間は小学校の下校時刻と重なるので、めざすは小学校やね。
「9の会って、なに?」と聞いてもらえたらめっけもんなんやけどなあ。
走る前に、昨日のマラソン会場で買った「ごま団子ドーナツ」をチンして食べた。でも脂が溶け出してしまって、昨日ほどおいしくなかった。ちょっとやり方失敗した。
柿は6個100円。愛妻ますみさんが、柿好きな私のために買ってくれた。おいしそうな色なこと。
銀行に行く用事があったので、まずは中信へ。これが往復で1.15km。
町内のかわいいネコちゃんに遭遇。
もう1ぴき。
こちらは上等猫ふう。
さあ、今日はどこの小学校まで行こうか。
近くの小学校は全部行きつくしたと思っていたが、上高野小学校がまだだった。そこをめざそう。
まずは岩倉南小前を通過。
たくさんの小学生とすれちがったが、誰も話しかけてくれんかった。
次は同志社小学校。
こちらもたくさんの子とすれちがったが、まったく関心なしに見えた。
東へ東へと進み、叡電の線路を越える。
八幡さんの鳥居を越えると、上高野小学校は近いはず。
叡電・三宅八幡駅。
ここに付近の地図があったので、上高野小学校の位置が分かった。
そこにちょうど新車両の「ひえい」が到着。
こんなマスクです。
楕円形。
上高野小学校到着。
うちから5kmもないところの小学校なのに、初めて来た。
学校の周りには畑がたくさん。
静かな環境の中にある、いい感じの小学校です。
残念ながら、下校する子どもたちとは出会わなかった。
さらに奥へ。
しかし、ここから迷走が始まる。どこに進んでも袋小路。
そういうときは来た道を戻るに限る。
ほーら、戻ったごほうびや。
かわいい白猫ちゃんに遭遇。まるまる太っていたので、飼い猫でしょうね。
国道に出るまでに、なつかしい感じの食堂を発見。
裏通りで営業中だったが、そこそこのお客様はあるんでしょうか。
叡電の鉄橋の下をくぐるとき、ちょうど電車が通過。
一瞬の判断で写真を撮ることができた。
花園橋から比叡山を臨む。
夕陽にはえる「赤ひえい」ですね。
柿が鈴なりの交差点まで戻ると、家まであと2kmちょっと。
それにしても、あの柿は取り入れられない。もったいないねえ。
いつもはライトオンの交差点を右折するのだが、今日は直進。
けっこういい上り坂。
幡枝八幡さんまで来たら、あと1km。
「バスに乗ってるひとー、9の会のシャツ見てねー。」
家に帰って9.2km。ちょうど1時間。
最初の分を合わせて10.35km、1時間11分30秒。キロ6分54秒ペース。
ウルトラも、走っているときはキロ7分ペースで行きたい。そして、4.5km走ったら0.5km歩く。これで行けたらいいのらになあ。
左右の肩バランスがましになっているかと、後ろ姿を自撮り。
前よりは少しはましになっているような・・・。
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【今日のきく】
午後7時すぎ、いつもの野菜自販機からの帰り。
この時はまあまあ歩いたらしい。
夜9時すぎ、ふたり引きのお散歩。
全然歩かず。
でも、ヨメさんはロープをグイグイ引っ張っていく。首輪だけの時は、引っ張ると首がしまってかわいそうだった。でも、今はハーネス型の首輪をつけているので首はしまらない。
それにしても、引っ張りすぎのような・・・。
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2019年12月08日(日)
第5回京都亀岡ハーフマラソン [ランニング・出張販売]
「完走証発行時点では、○○さんが2位、藤井さんが3位と出たんですが、写真判定の結果逆転しました。機械はチップの場所(足元)で判定しますが、正式には胸が先にゴールしたほうが先着ですので。」
「やったー!」
スタートからゴールまでずっと2番で、自分では2位でゴールしたつもりだった。ところが完走証をもらうと「3位」だったので、「またゴール前で差されたかー」とガックリきていた。
3年連続北出さんに競技場内で差されるパターンだったが、今年は北出さんはハーフに出場。それで安心してましたわ。まさか、ゴールライン上で死闘の争いが繰り広げられていたとは・・・。
「タイムは最低でも5分59秒」と思っていたのに叶わず。でも、なんとか2位に入れてよかったです。
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私は5時起き。ヨメさんはきくの散歩に行ってくれているのでもう30分ほど早く。きくは目覚めるのも鈍くなって、なかなか歩いてくれなかったらしい。
5時16分に出発し、亀岡運動公園に着いたのは6時01分。どこにも寄らなかったら45分で来られる。
到着した時は真っ暗で、荷物を降ろし終わったのが6時半だがまだ薄暗かった。
7時からTシャツの配布だが、実際にランナーが来られるのは8時くらいから。
一番にごあいさつに来てくださったのは、京都走ろう会の山原さん。
「今年も応援に行きますねー」と約束しておいた。
私が出る1.5kmの部は参加費1000円だが、Tシャツをいただける。これは完全に赤字でしょうね。
寒いので暖かいものを探しに行ったら、「カスうどん」(400円)というのがあった。
アツアツですごくおいしかった。ちょっと汁がからかったが、全部飲み。走る前にこれはあかんかったかも。
着替えてから、ハーフのスタートの応援に。
ハーフは9時45分スタート。
「まつもとさーん、わろてんとしっかり走らな!」
この写真、すごくうまく撮れましたね。
「山原さーん!」
地味な京都走ろう会のTシャツだったが、すぐ見つけられてよかった。
あと京都走ろう会の吉澤さんも「写真撮りますし」と約束とていたのだが、見つけることができなかった。
ハーフは3000人やからねえ。かたまってるとこやったら、見つけるのが難しい。
さあ、ここから私のアップジョグ。
競技場を出て初めての角のところに、ネコだまりがある。
今年も楽しみにしていたのだが、ちゃんといてくれました。
おお、もう1ぴきも。
これで、今日はいい結果が出せそうな気がする。
10時10分スタートの5kmの部の応援へ。
「小川さーん、しっかり!」
ヨメさんの鍼灸が効いて、調子いいらしい。よかった。
そのすぐ後ろに、道家さんと佐伯さん。
想定していなかったのでとっさにシャッターを切ったが、まあまあ上手に撮れてますやん。
10時15分に3kmの部がスタートし、10時20分、いよいよ1.5kmの部のスタート。
スタートまであわただしかったので、そのへんの写真を撮る余裕なし。私が考えていたのは、「小学生とぶつからないようにスタートする」こと。
そのためには最前列に並ぶことが必須だが、もうガッチリと壁ができていて無理だった。そういう場合は、こじ開けられそうな場所を探してその後ろに並ぶ。
スタートしてすぐ、一瞬前にスペースができた。そこに無理やり体をねじ込んだ。これで小学生とぶつかるのを回避。今回初めていいスタートが切れた。
前を見ると、小学生が5、6人。そしてその中に大人が1人。
「追えー!」
国道に出るところまではほとんど差がなくついていけたのだが、そこを曲がってから徐々に差が広がっていった。力の差は明らか。
競技場敷地内に入るところで、3kmと5kmのランナーと合流してややこしくなる。何人かに抜かれたが、若い元気のいい子ばかり。どう見ても60代はいない。
そしてそのままゴール。
「2位やなあ」と思ってもらった完走証が「3位」。「若者に見えたのが、実は60代やったんか・・・。ガックリ!」
一応、「入賞」の札は写真に撮っておかんとね。
めったにないから。
京都キャロットテント前でも、ヨメさんに写真を撮ってもらった。
めったにないから。
そして表彰式に向かうと、「写真判定で着順が逆転しました」と。
これも、めったにないこと。
さあ、あとは知り合いの応援に行かなくては。
「去年の記録少しでも更新したい」とおっしゃっていた山原さん。
時計を見ると、めっちゃビミョーなタイム。
「山原さん、最後までしっかり腕振って!」
「はい!」
しかし、かなり疲労の色がにじみ出ていた。
「どうなんやろ、どうなんやろ」と思いながら、ゴール前で待機。
「1秒でも更新を!」
さて、結果は・・・。
ゴール直後でしんどそうだったのでくわしくは尋ねなかったが、ビミョー。
次こそ大幅に更新してください。山原さんにはその力があります。太鼓判を押します。
元気にスタートされた松本さんは、倒れそうな様子で戻ってこられた。
「まつもとさ〜ん、しっかりー!」
「もう、あかんわ。」
北出さんには声はかけなかった。
前回の「日置川」よりはかなり遅かったようだったので。
これから先は、コースに出て応援。
スタート直後に見つけられなかった吉澤さん。
「写真撮るんで、元気に走ってるとこ見せてください。」
「足がつってしまって・・・」と言いながら、元気に走ってくださった。ところが、「いてててて」。一回つった足は何回もつる。私も経験しています。
「吉澤さん、あとちょっとやし、無理せんと行ってください。」
「斎藤さん、あと2kmです。しっかり!」
「あと1.5kmでしょ。」
「???」
ゴールまであと2.5kmくらいのところまで見に行った。
最後尾車が見えたので、私もUターン。
ゆっくりジョグで戻っていった。
これでいいダウンになったかな。
2時すぎに車を取りに行き、後片付け。
その前にだいぶ片付け始めていたので、あっという間に積み込みができた。
3時前に会場を出発。
昼夜兼用のような食事は、いつもの「ザ・めしや」。
あったかいものを食べながら、今後のことなどいろいろしみじみと。
いろいろしみじみと、しみじみと・・・。
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【今日のきく】
家に戻ってきたのは午後4時50分。
出張場所が近いと、早く帰れていい。
きくはちょっと寝ぼけていたけど。
夜はめずらしく、きくがずっと居間にいた。
オバサンの顔をベロベロ。
これがまた、魚くさいんですわー。
「遠慮なく、踏み越えさせていただきます。」
「おえっ!」
よめさんときくがスヤスヤと・・・。
起きると、今度は覆いかぶさって。
「オバサン、すっきー。」
「しゃーないなあ、腕枕したろ。」
仲良くくつろいでいるうちに、またむにゃむにゃと・・・。
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