2018年07月24日(火)
スイムラン・イン・花脊 [ランニング]
二日連続のいなか帰り。
どうしても帰らなくてはならない用事があったのだが、どうせ帰るのなら川を泳ぐ練習をしよう。
私が29歳の時、「びわ湖アイアイマン」に出るために買ったウエットスーツ。いなかの家にちゃんと残してありました。
11年前に廉と西表島に行ったときに着て以来、しまったままになっていた。ボロボロになっているかもと思ったが、色あせているだけで、見た感じはだいじょうぶそうだった。
着てみました。
33年前よりは細くなっているはずなのに、着るのに難儀した。そうやそうや、このウェットスーツは元々着るのに難儀してたんや。
でも着てしまったら、そんなに違和感はない。しっかり泳げそう。
うちの家の前の別所川は浅い。足の立たないところで泳ぐ練習をしないと意味がないので、花脊大布施町まで行くことにした。
別所川が合流する大堰川は、「京都丹波トライアスロン」のスイムコースの上流に当たる。大布施町あたりまで行くと、場所によっては足の立たない深いところもある。
午後5時前。
気温27℃、水温24℃。
なかなかいい感じ。
最初、肩の出たスーツで川に入った。あまり浮かないし、肩も寒い。
すぐに長そでを上に着た。これで万全。
浮力も落ちているかもと心配だったが、これだけ着るとプッカリ。
足の立たないところは5mほどしかない。
仕方ないので、そのあたりをグルグル。
上流向きはほとんど進まず、下流向きはあっいう間に流され・・・、これではあまりいい練習になっていませんね。
相変わらずの「死にかけた鯉泳法」。
これはめっちゃ疲れる。
とにかく、どんなことがあっても375m泳ぎ切らなくては。
何やかやで20分以上川に入っていた。
レースでの目標は、13分以内なんですけど。
これからしっかり練習していきましょう。
東の空にお月様が。
まだ少し時間があるので、花脊峠近くのトレイルコースを走ってみることにした。
花脊峠はもう24℃まで下がっていた。
峠から花脊山の家まで歩いていけるコースが整備されている。歩いていけるということは、もちろん走って行けるということ。
前から気になっていたのだが、今日ちょっとだけ走ってみることにした。
峠から進む道なので、ずっと下り。
道幅は広く、走りやすい。
1km進んだところで折り返し。8分12秒。
来るときに気にしていなかったがた、途中小川を超えた。
この川が別所川になり、大堰川に合流し、桂川、淀川となって大阪湾に注がれる。長い長い水の旅があるんやねえ。
峠に戻って2.05km、17分30秒。
もうちょっと走りたかったけど、泳いでちょっとフラフラ状態。
今日はこれくらいでかんにんしといたろ。
多鶴子姉に聞いたところ、「花脊交流の森」前の川のほうが深くて長いコースが取れるとのこと。あの辺りは平坦な道路コースも取れるので、次は「花脊交流の森」を基点にして、スイム+バイク+ランの練習をしよう。
いい練習場所が見つかった。うれしい。
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2018年07月23日(月)
墓そうじ2018+草刈り+父 [雑用]
今年も元気に墓そうじ。
「一年の計は元旦にあり」と言うが、私の場合は「一年の計は墓そうじにあり」かな。
癌宣告を受けてから二度目の夏。最悪の場合、二年後の墓そうじは無理かもと本気で思っていた。・・・って、墓そうじがそんなに大事なんかーい!
大事なんですよ、私にとっとては。小さい時から「役立たず道」まっしぐら。ところが「墓そうじしてこい」と命じられ、なんでも中途半端だった私にしてはきっちりできた。もちろん、ほめられましたわな。
それ以来、墓そうじは「こうじの仕事」。62歳になった今も続いている。これ、いつまで続けられますかねえ・・・。
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市原の家の中は、午後3時前で35.7℃。外は36℃を超えているでしょう。
毎年墓参りは8月の初めなので、そうじは7月中にやっておかねばならない。
何やかやと予定が入っていたので、思い立った時に行くのが一番と思い、いなかに帰ることにした。
大雨の影響で道路が崩れ、通行止めになっていたところ。
やっと応急処置ができたみたい。
鞍馬温泉から200mほど北。
ここを迂回するには百井を通るか、芹生を通るか・・・、いやその辺も崩れているかも。国道162号の周山回りですか。遠いねえ。
花脊峠で32℃。
このあたりにしては、かなり暑い。
30分でいなかの我が家に到着。
家の前の崖崩れは、今回の大雨ではなくもっと前から。
全然治してもらえる気配なし。
うちの裏の老健施設「花友・はなせ」に父がいるのだが、まずは墓そうじ優先。そうじが終わってから報告に行こう。
兄の家は留守だったが、勝手にクワやカマを借りてきた。
大雨があったせいか、上っていく道に水がドードー。
うちの墓はだいぶ上なので、墓を磨くための水を持って上がるのがしんどい。
草は全然生えていない。カマ、いらんかったね。
杉の枝や葉を拾い集めるだけで、もう半分くらいそうじができたようなもの。
私の祖父と祖母のお墓。
祖母の戒名に「鶯」の文字が入っているのがいい。
母の仮のお墓は、見るたびにわびしい。この仮のお墓で、もう26年。
うちの黒猫・あんもの墓のほうが立派やし。
最後に墓石もしっかり磨いてそうじ終了。
全部で約1時間かかった。
家の前が草ぼうぼうになっていたので、また兄の家から勝手に草刈り機を借りてきた。
墓そうじの続きに、家の草刈りもやってしまおう。
草刈り機の振動が、手術後10日目のお腹にどうかなあと心配。
ぼうぼうの草はかなり手ごわく、草刈り機の回転刃に草が絡みついてたいへんだった。お腹にもかなり響いたが、40分くらいで済んだので何とか持ちこたえた。
墓そうじは自分のペースでゆっくりとできたが、草刈りは草刈り機のペースになってしまうので、そこがしんどい。肩・首・腕が痛い。お腹はまし。
草刈り機を返しに行き、「花友・はなせ」へ。
いつもは事務所に数人おられたのに、最近は無人。
「インターホンを」と書いてあるが、ここにはなく、いったん玄関を出て押さなくてはならない。探し出して押してみたが、予想通り誰も来られない。
父の居場所がだいたい分かっているので、勝手に入らせてもらった。そしたらやっと、下から職員さんが上がってこられた。
午後6時半ころだったので、みなさん食事中。写真を撮らせてもらおうかと思ったが、私の眼には楽しい食事に見えなかったのでやめておいた。
「墓そうじしてきたし」と言っても、父は無反応。かえってまわりのお年寄りたちが「そうかー」とか言って反応してくださっていた。
帰り際「また来るし」と言うと、「生きとる限りは、なんぼでも来たらええ」と。
私はこの「生きとる限り」を「父が生きとる限り」と解釈していたが、家に帰ってヨメさんに話すと「おまえが生きとる限り」という意味やろうと言われた。
無反応だった父が、突然哲学者みたいになるのでおもしろい。ほんまにまた来るね、私が生きている限り。
「京都キャロット」に7時20分頃到着。
いつもよりちょっと遅いお迎えだが、きくは大喜び。
夜、ヨメさんと二人引きでコンビニにアイスを買いに。
きくのもんは何にも買うてもらえへんのに、かしこう待ってたよー。
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2018年07月22日(日)
思い出のあんもケージ [わんこ・にゃんこ]
2011年5月、22歳になるちょっと前に亡くなったあんも。
上の写真は1991年4月、あんもが2歳になる前の時のもの。うちの廉が生まれる4か月前。
ピンクのケージ、気に入ってますねえ。
あのケージ、元は3段もあったんですねえ。
8ひきのネコちゃんたちが出たり入ったり、飛び上がったりしてたんや。
キャロちゃん一族7ひきのネコが死んじゃって、最後に一族ではないあんもだけが残った。
最後の最後まで、あんもは気に入ってこのケージに入っていたみたい。
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5月に業者さんに頼み、旧事務所の荷物を全部処分してもらった。
ネコちゃん関連グッズもたくさん残っていたが、これも全部処分。ただ一つだけ、サビサビになっていたピンクのケージだけ持ち出していた。
それは、fukikoさんのブログ「猫と過ごすこんな一日」の中に、「エイズ陽性の猫は、他の猫にうつらないようにケージに隔離しなければならない」と書いてあったから。
サビサビボロボロで気が引けたが、私の「思い出のあんもケージ」なので、fukikoさんにもらってもらえないか問合せさせてもらった。
心優しいfukikoさんは、もちろんOK。
今日、ヨメさんがケージをきれいに洗ってくれた。これで「思い出のあんもケージ」とお別れ。
目指すは、「八幡地域猫を考える会」の保護猫譲渡会。
ここにfukikoさんが来ておられるので、ここまでケージを持っていくことにした。
私は京都市北部が縄張り(?)なので、八幡市には縁もゆかりもない。
超久しぶりに淀の京都競馬場前を通り、京阪・橋本駅近くに着いたのは1時間10分後。うちから約26km。遠かった。
車1台がぎりぎり通れる狭い道を運転し、やっと会場近くのコインパーキングに到達。そこから駅近くの散髪屋さんを探していくと、すぐに会場のお宅が見つかった。
ネコちゃんたちはみんなおとなしく、オドオドしているネコちゃんはいないようで安心した。
たいへんやわなあ、このくそ暑いのに見せもんみたいに陳列されたら。でも、いつかきっといい人が現れておうちに連れて行ってくれはるから。それまでのしんぼうやね。
私は、今はネコちゃんは引き受けられない。
でももし今後またネコを飼うことになれば、必ずfukikoさんのところから引き受けますから。
fukikoさんのお姉さん夫婦も来られていて、今年12月の「沖縄100K」をどうするかの話で盛り上がった。
今年から、糸満市役所スタートの50kmの部ができるのだそうだ。もちろん私が出るとしたら100kmの部ですけど。参加費18000円がネックやねえ・・・。
爪とぎケースを買わせていただき、サビサビボロボロケージをfukikoさんのダンナさんに押し付けて帰路へ。
帰りはこんな道。
「ネコちゃんたちのために、なにかお役に立てればいいんですけど・・・」と思いながら。
とにかくこれで、「思い出のあんもケージ」は何とか生きのびたね。
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【RUN】
昨日と同じ、バイク10+ラン2.5の練習。
ただし昨日のバイクコースは走りにくかったので、今日はご近所グルグルコースにした。
うちの町内を大きく回ると約1.5km。これを6周と3分の2で10kmになる。
また、夕方5時ころスタート。
高低差がほとんどなく、勝手知ったるコースだったので思い通りに走れた。
途中カーブを大回りしてきた車にぶつかりそうになり、杉の垣根側に倒れて助かった。これは今後も要注意。
それ以外は順調で、9.97km、24分56秒。
時速24km。最低でもこれくらいで行かんとね。
自転車を置いて、すぐにランスタート。
この間5秒くらい。
本番もこれくらいで通過できたらいいんですけど。
ランも遠くまで行かず、頼光橋を折り返して町内2周。
2.51km、12分18秒。
よくがんばりました。
これで、バイクからランのゴールまでが37分14秒。
いいですね。早くも目標に近づいてますね。
それよりやっぱりスイムの練習ですね、私に必要なのは。
走り終わった夕方6時で、35.2℃。
この気温やから、当分ランは無理せんようにしよう。
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【今日のきく】
朝から、うちの庭で他の猫にふかれていたネコちゃん。
けっこうすごい鳴き声でふかれていたのに、きくはその声に全然気づかなかった。
お店でくつろいでいるきく。
夕方のお散歩。
まだ、暑い、暑い。
すぐ横にネコちゃんがいたけど知らんぷり。
暑すぎて「ふぇんふぇん」もゆうとられん。
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2018年07月21日(土)
さあ、再スタート [ランニング]
今年後半の大目標は、10月14日の「峨山道トレイルラン」。
しかし、その前の8月26日に「京都丹波トライアスロン」がある。去年出た「ラブトライアスロン」の代わりとして、娘の真樹と同じレースに出る。あと1か月ちょっとですねえ。
私ら親子が出るスーパースプリントの部は、スイム375m+バイク10km+ラン2.5km。去年の「ラブトライアスロン」よりランが0.5km短いだけで、ほぼ同じ距離。
私の課題は、足のつかない大堰川の375mを溺れず泳ぎ切れるか。不安だらけだが、これはこれから対策を考えなくてはならない。今はとりあえず、バイク+ランの練習ですね。
昨日寮1の寮長さんと話していたのだが、私のリハビリはいきなりランからではなく、自転車からぼちぼち始めたらいいのではと。たしかにねえ。自転車は走るよりずっと楽だし。
バイク10km+ラン2.5kmなら、入院手術後でもゆっくり行けば何とかなりそう。
今日、家の中がどれくらいまで暑くなるのか温度計を見ていた。すると、午後3時過ぎに35.5℃。居間が猛暑。
このあと、少しでも気温が下がればスタートとしようと思っていた。ところが全然下がらず。
午後5時ころ、まだ家の中が35.2℃だったがスタートした。(外気温は36℃を超えていたと思う。)
自転車の途中では写真は撮れませんね。
うちから頼光橋まで行き、そこから圓通寺あたりを回る3km周回コースを3周。頼光橋からうちに戻り、これで10km近くになるはず。
お腹の痛みがましだったので、ガンガン飛ばした。しかし、車には会わない道だと思っていたのにけっこう出会ってタイムロス。自転車の練習ができるいいコースって、なかなかないですねえ。
9.92km、27分21秒。
時速21.8kmかー、遅すぎるけど、退院後初の練習としてはこんなもんか。
自転車を自宅前に置いて、すぐにランスタート。
この間20秒ほど。
自転車は口で呼吸するので、喉がすごく乾く。これは要注意。
ランはわずか2.5kmなので、初めからバンバン行くこと。2.5kmなんてあっという間なんで。
走り出したら、お腹はそれほど痛まなかったがゲーが出そうになった。なんちゅうても35℃超えの猛暑ですからねえ。
2.52km、12分59秒。(バイク+ランで40分38秒。)
私の最終目標は2.5kmを10分で。今は無理でも、練習次第で到達可能。
これからがんばっていきましょう。
1kmダウンジョグをして、家に入ればまだ34.9℃。 暑すぎる!
しかし、病み上がり第一段として今日の結果は上出来。
次はまた、去年と同じくやまごえプールへ行って、スイム+バイク+ランの練習をしますか。
でも、足の立たんとこで泳ぐ練習せんとなあ。
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【今日のきく】
きくは、昼間はエアコンのきいた「京都キャロット」勤務。
今日は、元京都府立大陸上部のあかりちゃんが遠くから来てくれたそうだ。きくは若いおねえさんが大好きなのに、ずっと吠えていたらしい。
ヨメさんの話によると、真樹とまちがって「早うなでんかい!」と怒っていたのかもと。
きくも歳とって、目が悪くなってるからねえ。
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腐っても三線 [雑用]
(注) 記事の内容と実際の日がだんだんずれてきています。この記事は、おととい木曜日のこと。
退院2日目。
寮の管理代行のバイトがこの日になりかけていたが、交渉の結果「金曜でいい」ということで、あきらめかけていた三線教室に行けることになった。
ただ体力が回復していない。いつも言っているが、三線教室の2時間の疲れは、ぶっ飛ばしランニングの2時間に相当する。つまり、ハーフより長くフルより短い、・・・30kmレースの疲れくらいですか。
へその左下くらいの痛みがひどく、体全体に力が入らない。
それでもせっかく行けることになったので、1時間くらい練習させてもらって早引きさせてもらえばいいかと思った。
イオンモール五条までは車で約40分。いつも家を12時35分くらいに出て、1時15分くらいに着く。
今日は久しぶりの5名のフルメンバー。
以前からのお二人は上級者。去年7月に入った3人のうち、お一人は練習熱心で今や中級者。私ともうお一人、「孫の世話で練習でけへん」が口癖のTさんとがいつまでたっても初級者。
ところがそのTさん、今日はいつもとちがった。先生から「だいぶ練習してこられましたね」とほめられていた。
あかんがな。次回の練習日は、京大病院にアイソトープ治療で入院中。ちょっと安心感のあったTさんにまで大差をつけられてしまう・・・。
そう思ったあたりから、気持ちがシャキンとした。いつもの頭フラフラにもならず、2時間しっかりがんばった。
そのおかげで、「沖縄(うちなあ)」は1か所を除きほぼ弾けるようになった。これで、私のレパートリーは「十九の春」と「沖縄(うちなあ)」の2曲に。
「丸一年練習して、たったの2曲かーい!」
そう思われるでしょうが、音楽の経験が皆無の60代ジジイってそんなもんでしょう。やめんと、続けてるだけでもえらい。
帰り際、次回また入院で欠席という話をした。前日に退院したばっかりなのに、また次にちがう病院に入院しなくてはならないと。
その時に、「元気そうに見えるのに、なぜ入院されてたんですか」と聞かれ、ちょうどカバンに入ったままだった摘出した胆石を見てもらった。
先生と4人の女性は、「はー・・・。」
京大病院の隔離病棟に5日間入院という話もした。
「三線持って行って、練習しはったらよろしいやん。」
「いやいや、その病棟に持ち込んだもんはみんな捨てて行かなあきませんねん。本とか下着とかタオルも。」
「えっ、なんでですか。」
「放射性ヨードというのを飲み込むので、しばらくは体から放射線が出まくるらしいんですわ。だから、持ち物も捨てていくんです。」
「へー、そしたら三線の練習もできませんね。」
一向に上達せず、いつも疲れ切って帰ってくる私を見てヨメさんが言う。
「アンタには向いてへんから、ヤメ。」
「ヤメへんどー。」
私にとっては、「腐っても鯛」ならぬ「腐っても三線」。
いやいや、声が出なくなってからせっかく始めた三線なので、まだまだがんばりますよー。
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【今日のきく】
ほんとうは、おとといのきく。
夜にたっぷりとお散歩。
夜10時前ともなれば、かなり気温もましになる。
「きくちゃん、わらってる?」
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2018年07月20日(金)
「韓国料理 李朝園」 [グルメ情報]
「焼肉ドラゴン」を見たあとは焼肉でしょ。
ビビ二条で映画を見て、そのあと同じ建物の1階で焼肉を食べる。
こんないい退院祝(胆のう炎終結祝)はないですねえ。
韓国料理は、胆のう炎のときは胆石が暴れまくってとても食べられそうもないものばかり。朝は病院のパン、昼はコーヒーだけにして、万全の腹減り体制で臨みましたわー。
いつもは「あれはダメ、これもダメ」と言うヨメさんもやさしく、お腹いっぱい、アルコール系も飲み放題で堪能しました。
退院して家に帰って、すぐにシャワー。
お腹ブヨンブヨンなので心配していたが、体重は減っている。そら、手術入院で太って帰っては来られんわなあ。
夜にしっかりお腹を減らしてから食べたかったので、お昼はコーヒーだけでおしまい。
午後3時20分からの映画を見るため、2時37分のバスで国際会館へ。そこから地下鉄で二条駅。アルコールも飲む予定だったので、車は置いて。
ビビ二条のTOHOシネマズ二条で「焼肉ドラゴン」を見たあと、1階の「李朝園」さんへ。ネットで、安いコース料理を予約しておいた。
■新登場 ♪チーズ手巻き焼肉 3000円(税込)プラス500円で飲み放題付♪
厳選牛肉を特製タレで熟成させたプルコギをケランチムやとろーりとろけるモッツァレラチーズと一緒に新鮮な包み野菜などで巻いてお召し上がり下さい。ご飯とチーズなどにつけたプルコギを韓国海苔で包むなど自由な組み合わせで楽しめる♪新しい食べ方の提案です。ぜひご賞味ください!
◇ ◇ ◇
いろいな食べ方ができるちょっと変わった焼肉で、飲み放題付きで3500円(税込)は安い。
最初に食べ放題キムチがドンと置かれ、最初の飲み物を注文。
ふだん飲めない物を注文しようと、ヨメさんはチャミハイ(チャミスルのソーダ割り)、私はマッコリ。
「退院おめでとう」もなしに、ヨメさんがフライング。
まあ、楽しく飲み食べしましょう。
「焼肉ドラゴン」の中で、長女をめぐって飲み比べをする二人の男が飲んでいたのがこれでしょう。アルコール分がきついかと心配だったが、このお店のマッコリは薄い甘酒のようだった。まだまだ行けそうだったが、これは1杯だけにしておいた。
いろいろな食材が運んでこられ、それだけでヨメさんは機嫌がよくなってきた。
お店の若いおにいさんにお願いして記念写真。
このあと1時間半近く、楽しく食べて飲ませていただきました。
出されたものはほとんど完食。「手巻き焼肉」はすごくおいしかった。
ヨメさんも私も3杯飲んでベロベロ。
ごはんもチヂミもおいしかったし、デザートのアイスもよかった。トウモロコシ茶も焼肉のあとにはいいですね。
前もって地下鉄とバスの乗り継ぎを調べておいたので、30分ほどで家に到着。きくを待たせていて心配だったが、8時10分ころに帰ってこれた。
こんなに便利なら、ビビ二条で映画と夕食のパターン、また行ってもいい?
なあ、きくちゃん。
すぐに二人ひきのお散歩へ。
私は入院中は50mほど歩いたのが最高だったのでだったの、すぐに息切れ。何度も何度も休けい付きのお散歩になってしまった。きくはあんまり気にしてなかったけど。
きくは前ほど、私に対する「知らんオッサン扱い」が長く続かない。
きく自身が歳とって来て、こだわりがなくなってきたんかなあ。その調子で、だれにでもかわいがってもらえるような犬になってもらったらなあ。
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2018年07月19日(木)
「焼肉ドラゴン」 [映画]
◎シネマトゥデイより
■見どころ
『愛を乞うひと』などの脚本家としても知られる鄭義信が、数々の演劇賞に輝いた自身の舞台を映画化。1970年を舞台に、関西で小さな焼肉店を営む一家が、たくましく生きる姿を描く。3姉妹に『さよなら渓谷』などの真木よう子、『八日目の蝉』などの井上真央、『最後の忠臣蔵』などの桜庭ななみ、長女の幼なじみに『探偵はBARにいる』シリーズなどの大泉洋、父親に『隻眼の虎』などのキム・サンホ、母親にイ・ジョンウンがふんする。
■あらすじ
日本万国博覧会が開催された高度経済成長期の1970年、関西地方で焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む龍吉(キム・サンホ)と妻・英順(イ・ジョンウン)は、娘3人と息子と共に暮らしていた。戦争で故郷と左腕を奪われながらも、前向きで人情味あふれる龍吉の周りには常に人が集まってくる。
■キャスト
真木よう子(静花)
井上真央(梨花)
大泉洋(哲男)
桜庭ななみ(美花)
大谷亮平(長谷川豊)
ハン・ドンギュ(尹大樹)
イム・ヒチョル(呉日白)
大江晋平(時生)
宇野祥平(呉信吉)
根岸季衣(長谷川美根子)
イ・ジョンウン(英順)
キム・サンホ(龍吉)
■スタッフ
原作・脚本・監督
鄭義信
■映画詳細データ
製作国 日本
配給 KADOKAWA
ファントム・フィルム
製作「焼肉ドラゴン」製作委員会
カラー
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私の退院予定日は、一番早くて17日(火)、遅くて19日(木)ということだった。
ヨメさんは私が早く帰ってこられたらうっとおしいようで、「木曜にし」と何度も言っていた。でも、私は「京都キャロット」の定休日である水曜に退院したかった。それは、ヨメさんといっしょに映画を見て、晩ごはんを食べたかったから。一応胆のう摘出手術がうまくいけばこの件は終わりなので、祝ってもらえたらなあと思って。
私の思惑通りになり、晴れて水曜に退院。
この日の午後に見られる映画で、いいのはないかなあ・・・。
あった! ビビ二条の「焼肉ドラゴン」。
見終わったあと、ヨメさんが言った。
「右翼の人らにこの映画見てほしいわ。『韓国朝鮮人は帰れ!』ゆうて、帰るとこあらへんやん。日本のせいで。そんなこと分かってゆうてんのかなあと思うわ。」
よかった。
ヨメさんを誘うときは、いつでも「気に入ってもらえるかなあ」と心配。でも、今回は高評価だった。「ほっ!」
◇ ◇ ◇
私は映画全体より、心に残るシーンがあったかどうかで評価するようなところがある。
美花と結婚したいと言ってきた長谷川さんに、オッパーが「昔の話をしてもええか」と聞くところから始まるシーンは最高。
その中で、「はたらいたー、はたらいた」という言葉が何度も繰り返される。「働いて、働いて」じゃなく。あの時のオッパーの顔は忘れられない。
オモニがだれかを慰めていた時に、「ボンカレーでも食べ」と言う。「あっ、もう食べてしもた。買ってこー。」あのシーンもよかったなあ。
鄭義信監督は姫路出身で、私の2歳下。ほぼ同世代。
私の洛北高校時代の同級生には、林(りん)君や孫さんがいてクラスの人気者だった。(孫さんとは、去年40数年ぶりに出会った。「ある精肉店のはなし」(2017.6.30))
末っ子の時生(万博のちょっと前に中学生)が鄭義信監督の分身かと思ったが、当時の姫路あたりはあんなにひどかったのだろうか。
私自身は、私が若かった頃より今のほうが韓国朝鮮人差別がひどくなっているように感じる。
この映画を一本見て、えらそうにどうこう言うのもおかしいだろうが、差別を考えるヒントには十分なると思う。
配役が全部うまくはまっていて、見ていておもしろかった。両親よし、長女次女もよし、李哲男もよし。そんなベテラン陣の中にあって、三女・桜庭ななみさんもよくがんばっていたように感じた。
見る価値あると思いますけど・・・。
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