2016年12月23日(金)
万博クロスカントリー2016〜レース初伴走と嫁姑対決〜 [ランニング・出張販売]
伴走のご指名をいただいた松村竜太さんと初レース。
2回伴走の練習をさせてもらったが、やっぱり私はまだまだ。今日もいっぱいヘマをした。何回か他のランナーとぶつかり、何回かつまずかせてしまった。それでもゴール後には「ありがとうございました」と言ってもらえて、こんなうれしいことはない。
今日も一つ教えてもらった。
「段差のあるところはできるだけ斜めにならないように直角に入る。」
たぶん、斜めに入ると足を滑りやすくしてしまうからだろう。
1回ごとに賢くなって、うまい伴走者になろうと思っています。竜太さん、これからも1つ1つ教えて行ってくださいね。よろしくお願いします。
今日はなぜか、廉のお嫁さん・彩ちゃんがレースに参加。たぶん初レース。どうしたんでしょうね。ますみさんと同じく3kmに。嫁姑対決がこんな形で実現。さて、その結果は・・・。
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5時50分ごろ自宅発で、1時間後に会場着。
中学校の陸上部が団体でたくさん来られていた。
この大会はミズノがメインスポンサーなので、「京都キャロット」」の出店もミズノ商品のみ。これはきつい。うちはアシックスの商品の在庫が一番多いですから。
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9時25分から、毎年恒例、箕面自由学園中学校のチアリーディング。
これが見たくて、廉・彩夫婦は9時20分ごろに会場に来ていた。
すごくよかったが、ちょっと短かったような・・・。
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気温はそれほど低くはないのだが、とにかく強い風。
何かお腹に入れておかないと、この強風には勝てない。
あたたかいおうどん、おいしゅうございました。
12時10分、廉の5kmがスタート。
廉が超超久しぶりにレースに。
朝現れたときは顔色が悪くてビックリだったが、やっぱり走ってこその廉やねえ。
行きしは元気いっぱいだったが、帰りはヘロヘロ。
しょうがないやんねー。
けっきょく、ゴールタイムは21分台。ちょっと前はあんなに速かったのに、走ってなかったらこんなもんなんやね。今の私の5kmより悪いくらい。
でも、元気に走っているところを見せてもらって私は満足。
12時50分、いよいよ10km。
ちょっと早めに行ったので、竜太さんがなかなか見つけられなかった。
スタート5分ほど前、やっと列の最後尾におられた竜太さん発見。もう一人の伴走者、大阪ミントJCの松浦さんもいっしょに。松浦さんは私たちの前を露払いのように走ってくださるようだ。これは心強い。
ゆっくり最後尾からスタートしたのだが、すぐ前が詰まってぶつかりそうになった。やはりこのあたりは練習とはちがう。レースでしか経験できないこと。
競技場を出ると、コースが広くなり走りやすくなった。竜太さんも、練習の時より少しペースを上げておられた。
スタートラインから1km地点までは6分22秒。このまま行けば、ゴールは1時間5分くらいか。ただしこの先、芝生あり、石畳あり、丘越えあり、ぬかるみありやからねえ。どうなることやら。
松浦さんがちょっと前を走ってくださり、何度も何度も振り返って私たちを見守ってくださった。この振り返るのって、すごくしんどいんですよね。ほんとうにありがとうございました。溝が切ってある所や丘越えのところでは適格な指示を出してくださり、1周目うまく走れなかったところも2周目には克服できた。
ところがその仏の松浦さんが、残り2kmあたりから鬼コーチに変貌。
「さあ、スピードアップしましょか。」
そんなもんムリやろうと思ったが、なんと竜太さんがその言葉に反応。息遣いが激しくなりながらも、残り2kmを疾走。
1kmごとのラップは以下の通り。
0 0分55
1 6分22
2 6分32
3 6分19
4 6分20
5 6分36
6 6分24
7 6分31
8 6分38
9 5分48
10 5分46
最後の2km、各50秒ほどペース上げてますやん。
ゴール、1時間04分12秒(私の時計で)。
スピードアップしてそのままゴールやから気持ちいい。
ゴールの係として立っていたかわいい子にお願いして記念写真。
竜太さんや先輩伴走者の松浦さんの眼には、私の伴走ぶりはどう映ったでしょう。自己採点では70点くらいは行けたかなあと思ってるんですが・・・。
竜太さんの奥様・千尋さんは2分前にゴール。
たった2分やったら、もうちょいがんばったら追い付けたなあ。
ここでお別れし、うちの嫁姑対決の応援に。
3kmスタートの14時03分まで、あと5、6分しかない。
スタート地点を探してもいなかったので、「京都キャロット」のテントへ。そこでばったり。
「まだ並んでへんかったんかいなー。」
ぎりぎりやちゅうねん。
店番を廉と交代。
廉に応援に行ってもらった。
行きしは二人仲良く・・・。
帰りは彩ちゃんが大きくリード。
全然走ってへんぶっつけ本番だそうだが、やっぱり若い子は元気。
若嫁 20分18秒
古嫁 21分58秒
予想以上の大差。
古嫁は来年のリベンジを企てていたが、若嫁はそんなことより仮装ランナーがえらく気に入ったようだ。「来年は家族みんなで仮装して出たい」とか言っていた。
あかんあかん、そんなんけしかけたら「えぐい仮装」させられるかもよ。古嫁をあなどったらあかんでー。
廉彩夫婦が後片付けも手伝ってくれたので、早くしまえることができた。商品がミズノ限定だったので、売り上げは激減だがそれはしょうがない。
みんなで近くの「スシロー」へ。
4人お腹いっぱい食べて6000円ちょっとやったから安上り。
廉彩夫婦はエキスポシティへ。明日もあさっても休みやから、ゆっくり遊んできたらいいわ。
私はカニの盛り合わせを注文させてもらった。
私らはきくが待つ家へ。
6時20分自宅着。
「万博クロカン」は会場が近くていいんやけど、扱える商品が限定されるのが痛いなあ。
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2016年12月22日(木)
きくと生きる [わんこ・にゃんこ]
ヨメさんがきくのことをすごく心配している。
ちょっと太りすぎて、寝ているときに「ぶーぶー」いびきをかく。
えさの量は少なくしているし、おやつもめったにやっていない。それでも太るということは、えさを変えるしかないか。
よさげなえさは値段が高い。
「そんなもんもきくに食べさせられんようになったら終わりや。なんのために働いてるんか分からん」とヨメさんは言う。
ほんまそのとおり。
夕方からきつい雨。
夜の散歩はムリと思っていたが、10時ごろ小やみになったのでGO。
雨だけでなく風も強く、落ち葉がいっぱい。
甲状腺低分化癌の5年生存率は50パーセント台。てっきり、きくより先に死ぬと思い込んでいました。現時点で転移がないということで、あと5年はだいじょうぶかな。
きくは今11歳9か月。私は61歳になったとこ。
パオパオと余命勝負やね。負けへんでー。
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2016年12月21日(水)
ゆりやん [私の好きな人]
◎毎日新聞12月19日朝刊・学校と私
受け入れてくれた友達=お笑い芸人・ゆりやんレトリィバァさん
1学年12人。先生が一人一人の良いところを伸ばしてくれるような田舎の小学校に通いました。中学に進むと、生徒は増えました。「イケてる子」「おとなしい子」のグループがあり、私はイケてるほうに入りたくて背伸びをしていました。元々太い眉毛を親に内緒で細くそったりして。
それが突然、中学3年で自分がいじめられることになったのです。女子には悪口を言われ、仲間外れにされ、男子には机の中の物を窓から投げられたりもしました。当時の私には中学しか世界がなく、いじめられたら終わり。本当に毎日が嫌でした。
でも、いじめる子たちに人生を変えられたくはなかった。芸人になるのが夢だったので「絶対に芸人になって『あの時、友達やったよな?』と近づいてきても無視してやろう」と思っていました。家では毎晩、父の食事の時にその日の出来事を話す習慣があり、相談に乗ってもらったことも助けになりました。
実は、自分がいじめられるまで私もいじめっ子の側で、一緒におとなしい子たちの悪口を言ったりしていたのです。居場所がなくなり、私はその子たちに仲間に入れてほしいと頼みました。すると本当にいい子たちで「いいよ」と受け入れてくれたのです。
それまでは悪口で笑っていたけれど変わった。「銀座」が仲間内の流行語になると、田舎で誰も銀座に行ったことすらないのに「その可愛い筆箱どこで買ったん?」「銀座」「うそやん」と何かにつけて口にしては笑いました。そんな面白さを知り、高校では背伸びせず自分が一緒にいたい人といようと決めました。
高校で仲の良かった友達は、一緒にいると自然と面白いことを言え、突っ込みを入れてくれたり。かつては苦手なタイプの子をライバル視したのですが、無理に対抗せず冷静に接するようにもなりました。私をいじめたようなタイプの子を一歩引いて見る感覚も養われた気がします。
そうやって出会った友達をまねすることで、ネタをやれています。いじめられた経験から、いい友達に巡り合う方法を知ることもできた。だから、もっと違う中学時代だったらなとは全然思いません。【聞き手・念佛明奈、写真・梅田麻衣子】
■人物略歴
1990年、奈良県吉野町生まれ。2013年に吉本総合芸能学院(NSC)大阪校を首席で卒業。ピン芸人日本一決定戦の「R−1ぐらんぷり」では、2年連続で決勝に進出した。
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今日は寮2(二条)17時間。
沖縄に行っている間にたまっていた新聞を寮に持っていき全部読んだ。
今日はやわらかい話題を。
私のお笑い芸人一押し、「ゆりやんレトリィバァ」。
複雑なもの(コンプレックスの本来の意味)を秘めた、ちょっとぽっちゃり女性。
これはやられてしまいます。とても他人とは思えない。
どこかで見たような・・・。うちのヨメさんの短大時代の写真がこんな感じだったような・・・。(バシッ、ボコッ、ドスッ! びしゃたたき!)
NSC主席と言われてもねえ。「それがどしてん!」レベルです。
そんで、なんでレトリィバァなん?
なんかやっぱり、うちのヨメさんと似たようなにおいがしますにゃわ。
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2016年12月20日(火)
最もダメージの少ない [沖縄]
「沖縄100キロウルトラ」は、こむら返りが止まらず86kmで断念。その直後は大変な状態だったが、民宿に戻ったら落ち着いた。お風呂にも普通に入れたし、晩ごはんもまあまあ食べられた。
昨日も階段を下りるのが少し大変だったくらいで、特別しんどくもなかった。足の水ぶくれももうどうってことはない。よくよく考えると、今までで一番ダメージの少ないウルトラだったと言っていいかもしれない。
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2016年12月19日(月)
真樹と一日、充実 [沖縄]
昨日「丸一日応援する」と言って、寝坊してしまった真樹。今日はその罪滅ぼしか、本当に丸一日付き合ってくれた。
サンエー・西原店では、私の誕生日プレゼントも買ってくれた。すごく着心地のいい青いトレーナー。ありがとね。
すがすがしい朝。
民宿「芭蕉布」さんは1日1組で、ご自宅の2階の3部屋を自由に使える。
真ん中の居間を挟んで、真樹はベッドの部屋、私は床にふとんの部屋で寝た。これなら、私のいびきが真樹のジャマをすることもない。
2階からの景色は抜群。
すぐ前が本島とつなぐ橋。
民宿の横には大きな岩。これを目印にして来てくださいと言われた。
おむかいのおうちのネコちゃんかな。
かなり離れていたのに、私の視線に気づいて固まってしまった。
こちらのネコちゃんは、朝日の中でうとうと、うとうと。
帰るときには、昨日もいたネコちゃんがごあいさつに。
自分とこみたいな顔してますが、実はおとなりのネコちゃんだそうだ。ちびというらしい。
人なつっこいネコちゃんだったので、捕まえて抱っこしたら「ふにゃー」。よく見たら、お尻をやられて皮がむけていた。ネコの世界は厳しい。
朝ごはんはパンとコーヒーといろいろ。初めて食べたうりずんがおいしかった。
ヒトデみたいな形の変わったフルーツも出してくださった。
真樹には、オーナーの奥様手作りのサンゴの置物までくださった。細かい作業が多く、かなり苦労して作られたらしい。
民宿を出て「さあどこに行きましょうかねえ」となったのだが、真樹が「パオパオの誕プレを買ったげる」と。ということで、サンエー・西原店へ。
鏡を見てびっくり。
ちょっとハゲ頭・・・、顔真っ黒・・・、ジャージにジャンパー・・・、沖縄のオジイやん! (おジイに失礼か。)
朝、鏡を見たときはもっとびっくりだった。ヒゲぼーぼーで髪の毛ぐしゃぐしゃで沖縄のオジイ・・・、いやいやいや。
いろいろ探して、ちょっと薄手の青いきれいなトレーナーが見つかったのでそれを買ってもらった。
ありがとうね、真樹ちゃん。
「昼ごはんは何たべよう。」
「映画行くんやし、とりあえず牧志まで行こう。」
いいお店を調べてあったのだが、月曜定休。
やっちまったなあ。かあちゃんがいたら、びしゃたたきにされるとこやった。
仕方ないので、桜坂劇場の前の駐車場に車を入れ平和通り商店街へ。
いきなり、かわいいネコちゃんのお迎えですにゃわ。
いやいや、あっちにもこっちにもいっぱいいるやん。
(注)もうちょっと、続きます。
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2016年12月18日(日)
第1回沖縄100Kウルトラ [ランニング]
がんばりました。
想定していたより早くこむら返りが起こりだし、53km、62km、76kmのこむら返りは、だましだましで何とかなった。しかし、86kmの第7関門手前500mで起こったこむら返りは複数個所。いっこうに治まる気配はなかった。もうとても「だましだまし」の段階ではなかった。
せっかくがんばって第7関門を制限時間内に通過したのに、ここでこの先のレースを断念。無念のリタイアです。
もうウルトラに出ることはないだろうと思っていた状態から、ここまで来れたら上出来です。真樹も応援に来てくれたことだし・・・。(それにしても、「一日中応援する。」と言っていた真樹は寝坊して最終盤にちょこっと来てくれただけ。いやいや、それだけでも感謝しなくてはね。)
奥武島の民宿「芭蕉布」さんのオーナーご夫妻が、わざわざ応援に出てきてくださった。手製の応援ボードを用意してくださり、写真も撮ってくださった。
こんなこと、めったにないことです。本当にありがとございました。
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朝3時半起き。
奥武島の民宿を3時50分に発、会場近辺には4時20分ごろ着。しかし前日に会場を確認していなかったので迷ってしまった。レストステーションの荷物預かりが4時半までとなっていたのであせった。たまたま自転車で通りかかられたオジィに「与那古浜公園」の場所を聞くことができた。この与那原町のオジィのおかげで、ちょうど4時半に荷物を預けることができた。
あとは「平和・憲法九条」ののぼりを背中にセッティングして、スタートラインに並ぶだけ。もちろん、他のランナーの迷惑にならないように最後尾からのスタート。
最後尾でボーとしていると、声をかけて来られる方あり。
「土山マラソンの時にごあいさつさせてもらった浮田です。fukikoの姉の夫です。」
まさかこんなところで知り合いに出会えるとは・・・。
浮田さんは私の1歳下。最近長い距離はほとんど走っていないというところも私に似ていて親近感がわいた。
スタートは5時。
真っ暗な中、最後尾からスタートなので心細かった。とりあえず、本当の最後尾にならないようにだけ気を付けて走った。
みなさんペンライトや携帯コップを持っておられたのだが、私はギリギリに行ったためどこでもらえばいいのかが分からなかった。
最初の給水所は3.1km。
真っ暗な中で、私たちのために待機し、世話をしてくださっている係の方には感謝感謝です。
10kmは1時間15分。
私の予定より9分も遅れ。しかし、あわてないあわてない。
街灯がない真っ暗なところも走った。
15kmすぎの知念岬。
やっと明るくなってきた。
声をかけてきてくださったのは、「ランナーズ9の会」のかこちゃん。
私もスタッフさんに写真を撮ってもらった。
早くものぼりの下のほうはぐるぐる巻き状態。
日の出がきれい。
みなさん足をとめて写真を撮ってられた。
20kmは2時間31分(1時間16分)。
やっぱり、予定より9分遅れ。
途中で追いつかれた二人の女性が、「のぼり、なおしたげましょ」と言ってぐるぐる巻きを戻してくださった。兵庫からご参加のお二人さん、どうもありがとうございました。
海岸沿いは横風がきつく走りづらかったが、景色は抜群。
26kmすぎ、奥武島到着。
本当はここで真樹に応援してもらうはずだったが、民宿のオーナーさんご夫妻がしっかり応援。
だいぶ早い時間から待機していてくださったようだ。
一応「8時すぎになりますよ」とは言っておいたのですが・・・。
第1関門(26.9km)を8時15分に通過。
ここも私の予定より9分遅れ。
ネコちゃんがいっぱいで有名な島だが、今日はふだんとちがう空気を感じたのか1ぴきしか見つけられなかった。
相変わらず、海からの風がびゅんびゅん。
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以下5枚は、民宿「芭蕉布」の奥様が撮ってくださったもの。
たくさんの写真、ありがとうございました。
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30km、3時間41分(1時間20分)。
ここで予定より13分遅れ。でも、まだまだ余裕あり。
その先の自販機前で、「パオパオさん」との声。
「えっ、岡原さん。どうしやはったんですか。岡原さんが私より後ろって考えられませんやん。」
岡原さんは「京都キャロット」のお客様で、ウルトラの常連さん。その方とこんなところでお会いするとは・・・。
背中に「辺野古基地反対!」と書いて走っている女性ランナーに追いついたので「がんばりましょう」と声をかけた。すると、しばらくしてまた追い付いてこられた。
「『ランナーズ9の会』のかたですよね。」
「はい、そうです。私もそうです。香川から来ました。」
「あっ、たしかお医者さんの・・・。」
「はい、主人もこの先を走っています。」
「そうなんですか、ご夫婦で参加ですか。」
36km手前で糸満市突入。
折り返しの市役所まで、まだ14kmもあるんですね。
38km地点あたりでトップ選手と遭遇。
「うっ、トップと24km差か・・・。」
この先の40km、4時間50分(1時間19分)。
ここで予定通りの通過タイムに。
第2関門(42.3km)、10時09分。
ここも予定通りの通過タイム。
抜きつ抜かれつの白鳥さんの写真を撮らせてもらった。
このスタイルで「愛の東尋坊」を完走されたそうだ。
「お互い、長物で苦労しますね」と白鳥さんからコメント。
かわいいワンちゃん、見っけ。
こんなワンちゃんも。
見ていただいて分かるように、この時期としては異常な暑さ。ワンちゃんもランナーものびてしまう。
まっすぐな歩道を突き進むと、立派な建物の糸満市役所が。
ところが建物のぐるりをずっと回らせられ、これがめちゃくちゃしんどかった。
50km、6時間12分(1時間22分)。
予定より7分遅れ。まあまあですか。
予定通り、ウェアを全着替え。
ソックスを脱ぐと、両足に3か所ずつ大きな大きな水ぶくれ。そら今まで1回もはいてないシューズで走ってるんですから仕方ない。痛かったけど、無視して走れる痛さ。だいじょうぶだいじょうぶ、どうってことはない。
かわいい女子高校生スタッフに写真を撮ってもらい、再スタート。
ここで普通の時計からガーミンのGPS時計に交換。私のは10時間しか持たんから、後半に投入ということにした。
中間点での着替え休けいは、15分の予定で実際は13分。
再スタートしたのは11時25分。
ただし、糸満市役所はまだ50km地点ではなかった。スタートしてしばらく先が50km、たぶん6時間30分くらい。予定より10分ほどの遅れ。
遅くともここらあたりから真樹の応援があると期待していた。しかし見当たらず。電話しても出ず。あとで分かったのだが、この時間まだ寝ていたみたい。
休けいあとの後半はどうかなあと心配だったが、まあまあ普通に走り出せた。
かわいいネコちゃんもいたし。
めんめのめっちゃかわいいワンちゃんもいたし。
私は、人間の応援より犬猫の応援(?)のほうがうれしい。
抜きつ抜かれつだった、名護の大工さん。
私の後ろゼッケンのメッセージを見て声をかけてくださった。
「娘さんが名護から応援に来てくれるんですか。」
「その予定なんですけど、いくら電話しても出ないんですよ。どうなってるんだか。」
「きっと、サプライズでどこかに待ってくれてるんですよ。」
「それやったらいいんですけど・・・。」
大工の備瀬さん(34)とは、ほぼ同じペースだったのでこちらから話しかけてみようかなあと思っていた。私のウエストパックのお尻に付けたメッセージの「名護」というところをきちんと見てくださって、声をかけてきてくださったのだった。
この「後ろゼッケンメッセージ」はすごくいい案だと思う。私もたくさんの方のメッセージを読ませていただき、そのうちの何人かには声もかけさせてもらった。
53kmあたりで、本日初の「ピリピリ」。
左太ももの内側の下の方。
以前はこむら返りと言えばふくらはぎだったのに、最近はここらが多い。なんででしょう。
すぐに歩きに変更。その「ピリピリ」が治まりそうになるまで、徹底して歩き。すると、しばらくしてまた走れるようになった。
このあたりだったでしょうか、「藤井さん!」と車から呼ぶ声。一瞬のうちに近寄り、ポカリを私に渡し、すぐに去って行った。
おー、あのお方は・・・。去年の与那国島一周マラソンで親しくさせていただいた具志堅和人さんでした。
このあたり給水所の紙コップ不足で、私は携帯コップももらっておらずスルーしていただけにありがたかった。
60km、7時間52分(1時間27分)。
予定より16分遅い。
しかしさっきのようにこむら返りを抑えられれば、なんとか完走できるかもと思えてきた。
しかし、62kmあたりでまたもやこむら返り。
すぐに歩きに切り替えたが、さすがに2回目はすぐに走れるようにはならない。
ありがたいありがたい私設エイド。
ただし、宣伝不足のせいか地元の方の私設エイドは少なかったように思う。
寝ていたワンちゃんの写真を撮ろうとしたら、驚いて起きてしまった。
ごめんね、安眠妨害して。
70km、9時間38分(1時間47分)。
こむら返りでだいぶ歩いたのと、かなりきつい上り坂があったのとでこの10kmはずいぶん時間がかかってしまった。予定していたよりも36分遅れ。もうこれ以上は遅れてはダメ。
「少しでも早く行きたい、こむら返りがこわい」のジレンマ。
体力気力は全然だいじょうぶなのでもどかしい。
帰りの奥武島口から奥武島の写真を撮る。
ここでも真樹に電話したが出てくれず。
「こら、最悪、リタイヤしてから真樹が来るというパターンか」と心配になってきた。それともなんかアクシデントがあって、もう応援には来てくれへんの?
気分転換に、トンネル内で自撮り。
「そうか、真正面から見たら何を背負ってるのかさっぱり分からんにゃなあ。」
このあと76kmあたりで、3回目のこむら返り。
なんか治すコツがつかめてきて、割と早く戻った。
第4、5関門は気にせず通過し、この第6関門(77km)についてビックリ。
あと3分ですやん!
もうこの先は、こむら返りがどうのこうのと言っている場合ではない。1km8分24秒以内で押して行くしかない。もちろん、休けいなしで。
そう決めたら行けるもんですね。
80km、11時間02分(1時間34分)。
予定より24分の遅れ。
一番きつい10kmのはずだったが、その前の10kmより13分も速く走れた。ちょっと盛り返した。
80から90はほとんど下りやし、そのあとはずっと平坦やし、第7関門(86km)は確実にクリア、第8関門(91.9km)も行けるかも・・・。
さあそろそろあのニライカナイ橋かという時、軽自動車から手を振る真樹。オス猫サブロー君の飼い主さんが、こんな遠くまで送ってきてくれたそうだ。ありがとうございます。
「次の86kmの関門は越えられそうやし、とりあえずそこまでがんばるわ。」
「きたー、ニライカナイ橋。きたー、今日最高の強風!」
景色は抜群だったが、のぼりごと車道に吹き飛ばされそうな勢い。
しかし下りだったので、いい感じで走ることができた。
ニライカナイ橋を下り切ったところから、今度は少し上りに。
86kmの関門まであと500mというところで、本日4回目のこむら返り。
私を追い抜いて行ったランナーが、「関門まであと7分しかありませんよ」と教えてくださった。「あと500mなんで、歩いてでも間に合うでしょう。」
ちょっと走ろうとすると「ピリピリ」。歩いたあとにまたちょっと走ろうとすると「ピリピリ」。太ももの内側だけでなく、外側もふくらはぎも・・・。
しかし、なんとか関門2分前に到着。
私は気づかなかったのだが、そこに真樹が待っていてくれた。
エイドでお水をもらい、コップを持ち上げようとしたときに両足に激しい痛み。コップを落として、その場に倒れそうになった。両足こむら返りで、へたしたら腕も・・・。
すると、そこにおられた女性スタッフさんがすばやくイスを持ってきてくださった。そして、私のつま先を曲げて足の裏側を伸ばしてくださった。これで大ごとにならずにすんだ。
その方は、沖縄市から来られたボランティアスタッフさんだとお聞きした。ほんとうにありがとうございました。お名前を聞いておけばよかったのだが、聞きそびれた。「今年2月のおきなわマラソンで、41km地点のゲートが閉められ完走できなかった」と語ってられたかわいい女性ランナーさんです。「次も走ります」とおっしゃっていたので、来年のおきなわマラソンで見つけられるかなあ。
「どうされますか。先に進まれますか、それともバスを待たれますか。」
収容バスが来るのは30分後と聞いたので、待っていると体も冷えるし、行けるところまで行ってみようかと思った。せっかく関門突破したのだから。
しかし、治まっていたこむら返りはちょっと動けばぶり返す。ここで断念するしかない。
私がのたうち回っていた一部始終を、真樹は最初から見ていたらしい。でもその前に、がんばって走っているところも見せられたし、これで良しとしましょう。
けっきょく、バスでゴール地点に帰ることにした。
帰り道にはゴールを目指すランナーの姿が・・・。ああここに入りたかったなあ。
そう思いながら観察していると、あと5kmくらいの交差点信号待ちに大工の備瀬さん。
「ぴせさーん、あとすこしー、がんばってー。」
「あー、ふじいさん!」
「86キロでやめましたー。」
「それは残念。じゃー、またー。」
「なごうら100」にも出られると言っておられた。出張販売の日じゃなかったら走りたかったのになあ。3月の第1日曜は「篠山」やしなあ、残念。
バスの中からヨメさんにメール。
「86キロの関門は越えたんですが、こむら返りが止まらず、そこで断念しました。これから、真樹と奥武島の民宿へ行きます。」
30分ほどでゴール地点に。
「完走証はこちらでお渡ししています」という呼び声に吸い込まれそうになった。
「ない、ない、ない」と言って大騒動になるところやった。疲れでだいぶボケてます。
預かってもらっていた荷物を受け取ったまではよかったが、そのあと全身こむら返り。風がビュンビュンで寒かったので、とりあえず何か着たかったのだが1ミリも動けない。真樹を長いこと待たせてしまった。
それでも自分で運転して、25km先の奥武島の民宿「芭蕉布」さんへ。
シューズを脱いだら予想通り、水ぶくれがいっぱいつぶれてますやん。そら、つま先がジンジンと痛んだはずやー。
胃腸薬を3回投入したせいか、いつもの吐き気はなかった。
沖縄では珍しく「なべ」にしてくださったので食べやすかった。
真樹もおいそうに食べていてよかった。
食べながら、食べたあともオーナーご夫妻と長話。奥様が「まきちゃん、スタンプの取り入れ方教えて」と言われ、真樹がていねいに教えてあげていた。真樹も、お役に立てて良かったと言っていた。
夜は真樹が買って来てくれたお菓子をバクバク「ゆんたく」する予定だったが、さすがにそこまで元気は残っていなかった。
3時半起床で11時就寝。いろんなことがあったけど、楽しい一日でした。
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