パオパオだより

2014年03月28日(金)

1m違えば話が違う [平和]

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 4月からほとんどすべてのものが3%値上げ。新聞代も3925円から4037円になる。うちは、「毎日」「京都」と2紙取っているので7850円から8074円になる。
 1紙に減らせと言われているが、これはなんとしても阻止したい。新聞は、私にとって「文化」との唯一の接点といってもいい。これが半分に減らされると、もう本当に棺おけに片足突っ込んだ人間扱いのような気がする。
 ニュースはパソコンでも見られるというが、YAHOOニュースのアクセスランキングの1位は、毎日毎日韓国の悪口ばかり。もうこれだけでも見る気がしなくなる。ゆっくりパラパラと新聞紙をめくりながら見るほうが私には合っている。

 私がほかの人より安上がりなもの・・・。
 私は2ヶ月に1回の散髪。それも1000円か1500円。1ヶ月当たりにすると500〜750円。この節約した分で新聞1ヶ月分にはならんでしょうか。

 それはさておき・・・。
 とっている新聞が無駄にならないように、新聞を整理するときもう一度読み直している。そして、心に残った記事は切り取ってスクラップしている。

 次に紹介する記事はもう2ヶ月も前の古い記事。(もう終わった)講演会の案内が主な内容なので、今読んでも価値はない。ただし、その講演会で話される海江田登美子さんの言葉がよかった。

 「1m違えば話が違う」

 当たり前のようで忘れがちなこと。この言葉は、すぐ回りの人も自分といっしょと思いこんでしまう人に聞いてもらいたい。
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◎京都新聞1月29日朝刊

   沖縄戦の悲劇知って
          70年前の戦禍生き延びた 那覇出身・海江田さん

 1944年(昭和19)年に始まった沖縄戦から70年を迎え、戦禍を生き延びた那覇市出身の女性が2月2日、京都市内で自らの体験を語る。家族と一緒に山中へ逃げ、米軍の捕虜になるまで草やカタツムリを食べて命をつないだといい、「今なお鮮明な記憶をたどり、次世代に平和の尊さを伝えたい」と願う。

 沖縄戦70年の節目に生の戦争体験を聞く機会をつくろうと、「京都平和遺族会」(事務局・南丹市園部町)が講演会を企画した。女性は大阪市福島区の海江田登美子さん(76)で、6〜7歳にかけて沖縄戦を体験し、奇跡的に助かった。

 44年10月10日、米軍機の空襲によって沖縄戦が始まり、当時6歳だった登美子さんは那覇市内の自宅を離れ、安全とされた「やんばる」(沖縄本島北部)を目指し、祖母と兄と一緒に、40日間140キロに渡って逃避行した。

 その後、焼け野原になった那覇市に戻ったが、45年4月、米軍が沖縄本島に上陸し、激戦を極めたため、再び北部へ避難した。「家族4人で山中に行きを潜めた。物心ついた時から、鬼畜米英と教え込まれていたので、米軍が来たと聞き、怖くて仕方なかった」

 一方で、味方であるはずの日本兵も恐怖の対象だった。「投降する」と口にすれば、スパイ容疑で即座に銃殺されたからだ。6月25日に組織的な戦闘が終結した後も、なおも山中を逃げ続けた県民が多かったという。

 登美子さんの一家は8月8日に米軍の捕虜となった。「収容所で米兵からガムをもらって食べた時、本当に甘いと思い、そのまま飲み込んだ。逃げていた4ヶ月間、ひとことも発しなかった。沖縄戦の体験は1メートル違えば、話が違う。いろんな話を聞き、まずは今の人がしっかり受け止めてほしい」と話す。

 体験談を交えた講演は午後2時中京区土手町通夷川上ルの職員会館かもがわで行う。入場無料。京都平和遺族会の事務局は0771(62)1263。
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 「沖縄戦の体験は1メートル違えば、話が違う。いろんな話を聞き、まずは今の人がしっかり受け止めてほしい」
 この言葉を読んだとき、一番に頭に浮かんだのが「従軍慰安婦問題」。「沖縄戦」を「従軍慰安婦」に変えて読んでもらいたい。いろんな話を聞く気のない橋下大阪市長と籾井NHK会長に。

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【RUN】

 この時期にしては非常に暖かく、今年初めてのTシャツでラン。
 5km、27分51秒。
 腰がもう一歩というところでよくならない。
 早く、ビューンと走りたいなあ。

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2014年03月14日(金)

「9の会」の仲間を石川県知事に! [平和]

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第29回マラソンに挑戦する会 (2010年)

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第29回マラソンに挑戦する会 (2010年)

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第30回マラソンに挑戦する会 (2011年)

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第31回マラソンに挑戦する会 (2012年】

 3月16日投票の石川県知事選挙に、「ランナーズ9の会」の仲間である木村吉伸さんが立候補されている。
 私が初めて木村さんとお会いしたのは4年前。5月3日、金沢市犀川河川敷で開催されていた「マラソンに挑戦する会」で。私はその年の4月の京都府知事選挙で、「ランナーズ9の会」の仲間である門祐輔候補の応援演説をしたばかりだった。「マラソンに挑戦する会」で木村さんを見つけ、木村さんがその年の3月の石川知事選挙に立候補されていたことを知った。
 そのときに、「もし4年後の知事選にまた立候補されたら、必ず『平和・憲法九条』ののぼりを持って応援に行きます」と約束させてもらった。こんなひどい腰痛になっていなければ、本当に行く気になっていた。

 今日、選挙事務所に電話させてもらった。
 「京都の藤井と申します。木村さんとはマラソンを通じてお知り合いになりました。知事選に出られたら必ず応援に行きますと約束していたのですが、体調が悪くて行けません。その代わりに、私のブログで応援したいと思っています。ブログでの応援で、何か制限とかあったら教えてください。」

 電話に出られた方は、「個人的なメールなどには規制がありますが、ブログにはまったく制限はありません」とのこと。他の候補への誹謗・中傷以外なら何を書いてもいいようだ。また以前は投票依頼のようなことは×だったが、今は問題ないらしい。
 そらそうですよね。見たくないブログなんか見んかったらすむことですもんね。

 さてと、木村吉伸さんの応援ですが・・・。
 実は、私は木村さんとは3回お会いしただけです。2010、2011、2012年の「マラソンに挑戦する会」の会場で。でも、フルマラソンを楽々完走できる体力の持ち主で、憲法九条をまもってくださる方であることだけは知っています。もう私はそれで知事候補としては十分なんですが・・・。
 もっと知りたい方は、「木村吉伸サポーターず」へ。

 石川県民のみなさん、木村吉伸さんをよろしくお願いいたします。

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【RUN】

 今日も「あいおわ治療院」で、浮腰式腰痛治療器で治療してもらった。これは効く感じがする。
 もう今日から鎮痛剤を飲むのをやめた。きりをつけないとね。

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 夕方、真樹と「京都キャロット」まで。
 早歩きという感じだったが、腰にはひびかなかった。

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 きくを店から連れて帰ってきて、腰の具合がましな気がしたので6日ぶりにそろりと走りに行くことにした。 
 1km走ったところで5分35秒。まあまあ走れている。腰のちょっと上のあたりに、後ろから大型ホッチキスで止められているような痛さ。分かります?
 さすがにだんだんと体が重くはなってきたが、何とか5km。27分06秒。ちょっとがんばりすぎたかも・・・。
 1kmダウンジョグと最初の店往復1.3kmも合わせて、今日は7.3km。

 明日も無理せずそろりと走ろう。

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2013年11月12日(火)

いらんちゃ 米軍基地! [平和]

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 11月10日付の京都民報に、「標的の村」上映会のお知らせがあった。この映画は9月に京都シネマで上映されていたのだが見逃していたもの。
 左京区役所で午後2時と6時半からの2回。新日本婦人の会が主催らしいので、私の姉に会えるかもしれない。そう思い、2時からの部に参加させてもらうことにした。

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 家から左京区役所までの距離を調べてみると約4.5km。これなら走って行ける。
 おととい和歌山の「しまむら」で買ったジャージ上下(1900円)とジャケット(1900円)を着て。スポーツ用品店関係者がよその店で買っているようでは・・・。でも、安い! ヨメさんは、「きっしょく悪いカメムシ色」と言うけれど。

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 円通寺の裏を通り、深泥ヶ池に降りていく急坂へ。

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 地下鉄北山駅でちょうど3km。

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 京都府立大前を左折。

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 左京区役所到着。距離は調べたとおりの約4.5km。信号に何回かかかってしまったので、27分14秒。

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 2時10分前くらいに着いたのだが、用意されていた60席ほどはすでにうまっていた。立ち見も含めて80人くらい。
 姉が来ていないか探してみたが見当たらない。よく考えると主催は新日本婦人の会左京支部。姉は、左京区役所のすぐ近くだが北区だった。

 映画「標的の村」についてはまた別枠で書きます。
 本当にいい映画で、多くの人に見てもらいたいと思いました。

 映画のあと、新しい米軍基地建設が問題になっている京丹後市の橋本まり子市議のお話があった。この部分は、私にとって予期しなかった「もうけ」になった。

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 山田京都府知事が米軍レーダー基地受け入れを表明したニュースには仰天した。だれのための、何のための新米軍基地受け入れなのか理解できない。そう思っておられる方は多いと思う。

 京丹後市経ヶ岬に現在ある自衛隊基地を南側にずらし、その空いた土地に新米軍基地を建設する予定らしい。新しく取得予定の地権者に対しては、坪8千円相場の土地に対して19万円で買い取るという話をしているそうだ。「札束で釣る」っていうやつですね。
 過疎地で将来の不安だらけだとは思いますが、どうか札束で魂を売ってしまうようなことはしてほしくない。何とか踏ん張ってほしい。かつては「革新の牙城」と言われた京都の意地を見せてほしい。米軍基地が近くにあって得なことなんてなんにもありませんよ。

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 会場内で、「米軍基地建設反対丹後連絡会」のTシャツとジャンバーを販売されていた。背中に「いらんちゃ 米軍基地!」と書いてある黄色のもの。もうTシャツの季節でもないので、ジャンバーをいただいた。これだと沖縄に行ったときも着れる。京都の丹後と沖縄が連帯できたらいいのに・・・。

 「さっそくこれ着て走って帰ります」と橋本市議に言い、いっしょに写真に入ってもらった。
 私ができることは、このジャンバーを着て走ることくらい。 
 「その地図はどこですか?」とでも聞いてもらえたらシメシメ。その日のために、「米軍Xバンドレーダー基地」についてしっかり勉強しておかなくては。
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 深泥ヶ池にいる姉夫婦に「標的の村」を見てきた話をしに行った。
 するとそこに私の父が。すっかり忘れてました、今日は父のほっぺたのできもんを取る手術の日。

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 手術はうまくいったらしく、父の機嫌もよかった。

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 姉の家で父としゃべっているとき、兄夫婦が心配して見にきた。
 次女が車で長女の家まで送り、長女が病院に付き添い、長男と次男(私)が顔を出す。父は、自分の手術に4人の子がかかわってくれた事がうれしかったようだ。いろいろなことをいっぱいしゃべっていた。

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 来月で92歳になる父にも、戦争の悲惨さをもっと伝えてもらわなくては。

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※「やつし」の父は、ばんそうこうを貼った顔の写真はNG。代わりに、姉夫婦の家のネコちゃんに出てもらいました。

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2013年05月03日(金)

子どもに伝える憲法 [平和]

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◎京都新聞5月3日朝刊・凡語

  3年前に亡くなった作家の井上ひさしさんは、出っ歯が恥ずかしかったので、歯医者に普通の入れ歯を頼んだら「歯型を変えると、あなたはあなたでなくなる」と言われたそうだ▼「憲法も同じです」と子どもたちに話している。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義は「私の歯のように、憲法の個性」であって、「この三つをかんたんにかえてはいけないということをわかっていてください」(「子どもにつたえる日本国憲法」講談社)▼きょうは憲法の誕生日なのに、お祝いどころか、憲法を変えようという声が聞こえる。しかも政権の中からだ▼憲法改正の発議要件を緩め、衆参両院の賛成を「3分の2」から「2分の1」にする。まずは関門の鍵を解きやすくしておいて、次の狙いは自民党がめざす「国防軍の保持」だろう▼これまで憲法改正できなかったのは、諸外国に比べて要件が厳しかったから。そんな理屈だが、実際はそんなに違わないようだ。要件が厳しいのは憲法の重みゆえであり、一部を改正するにも時間をかけ熟議を重ねるためだ▼選挙制度改革をみても議論を深める国会になっていない。要件を緩めれば、「決められる政治」が暴走しかねない。憲法は政府の好き勝手を許さない−井上さんが子どもたちに伝えたことばが重みを増す。
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 新聞がやっと「憲法改正の発議要件を緩める」のはダメという記事を書き出した。私が取っている毎日新聞と京都新聞は同じような考えのようだ。
 また、各種のアンケートで「憲法96条の改正」に反対が賛成を上回っている。ちょっとホッとした。
 新聞の記事も最初は難しいものが多かったが、今回の京都新聞の「凡語」のように分かりやすく書いてあるものも増えてきた。

 私ももっと勉強して、ことの重大さを分かりやすく人に説明できるようになろうと思う。

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2013年02月22日(金)

抑止力? [平和]

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◎毎日新聞2月22日朝刊 「ヒバクシャ広島/長崎:’13冬/5」

   抑止論の限界 世界は見よ

 ◇6000人治療の医師、警告
 米軍により広島に原爆が投下された時、広島陸軍病院の軍医だった肥田舜太郎さん(96)は、原爆が人間をどのようにして殺していくかを、つぶさに見た。爆心地から約6キロ離れた民家で往診中に被爆し、直後から救援治療に奔走した。その体験が戦後、被爆医師として6000人以上の被爆者の治療に当たり、核廃絶に生涯をかける原点になった。

 北朝鮮が今月12日、3回目の核実験を強行した。さいたま市浦和区の自宅でニュースを見た肥田さんは「核兵器が地球上に存在する限り、こうした国がなくならない」との思いを改めて強くしていた。北朝鮮の度重なる核実験は、核抑止の限界を突きつけていると言い、こう指摘した。「核のカードを保有すれば外交上、優位に立てると考える国が今後も出続ける。米国をはじめ、今核を持つすべての国が自ら廃絶するしか、人類は核の恐怖から逃れられません」

 肥田さんは戦後、東京や埼玉で低所得者向け診療所を開設した。「被爆医師」のうわさを聞きつけ、受診に訪れた患者は、肥田さんが看護師に席を外させると、ようやく被爆体験や身体の異常、生活の窮状を語り始めた。

 きのこ雲の下、命からがら生き延びた人々を5年、10年と苦しめ、ゆっくりと命を奪う。肥田さんが原爆放射線の残忍さを知ったのは、米研究者が書いた内部被ばくに関する論文だった。原爆投下から30年たっていた。

 なぜ、放射線被害の研究は日本で進まなかったのか。その問いに肥田さんはこう答えた。「米国が徹底的に隠したからです」。戦後の占領下、被爆者を診た医師は症状などを記録したり研究したりすることが厳禁とされた。一方で、米国は広島と長崎に原爆傷害調査委員会(ABCC)を設置。被爆者を検査して被爆による遺伝的影響を調べたが、治療は一切施さなかった。

 軍事は人命より優先する−−そう思わせる原爆被害の治療実態だった。軍事が優先されると、国民は犠牲を強いられる。肥田さんは昨年10月、講演先の沖縄県で、そのことを痛感した。県民の反対運動の中、オスプレイが米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)に配備されるのを目の当たりにした。「沖縄県民がどれほどノーと言っても、米国は耳を貸さない。日本はまるで植民地だ」。怒りが胸を突いた。

 肥田さんは1月、腰の持病のため休んでいた講演活動を1カ月ぶりに再開した。「1000人の幸福のためなら10人が犠牲になっても構わないわけはない。1人の命も犠牲にしてはいけないのです」。その思いが96歳の肥田さんの背中を押している。

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 「抑止力」とは、ある人たちにとっては都合のいい言葉。
 身近なところでは、沖縄の米軍基地の存在が抑止力になっているといわれる。でも、何に対する抑止力かよく分からない。「火に油をそいでいる存在」と見ることもできる。沖縄の米軍基地がなくなって、何か困ることある?

 アメリカで銃乱射事件が頻繁に起こっても、銃規制はされない。自分の身を守るためという理由で、簡単に銃を持つことができる。これも、「抑止力」という考え方だろうか。日本のように全面的に禁止している国では「銃乱射事件」などありえない。アメリカも日本のいいところは見習えばいいのに・・・。
 
 肥田医師の最後の言葉がいい。
 「1000人の幸福のためなら10人が犠牲になっても構わないわけはない。1人の命も犠牲にしてはいけないのです」
 「抑止力」という言葉を自分たちの都合のいいように使っている人たちには、この言葉の意味をよく考えてもらいたい。

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【RUN】

 お昼前にジョギング。
 家から深泥池、上賀茂神社、京産大を回るコース。序盤は下り、中盤平坦、終盤上りと変化に富んだコース。
 6.82km、37分26秒。もうちょっと距離があると思っていたのに意外と少なかった。

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 夕方、もう一度ラン。
 1kmジョグのあと、1000+1000。3分50秒、5分34秒。
 1kmダウンジョグをプラスで4km。

 今日は2回合わせて10.8km。

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2012年11月15日(木)

カープ・栗原選手の思い [平和]

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◎毎日新聞11月14日夕刊

   ヒロシマと生きる 「被爆者 プレーで元気付けたい」
                  カープ・栗原選手 FA行使せず残留

 プロ野球のフリーエージェント(FA)権行使の申請期間が13日終わり、広島の栗原健太(30)の残留が確定した。公式ブログで被爆地への思いを発信する栗原だが、今季は5月に右肘を手術、原爆の日前夜に開かれたピースナイターも自宅観戦するしかなかった。「来季こそは全力プレーで、被爆された方々を元気づけたい」と話している。

 右肘手術の影響で今季は21試合出場にとどまり、0本塁打、5打点、打率2割1分1厘。主力になって最低の数字に終わった。

 山形県生まれ。日大山形2年の98年夏、甲子園の土を踏んだが、広島は遠かった。原爆のことは教科書でしか知らず、初めて訪れたのは17歳、入団発表の日だ。原爆資料館の前で記念撮影したものの入館しなかった。

 転機は04年の結婚だった。妻(27)が被爆3世で、8月が近づくたび原爆のことを口にした。被爆体験を語らぬ親戚がいること。被爆者が減り、広島でさえ原爆への関心が薄れていること。資料館も一緒に見学した。黒く変色した弁当箱の白飯に、言葉を失った。「一発の爆弾が日常を奪ったのか」

 焦土の広島に球団が生まれた意義も考えた。被爆者を含む市民は、創設時から募金で球団を支えた。その思いに応えられないか。08年まで本拠地だった旧広島市民球場では、原爆の日に試合がなかった。疑問に思い、その年8月6日、ブログで書いた。「とても大事な日ですが、僕たちは毎年遠征で広島にいません。理由はあるのでしょうか?」

 静かに過ごしたい被爆者に配慮し、市条例の施行規則で市民球場が休場と知って反省したが、のちに規則は改正される。11年8月6日、マツダスタジアムでピースナイターは開かれた。今年は日程の都合で前夜に開催された。しかし、立つべき打席に自分がいない。歯がゆかった。

 「ピースナイターを楽しみにしてくれる被爆者の方もいる。全力で打ち、走り、元気を送る。それが広島で野球を続ける意義」。来季の活躍を誓って振り抜いたバットが、広島の室内練習場に快音を残した。【平川哲也】
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  <橋下・大阪市長>「核廃絶無理」発言 広島市長が苦言

 遊説先の広島市で10日、核兵器の廃絶を「現実には無理」などと発言した日本維新の会代表の橋下徹大阪市長に対し、広島市の松井一実市長は14日の定例記者会見で、「被爆の実相を十分理解していない人の発言」と苦言を呈した。広島を訪れて実相を理解してもらうよう橋下氏に求めるという。

 松井市長は発言を「いろいろな考え方の一つ」としながらも、「被爆者の話を聞いていただければ、おのずと分かるのでは」と述べた。政令指定都市の市長が集まる会合などで、橋下氏と面会した際に広島訪問を求める意向だ。大阪市は、核兵器廃絶を求める国際NGO「平和市長会議」(会長、松井市長)に加盟している。

 一方、橋下氏は14日、「核廃絶を訴えても世界には響かない」と改めて持論を展開した。市役所で記者団に「核廃絶は理想だが、政治は現実に即して戦略を考えないといけない」と主張。日本が国連安全保障理事会の常任理事国ではない現状を指摘し、「一地域でペーパーをまとめるだけでは世界は動かない」と、湯崎英彦広島県知事らに反論した。【中里顕】
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 プロ野球でお金をたくさん持っているチームは、自力で選手を育てようという気がないように見える。。他チームの主力選手を引き抜き、他チームを弱体化させるのがチームの方針なのだろうか。
 わがヤクルトスワローズからは、ハウエル、ペタジー二、ラミレス、グライシンガー、ゴンザレス・・・。苦労して探してきた主力外国人選手を札束で・・・。
 広島東洋カープも、江藤、金本、新井と次々と4番バッターを取られてしまった。次に狙われるのはヤクルトなら林 昌勇(イム・チャンヨン)、広島なら栗原かなあと思っていた。
 しかし、栗原はちがった。今年は故障で出番が少なかったが、本調子なら広島の4番を打つバッターである。広島の安月給に対抗して、厚い札束を出してくる球団があれば心も揺れるものだ。
 これを押しとどめたのは、被爆3世の奥様の力が大きいだろう。実際に被爆した者の恐怖、痛み、苦しみ、悲しみを祖父母から直接聞いた奥様は、ご自身も体に異変があるのかもしれない。そういう話をしっかり受け止め、自分の生き方に反映させている栗原選手は立派だと思う。
 まるで他人事のようにしか発言できない大阪市長とはえらいちがい。まず、栗原選手ご夫婦と橋下大阪市長との対談でもしてもらったらどうでしょう。

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