2011年06月23日(木)
沖縄をおもう日 [沖縄]
◎毎日新聞6月23日夕刊
沖縄:「忘れない限り平和は続く」 13歳が詩朗読
23日の沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県浦添市の仲西中2年の嘉味田朝香(かみだ・ともか)さん(13)が、自作の詩「幸せの一枚」を朗読した。沖縄戦を風化させず、悲劇を繰り返させないとの思いを込めた。
「私の祖母が持つ一枚の写真 何年も経(た)つけれど 忘れられない笑顔 忘れられない言葉」
小学3年の時に学校の宿題で、祖母(85)に沖縄戦の体験を尋ねた。祖母は何も言わず、1枚の写真を嘉味田さんに見せた。
「古びた写真に写る 子どもたち 満面の笑顔の男の子 勝気そうな女の子」
祖母は小学校の元教員。写真の二十数人の子どもたちは、祖母の教え子たちだった。
「みんなどうなったの?」
嘉味田さんの問いに、祖母は長い沈黙の後で答えた。
「どうして戦争なんかするのかねー 戦争さえなかったら みんな幸せだったのに……」
つらそうな祖母の言葉と表情に触れ、嘉味田さんは、一見幸せそうにみえる写真に、祖母の悲しみが込められているのを知った。
「大人になるその日を夢みていたはずだ その笑顔を 幸せを 奪った戦争を 私は許さない 絶対に許せない」
戦後66年がたった今も、沖縄には多くの米軍基地がある。「戦争が終わったのに、なぜこんな広い基地が残っているのか」という疑問がある。しかし、一方で米軍普天間飛行場に垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが新たに配備されるとのニュースも報じられる。日本は平和に見えても、世界のどこかで「戦争が続いている」との思いも募っていく。
「私たちが忘れない限り 平和は続くだろう だからこそ 忘れてはいけない この地には たくさんの笑顔が たくさんの夢が 眠っていることを」
世界から戦争がなくなった時に、子どもたちが笑う祖母の写真が、本当の意味で「幸せの一枚」になると信じている。【井本義親】
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「幸せの一枚」全文
沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」で、浦添市仲西中学2年の嘉味田朝香さん(13)が朗読した詩「幸せの一枚」の全文は以下の通り。
私の祖母が持つ一枚の写真
何年も経つけれど
忘れられない笑顔
忘れられない言葉
小学生の頃
先生がだした宿題
家族から戦争の話を聞いてくること
急いででかけた
祖母の家
祖母は何も言わず
棚の奥から
一枚の写真を
取り出した
古びた写真に写る
子どもたち
満面の笑顔の男の子
勝気そうな女の子
おとなしそうにはにかむ笑顔
豪快に口をあけた笑顔
たくさんの笑顔
一人一人の目は
未来を見つめ
キラキラ輝いている
「この人だぁれ?」
真ん中に写る女性を指さし
祖母に尋ねる
祖母は寂しそうに笑い
「わたし」
一言だけ答えた
一人一人の顔を
愛おしそうに
懐かしそうに
指でなぞるように
眺めながら
時が止まる
「この子たちは?」
ふたたび祖母に尋ねる私
「おばあちゃんの生徒たち」
「大切な大切な生徒達」
「みんなどうなったの?」
祖母は答えなかった
ずっと黙ったままだった
幼い私にも
祖母の深い悲しみが
深い苦しみが
痛いほど伝わった
長い沈黙のあと
祖母は
「どうして戦争なんかするのかねー
戦争さえなかったら
みんな幸せだったのに…」
私はもう一度写真を見た
みんな笑っている
幸せそうに笑っている
愛する家族がいたはずだ
たくさんの夢があったはずだ
大人になるその日を夢みていたはずだ
その笑顔を 幸せを
奪った戦争を
私は許さない
絶対に許せない
祖母は多くを語らない
私はあれ以来
あの写真を見てはいない
祖母の家に眠る一枚の写真
それにこめられた祖母の思い
もう何年も経つけれど
忘れない
私はずっと忘れない
私たちが忘れない限り
平和は続くだろう
だからこそ
忘れてはいけない
この地には
たくさんの笑顔が
たくさんの夢が
眠っていることを
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昨日の夜、久しぶりに沖縄の智さんから電話があった。
「明日のことを思い出してもらおうと思って・・・。」
「ああー、23日。沖縄慰霊の日ですね。」
確かに、忘れてはいないが特別覚えていたわけでもない。
5年前、初めてお話させてもらった滋賀沖縄県人会の高間悦子さんから「沖縄差別」という言葉を聞いたときはショックだった。日本の米軍基地の75%を沖縄に押し付けておいて、それをなんとも思わず放置しているだけでも沖縄を差別していると言っていい。
1945年の6月23日は、激しい地上戦となった沖縄戦で、旧日本軍の組織的戦闘が終結したといわれる日。沖縄では、この日を「慰霊の日」として休日にしている。
沖縄だけじゃなく、日本全体の休日にしたらどうでしょう。「沖縄をおもう日」でいいと思います。沖縄が抱えている問題をみんなで真剣に考えたら、今の日本の抱えている問題が次々と浮かび上って来るでしょう。沖縄から学べることは山ほどあります。
休日が多すぎるというなら、「昭和の日」はもういいです。「沖縄」の中に「昭和」も十分含まれていますよね。
6月23日を日本全体の休日とし、せめて一年に一度だけでも沖縄のことを真剣におもう・・・ということがあっていいと思います。
今日、真樹の高校で演劇鑑賞があった。
その題は「修学旅行」。
俺は何のために沖縄に来たんだぁっ!
「あの時代」の記憶と、「この時代」の現実が重なり合う島・沖縄で、ちっちゃな(しかし当人たちには重大な)バトルが繰り広げられる!?
あなたと私が分かり合うことと、世界平和はカンケーない!・・・か?
今日のこの日に、「沖縄をおもう」演劇鑑賞を設定してくださった高校の先生方には心から感謝します。子どもたちの心の片隅に、何か引っかかってくれたらうれしいですね。
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2011年06月22日(水)
第18回勝手に国労応援ラン [ランニング]
◎中野勇人さんのツイッター(@hashiluotoko 四国 徳島県)より
1987年にJRを不採用になり、今日まで24年「解雇撤回・JR復帰」を闘っている。現在は、北海道から四国常駐オルグとして赴任し7年目。マラソン、自転車等で様々なキャラバンを取り組み奮闘中。
▽ ▽ ▽
国鉄闘争、雇用問題。6月10日、民主、社民、国民新党からJR側に雇用問題の働きかけを要請された政府は13日、津川国土交通政務官がJR側に要請書を手渡した。JR側はその場で要請を拒否し、大畠国交大臣あてに、JR7社社長連名の雇用拒否文章も渡した。
6月15日
JRへの雇用問題続き。今日の北海道新聞では、枝野官房長官は14日の記者会見で「国として強制できる話でない」と積極的な働きかけはしない考えを示し、国土交通省も「今後も、党からの要請があれば『真摯に受け止めてほしい』とJR側に取り次ぐことしかできない」と消極姿勢と報道されている。
6月15日
当事者の反応…「党とJRとの間を取り次ぐだけで努力と言えるのか。政府は雇用確保を強力に働きかけてほしい」(佐久間原告団中央事務局長)「1年以上、雇用問題を放置した政府の対応は誠実と言えない」(仲尾闘争団道連絡会議)「政府の雇用要請をその場で拒否するJRに憤り」(音威子府闘争団)
6月15日
JRへの雇用問題は、政党でなく、政府に努力義務があります。民主党、社民党、国民新党、公明党の4幹事長、前原国交大臣、菅財務大臣、平野官房長官の署名もあります。政務官が文書で要請するようなお茶を濁したようなやり方では納得できません。政府が約束を果たすまで闘いは続きます。
6月15日
「勝手に国労応援ラン」も、もうそろそろ終わりの時かと思っていたが、中野さんのツイッターを見る限りではまだまだ続けなくてはいけないようだ。
でも、右足のアキレス腱がねえ・・・。
今日は、本当は日根野から和歌山港までの30数キロを走るつもりだった。
でも、この足ではムリ!
とりあえず、大阪と和歌山の県境をめざそう。
また、京都駅近くのコインパークに車を入れJR日根野駅へ。
昼時になったので駅近くの店で食べようと思ったが、入りやすい店はなし。けっきょく、ちょっとはなれたイオンの中のお店で食べた。
近くのアパート前で、ネコちゃんが「このくそ暑いのに、走るなんてアホやねー」というような顔をして見ていた。
午後2時40分、あらためて日根野駅をスタート。
かなりゆっくりペースで走り出したのだが、やっぱり右アキレス腱がしみしみと痛い。
阪和道(高速)の下ではゲートボール。
ここだけは涼しそう。
ここは、JRの車庫でしょうね。
日根野の次の駅、「長滝」。
樫井川の兎田橋を渡る。
暑くて暑くて、早くも汗ボタボタ。
ぞうきんかと思いましたわー。
かわいくて、堂々としたネコちゃんでした。
踏み切りを渡ったので、北に向かって1枚パチリ!
2番目の駅、「新家(しんげ)」。
ここらは、こじんまりした駅が続く。
3番目の駅「和泉砂川」は、府道から離れたところだったので立ち寄れず。
それよりも、丘の上に見えるバカでかい建物が気になった。
「ここらで有名なお寺て、あったっけ?」
丘を登りきっところでやっと分かった。
宗教団体「ほんみち」さん。
私のいなか・花脊別所から10数キロ北に行った「広河原」にも支部ができている。今やそこの子たちが、地元の小中学校の児童生徒の大半を占めている。
広河原の建物もいなかの中では周囲を圧倒するくらいの大きさだが、この泉南支部の敷地建物と言ったら・・・。ちょっとあいた口がふさがらんというような感じです。
ここに比べたら、広河原の建物はほんの山小屋程度。ということは、本部はどんなんなんでしょう。道の両側に延々と続く立派な塀を見ながら、ため息が出てきました。
そこからはずっと下り。
しばらくアキレス腱が痛くて歩き続けていたのだが、ゆっくりジョグのスピードで走れるようになった。
4番目の駅「和泉鳥取」には、下校中の生徒の姿がたくさん見えていた。
しかし、そのあとまた上り。
大阪と和歌山の県境は、かなりの標高があるようだ。
途中の資材置き場で「ウォウォウォーン!」
かわいいワンちゃんにほえられまくられ・・・。
こっち、ちょっとうちのきくに似てます。太いところも・・・。
ここらは以前は「山中村」と言ったらしい。
昔のエライさん「田中武八」氏をたたえる碑。
ここから熊野古道が始まるらしい。
来月は自動車道じゃなくて、こっち走れへんかなあ。ちゃんと和歌山市に着くんやろか。
さっきから、あちこちでビワが鈴なり。
5番目の駅「山中渓(やまなかだに)」は無人駅。
4時30分ころに到着。
ここから県境の山越えで、次の駅「紀伊」は13kmも先。ここで帰るのが賢明。
とりあえず、駅で記念写真を撮ってと・・・。
と、和歌山側から電車が。急いで反対側のホームに渡り、電車に飛び乗った。
「乗車券、こうてへんがなー。」
天王寺が終点かと思ったら、大阪環状線入り。大阪駅の2つか3つ手前あたりでやっと車掌さんがまわってこられた。
「山中渓→京都」1530円を発券。ということはやね、日根野から1時間50分も走って150円分ですか。電車では15分やったもんね。(走った距離は14kmくらいかな。)
来る時も思ったんやけど、「節電、節電」て言ってるわりに電車の冷房きき過ぎ。これはいかん。特に帰りは汗をかいていたので、体が冷えて冷えて。
「かぜひくちゅうねん!」
でも、この「一人駅伝」はけっこうおもしろい。よく考えると、今はやりの「四国八十八か所めぐり」にも似ている。今まで全然知らんかったところも走れるし・・・。これで、出会った人としゃべれたら最高なんやけど、ちょっとあやしい(?)アピールゼッケンつけてるもんで、そうやすやすとはいかんわね。
京都駅に帰ってきたのは6時半。
駅の東側に安いコインパークを見つけた。平日最大900円。先月とめた1000円のところよりも駅に近いし、いいところが見つかった。いろいろと節約しなければ。
今日予定していた和歌山港まで行けなかったので、8月に徳島県三好市に到着という目標があやしくなってきた。これは、来月に1泊2日くらいで「通し一人駅伝」やらなあかんかなあ・・・。
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2011年06月21日(火)
おかしくばり [雑用]
「おかしくばり」と言っても、2ヶ所だけ。小谷屋のおばさんとうちの父。
「SAIKOロードレース」の帰りに「田子の月」さんに寄り、銘菓「富士山頂」を買って帰るのがパターンになった。
「小谷屋のおばさん」は、私の同級生のお母さん。長い間、うちのいなか唯一の旅館の女将さんをされていた。以前、父に持って行くついでにちょっとだけおみやげを持っていった。そのときにすごく喜んでくださって、それ以来この「おかしくばり」を続けている。
花背峠を越える時、ふと下界を見たくなった。
私が中学くらいまでは花背峠の近くからも見えたのだが、杉が大きく育って今はもう見えない。これは赤い鉄塔の近くまで行くしかない。
「見えましたー。」
でも、この見えてるのはどこらへんなんやろう。
この赤い鉄塔の下は、私が百井分校に勤めていたとき毎年写生会に来ていたところ。
ここらからは、滋賀県のびわ湖も見える。
花背別所町のちょうど真ん中らへんに、小谷屋さんがある。
「おばさーん、また富士山のおみやげちょっとだけ持って来ました。」
「いや、こうじさん、いっつもすんません。」
「いやいや、そんなたいそうなもんちゃいます。ついでゆうたら悪いですけど、おじいさんに持ってくるついでですわ。」
よく見たら、おばさんの横によりちゃんが!?
「いやー、久しぶり。帰ってんにゃ。」
「うん。」
まあ、ここはあまり深追いせず・・・。
「おばさん、大そうじですか。」
「いやな、アニキが帰って来てくれたし、戸を夏用に変えてんにゃー。」
「そうですか・・・。僕らのクラス会も小谷屋さんでできたら一番よかったんですけどねえ。」
「こうじさん、そんなもん、もう家の中もむちゃくちゃやし。」
「今年も雪でだいぶやられましたか。」
「そや。雪下ろししてくれるのはええんやけど、おっきい男が古い屋根の上で動くさかい、雨漏りがえらいことやね。」
「そらえらいことですねえ。」
「こうじさん、あんたとこのおじいさんは優三さんもいるし、多鶴子さんも別所に家建てるらしい、こうじさんもいるし、ゆうことなしやで。」
「ほんまにねえ。これでおかちゃんがもう10年ほど長生きしとったらねえ・・・。」
「そうや、それだけがなあ。こうじさん、あんた、お母さんが死なはったら、すぐ先生やめてしもて・・・。」
「いや、よう知ってはりますやん。おかちゃんが1月に死んで、その2ヵ月後にやめましてん。」
「こわいもんがおらんようになって、自分したいようにしたんやろう。おばさんは何でも知ってるでー。」
「まいりました。そやそや、ちょうど1年前に撮らしてもろたおばさんの写真、持って来ました。べっぴんさんに撮れてまっせー。」
「いやー、ほんまにきれいなこと。」
こんな話を、横でよりちゃんはニコニコしながら聞いていた。
来年の夏に、またクラス会をやる予定。今度は来てやー。
うちの家によると、草がだいぶボーボーになっていた。
また、草刈りせんなんなあ。
次に、おじいさん(私の父)の家へ。
「お菓子、おばあさんにお供えしょうかなあとおもたけど、賞味期限がもうすぐやしやめとくわ。」
「すぐ下げるさけ、どうもない。供えとき。」
「はい。」
「こうじ、こないだ、かんすけのさだひろが来たど。こうじさんがどうのこうのゆうさけ、なんで知っとんねーて聞いたら、お前の書いとるもん読んどるらしいなあ。」
「ああ、そうやねん。」
「まあ、さだひろにはびっくりしたわ。一番太い時は110kgあったんやてえ。」
「えー、そうか。小学校の低学年のときからおうてへんし、今おうても分からへんやろなあ。」
「そうや。うちに半日ほどおったなあ。昔の話ばっかりぎょうさん聞いて帰ったわ。」
「別所のこと、いろいろ調べとるみたいやで。そら、そうゆうもんもおらんと。おじいさんの知っとること、全部教えたりいな。」
「おお。」
「ボクはな、さだひろ君に、別所は藤井と物部ばっかりやのに、なんで山本と辻が1軒ずつあんのか調べてくれゆうといてん。」
「ほー。うちの藤井は分かっとるで。明治の日清戦争の時に、長男は戦争に行かんでよかったさけ、みんな藤井にして分からんようにしたらしい。うちは当時のお金で60円出して、藤井の名字をこうたんやで。おじいさんのおじいさんのその前までは、荻原ゆう名字やったんや。」
はー、そしたら、私のほんまの名前は「荻原廣司」ですか。年寄りとしゃべったらいろんなことが分かっておもしろい。
さだひろ君、またうちのおじいさんの話し相手になったってや。
小谷屋のおばさん81歳、私の父89歳。
来年の「おかしくばり」の時にも、いろいろとお話しましょうね。
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2011年06月20日(月)
父の日のうまか棒 [家族]
昨日8時間半の運転から帰って来ると、廉からうまい棒のプレゼント。
「廉、今日うまか棒食べるわー。」
「えっ? うまい棒やろう。」
「あれっ、名前変ったんか。」
「最初からずっとうまい棒やって。」
「そっかー、知らんかったなー。」
けっきょく、今日は早く食べてしまわなければいけないものがあったので、うまい棒はまたの日のお楽しみ。
真樹は、「父の日のプレゼント、なんにもないでー」。
でも、かあちゃんがサロマに行っている間、愛知の「佐久島マラソン」に二人で行くことになった。いっしょに5kmを走る予定。
まあ、そんなんも父の日のプレゼントになるんちゃうん?
雨になるかも知れんけど、楽しく走ろうぜ。
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2011年06月19日(日)
第27回SAIKOロードレース [ランニング・出張販売]
「あっ、ゆきちゃんや! すんません、ゆきちゃんといっしょの写真撮ってください。」
(パチリ!)
「ありがとうございます。ゆきちゃん、いってきまーす!」
西湖1周コースの約9.5kmの給水所。
スタート前に、去年の山中湖ロードレース以来再会できたゆきちゃん。ゴールまであと1kmちょっとのところでまた会えるとは・・・、ああうれし。
でもでもでも・・・、そこから再スタートした時、重大なミスに気づいた。自分ではちゃんと「ゆきちゃん」と言っていたつもりだったのだが、実際は「きくちゃん」と言っていた。きくって、うちの犬ですやん。
「おー、なんてこったー!」
写真を撮ってくださった飼い主さんのお母さんのほうはさほど気にしておられなかったが、小学生のお姉ちゃんはけげんな顔をしていたなあ・・・。
すいません。「ブログに載せさせてもらいます」と言って名刺まで渡してきたのに、なんたることを・・・。
でも、名前をまちがって呼んでいたのに、ゆきちゃんたらペロペロしてくれてたね。ありがとね。
おっちゃんは、もうこれだけで「SAIKOロードレース」に来た値打ちがあったと思ってるんやから。ほんまにほんまに、ありがとね。
朝4時半起き。
昨日ほとんど商品の整理ができていないので、早く会場に行かなくては。
民宿「野菊」さんの2階の窓から外を見ると、なーんかあやしい空模様。
受付開始の6時までに、すべて出し終えることができた。
雨はだいじょうぶそうなので、お客様も次々と来られた。
準備運動が始まるころには、薄日が差すことも。
地元・西浜中学校の生徒さん。大会ボランティアとして、一日しっかり働いてくれるようです。
私が出場する西湖1周の部(10.7km)は、9時10分スタート。
スター地点に向かうとき、前にかわいいワンちゃん発見。
「すいません、ワンちゃんの写真、撮らせてくださいね。ワンちゃんのお名前は?」
「ゆきです。」
「ふーん、ゆきちゃんか。かわいいなあ。歳はいくつ?」
「3歳です。」
「そうなん。まだ若者やねえ。」
通り過ぎてしばらくして・・・。
「ゆきちゃん? ゆきちゃんて・・・、あのゆきちゃんやん。」
戻って、「すいませーん、ゆきちゃんて、去年の山中湖ロードレースにきてたゆきちゃんですよね。」
「はい、そうです。」
「いんやー、やっぱりあのゆきちゃんやったんや。雪の日にお父さんが走ってたらついてきて、それから飼ってるのって娘さんがゆってられましたよね。」
「そうそう、そうです。」
「よかったー。今年の山中湖で見かけへんかったんでガックリしてたんですよ。いやー、ほんまにうれしいです。」
参加者合計が4000人を超えているので、この1周の部にも2000人近くが集まっているはず。
そのわりには混みごみしておらず、かなり前に並ぶことができた。スタートの合図からスタートラインを越えるまで数秒。こんなことはめったにない。
1km地点、5分09秒。
6月初めの「たたらぎダム湖」の最後の急な下り坂でアキレス腱を痛め、それがさらに悪化している。キロ5分は、この足の状態では速すぎる。もっとペースを落とさなければ。
2km地点、10分25秒(5分16秒)。
ゆっくり行こうと思っても、ゆるやかな下りなのでついつい・・・。
3km地点、15分30秒(5分05秒)。
速すぎるって、足痛いし・・・。
4km地点、20分49秒(5分19秒)。
これくらいがちょうどいいかな。
きれいに並ぶ釣りのボート。
釣りに来た人にとっても、雨が降らなくてよかったですね。
5km地点、26分37秒(5分48秒)。
この手前でトイレに。そのロスタイムが30秒ほど。
5kmを過ぎて三叉路を左折したところで、2周の部のトップに抜かれた。10分後のスタートなのに5km過ぎで抜かれるということは、キロあたり2分も速いん?
6km地点、31分51秒(5分12秒)。
7km地点、37分11秒(5分20秒)。
水のコップを取り損ねたランナーにコップを取って渡してあげた。一ついいことしました。
8km地点、42分23秒(5分12秒)。
右足アキレス腱がズキズキと・・・。
ここらは、岩場に近づいての釣り。
9km地点、53分46秒(5分29秒)。
さすがにスプリットタイムがかなり落ちてきた。でも、あともう少し。
給水所にいましたー、ゆきちゃん!
ゆきちゃんの特徴は、最初愛想なし、あとからペロペロ。
ゆきちゃんにパワーをもらって、残り1kmちょっと、GO!。
給水所のちょっと先で、2周の部は左折、1周の部は直進。
10km地点、53分46秒(5分53秒)。
写真を撮ったらガッツポーズをする青年。
「ボクもお返しに撮らせてもらいます。」
その撮ってくれた写真ほしいけど、どこのどなたやら・・・。
この1kmはゆきちゃんと遊んでいたので、ずいぶん時間を食ってしまった。
こんなかわいいバスも走っています。
ゴールは、57分39秒。
だいたい思ったとおりのタイムで走れた。
デブリンパオパオは、迷いなくLサイズ。
新しいユニフォームは、インパクト的にはもひとつかなあ。ランパンは赤のほうがいいかもね。
バナナサービスのところに、さっきの中学生たちが。
すごく元気な声で呼び込みをしていた。
抽選会が始まると、もうお客様は来られない。それが終わると、大会自体も終わり。
テント屋さんの鮮やかな後片づけ。このプロの早業を子どもらに見せたいなあ。学校の社会見学も、こんなんを見せなあかんと思う。
片付け終わって会場を出たのは1時過ぎ。去年より1時間ほど早い。
お昼ごはんは、去年と同じ「ニューあかいけ」さん。
注文したのも去年とまったく同じ、オムライスとわかさぎセット。
早めに片付けてよかった。
お店に入ったころからポツポツときて、食べるころには本降りになった。
帰りの高速ももちろん渋滞。家に着いたのは9時40分。ごはんや休憩の時間も入っているが、やっぱり8時間半。
「ふー!」
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2011年06月18日(土)
第27回SAIKOロードレース・前日受付 [ランニング・出張販売]
今日は朝から雨模様。
いつもなら、西湖にむけて早朝出発なのだが、今日は無理せずゆっくり目。ヨメさんは、きくのお散歩へ。
「きくちゃん、かしこうしといてね。」
8時10分、我が家出発。
京都東ICからいきなり渋滞。
「土曜日の朝って、ふつうすいてんにゃけどなあ・・・。」
ああ忘れてた。今週末で「高速1000円」が終わり。
「うちらなあ、あんたらの何倍ものお金出して通ってんねん。1000円の車はどいてもらえんかなあ」と、つぶやいてもしゃあないね。
草津から新名神に入ったが、豊田JCT付近で35kmの渋滞。東名に入る予定だったが、急きょ変更。東海環状から中央自動車道へ。
こちらは渋滞はなかったのだが、山の中ばかりなので雨ジャジャぶり。それにだいぶ遠回り。けっきょく、家からの距離は500kmを超えた。高速代、10250円。乗用車の10倍です。
河口湖ICから出て会場に着いたのは、4時40分。前日受付は6時までなので、「どうしょかしらん」。
私はもう8時間半の運転でクタクタで、場所をとるシューズは出すのはやめた。ヘタに出したらシューズをぬらしてしまうかもしれないし。骨折り損のくたびれ儲けになるのがオチ。
ヨメさんは、「明日の準備にもなるし・・・」と言ってウェアを出し始めた。
雨はやみそうにもないので、お客様はほとんどなし。
なんと、前日受付の売り上げ、ソックス2足で2200円。あーあ。
私たちが来てからの1時間ちょっとで、受付に来られたのは100人ほどではないだろうか。これでは売れるわけもない。
お泊りは、明日のスタートラインのま横の「野菊」さん。うちの真樹の一つ上(高3)の娘さんが、テキパキと働いていた。
毎年来ておられた静岡のスーパー70代のレイ子ちゃんは、今年はヒザを痛められたそうで欠場。再会を楽しみにしていたので残念だった。
ここは、林間学校の生徒さんをよく受け入れておられるそうだ。真樹も、夏休みの住み込みアルバイトで雇ってもらうか? 働き甲斐がありそうやけど・・・。
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