2011年06月01日(水)
「橋はかかる」村崎太郎+栗原美和子 [書評]
■内容(「BOOK」データベースより)
被差別部落出身であることを公表した村崎太郎。ごく一般的な家庭に育った栗原美和子。悪戦苦闘の3年間、少しずつみえてきた希望の橋。
■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
村崎 太郎
1961年、山口県生まれ。17歳で初代次郎とコンビを結成し、日本に途絶えた猿まわしを復活、次郎の“反省”ポーズで全国的な人気者になる。1991年「文化庁芸術祭賞」受賞、92年にはアメリカ連邦協議会から「日本伝統芸」の称号が授与された。2007年11月栗原美和子と結婚。翌08年、被差別部落出身者であることを公表。09年に自叙伝『ボロを着た王子様』を発表。ここ数年は日本各地の農家や漁村、限界集落、ハンセン病療養所や原爆被爆者のご家族等を訪ね、共に語り合う「出会いの旅」を続けている
栗原 美和子
1964年、福岡県生まれ。フジテレビプロデューサーとして『ピュア』『人にやさしく』『不信のとき』等、連続ドラマで数々のヒット作を世に送り出すほか、里親制度をあつかった『ぶどうの木』や在日韓国人と日本人の結婚をテーマにした『東京湾景』等、社会問題に対する深いアプローチにも定評がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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素人の書評ほどつまらんもんはない。それは重々承知のつもりだったが、カテゴリー「書評」を新設した。
昨日、真樹のテストが終わるのを待ってお迎えに行った。そのときの真樹と私との会話。
「パオパオ、時間つぶせた?」
「うん、久しぶりにカナートの中の『古本市場』行ってきた。」
「本、買ったん?」
「うん、またぎょうさんこうてしもたー。もうこれで読んでへん本が何百冊になったか・・・。」
「えー、どうすんのー、もったいない。」
「そやろ。そやし、まだ死ぬわけにはいかんねん。1週間に1冊読んだとしても1年で50冊やしなあ。」
「芦田愛菜ちゃんは月に60冊くらい読むらしいでー。」
「そっかー。負けられんなあ。」
私が一番生き生きするのは、古本屋さんに行った時かもしれない。ちょっと立ち読みした本はすぐほしくなる。新し目の本でも大体半額だし、105円均一というコーナーもある。そんなことで、一度古本屋さんに行くと必ず5冊以上買ってしまう。
ところが、立ち読みしたことでもうその本を読んでしまったような錯覚に陥ってしまう。家に帰ってすぐ読むのはその中の1冊のみ。それ以外は忘れてしまうことが多い。
また、読み出しても最後までいかないことも多い。私の集中力のなさのなせるワザである。
この結果、中途半端に放置されている本が山と・・・。
これ以上、放置されている本を増やすわけには行かない。それには、自分にノルマを! というつもりで、カテゴリー「書評」を新設しました。
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さて、本題に戻り、私のしょうもない素人書評を・・・。
この本の真ん中へんまで読んだとき、この本の題は「橋はかかる」より「ならば、結婚します」がよかったなあと思った。
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「そういう出身なんだけど、結婚してくれないか」
「ならば、結婚します」
被差別部落出身者だから、いい。人の痛みを体験してきた人だから、いい。その傷みを乗り越えてきた人だから、いい。人の傷みを知っている人は人を傷つけるようなことはしない。部落出身という生い立ちを持っているあなただから、きっと弱さと強さの両方を痛いほど知っているだろう。
「私は、そういう人と出逢うのを待っていたんです」と。
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ここまで読んでやっと気づいた。「橋はかかる」という題は、住井すゑさんの「橋のない川」に対応した題だったのだ。そんなことも分からんと読んでたんです、この私は。ぼーっとしてるでしょ。(そういえば、「橋のない川」も第1巻の真ん中らへんまで読んで放置してあるなあ・・・)。
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2008年10月、妻である栗原が書いた小説『太郎が恋をする頃までには・・・』がいよいよ出版されるという時期を迎えた時、私たち夫婦は「不安」よりも「期待」のほうを多く抱いたていた。(中略)
甘かった。
まったく期待通りにはいかなかった。
部落問題に対するタブー視の強さを思い知らされた。どの新聞も雑誌も、この小説の書評を書いてはくれなかった。どんなに出版社が食らいついても、「その問題を取り扱っている内容なので、弊社ではちょっと・・・」という門前払いを食らったそうだ。新聞雑誌がそうなのだから、電波はなおさらだ。ラジオ番組テレビ番組は見事にノーリアクションを貫いた。新聞は電波と違って反応すらなかった。小説『太郎が恋をするころまでには・・・』はマスメディアから危険視されてしまった。
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村崎太郎さんの、47歳でのカミングアウト。
「自分に正直であるならば、必ず心は通じる」と信じているところがうれしい。
そのあとの、期待はずれな結果への自分なりの究明の仕方が素晴らしい。この部分はたいへん読み応えのある部分である。
湧き上がってきた疑問に対して、一つ一つ自分で行動して解決していく姿には希望が持てた。その姿をきちっと見守り、また太郎さんとの対話を重ねていったのが栗原美和子さんである。この存在は大きい。
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いろいろな人に出逢ってみて、分かったことがある。「私は、なんと無知であったのだろう」ということだ。
一応人並みに本も読み、勉強もし、知識を広げる努力をしてきたつもりだ。人権問題に関しては人並み以上に詳しいと思っていた。ところが旅を始めてみると、「私は何も知らなかった」という自責の念にとらわれた。もっと正確に言うと、「知識としては知っていたが、実のところは何も見てこなかった」と気づいた。自分の狭い世界で、勝手に世間を知ったつもりになっていたけれど、肝心なところは何も分かっていなかったのだ。
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「悲惨でつらかった過去を振り返るより、明るい未来を展望できるような活動をしたい」というようなことが書いてあった。その部分を抜き書きしようとして、戻って読みなおしてみたのだが見つからない。ここがこの本の一番いいところだと思ったのに・・・(私の集中力はこんなもん)。
まあでも、一気に最後まで読めたので良しとしよう。中味の濃い本、自分が興味のある本は、気が散ることなく読めるものだ。トータル3時間ほどで読めたので、ちょっと安心した。
「やったらできるやん!」
読書再スタートの1冊目としては、上々の出来。
ただ、目の焦点がなかなか合わずに苦労した。この目、なんとかなりませんかね・・・。
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2011年05月31日(火)
きくの仕事 [わんこ・にゃんこ]
【5月25日のきくの仕事】
真樹のお見送り。
う○○。
真樹のお見送り。
【5月26日のきくの仕事】
笑う。
へっへっへー。
真樹の自転車の警備。
付近の警戒。
真樹の警護。
真樹の先導、または真樹のじゃま。
【5月30日のきくの仕事】
うたた寝。
夜の散歩。
家に入るのをいやがる。
ということで、きくはええ仕事(?)してまっせー。
【おまけ・鴨川荒神橋西詰のワンちゃん】
【おまけ・うちの近所のネコちゃん】
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2011年05月30日(月)
「ペンション・セミカ」 ふたたび [宿情報]
山中湖のペンション・セミカさんに初めてお世話になったのはいつのことだろう。
出張販売の記録をきちっと残すようになったのが1992年。その年から3年連続でお世話になっている。
1992年5月といえば、廉はまだ生後9カ月。その2年後の5月は、真樹がお腹の中に(その年の8月生まれ)。
それから3年間は日程の都合で行けず。1998年5月にまたお世話になっている。廉6歳、真樹3歳。廉は小1なのでこのころから記憶に残っているのだろうか。
出張販売で一番遠い山中湖。そのころは京都のいなかに住んでいたので、片道8時間ほどかかっていた。そのしんどかった記憶がしっかりと残っているのか、山中湖には今はもう絶対についてこない。
次は仕事ではなく、家族4人ときくでゆっくり泊まりたいものだ。
今年泊めていただいたのは、本館のほうではなく隣接する別荘。子どもたちの大好きな屋根裏部屋があった。真樹を連れて来ていたら、きっと「こんな家を建てたい」と言うにちがいない。
台所もおふろもついていた。
「こんなとこに住みたいなあ」とヨメさん。
「でも、よう考えたら、別所の家もこんなんか。別所でゆっくりと暮らすちゅうのもええなあ・・・。」(「別所」とは、うちのいなかの地名です。京都市左京区花脊別所町。)
食事もいつもの部屋ではなく、別室へ。
そこには手作りのかわいいものがいっぱい飾ってあった。(すいません、ピンボケです。)
私たち二人の貸し切り状態。
ヨメさんは長靴のまま。
私が洋食があまり好きでないと前に言ったので、いつもあっさりとしたメニューにしてくださっている。食べやすくておいしい。
デザートの手作りケーキとコーヒー。
コーヒーを飲みながら、奥さんといろいろお話しした。
セミカさんは、東京からこちらに移ってこられペンションを始められた。お子さんの年齢から逆算すると、始められてもう25年以上になる。
このあたりでも、ペンションを長く続けておられるところは少ないらしい。売りに出たり、貸し別荘になっているペンションも多いとのこと。セミカさんは、いわゆる「古株」である。
小学校統合の問題もあったりして、うちのいなかとも似ているところもあるなあと思った。地域の問題もいろいろとあり、考えさせられる。
マラソン大会に来られる方も、ただ走って帰るのではなく、地域の方とできるだけ会話をして帰ってほしいと思う。せっかく遠くから来ているのだから。
本館前で記念撮影。
大震災の影響で、4、5月の修学旅行生はすべてキャンセルになったそうだ。
みなさーん、私がお勧めします。富士五湖方面でのお泊まりは、ぜひペンション・セミカさんへ。
こちらは隣接する別荘前。
セミカさんは、このほかにも2棟別荘があるらしい。
大きなお風呂だったので、ヨメさんに頼んで写真を撮ってもらった。
「だいじょうぶか、変なもん写ってへん?」
「写ったかもしれん。」
1階にベッドが2つ。
屋根裏部屋は4人くらい寝られそう。
おみやげに買った「きくとあんも」。
あんもは黒猫で損かなあと思ってたけど、黒猫人形系はどこでもよく売ってある。いつまでも忘れられへんし、よかったな。
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2011年05月29日(日)
第31回山中湖ロードレース [ランニング・出張販売]
埼玉の石川操さん。「京都キャロット」のお得意様です。
ジャジャ降りの雨の中、スタート前にわざわざごあいさつに来てくださいました。
朝5時40分起き。
ペンション・セミカさんからコンビニにより、おにぎりなどを買って会場へ。
荷物をおろし、車は湖畔のヨットハーバーへ。
ヨットハーバーから会場まで少し坂を登って行くのだが、桜のような花びらが大量に散っている。5月の末だし、いくらなんでも桜ってことはないですよね・・・。
会場である山中湖中学校のグランドは、早くも「池」状態。
こんな時は長靴に限る。ランナーの中にも、用意周到長靴姿の方がけっこうおられた。
今日の店の目標は、「とりあえず商品を傷めない」こと。土砂降りに近い雨なので、売り上げアップは望めない。
ウォーミングアップのエアロビの曲とアナウンスが流れてきたので見に行った。
およそ20人ほど、全員がかさをさしたまま準備運動をされていた。10000人超えの大会で、わずか20人ですよ。この人たちこそ表彰してあげたいと思った。
グランドから階段を下りたところのトイレに行くことにした。そこで乳母車を押し、もう一人小さな子を連れたお母さんと遭遇。
「○○ちゃん、かさ持っててくれる?」
ははん、かさを上の子に持たせて、下の子の乗っている乳母車を抱えて下ろそうとしておられるのだ。
「下ろしましょか?」
「は・・・」
たぶん「はい」とは言っておられない。そんなことお構いなしに乳母車を抱えて階段を下りた。予想していたより重かったが、すっと下ろすことができた。
「ありがとうございます。」
「いえいえ。それよりお母さん、この子の足冷たそうですよ。靴下はかせてあげないと・・・。」
「それが・・・、持って来てないんです。」
「そうなんですか。」
よさげなお母さんだったので、靴下はなくてもあたたかくなるようにきっとなんとかされただろう。
階段下のトイレは、その4分の3くらいが「男子小用」。これは混雑解消にはいいアイデアかもしれない。
この大会はいつも大いそがしで、今までスタートさえ一度も見に行ったことがなかった。
9時15分にハーフの部がスタート。その15分後の9時半に山中湖一周の部(13.6km)がスタート。
ランナーのほとんどが帽子に雨ガッパ姿。応援の人の多くも雨ガッパ姿。
この散っている花びらは・・・、うーん気になる。
天気がよければ、このスタート地点での応援もすごい人だっただろうに。思っていたより応援の人がまばらで、ちょっと拍子抜け。
スタートでの実況アナウンス。
高村村長さんからの激励の言葉もあった。
スタートライン横では、千葉真子さんの「いってらっしゃ〜い」の絶叫。
最初から最後までハイタッチをしながらの絶叫だったので、最後のほうは少し声がかれていた。ご苦労さまです。こんな雨の日には、千葉ちゃんのような元気いっぱいのゲストがピッタリです。
トップランナーがゴールする10時過ぎころから、雨が強烈になってきた。たぶん、走っていると目が開けられないくらいのきつさだと思う。
出店テントの間の通路部分は「川」状態。
もう、誰も来られない。
ゴールされたランナーは、そそくさと着替えに。着替え終わったら、またぬれてしまうのがいやなのでそのまま帰路へ。お店をのぞく奇特な人はほぼ皆無。
そんな中、ずぶぬれの姿の石川操さんが立ち寄ってくださった。
「ゴール前で一人抜かれちゃった・・・。」
それでも、きっちり6位入賞のメダルをぶら下げておられた。そのちゃきちゃきとした表情は、まるで中学校の陸上部女子のような・・・。髪の毛からしたたり落ちる雨も、なぜか似合っている感じがした。
お客様がまったくないのでヒマ。
たくさん出ている屋台を見に回ってもらって、肉巻きおにぎりを買ってきてもらった。おいしかったけど、ちょっとごはんがやわらかすぎた。
交通規制解除の時刻が近くなったので、駐車場に車を取りに行った。
ずぶぬれになって帰って来るランナー。きつかったとは思うが、思い出に残るレースになるでしょう。
天気がよければボートなどでにぎわう山中湖も、今日は静か。
もともと大雨の予報で、商品をたくさん出していなかったので後片づけも早くできた。ただ、後片づけの時も大雨だったのでずぶぬれ。特に、肩とおしりがびちゃびちゃに。気持ちわるーい。
毎回お昼ごはんと決めている「清渓」さん。おじゃまするごとに様変わりしている。
今年は、お昼は1種類のランチ(1000円)のみになっていた。
「もう、ここに来るのも今年で終わりか・・・。」
「山中湖ロードレース」の売り上げは去年が過去最低だったのだが、今年はその半分にも満たない惨敗だった。
これでいい区切りになったのかな。
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2011年05月28日(土)
第31回山中湖ロードレース・前日受付 [ランニング・出張販売]
天気予報どおりの雨。
会場は山中湖中学校のグランドなので、雨でグチャグチャ。
先着13600人の参加申し込みだが、それは大震災前の2月の話。参加申し込みをされた中にも被災された方やその関係者も多くおられるだろう。
それに加えて、この雨。
明日の本番はもっと雨脚がきつくなるという予報なので、やめられた方も多いと思う。
きれいに整備されたゴール地点。
私はこのゴール地点を駆け抜けたことがない。以前は、レースに出られるような余裕がないくらいいそがしかったのだ。
出店業者が増えすぎて、一昔前のてんてこ舞いがうそのよう。
去年ほど冷え込まなかったのがましといえばましだったが、お客さんでごった返すということは一度もなかった。
関東からのお客様がほとんどで、親しく話ができるような方もほとんど来られなかった。
「あー、ヒマ!」
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2011年05月27日(金)
「ねっとわーく京都」は、おもしろくてためになる [雑用]
ありがたいことに、月刊誌「ねっとわーく京都」の私の連載が丸1年を超えた。
「そろそろ終わりということに・・・」といつ言われるかとビクビクしているのだが、今のところはだいじょうぶなようだ。これもひとえに、寛大な読者さんと寛大な編集発行者さんのおかげだと思う。
「ありがとさんです。」
しばらく「ねっとわーく京都」の宣伝を忘れていたので、今回はちょっとくわしくしたいと思う。
5月9日発売の6月号。
表紙の写真「力になりたい」は、この度の被災地に送られた寄せ書きのようだ。
【特集】 浮遊する「隠れ核・原発」を語る
【広原盛明の聞知見考】 “創造的復興”は東日本大震災を救えるか
【覆面記者】 来春の市長選は前回同様の構図か?
もうこの見出しだけ見ても、おもしろくてためになりそう。
「本誌掲載記事の無断転用を禁じます」と書いてあるので、たとえ宣伝のためとはいえここには紹介できない。残念!
でも、目次の紹介くらいはいいんじゃないでしょうか。目次は記事じゃないですもんね。
6月号の目次は、以下の通り。
「おもしろくてためになりそうな」記事ばかりでしょう。
私が一番好きなのは、「覆面記者座談会」。これはおもろい。京都市政全般について、よういろんなことを調べてはる。その覆面記者A・B・Cという人に会ってみたい。でも、ほんとは3人じゃなく1人やったりして・・・。
それと、最初のほうにいつも載っている4コママンガ。いつもすごいと感心しているのだが、今回はその中でも秀逸。
1コマ目 「ハイ!私も!(元自民党)」
2コマ目 「ハイ!私も!(元自民党)」
3コマ目 「ハイ!私も!(元自民党)」
4コマ目 「入る人らあ(ハイル、ヒトラー)、維新の会」
やて。
もう、最高。ここに載せられないのが残念でたまらん。
この4コママンガは、あの人らを批判するとともに、その勢力に対して何の脅威(恐怖)も感じない私たちをも批判している。作者・Monpeiさんのセンスには敬意を表したい。
こんなふうに、お下品なものに対してお上品に批判できたらちょっと胸がすっとする。私もこの姿勢は見習いたい。
あの人らの初仕事が、「日の丸・君が代の強制」とはね。どんな政党なのか、だんだん化けの皮が剥がれてきましたねえ。何べんもその批判をここに書こうと思ったが、下品な人らをまともに相手していたらこっちまで下品になるようで・・・、自粛していました。
まあ、あとは私の「憲法9条+ランニング=パオパオと呼ばれる日をめざして」で仕上げ(?)。
うちのヨメさんのように、「ろくでもない生活破綻者が、何の『平和』じゃい! あほらしもない」とムカムカする方もおられるかも。でも、「こんないいかげんな人でも、雑誌の連載が務まるんやね」とほっとしてくださる方がおられたら、それはそれでうれしい。
私の連載は、「まあまあおもしろくてためにならない」記事だと思って読んでください。
「ねっとわーく京都」2011年6月号、本屋さんで立ち読みしましょう。まずは、4コママンガから。そして気に入られたら、500円で買って、家でじっくり読みましょう。
「おもしろくてためになる」はず。
私はおすすめします。
明日は早朝に家を出発し、「山中湖ロードレース」へ。
「京都キャロット」が初めて出店させていただいたころは、こじんまりとしたいなかのマラソン大会というフンイキだった。しかし、最近は大規模大会になり、出店業者の数も何倍にもなってしまった。だんだん売上げが経費と見合わなくなってきたので、今年が最後の出張販売となるかもしれない。
子どもたちと長い長い道のりを往復した思い出深い大会なんですけどね・・・。
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