2011年06月13日(月)
みかた前夜祭サプライズ [ランニング・出張販売]
「藤井さん、もうちょっとあとでサプライズがあるんやわ。時間がだいじょうぶやったら、見ていってえな。」
「はい・・・。」
ヨメさんを置いて一人抜けてきたので気にはなっていたのだが、前夜祭に居残ってほんとうによかった。
みかた残酷マラソンの前夜祭は、「京都キャロット」の前日出店の後片づけの時間と重なるのでなかなかゆっくりと参加できない。それでも少しは顔を出しておこうと思い、おじろドームに入った。
途中から入ってきた私を見つけ、大会実行委員長の久保井さんが近づいてこられた。そこで「サプライズがあるから・・・。」 これは、見ずに出て行くわけにはいかなくなった。
いつものことながら、すごい参加者の数。
今日の高石ともやさんは、バンジョーとエレキギターを従えて。
今年は、奥様がおられなくなって初めてのコンサート。
さて、奥様はどこからのぞいておられるのでしょう。
高石さんは自分をふるい立たせるような高速ギターテクニックを披露。去年、天から降りてきたように突然できるようになったそうです。
19回連続出場の7名が前に呼ばれた。
19年のうちに引越しを4回もされた方。
ご夫婦で19回連続出場、すごい!
このあと、高石ともやさんから「この残酷マラソンのあと結婚される方とかありませんか・・・。」
後ろのほうから、トントントンと前に出てこられる女性あり。会場は「おー」という歓声。
「私は支援学校、前は養護学校と言ってましたが、そこの教師をしています。今は別の学校に移ったのですが、以前いた高校では3年でフルマラソンを走りきるという目標を立てていました。
もう10年くらい前のことになります。その年、私はある男の子といびがわマラソンに出ました。その子は途中までは調子よかったんですが、35kmくらいで座り込んでしまったんです。
『ここまで来たのに何してんのー』という感じで、私はその子に殴る蹴るとうような勢いで向かっていきました。そしたらその子が、私にやり返してきたんですね。『なんや、こんな元気がまだ残ってるやん』と言ったら、その子は急に我に返ったようにスーと走り出したんです。すごいスピードで。
結局その子は関門規制にもかからず完走しました。私はそこからバスで帰ったのに・・・。
それから3年後の秋、彼から突然電話がかかってきました。『先生、いびがわマラソン完走したよ。先生の力を借りずに走れたよ』って。それを聞いてどんなにうれしかったことか・・・。
その子が、もうすぐ結婚することになったんです。
津田君、前に出てきて。」
「実は、津田君には内緒でフィアンセにもここに来てもらってます。」
(会場、どよめき。)
先生が牧師さんの代わりをされて、人前結婚式。
その前の先生のお話の中で、「先生の力を借りずにできた」と言われてうれしかったというのがよかった。教師をしていると、ついつい自分を慕って頼りにしてくれる子ばかりに目が行きがちになる。でも、ほんとうは「一人でできるようになりました」と言ってくれる子の存在こそ喜ばなければならない。親子関係も同じですね。むずかしいですけどね。
会場のみんなでお祝いの歌。
こんなかわいくて、みんなで祝福できる結婚式の場にいられて本当によかった。
明日、津田さんは張り切って走られるだろう。ゴールには彼女が待っているのかな。
でも、張り切り具合ではおっちゃんも負けへんでー。
(注) この記事内の写真、記述に関しては、ご本人と関係者の了承を得ています。
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2011年06月12日(日)
第19回みかた残酷マラソン [ランニング・出張販売]
「ボクね、人間に見えるかも知れませんけど、実はさるなんです。」
「えっ・・・。」
うちの息子と同じ名前の廉君。美人お母さんと弟の暖(だん)君もお借りして「ニセほんわか家族」。なかなかいい感じです。
写真をブログに載せさせてもらうために、私の名刺をお渡しした。つい先日作ったばかりの新名刺。お渡しした第一号が感じのいい方でよかった。
でも、廉君、あとでお母さんに聞いてへんかなあ。
「あのおっちゃん、ほんまにさるなん?」
朝5時半起き。
スキー場から見た下界は雲海の中。
雨でがけ崩れがあったらしい。みかた残酷マラソンの宿泊者のために、道路を何とか通れるようにしてくださったらしい。
前日は午後3時くらいから雨という予報だったのに、今日はそれが午後1時に早まっていた。これは、片付けに入るタイミングがむずかしい。
「あっ、野村泰子さんですよね。」
「そうです。」
野村泰子さんは、去年の「三瓶高原クロスカントリー」の8kmで男性に混じって入賞されたつわもの。
かわいいかわいいワンちゃんは、「りゅう・オス・4歳」。
レース中は車の中でおとなしく待っているらしい。
「私ら、実行委員長の久保井さんと高校の同級生なんです。」
「ということは、私とも同い年っていうことですね。」
(左から)山根さんと黒田さん。山根さんは、「みかた残酷」初挑戦だそうです。
昨日、「れん、ダメ!」とか大きな声で言ってられたお母さん。そのあとお父さんと廉君が店の前を通られたたので、ちょっとしゃべらせてもらった。
「うちの子といっしょの名前です。どんな字ですか。」
「瀧廉太郎の廉です。」
「おー、字もいっしょですわ。廉君、大物になるで。」
朝、お母さんと廉君と弟君を見かけたのでいっしょに写真を撮らせてもらった。
弟君の名前は暖(だん)君。そっかー、それでお父さんの所属チーム名が「チーム暖廉」やったんや。(暖君が廉君の影に隠れてしまってよく分からないけれど、私の顔をしっかり見てますよね。)
今日はかわいいワンちゃんにはあんまり会えへんかったけど、美人お母さんとかわいい子どもたちといっしょにいい写真が撮れたから、よし!
朝早くから、実行委員長・久保井さんは大いそがし。
私は、前後に「宵々山コンサート」の手作り宣伝チラシをつけてスタート。
スタート地点に向かうと、途中に「B’z」。
スタート地点には、もうランナーがぎっしり。
しかし、ほかの大会のようなピリピリしたフンイキはない。
スタート地点のほぼ最後尾で、「ランナーズ9の会」の先輩・かわせみさんと記念撮影。
来年こそメンバーを募って、「ランナーズ9の会」で団体出場しましょうね。
スタートからしばらくはゆるやかな下り。
後ろのほうのランナーも、みんなにこやか。
9時ちょうど、高石ともやさんの笑顔に見送られなごやかなスタート。
昨日の前夜祭で、一躍時の人となった津田さん。
スタート前に少ししゃべらせてもらったが、いつもニコニコいい感じ。ただし、なんぼ追いかけても追いつけなかった。
「若い!」
「あのー、スタート前にちょっと声をかけさせてもらった者ですけど・・・。」
「えっ、私にですか?」
「いや、どなたかは覚えてないんですがピンクのTシャツのグループの方に・・・。すごくめだってたんで。」
「そうでしたか。」
「なんか、高校の同級性の集まりやって聞いたんですけど・・・。」
「そうなんですよ。2年前の同窓会の時にみんなで出ようということになって。今年は36人中9人の参加です。」
「いやー、それはうらやましい。みなさん52歳ですってね。楽しんで走ってくださいね。」
「はい、ありがとうございます。」
52歳ということは、高校卒業は34年前。大阪の高津高校という高校だが、きっとみんな仲のいい高校だったんでしょうね。
最初の3kmはゆるやかな下り、そこから逆方向に進路が変わるとゆるやかな上りが始まる。
特養こぶし園前。
毎年写真を撮らせてもらっています。
応援、ありがとうございます。
5km地点、26分50秒。
先週の「たたらぎダム湖」の最後の急な下り坂で痛めた右足アキレス腱が、しみしみと痛い。でも、その割にはいい通過タイム。スタート直後、津田さんを追っかけたのがよかったのかな。
6km手前の給水所で、「谷山荘」の美人若奥様発見。
今年はお願いして、私といっしょの写真に入ってもらった。あとで、「誰かに似てるなあ・・・」と思ったら、うーん「娘のまーさ」(フジテレビアナウンサー)。
スタート地点にもおられたケーキ美人さん。
あとで聞くと、ヨメさんもこの方としゃべったらしい。本当は出場予定だったが故障で断念され、応援に専念されたようだ。
こちら恒例、地元高校吹奏楽部。
鳴りものの応援は、本当に元気がわいてくる。
下を見たら、ありさんの行列みたい。
こんなとこ走ってますにゃわ。
こいのぼりとシャワーと高石ともやさんの歌声がセット。
ここらで8.5kmほどなので、もう全体の3分の1は超えている。49分くらいということは、ゴール2時間25分くらい行けますかね。
私のランシャツの前後に「宵々山コンサート」の宣伝を書いておいたのだが、さっきから私のまわりのメンバーがほとんど変わっていない。多くの人に見てもらってこその値打ちなのに、これではちょっと宣伝効果薄かも・・・。
「みなさーん、7月10日は、ぜひ京都円山公園へ!」
10km地点、なななんと1時間00分00秒。
「ピッタリ賞ですやん!」
コース最高地点(604.7m)の吉滝キャンプ場へ。
その手前で、下って来る久保井さんの息子さんに会ってビックリ。ますますはよなっとるがなー。でも、どう見ても前より太っているような・・・。
頂上手前で、「キャロットさん、抜かれてしもうたわー」と呼ぶ声。振り返ると、岡山の海部さん。
でも抜いたのはこの一瞬だけで、私が頂上でオレンジをパクついているうちにどどどっと駆け降りていかれた。
「ああ、なんと元気な70代!」
毎年撮っている頂上から見下ろした写真。
今年は広角にして、右側の下りていく道も入れてみました。
レース中にずっと声を出し続けておられたランナー。お連れの女性に声をかけておられるものだと思っていたら、それ以外のランナーにも(もちろん私にも)声をかけ続けておられた。
「写真撮らせてください。今日一番元気なランナーって、ブログに書いときますわ。」
15km地点、1時間29分01秒。
速いのか遅いのか、よう分からん。でも残り9kmやし、平均キロ6分で行けたらゴールは2時間23分くらいかなあ。
16.5km付近の栃もちエイド。
これは一般の家庭が提供してくださっているように見えたのだが・・・、すごい数。私も1個いただきました。うまかったー。
この17km地点からの上り坂が、またきついんだー。
そんで、その先の18km手前からじゃり道ですわ。
だいぶひょろけとった人がおったなあ。
じゃり道が終わりそうなところで、下からガッシガッシと登ってくるゴリラ・・・、じゃなくて久保井さん。元気あまってます。
息子さんが速くてビックリしたと言ったら、今やハーフまでなら久保井さんも歯が立たないらしい。お仲間ができていっしょに走ったりしているとのこと。でも、甘いものが大好きでないしょでよく食べているらしい。そんであんなにでかいんかー、ふむふむ。
久保井さんは、田んぼのあぜ道みたいな急坂(私は地獄坂と呼んでいる)をすっすっと上って行き、姿が見えなくなった。
20km地点、2時間01分08秒。
ほとんど上りの最初の10kmより、この10kmのほうが1分遅いやん。
たぶん、下りになると右アキレス腱が痛みだして、思うように走れへんからやろうね。
20kmすぎからの4kmも、ちょっと行っては上り、また下りでしんどいことはしんどい。でも、ところどころ応援があり、景色もずいぶん変わって走りやすい。
ゴールちょっと手前の「京都キャロット」出店テントで、ヨメさんにカメラを渡し逆走。改めて写真撮影用ラン。今年は連写です。
まあ、オッサンのランニングフォーム見て何になんのって話ですけど・・・。
(ますみちゃん、撮影ありがとう。)
ゴール50m手前に久保井さん。
これは写真を撮らねばと思いシャッターを押すも、写っていたのは久保井さんの足と私のシューズ。なにしてんだか。
24kmのゴールは、2時間21分50秒。
去年より3分ほど速かったみたい。
でも、久保井さんの息子さんに12分、岡山の海部さんに3分離されていた。ここらあたりが次の目標ですかね。
天気予報より早く、12時ごろから雨がぱらつきだした。急いで後片づけ。
「ゴールしてから見に行きます」とおっしゃってくださっていた方もあったのだが、商品をいためてしまうわけにはいかず・・・。
バタバタしながら後片づけをしている最中に、「ランナーズ9の会」のかわせみさんはゴールしてしまわれた(3時間2分)。写真が撮れなくて、ごめんなさい。
仮装さんご一行のゴール。これは見ごたえがあった。
「B’z」も帰ってきた。歌いながらなのに、けっこう速い(ここで3時間18分)。
ヨメさんは、「サロマ50kmが終わったら、当分レースに出る気はない」と言っていたのに、「みかた残酷」は出てみたいと言う。確かにね、この大会にはほかの大会にない魅力がある。
でも、前夜祭で「来年の20回記念大会は、前のコースと今のコースをひっつけて42kmのコースにしてほしい」という要望が出ていた。
「ヨメさん、それでも出たいって言うかなあ・・・。」
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2011年06月11日(土)
第19回みかた残酷マラソン・前日受付 [ランニング・出張販売]
今日は、「みかた残酷マラソン」の前日受付。
雨なら、店は出さずに夕方5時からの前夜祭に出ようと思っていた。でも、昼から雨はやむらしい。がんばって仕事をしなければ・・・。
高石ともやさんのコンサートは、7月10日の「宵々山コンサート」まで楽しみに取っておくことにしよう。今まで一度も参加したことはないのだが、最後ということなので見に行こうと思っている。
明日は、ナンバーカードの下に特製「宵々山コンサート」手作りチラシをつけて走る予定。どうか、「宵々山コンサート」が盛り上がりますように・・・。
(注)帰ってから、写真と記事を付け足します。
会場に着いたのは1時過ぎ。前日受付は1時からなので、こんな出足の悪いことはめずらしい。
ここは早く着いても遊びに行くところもないので、皆さん受付にもそんなに早くはこられない。これくらいでちょうどいいくらい。
案の定、受付はひっそりしていた。
高石ともやさんの「宵々山コンサート』の宣伝もしてっと・・・。
会場は準備万端。
あとは、明日天気がもってくれることを祈るのみ。
5時から高石ともやさんのコンサートなので、もうほとんどお客様は来られない。
私も、前夜祭会場「おじろドーム」へ。
例年通りのすごい熱気。
サプライズも飛び出して・・・(このについては、別に記載。)
後片づけが終わると、山の上のスキー場へ。
スキー場の中にある「谷山荘」さんは、目が飛び出るほどのたくさんのお料理なのに、目が飛び出るほどお安くしていただいている。
うちのヨメさんのうれしそうな顔を見てください。
「この写真はブログに載せたらあかんわなあ」と言っても何にも言わんかったから、載せてもいいんでしょうね。
「ああ、こわ!」
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2011年06月10日(金)
布や音に忠誠を誓う? [時事]
◎毎日新聞6月10日朝刊
記者の目:唐突な大阪府「君が代起立条例」成立=田中博子
大阪府議会で3日、教職員に君が代斉唱時の起立を義務付ける条例が成立した。橋下徹知事が代表を務める首長政党「大阪維新の会」が他党の抵抗を押し切り、わずか2日の審議で可決させた。個人の思想や歴史観にもかかわる問題なのに、あまりにも性急で乱暴な経緯をたどったと感じる人も少なくない。この問題を取材し、時間をかけた丁寧な議論が必要だと感じた。
◇知事が突然発案
条例制定のきっかけは、橋下知事が5月初め、今春の入学式で起立しなかった教諭に関する新聞記事を読んだことだった。府立高校で38人いたことを知って激怒し、維新の会の幹部に条例案の作成を促した。条例案は同会府議団の議員提案として提出されたが、事実上は知事の発案によるものだった。
知事は府議会で、学校の組織マネジメントの必要性を訴え、起立しない教員を「自由横暴きわまりない」と厳しく批判。条例によって「組織の命令に従わない教員をたたき直す」と主張した。
条例案は6月2日の委員会、3日の本会議で審議され、他党からは「条例案は拙速に出てきた。反対の意見もしっかり聞くべきだ」と丁寧な議論を求める意見が相次いだ。しかし、維新側は「政治のスピード感の違い。十分丁寧に説明している」と採決を主張し、条例を成立させた。その強引なやり方に、私は驚きを通り越して恐れすら感じた。
99年に国旗・国歌法が成立した後も、起立しない教師の処分は慎重にされてきた歴史がある。大阪府教委は02年に日の丸掲揚と起立斉唱を文書で指示した。しかし、09年度卒業式で初めて職務命令違反による戒告処分を出すまでは、厳重注意にとどめていた。思想・良心の自由にかかわる問題だからこそ、慎重な対応が取られてきたのだ。府教委内でも「条例で従わせるより、粘り強く指導すべきだ」という意見が強い。
条例案提出の動きを受けて私は5月下旬、ある府立高校の男性教諭を取材した。学校の君が代斉唱では、一度も起立したことがないという。教諭は「私も人間なんです。内心はいつも揺れ動いています」と心情を語った。理想に凝り固まった人物を想像していただけに、意外な感じがした。
◇悩みながら拒否
教職30年のベテラン。小柄で表情は柔らかく、丁寧に言葉を選ぶ話し方が誠実な人柄を感じさせる。99年以降、君が代斉唱が学校行事で一律実施されるようになったのを機に、君が代について学び直した。日の丸・君が代が国民を戦争に駆り立てる役割も果たした歴史を再認識し、学校で起立斉唱することへの抵抗感を拭えなかったという。
校長は「仕方ないから立って」と促すばかり。職員会議で起立斉唱が議題に上がると、黙っていた方が楽だと思いながらも「起立の押し付けはおかしい」とあえて発言してきた。それを聞き、君が代に関する歴史を勉強した後輩教師もいる。「僕も直接には戦争を知らないが、若い人はもっと知らない。だからこそこの問題を知ってほしいし、知るべきだ」と教諭は言葉に力を込めた。
だが条例成立を受け、次の卒業式でどうするかは決めかねている。「私にも家族がいて生活がある。でも簡単に捨てられるほど軽い信念ではない」。教諭はそう言ったまま無言でうつむいた。
66年前の戦争の記憶はどんどん遠ざかる。五輪やサッカー・ワールドカップでも君が代が流れ、若い世代には国歌として自然に受け入れられているのかもしれない。私も学生時代は抵抗なく起立斉唱してきた。だが歴史観は人によって大きく異なる。
◇選挙公約になし
4月の統一地方選で大勝した維新の会は「府民の意思」を盾に、起立しない教員の排除をもくろむ。だが君が代関連の条例は、選挙公約になく、選挙の争点にもなっていなかった。同会は「条例は(公約に掲げた)公務員改革」と説明するが、府民が真っ先に期待する改革がこの問題だとは到底思えない。
橋下知事は9月議会で、公務員の処分基準を定める条例案を提出し、不起立を繰り返す教員には免職処分まで盛り込む方針を示している。個人の思想にかかわる問題を、知事の強い指揮の下、条例や厳しい処分で片付けることが本当に民主的なのだろうか。
大阪は在日韓国・朝鮮人らマイノリティーの人々が多く暮らす地域性もあり、雑多で自由な空気が魅力の一つだと私は思ってきた。その大阪で、さまざまな考えを学び合うはずの学校が、一つの型にはめ込まれようとしている。子どもの将来を思うと、取り返しのつかない道を進んでいる気がしてならない。
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今まで「思想信条の自由」など意識したことがない。それだけ日本がいい国だということだと思う。
しかし、ただの印をつけた布と、よく理解できない歌詞がついた歌を何よりも大事にしろと言われても・・・。
1986年の冬、突然上から「卒業式に日の丸・君が代を入れろ」と命じられた京都の校長先生方はどんな気持ちだったのだろう。どんな脅しがあったのかどなたも教えてはくださらないが、一夜にしてオセロゲームのように全員白から黒に変わってしまった。今までご自身が言って来られたこととの整合性を保つため、みなさんマニュアル通りのような言葉を述べ始められた。この事実こそ恐ろしい。
「京都中の校長先生が、遠隔操作されているロボットになってしまった」と怖くなった。
戦前の奉安殿でもあるまいに、子どもの命よりあの布(旗)や音(歌)が大事なのでしょうか。(実際、戦前には火災から御真影を守ろうとして殉職された校長先生もおられたようです。)
毎日新聞の田中博子記者も、よく調べていい記事を書いておられると思います。ただし、「何が何でも日の丸・君が代推進派」の意見が取材できていない。私も知りたいです。なんでただの布や音に血まなこになれるのかを。それが分かれば対話も可能。そんな布や音のために、不毛な対立で時間と労力を奪われるのはもったいない。
私は、あれは踏み絵的(今は「絵踏み」と言うらしい)に使われようとしてるのかと思う。
「上からの命令で、ただの布と音にどこまで忠誠を誓えるか」
あなたはどこまでロボット化に耐えうるか。そのリトマス紙に使われているとしたら、あの旗と歌も気の毒な気がします。
あの旗と歌が日本中に強制されたら、誰が喜び、だれを幸せにするのか、それを調べて記事にしてほしいです。
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2011年06月09日(木)
第21回9の日平和ラン [ランニング]
「ますみちゃん、いっしょに走ろうか。」
「なにー。」
「今日は9の日やし、走らなあかんね。」
「そんなん知らんわ。いっしょに走って、仲ええと思われたらかなん。」
「なんちゅうことゆうねん!」
「いっしょの写真撮らんかったらええやろ」ということで、私ときくの写真。
きくは、なんか知らんうれしくなっている。
家を出たのが、9時49分。
まずは、長代川沿いの道へ。
きくはいつもとフンイキがちがうので、走る走る。
頼光橋あたりから、まっすぐな道へ。
「中島商会」さん前の交差点を右折、円通寺へ。
円通寺前で約1.5km、11分。
帰り道で、きくはちょっとあきてきたかな。
なななんと、ヨメさんにむかって「ガウガウガウ・・・。」
「きく、それはあかんて・・・。」
「しゅ、しゅんません。」
家に到着。約3km、22分。
途中2回の「きくのう○○ひろい」を含めた時間なので、まあまあのペースで走ったことになる。
「さあ、もう5km走ろかー。」
「えー、今から?」
「今から走ってちょうどええくらいやん。」
「キロ8分ペースでええか。」
ということで、私がよく使っていた「コーナン往復5kmコース」。サロマ攻略法などを話しながら・・・。
1kmごとの地点が見事に7分ちょうどくらい。帰りはゆるく上っているのに最後まで7分ペースがくずれなかった。ヨメさんは少しずつでも毎日走っているので、同じペースで走るのがうまくなった。
反対に私は「ハアハア、ハアハア」。最近週に1回も走っていない。これではあかんね。
家に到着。きっちり35分。
サロマの最初もこのキロ7分ペースで走れたら、後半が楽になるんやけど・・・。練習できるのはあと2週間。気持ちよくスタートラインに立てたらいいんですが・・・。
私はこの後1kmジョグをプラスして、ちょうど9km。
「9の日平和ラン」らしく、ゆったりと9km走ることができました。
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2011年06月08日(水)
「ヘヴンズストーリー」 [映画]
◎goo映画より
作品解説・紹介 - ヘヴンズ ストーリー
家族を殺された幼い娘、妻子を殺された若い夫、復讐代行を副業にする警官、理由なき殺人を犯した青年、その青年と家族になろうとする女性――彼らを中心に、20人以上の登場人物が、複数の殺人事件をきっかけに繋がっていくストーリー。ピンク映画出身で、インディーズ映画から大作までを幅広く手掛ける鬼才、瀬々敬久監督が、復讐と再生をテーマに全9章(4時間38分!)からなる物語を丁寧につづっている。 忍成修吾や村上淳、長谷川朝晴をはじめ、佐藤浩市、柄本明、吹越満ら豪華な顔ぶれが繊細かつ迫真の演技を披露する。これまでも現実に起こった事件にインスパイアされてきた瀬々監督が、「罪と罰」というべきテーマに挑んだ集大成的力作だ。
■解説 - ヘヴンズ ストーリー
殺人事件をきっかけにつながりあう20人以上の人々の姿を通して、復讐と再生を描くドラマ。全9章、上映時間4時間半を超える大作。監督は「ドキュメンタリー頭脳警察」など、ピンク映画からメジャー作品まで幅広く手掛ける瀬々敬久。出演は「掌の小説」の寉岡萌希、「ハッピーフライト」の長谷川朝晴、「必死剣鳥刺し」の村上淳。
■あらすじ - ヘヴンズ ストーリー
少女サト(本多叶奈)が8歳の夏。友達と海水浴に出かけている最中、家族が何者かによって殺害される。1人残されたサトは、祖父ソウイチ(柄本明)に引き取られることに。事件の日からオシッコが出なくなったサトは、テレビで“法律が許しても、僕がこの手で犯人を殺してやります”と言い放つ男を目にする。それは、妻子を殺された鍵屋のトモキ(長谷川朝晴)だった。その日から、トモキはサトにとってヒーローとなる……。
1人息子を育てている警官のカイジマ(村上淳)は他人には言えない副業をしている。関東では桜の季節、しかし東北の鉱山跡はまだ雪。カイジマは雪の中で仕事をこなした。戻ったカイジマは花見をしながら息子に土産を渡すが……。
バンドでギターを弾いている22歳のタエ(菜葉菜)。父親の暴力のせいで片耳が聞こえず、孤独な彼女は、雨の日、トモキと知り合う。少し暗い影を持つ彼にタエは惹かれる……。
ある船着場。16歳になったサト(寉岡萌希)が降り立つ。そこは、彼女のヒーロー、トモキが住む町だった。セミのぬけ殻を“虫の死体”と呼ぶ少年の自転車を強引に借りたサトは、トモキを探す。こうして、復讐が始まろうとしていた……。
若年性アルツハイマーと診断された人形作家の恭子(山崎ハコ)。ある日、恭子は病院のテレビで、理由なく殺人を犯した少年の言葉を知る。“これから生まれてくる人間にも、僕のことを覚えていてほしい”。やがて落葉が舞う季節となり、彼女に変化が訪れる……。
夏、かつて“雲上の楽園”と呼ばれ、カイジマも訪れた東北の鉱山跡の廃墟を2人の男女が訪れる。あれから8年、そして悲劇が訪れる……。
サトはヒーローとともに、彼の住む町にいた。彼はすでにヒーローではなかったが、それでもサトは彼が好きだった。
事件から10年が経過。季節外れの雪が舞う紅葉の山中を走るバス。その中には、すでに亡くなった姉の年齢を追い越したサトが乗っていた……。
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この映画を見ようと思った理由。
1.山崎ハコが出ている。
山崎ハコといえば「白い花」。私の青春時代の名曲としてすぐに出てくる曲。私もフアンでした。
「私の目の前の白い花 人目にもつかず咲いているけれど・・・」
そんな人が15年くらい前だったろうか、「どんとこい、どんとこい、どんとこいよー」とNHKの「みんなの唄」で歌っていてびっくりこいた(曲名思い出せず)。華麗なる大変身(?)。
そして、今回映画への出演。これは見ないわけに行かない。
2.休憩10分を含めると4時間48分の長編映画。
もう、それだけで見たくなる。
長い映画といえば「愛のむき出し」。見る前は心配だったが、実際に見たらおもしろくて全然長くは感じなかった。映画ってそんなもんですね。
「京都シネマ」に着いたのは上映15分前。それでも私がもらった券は24番だった。結局最終30人くらいでしょうか。いつもより男性の比率が高いような感じだった。
「愛のむきだし」は、初めから終わりまで満島ひかりとAAAのニッシーを中心にした話だった。ところがこの「へヴンズストーリー」は中心人物と言えそうな人がいっぱい。
最初に、「冷たい熱帯魚」の吹越満が出てきたのにはまいった。もうそれだけであの映画を思い出してしまった。早くも異様なフンイキ。
30分くらいに区切られたいくつもの話が展開していく。2時間ほどで前半終了。疲れもしなかったが、それほどおもしろくもなかった。
10分の休憩後、後半。
お目当ての山崎ハコさん登場。若年性アルツハイマー症の役を演じてられた。この演技については評価の分かれるところだろう。
私は、その役・恭子さんの表情がまるで校長を退職された女性のように見えた。だから・・・、名演技だったと言っていいのかな。
パンフレットがなかったので、帰ってからパソコンでこの映画について調べてみた。その中で瀬々監督と「トモキ」役の長谷川朝晴の対談があった。監督が山崎ハコについて語っているところ。
恭子役の山崎ハコさんはどういう経緯で?
瀬々:高校生のとき初めて作った映画に、ハコさんの「飛・び・ま・す」を勝手に付けたんですよ。当時から好きだったんです。好きって人前ではあまり言えなかったですけど。山崎ハコが好きな男子高校生なんて、嫌いでしょ(笑)。今回お願いしようと思って、ハコさんが時々ライブをやってた阿佐ヶ谷にある「あるぽらん」っていう飲み屋のマスターに連絡先を聞いて、青山のカフェで会ったんです。そこで出演交渉して、すごい緊張しましたね。憧れの人ですから。ハコさんは舞台経験はあって、撮影に入ったころは、表現をどうしても表に出そうとされるんで、「いや、もうハコさん、いるだけでいいです。思ってくれれば映像に映りますから」って言ったんです。やっぱりアーティストだから、勘がいいというか、映画って違うんだなとハコさんは思われたのでしょう。それからは完璧にただいるだけの存在として、演じられた。ハコさんがいると背景が見えてくるじゃないですか。背負っている風景というか人生というか。それがやっぱりいわゆる役者さんとは違う感じがしますね。
私が感心したのは、山崎ハコを引き立たせた忍成修吾の演技。これがすごかった。まえから好きやったけど、ますます好きになった。あのあやしい目、いいねー。
立ちすくんでいる時の顔は、「嵐」の松潤に似ていた。ただ、そこから漂うフンイキは独特のもの。代わりが見つからない役者といっていいでしょう。
4時間半を超える映画なので、もっとゆっくりと時間が進むと思っていたのに意外とせわしなかった。山崎ハコと忍成修吾を中心にして5時間やってもよかったように思う。
まあ、ほかの登場人物もそれなりにおもしろかったですけど・・・。佐藤浩市とかね。
私の結論。
「へヴン(天国)て何? 殺し合いをしている時に生まれた子? 腑に落ちんなあ。」
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