パオパオだより

2011年06月21日(火)

おかしくばり [雑用]

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 「おかしくばり」と言っても、2ヶ所だけ。小谷屋のおばさんとうちの父。

 「SAIKOロードレース」の帰りに「田子の月」さんに寄り、銘菓「富士山頂」を買って帰るのがパターンになった。
 「小谷屋のおばさん」は、私の同級生のお母さん。長い間、うちのいなか唯一の旅館の女将さんをされていた。以前、父に持って行くついでにちょっとだけおみやげを持っていった。そのときにすごく喜んでくださって、それ以来この「おかしくばり」を続けている。 

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 花背峠を越える時、ふと下界を見たくなった。
 私が中学くらいまでは花背峠の近くからも見えたのだが、杉が大きく育って今はもう見えない。これは赤い鉄塔の近くまで行くしかない。

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 「見えましたー。」
 でも、この見えてるのはどこらへんなんやろう。 

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 この赤い鉄塔の下は、私が百井分校に勤めていたとき毎年写生会に来ていたところ。

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 ここらからは、滋賀県のびわ湖も見える。

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 花背別所町のちょうど真ん中らへんに、小谷屋さんがある。
 「おばさーん、また富士山のおみやげちょっとだけ持って来ました。」
 「いや、こうじさん、いっつもすんません。」
 「いやいや、そんなたいそうなもんちゃいます。ついでゆうたら悪いですけど、おじいさんに持ってくるついでですわ。」

 よく見たら、おばさんの横によりちゃんが!? 
 「いやー、久しぶり。帰ってんにゃ。」
 「うん。」
 まあ、ここはあまり深追いせず・・・。

 「おばさん、大そうじですか。」
 「いやな、アニキが帰って来てくれたし、戸を夏用に変えてんにゃー。」
 「そうですか・・・。僕らのクラス会も小谷屋さんでできたら一番よかったんですけどねえ。」
 「こうじさん、そんなもん、もう家の中もむちゃくちゃやし。」
 「今年も雪でだいぶやられましたか。」
 「そや。雪下ろししてくれるのはええんやけど、おっきい男が古い屋根の上で動くさかい、雨漏りがえらいことやね。」
 「そらえらいことですねえ。」

 「こうじさん、あんたとこのおじいさんは優三さんもいるし、多鶴子さんも別所に家建てるらしい、こうじさんもいるし、ゆうことなしやで。」
 「ほんまにねえ。これでおかちゃんがもう10年ほど長生きしとったらねえ・・・。」
 「そうや、それだけがなあ。こうじさん、あんた、お母さんが死なはったら、すぐ先生やめてしもて・・・。」
 「いや、よう知ってはりますやん。おかちゃんが1月に死んで、その2ヵ月後にやめましてん。」
 「こわいもんがおらんようになって、自分したいようにしたんやろう。おばさんは何でも知ってるでー。」
 「まいりました。そやそや、ちょうど1年前に撮らしてもろたおばさんの写真、持って来ました。べっぴんさんに撮れてまっせー。」
 「いやー、ほんまにきれいなこと。」 

 

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去年6月の写真

 こんな話を、横でよりちゃんはニコニコしながら聞いていた。
 来年の夏に、またクラス会をやる予定。今度は来てやー。

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 うちの家によると、草がだいぶボーボーになっていた。
 また、草刈りせんなんなあ。

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 次に、おじいさん(私の父)の家へ。

 「お菓子、おばあさんにお供えしょうかなあとおもたけど、賞味期限がもうすぐやしやめとくわ。」
 「すぐ下げるさけ、どうもない。供えとき。」 
 「はい。」

 「こうじ、こないだ、かんすけのさだひろが来たど。こうじさんがどうのこうのゆうさけ、なんで知っとんねーて聞いたら、お前の書いとるもん読んどるらしいなあ。」
 「ああ、そうやねん。」
 「まあ、さだひろにはびっくりしたわ。一番太い時は110kgあったんやてえ。」
 「えー、そうか。小学校の低学年のときからおうてへんし、今おうても分からへんやろなあ。」
 「そうや。うちに半日ほどおったなあ。昔の話ばっかりぎょうさん聞いて帰ったわ。」
 「別所のこと、いろいろ調べとるみたいやで。そら、そうゆうもんもおらんと。おじいさんの知っとること、全部教えたりいな。」
 「おお。」

 「ボクはな、さだひろ君に、別所は藤井と物部ばっかりやのに、なんで山本と辻が1軒ずつあんのか調べてくれゆうといてん。」
 「ほー。うちの藤井は分かっとるで。明治の日清戦争の時に、長男は戦争に行かんでよかったさけ、みんな藤井にして分からんようにしたらしい。うちは当時のお金で60円出して、藤井の名字をこうたんやで。おじいさんのおじいさんのその前までは、荻原ゆう名字やったんや。」
 
 はー、そしたら、私のほんまの名前は「荻原廣司」ですか。年寄りとしゃべったらいろんなことが分かっておもしろい。
 さだひろ君、またうちのおじいさんの話し相手になったってや。

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 小谷屋のおばさん81歳、私の父89歳。
 来年の「おかしくばり」の時にも、いろいろとお話しましょうね。

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