パオパオだより

2011年06月10日(金)

布や音に忠誠を誓う? [時事]

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◎毎日新聞6月10日朝刊

 記者の目:唐突な大阪府「君が代起立条例」成立=田中博子

 大阪府議会で3日、教職員に君が代斉唱時の起立を義務付ける条例が成立した。橋下徹知事が代表を務める首長政党「大阪維新の会」が他党の抵抗を押し切り、わずか2日の審議で可決させた。個人の思想や歴史観にもかかわる問題なのに、あまりにも性急で乱暴な経緯をたどったと感じる人も少なくない。この問題を取材し、時間をかけた丁寧な議論が必要だと感じた。

 ◇知事が突然発案
 条例制定のきっかけは、橋下知事が5月初め、今春の入学式で起立しなかった教諭に関する新聞記事を読んだことだった。府立高校で38人いたことを知って激怒し、維新の会の幹部に条例案の作成を促した。条例案は同会府議団の議員提案として提出されたが、事実上は知事の発案によるものだった。

 知事は府議会で、学校の組織マネジメントの必要性を訴え、起立しない教員を「自由横暴きわまりない」と厳しく批判。条例によって「組織の命令に従わない教員をたたき直す」と主張した。

 条例案は6月2日の委員会、3日の本会議で審議され、他党からは「条例案は拙速に出てきた。反対の意見もしっかり聞くべきだ」と丁寧な議論を求める意見が相次いだ。しかし、維新側は「政治のスピード感の違い。十分丁寧に説明している」と採決を主張し、条例を成立させた。その強引なやり方に、私は驚きを通り越して恐れすら感じた。

 99年に国旗・国歌法が成立した後も、起立しない教師の処分は慎重にされてきた歴史がある。大阪府教委は02年に日の丸掲揚と起立斉唱を文書で指示した。しかし、09年度卒業式で初めて職務命令違反による戒告処分を出すまでは、厳重注意にとどめていた。思想・良心の自由にかかわる問題だからこそ、慎重な対応が取られてきたのだ。府教委内でも「条例で従わせるより、粘り強く指導すべきだ」という意見が強い。

 条例案提出の動きを受けて私は5月下旬、ある府立高校の男性教諭を取材した。学校の君が代斉唱では、一度も起立したことがないという。教諭は「私も人間なんです。内心はいつも揺れ動いています」と心情を語った。理想に凝り固まった人物を想像していただけに、意外な感じがした。

 ◇悩みながら拒否
 教職30年のベテラン。小柄で表情は柔らかく、丁寧に言葉を選ぶ話し方が誠実な人柄を感じさせる。99年以降、君が代斉唱が学校行事で一律実施されるようになったのを機に、君が代について学び直した。日の丸・君が代が国民を戦争に駆り立てる役割も果たした歴史を再認識し、学校で起立斉唱することへの抵抗感を拭えなかったという。

 校長は「仕方ないから立って」と促すばかり。職員会議で起立斉唱が議題に上がると、黙っていた方が楽だと思いながらも「起立の押し付けはおかしい」とあえて発言してきた。それを聞き、君が代に関する歴史を勉強した後輩教師もいる。「僕も直接には戦争を知らないが、若い人はもっと知らない。だからこそこの問題を知ってほしいし、知るべきだ」と教諭は言葉に力を込めた。

 だが条例成立を受け、次の卒業式でどうするかは決めかねている。「私にも家族がいて生活がある。でも簡単に捨てられるほど軽い信念ではない」。教諭はそう言ったまま無言でうつむいた。

 66年前の戦争の記憶はどんどん遠ざかる。五輪やサッカー・ワールドカップでも君が代が流れ、若い世代には国歌として自然に受け入れられているのかもしれない。私も学生時代は抵抗なく起立斉唱してきた。だが歴史観は人によって大きく異なる。

 ◇選挙公約になし
 4月の統一地方選で大勝した維新の会は「府民の意思」を盾に、起立しない教員の排除をもくろむ。だが君が代関連の条例は、選挙公約になく、選挙の争点にもなっていなかった。同会は「条例は(公約に掲げた)公務員改革」と説明するが、府民が真っ先に期待する改革がこの問題だとは到底思えない。

 橋下知事は9月議会で、公務員の処分基準を定める条例案を提出し、不起立を繰り返す教員には免職処分まで盛り込む方針を示している。個人の思想にかかわる問題を、知事の強い指揮の下、条例や厳しい処分で片付けることが本当に民主的なのだろうか。

 大阪は在日韓国・朝鮮人らマイノリティーの人々が多く暮らす地域性もあり、雑多で自由な空気が魅力の一つだと私は思ってきた。その大阪で、さまざまな考えを学び合うはずの学校が、一つの型にはめ込まれようとしている。子どもの将来を思うと、取り返しのつかない道を進んでいる気がしてならない。

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 今まで「思想信条の自由」など意識したことがない。それだけ日本がいい国だということだと思う。
 しかし、ただの印をつけた布と、よく理解できない歌詞がついた歌を何よりも大事にしろと言われても・・・。
 1986年の冬、突然上から「卒業式に日の丸・君が代を入れろ」と命じられた京都の校長先生方はどんな気持ちだったのだろう。どんな脅しがあったのかどなたも教えてはくださらないが、一夜にしてオセロゲームのように全員白から黒に変わってしまった。今までご自身が言って来られたこととの整合性を保つため、みなさんマニュアル通りのような言葉を述べ始められた。この事実こそ恐ろしい。
 「京都中の校長先生が、遠隔操作されているロボットになってしまった」と怖くなった。

 戦前の奉安殿でもあるまいに、子どもの命よりあの布(旗)や音(歌)が大事なのでしょうか。(実際、戦前には火災から御真影を守ろうとして殉職された校長先生もおられたようです。)

 毎日新聞の田中博子記者も、よく調べていい記事を書いておられると思います。ただし、「何が何でも日の丸・君が代推進派」の意見が取材できていない。私も知りたいです。なんでただの布や音に血まなこになれるのかを。それが分かれば対話も可能。そんな布や音のために、不毛な対立で時間と労力を奪われるのはもったいない。 

 私は、あれは踏み絵的(今は「絵踏み」と言うらしい)に使われようとしてるのかと思う。
 「上からの命令で、ただの布と音にどこまで忠誠を誓えるか」
 
 あなたはどこまでロボット化に耐えうるか。そのリトマス紙に使われているとしたら、あの旗と歌も気の毒な気がします。
 あの旗と歌が日本中に強制されたら、誰が喜び、だれを幸せにするのか、それを調べて記事にしてほしいです。
 

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「きくちゃん、よその花食ったらあかんて・・・」

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2011年06月09日(木)

第21回9の日平和ラン [ランニング]

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 「ますみちゃん、いっしょに走ろうか。」
 「なにー。」
 「今日は9の日やし、走らなあかんね。」
 「そんなん知らんわ。いっしょに走って、仲ええと思われたらかなん。」
 「なんちゅうことゆうねん!」

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 「いっしょの写真撮らんかったらええやろ」ということで、私ときくの写真。
 きくは、なんか知らんうれしくなっている。

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 家を出たのが、9時49分。
 まずは、長代川沿いの道へ。

 きくはいつもとフンイキがちがうので、走る走る。

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 頼光橋あたりから、まっすぐな道へ。

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 「中島商会」さん前の交差点を右折、円通寺へ。

 円通寺前で約1.5km、11分。

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 帰り道で、きくはちょっとあきてきたかな。

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 なななんと、ヨメさんにむかって「ガウガウガウ・・・。」
 「きく、それはあかんて・・・。」

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 「しゅ、しゅんません。」

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 家に到着。約3km、22分。
 途中2回の「きくのう○○ひろい」を含めた時間なので、まあまあのペースで走ったことになる。

 「さあ、もう5km走ろかー。」
 「えー、今から?」
 「今から走ってちょうどええくらいやん。」
 「キロ8分ペースでええか。」

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 ということで、私がよく使っていた「コーナン往復5kmコース」。サロマ攻略法などを話しながら・・・。

 1kmごとの地点が見事に7分ちょうどくらい。帰りはゆるく上っているのに最後まで7分ペースがくずれなかった。ヨメさんは少しずつでも毎日走っているので、同じペースで走るのがうまくなった。
 反対に私は「ハアハア、ハアハア」。最近週に1回も走っていない。これではあかんね。

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 家に到着。きっちり35分。
 サロマの最初もこのキロ7分ペースで走れたら、後半が楽になるんやけど・・・。練習できるのはあと2週間。気持ちよくスタートラインに立てたらいいんですが・・・。

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 私はこの後1kmジョグをプラスして、ちょうど9km。
 「9の日平和ラン」らしく、ゆったりと9km走ることができました。

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2011年06月08日(水)

「ヘヴンズストーリー」 [映画]

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◎goo映画より

作品解説・紹介 - ヘヴンズ ストーリー

 家族を殺された幼い娘、妻子を殺された若い夫、復讐代行を副業にする警官、理由なき殺人を犯した青年、その青年と家族になろうとする女性――彼らを中心に、20人以上の登場人物が、複数の殺人事件をきっかけに繋がっていくストーリー。ピンク映画出身で、インディーズ映画から大作までを幅広く手掛ける鬼才、瀬々敬久監督が、復讐と再生をテーマに全9章(4時間38分!)からなる物語を丁寧につづっている。 忍成修吾や村上淳、長谷川朝晴をはじめ、佐藤浩市、柄本明、吹越満ら豪華な顔ぶれが繊細かつ迫真の演技を披露する。これまでも現実に起こった事件にインスパイアされてきた瀬々監督が、「罪と罰」というべきテーマに挑んだ集大成的力作だ。

■解説 - ヘヴンズ ストーリー
 殺人事件をきっかけにつながりあう20人以上の人々の姿を通して、復讐と再生を描くドラマ。全9章、上映時間4時間半を超える大作。監督は「ドキュメンタリー頭脳警察」など、ピンク映画からメジャー作品まで幅広く手掛ける瀬々敬久。出演は「掌の小説」の寉岡萌希、「ハッピーフライト」の長谷川朝晴、「必死剣鳥刺し」の村上淳。

■あらすじ - ヘヴンズ ストーリー
 少女サト(本多叶奈)が8歳の夏。友達と海水浴に出かけている最中、家族が何者かによって殺害される。1人残されたサトは、祖父ソウイチ(柄本明)に引き取られることに。事件の日からオシッコが出なくなったサトは、テレビで“法律が許しても、僕がこの手で犯人を殺してやります”と言い放つ男を目にする。それは、妻子を殺された鍵屋のトモキ(長谷川朝晴)だった。その日から、トモキはサトにとってヒーローとなる……。
 1人息子を育てている警官のカイジマ(村上淳)は他人には言えない副業をしている。関東では桜の季節、しかし東北の鉱山跡はまだ雪。カイジマは雪の中で仕事をこなした。戻ったカイジマは花見をしながら息子に土産を渡すが……。
 バンドでギターを弾いている22歳のタエ(菜葉菜)。父親の暴力のせいで片耳が聞こえず、孤独な彼女は、雨の日、トモキと知り合う。少し暗い影を持つ彼にタエは惹かれる……。
 ある船着場。16歳になったサト(寉岡萌希)が降り立つ。そこは、彼女のヒーロー、トモキが住む町だった。セミのぬけ殻を“虫の死体”と呼ぶ少年の自転車を強引に借りたサトは、トモキを探す。こうして、復讐が始まろうとしていた……。
 若年性アルツハイマーと診断された人形作家の恭子(山崎ハコ)。ある日、恭子は病院のテレビで、理由なく殺人を犯した少年の言葉を知る。“これから生まれてくる人間にも、僕のことを覚えていてほしい”。やがて落葉が舞う季節となり、彼女に変化が訪れる……。
 夏、かつて“雲上の楽園”と呼ばれ、カイジマも訪れた東北の鉱山跡の廃墟を2人の男女が訪れる。あれから8年、そして悲劇が訪れる……。
 サトはヒーローとともに、彼の住む町にいた。彼はすでにヒーローではなかったが、それでもサトは彼が好きだった。
 事件から10年が経過。季節外れの雪が舞う紅葉の山中を走るバス。その中には、すでに亡くなった姉の年齢を追い越したサトが乗っていた……。
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 この映画を見ようと思った理由。

 1.山崎ハコが出ている。
 山崎ハコといえば「白い花」。私の青春時代の名曲としてすぐに出てくる曲。私もフアンでした。
 「私の目の前の白い花 人目にもつかず咲いているけれど・・・」
 そんな人が15年くらい前だったろうか、「どんとこい、どんとこい、どんとこいよー」とNHKの「みんなの唄」で歌っていてびっくりこいた(曲名思い出せず)。華麗なる大変身(?)。
 そして、今回映画への出演。これは見ないわけに行かない。

 2.休憩10分を含めると4時間48分の長編映画。 
 もう、それだけで見たくなる。
 長い映画といえば「愛のむき出し」。見る前は心配だったが、実際に見たらおもしろくて全然長くは感じなかった。映画ってそんなもんですね。

 
 「京都シネマ」に着いたのは上映15分前。それでも私がもらった券は24番だった。結局最終30人くらいでしょうか。いつもより男性の比率が高いような感じだった。

 「愛のむきだし」は、初めから終わりまで満島ひかりとAAAのニッシーを中心にした話だった。ところがこの「へヴンズストーリー」は中心人物と言えそうな人がいっぱい。
 最初に、「冷たい熱帯魚」の吹越満が出てきたのにはまいった。もうそれだけであの映画を思い出してしまった。早くも異様なフンイキ。
 30分くらいに区切られたいくつもの話が展開していく。2時間ほどで前半終了。疲れもしなかったが、それほどおもしろくもなかった。

 10分の休憩後、後半。
 お目当ての山崎ハコさん登場。若年性アルツハイマー症の役を演じてられた。この演技については評価の分かれるところだろう。
 私は、その役・恭子さんの表情がまるで校長を退職された女性のように見えた。だから・・・、名演技だったと言っていいのかな。

 パンフレットがなかったので、帰ってからパソコンでこの映画について調べてみた。その中で瀬々監督と「トモキ」役の長谷川朝晴の対談があった。監督が山崎ハコについて語っているところ。


 恭子役の山崎ハコさんはどういう経緯で?

瀬々:高校生のとき初めて作った映画に、ハコさんの「飛・び・ま・す」を勝手に付けたんですよ。当時から好きだったんです。好きって人前ではあまり言えなかったですけど。山崎ハコが好きな男子高校生なんて、嫌いでしょ(笑)。今回お願いしようと思って、ハコさんが時々ライブをやってた阿佐ヶ谷にある「あるぽらん」っていう飲み屋のマスターに連絡先を聞いて、青山のカフェで会ったんです。そこで出演交渉して、すごい緊張しましたね。憧れの人ですから。ハコさんは舞台経験はあって、撮影に入ったころは、表現をどうしても表に出そうとされるんで、「いや、もうハコさん、いるだけでいいです。思ってくれれば映像に映りますから」って言ったんです。やっぱりアーティストだから、勘がいいというか、映画って違うんだなとハコさんは思われたのでしょう。それからは完璧にただいるだけの存在として、演じられた。ハコさんがいると背景が見えてくるじゃないですか。背負っている風景というか人生というか。それがやっぱりいわゆる役者さんとは違う感じがしますね。


 私が感心したのは、山崎ハコを引き立たせた忍成修吾の演技。これがすごかった。まえから好きやったけど、ますます好きになった。あのあやしい目、いいねー。
 立ちすくんでいる時の顔は、「嵐」の松潤に似ていた。ただ、そこから漂うフンイキは独特のもの。代わりが見つからない役者といっていいでしょう。

 4時間半を超える映画なので、もっとゆっくりと時間が進むと思っていたのに意外とせわしなかった。山崎ハコと忍成修吾を中心にして5時間やってもよかったように思う。
 まあ、ほかの登場人物もそれなりにおもしろかったですけど・・・。佐藤浩市とかね。

 私の結論。
 「へヴン(天国)て何? 殺し合いをしている時に生まれた子? 腑に落ちんなあ。」

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2011年06月07日(火)

ビロー [雑用]

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見返り美犬・きく

 「びろうな話で恐縮ですが・・・」
 ということで、その手の話が苦手な方は「見返り美犬・きく」の写真を見られたところでお引取りを。

 昨日の夜はなかなか寝つけなかった。今日火曜日は早朝バイトの日なので5時40分起き。そのため前の晩は早く寝るようにしている。昨日も11時半過ぎにふとんに入った。
 いつもならすっと寝てしまうところなのに・・・。
 いつの間にか寝ついたものの、2時半ごろ目が覚める。あと3時間たっぷり寝られるところなのだが、また寝られない。寝たと思ったらすぐ目が覚める。枕元においてある時計が止まってしまったんかと思うくらい進まない。このくり返しでついに朝。全然寝た気がしなかった。

 「なに、それ」と思われますよね。

 実はね、「びろうな話で恐縮ですが」、今日バイト先にあるものを提出しなきゃならなかったんです。それは、検○。野菜や果物なども扱っているので必要なんでしょうね。
 そんなもん、何十年ぶりでしょう。そのものがきちっと出るかどうかが心配で心配で、寝るに寝られなくなったというわけです。そんな早朝にト○○に行く習慣もないし・・・。
 心配したとおり、やっぱり悪戦苦闘。もうこれ以上は、びろう中のびろう話になるので、省略。

 結論。「なんとかなりました。」

 以上、「びろう話」はこれにておしまい!

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2011年06月06日(月)

朝日啓介さん [私の好きな人]

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 昨日、決めた。
 月刊誌「ランナーズ」のランナーズ賞に朝日さんを推薦しよう。

 昨日はレース終了後ほとんどお客様がなくヒマだったので、朝日さんとたくさんお話ができた。今まで知らなかったことがだいぶ分かった。お聞きして、びっくりすることばかりだった。でも、朝日さんのようなランナーになりたいとも思った。

 「朝日啓介さん、74歳。大阪府吹田市在住、淀川ランナーズ所属。愛妻家。」
 
 今まで、朝日さんについて知っていたのはこの程度かな。

 今日お話させてもらって、まず最初にびっくりしたこと。
 太っていたので健康のためと思い走り出され、ある日突然倒れてしまわれた。そのときが、今の私と同じ55歳。
 ただの走りすぎだろうと思っていたが、念のため心臓も検査してもらった。そこで異常が見つかり心臓のペースメーカー埋め込み手術。それ以来手術すること三度。つまり、現在のペースメーカーは3台目。ペースメーカー歴20年。それでもランニングをやめようとは思わなかったそうだ。
 突然倒れてしまわれた人、ペースメーカーを埋め込んでおられる方などには朝日さんほど励まされる人はいないと思う。

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 もう一つびっくりしたこと。
 朝日さんは65歳から水泳を始められた。それまではほとんど泳げなかったらしい。
 始められて10年目。今はプールで2km泳ぐのが日課になっているそうだが、その距離をちょうど1時間で泳がれるとのこと。私の一番速かった時より速いですやん(私は平泳ぎしかできませんけど・・・)。

 7月にはアクアスロン3大会、9月にはトライアスロンの大会にも出場予定。近年それが恒例となっていたそうだが、去年は心臓のペースメ−カー交換手術のため参加できなかったそうだ。今、去年のリベンジに燃えてはります。
 ああ、たのもしい。

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 それから、もう一つ。
 朝日さんの愛妻家ぶり。
 マラソン大会にもいつもお二人で参加されている。今は奥様が病院にかかっておられるため、やむなくお一人で参加されている。でも、8月の「神鍋高原マラソン」には復帰をめざしてご夫婦でエントリーされているとのこと。
 きっときっと、その日までには元気になられますよ。
 また仲のいいご夫婦のお写真、撮らせてくださいね。

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 2009年12月の「万博クロスカントリー」のスタート地点で声をかけてくださってから、朝日さんとはちょこちょことお話させていただくようになった。でも、心臓のペースメーカーの話は今年の4月にお友だちがばらしてしまわれるまで知らなかった。朝日さんは、自分から「こんなにがんばっています」とは絶対に言われない。
 お話させてもらって、いやな気持ちになったことが一度もない。奥ゆかしくてお上品である。私の理想とするランナーと言っていい。
 今まで約30年、いろいろなランナーに出会いいろいろとお話もさせてもらったが、こんな気持ちになったのは初めてだと思う。 

 以上が、私が朝日さんを「ランナーズ賞」に推薦する理由です。

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2011年06月05日(日)

第26回たたらぎダム湖マラソン [ランニング・出張販売]

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 そろそろ後片づけというとき、ヨメさんに声をかけてこられた紳士あり。
 「ひぃゃー、能見先生!」

 ヨメさんは、24歳くらいのとき(結婚した次の年やったっけ?)定時制高校に行きなおした。そのとき、陸上競技部の顧問だったのが能見先生だ。はるか昔のことなのに、よく覚えてくださっていたものだ。
 「よっぽどよい子やったん?」

 なんと能見先生は、現在朝来市議会議長。ふるさとの旧生野町に戻ってこられ、議員さんになられたそうだ。今日は、「たたらぎダム湖マラソン」の入賞者の表彰の役目として来られていたとのこと。
 「奇遇ですねえ。」

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 朝5時20分起き。
 会場の向いの山の上にある「スカイビラさのう」から会場入り。ちょうど6時ごろ。

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 まずは「山水荘」のフルちゃんにごあいさつ。
 元気そうでよかった。

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 奥さんはお仕事で出かけられるらしい。
 「ネコちゃんは元気にしてますか」とお聞きすると、「あとで見に来てー」とのこと。これも楽しみ。

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 「山水荘」さんは今はもう営業しておられないが、廉が0歳の時から18年連続でお世話になっていた。会場のすぐ近くなのですごく便利だった。
 一年に一度お会いするだけだが、ご家族やワンちゃんネコちゃんに会えるのが楽しみだ。

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 開会式では手話通訳の方が前に立たれていた。いつも感心するのはその翻訳スピード。通訳の方がおどおどされている姿は見たことがない。

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 今までずっと、ヨメさんが2kmジョギング私がハーフというパターンだった。今年は大幅に変更。私が10時40分からの5km、ヨメさんがその10分後スタートの10km。

 写真を見てわかるように、スタートして300mほど先からダムの堰堤横まで100mほど登る。登り切ったあたりが1km地点。そのあとはだいたい平坦だが、折り返して最後のゴール前がとんでもない下り坂。

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 スタート前、私が「おっちゃん」と呼んでいる角田さん(吉備路走ろう会)と記念撮影。
 「途中でも写真撮りますしねー。」
 「一番後ろやで。」

 コースの特性も考え、また練習をまったくしてないことも考えて、今回は無理しない。一番最後の下り1kmだけはしっかり走ろう。
 5km以下のレースはカメラを持たずに走ると決めていたが、今回はウエストバッグに入れておいた。折り返した帰りにヨメさんとも会うはずだし・・・。 

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 最初の強烈な1km、4分41秒。
 おー、あの坂のわりにはええタイムなんちゃうん?

 ところが2km地点、9分29秒。
 なんでや! この1km、4分47秒もかかっとるがな。

 私が目標とする亀岡の快速ランナー・松本一之さんの姿が。
 「まつもとさーん」と呼んだら、手を広げてにっこり。余裕です。速すぎて、ピント合ってません。この速さでもうすぐ60歳ですよ。60歳目前で50歳代2位って、どうよ。

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 私の前をずっと走っていた小さな男の子。結局ゴールまでこの子は追い抜けなかった。しっかりしたいい走りだった。ぐりぐり頭君は小3やって。なんと、中学生以下の4位に入賞です。

 3km地点、13分53秒。この1kmは4分24秒。
 さあ、あとは下りやから飛ばそっか。

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 「写真、撮りまっせー。」
 「ああ、ありがとうね。」

 おっちゃん、一番最後ってゆうてはったけど全然。後ろにまだぎょうさんさんいてはりました。

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 最後の1km表示を過ぎたあたりでヨメさんに遭遇。
 こっちは下りでスピードが出ていたのですぐには止まれない。
 「おーい」と言ったらヨメさんも止まってくれた。

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 そこに後ろから5kmの上位のランナーが・・・。

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 「ぶつかるー」
 「すいません、申し訳ない。」
 「はいはい。」
 いい人でよかった。写真撮影は、他のランナーの迷惑にならないように要注意。

 そんなこともあって4km地点のラップ取り忘れ。
 最後の1kmは気持ちよく飛ばしてゴール。小3君は抜けんかったけど・・・。
 ゴール、21分42秒。最後の2km、写真を撮ってたわりに7分48秒。まあまあです。

 さてこのあと・・・。
 ヨメさんが1時間10分から20分の間にゴールすると言っていたので、その5分前くらいから写真を撮りに行った。

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 ゴール前最後のヘアピンカーブで待っていると、「ランナーズ9の会」のまっちゃん。

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 来年3月に「サブスリー達成祝賀会」を予約してあるらしい。それには、ハーフを1時間25分くらいで走り切らんとね。

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 結果は、1時間33分台。
 ええ夢見とるなあ。

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 あとでよく聞いてみると、5年前の初フルが3時間12分とのこと。うちのヨメさんの理論によると、それなら「サブスリーの可能性は大」らしい。
 そやて。あと9カ月、がんばってね。(このブログ、たくさんの人が見てるよ。しっかり練習しなはれやー。)

 そのあと同じ場所で待機していたのだが、ヨメさんは全然戻ってこない。途中で救急車のスクランブル出動。
 「とうとうやってもたかー。」
 心配になってだいぶ上まで見に行った。10kmのピンクゼッケンはどんどん減っていく。1時間40分過ぎまで待ったが、もう10kmのランナーはいない。
 「病院送りかー。」

 「京都キャロット」の出店テントに戻ると、ヨメさんが困っていた。
 「おつりの金庫もないし、着替えもできひんし・・・。」
 「えー、もう帰ってたんかいなー。速すぎるんちゃうん?」
 見せてもらった記録証は、1時間7分02秒。あんだけ腰痛いゆうとったのに、しっかり走っとるがなー。
 その時間だと、ちょうどヨメさんが記録証をもらっている時に、私がその横を素通りしてゴールの向こうに行っていしまったようだ。まあ、病院送りじゃなくてよかった。

 このあとは、私の憧れの大先輩・朝日啓介さん(淀川ランナーズ)の撮影に。

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 さっきと同じ、ゴール前最後のヘアピンカーブで待っていた。
 朝日さんは、去年のこの大会で2時間20分くらいだったそうだ。今年は2時間10分台でゴールしたいとおっしゃっていた。

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 「やっと帰ってきました。」
 「いや、立派ですって。」
 私の時計では、2時間20分をぎりぎり切れるかというところだった。

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 しばらく並走して、何枚も写真を撮らせてもらった。
 いつも思うけど、ほんまに朝日さんのランニングフォームはきれいです。

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 あとでお聞きすると、ゴールタイムは2時間20分45秒。ああ、惜しい。でも、これでまた来年が楽しみです。

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 ヨメさんも、こんなところで高校の恩師に会えるとは思ってなかっただろう。(この写真は、顔がでかく見えるからあかんらしい。) 

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 後片づけが終わったから、お楽しみの「ワンちゃんネコちゃんなでなでタイム」。
 山水荘さんへ、GO!

 まずはフルちゃん。 
 鼻についていたタニコ、取ったりました。

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 このネコちゃんは、鼻の柄がハート。

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 こっちのネコちゃんは、何でかしらんおケツの穴を見せて見せて・・・。
 「おっちゃんのこと、気にいってくれてるん?」
 逃げへんネコはかわいいなあ。大事にされているのがようよう分かる。

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 遅いお昼ごはんは、多々良木交差点近くのいつものお店。私が刺身定食(1500円)、ヨメさんは親子丼(500円)。いっつも高いのんばっかり食ってすいません。

※ 昨日の毒嫁検定の解答、発表しておきます。
  「1.2.3」すべて正解。
  恐ろしいヨメじゃー。

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