2011年06月10日(金)
布や音に忠誠を誓う? [時事]
◎毎日新聞6月10日朝刊
記者の目:唐突な大阪府「君が代起立条例」成立=田中博子
大阪府議会で3日、教職員に君が代斉唱時の起立を義務付ける条例が成立した。橋下徹知事が代表を務める首長政党「大阪維新の会」が他党の抵抗を押し切り、わずか2日の審議で可決させた。個人の思想や歴史観にもかかわる問題なのに、あまりにも性急で乱暴な経緯をたどったと感じる人も少なくない。この問題を取材し、時間をかけた丁寧な議論が必要だと感じた。
◇知事が突然発案
条例制定のきっかけは、橋下知事が5月初め、今春の入学式で起立しなかった教諭に関する新聞記事を読んだことだった。府立高校で38人いたことを知って激怒し、維新の会の幹部に条例案の作成を促した。条例案は同会府議団の議員提案として提出されたが、事実上は知事の発案によるものだった。
知事は府議会で、学校の組織マネジメントの必要性を訴え、起立しない教員を「自由横暴きわまりない」と厳しく批判。条例によって「組織の命令に従わない教員をたたき直す」と主張した。
条例案は6月2日の委員会、3日の本会議で審議され、他党からは「条例案は拙速に出てきた。反対の意見もしっかり聞くべきだ」と丁寧な議論を求める意見が相次いだ。しかし、維新側は「政治のスピード感の違い。十分丁寧に説明している」と採決を主張し、条例を成立させた。その強引なやり方に、私は驚きを通り越して恐れすら感じた。
99年に国旗・国歌法が成立した後も、起立しない教師の処分は慎重にされてきた歴史がある。大阪府教委は02年に日の丸掲揚と起立斉唱を文書で指示した。しかし、09年度卒業式で初めて職務命令違反による戒告処分を出すまでは、厳重注意にとどめていた。思想・良心の自由にかかわる問題だからこそ、慎重な対応が取られてきたのだ。府教委内でも「条例で従わせるより、粘り強く指導すべきだ」という意見が強い。
条例案提出の動きを受けて私は5月下旬、ある府立高校の男性教諭を取材した。学校の君が代斉唱では、一度も起立したことがないという。教諭は「私も人間なんです。内心はいつも揺れ動いています」と心情を語った。理想に凝り固まった人物を想像していただけに、意外な感じがした。
◇悩みながら拒否
教職30年のベテラン。小柄で表情は柔らかく、丁寧に言葉を選ぶ話し方が誠実な人柄を感じさせる。99年以降、君が代斉唱が学校行事で一律実施されるようになったのを機に、君が代について学び直した。日の丸・君が代が国民を戦争に駆り立てる役割も果たした歴史を再認識し、学校で起立斉唱することへの抵抗感を拭えなかったという。
校長は「仕方ないから立って」と促すばかり。職員会議で起立斉唱が議題に上がると、黙っていた方が楽だと思いながらも「起立の押し付けはおかしい」とあえて発言してきた。それを聞き、君が代に関する歴史を勉強した後輩教師もいる。「僕も直接には戦争を知らないが、若い人はもっと知らない。だからこそこの問題を知ってほしいし、知るべきだ」と教諭は言葉に力を込めた。
だが条例成立を受け、次の卒業式でどうするかは決めかねている。「私にも家族がいて生活がある。でも簡単に捨てられるほど軽い信念ではない」。教諭はそう言ったまま無言でうつむいた。
66年前の戦争の記憶はどんどん遠ざかる。五輪やサッカー・ワールドカップでも君が代が流れ、若い世代には国歌として自然に受け入れられているのかもしれない。私も学生時代は抵抗なく起立斉唱してきた。だが歴史観は人によって大きく異なる。
◇選挙公約になし
4月の統一地方選で大勝した維新の会は「府民の意思」を盾に、起立しない教員の排除をもくろむ。だが君が代関連の条例は、選挙公約になく、選挙の争点にもなっていなかった。同会は「条例は(公約に掲げた)公務員改革」と説明するが、府民が真っ先に期待する改革がこの問題だとは到底思えない。
橋下知事は9月議会で、公務員の処分基準を定める条例案を提出し、不起立を繰り返す教員には免職処分まで盛り込む方針を示している。個人の思想にかかわる問題を、知事の強い指揮の下、条例や厳しい処分で片付けることが本当に民主的なのだろうか。
大阪は在日韓国・朝鮮人らマイノリティーの人々が多く暮らす地域性もあり、雑多で自由な空気が魅力の一つだと私は思ってきた。その大阪で、さまざまな考えを学び合うはずの学校が、一つの型にはめ込まれようとしている。子どもの将来を思うと、取り返しのつかない道を進んでいる気がしてならない。
--------------------------------------------------------------------------------
今まで「思想信条の自由」など意識したことがない。それだけ日本がいい国だということだと思う。
しかし、ただの印をつけた布と、よく理解できない歌詞がついた歌を何よりも大事にしろと言われても・・・。
1986年の冬、突然上から「卒業式に日の丸・君が代を入れろ」と命じられた京都の校長先生方はどんな気持ちだったのだろう。どんな脅しがあったのかどなたも教えてはくださらないが、一夜にしてオセロゲームのように全員白から黒に変わってしまった。今までご自身が言って来られたこととの整合性を保つため、みなさんマニュアル通りのような言葉を述べ始められた。この事実こそ恐ろしい。
「京都中の校長先生が、遠隔操作されているロボットになってしまった」と怖くなった。
戦前の奉安殿でもあるまいに、子どもの命よりあの布(旗)や音(歌)が大事なのでしょうか。(実際、戦前には火災から御真影を守ろうとして殉職された校長先生もおられたようです。)
毎日新聞の田中博子記者も、よく調べていい記事を書いておられると思います。ただし、「何が何でも日の丸・君が代推進派」の意見が取材できていない。私も知りたいです。なんでただの布や音に血まなこになれるのかを。それが分かれば対話も可能。そんな布や音のために、不毛な対立で時間と労力を奪われるのはもったいない。
私は、あれは踏み絵的(今は「絵踏み」と言うらしい)に使われようとしてるのかと思う。
「上からの命令で、ただの布と音にどこまで忠誠を誓えるか」
あなたはどこまでロボット化に耐えうるか。そのリトマス紙に使われているとしたら、あの旗と歌も気の毒な気がします。
あの旗と歌が日本中に強制されたら、誰が喜び、だれを幸せにするのか、それを調べて記事にしてほしいです。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 5 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.kyoto-carrot.com/tb.php?ID=1254
コメント
まっちゃん、ととまるさん、コメントありがとうございます。もうすぐ出かけるので、長いお返事を書く時間がありません。
私が一番大事だと思っているのは、強制しようとしている人たちに一方的に反駁するのではなく、常に「ねばり強い対話」を心がけること。むかついていてもしょうがないですから・・・。
橋本はんはややこしいお人やと思います。
関電の節電要求にはピシイと拒否しているのに、君が条例化って・・なんか・・どこに軸があるのかわかりません。
ナショナリズムはもう何もいいことがないことくらい学習してほしい。
ジョンレノンもマイケルジャクソンもみんな国を愛するんじゃなくて人を愛しましょうと、ずっと前から言っております。
国に敬意を払え!って言うのが強制されるのであれば、お隣の独裁国家をえらそうに非難できないとおもいませんか?
こんなことやる前に、チャンと政治が国民のサポートしてればいいんですが、政治家はちゃらんぽらん、官僚はやりたい放題・・・これでなんで国に敬意を払えるのかねぇ。
もうこれからは、一国の愛国心を問題にするのではなくて、全世界規模での価値を尊重する精神を育てる必要があると思います(人類みな兄弟・・笹川さんに言われると抵抗あるけど)。
地球の歌!斉唱! といわれたら賛成しますよ!
どうも、信用できませんな。
大阪府民でない私もハシモッちゃんの常軌を逸したファシスト的言動に恐怖を感じながらいます。何を怒っているのか、いつも「見返してやる」モード全開にした言動と不幸を具現したような表情が痛くもあります。以前パオパオさんが彼を評して「品がない」と言われていましたがホント下品です。けどこんな輩の脅しに屈しないことが我々の責務ですね。「パオパオだより」はその砦の一つです。
ゼファー750さん、お久しぶりです。
あなたのブログ「田舎に暮らしたい!」が長らく更新されていなかったので心配していました。やっと再開と思ったら・・・、驚きました。それに、今度は長旅に出られるとか。いったい何が・・・。
今年も「北軽井沢マラソン」が中止になってしまいましたが、「神奈川反核平和マラソン」の土曜コースには参加させてもらおうと思っています。ゼファー750さんとの再会を楽しみにしていたのですが、参加されますか。まさか、7月初めはまだ長旅の途中とか・・・。
7月10日(日)は、高石ともやさんの最後の「宵宵山コンサート」です。神奈川から帰って参加しようと思っています。旅の途中によってみられたらどうですか。
一度ゆっくりお話させていただきたいです。({「田舎に暮らしたい!」にコメントを入れさせてもらおうかどうか迷っていたのですが、こっちにコメントを入れていただいてよかったです。グッドタイミングでした。)
この大阪の動きは怖いですね。
大阪から「このような緊急時には独裁が必要なんだ!」
って言う人が中央に出てこないことを望みます。
今日は村上春樹さんのカタルーニャでの
スピーチに感動していたところです。
ずい分と人の格が違いますね。