2010年06月13日(日)
第18回みかた残酷マラソン [ランニング・出張販売]
「藤井さん!」
中島寛子さんは、私を見つけると必ず声をかけてくださる。
私がスタート地点に向かう時、またばったりとお会いした。ここは往復コースではないので、レース中の写真が撮れる可能性は少ない。そこで、スタート前に写真を撮らせてもらった。
中島さんご夫婦のいいところは、いつお会いしても仲のよさそうなところ。特に奥様のかわいい笑顔をお見かけすると、すごくほっこりする。
中島寛子さんと。
「奥さん、昨日おしゃれにしてはりましたやん。」
「いえ、そんなことないですよ。」
「でもね、昨日いつものヘアースタイルともちがったし。最初どなたか分からんくらいでしたわ。うちのヨメさんもゆうてました。走らはる時はかっことかゆうてられへんのかも知れんけど、それ以外のときはおしゃれにしてはるんやわって。」
「いや、おはずかしい。」
中島徹さんと。
「伴走って、むずかしいですやん。ボクもやりたいなあとは思ってるんですけど、伴走する人の1割か2割ほど力が上でないと伴走はできひんていうし・・・」
「藤井さんやったらだいじょうぶですよ。」
「ボクね、イーブンペースで走るのは得意なんです。ただ、視覚障害のランナーの方って早い人が多いでしょ。それがきついなあと思いますわ。」
「いや、そうでもないですよ。ぜひ、伴走してみてください。」
中島寛子さんも、以前は徹さんより1割か2割ほど走力が上だったらしい。でも、最近は伴走もちょっとたいへんになってきたとおっしゃっていた。今日はお二人での伴走。奥様ともうお一人(確か木村さん)。走っておられる写真が撮れればいいんですけど・・・。
前の晩の予報では「今日は朝から雨」だったが、少しだけ引き伸ばされたようだ。ただし、いつ降ってきてもいいようにだけはしておかなくてはいけない。
いつも使っているワンタッチテントは天井に穴が開いているため、ずっと昔に使っていた片流れのテントを引っ張り出して持ってきた。たぶん20年ぶりくらいに。
支柱が重いのが難点だが、その分しっかりしており、どこも壊れたりしておらず、使いでがあった。
藤井店長の接客風景は、上の写真のような感じです。
このときスタート15分前の切羽詰った時だったが、適切な応対ができたでしょうか。
今年は前年より275人増え、1817名のエントリー。
当日欠席者も少ないようなので、スタート地点はすごい人だかり。列の脇に通路が作ってあり、後から来ても後ろに並べたので迷惑をかけることはなかった。
今年のスタート前のセレモニーはおとなしめだった。
おえらいさんの紹介も大事かもしれないが、話題性のあるランナーの紹介をいっぱいしてほしいです。
空はどんより曇っているが、ランナーのウェアはカラフル。中には仮装ランナーもたくさん混じっており、それを見に来るだけでもおもしろいと思う。
今日の私の目標は・・・。
先週に引き続き、「いちびらない」。
ここのコースは「残酷」と言われているが、私程度の走力があれば歩かず走りきることができる。それよりこわいのは、下り。今日もまた、うまいことブレーキをかけながら、足腰に負担がかからないように下らねばならない。
今日は、西京極陸上競技場で「関西学連記録会」。
廉のチャレンジシリーズ「1500m→5000m→800m→5000m→10000m」の最終戦である10000m。(自分の適性を探るため、いろいろな距離に挑戦中。)
私のスタート前にメールを送っておいた。
「めざせ35分」
パオパオです。今日は気温が上がらず、走りやすそうです。パオパオは9時スタートです。廉は3時すぎやったね。しっかり!
最後尾近くで、「ランナーズ9の会」のかわせみさん発見。(実際はかわせみさん発見と言うより、「ランナーズ9の会」ののぼり発見と言ったほうが正確。)
今日は、途中から風雨激しくなる予報だが、今日もめげずにのぼりを持ち続けて走られる。この元気さはなかなかまねできません。
スタートのピストルがなってスタートラインを越えるまで、ちょうど1分半。人数の割にはスムーズなスタートだったと言える。
1kmも行かないところで、中島徹さんに追いついた。人が混み合っているところを走るのは不安だと思うが、さすがベテラン、軽やかな足どりです。
1km地点を中島さんと同時に通過。7分32秒だった。
毎年恒例、「美方バレス」の従業員さんからの応援。
以前は、私らもここに泊めてもらってました。
大会実行委員長・久保井洋次さんのコース視察ラン(?)。
こちらも毎年恒例なので、まわりのみなさんも当たり前のように話しかけておられた。
大会実行委員長が、毎年当たり前のように当日走っておられる大会って、ほかにあります?
久保井さんとは、去年の「四万十川ウルトラ」以来だが、あの時は胃の具合が悪くなられて早々とリタイアされていた。その後、調子はどうなんでしょう。
ちょっとやせられたようにも見えますが・・・。
まあ、このコースをスタスタと走れるんですから、お元気なんでしょうね。
2km地点で、13分09秒。この1kmは5分37秒。
上り下り全部を平均してキロ6分ちょっとのペースで行けたら、快適なゴールをむかえられそう。
ここも毎年恒例、老健施設前。
今年は、応援に出てきてくださっているお年寄りの数が増えているように感じました。
「おーっと、『谷山荘』の奥さんじゃありませんか。写真撮らせてもらいまーす。」
「えー、私ですか。」
「はい、ブログに載せんなんし・・・。」
とってもチャーミングな若奥さんです。
道端に、ややお年をめしたお犬様が・・・。
「てん・オス・11歳」、大阪出身、みかた育ちだそうです。
うれしいうれしいブラスバンド演奏。これは励みになる。
このあたりから雨がばらついてきた。
人家がなくなる山岳コースへ。
急坂で、中島寛子さんに追いつく。
せっかく写真を撮らせてもらったのに、ピンボケでした、すいません。
こいのぼりの向こうに、高石ともやさんの歌声が。
今年は雨やしどうしやはんにゃろうと心配してたけど、例年通り元気に歌ってくださっていました。ありがとうございます。
コース最高地点に向かう急坂。
ここで少しだけ、降りてくるランナーに会える。
ゼーゼーハーハー言いながら上りきったら、コース最高地点(標高605m)。
ここで約11kmだが、気分的にはちょうど中間といったところ。
風がびゅんびゅん吹いて、ランシャツランパン姿の私には、ちょっと寒かった。
(注)レース後半に続く。
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2010年06月12日(土)
第18回みかた残酷マラソン・前日受付 [ランニング・出張販売]
「いきなり抱きついてもいいですか。」
「いいですよ。」
これは、私とうら若き女性との会話。
ただし、私の言葉の前に「ワンちゃんに」をつけてください。
うちの出店テントの前を散歩していたハスキーちゃん。左目は金、右目は銀。ハスキーの割には小さめ。私がいきなり抱きついたら、びびるどころか、うれしくなって抱きつきかえしてくれた。うれしいやん。
「リュウちゃん・オス・2歳半」
これは、さいさきよし。かわいいワンちゃんに会えた大会では必ずいいことが起きる・・・はず!
明日は確実に雨やし、今日がんばって売らんなん。参加者も275人も増えたこっちゃし。
そう思っていたのだが、客足は伸びず。きれいに並べた割にはヒマでヒマで。
そんな中で、一つだけいいことが。
4月の「天女の羽衣ウルトラマラソン」の実行委員長の南部功さんが、お買いものに来てくださった。その時の会話。
「南部さん、あの大会で気になってたことがあったんですけど・・・。視覚障害の方の伴走してられた女性、すごい美人でしたよねえ・・・。」
「あっ、あれ・・・、うちのよめさんですねん。」
「えー、あの美人ランナーですよ。」
「はい。あーいやいや。」
「だいぶお若いですよね。」
「いえ、・・・(この部分、伏字扱い)」
でも、その時の南部さんの顔が・・・。
「アナタ、ナイシン、ハナタカダカジャナイデスカ!」
自分のよめさんほめられて、かなん人はおらんわな。それも私のように、まったく知らんと言ったら真実味があって、よけいうれしいかも。
なんか図らずもええこととしたみたいで、こっちまでそのあとええ気分。
みなさーん、ぜひ来年の「天女の羽衣ウルトラマラソン」に参加しましょう。美男美女・南部さんご夫妻に会えますよ。
宿は、「谷山荘」。
山をずんずん登って行ったスキー場の中。
私が会場に忘れ物をして取りに行って戻ったら、ヨメさんが一人でビール一本あけかけていた。いつもは、「いらん、いらん」ばっかりゆうとるくせに、一人で飲んだらそんなにうまいんかい!
ヨメさんの本性を見てしまった。
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2010年06月11日(金)
月刊誌「ねっとわーく京都」 [雑用]
先月より、月刊誌「ねっとわーく京都」に連載記事を書かせてもらっています。
ー「憲法9条」+「ランニング」=パオパオと言われる日をめざしてーというテーマで。
その内容は、毎日書き続けているこのブログ「パオパオだより」をまとめたようなもの。
たとえ自分の書いた文章でも、人の手に渡ってしまうと著作権の問題などあってややこしいのかもしれません。しかし、今月発売号(7月号)では編集段階で最後の部分が抜け落ちてしまいました。まとめのない尻切れトンボみたいな記事になってしまいました。
という理由で、本来の原稿をここに載せさせていただきます。今回に限り。
「ねっとわーく京都」は一部500円です。京都市政に興味のある方は、ぜひご購入を。
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「憲法9条」+「ランニング」=パオパオと言われる日をめざして 連載第2回
「なんで走るの?」
これは、私が今まで人から一番多く聞かれた質問です。その答えはたいてい、「特に理由などなし」でした。
ただ、走り始めたきっかけはあります。それは28年前、当時高3だった増田明美さんの日本新連発。すごく小さな体で顔は吹き出物だらけ、その高校生が脇目もふらずに走っている姿にはショックを受けました。当時山の分校の小学校教師だった私は、彼女の何かにとりつかれて走っているような映像につられるように走り出しました。「自分にもできるぞ」と。
そして、去年の「丹後100kmウルトラマラソン」。ゲストとして来られていた増田明美さんに28年目の告白。「実は、私が走り始めたのは、当時高校生だった増田明美さんが日本新を連発している姿をテレビで見てからなんです。」
増田さんは絶句。大きく目を開かれ、黙って右手を差し出された。そして、かたいかたい握手。
その時思ったこと。自分が走っていることを喜んでくださる人がいるとしたら、そんなうれしいことはない。それこそ、走る値打ちがあるというもんです。
そんな気持ちで走っていると、自然と人間関係が広がっていきました。憲法9条を守るランニングクラブ「ランナーズ9の会」の仲間、その中でも兵庫で障害者の作業所を運営されている松本雅也さん、「国会前54日連続フルマラソン」を完走された国労闘争団の中野勇人さん、「命の平等」を訴え京都府知事選に立候補されたウルトラ完走ランナーでもある門祐輔さんなどなど・・・。
今「なんで走るの?」と聞かれたら、「私が走っていることを喜んでくださる人がいるから」と答えます。
数年前に始まった「東京マラソン」以来、第2次マラソンブームといわれています。このブームを支えているのは、、有名大規模マラソン志向の女性のようです。それに対して、私たち第1次マラソンブーム(約30年前)の残党は、「100kmウルトラ」や「トレイルラン(野山を駆ける)」など特徴のある大会志向になってきています。これらは、クラブ主催の小規模なものが多く、参加者同士やスタッフさんと本当に親しくなれます。
先日(5月3日)、金沢市犀川河川敷で行われた「第29回マラソンに挑戦する会」でのこと。
この大会で2年前から車イスの男性が参加されています。初めてお見かけした時はビックリしました。その車イスが競技用のものではなく一般的な普通のものだったからです。それでも4時間半ほどでゴールされたので、「元気な20代の若者やなあ」と思っていました。ゴールされた後お聞きしたら、なんと40歳。目が飛び出ました。
次の年(去年)、その彼とレース後にかなり長い時間お話できました。どうも東京から夜行バスで金沢まで来てフルマラソンを走り、また夜行バスで東京に戻るというスケジュール。これ、車イスの部分を除けば、私が若いころよくやっていたパターンです。
そんな話をごく普通に笑顔でされる彼には、ただビックリするばかり。その時思ったのは、「○○さんから元気をもらいました」という言葉、これはそう簡単に使ってはダメだということ。私はこう言いたいです。「私は彼から『普通』に生きるすごさを教えてもらいました。」
そして、今年で3年目。今年はついに名刺までいただきました。彼の名は下山利博さん、42歳。現在、東京都内の特例会社でホームページ作成のお仕事をされているそうです。
お別れ際、下山さんに来てもらって喜んでもらえそうな大会を紹介しようと思って、ハタと困ってしまいました。私のお気に入りの大会は、どれも車イスでの参加は困難。「大阪城公園時間走」や「京都鴨川ゆっくりラン」は舗装してない箇所が多いし、「岐阜〜根尾淡墨桜」や「みかた残酷」は急坂があります。自分ではハンデのある人に対して心を配っていたつもりになっていましたが、結局は自分が楽しんでいただけのことか・・・。このとき、ただの一つもお勧め大会が口から出てこなかった自分が恥ずかしかったです。
今のマラソンブームも、これに似ているのかもしれません。結局自分が楽しみたいだけで、ハンデのある人たちも含めてランナー・スタッフみんなで楽しもうという姿勢はあまり感じ取れません。
下山さんに自信を持って勧められる大会を探すのが、今の私の宿題です。
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「今のマラソンブームも、・・・」以下が抜け落ちてしまった部分です。
この記事の下書きを当の下山さんに読んでもらった時、最後の言葉を一番喜んでくださっていたので、よけいに残念です。何事も確認作業が大事ですね。
今のところ、「『ねっとわーく京都』読んだでー」と言ってくれたのは、私の兄・優三と、私の最後の教え子の一人・ちいちゃんだけ。
あっ、今日、私の姉・みき江に「たたらぎ」のみやげのお味噌を持っていったら、「これから買って読む」と言ってた。「こうじは文才があったんかなあ」と聞いてきたので、「そやね、文才あんねー」と言っておいた。姉は、「自分でゆうかー」とあきれてました。
「ねっとわーく京都」、もっともっといっぱいの人が読んでくれたらいいのになあ。
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2010年06月10日(木)
京都マラソンは京都迎賓館で [雑感]
昨日走っていてひらめいた。
2012年から始まる「京都マラソン」のメイン会場を、京都迎賓館にしたらどうでしょう。
今、政府の事業仕分けが話題になっているが、京都一(ひょっとしたら日本一)宝の持ち腐れになっている施設は「京都迎賓館」ではないでしょうか。
確かあの施設は200憶円以上かけて作ったものである。ところが、東京に本家迎賓館があるので、年間使用日数は一けたと聞いたことがある。年間維持管理費にいくら使っているのか知らないが、どうして誰も文句を言わないのだろう。
管轄が内閣府ということは、全額国民の税金でまかなわれているはずである。
元々あの場所は京都御所内の原っぱで、私も若い時は何回も草野球で使わせてもらった。その使用権の抽選に当たるのがたいへんなほどの人気で、今よりも多くの人に喜んで使われていた場所であることはまちがいない。
「京都迎賓館」は、いわば、草野球選手たちの小さな楽しみを奪った上に出来上がった施設なのである。
元々そんな場所であるので、ぜひ年1回のマラソン大会くらいには使わせてもらいたい。(長年続いていた「京都元旦ロードレース」も、5年ほど前になくなってしまったことだし。)
ここなら、地下鉄でも来れるし京阪電車も便利。
それに、現在「京都マラソン」のメイン会場に予定されている平安神宮は、あのでかい赤い鳥居がめちゃめちゃかっこ悪い。あれが京都の象徴やと思われたら、恥ずかしーてたまらん。
「京都迎賓館」で、「京都マラソン」に来ていただいたお客様をもてなす。これこそ、本来の使用目的にかなっているのでは。
京都御所の砂利道がスタートゴールやったら、かっこいいと思うんやけどなあ・・・。こここそ、他のどこでもない「京都」ですっていう感じ。ただし、スタートゴールの走りにくさ日本一の大会になるやろね。でも、それもおもしろいやんね。
京都のど真ん中を長い時間交通規制するのはむずかしいし、時間がかかる人は後半は御所の中をぐるぐる回るちゅうのもおもしろいかも・・・。うーん、それでは期待して来やはった人らに怒られるかな?
◎内閣府ホームページより
京都迎賓館
京都迎賓館は日本の歴史、文化を象徴する都市・京都で、海外からの賓客を心をこめてお迎えし、日本への理解と友好を深めていただくことを目的に平成17年に建設されました。
歴史的景観や周辺の自然環境との調和を図るため、日本の伝統的な住居である入母屋屋根と数寄屋造りの外観をいかし、築地塀を巡らせた品格のある和風の佇まいを創出しています。建設に当たっては、数寄屋大工、左官、作庭、截金(きりかね)など、数多くの伝統的技能を活用し、京都を代表する伝統技能者の技が生かされています。また、調度品についても西陣織や蒔絵(まきえ)、漆などの伝統的技能を活用した家具を配置しています。
東京(赤坂)に位置する洋風建築の迎賓館とあわせ、国公賓などの賓客の接遇の場としての役割を果たします。
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2010年06月09日(水)
第9回9の日平和ラン [ランニング]
今日は9の日。「ランナーズ9の会」のユニフォームを着て9km(または9.9km)走る日。
これを始めて、今回が記念すべき9回目。今日は「京都キャロット」の定休日でもあるし、時間はたっぷり。「9km×2」に挑戦しよう。
1000円散髪ですっきりして、スタートに。
コースをいろいろと考えたが、自宅から廉の大学と真樹の高校を通って9km先まで行くことにした。
まずは円通寺の横を通って深泥ヶ池に下りる急坂。
このコースを通ると、地下鉄北山駅まで3kmくらい。近いもんです。
廉の大学まで約3.5km。廉は高校のとき6kmを自転車通学していたので、今のほうがずっと近くなったことになる。
葵橋を渡って河原町通りへ。
京都府立医科大学付属病院(府立病院)。
私が大学時代、バイト(地下の売店)をしていたところ。
7年前には顔面骨折の手術もしてもらった。3年前には嚥下障害の検査も・・・。何かとご縁のある病院です。
真樹の高校まで約7km。ここまで49分ほどなので、ちょうどキロ7分ペース。いい感じです。
ここは、すぐ西に京都御所。少し東に行けば鴨川。南に行けば京都一にぎやかな河原町。そういう意味では、京都一立地のいい高校と言ってもいいかもしれない。
この高校は、門だけを見ているとお寺さんみたいです。
私の姉が卒業した40数年前と、設備はほとんど変わっていないようだ。
そのまま寺町通りを南下。
ここには、遠い昔、私が教員採用試験対策としてピアノを教えてもらっていた「旭屋楽器店」があったはずだが見つけられなかった。
こんなおいしそうなあられ屋さんもありました。
京都市役所も写真に撮ってみたけど、なんかよう分かりませんね。
ここに、「京都水族館」建設許可を出したわけの分からん人たちがおられるんですよね。
寺町京極に入り四条に出る手前に、「asics」の文字発見。ウォーキング専門店でした。
自宅から寺町四条までで、約9km。1時間3分。見事キロ7分ペースです。
休けいもせず、そのままUターンして北上。帰りは少しずつ上っていくので、ちょっとしんどいかもしれん。
寺町三条の角には、がまぐち専門店。見ているだけで楽しくなります。
ここは、本能寺。寺町御池下がる東側です。
寺町通りには古いお店が多い。ここはミシン専門店。
でも、買いにこられるお客様があるのだろうか。
月刊誌「ねっとわーく京都」編集部が入っておられるエースビル。今日9日は、発売日。私の連載も、この7月号で第2回になった。
第1回が掲載されている6月号の発売日からちょうど1カ月たったが、「読んだでー」と言ってくれたのは私の兄だけ。兄は元京都市職員なので、京都市政の動きがよくわかるこの月刊誌を定期購読しているようだ。
「ねっとわーく京都」さん、これからもよろしくお願いします。
寺町丸太町交差点。
この角っこに公衆トイレがあります。
京都ランナーズの本拠地、梨木神社前。
京都御所の一角にあり、とても落ち着いた雰囲気のいいところです。
寺町今出川交差点。
このあたりも、古いお店ががんばっておられます。
ここからそのまま北上。ちょっと遠回りになるが、行きしとはちがうコースに。
京都走ろう会の本拠地、出雲路橋。
ちょうど橋の向こうに大文字山が見える。
北大路橋から下流をのぞむ。
橋を渡ったところに、廉の大学のグランド。
野球部が練習をしていた。
深泥ヶ池バス停の近くに姉夫婦の家がある。
「たたらぎダム湖マラソン」のおみやげのおいしいおいしいお味噌を早く持っていかなくては。
円通寺へ上る急坂。
上り坂の特訓したい人、ぜひここへ。道路標識を見ると、25%の上りと記されていた。
自宅前。
これは、バリバリのやらせ写真。お隣りの塀にカメラを置きセルフシャッターにしました。
帰りは遠回りをしたので明らかに9km以上走っているが、ややこしいので9km、1時間9分。
往復18km、2時間12分。よう走りました。
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2010年06月08日(火)
「沖縄・第二部」 [映画]
◎琉球新報・過去の記事
那覇市内で劇映画「沖縄」の試写会 1996年6月18日
在沖米軍基地問題が注目を浴びる中、東京などで再上映され、話題を呼んでいる劇映画「沖縄」の試写会が17日夜、那覇市のリウボウホールで開かれた。上映委員会事務局のシネマ沖縄では、この日を皮切りに上映会を全国各地に拡大し、県内各地の各種集会などとも連結させ、多くの人に「沖縄」を見てもらいたい考え。
製作から27年たった今も変わらない沖縄の現実が、スクリーンに二重映しされ、日米両政府にほんろうされ続ける“基地の島”の叫びが観客の胸に響いた。
「沖縄」は1969年10月から撮影を開始したが、米民政府の嫌がらせで主だったスタッフが沖縄に入ることを拒否された。沖縄の実写と徳之島と奄美大島で撮った芝居を組み合わせている。
映画は2部構成で3時間15分の長編。この日は第1部「1坪たりともわたすまい」(1時間15分)を上映。銃とブルドーザーによって土地を奪われた農民たちの怒りが全編にあふれた。
「沖縄」の応援監督を務めた橘祐典さんが、東京から駆けつけて舞台あいさつし「沖縄の人たちの強力な支援で完成した歴史的な映画だと思う。当時、支援し闘った人たちは今も闘っており、今日に続いている」とも述べ、変わらぬ沖縄を痛感している様子だった。
今年2月からこれまでに首都圏で約30回上映されているほか、2本組みのビデオが本土で約700本も売れるなど大きな反響を呼んでいる。
基地の中に消えた読谷村渡具知に焦点を当てて、復帰の内実を鋭くえぐり出した記録映画「あけもどろ」も併映された。
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■あらすじ (goo映画より)
〈第一部=一坪たりともわたすまい〉昭和三十年。「アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」これが代々の土地を奪われた三郎の生活哲学だった。三郎は仲間の清と、基地周辺を物色中、黒ん坊の混血児・亘とその姉朋子を知った。米軍基地拡張に伴う平川部落の強制接収が威嚇射撃で始った。古堅らの抵抗は厳しく身体を張ってのものだった。演習が始まり、朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ。だが、米軍は何の保証も与えなかった。カマドの葬式の日、朋子は、米軍にとりいって資産を殖す山城の静止を破って、軍用地内の墓に向った。白旗ののぼりをたてて連なる葬列、それは抗議の列でもあった。それから間もなく農民たちの闘いは全沖縄の闘いへと拡がっていった。
〈第二部=怒りの島〉それから十年。三郎は父親の完道と共に米軍基地に、朋子はドル買い密貿易などに、そして亘は軍用トラックの運転手として働いていた。ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買いたたき、その度胸は三郎を驚かせた。完道が足に負傷してクビになった。軍労働者の怒りは、やがてストライキ闘争へと発展、米国は威信にかけて弾圧した。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され亘も解雇された。山城の息子、朝憲は、亘が軍用トラックにひかれて死ぬと、アメリカ民主主義のウソを、軍人法廷で糾弾、父とも訣別した。動揺する三郎たちに、反米破壊活動で独房入りした知念から、団結の叫びがとどいた。翌朝、沖縄基地にストライキが決行された。
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昨日の夕方、先日見た映画「沖縄」の第二部を見に行った。
場所は河原町二条の河二ホール。この上映会の共催の「京都映画センター」さんが入っておられるビルの8階のホールだった。ホールといっても折りたたみいすが35並べてあるだけ。ほぼ満員で、少し息苦しい感じがする部屋だった。
第二部は、土地を奪われ米軍基地で働かざるをえなくなった沖縄県民の姿が描かれている。ほとんど私の知らなかったことばかり。
こないだ第一部を見た後で知り合った芳沢あきこさんとも言っていたのだが、この映画を学校で見せてもらいたいなあ。
あっ、そうや。
真樹の高校では、沖縄への研修旅行の前に、映画「GAMA−月桃の花」を見るらしい。それだけでも、ええ高校に入れたもんやと思ってしまう。
何の目的かようわからんシンガポールに行く高校よりはずっと値打ちがある・・・、と思われませんか。
※ 映画「沖縄」の上映会の主催は「京都映画人・九条の会」。共催は、「京都映画センター」。
ともに、会員を募集しておられます。両会とも、会費は無料です。
私は両方とも入会しようと思っています。みなさんもいかがですか。
(下に申込書を添付しておきます。)
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