2010年06月08日(火)
「沖縄・第二部」 [映画]
◎琉球新報・過去の記事
那覇市内で劇映画「沖縄」の試写会 1996年6月18日
在沖米軍基地問題が注目を浴びる中、東京などで再上映され、話題を呼んでいる劇映画「沖縄」の試写会が17日夜、那覇市のリウボウホールで開かれた。上映委員会事務局のシネマ沖縄では、この日を皮切りに上映会を全国各地に拡大し、県内各地の各種集会などとも連結させ、多くの人に「沖縄」を見てもらいたい考え。
製作から27年たった今も変わらない沖縄の現実が、スクリーンに二重映しされ、日米両政府にほんろうされ続ける“基地の島”の叫びが観客の胸に響いた。
「沖縄」は1969年10月から撮影を開始したが、米民政府の嫌がらせで主だったスタッフが沖縄に入ることを拒否された。沖縄の実写と徳之島と奄美大島で撮った芝居を組み合わせている。
映画は2部構成で3時間15分の長編。この日は第1部「1坪たりともわたすまい」(1時間15分)を上映。銃とブルドーザーによって土地を奪われた農民たちの怒りが全編にあふれた。
「沖縄」の応援監督を務めた橘祐典さんが、東京から駆けつけて舞台あいさつし「沖縄の人たちの強力な支援で完成した歴史的な映画だと思う。当時、支援し闘った人たちは今も闘っており、今日に続いている」とも述べ、変わらぬ沖縄を痛感している様子だった。
今年2月からこれまでに首都圏で約30回上映されているほか、2本組みのビデオが本土で約700本も売れるなど大きな反響を呼んでいる。
基地の中に消えた読谷村渡具知に焦点を当てて、復帰の内実を鋭くえぐり出した記録映画「あけもどろ」も併映された。
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■あらすじ (goo映画より)
〈第一部=一坪たりともわたすまい〉昭和三十年。「アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」これが代々の土地を奪われた三郎の生活哲学だった。三郎は仲間の清と、基地周辺を物色中、黒ん坊の混血児・亘とその姉朋子を知った。米軍基地拡張に伴う平川部落の強制接収が威嚇射撃で始った。古堅らの抵抗は厳しく身体を張ってのものだった。演習が始まり、朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ。だが、米軍は何の保証も与えなかった。カマドの葬式の日、朋子は、米軍にとりいって資産を殖す山城の静止を破って、軍用地内の墓に向った。白旗ののぼりをたてて連なる葬列、それは抗議の列でもあった。それから間もなく農民たちの闘いは全沖縄の闘いへと拡がっていった。
〈第二部=怒りの島〉それから十年。三郎は父親の完道と共に米軍基地に、朋子はドル買い密貿易などに、そして亘は軍用トラックの運転手として働いていた。ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買いたたき、その度胸は三郎を驚かせた。完道が足に負傷してクビになった。軍労働者の怒りは、やがてストライキ闘争へと発展、米国は威信にかけて弾圧した。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され亘も解雇された。山城の息子、朝憲は、亘が軍用トラックにひかれて死ぬと、アメリカ民主主義のウソを、軍人法廷で糾弾、父とも訣別した。動揺する三郎たちに、反米破壊活動で独房入りした知念から、団結の叫びがとどいた。翌朝、沖縄基地にストライキが決行された。
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昨日の夕方、先日見た映画「沖縄」の第二部を見に行った。
場所は河原町二条の河二ホール。この上映会の共催の「京都映画センター」さんが入っておられるビルの8階のホールだった。ホールといっても折りたたみいすが35並べてあるだけ。ほぼ満員で、少し息苦しい感じがする部屋だった。
第二部は、土地を奪われ米軍基地で働かざるをえなくなった沖縄県民の姿が描かれている。ほとんど私の知らなかったことばかり。
こないだ第一部を見た後で知り合った芳沢あきこさんとも言っていたのだが、この映画を学校で見せてもらいたいなあ。
あっ、そうや。
真樹の高校では、沖縄への研修旅行の前に、映画「GAMA−月桃の花」を見るらしい。それだけでも、ええ高校に入れたもんやと思ってしまう。
何の目的かようわからんシンガポールに行く高校よりはずっと値打ちがある・・・、と思われませんか。
※ 映画「沖縄」の上映会の主催は「京都映画人・九条の会」。共催は、「京都映画センター」。
ともに、会員を募集しておられます。両会とも、会費は無料です。
私は両方とも入会しようと思っています。みなさんもいかがですか。
(下に申込書を添付しておきます。)
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
芳沢あきこさん、コメントありがとうございます。
私ら本土の人間の一番の問題は、「沖縄のことを何も知らない」ことです。青い海と空のイメージばかりが先行して、戦争の傷あとや米軍基地の問題には知らんぷりの人が多いです。せめて、この映画「沖縄」だけでも見てほしいと思います。
芳沢さん、たしか伊江島出身とおっしゃってましたよね。来年1月、うちの娘が高校の研修旅行として沖縄に行きます。その宿泊先は、伊江島での民泊だそうです。芳沢さんのお知り合いのおうちに泊めていただくかもしれません。
うちの子が沖縄の人とお話させてもらって何を考えるか、今から楽しみにしています。
京都で、ではありませんが、私も福知山での講演のご縁で、第2部を見ることができました。
抑圧された住民のエネルギーが復帰運動に結集されたさまを見て、あの一番後ろに自分もいたのだというのも加味されて、今に続く沖縄の闘いの本流の見た思いがします。やはり頑張ろう、と。
どんなことがあっても、これが歴史であり、たとえなかなか日の目をみることはできなくても、きっといつか実を結ぶと思いました。