パオパオだより

2010年06月26日(土)

第25回サロマ湖100kmウルトラマラソン下見 [ランニング]

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 朝、ホテルまで中野さんがお出迎え。高知のご友人お二人を車にのせておられた。
 中野さんの二男さんの黒のいかつい車で受付会場(湧別総合体育館)へ。段差のあるところを通るたびに、「エアロパーツが・・・、息子に怒られる・・・」などとつぶやきながら運転しておられた。

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 中野さんは、サロマを10回以上完走しておられるので、「サロマンブルーメンバー」。
 受付も一般とは別。メンバーの特別控室もあるらしい。スタートも一番前。
 「ええなー。」

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 会場前にはスポンサーブース。
 「アシックス」のテントがいっぱいだったので、誰ぞ知ってる人がおらんかなと覗いてみたが、なし。そら、ここは北海道やもんね。

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 あんまり暑いので、レースの翌日海で泳いだろと思いつき、水着を物色。定価の半額のものが並べてあったので、もうほとんど買いかけていた。そこに、中野さん。
 「藤井さん、何を買おうとしてるんですか。」
 「いや、月曜ヒマやから、海で泳ごっかなーと思って・・・。」
 「ムリムリ。いくら気温が上がっても、オホーツクの海をなめてはいけませんよ。冷たくて泳げないですよ。」
 「えー、そうですかあ。」

 なんか納得いかんかったけど、地元の人の言うことは聞いておこう。

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 アシックスのお隣りには「ランナーズ」のテント。
 みなさん、帽子や帽子に付ける「ヒラヒラ」を見ておられた。「サロマ」がこんな暑くなるとは、誰も予想しなかったにちがいない。

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 スタート地点にある「サロマ100kmウルトラマラソン」の記念碑前で記念撮影。
 「中野さん、いっしょに撮ってもらいましょ。うちのヨメさん、中野さんのファンやから、写真見せたら喜びますし・・・。」
 「そんなふうには思えないけどなあ・・・。」

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 そこから中野さんの運転で、全コース下見。
 一番最初の5km弱の周回で。
 「いや、中野さん、一周してスタート地点に戻ってきますやん。スタートラインだけ越えて、どっかに隠れてて、また知らんぷりして走ったらあきませんの? それで、5kmほど楽できますやん。」
 「藤井さん、あなたはなんということを考えてるんですか。そんな考えでは、完走などおぼつきませんよ。」

 私のようなふざけたランナーは、参加申し込みの資格さえないのかも。(でも、常にずっこいことをやってみたいという欲望はあります。)

 17km付近、竜宮台折り返しでオホーツク海の風に当たる。確かに、気温はかなり上昇しているのに風自体は冷たい。疲れた足で海に入っていたら、確実全身けいれんですな。

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 中野さんにお聞きすると、このコースは16年前とほとんど変わっていないらしい。しかし、私の記憶の中にはまったく残っていない。
 唯一覚えていたのが、ここ。42.195km地点。左にサロマ湖で、右手に林。ここ、ここ。

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 そこからさらに、ワッカ原生花園へ。
 過去2回とも、私が足を踏み入れることができなかった場所。
 車では入れないので、途中の駐車場に車を置き、原生花園の中間点あたりから少し奥に向かって歩いてみた。

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 花の咲き具合は、年によって全然ちがうらしい。
 今年はたくさん咲いているほう、とのこと。

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 レース前日だというのに、「下見ラン?」 それもかなりのスピードで飛ばしておられた。

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 中野さんは12回目とか言っておられたが、高知のお二人は初参加。不安だらけだと思う。
 明日は4人ともここまで来ましょうね。

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 花はきれいに咲いていていいのだが、とにかく暑い。「ほんまにここ、北海道?」と言いたくなるくらい。

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 レストハウスにはレンタサイクルも置いてあった。
 明日、ヘロヘロランナーの横を自転車でスーと通ったら、そら気持ちええやろなあ。(自転車も通行止めやろか。)

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 いやま、かえらしい観光馬車。
 これは一人ではなく、好きな人といっしょに乗るもんやろねえ。

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 やっと、お昼ごはん。
 中野さんが昔よく行ったというお店「炉ばた」。佐呂間の国鉄の駅があったところの近く。

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 私は「ホッケの開き定食」(970円)。
 京都で食べるホッケよりだいぶ大きかった。ホタテの味噌汁も、「ええ味出してまっせー!」

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 ここから、ゴール地点である常呂町スポーツセンターへ。
 明日ゴールできたらええんやけど・・・、それはない! キッパリ!

 常呂から北見に送ってもらう時の眠たかったことったらありゃしない。
 中野さんといっぱいしゃべったのだが、おおかた忘れてしまった。一つだけしっかり覚えていること。
 「北見駅のコンテナ」・・・北見駅は、道東の物流の拠点地である。特に、農産物の出荷量は北海道の中でも極めて多い。一気に大量の運送をするには、やはりトラックよりもJRということらしい。

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 いったんホテルに戻り、夕方5時半から本日の第2部「サロマ前夜交流会」。
 会場は、日本最初の地ビールを造りだされた「オホーツクビアファクトリー」。

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 参加メンバーは、中野さん、高知の谷さん、酒井さん、それから国鉄OB・高久さんの奥さま(サロマはエントリーするも出場辞退)と私。
 そしてそして、よう来てくれたなぁー、こんなおっちゃんゃらおばちゃんやらの中に・・・、中野さんの二男の龍二君。

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 私がサロマヘ行くかどうか迷っていた時、「中野さんのご家族にお会いできれば」という条件を出していたのだが、それを考慮してくださったのかもしれない。
 私はきっちり龍二君の隣りに座り、中野さんの秘密(?)を根掘り葉掘り聞き出した。
 それをここに書くのはもったいないので、もうちょっと吟味してから別項として書く予定です。題して、「中野さんイメージダウン作戦」。へへへー。

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 高久さんの奥さまのギャグ。

 私、ベルリンマラソンに一人で走りに行ったんですよ。すごく遅くて豪華収容バスに一番乗りでした。そのバスにはテレビも付いていて、それまでのレースの様子のビデオが流れてるんですね。
 それを見ていて、「おっ、なんでこんなところに朝青龍が走ってんだー」て思ってよーく見たら、それが私だったんだよねー。

 笑っていいんでしょうか。 

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 私は3種類のちがう味のビールをジョッキでいただいた。ほんま、「うまうま、ぐびぐび、うまうま、ぐびぐび・・・」やったな。
 横から、龍二君が気を使って、「これ、食べてください」とか、「これ、注文しましょうか」とか。すまんなー。自分は運転があるからジュースやって。
 他のメンバーはようわからんけど、中野さん、龍二君に私のことなんて説明してはんにゃろ。
 「京都からいやになれなれしい変な人が来るんや。お前にも会いたいって言って困ってる。すまん、ちょっと辛抱して来てくれ」とかやったりして・・・。

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 「サロマ前夜交流会」は、次の日のことも考え、まだ明るいうちにお開き。
 私はホテルの温泉に入り、早々とペットに入った。
 なんせ、明日は2時半起きやから。

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2010年06月25日(金)

第6回勝手に国労応援ラン [ランニング]

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※さっき(6月28日夜10時前)、京都に帰ってきました。この4日間のことをぼちぼち書いていきます。とりあえず写真を載せて、文はあとで付け足していきます。どんどん増えていく予定なので、根気よく見てください。

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 バスの本数が少ないので、地下鉄「国際会館」までヨメさんの車で送ってもらった。もちろん、きくちゃん付きで。

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 京都駅でお弁当を買い、「はるか」に乗車。
 昼間から「スーパードライ」です。

 そもそも、16年ぶりに「サロマ」に出てみようと思ったのは、国労闘争団の中野勇人さんが誘ってくださったから。ゴール関門14時間の「丹後」を9年連続未完走なのに、それより1時間短い「サロマ」が完走できるわけがない。
 でも、中野さんの地元である北見に行き、ご家族にお会いして話をしてみたいと思った。北見まで行けば、マラソン+アルファがいろいろと期待できるような気がした。

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 関空から女満別空港へ。
 ここで宿泊地別に分かれたのだが、北見泊の方は意外に少なかった。みなさん、どちらに泊まられるんでしょう。

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 「北見ピアソンホテル」に着き、ちょっと休けいしてからランシャツランパンに着替え。
 そして、中野勇人さんにメール。(夕方5時50分ごろ)

 「ホテルに着きました」

 藤井です。
 ピアソンホテルに着きました。これから、「勝手に国労応援ラン」をします。ゼッケンを忘れたので、9の会のユニフォームで走ります。ちゃんと帰って来れるか知らん。
 明日は、ごいっしょさせていただいてよろしいでしょうか。

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 すぐに中野さんから電話がかかってきた。
 その時は層雲峡におられたらしい。高知から来られているご友人を案内されているようだ。

 「これから走りに行こうと思ってるんですけど、緑の多そうなところは近くにありませんかねえ。」
 「そのへんは北見で一番にぎやかな所だから、緑の多いところは近くにはないですよ。」
 「そしたら、適当に走ってみます。」
 「北見の人はみんな親切だから、道に迷ってもていねいに教えてくれますよ。」

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 自分の勘にたよって走りだした。
 そしたら、そんなに走ってもいないのに神社やお寺がたくさんある一角にたどり着いた。

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 一番最初は、北見神社。
 せっかくなんで、「あさって、変なとこが痛くなったりしませんように」とお願いしておいた。「変なとこ」とは、もちろん「股関節周辺」のことです。

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 北見神社のお隣りには浄土真宗のお寺、向いには日蓮宗の立派なお寺があった。

 「佛心には私心がない 人々を慈しむ心に充ち充ちている  我もこの佛心を学び行かん」

 こんなふうに思いながら走ったらええのかもしれん。

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 しばらく走ると、家の横の駐車スペースにネコちゃん発見!
 おお、それも4ひきも!

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 近寄って逃げてしまわれたら元も子もないので、望遠にしてパチリ!

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 このネコちゃん、先に撮ったネコちゃんそっくり。親子やろね。

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 これまた上等系ネコちゃんまで・・・。

 人を警戒しすぎないネコちゃんがいっぱい。もうそれだけで、私的には北見市のイメージアップです。
 「ありがとね、ありがとね」と、モデルになってくれたネコちゃんたちにお礼を言ったが、みなポカンとしていた。

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 そのネコちゃん通りから右手は住宅地。しかし、左の丘を上っていくと公園がありそうなフンイキがあった。

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 なんと、ドンピシャ。
 公園も公園、公認トラックを含めた大きな運動公園だった。

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 自由に出入りができるようで、小学生から一般の大人の方までいろいろな練習をされていた。

 珍しく棒高跳びの練習をしている若者発見!
 これは、高速連写のターゲットにピッタリ。

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 見事にクリアー。
 陸上競技って、見ていてあきないですよね。

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 競技場の外周道路を走ろうとしたら、口の黒い犬発見!
 これは素通りするわけにはいかん。

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パンク・オス・1歳半

 犬種をお聞きすると、「雑種です。パグがちょっと入っているみたいですけど・・・」というお返事。
 うれしいねえ、北海道北見市で初めて会ったワンちゃんが雑種というのは。
 人なつっこいワンちゃんで、めっちゃかわいかった。

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 外周道路を1周して戻ると、ホテルをスタートしてから35分くらいたっていた。もう、帰ったほうがいいな。

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 きれいな夕日。
 夕日側が西だから、ホテルは南。最初どっち方向に走り出したか分かっていなかったが、北向きに走っていたんですね。 

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ナナ・メス・16歳

 走っている歩道の反対側のおうちに、かわいいワンちゃん発見!
 写真を撮らせてもらおうと思ったら、その時ちょうど飼い主さん(女性)が車で戻ってこられた。
 「すいません。かわいいワンちゃんなんで、写真撮らせてもらってもいいですか。」
 「はい、どうぞ。」
 「ハスキーちゃんですよね。だいぶ歳が・・・。」
 「そうなんです、もう16歳なんですよ。」
 「じゅっ、じゅうろくさい!! すごい!! うちも前に雑種を飼ってたんですけど16で死んじゃったんですよ。大型犬の16歳って、めずらしいですよね。」
 「そうみたいですね。」
 「今でも走りたがったりします?」
 「ええ、いつも散歩のとき走ろうとするんですけど、もう足がついていかないんです。」
 「いやー、でも『走りたい』って気持ちはあるんやー。きっと、まだまだ長生きしますよ。」
 「そうだと、うれしいです。」

 私の姿を見られて。
 「何か大会があるんですか。」
 「はい、サロマ湖沿いに100km走るウルトラマラソンに出るんです。京都から16年ぶりの参加です。」
 「そうなんですか。がんばってくださいね。」
 「かわいいワンちゃんに会えたから、きっとがんばれると思います。」
 私は本気でそう思っています。

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 もう一ぺん見たい、ネコちゃん家族。

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 おったー!

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 そんな隠れんでもええのに・・・。

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 せっかく線路が近くなので、電車の写真を。
 逆光なので、なんかよう分かりませんなあ。真ん中辺に電車通ってるんですけど・・・。

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 北見駅に近づくと、大量のコンテナ。
 北見って、こんなたくさんのコンテナで運び出すような特産品ってあったっけ?
 明日、中野さんに聞こうっと。

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 せっかくなんで、北見駅改札口もパチリ!

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 セルフシャッターで、北見駅訪問証拠写真もパチリ!

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 ホテルに着いたのは、スタートより1時間3分後。
 キロ7分ペースとして、9kmくらい走ったことになるのかな。
 トレーニングというよりも、かわいいネコちゃんワンちゃんに会えたのがよかった。これで、気持ちよく大会当日を迎えることができる。

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 晩ごはん一人というのはちょっとさびしかったが、同じように一人で泊まられていた栃木のランナー(50kmにエントリー)とお話したりできて退屈することはなかった。
 明日は、中野さんがコース下見に連れて行ってくださるので楽しみ。というか、下見より中野さんとしゃべるのが楽しみかな。

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サロマへ [ランニング]

 「サロマ湖100kmウルトラ」に行ってきます。
 しばらくブログの更新ができないと思います。その間、きくの顔でも見て楽しんでください。

※「第6回勝手に国労応援ラン」は、今日の宿泊地、北見駅周辺を走ろうと思っています。

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2010年06月24日(木)

沖縄「慰霊の日」と映画「GAMAー月桃の花」 [沖縄]

 昨日6月23日は、沖縄「慰霊の日」。
 1945年のこの日、3ヶ月近く続いた悲惨な沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終結した。

 私は、4年前までその日さえ知らなかった。

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平和祈念公園 (2006.6)

 2006年、当時小6だった真樹が「沖縄行ってみたいなあ」と言い出した。
 真樹の知らない新しい世界を見せたくて、私たち夫婦と真樹で沖縄旅行。
 一番の目的は、自分たちの学校と境遇の似た「鳩間小中学校」見学。
 その次の目的は、沖縄戦で戦死した私の父のいとこ・藤井勘六さんのお参り。 

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平和の礎

 私自身も、いなかの本家の藤井克己さんのお父さんが沖縄で戦死したという事実だけは知っていた。私の父より10歳ほど年上の藤井勘六さんは、父の出征の時、「絶対死ぬなよ」と声をかけて送り出してくれたそうだ。
 その勘六さんの名前が「平和の礎」に刻まれていた。
 真樹も、「京都からこんなに遠い沖縄で、となりのおっちゃんのお父さんは戦死したんや」ということだけは分かったと思う。

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ひめゆりの塔

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 昨日、真樹の高校では、映画「GAMAー月桃の花」を鑑賞した。

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■ストーリー

 1994年沖縄県では戦後50周年事業として、全戦没者の名前を刻んだ“平和の礎”を摩文仁の丘に建立することになり、各市町村で名簿づくりの一斉調査が始まっていた。
 宮里房(72)は海辺の村で琉舞を教えながら幼稚園を経営している現役の園長である。

 同世代の沖縄のアンマーの例にもれず地獄の戦場を体験した一人だ。5名の身内を次々と砲爆撃で奪われ、最後に追い詰められた摩文仁岬の洞窟から母と娘(赤ちゃん)だけが奇跡的に生還した。だが、房はその洞窟の中で何が起こり、何を目撃したのか誰にも語ったことがない。語るに語れないつらい悲しい想いを胸の内に秘めたままだった。房は戦没者調査も頑固に拒んで役所職員を手こずらせていた。

 そんなある日、突然、アメリカから孫のジョージ(22)が訪ねてくる。摩文仁の洞窟から九死に一生を得た娘の和子はアメリカに住んでいて、なぜか房とは絶縁状態になっていた。ジョージはその和子の一人息子なのだ。

 ジョージが母の故郷・沖縄を訪れたのは、母と祖母が仲違いした原因を直接房の口から聞きたかったのと、母の記憶にも無い沖縄戦で死んだらしい自分の祖母についても詳しく知りたかったからだ。しかし、房の口は重く、ジョージの期待ははずれた。

 ジョージはアメリカを発つとき、母から一度訪ねるように言われた読谷村(よみたんそん)の陶工・平良勝男(59)に会い、そこで意外な事実を聞いた。

 沖縄戦の末期、洞窟の中で房と和子と一緒にいた勝男は戦後、和子と兄妹のように房に育てられたというのだ。やがて成人した和子は、米軍のパイロットと恋仲になり、房の猛反対を押し切ってアメリカへ渡っていったという。そのパイロットの父はもういない。ジョージが2歳の時ベトナムで戦死している。

 ジョージは祖母と母が不仲になった理由をはじめて知った。だが、祖父の話に及ぶと、勝男も房と同じように口を閉ざして語ろうとしなかった。
 その後、ジョージは「今でもアメリカを恨んでいるか。アメリカ人の僕が憎くはないか」と房に聞いた。ジョージの唐突な問いかけに眠れぬ一夜を過ごした房は、翌日勝男に電話をかけ、すべてをジョージに話すつもりだと言う。「和ちゃんのあのこともですか?」と勝男は一瞬戸惑いを見せるが房の決意を察して同意する。2人には、何か和子に関わる共通の秘密があるようだ。

 房と勝男はジョージを伴い、50年前、地獄を体験したガマの前に来ていた。「ジョージ、何もかも話すから、和子にしっかり伝えておくれ」固唾を飲んで見つめるジョージに房は語り始めた。

 1945年4月1日、北谷(ちゃたん)の海岸から戦車の群が真っ黒に這い上がってきた。太平洋戦争の総決算として、沖縄本島を中心に日米最後の地上戦が展開されたのだ。

 実家のある中城村に疎開していた房は、4歳の真吉と1歳の和子を抱えていた。夫の真助は防衛隊にとられ、舅と実母、義理妹とその赤ちゃんの一行7名は、軍司令部のある首里(しゅり)を目指して避難して行ったが、やがて首里にも敵部隊が迫り、さらに南へと逃避行は続いた。

 昼夜を分かたぬ間断ない砲爆撃。山は割られ、村々は焼き尽くされ、地面を叩きつける砲煙弾雨の中を房たち一行は生活道具を堤げて泥道に散乱する死体をまたぎながら歩き続けた。

 途中、舅と実母、義理妹とその赤ちゃんの4人が次々と「鉄の暴風」の餌食になっていった。和子を背負い、怪我をした真吉の手を引いて命からがら逃げ込んだガマの中には、敗残兵と避難民が雑居していて、絶えずにらみ合っていた。

 不安なガマ生活の房親子を手助けしたのは平良勝男(10)だった。勝男は避難小屋にいたとき、米軍に手榴弾を投げ込まれて家族全員を失い戦争孤児になった。房たちに自分の失った家族を投影していたのかもしれない。とりわけ、真吉や和子を弟や妹のように可愛がった。

 戦闘はますます悪化し直撃弾がガマを見舞うようになる。真吉は傷が原因で高熱を出してうなされ続けた。房は、父を慕う真吉のうわ言を聞きながら胸を痛めた。夫の真助はどこにいるのだろうか…生きているのか…死んでしまったのか…房は夢を見た。戦争前の平和な家族団らんの幸福な日々の夢だった。

 いよいよガマが猛攻撃を受けた。轟音と共に岩天井が落盤し、壕内は大混乱となった。そして、ついに真吉が岩石の下敷きになって事切れた。そんな時、夫の真助が現れた。防衛隊にとられた真助はハワイ帰りで英語が出きるという理由でスパイ容疑をかけられ、危うく処刑されるところを脱走してきたのだ。

 2人は真吉に何もしてやれなかったことを詫びながら、泣き泣きガマの奥に遺体を埋葬した。

 馬乗り攻撃されたガマに最後の時が迫っていた。米兵はしきりに投降を呼びかけてくるが、「敵の捕虜になる者はスパイとみなして処刑する」という命令で、日本兵たちは住民に銃口を向けて脱出を許さない。地下川は涸れ、食料も底をついて飢餓地獄の様相を呈していた。赤ちゃんや幼児が泣き叫ぶ。「子どもを泣かすな! 敵は音波探知機で探っているのだ! 泣く者は始末するぞ!」と住民を脅した。

 親たちは我が子の口をふさぎだまらせるのに懸命だった。房も和子に乳房をふくませ泣き声が漏れないように強く抱きしめた。その様子を勝男が悲しそうに見つめていた。

 房が和子の異変に気づいたのは間もなくだった。

 真助は房を日本兵の人質に残し、米軍と折衝するためにガマを出た。そして、交渉が成立し、喜び勇んで戻ってきた時、その背後には米兵の姿があった。敵を誘導してきたと勘違いした日本兵は真助を撃ち殺した。狂ったように真助に走り寄る房。

 米軍の一斉攻撃が始まった。火炎放射の猛火がガマを襲い、迫撃砲が容赦なくぶち込まれた。避難民の間で手榴弾の炸裂音が次々と響く。断末魔の呻き声が壕内に充満し、阿鼻叫喚の地獄図が現出した。

 硝煙の漂う中、真助の遺体のそばに幽鬼のような房が立っていた。すべてを失った房が手榴弾の引き金を引こうとしたその時、かすかに聞こえてくる赤ちゃんの泣き声。房はその声に引き寄せられるように近づき、赤ちゃんを抱き上げた。

 房の話が終わったとき、ジョージ、勝男、それぞれの目に涙が光っていた。ジョージが呟く「それがママだったんだ…」。房はこれまで真実を隠していたことをジョージとアメリカの和子に詫びた。ジョージも又、母の命を救ってくれたからこそ、今の自分が存在していることで房に感謝した。「前よりもっとおばあちゃんを愛しています」ジョージは房を強く抱きしめた。

 翌、1995年、摩文仁の丘に“平和の礎”が完成した。林立した礎には敵味方を超えた戦没者23万人余りの名前が刻まれている。その中に「宮里和子」の名前もあった。

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 真樹は、この何日も前から映画鑑賞の話をしていた。
 真樹はとにかくこわがりで、感情移入も激しい。 小さいときから、映画の途中で大泣きした事が何度もある。
 でも、この内容の映画で、こわくなったり泣きたくなったりしても何も恥ずかしがることではない。それだけは言っておけばよかった。

 映画鑑賞の前日、真樹がおもしろいことを言っていた。
 「みんながみんな真剣に見ているのも変やし、誰も真剣に見てへんのもイヤ。」
 ふだんみんながそれぞれ様々な反応をするように、この映画鑑賞でもそうであってほしいという意味だと思う。それは、私が常々言っている「戦争の強制はもってのほかだが、平和の強制もまっぴらごめん」と似ているかもしれない。

 映画鑑賞が終わって、家に帰ってきた真樹は元気がなかった。真樹がイヤがっていた「誰も真剣に見てへん」状態に近かったようだ。
 せっかく沖縄「慰霊の日」に行われた行事なのに、何の説明もなく映画が始まったらしい。先入感を与えるのもよくないかも知れないが、ひと言もないというのはどうなんでしょう。
 今、沖縄の米軍基地の問題が大きくクローズアップされているのだから、その辺もからめてたとえ5分ほどでも話してくれはったらよかたのに。
 でも、真樹は、4年前の沖縄旅行で感じたことがこの映画鑑賞にも必ずつながっているはず。今は話し相手もいないかもしれないが、映画を見て感じたことをいつか誰かに話せる時が来たらいいのにと思う。

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2010年06月23日(水)

小谷屋のおばさん [雑用]

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 「おばさん、ちょっと写真撮らしてもらいますわ。」
 「えー、こんなおばあさん撮ってどうすんにゃなあ。」
 「まあまあ。」

 (パチリ!)
 
 「いや、おばさん、顔が白う白う写ってしまいましたわ。」
 「頭が白いさかい、そう見えんのとちゃうかなあ。まあ、私は顔は白いほうやけど・・・。」

 そうそう。小谷屋のおばさんは、ぼくらの同級生のお母さんの中では色白で美人。それは、80歳になった今も変わらない。

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 今日の午後、久しぶりにいなか(花脊別所町)に帰った。
 おじいさん(父)の家に行く前に、ちょっと小谷屋(元旅館)へ。

 「おばさーん、また来ました。」
 「ああ、こうじさん。よう来てくれはった。」
 「電気ついてへんさかい、いやはらへんのかいなと思いましたわ。」
 「一人でおったら電気はつけへん。もったいないやろ。」
 「またね、富士山のお菓子買うて来ましてん。富士山行ったら、おばさんのこと思い出しますにゃわ。」
 「いやー、ありがとうな。私みたいなよそのおばさんのことまで心配してくれて・・・。」
 「そんなたいそうな。一年に一回だけですやん。」

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 「中学の時担任やった中古賀先生が、ブルガリアから帰ってきてはるんですわ。もうむこう引き払って、元の家に住まはるみたいですよ。」
 「そうかー。ほんなら、また同窓会するんやな。」
 「そうですねん。よりちゃんにも連絡せんならん。」
 「こうじさん、よりさだも呼んだってな。よりさだは気楽なもんやわ。あんたとこはええわ、よめさんがしっかりしてはるさかいなあ。」
 「ほんまにそうですねん。何でも『ははー』ゆうとったらうまいこといきますねん。」
 「そら、あんたもちゃんと考えてるさかい、うまいこといってるんやわ。」
 「いやいや、みんなそうゆうてくれはるんですけど、ほんまのほんまにヨメさん頼りで生きてますねん。」
 「はははー、そうか。それでええて。ヨメさんがしっかりしとる家はみんなうまいこといっとるてー。」

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 「うちのありさん(だんなさん)はな、58で死んでしもたんやわ。そやし、よりさだもあと4年したら気つけんなんゆうとる。」
 「ありさん、そんなはよ死なはったんでしたっけ。うちもね、おかちゃんが65で死んだんです。そやし、ボクもあと10年ほどしたら気つけんなんなあ思とるんです。」
 「あんたはだいじょうぶやてー。腹も出でへんし、元気そうやし・・・。よりさだは心配やわ。」

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 「こうじさん、あの写真見てみー。あのころはスキーのお客さんがいっぱいで・・・。」
 「あー、これはぼくらが小学生くらいの時やね。45年ほど前ですわ。このころは、リフト乗るのんが1時間待ちとかゆうこともあったしねえ。」
 「そうやで、こうじさん。うちの前でバス待ってる人におでん売ったら、鍋に入れる間もなく次々と売れてなあ。おにぎりかて、まだごはんも炊けてへんうちから次々とお金出さはんにゃわ。みんな我先にな。ほんまににぎる間もないくらいに飛ぶように売れたんやで。
 そんでな、その売れたお金はどこ行ってしもたんやてよう言われるんやけど・・・。おおかた、その時働いてくれはった人に渡してしもたわ。」

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 「うちの駐車場にも車があふれてなあ・・・。とめるとこないゆうておこられるくらいやったのに・・・。」

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 「おばさん、ごはんちゃんと食べてはります?」
 「それがな、ちゃんと食べとるんやわ。朝はパン、昼と夜はごはん。」
 「でも、農協もなくなってしもたし、買いもんたいへんやね。京都とか行ってはります?」
 「いやー、めったに行かんわ。」
 「家から出て行かはることも少ないんやね。」
 「そうや。そやけどな、あんたとこの裏の診療所にはちゃんと歩いて行ってるんやで。去年、私の弟が二人ともガンで死んでしもてなあ。あんたもしっかり検査してもらわなアカンてみんなに言われて・・・。そやけどな、『兄弟3人中2人がガンで死んだら確率的には後の1人はだいじょうぶです』て先生に言われて・・・。うまいこと言わはるわ。」

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 「こうじさん、私もよりさだに電話しとくし、呼んだってな。」
 「はい、電話します。でも、富山から出てきてくれるかなあ。」
 「そら分からんけど、さそたって。」
 
 「ほなら、おばさん、帰りますわ。またしゃべりに来ますし。」
 「ほんまにありがとうね。よう来てくれたね。」

 2年ぶりの第2回中古賀クラス会の目標は、1回目に来てもらえなかったメンバーに1人でも2人でも来てもらうこと。
 「よりちゃーん、来てくれよー。」

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2010年06月22日(火)

にゃー子? [わんこ・にゃんこ]

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 わたくし、にゃー子と申します。
 いえ、みゃー子だったかも。

 パオパオさんのブログに登場するのは、たぶん3回目。
 最初は、にゃーにゃー。次は、みーちゃんという名前で出ていたような・・・。

 実はわたくし、とあるお方のおうちにかくまってもらっています。「かくまう」とはたいそうに思われるかも知れませんが、わたくしたちネコのことがどうしても好きになれない人たちもたくさんおられるんです。

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 パオパオさんはわたくしとは知り合いでもないのに、なれなれしくしてくるのでちょっとイヤです。
 わたくしがカリカリを食べている時、おしりをなでたり、おなかをさわったり。
 「おちついて食べられないにゃー。」

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 わたくしはネコ界では弱もんでして、おしりらへんやくびらへんをかまれて毛が抜けてしまっています。
 でも、気まぐれに帰ってこられるこの「隠れ家」があるおかげで、まだまだ長生きができそうです。いえ、します! 

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 「隠れ家」のおっちゃんおばちゃん、いつもありがとう。
 これからわたくしも、むちゃしないようにしますね。

 (「隠れ家」のおっちゃんおばちゃんの名前は秘密です。ヒントは、ワールドカップサッカー・カメルーン代表の・・・。)

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2010年06月21日(月)

ミサンガ2世 [家族]

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 昨日、「SAIKOロードレース」から帰ったのは夜8時前。廉がなんかの会に出かけていたので、真樹は一人で出前のお寿司を食べていた。
 「パオパオ、あげる。」
 真樹が差し出したのは、ミサンガ。去年作ってくれたミサンガは数ヶ月前に切れてしまっていた。(きくのガウガウのせいで。)
 「父の日のプレゼントかー」とヨメさん。
 「ありがとう。若々しい色でええやん。」

 なぜだかわからないが、4月以降、子どもたちにおこづかいをやっていない。私はそれまでのように毎月決まった額を渡すのがいいと思っているのだが、ヨメさんは反対。いる時にいるだけ渡すのがいいと思っているようだ。
 そのため、うちの子らはお金がないときはまったくない。かわいそうに。
 そこで、前から買ってあった糸を使ってミサンガを作ろうと思ったようだ。かしこいなあ。

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 ちょうど1週間後に、「サロマ」。
 真樹に作ってもらったミサンガの力を借りて、「めざせ80kmプラス1m」。

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 「役立たずの父」というイメージが定着してしまった。確かに、役には立っていない。
 真樹は、ときどきいつもより1本早い電車に乗る。いつもは駅まで歩いているが、その時は駅まで自転車で行く。その自転車を回収して、自宅まで持って帰ってくるのが私の役目。
 今、真樹の役に立っているのはこれくらいですかねえ。

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