2010年06月23日(水)
小谷屋のおばさん [雑用]
「おばさん、ちょっと写真撮らしてもらいますわ。」
「えー、こんなおばあさん撮ってどうすんにゃなあ。」
「まあまあ。」
(パチリ!)
「いや、おばさん、顔が白う白う写ってしまいましたわ。」
「頭が白いさかい、そう見えんのとちゃうかなあ。まあ、私は顔は白いほうやけど・・・。」
そうそう。小谷屋のおばさんは、ぼくらの同級生のお母さんの中では色白で美人。それは、80歳になった今も変わらない。
今日の午後、久しぶりにいなか(花脊別所町)に帰った。
おじいさん(父)の家に行く前に、ちょっと小谷屋(元旅館)へ。
「おばさーん、また来ました。」
「ああ、こうじさん。よう来てくれはった。」
「電気ついてへんさかい、いやはらへんのかいなと思いましたわ。」
「一人でおったら電気はつけへん。もったいないやろ。」
「またね、富士山のお菓子買うて来ましてん。富士山行ったら、おばさんのこと思い出しますにゃわ。」
「いやー、ありがとうな。私みたいなよそのおばさんのことまで心配してくれて・・・。」
「そんなたいそうな。一年に一回だけですやん。」
「中学の時担任やった中古賀先生が、ブルガリアから帰ってきてはるんですわ。もうむこう引き払って、元の家に住まはるみたいですよ。」
「そうかー。ほんなら、また同窓会するんやな。」
「そうですねん。よりちゃんにも連絡せんならん。」
「こうじさん、よりさだも呼んだってな。よりさだは気楽なもんやわ。あんたとこはええわ、よめさんがしっかりしてはるさかいなあ。」
「ほんまにそうですねん。何でも『ははー』ゆうとったらうまいこといきますねん。」
「そら、あんたもちゃんと考えてるさかい、うまいこといってるんやわ。」
「いやいや、みんなそうゆうてくれはるんですけど、ほんまのほんまにヨメさん頼りで生きてますねん。」
「はははー、そうか。それでええて。ヨメさんがしっかりしとる家はみんなうまいこといっとるてー。」
「うちのありさん(だんなさん)はな、58で死んでしもたんやわ。そやし、よりさだもあと4年したら気つけんなんゆうとる。」
「ありさん、そんなはよ死なはったんでしたっけ。うちもね、おかちゃんが65で死んだんです。そやし、ボクもあと10年ほどしたら気つけんなんなあ思とるんです。」
「あんたはだいじょうぶやてー。腹も出でへんし、元気そうやし・・・。よりさだは心配やわ。」
「こうじさん、あの写真見てみー。あのころはスキーのお客さんがいっぱいで・・・。」
「あー、これはぼくらが小学生くらいの時やね。45年ほど前ですわ。このころは、リフト乗るのんが1時間待ちとかゆうこともあったしねえ。」
「そうやで、こうじさん。うちの前でバス待ってる人におでん売ったら、鍋に入れる間もなく次々と売れてなあ。おにぎりかて、まだごはんも炊けてへんうちから次々とお金出さはんにゃわ。みんな我先にな。ほんまににぎる間もないくらいに飛ぶように売れたんやで。
そんでな、その売れたお金はどこ行ってしもたんやてよう言われるんやけど・・・。おおかた、その時働いてくれはった人に渡してしもたわ。」
「うちの駐車場にも車があふれてなあ・・・。とめるとこないゆうておこられるくらいやったのに・・・。」
「おばさん、ごはんちゃんと食べてはります?」
「それがな、ちゃんと食べとるんやわ。朝はパン、昼と夜はごはん。」
「でも、農協もなくなってしもたし、買いもんたいへんやね。京都とか行ってはります?」
「いやー、めったに行かんわ。」
「家から出て行かはることも少ないんやね。」
「そうや。そやけどな、あんたとこの裏の診療所にはちゃんと歩いて行ってるんやで。去年、私の弟が二人ともガンで死んでしもてなあ。あんたもしっかり検査してもらわなアカンてみんなに言われて・・・。そやけどな、『兄弟3人中2人がガンで死んだら確率的には後の1人はだいじょうぶです』て先生に言われて・・・。うまいこと言わはるわ。」
「こうじさん、私もよりさだに電話しとくし、呼んだってな。」
「はい、電話します。でも、富山から出てきてくれるかなあ。」
「そら分からんけど、さそたって。」
「ほなら、おばさん、帰りますわ。またしゃべりに来ますし。」
「ほんまにありがとうね。よう来てくれたね。」
2年ぶりの第2回中古賀クラス会の目標は、1回目に来てもらえなかったメンバーに1人でも2人でも来てもらうこと。
「よりちゃーん、来てくれよー。」
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2010年06月22日(火)
にゃー子? [わんこ・にゃんこ]
わたくし、にゃー子と申します。
いえ、みゃー子だったかも。
パオパオさんのブログに登場するのは、たぶん3回目。
最初は、にゃーにゃー。次は、みーちゃんという名前で出ていたような・・・。
実はわたくし、とあるお方のおうちにかくまってもらっています。「かくまう」とはたいそうに思われるかも知れませんが、わたくしたちネコのことがどうしても好きになれない人たちもたくさんおられるんです。
パオパオさんはわたくしとは知り合いでもないのに、なれなれしくしてくるのでちょっとイヤです。
わたくしがカリカリを食べている時、おしりをなでたり、おなかをさわったり。
「おちついて食べられないにゃー。」
わたくしはネコ界では弱もんでして、おしりらへんやくびらへんをかまれて毛が抜けてしまっています。
でも、気まぐれに帰ってこられるこの「隠れ家」があるおかげで、まだまだ長生きができそうです。いえ、します!
「隠れ家」のおっちゃんおばちゃん、いつもありがとう。
これからわたくしも、むちゃしないようにしますね。
(「隠れ家」のおっちゃんおばちゃんの名前は秘密です。ヒントは、ワールドカップサッカー・カメルーン代表の・・・。)
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2010年06月21日(月)
ミサンガ2世 [家族]
昨日、「SAIKOロードレース」から帰ったのは夜8時前。廉がなんかの会に出かけていたので、真樹は一人で出前のお寿司を食べていた。
「パオパオ、あげる。」
真樹が差し出したのは、ミサンガ。去年作ってくれたミサンガは数ヶ月前に切れてしまっていた。(きくのガウガウのせいで。)
「父の日のプレゼントかー」とヨメさん。
「ありがとう。若々しい色でええやん。」
なぜだかわからないが、4月以降、子どもたちにおこづかいをやっていない。私はそれまでのように毎月決まった額を渡すのがいいと思っているのだが、ヨメさんは反対。いる時にいるだけ渡すのがいいと思っているようだ。
そのため、うちの子らはお金がないときはまったくない。かわいそうに。
そこで、前から買ってあった糸を使ってミサンガを作ろうと思ったようだ。かしこいなあ。
ちょうど1週間後に、「サロマ」。
真樹に作ってもらったミサンガの力を借りて、「めざせ80kmプラス1m」。
「役立たずの父」というイメージが定着してしまった。確かに、役には立っていない。
真樹は、ときどきいつもより1本早い電車に乗る。いつもは駅まで歩いているが、その時は駅まで自転車で行く。その自転車を回収して、自宅まで持って帰ってくるのが私の役目。
今、真樹の役に立っているのはこれくらいですかねえ。
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2010年06月20日(日)
第26回SAIKOロードレース [ランニング・出張販売]
「写真、撮らせてもらいまーす。」
「あー、ありがとね。レイ子ちゃんは、元気に走ってます。」
去年「写真撮ります」と約束していたのに撮れなかったレイ子さん。今年はバッチリ撮れました。
2周の部の10分前にスタートした1周の部(10.7km)の、後ろのほうを走っておられたレイ子さん。そのレイ子さんに追いついたのは3.5kmくらいの地点。しっかりとしたいいペースで走っておられました。
「また、うちの店にも顔を出してくださいね。」
朝5時起き。
民宿「こまどり」さんが作ってくださったおにぎり弁当を持って会場へ。
前日の予報では朝9時くらいまで雨ということだったが、いいほうに外れてくれたようだ。
雨に備えて予備のテントを持ってきていた。しかし、それも出さずに済みそうな気配。前日と同じように賞品を陳列した。
この大会に初めて来たとき(20年以上前)は、ランニング用品店の出店は「京都キャロット」のみ。しかし、現在はたいへんな数になっている。
うちのように何年たっても同じメンバーできている店は少ない。うちは子どもたちが大きくなってついてこなくなっただけで、ずっと夫婦二人で来ている。
しかし他の店では、来られるメンバーが変わったり、その店の出入り業者(?)の人をひきつれて来たりしておられる。それは、買われるお客様にとってはどうなんでしょう。私自身がお客として見たら、そんな店はちょっとうさん臭いにおいがしてイヤです。自分らが来れなくなった時は、他の人に「京都キャロット」の名前を貸すのではなく、もうあっさりと店をたたむべきですね。
うちが売り上げが落ち込んでいる大会にもしがみついているように見えるのは、子どもらとの思い出がいっぱい詰まっているからです。
「あそこで、廉が大けがしてたいへんやったなあ・・・。」
「ここでは、真樹が大泣きしたなあ・・・。」
私は、出店させていただいているマラソン大会にはほとんどすべて出場させていただいています。そうでないと、その大会の良さがわからない。どんなコースか走ったこともない店員さんは、どんなことを言いながら販売されているんでしょう。私にはまったく理解できません。
私は、今年も例年通り2周の部(20.5km)。
早起きしても体はまだ半寝の状態。インストラクターの方といっしょに準備運動。
会場の隅には、「健康科学大学」の学生さんによるストレッチとマッサージ。
受付には、「私たちは有資格者ではありません。・・・・・をご了承ください」と書かれていた。
私も時間があれば受けてみたかった。
泊めていただいた民宿「こまどり」さんのすぐ近くがスタート地点。ただし、会場から700mほど離れている。
左奥に富士山が見えていた。富士山か゛見えていたら、天気が急変することはないだろう。
私がレースに出ている途中に大雨、というのが最悪のパターン。ヨメさんがずくずくでへとへとになるというやつ。パラパラ降る可能性はあっても、急な大雨というのはなさそう。
9時20分、2周の部がスタート。
去年は1時間53分59秒だったが、今年はもっとゆっくり走りたい。できればキロ6分ペース、ゴールが2時間ちょっとくらいが理想。
スタートラインまで40秒。後ろに並んだわりにはスムーズなスタートだと言える。持ちタイムの速い順に並ぶのが徹底されていたら、こういう気持ちのいいスタートが切れる。
最初の1km、6分37秒。ということは、実質キロ6分ペース。
次の1km、5分48秒。まあまあいい感じ。このペースを続けていきたい。
5km、29分12秒。
10km、57分25秒(27分13秒)。想定していたタイムよりちょっと速い。
思っていたより蒸し暑く決して走りやすいとは言えなかったが、特別痛むところもなかったので後半もこのペースで。
10kmすぎで、声をかけてくださった方あり。沼津の田中さん。いろいろ話しながら、しばらく並走させていただいた。
今日は店の宣伝のため、「京都キャロット」のユニフォームで出場している。どこに行っても、「京都」にいイメージを持っておられる方が多い。
「京都には修学旅行で・・・」
「大学が京都で・・・」
「京都シティハーフマラソンで・・・」
その思い出は様々だが、悪口はほとんど聞いたことがない。2012年開催と言われている「京都マラソン」も、このあたりをよく考えなくてはね。
15km、1時間24分32秒(27分07秒)。
20km、1時間52分35秒(28分03秒)。最後の上り坂はさすがにきびしい。
ゴールは、1時間55分03秒くらいかな。
去年より1分遅れ。でも、去年より気持ちよく走れた気がした。
雨は降らなくてよかったのだが、店のほうはも一つだったようだ。
ヨメさんの分析では、同じような店が多く出すぎていて、お客様の購買意欲が低下しているのではないかということ。確かに、最近は出店業者「共倒れ」の傾向が強くなっている。
私は自分の好きなレースに出れて自己満足しているのだが、一家を支える藤井眞寿美店長としてはゆゆしき傾向に苦慮している。私がこんな風なお気楽なブログを書いているもので、見た人は「京都キャロット」は何もかもうまくいっているとかんちがいされている。それがヨメさんの一番「むかつく」ところらしい(私に対して)。
「お気楽なんはオッサンだけで、私は毎日毎日たいへんなんやから・・・。」
食事をしている写真も撮るな、とヨメさんに言われる。
「あちこち旅行して、おいしいものを食べて、遊び気分で仕事ができていいですね」といようなことをよく言われるらしい。
私は、「そうですねん、遊んでいてもガッポガッポと儲かって、笑いがとまりませんわー」ゆうとけと言うのだが、ヨメさんは堅物なのでそんないいかげんなことが言えない。
「気の毒じゃー。」
片付けが終わって、精進湖畔の「ニューあかいけ」さんで昼食。今日は割と段取りよく片付けられ、2時には食べ始めることができた。
私は「わかさぎ定食」、1260円。
ヨメさんは「オムライス」、840円。
それほどたいしたもん(高い物)食べてないでしょ。
わかさぎのフライはホクホクでおいしかったし、添えられていた野菜がシャキシャキで、久しぶりの野菜らしい野菜という感じだった。(今、京都にはあんなおいしい野菜はない。)
最後のお楽しみは、富士IC近くの「田子の月」。
ここで、おじいさん(私の父)へのおみやげのお菓子を買い、私らもその場で食べる分を買う。コーヒーやお茶のサービスがあるので、おいしいお菓子を食べながらちょっと一息。しっかり働いたあとは、これが一段とおいしいんです。
直接大会とは関係ないが、このお店に寄って帰るのも「SAIKOロードレース」の大きな楽しみの一つになっている。
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2010年06月19日(土)
第26回SAIKOロードレース・前日受付 [ランニング・出張販売]
「去年のSAIKOの写真をブログに載せてくれたでしょ。あのあと、みんなから『見たよ』と言ってもらいましたよ。」
フルマラソン世界記録保持者・保坂好久さん。よーくお聞きすると、59・60・61歳の世界記録を持っておられるそうだ。60歳で2時間36分、61歳(現在)で2時間38分。脅威の記録です。
「62歳でも世界記録出しますよ」とのこと。
去年はうちのヨメさんとの2ショットだったので、今年は私といっしょに写真に入ってもらった。
保坂さんの会社の「シーズニングソルト」と「バーベキュースパイス」をくださった。見るからにおいしそうな・・・。さっそくサラダに使わせていただきましょう。
SAIKOロードレースの前日受付は、午後4時から6時までの2時間だけ。
しかし、日曜の天気予報は雨。雨の心配のない今日、たとえ2時間でもしっかりと販売に力を入れなくては。
大会会場は、「野鳥の森公園」。
芝生が広がっていて気持ちがいい。
うちの子どもたちといっしょに来ていたころは、この芝生でよく遊んだものだ。
「こうじさんこうじさん、かわいいワンちゃんいるで。」
「あかん。あれは柴犬やん。上等系やし・・・。上等系は年寄りに限る。」
「いや、あれはけっこういっとるで。」
「そうかあー。」
「すんませーん。ワンちゃんの写真撮らせてください。お名前は?」
「リュウです。」
「男の子ですよね。歳は?」
「10歳です。」
「わー、ええわー。りゅうちゃん、こっちむいて。写真、写真。」
「リュウは、愛想ないんですよ。」
「うちの犬もそうなんです。カメラ向けたら、必ず横向きます。」
「リュウ、こっちこっち。」
リュウちゃんはやっと前を向いてくれて、いい写真が撮れました。
会場の東側には富士山が。
頂上付近に雲がかかっていたが、そこ以外はくっきりきれいに見えていた。
やはり、2時間ではお客様は少ない。もう少し時間を延ばしてもいいように思うのだが。
明日、雨が降ったらいややなあ。
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2010年06月18日(金)
2010・反核平和の火リレー・続き [平和]
「ランナーズ9の会」からの参加者は、左から、サワーさん、尼崎の酔うたろう君、9ちゃん、山ちゃん、忍者ハットリ君、あんぱんまんバイキンマンさん、そしてカメラのシャッターを押す私・パオパオ。
その名前だけを聞くと、かなりあやしい団体のような・・・。いえいえ、ただひたすら「憲法9条を守っていきたい」と願うランナーの集まりです。あしからず。
山下さんが持っておられる「憲法改悪反対」ののぼりに注目!
この後ランニング中の山下さんにも注目!
なぜかこののぼりを持っておられません。なーんでか。
その答えは・・・、なななんと「反核平和の火」によってのぼりが燃えちゃったんです。「反核平和の火」、なにすんねん!とつっこみたいところですが・・・。こんなハプニングもありました。
私も入って写真を撮ってもらったけど、のぼりを見せようとするあまり、自分が半分しか写ってません。
茨木市役所前をスタート。
まずは、めざすは阪急「茨木市」駅前。
後続が市役所前の信号にひっかかったため、ちょっと休けい。
車イスの方も参加されているので、このあたりは超ゆっくりペース。
「ランナーズ9の会」の参加者の中で、一番軽やかな足どりだったあんばんまんバイキンマンさんがトーチ係。
駅前到着。
ここで、再度「反核平和の火」リレー。
「みなさーん、全員で記念撮影しますので、並んでくださーい」と、若者の声。
今度は、「ランナーズ9の会」ののぼりも私も、バッチリ写真に入りました。
「山根さん、一緒に写真撮りましょ。」
「えっ、どうして私と・・・。」
「さっきから、撮ってもらってばっかりやから・・・。」
写真撮影も含めいろいろなところでこまごまと動いてくださっていた山根さん。「いばらき自立支援センター」のスタッフの方です。
私と「いばらき自立支援センター」関係者である女性との会話。
「山根さんは自立支援センターのスタッフなんですよ。3か所の作業所があって、○○○○と□□□□と△△△△っていうんです。」
「えーと、ほかほかとぷかぷかと・・・」
「いえいえそうじやなくて、ぽかぽかとふかふかと△△△△。」
「あっ、わかりました。ぽかぽかとぷかぷかとどかどか。」
「いえ、ぷかぷかじゃやなくて・・・」
「あー、絶対おぼえらましぇーん。」
後で「いばらき自立支援センター」のホームページ「ぽぽんがぽん」を見て、やっとわかりました。
「ぽかぽか」と「ふかふか」と「どかどか」でした。さすがお笑いの都・大阪です。ホームページからしていいネーミングです。
阪急「茨木市」駅前から高槻市をめざす。
先導車の後ろを一列になって走る。
途中立ち寄る「富田町病院」の手前で時間調整。
気温は確実に30℃を超えている。
病院では、よく冷えたスポーツドリンクやお茶をいただいた。トイレもお借りし、しばし休けい。
拍手の中を再スタート。
この手前で、トーチの煙を吸い込んだ尼崎の酔うたろう君がぜんそくの症状。でも、病院のにおいで治ったのかも・・・。
先頭を行かれる山下さんの力強い走り。
山下さんは、ご自身のホームページに過去のランニングの記録を掲載されている。それを見ると、私よりずっと速い方であることが分かった。
「これからは、負けまへんでー。心しなはれやー。」
高槻市役所到着。
地下の休憩室をお借りし、お弁当タイム。
走った後のお弁当って、おいしいですよねえ。
山下けいきさんをはじめ、このためにいろいろとお世話をしてくださったみなさん、ありがとうございました。
私以外のみなさんは、この後、島本町めざして再スタート。
私は、「仕事するフリせんなんもんで・・・。帰らんと、ヨメさんにおこられますにゃわ。」
私が走った区間、茨木市役所から高槻市役所までは7kmちょっと。しかし、30℃を超える炎天下だったので、暑さに弱い私のダメージはけっこう大きかった。
でも、「反核平和のの火リレー」、できる限り来年も参加したい。
「いばらき自立支援センター」の人たちとももっとしゃべりたい。
来年は、私の時間の余裕のある水曜日開催だとうれしいんですけど・・・。
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