2009年06月29日(月)
「熱血校長VS都教育委 孤独な闘い」 テレビ朝日・ドキュメンタリ宣言より [学校]
今日は別のことを書く予定だったが・・・。
新聞のテレビ欄で見つけた。
「ドキュメンタリ宣言」 夜7時〜
教職員の言論の自由を守るために闘う東京都立三鷹高校の元校長・土肥信男さんに密着する。
土肥さんは、2008年4月に東京都教育委員会から全都立高校あてに通知された「職員会議における挙手・採決の禁止」に反対。公開討論を申し込むが、都教委は応じようとしなかった。土肥さんは定年退職後も教育現場に残りたいと、非常勤教員の採用試験を受けた。法令違反を犯さない限り落ちることはほとんどないが、不合格とされた。都教委を公然と批判したことが原因なのか。土肥さんは都教委を公の場に引っ張り出すため、提訴に踏み切った。
その内容は、私が今までに知っていることをまとめたようなものだった。
しかし、初めて知ったこともある。土肥さんは東大出身。それは知っていた。その東大在学中に起こったのが、東大安田講堂事件。当時3回生だった土肥さんは、決して学生運動に参加しなかった。その理由は、「東大卒というレッテルをどうしても欲しかった」から。
そうして手に入れた東大卒のレッテルで、一流商社に就職。しかし、そこで経験したのは「闇カルテル」。こんな不正だけはどうしても許せないと思い、退職。自分の信念を貫くことができるであろう教職を目指す。
この思いで、34年間がんばってこられた。
そうかー。根底に、この商社時代のいやーな経験があったんや。
それと、どうでもいいことやけど、土肥さんはうちの兄と同世代です。戦後ベビーブーム世代。(めっちゃ、大学に入るのが難しかった時代。)
もうひとつ、土肥さんの奥さんが番組に出ておられた。嫌がらせなどもあるだろうに、ちゃんと顔を出しておられました。
土肥さんが都教委を提訴することに踏み切ったとき、「私には、なくすものはなにもない」とおっしゃったそうだ。
それを聞いた奥さん。「私や子どもたちもいるのに・・・。」
奥さんが普通ぽい方で、なんだか安心しました。
私が、「卒業式・入学式での日の丸・君が代の強制は、どうも納得がいかん」と言っただけで、私を「左寄り」と決め付ける人がいる。なんで?
わしゃー、右も左も知らんど。普通の人やって・・・。
自分の都合が悪くなると対話を打ち切ってしまう人たちは信用ならんと言っているだけなのに、それと右翼左翼関係あるん? よう、わからん。
子どもたちがちがう番組を見ていたので、自分の部屋の小さい液晶テレビでこの番組を見ていた。ただ最後の、高校生が土肥さんに卒業証書を渡す場面はヨメさんにも見て欲しかったので、呼んでいっしょに見た。
「アンタみたいに口だけとちごうて、しっかりやることやってはるから、こうして子どもらに慕われるんやなあ。」
ひと言多いような気もするが、ここは土肥さんが一番大事にされていた「言論の自由」を思い出しじっとがまん。こうやって土肥さんの言動を私のブログで紹介するだけでも、何もしないよりはましと思うんですけど・・・。
「言論の自由がすべて。それがない学校では、子どもたちは幸せになれない。言いたいことが言える社会、それが基本だ。」というようなことをおっしゃっていた。
「たまにはまちがったことを言ってしまうこともある。でも、それは社会がきちんと判断してくれる。」
このテレビ番組では、土肥さんのことを「熱血校長」と紹介しているが、それはおかしい。私が冠をつけるなら、「冷静な良識ある校長」としたい。
でも、東京のように人口が一番多いところで、「冷静な良識ある校長」がたった一人なのは、どうして?
岩波ブックレットから、「学校から言論の自由がなくなる」という小冊子が出ている。これを読めば、ちょっとは私のギモンも解消されるかな?
読んでみよう!
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2009年06月28日(日)
京都ランナーズ例会・6月第4日曜 [ランニング]
久しぶりの、京都ランナーズ例会。
今日も30℃を超えそうな暑さだったが、そのわりには参加者が多いような気がした。
すぐに目についたのが、小学生の男の子二人。こんな元気な子たちが参加してくれるだけで、例会が活気付く。
「ブログに写真載せさせてもらっていいですか。」とお母さんにお聞きすると、すぐOKが出た。(ただし、名前ははずかしいようなので、イニシャルで紹介させていただきます。)
?818は、O・F君。?321が、そのお母さん。
?428は、N・T君。そのななめ後ろがお母さん。
「写真撮るし、一番前に並んでやー。」とお願いすると、ちゃんと一番前の真ん中に並んでくれました。
(ちょっと、緊張してるかな?)
スタートのピストルは、(恒例の?)スカ。
ピストル音を、半分ビビッて半分期待していたあの二人は、ずっこけたやろうね。
でも、すごく元気よく飛び出してくれました。
かなりのスピードだったので、シャッターチャンスをのがす。N君は撮れたけど、O君撮れへんかったー。ごめんね。
スタートから13秒後、いきなり、「パーン」。子どもたち、またずっこけてへんかなー、心配。
さて、話は元に戻り・・・。
御所内でのアップにも、たくさんの方が参加されていた。その年齢構成も幅広く、ランニングクラブとしては理想的。
中村彦四郎さんのリードでいろいろ体を動かしてみたが、そのたんびに「あいたたたー」。やっぱり、昨日の30.9kmがこたえてます。
そのとき目に付いたのが、小学生の男の子二人。
女の子は以前からよく来てくれていたが、男の子はめずらしい。二人とも細身ではなくしっかりした体のように見えたので、今後が楽しみ。走るのがいやにならんように、続けていってやー。
参加者は多かったのだが、ほとんどが1周。2周走らなもったいないことないかい。
「京都ランナーズ新ユニフォーム」のモデルは、吉田出さん。
橋爪さんの着られている旧ユニフォームは、もうレディスくらいしか残っていないそうです。
今日は、新入会員さんがお二人。
まずお一人目、波多健二さん。ランナーとしては、かなり大がらな方でした。この後、御所2周を私とデッドヒートになろうとは・・・。
もう一人は、蘆田怜さん。
前回の私の例会のブログ(4/12)に登場してもらった、蘆田君のお姉さんだそうです。姉弟とも早い。
今日は私らの3分後の後発スタートだったのに、2kmくらいですっと抜かれてしまった。
すかっぺのピストルで飛びだした一団は早く、気がつくと、私と中村彦四郎さんと保坂さんが最下位グループ。
今出川に入る第1コーナー付近で、やっと最下位脱出。
烏丸通りに入る第2コーナーまで、そのまま。
丸太町に入る第3コーナーの手前で、やっと「アンパンマン1号」こと杉原さんに追いつく。
「うまそうな肉に、やっと追いつきましたでー。」
「よかったら、一口どうぞ。」
受け答えが、ほんまにアンパンマンやがな。
よっしゃー、これで、今日は杉原さんに先着できるな、しめしめ。
寺町通りに入る第4コーナーを曲がったら、残りは700m弱。楽勝、楽勝。
と思ったら、大まちがい。
残り200mくらい?
大外急襲。でっかい肉のかたまりが、ふっ飛んでいった。
「なんじゃー、ありゃー。」
「杉原さん、やってくれよんねー。写真撮っときますわ。」
いつもの満面の笑みやね。
けっきょく、杉原さん20分04秒、私20分14秒。200mで10秒も差がついたか。
この写真撮ってる間(約30秒)に、後続の2人に抜かれてもたー。
気を取り直して、再スタート。
2周目は、抜かれてしまった保坂さんの水色のTシャツを目標に追っていったが、差は縮まらず。
2周目のゴールは、40分36秒。(2周目は、20分22秒)
でも、写真撮ってたわりには2周目がんばった。
ちなみに、小学生の0君18分28秒、N君19分09秒。O君のお母さん20分46秒。
お母さん、はやっ! お名前の中に、「早」という文字が入っていました。
「お母さん、ぜひ、京都ランナーズへ!」 (もう、入ってくれてはんのかな。)
私のすぐ後ろに、新入会員・波多さんがゴール。波多さんのおかげで、私も最後までがんばって走れました。ありがとうございました。
まだ後ろに誰かいたはず・・・、と思いながらカメラを持ち待っていると、反対側からかわいいワンちゃんが。
「すんません。ワンちゃんの写真、撮らせてもらいました。」
「ありがとうございます。」
「柴犬ですよね。お名前は?」
「かえでです。」
「かえでちゃん、かわいい名前やねー。歳は?」
「いやー、もう年寄りで、15歳こえてます。」
「そうですか。左目白内障みたいですね。」
「たぶん、もう両方見えていないと思います。散歩中もよく電柱にぶつかったりするんです。しっかりロープもってないと・・・。」
「でも、足腰はしっかりしてるみたいですやん。」
「いやあ、よくふらついてます。」
そういや、さっき、「かえでちゃん」って呼んだら、私の手にぶつかってしもたね。
目が見えへんでも、やさしい飼い主さんがしっかり世話してくれてはります。また、会いたいなあ。例会、のぞきにきてね。
かわいいので、もう一枚、パチリ!
帰るちょっと前、鈴木善永さんが話しかけてこられた。
「ぼくもね、『ランナーズ・9の会』入ってるんですよ。」
「えー、そうなんですか。知らんかったー。なんていう名前で?」
「えっ、名前って?」
「名簿はみんなニックネームで書いてあるでしょう。」
「そうでしたっけ。全然おぼえてないなあ。」
「入らはったんは、いつごろですか。」
「去年の『反核平和マラソン』で尾方さんに会って、そのときです。」
「そうですか、そしたら300番台やね。ボクが390番やから。帰ったら、調べてみよう。」
家に帰って「ランナーズ・9の会」のホームページで調べたら・・・。これじゃないでしょうか。
※ 367・京都・「ZEN」さん
京都で走っています。いろんな大会で「9の会」のランシャツ姿を見かけます。私も「9の会」に参加できて嬉しいです。9条の心が全世界に広がることを夢みています。
鈴木さんの話によると、今年の京都反核平和マラソンでは、「ランナーズ・9の会」のユニフォームがすごく多かったそうだ。これからも、ぼちぼちでも増やしていきたいですね。
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2009年06月27日(土)
第28回六甲マリンパークマラソン [ランニング]
今日はブラブラ走ったので、写真がいっぱいになった。セレクトするのもめんどくさいので、全部公開。説明は最小限にしますので、全部見てくださいね。
六甲ライナー「マリンパーク駅」の南へ徒歩5分。
受付の時、私に近づいてこられた方があった。
「私・・・、シューズ・・・、京都キャロットで買いました・・・。」
身振り手振りで何とかわかった。そういえば、昨日、「京都キャロット・産大前店」に来ておられたような・・・。いやいや、まちがいない。岐阜の石田求さんでした。
聴覚障害がある方なので心配だったが、ちゃんとうちの店にたどりつかれてよかった。
私のブログの常連さん・三宅さんと3人で、パチリ!
もうこれで、今日この大会に来てよかったと思った。
4周走り終わって、本部で給水させてもらおうと思ったとき・・・。
「わー。」
「おー。」
「こられてたんですかー。」
「いやー、今日は、正装ですやん。」
私のライバルのぼり馬こと「くのいち・あやの」さん。
この6月、3回目。不思議なご縁です。やっぱりこのスタイルが似合ってますね。
「藤井さん、ゆっくり行かれるんでしたらいっしょに走りませんか。」
「いやー、ボクは写真撮らんならんし、急に立ち止まったりするし、あきませんわー。」
(こんなかわいい女性からのおさそいを辞退するなんて、ああもったいない。)
「くのいちあやの」さんは、甲賀流か伊賀流かそれとも・・・と思っていたが、いまだ正体不明。しかし、大会スタッフである官浪さんと原さんが彼女の事を話されていたので、「はぐれくのいち」ではないらしい。今後が期待される、有力「くのいち」である事はまちがいない。(意味不明でしょうか。)
ネコちゃんにエサをあげておられたご夫婦と、ちょっとだけしゃべらせてもらった。
「この公園、ネコちゃん、たくさんいますね。」
「そうでしょう。私たち、避妊手術をしてもらって増えないようにしてるんですけど・・・。」
「そうなんですかー。手術代もたいへんでしょう。」
「一度には無理なんで、グループで積み立てて、順番にしてるんです。」
「それはいいことですね。うちの姉もおんなじようなことしてますわ。なんか、安く手術してくださる先生がおられるみたいで・・・。」
さっきから、何でこんなにネコちゃんが出てきてんのかなと思ったら、このご夫婦を待ってたんやね。自転車のかごにいっぱいエサを積んで・・・。
カメラを向けても逃げるネコちゃんが少ないのは、こういうわけがあったんや。
私は4周(20.6Km)を走る予定が、結局6周(30.9km)。
1周、31分43秒。
2周、1時間04分55秒。(33分12秒)
3周、1時間40分07秒。(35分11秒)
4周、2時間15分33秒。(35分26秒)
5周、2時間57分27秒。(41分54秒、休憩5分含む)
6周、3時間34分06秒。(36分38秒)
まあ、よう走りました。
この大会は、3月、6月、9月、12月と、年4回あるらしい。また、スケジュールが合えばぜひ参加したい。
(主催者さんの話によると、冬は六甲山が見事に見え、この前の海の色も鮮やかに変わるそうである。ということは、12月がおすすめですね。)
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2009年06月26日(金)
「じゅんさい」 [グルメ情報]
昨日から、廉は高校のテスト週間。
お昼すぎに帰ってくるので、3人で食べに行くことにした。
すぐ近くで、ボリュームがあって、おいしいところ・・・。
すぐに思いつくのが、「ナリケンの店」こと「じゅんさい」さん。(うちでは勝手に「ナリケンの店」と呼んでいる。)
真樹の元同級生、ナリケンが引っ越しする前はよく行ってた店らしい。元ナリケンちは、ナリケンいわく、「国際会館駅から2歩」。その言い方で言うと、この「じゅんさい」さんも、駅から2歩。
(実際は、陸上競技部跳躍パートでも2歩は難しい。)
今まで何度もこの「ナリケンの店」に挑戦し、駐車場がいっぱいであきらめたことばかり。昨日がやっと2回目だったと思う。
ここのランチは、選べる一品+ハンバーグ。
廉は鶏のから揚げ、私はエビフライにした。ヨメさんはちょっと変わって、オムライス。
学校の給食を食べている真樹に悪いなあと思いながら、3人でおいしくいただきました。(3人とも、¥1000です。)
夕方、ナリケンにメール。
「ナリケン、元気かい?
今日の昼、『じゅんさい』に食べに行った時、ナリケンのことを思い出した。
野球、やってんのかなあ。」
ナリケンからの返事。
「はい。
サードで頑張ってます。」
よかったよかった。短いメールやけど、元気そう。
ナリケンは、そのまま静岡の高校に進学するんやろな。
でも、バリバリ関西弁の阪神ファンは、静岡では肩身が狭いやろなあ。
ナリケン、京都に戻ってこれたらいいのに・・・。
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2009年06月25日(木)
よりちゃんへ [学校]
よりちゃん。
よりちゃんがこのブログ見てくれてたらいいんやけど・・・。
昨日、別所に帰ってきました。
うちより先に「小谷屋」に寄り、よりちゃんのお母さんに会ってきました。こんな感じです。
「おばさーん、いやはりますかー。」
「はーい、どなたー。」
「かんろくのいんきょのこうじです。」
「ああ、こうじさん。まあ、あんた、よう来てくれたねー。」
「あばさん、去年も富士山に行ったあと、ちょっとだけお菓子持って来ましたやん。今年もおんなじとこ行ったら、おばさんのこと思いだして、またちょっだけお菓子こうてきましたわー。
去年こうてきた『富士山頂』っていうお菓子は人気で、今年売り切れてましてん。そやし、富士山の形の水ようかんこうてきました。」
「いやー・・・。そんな、うちにまで・・・。ありがとうなあ。」
「ついでついで。うちのおじいさんにみやげこうたついでです。」
「なんぼついでゆうたかて・・・。」
「あんたとこのおじいさんは、元気やでー。私より8つも上やけど、しっかりしてはるわ。私もそこらの草やらひかんならんと思ってんにゃけど、もう体が動かへん。」
「そら、無理したらあきませんで。自分のできること、ちょろちょろやらはるくらいでちょうどいいんちゃいますか。」
「こうじさん、遠いとこまで行って、手広く商売してはんにゃね。」
「いやあ、みんなみんなヨメさんが段取り立ててやってくれてますねん。ボクは、車の運転だけですわ。」
「そうかーあ。・・・うちのよりさだも、どうしてることやら。別所に帰って来て、『山の家』にでもやとてもうたらええにゃけど・・・。」
「ほんまやねえ。調理士の免許持ってはんにゃしねえ。」
「もうええ歳やし・・・。」
「そらそうですわ。同級生ですもん。53ですわ。誕生日がきたら、54でっせ―。」
「ほんまやなあ。」
「ボクの方がちょっとだけはよ54になりますねん。」
「こうじさん、何月生まれ?」
「ボク、12月です。」
「そうかー。よりさだは、2月13日生まれやねん。」
(この言葉に、ちょっと感動。別所の人なら、そのわけがわかるはず。)
「8月の閉校式の日に帰ってきやはったらいいのにね。」
「ほんまや。帰ってくるかなあ。さあ、どうやろなあ。」
「今な、私、プランターでええかげんなもん作ってんねん。」
「あっ、トマトですか。」
「これは、ミニトマト。しょうざえもんのおばさんに、苗もうてん。」
「これよろしいで。ボクも別所に住んでるとき作ったことありますけど、いーっぱいすずなりになりますで。」
「そうかー。畑とちごて、プランターやから心配やねん。できたらええにゃけど・・・。」
ほかにも何やかやと、およそ20分ほど。
私が帰るときに言った言葉。
「また、おばさんのこと思い出したら来ますわ。」
おばさんはそれにはこたえず、ただ「ほほえみがえし」。
よりちゃん。
よりちゃんのおかあさんは、ボクが想像してたより元気でした。顔色もよかった。
そして、よりちゃんのことを話すとき、いつも心配そうに、でもうれしそうに話さはります。
もしこのブログを見たら、お母さんに電話したげてね。きっと、よろこばはると思うよ。
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2009年06月24日(水)
沖縄学 [沖縄]
昨日6月23日は、沖縄「慰霊の日」。
1945年3月26日、慶良間列島(渡嘉敷島など)に米軍が上陸。4月1日には沖縄本島にも上陸。そして、6月23日、沖縄戦の司令官であった牛島満中将の自決をもって、組織的な戦闘は終結したとされる。
犠牲者は、一般住民94000人(推計)、日本軍94136人、米軍12520人。この3ヶ月たらずの間に、20万人以上の命が奪われた。
この中の一人が、うちの実家の本家の先代、藤井勘六さんである。
私の父・善一のいとこ。現在「かんろく」家を守っておられる藤井克己さんのお父さんである。
勘六さんは、准尉として内地勤務。赴任先を京都・沖縄のどちらか選べたそうだ。そのとき、「日本がやられるときは、京都も沖縄も同じ」と言って沖縄に行かれたそうだ。
私の父が出征するときも、「絶対に死ぬなよ」という言葉で見送ってくださったそうだ。
その勘六さんは沖縄戦で玉砕し、もちろん遺骨などは一切なし。いなかの家に戻ってきたのは、名前を書いた木の札だけだったそうである。
おとなりのおじさんが戦死されたことは知っていたが、くわしいことを聞いたのはつい3年ほど前のこと。
私たち沖縄以外の住民は、沖縄のことを知らなさ過ぎる。日本国内の米軍基地の75%が沖縄に集中していることを、なんとも思わない日本人が多すぎる。これは、学校教育との関係が深いのではないだろうか。
小学校から「英語教育」を必修化するくらいなら、日本のさまざまな問題が集約されていると言ってもいい「沖縄」のことをもっともっと学ばせてほしい。
そんなことを考えている人は、あまりいないんでしょうか。
・・・と、かく言う私も、沖縄のことをいろいろ調べだしたのはわずか5、6年前のこと。
なかなか現地に行くことは難しい。私の乏しい読書経験から、沖縄に関する本として次の3冊を推薦したい。
「子乞い」
たぶん6年ほど前。本屋さんで変わった題名の本が目についた。
そのとき、ちょうどうちの子はいなかの学校で学年一人。遊び相手もいない学校でふさぎこんでいた。
よく似た境遇の地域と学校。一気に読んでしまった。
この原作が、後にテレビドラマ「瑠璃の島」になり、コブクロの主題歌「ここにしか咲かない花」も大ヒットした。
沖縄の問題を考えるという意味では、ちょっと特殊な部類にはいるかもしれない。しかし、私が沖縄に関心を持つようになったきっかけを作ってくれた本である。
この本が縁で、2006年6月、10月、翌年3月と、3回も鳩間島に行くことができた。3回とも子どもといっしょに行ったのだが、何かはつかんで帰ってくれたと思う。
うちの子らが通っていた別所小・花一中は、統合により今はない。鳩間小中学校も、今月の19日、在校生4人(兄弟)が島を出てしまい在籍0。またも廃校の危機。
無理を承知で始めた里親制度であったであろうに。この先どうなるのか心配だ。
(著者・森口豁氏は、沖縄についてのたくさんの著書がある。ぜひ、ほかの本も読んでみてください。)
「平和は退屈ですか」
平和を守るためになにかをしたい。でも、なにをしていいかわからない。その答えが、この本の中にある。
「ひめゆり」の語り部たちと若者との論戦も興味深い。
戦争体験のないものが戦争を伝えていくには・・・。そうか、こういうふうに考えたらいいのか。ちょっと、目からうろこだった。
若い人にこそ読んでもらいたい本である。
「沖縄に学ぶ子どもたち」
えー、こんな小学校があったのかー。
小学生のころから沖縄を学ぶことの大切さ、この本を読むとよくわかります。子どもは、ちょっと材料を出してやると、その後は、自分たちでどんどん興味を広げていく力がある。
こんな小学校で、先生をしてみたかったなあ・・・。
シンガポールとかマレーシアに研修旅行に行ってる高校 !
何で沖縄に行かんかなあ。沖縄には、自分を見つめなおす材料がいっぱい詰まっているのに、ああもったいない。
以上。
沖縄に関心のある方は、ぜひ「沖縄に学び、沖縄を学ぶ」気持ちを持ち続けていってください。
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