2009年06月05日(金)
校長先生への卒業証書 [学校]
挙手禁止通知 現役時代に公然と批判 都立高前校長が都提訴
2009年6月5日 東京新聞 朝刊
職員会議で挙手や採決によって教職員の意向を確認することを禁じた東京都教育委員会の通知に、現役時代に公然と批判していた都立高前校長が、退職後の非常勤教員採用で不合格とされたのは不当だとして、都を相手に慰謝料など千八百五十万円の支払いなどを求める訴訟を東京地裁に起こした。
訴えたのは都立三鷹高の前校長、土肥信雄さん(60)。訴状によると土肥さんは、定年退職を前に非常勤教員採用選考を受けた。二〇〇七年度は96%が合格したが、都教委は今年一月、不合格とした。
土肥さんは在職中、挙手禁止通知を「言論弾圧につながる」と批判、都教委に公開討論を求めるなどした。不合格とされたのは「都教委の言いなりにならない姿勢と意見表明を疎ましく思い、教育現場から排除しようとした」と主張している。
◇
「正しいと思ったことは言いなさい、と教えてきた私が、正しいと言わずに権力に屈したら生徒に責任を取れない」「ほっとした。これで都教委と公の場で話し合える」。土肥さんは、教え子から贈られた「卒業証書」や寄せ書きを手に会見した。
「自分の主張は正しいと思っているが、ひょっとすると私の偏見と独善かもしれない。それを裁判所が判断してほしい」と話していた。
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◎ この記事に関連して、「都教委包囲首都圏ネットワーク」の渡部さんという方がくわしく報告されている。
本日(6月4日)、三鷹高校の土肥信雄前校長は、
退職後の非常勤教員採用候補者選考で不合格にされたことに対し、
東京都を相手に損害賠償を求める裁判を、東京地裁に提訴した。
提訴後記者会見が開かれ、
土肥前校長は次のような事を述べた。
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すべての生徒が幸せになるためには、
民主的な社会を作ることが大切だ。
その上で言論の自由が大切だ。
そうでなければ非民主的な社会になる。
都教委のやっていること(挙手採決の禁止など)は問題である。
公開討論会を要求したが応じなかった。
今回提訴したことでホッとした。あるいは嬉しい。
これで都教委と公の場で話が出来る。
裁判を通じて都民・国民にも、どちらが正しいのか判断してもらいたい。
自分は34年間、生徒のために教育活動をやってきた。
都教委のためにやってきたのではない。
これは当然のことだ。
卒業式には卒業生全クラスから「色紙」をもらい
卒業生一同から「卒業証書」ももらった。
(「色紙」と「卒業証書」を紹介。
「卒業証書」には次のように書いてあった。)
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右は教育委員会の弾圧にも負けず、
本校所定の課程を修了したことを証する。
第58期卒業生一同
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しかし、非常勤は不合格になった。
その理由を知りたい。
自分は都教委の指導・通達に従いながらも
意見表明しただけだ。
また、この間都教委から様々な人権侵害も受けた。
これを放置すれば最終的には生徒にも及ぶ。
また、他の校長は口をますます閉ざすことになる。
学校のリーダーたちが言論統制される。
これでは日本の教育が不安だ。
校長も自由に発言できるようにしたい。
自分は「政治経済」を教えていた。
「正しいと思ったことはきちんと言いなさい」、
「相手が納得できない場合は、もう一度考え直して
相手を納得させるように意見を考えることが大切だ」、
と言ってきた。
その自分が黙っていることはできない。
それで提訴した。
公権力が個人の人権を侵してはいけない。
日本社会の文化度をこの裁判を通して明らかにしていきたい。
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なお、土肥前校長は、上記の内容を
『提訴にあたって』という文章にまとめてきていた。
そこには次のようなことも書かれていた。
「私の不合格は、明らかに他の校長に対する見せしめです。
『土肥』のように都教委を批判すれば、
退職後の職はないぞ、と脅しているのです。
今回の結果を見て、ますます校長は都教委に対する
批判が出来なくなり、都教委の言いなりになる校長ばかりに
なるのは明らかだと思います。
そのことはまさにファシズムそのものであり、
絶対に認めるわけにはいきません。
特に統括校長、校長、副校長、主幹教諭、主任教諭、教諭と
完全なヒエラルキー化の中で、
校長が都教委の言いなりになればその結果は明らかに
都教委による教育の支配が貫徹するのです。
そうならないためにも、今回、裁判で納得できるところまで
やろうと思うのです。」
「・・・私自身が自分の思ったことを自由に言わず、
結局権力の言いなりになって、自己保身をしているとしたら、
生徒に対する責任は取れません。
したがって、生徒に対する責任を果たすためにも、
都教委との公の場(裁判)で意見を戦わすことが
必要なのです。」
(注・・・「ヒエラルキー」とは、、階層制や階級制のことであり、主にピラミッド型の段階的組織構造のことを指す。)
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さらに、「訴状」の<はじめに>のところでは、
「このような東京都教育委員会の横暴さには目に余るものがあり、
教育現場は東京都教育委員会の脅威の前に、混乱し、沈黙し、
本来の自由で活気に満ちた教育が行えないでいる。
本訴訟において、東京都教育委員会による数々の違法行為が
つまびらかにされることにより、教育委員会のあり方が見直され、
自由で活気に満ちた教育現場の実現のために適切な
環境整備がなされることをねがってやまない。」
と記されていた。
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・・・
土肥前校長の提訴で、また一つ、都教委に対する
新たな戦いの烽火が打ち上げられることになった。
都教委はますます「四面楚歌」状態になりつつある。
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☆ 私のブログにも何回か紹介させてもらった東京都三鷹市の土肥校長先生。この3月で、定年退職されていたのか。
・「こんな校長先生がおられたら…」 (2008.6.2)
・しっかり! 三鷹高校・土肥校長 (2008.8.5)
・なぜ、土肥校長とともに立ち上がらないのか (2008.10.22)
前にも書かせてもらったが、京都には土肥校長のような気概のある校長は一人としておられなかった。
上から圧力をかけられると、一挙にロボット化してしまった。ある時期を境に、京都市中のすべての小中の校長先生がまったく同じことを発言し、それを学校現場に押し付けてきたのだ。まるで、どこかから遠隔操作されているかのように。
一糸乱れず行進する国の人たちに恐怖感を覚える人は多いだろう。しかし、この国でもそれと同じようなことを強制しようとする力が大きくなってきている。
「なんで、先生やめたん?」とよく聞かれる。
理由は一つではないが、一番の理由はこの「校長先生のロボット化」に恐怖をおぼえ、「ああ、これが教師のなれの果てというやつか」と失望したからである。
このロボット化の恐怖が1986年の卒業式前。私が退職したのが、1991年のこと。これはもう古い話だが、今も時々会う昔の仲間からはあまりいい話は聞かない。
ただ、こんなことをいくら言っても部外者にはなかなか理解してもらえない。(私も退職して18年もたつので、今や部外者ですが・・・)
その点、土肥前校長は話が理路整然としており、聞く側にも分かりやすい。「学校は誰のためにあるのか」という当たり前のような問いかけにも、しっかり答えておられると思う。
こちら関西では、このニュースの取り扱いは極めて小さい。しかし、教育は国の進路さえ変えてしまいます。どうか、関心を持ってこのニュースに注目してください。
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2009年06月04日(木)
天安門事件 [平和]
*てんあんもんじけん【天安門事件】 〜「学習百科事典+キッズネットサーチ」より〜
1989年6月4日の未明,北京(ペキン)の天安門広場で,民主化を要求してすわりこみをつづけていた学生と市民を,人民解放軍(じんみんかいほうぐん)の戦車・装甲車が実力で排除した事件。人民解放軍は学生と市民に対して無差別に発砲し,多数の死傷者をだす悲劇となった。
事件後,民主化を要求する運動は反革命暴動とされ,中国政府・中国共産党による徹底的なひきしめが行われた。これに対して,アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国は人権抑圧として中国の指導部を批判し,経済制裁を行った。趙紫陽総書紀(チャオツーヤンそうしょき)はこの暴乱に加担したとして解任され,江沢民(チァンツォーミン)が新しい総書記に選任された。
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あの暗黒の「天安門事件」から、はや20年。
天安門広場での軍の発砲の場面と、戦車の行くてをさえぎる男性の映像。これは、衝撃だった。
この事件で犠牲になったのは、ほとんどが大学生。今もその正確な数は分からないままらしい。
この国で、去年、オリンピックが行われた。
私もご縁があって、北京に行くことができた。この天安門広場にも行ったが、思っていたほど広くはない場所だった。
「ここで多くの大学生が殺された。でも、私と同行している10代の若者たちはそんなことをまったく知らない。」
自分で直接見たことではなくとも、やはり事件の現場に足を踏み入れるのなら、多少の知識は持っていたい。
※今日の毎日新聞の社説「天安門事件20年」より抜粋
民主化を求める学生市民を軍隊で弾圧した天安門事件から20年になる。戦車の前に立ちはだかる青年の映像は世界を感動させた。
民主化運動は、議会制民主政治と自由な市場経済こそが発展をもたらすという信念にもとづく。だが中国は共産党一党独裁体制のもとで大国となった。今年10月の建国60年祝賀軍事パレードでは、軍事大国の力を見せつけるだろう。若い中国人は天安門事件を忘れ、民主主義よりナショナリズムの排外デモに関心を持っている。
この20年間、なにが中国を成長させたのか。?小平氏の「社会主義市場経済」である。
行政権力が強権管理する市場だから、土地の強制収用などが低コストでできる。企業は権力と関係があれば無競争で独り勝ちだ。こうして富強の道を突き進んだ。
その結果、貧しくても平等だった中国社会は、民主の担い手となる中産階層が形成されず、強者と弱者に二分化した。権力と結びついた「特殊権益集団」は富豪化したが、失地農民や農民工などの「弱勢集団」と呼ばれる貧困階層が激増した。
抑圧された貧困層全体に充満した不満の解消は、爆発の危険をはらんでいる。中国の抱え込んだ重荷は、20年前より深刻になった。
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この社説は、中国の強者弱者二分化に、日本が大きく関わっていることには触れていない。
今日の新聞には、「ウアルカイシ氏出頭 天安門事件リーダー」という記事も出ていた。
「天安門事件から20年がたち、風化が指摘されるなか、ウアルカイシ氏の出頭は事件への関心を高める狙いがあるとみられる。」
確か20年前は、「ウー・アール・カイシー」と言っていたように思うのだが・・・。当時の大学生も、今やちょっと太った中年男性になってしまった。
ウアルカイシ氏は言う。
「武力鎮圧した指導部への怒りは消えないが、一方で自らが中心的な役割を果たした運動の中で多くの学生や市民が犠牲になったことに罪悪感も残る。(もう一人の学生リーダーだった王丹氏とともに)2人の『船長』が生き残ってしまった。この事実に一生苦しめられるだろう。」
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と、ちょっと難しい話はここまで。
さて、うちの天安門事件こと黒猫「あんもちゃん」。
1989年、天安門事件のあった年の秋に捨てられていた。家に連れて帰ってきて名前をつけるとき、思い出したのが「暗黒の天安門事件」だった。
私が忘れたくなかった事件とその拾ってきた黒猫が、見事にシンクロした。「あんもちゃん」、かわいい名前やけど奥の深い名前です。
私はほとんどすべてのことにセンスがないのですが、命名だけはちょっと自信がある。
「京都キャロット」という店の名前は、初代飼い猫の「キャロちゃん」から取ったもの。
キャロちゃんの子のメス猫2ひきには、当時トライアスロンで活躍していたカナダの双子・プントス姉妹からもらいー。「シルビア→ルビー→ルビコ、パトリシア→パティ→パティコ」。
そんな中でも、天安門事件からとった「あんも」は、われながら傑作だと思っている。
最後に、天安門事件20年目のあんもちゃんの写真をたっぶりと。
どうか、来年の6月4日も、あんもちゃんが元気でいられますように・・・。
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2009年06月03日(水)
なつかしい写真 [家族]
沈没したと思っていたパソコンが復活した。その中には、どこにもバックアップしてなかった写真が入っていた。(2006年3月〜4月に撮ったもの。)
あー、復活してよかった。
以上、主な写真をピックアップしました。
ここからの3年間で、またいろいろなことがありました。子ども二人はずいぶん成長し、私ら夫婦はふけましたね。まっ、当たり前ですか。
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2009年06月02日(火)
ぱそこんぱそこん復活、ぶろぐぶろぐ満開 [ブログ]
昨日、新しいパソコンが来た。
それについていたACアダプターを古いパソコンに使うと、古いパソコンが復活。
「なーんや、これが悪かっただけかーい。」
新しいヤマピーCMのピンクのパソコン、ついでに買ってもらった私のブログ専用ミニノートパソコン、復活した古いパソコン。このほかに、廉の部屋にはディスクトップ型パソコン。産大前店、通販事務所にもそれぞれパソコンが。これで全部で6台ですわー。
さっそく、真樹のブログ「にょんにっき」も復活。
あのきくの写真は、2006年のグランプリといってもいい撮りばえ。
廉が中2のとき、ジュニアオリンピックのクロスカントリースキーの大会に出場したときのもの。京都の犬で新潟のスキー場(妙高)の雪にうまった犬は、そうはいないはず。きくがまだ1歳になる前のこと。ああなつかし。(私のブログのリンク集から見てください。)
これから、私も真樹もブログの更新がんばります。
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2009年06月01日(月)
「湖林」 [グルメ情報]
山中湖ロードレースの後は、中華料理の「湖林」さん。2時までに入らないと、ランチメニューにありつけない。今年はぎりぎり5分前くらいに入店。
お店自体はかなり古そう。
でも、中に入ると落ち着いたフンイキがあり、ガチャガチャしたところがにが手な私ら夫婦にとってはなによりうれしい。
ヨメさんは「ランチA・冬瓜と豚の角煮」、私は「飲茶セット」。
私は朝寒くて仕方なかったので、長そでシャツをもらった。写真ではよくわからないが、かなり変なシャツだった。
飲茶は、8個ともとてもおいしかった。歳をとると、量より質になりますね。1980円は少し高いようにも思うが、おいしかったのでよろしいよろしい。(ちなみに、ヨメさんのランチAは1000円です。)
以前は、ここのおこげを食べるのを楽しみにしていた。
残念ながら、おこげはランチタイムにはなかった。値段は高くなるが、2時過ぎて普通のメニューに戻ってから入店したほうがよかったのかも。
おなかペコペコの子どもたちと、おいしい中華料理を食べた日のことを思い出す。
ここ「湖林」さんは、年配の男性従業員さんだけで営業されているとても落ち着いた中華料理店です。山中湖に行かれる方にはお勧めのお店です。
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2009年05月31日(日)
第29回山中湖ロードレース [ランニング・出張販売]
たろうちゃん・オス・11歳。
うちの店でシューズを買ってくださったお客様の飼っておられるワンちゃんです。
1歳の時には、24時間マラソンも完走したそうだ。山の中を走るマラソンだったので、ロープにつながず自由に走らせたとのこと。今でも10kmまでのレースならだいじょうぶらしい。
今日はハーフだったので、車の中でおとなしく待っていたようだ。かしこいね。
連日の5時起き。
会場である山中湖中学校の門のところには、大会事務局のTさんが立っておられた。Tさんは、「山中湖ロードレース」に初めて来た時お世話になった役員さん。ここ10数年は別の部署に異動されており、あまりお姿も見かけなかった。ところが、今年、教育委員会に戻ってこられ、大会事務局の責任者として働かれていた。
昨日、むこうから私たちを見つけてくださり、声をかけてくださった。こんな時、必ず話題になるのがうちの子らのことである。小さな赤ちゃんを連れて遠くから出張販売に来ている姿が、よっぽど印象強く焼き付けられているようだ。
ずっと前からお世話になっている大会では、どこもいっしょ。うちの子どもらのことを、とても気づかってくださる。ありがたいことだ。
この「山中湖ロードレース」は、京都キャロットが出張販売をしている大会の中で私が唯一出場経験のない大会。以前は、とても走りに行けそうにないくらいいそがしかったので。
ところが、今や、それほどいそがしいというほどでもない大会になってしまった。特に最近雨のことが多く、昔のような活気が感じられない。
今年も、前日受付に引き続き、当日もあやしい天気。
9時15分ハーフスタート、9時30分1周の部がスタート。このときは、まだ雨は降っていなかった。しかし、それから1時間ほどすると、ポツポツ・・・。
そして時折、きつい雨に。
うちのような出店業者にとってはきつい雨だが、走っている人たちはこの雨けっこううれしいんですよねー。
雨が降ってなかったら、もう少し売上も伸びただろうに。うちの出張販売の最も遠方の大会にしては、ちょっと思惑外れ・・・。せめて、これでもレースに出ていたら、なにかおもしろいことも見つけられたかも・・・。
とか考えながら後かたづけをしていると、いきなり腰に「グキッ!」。
来てしまいましたがなー、ぎっくり腰。そのあとは、腰をかがめるのがいとうていとうて。やっぱり、不平不満を持ちながら働くのはあかんね。
帰りは渋滞にも巻き込まれ、京都の家まで7時間近くかかってしまった。腰の状態は最悪。かなりつらい帰り道になってしまった。
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