2009年06月09日(火)
ヨメさんあっての私です [家族]
「たたらぎダム湖マラソン」のハーフゴール後、うちのテントに戻ったら、めずらしくヨメさんが話しかけてきた。
「さっきな、ええ感じの夫婦が来やはったわ。ダンナさんが走ってはる間、ずっと奥さんが待ってはんねん。『いいですよね』ってダンナさんにゆったら、『ヨメサンあっての私です』やって。」
そんなん、うちもいっしょやがなー。
ヨメさんが走る10時スタートの2kmジョギングに間に合うようにと思っていたが、直前までお客さんが。スタートの音が聞こえたので、お客さんをほっといてダッシュ!
何とか、写真を撮ることができた。これが撮れるか撮れへんか、撮れててもかわいく撮れてるかどうか、によって私への評価が変わってくる。
ギリギリ、セーフ!
いったんテントに戻り接客し、また10分後にゴール前へ。
思っていたより早く帰ってきた。しっかり、写真撮らんならん。
久しぶりのレースやのに、そんなしんどそうでもないやん。
おお、ゴールは「いけてるネエチャン」ふう。
私がゴールした後、テントに来られていた吉川さんが「2時間は切れたみたいですね。」
よっしゃ、ここ。
「私が2時間切れたのも、ヨメさんあってのことですわー。ヨメさんあっての私です。」
吉川さんは、ノーコメント。そら、そうやわなあ。私のブログの端から端まで読んでる人には、この言葉は「歯が浮く」かな。
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2009年06月08日(月)
第24回たたらぎダム湖マラソン・続き [ランニング・出張販売]
「私たち、一応夫婦です。」
ゴールしてイスに座っていると、「あのー・・・」と話しかけてこられる方あり。
「ランナーズ9の会」の桜井さんご夫婦。
ちょっとはずかしそうに話しかけてこられた奥様。なかなか、おくゆかしく・・・。今日は10kmを走られたそうです。平和を愛しておられる方は、みなさんお上品なところが好きです。
「一応夫婦です」の「一応」がいいですね。「うちも一応夫婦です」と言っておきました。
さて、話は戻りハーフの後半に・・・。
折り返す直前、「ランナーズ9の会」のユニフォーム発見! とりあえず写真パチリ、と思ったら失敗。
「こりゃ、いかん。」
すでに姿が見えなくなっていた青ユニフォームを追え! 必死のパッチ。どれくらいで追いついたのだろう。ハアハア言いながら、「さっきの写真、失敗でしたー。もう一回撮りなおします。」
パチリ! 今度は成功。
「お名前は?」
「しらかみ(白髪)です。」
「ブログに写真載せときます。」
「ランナーズ9の会」のユニフォームのおかげで、こうして初対面の方ともすぐにしゃべることができる。「9の会」に入って、よかった。
しかし、私のおなかはゴロゴロ。たいへん危険な場面に直面していた。それでも発電所の横にトイレがあることがわかっていたので、何とかしんぼうすることができた。
残り7km付近のトイレに直行。ここでのタイムロスは、わずか2分。私も成長したなあ。なかなかの早わざを身につけたもんや。
しかし、トイレから出て唖然。とんでもないことに気がついた。(残念ながら、その内容については書けません。いろいろ想像してください。)
残り6km(15.1km)で、1時間25分02秒。
この5.1kmが、28分半くらい。トイレタイム2分を入れてこのタイムということは、さらにスピードアップしている。やっとレースらしくなったかな。
残り6kmを35分以内で行けば、2時間切れる。よっしゃ、よっしゃー。
やっと体が少し軽く感じ出したとき、目の前にかわいい花柄がチラチラ・・・。
「すいませーん、・・・」(この先は、昨日の記事を読んでください。)
残り1kmで、1時間51分14秒。
この5kmは、26分10秒。後は、急な下り坂を、ヒザを傷めないように下るだけ。
それでも、最後の最後の直線はさすがに疲れた。梅干みたいな顔でラストをがんばっているとき、「○○○!」。なんて声をかけていただいたのか定かではないが、確かに聞き覚えのある声。
「あっ、この声は・・・。」
振り返ると、田中ちひろさん。
めっちゃ、うれしー。
2km付近でトレーニングとして走っておられた田中さんに遭遇。「ふじいでーす!」と大声で叫んどいてよかった。
なんか、その後もうれしくてうれしくて・・・。(こんなによろこんでて、実はほかの人に声をかけてはったりして・・・。)
ゴールタイムは、1時間55分45秒。
スタート直後はどうなることかと心配した割には、よく走れました。
うちのテントに戻ったら、ヨメさんから
「なにうれしそうに、はよ帰ってきとんにゃな。」
「昨日、寝る前にマッサージしてくれたんが効いたわー。」
こういう感謝の気持ちも忘れんようにせんとね。
ゴール後の楽しみは、抽選会。
前に、「岩津ねぎ」が当たったことがある。
私もヨメさんも、末等の「ポテトチップス」。「肉」、ほしかったなあ。
抽選会がある大会はうれしい。よその大会では、テレビが当たったことがある。牛肉や米が当たったこともある。
でも、7等でも食べ物はうれしい。抽選会を実施されている全国のマラソン大会の関係者様、やっぱり食べもんでっせ。
この大会の帰りの楽しみは、せんべいと牛肉。
「海鮮せんべい但馬」さんでせんべいを買い、「但馬牛太田家」で牛肉を買う。ここの肉が、うまいんだー。
家に着いたのは8時前。腹ペコで待っていた廉と真樹といっしょに、高級牛しゃぶ。
こんなんがあるし、がんばれます。うまかったー。
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2009年06月07日(日)
第24回たたらぎダム湖マラソン [ランニング・出張販売]
めっちゃかっこいいランナー、みっけ。とりあえず追い抜いてっと。
「すいませーん、写真撮らせてもらっていいですか。」
「はい、どうぞ。」
「めっちゃ、かっこいいし・・・。」
「ありがとうございます。」
「ブログに写真載せていいですか。」
「いいですよ。」
「お名前は載せないほうがいいですよね。」
「どちらでも。」
「今日のブログのトップにドーンと載せときますし・・・。」
ということで、NO.3415、藤本綾乃さん。私が選んだ本日のベストドレッサー賞。本当に似合ってました。
私のゴール後1分もしないうちに、ベストドレッサーの彼女が。
「写真、写真」
あわてて撮ったわりにはいいのが撮れました。
「ほめてもらって、うれしかったです。」
この言葉にも、何か賞をあげたいくらいです。
さて、話は元に戻り・・・。
ひとつ心配なことがあった。
3週間前の「鯖街道」の疲労が、全然抜けていない。
今までのパターンでいうと・・・。
フル以上の距離を走っても、翌日には50%回復、それから一日ごとに10%回復して、週末にはほぼ100%回復。
ところが今回は異変が・・・。
「鯖街道」から1週間たっても回復度10%。体全体が重く、とにかく眠くてしょうがない。
この週に「小豆島オリーブマラソン」が予定されていたのだが、とても走れる状態ではなかった。(新型インフルエンザの影響で中止になったのだが・・・。)
次の週には回復するかと思いきや・・・、ほとんど同じ。回復度20%くらい。こりゃ、やばい。
そして次の週。水曜か木曜くらいに、やっとちょっとだけ楽になってきた。ようやく、50%回復。
しかし、「たたらぎ」当日の回復度は、60%くらいですか。こんな不安な気持ちでレースを迎えるのは、本当に初めてかも。
こんなときは食って食って、不安解消。スタート前に、パン2個、つきたて餅3個。これが、この後とんでもないことになるとは・・・。
「ランナーズ9の会」のユニフォームに着替えて座っていると、声をかけてくださる方があった。「9の会」の仲間、赤穂さん。地元兵庫の方だそうだ。
「ここで会えると思って、楽しみにしてたんですよ。」
ああ、ありがたい。ユニフォームがつなげる輪。もっともっと広げるぞー。
マラソン界の紳士こと吉川晋治さん(京都ランナーズ)。
トイレに行ったとき、偶然お会いした。今日は、10kmに出られるとのこと。
吉川さんは、まだ知り合って日が浅いのだが、心から信頼できる人だ。話していて、いやな思いをしたことがない。私みたいなええかげんなおっさんを、いつも「藤井さん、○○お願いします」という感じでたててくださる。
私はどちらかというと人見知りするほうだが、吉川さんは初めてお話したときからスッと溶け込んでしまった。不思議な魅力のある人です。
「吉川さん、古い話ですけど、『篠山』おしかったですね。(確か、あと2分でサブ3)」
「そうそう。でも、藤井さんの書いてはったん、ちょっとかんちがいやと思いますわ。最後の3kmが落ちてしもたけど、それまでの4分10秒のペースが守れてギリギリサブ3やったんやから。」
「そらそうやねえ、なんぼなんでもそんな極端には落ちませんよねえ。おかしいなとは思ってたんですけど・・・。」
私は、レース中に会った犬のことなら驚異的な記憶力を発揮するのだが、人間様に関してはちょっと・・・。
でも、吉川さんが私のブログの隅々までしっかり読んでいただいていることがよくわかる。吉川さんは、お会いするごとに、私のブログの直近の話題を出してくださる。ありがたいことです。
私のハーフのスタートも見送ってくださった。
「どうせ、20分後に私もスタートやから・・・」
スタート地点にあった大きなオブジェの前で、パチリ。
けっきょく、吉川さんは、10km40分ちょっとで8位だったそうだ。入賞に一歩届かず、惜しい !
ハーフのスタートは10時半。この時間だと、けっこう余裕がある。
スタート直後に、強烈なのぼり坂。でも、これがこの大会のクライマックスかも。
私は、最初の1kmが6分50秒。たいていのレース、最初の1kmの感じでその日のゴールタイムが予想できるのだが、今日はまったくダメ。わっからん。
なんて言ったらいいのかな・・・。
体重10%アップの感覚。今実際は63kg台なんで、70kgになった感じ?
今まで足におもりをつけたような感覚は経験したことがあるが、今日のように全身におもりをつけたような感覚は初めて。
そんなに暑くもないのに、いやーな汗が出てきた。
最初の給水所のあたりで、おなかがパンパンなことに気づく。これは、明らかに食べすぎ。
5kmは、29分41秒。このペースで行くと、今日は2時間こえるんかなあ。
多々良木発電所(7km地点)の横にトイレがあったので、入ろっかなあとも思ったが、前半のタイムロスはもったいない。
ここはしんぼう。パンパンおなかのまま、「行ってまえー」。
たぶん、折り返し地点にトイレくらいあるやろう。あと3kmほどやもんね。
トンネル前9km地点のあたりで、「9の会」のまっちゃんが・・・。
まっちゃんは、今日も朝からうちのテントによってくださり、ウェアを買ってくださった。無理せんといてね。
そのとき、まっちゃんがやっておられる作業所のことをちょっと聞いてみた。
旧夢前町(現姫路市)で、「ゆめさき舎」という共同作業所をやっておられる。かなり重度の障害のある方が7人働いておられるそうだ(まっちゃんは、「障がい」と表現されてますが・・・)。
ここに宣言。私は、必ずそこを訪れます。ちょっとでも勉強させてください。近いうちに。
9km過ぎのトンネル。
ちょうど真ん中あたりは真っ暗。対抗ランナーとぶつかんのんちゃうんと思うくらい。でもこんなところはめったに走れないので、これはこれでいい感じ。
10kmは56分26秒。ちょっとだけペース上がりました(この5kmが27分くらい)。
でも、おなかがめっちゃヤバくなってきた。(トイレ、なーい!)
「もう、はちきれまっせー」
折り返し点は、ダムの堰堤。つまり、スタート地点のすぐ近くまで戻ってるんです。ダム湖を左周りに1周して、今度は右周りに1周。
体は重いままやけど、残り半分「がんばんべー」。
(注)まだ、続きます。
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2009年06月06日(土)
「山水荘」 [宿情報]
たたらぎダム湖マラソンといえば、山水荘さん。確か、廉が1歳の時からお世話になっているのでもう17年目。
去年も書いたが、ここに来るのは儲け度外視。この山水荘に泊まるのが楽しみ。その中でも、ワンちゃんに会えるのが楽しみで楽しみで・・・。
でもチェリーちゃんは死んでしまい、フルちゃん1ぴきになってしまった。フルちゃんも、なんか元気なかったし・・・。
フルちゃん、元気出してやー。フルちゃん死んだら、もう「たたらぎ」きいひんでー。
山水荘を経営されているご夫婦は、私ら夫婦より少しずつ年上。でも、二人おられる娘さんの二番目がうちの廉と同い年。そのせいもあってか、すごく親切にしていただいている。
一年に一回お会いするだけだが、お互いの子らの近況を話すのも恒例となっている。○○ちゃん、京都の大学来たらいいのにね。
ばんごはんは、本当にうちらの夫婦にはぴったり。炊いたもんが中心だが、どれもおいしい。食べやすい。ほとんど一人で大瓶ビール2本飲んでしもたー。
山水荘さんは、マラソン会場のまん前。朝ぎりぎりまで寝ていてもだいじようぶ。
受付場所は山の下だが、宿泊者は宿までナンバーカードなどを届けてもらえる。
ワンちゃんが裏にいるといっておられたので見に行ったら、黒猫のちっさいのが。次女の○○ちゃんがエサをあげていた。
私が垣根の隙間から写真を撮ろうとすると、カメラに気づき近づいてきた。猫ちゃんは警戒心が強く臆病やけど、小さい時からやさしくしてもらったら、この通り。
クモの巣に引っかかっていた枯れ葉が、黒猫ちゃんの顔にいいアクセントになりました。偶然撮れたいい写真です。
来年のマラソンの日まで元気でね。また会おうね。
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2009年06月05日(金)
校長先生への卒業証書 [学校]
挙手禁止通知 現役時代に公然と批判 都立高前校長が都提訴
2009年6月5日 東京新聞 朝刊
職員会議で挙手や採決によって教職員の意向を確認することを禁じた東京都教育委員会の通知に、現役時代に公然と批判していた都立高前校長が、退職後の非常勤教員採用で不合格とされたのは不当だとして、都を相手に慰謝料など千八百五十万円の支払いなどを求める訴訟を東京地裁に起こした。
訴えたのは都立三鷹高の前校長、土肥信雄さん(60)。訴状によると土肥さんは、定年退職を前に非常勤教員採用選考を受けた。二〇〇七年度は96%が合格したが、都教委は今年一月、不合格とした。
土肥さんは在職中、挙手禁止通知を「言論弾圧につながる」と批判、都教委に公開討論を求めるなどした。不合格とされたのは「都教委の言いなりにならない姿勢と意見表明を疎ましく思い、教育現場から排除しようとした」と主張している。
◇
「正しいと思ったことは言いなさい、と教えてきた私が、正しいと言わずに権力に屈したら生徒に責任を取れない」「ほっとした。これで都教委と公の場で話し合える」。土肥さんは、教え子から贈られた「卒業証書」や寄せ書きを手に会見した。
「自分の主張は正しいと思っているが、ひょっとすると私の偏見と独善かもしれない。それを裁判所が判断してほしい」と話していた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◎ この記事に関連して、「都教委包囲首都圏ネットワーク」の渡部さんという方がくわしく報告されている。
本日(6月4日)、三鷹高校の土肥信雄前校長は、
退職後の非常勤教員採用候補者選考で不合格にされたことに対し、
東京都を相手に損害賠償を求める裁判を、東京地裁に提訴した。
提訴後記者会見が開かれ、
土肥前校長は次のような事を述べた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
すべての生徒が幸せになるためには、
民主的な社会を作ることが大切だ。
その上で言論の自由が大切だ。
そうでなければ非民主的な社会になる。
都教委のやっていること(挙手採決の禁止など)は問題である。
公開討論会を要求したが応じなかった。
今回提訴したことでホッとした。あるいは嬉しい。
これで都教委と公の場で話が出来る。
裁判を通じて都民・国民にも、どちらが正しいのか判断してもらいたい。
自分は34年間、生徒のために教育活動をやってきた。
都教委のためにやってきたのではない。
これは当然のことだ。
卒業式には卒業生全クラスから「色紙」をもらい
卒業生一同から「卒業証書」ももらった。
(「色紙」と「卒業証書」を紹介。
「卒業証書」には次のように書いてあった。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
右は教育委員会の弾圧にも負けず、
本校所定の課程を修了したことを証する。
第58期卒業生一同
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし、非常勤は不合格になった。
その理由を知りたい。
自分は都教委の指導・通達に従いながらも
意見表明しただけだ。
また、この間都教委から様々な人権侵害も受けた。
これを放置すれば最終的には生徒にも及ぶ。
また、他の校長は口をますます閉ざすことになる。
学校のリーダーたちが言論統制される。
これでは日本の教育が不安だ。
校長も自由に発言できるようにしたい。
自分は「政治経済」を教えていた。
「正しいと思ったことはきちんと言いなさい」、
「相手が納得できない場合は、もう一度考え直して
相手を納得させるように意見を考えることが大切だ」、
と言ってきた。
その自分が黙っていることはできない。
それで提訴した。
公権力が個人の人権を侵してはいけない。
日本社会の文化度をこの裁判を通して明らかにしていきたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・
なお、土肥前校長は、上記の内容を
『提訴にあたって』という文章にまとめてきていた。
そこには次のようなことも書かれていた。
「私の不合格は、明らかに他の校長に対する見せしめです。
『土肥』のように都教委を批判すれば、
退職後の職はないぞ、と脅しているのです。
今回の結果を見て、ますます校長は都教委に対する
批判が出来なくなり、都教委の言いなりになる校長ばかりに
なるのは明らかだと思います。
そのことはまさにファシズムそのものであり、
絶対に認めるわけにはいきません。
特に統括校長、校長、副校長、主幹教諭、主任教諭、教諭と
完全なヒエラルキー化の中で、
校長が都教委の言いなりになればその結果は明らかに
都教委による教育の支配が貫徹するのです。
そうならないためにも、今回、裁判で納得できるところまで
やろうと思うのです。」
「・・・私自身が自分の思ったことを自由に言わず、
結局権力の言いなりになって、自己保身をしているとしたら、
生徒に対する責任は取れません。
したがって、生徒に対する責任を果たすためにも、
都教委との公の場(裁判)で意見を戦わすことが
必要なのです。」
(注・・・「ヒエラルキー」とは、、階層制や階級制のことであり、主にピラミッド型の段階的組織構造のことを指す。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さらに、「訴状」の<はじめに>のところでは、
「このような東京都教育委員会の横暴さには目に余るものがあり、
教育現場は東京都教育委員会の脅威の前に、混乱し、沈黙し、
本来の自由で活気に満ちた教育が行えないでいる。
本訴訟において、東京都教育委員会による数々の違法行為が
つまびらかにされることにより、教育委員会のあり方が見直され、
自由で活気に満ちた教育現場の実現のために適切な
環境整備がなされることをねがってやまない。」
と記されていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・
土肥前校長の提訴で、また一つ、都教委に対する
新たな戦いの烽火が打ち上げられることになった。
都教委はますます「四面楚歌」状態になりつつある。
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☆ 私のブログにも何回か紹介させてもらった東京都三鷹市の土肥校長先生。この3月で、定年退職されていたのか。
・「こんな校長先生がおられたら…」 (2008.6.2)
・しっかり! 三鷹高校・土肥校長 (2008.8.5)
・なぜ、土肥校長とともに立ち上がらないのか (2008.10.22)
前にも書かせてもらったが、京都には土肥校長のような気概のある校長は一人としておられなかった。
上から圧力をかけられると、一挙にロボット化してしまった。ある時期を境に、京都市中のすべての小中の校長先生がまったく同じことを発言し、それを学校現場に押し付けてきたのだ。まるで、どこかから遠隔操作されているかのように。
一糸乱れず行進する国の人たちに恐怖感を覚える人は多いだろう。しかし、この国でもそれと同じようなことを強制しようとする力が大きくなってきている。
「なんで、先生やめたん?」とよく聞かれる。
理由は一つではないが、一番の理由はこの「校長先生のロボット化」に恐怖をおぼえ、「ああ、これが教師のなれの果てというやつか」と失望したからである。
このロボット化の恐怖が1986年の卒業式前。私が退職したのが、1991年のこと。これはもう古い話だが、今も時々会う昔の仲間からはあまりいい話は聞かない。
ただ、こんなことをいくら言っても部外者にはなかなか理解してもらえない。(私も退職して18年もたつので、今や部外者ですが・・・)
その点、土肥前校長は話が理路整然としており、聞く側にも分かりやすい。「学校は誰のためにあるのか」という当たり前のような問いかけにも、しっかり答えておられると思う。
こちら関西では、このニュースの取り扱いは極めて小さい。しかし、教育は国の進路さえ変えてしまいます。どうか、関心を持ってこのニュースに注目してください。
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2009年06月04日(木)
天安門事件 [平和]
*てんあんもんじけん【天安門事件】 〜「学習百科事典+キッズネットサーチ」より〜
1989年6月4日の未明,北京(ペキン)の天安門広場で,民主化を要求してすわりこみをつづけていた学生と市民を,人民解放軍(じんみんかいほうぐん)の戦車・装甲車が実力で排除した事件。人民解放軍は学生と市民に対して無差別に発砲し,多数の死傷者をだす悲劇となった。
事件後,民主化を要求する運動は反革命暴動とされ,中国政府・中国共産党による徹底的なひきしめが行われた。これに対して,アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国は人権抑圧として中国の指導部を批判し,経済制裁を行った。趙紫陽総書紀(チャオツーヤンそうしょき)はこの暴乱に加担したとして解任され,江沢民(チァンツォーミン)が新しい総書記に選任された。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あの暗黒の「天安門事件」から、はや20年。
天安門広場での軍の発砲の場面と、戦車の行くてをさえぎる男性の映像。これは、衝撃だった。
この事件で犠牲になったのは、ほとんどが大学生。今もその正確な数は分からないままらしい。
この国で、去年、オリンピックが行われた。
私もご縁があって、北京に行くことができた。この天安門広場にも行ったが、思っていたほど広くはない場所だった。
「ここで多くの大学生が殺された。でも、私と同行している10代の若者たちはそんなことをまったく知らない。」
自分で直接見たことではなくとも、やはり事件の現場に足を踏み入れるのなら、多少の知識は持っていたい。
※今日の毎日新聞の社説「天安門事件20年」より抜粋
民主化を求める学生市民を軍隊で弾圧した天安門事件から20年になる。戦車の前に立ちはだかる青年の映像は世界を感動させた。
民主化運動は、議会制民主政治と自由な市場経済こそが発展をもたらすという信念にもとづく。だが中国は共産党一党独裁体制のもとで大国となった。今年10月の建国60年祝賀軍事パレードでは、軍事大国の力を見せつけるだろう。若い中国人は天安門事件を忘れ、民主主義よりナショナリズムの排外デモに関心を持っている。
この20年間、なにが中国を成長させたのか。?小平氏の「社会主義市場経済」である。
行政権力が強権管理する市場だから、土地の強制収用などが低コストでできる。企業は権力と関係があれば無競争で独り勝ちだ。こうして富強の道を突き進んだ。
その結果、貧しくても平等だった中国社会は、民主の担い手となる中産階層が形成されず、強者と弱者に二分化した。権力と結びついた「特殊権益集団」は富豪化したが、失地農民や農民工などの「弱勢集団」と呼ばれる貧困階層が激増した。
抑圧された貧困層全体に充満した不満の解消は、爆発の危険をはらんでいる。中国の抱え込んだ重荷は、20年前より深刻になった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この社説は、中国の強者弱者二分化に、日本が大きく関わっていることには触れていない。
今日の新聞には、「ウアルカイシ氏出頭 天安門事件リーダー」という記事も出ていた。
「天安門事件から20年がたち、風化が指摘されるなか、ウアルカイシ氏の出頭は事件への関心を高める狙いがあるとみられる。」
確か20年前は、「ウー・アール・カイシー」と言っていたように思うのだが・・・。当時の大学生も、今やちょっと太った中年男性になってしまった。
ウアルカイシ氏は言う。
「武力鎮圧した指導部への怒りは消えないが、一方で自らが中心的な役割を果たした運動の中で多くの学生や市民が犠牲になったことに罪悪感も残る。(もう一人の学生リーダーだった王丹氏とともに)2人の『船長』が生き残ってしまった。この事実に一生苦しめられるだろう。」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
と、ちょっと難しい話はここまで。
さて、うちの天安門事件こと黒猫「あんもちゃん」。
1989年、天安門事件のあった年の秋に捨てられていた。家に連れて帰ってきて名前をつけるとき、思い出したのが「暗黒の天安門事件」だった。
私が忘れたくなかった事件とその拾ってきた黒猫が、見事にシンクロした。「あんもちゃん」、かわいい名前やけど奥の深い名前です。
私はほとんどすべてのことにセンスがないのですが、命名だけはちょっと自信がある。
「京都キャロット」という店の名前は、初代飼い猫の「キャロちゃん」から取ったもの。
キャロちゃんの子のメス猫2ひきには、当時トライアスロンで活躍していたカナダの双子・プントス姉妹からもらいー。「シルビア→ルビー→ルビコ、パトリシア→パティ→パティコ」。
そんな中でも、天安門事件からとった「あんも」は、われながら傑作だと思っている。
最後に、天安門事件20年目のあんもちゃんの写真をたっぶりと。
どうか、来年の6月4日も、あんもちゃんが元気でいられますように・・・。
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