2009年06月04日(木)
天安門事件 [平和]
*てんあんもんじけん【天安門事件】 〜「学習百科事典+キッズネットサーチ」より〜
1989年6月4日の未明,北京(ペキン)の天安門広場で,民主化を要求してすわりこみをつづけていた学生と市民を,人民解放軍(じんみんかいほうぐん)の戦車・装甲車が実力で排除した事件。人民解放軍は学生と市民に対して無差別に発砲し,多数の死傷者をだす悲劇となった。
事件後,民主化を要求する運動は反革命暴動とされ,中国政府・中国共産党による徹底的なひきしめが行われた。これに対して,アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国は人権抑圧として中国の指導部を批判し,経済制裁を行った。趙紫陽総書紀(チャオツーヤンそうしょき)はこの暴乱に加担したとして解任され,江沢民(チァンツォーミン)が新しい総書記に選任された。
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あの暗黒の「天安門事件」から、はや20年。
天安門広場での軍の発砲の場面と、戦車の行くてをさえぎる男性の映像。これは、衝撃だった。
この事件で犠牲になったのは、ほとんどが大学生。今もその正確な数は分からないままらしい。
この国で、去年、オリンピックが行われた。
私もご縁があって、北京に行くことができた。この天安門広場にも行ったが、思っていたほど広くはない場所だった。
「ここで多くの大学生が殺された。でも、私と同行している10代の若者たちはそんなことをまったく知らない。」
自分で直接見たことではなくとも、やはり事件の現場に足を踏み入れるのなら、多少の知識は持っていたい。
※今日の毎日新聞の社説「天安門事件20年」より抜粋
民主化を求める学生市民を軍隊で弾圧した天安門事件から20年になる。戦車の前に立ちはだかる青年の映像は世界を感動させた。
民主化運動は、議会制民主政治と自由な市場経済こそが発展をもたらすという信念にもとづく。だが中国は共産党一党独裁体制のもとで大国となった。今年10月の建国60年祝賀軍事パレードでは、軍事大国の力を見せつけるだろう。若い中国人は天安門事件を忘れ、民主主義よりナショナリズムの排外デモに関心を持っている。
この20年間、なにが中国を成長させたのか。?小平氏の「社会主義市場経済」である。
行政権力が強権管理する市場だから、土地の強制収用などが低コストでできる。企業は権力と関係があれば無競争で独り勝ちだ。こうして富強の道を突き進んだ。
その結果、貧しくても平等だった中国社会は、民主の担い手となる中産階層が形成されず、強者と弱者に二分化した。権力と結びついた「特殊権益集団」は富豪化したが、失地農民や農民工などの「弱勢集団」と呼ばれる貧困階層が激増した。
抑圧された貧困層全体に充満した不満の解消は、爆発の危険をはらんでいる。中国の抱え込んだ重荷は、20年前より深刻になった。
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この社説は、中国の強者弱者二分化に、日本が大きく関わっていることには触れていない。
今日の新聞には、「ウアルカイシ氏出頭 天安門事件リーダー」という記事も出ていた。
「天安門事件から20年がたち、風化が指摘されるなか、ウアルカイシ氏の出頭は事件への関心を高める狙いがあるとみられる。」
確か20年前は、「ウー・アール・カイシー」と言っていたように思うのだが・・・。当時の大学生も、今やちょっと太った中年男性になってしまった。
ウアルカイシ氏は言う。
「武力鎮圧した指導部への怒りは消えないが、一方で自らが中心的な役割を果たした運動の中で多くの学生や市民が犠牲になったことに罪悪感も残る。(もう一人の学生リーダーだった王丹氏とともに)2人の『船長』が生き残ってしまった。この事実に一生苦しめられるだろう。」
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と、ちょっと難しい話はここまで。
さて、うちの天安門事件こと黒猫「あんもちゃん」。
1989年、天安門事件のあった年の秋に捨てられていた。家に連れて帰ってきて名前をつけるとき、思い出したのが「暗黒の天安門事件」だった。
私が忘れたくなかった事件とその拾ってきた黒猫が、見事にシンクロした。「あんもちゃん」、かわいい名前やけど奥の深い名前です。
私はほとんどすべてのことにセンスがないのですが、命名だけはちょっと自信がある。
「京都キャロット」という店の名前は、初代飼い猫の「キャロちゃん」から取ったもの。
キャロちゃんの子のメス猫2ひきには、当時トライアスロンで活躍していたカナダの双子・プントス姉妹からもらいー。「シルビア→ルビー→ルビコ、パトリシア→パティ→パティコ」。
そんな中でも、天安門事件からとった「あんも」は、われながら傑作だと思っている。
最後に、天安門事件20年目のあんもちゃんの写真をたっぶりと。
どうか、来年の6月4日も、あんもちゃんが元気でいられますように・・・。
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2009年06月03日(水)
なつかしい写真 [家族]
沈没したと思っていたパソコンが復活した。その中には、どこにもバックアップしてなかった写真が入っていた。(2006年3月〜4月に撮ったもの。)
あー、復活してよかった。
以上、主な写真をピックアップしました。
ここからの3年間で、またいろいろなことがありました。子ども二人はずいぶん成長し、私ら夫婦はふけましたね。まっ、当たり前ですか。
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2009年06月02日(火)
ぱそこんぱそこん復活、ぶろぐぶろぐ満開 [ブログ]
昨日、新しいパソコンが来た。
それについていたACアダプターを古いパソコンに使うと、古いパソコンが復活。
「なーんや、これが悪かっただけかーい。」
新しいヤマピーCMのピンクのパソコン、ついでに買ってもらった私のブログ専用ミニノートパソコン、復活した古いパソコン。このほかに、廉の部屋にはディスクトップ型パソコン。産大前店、通販事務所にもそれぞれパソコンが。これで全部で6台ですわー。
さっそく、真樹のブログ「にょんにっき」も復活。
あのきくの写真は、2006年のグランプリといってもいい撮りばえ。
廉が中2のとき、ジュニアオリンピックのクロスカントリースキーの大会に出場したときのもの。京都の犬で新潟のスキー場(妙高)の雪にうまった犬は、そうはいないはず。きくがまだ1歳になる前のこと。ああなつかし。(私のブログのリンク集から見てください。)
これから、私も真樹もブログの更新がんばります。
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2009年06月01日(月)
「湖林」 [グルメ情報]
山中湖ロードレースの後は、中華料理の「湖林」さん。2時までに入らないと、ランチメニューにありつけない。今年はぎりぎり5分前くらいに入店。
お店自体はかなり古そう。
でも、中に入ると落ち着いたフンイキがあり、ガチャガチャしたところがにが手な私ら夫婦にとってはなによりうれしい。
ヨメさんは「ランチA・冬瓜と豚の角煮」、私は「飲茶セット」。
私は朝寒くて仕方なかったので、長そでシャツをもらった。写真ではよくわからないが、かなり変なシャツだった。
飲茶は、8個ともとてもおいしかった。歳をとると、量より質になりますね。1980円は少し高いようにも思うが、おいしかったのでよろしいよろしい。(ちなみに、ヨメさんのランチAは1000円です。)
以前は、ここのおこげを食べるのを楽しみにしていた。
残念ながら、おこげはランチタイムにはなかった。値段は高くなるが、2時過ぎて普通のメニューに戻ってから入店したほうがよかったのかも。
おなかペコペコの子どもたちと、おいしい中華料理を食べた日のことを思い出す。
ここ「湖林」さんは、年配の男性従業員さんだけで営業されているとても落ち着いた中華料理店です。山中湖に行かれる方にはお勧めのお店です。
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2009年05月31日(日)
第29回山中湖ロードレース [ランニング・出張販売]
たろうちゃん・オス・11歳。
うちの店でシューズを買ってくださったお客様の飼っておられるワンちゃんです。
1歳の時には、24時間マラソンも完走したそうだ。山の中を走るマラソンだったので、ロープにつながず自由に走らせたとのこと。今でも10kmまでのレースならだいじょうぶらしい。
今日はハーフだったので、車の中でおとなしく待っていたようだ。かしこいね。
連日の5時起き。
会場である山中湖中学校の門のところには、大会事務局のTさんが立っておられた。Tさんは、「山中湖ロードレース」に初めて来た時お世話になった役員さん。ここ10数年は別の部署に異動されており、あまりお姿も見かけなかった。ところが、今年、教育委員会に戻ってこられ、大会事務局の責任者として働かれていた。
昨日、むこうから私たちを見つけてくださり、声をかけてくださった。こんな時、必ず話題になるのがうちの子らのことである。小さな赤ちゃんを連れて遠くから出張販売に来ている姿が、よっぽど印象強く焼き付けられているようだ。
ずっと前からお世話になっている大会では、どこもいっしょ。うちの子どもらのことを、とても気づかってくださる。ありがたいことだ。
この「山中湖ロードレース」は、京都キャロットが出張販売をしている大会の中で私が唯一出場経験のない大会。以前は、とても走りに行けそうにないくらいいそがしかったので。
ところが、今や、それほどいそがしいというほどでもない大会になってしまった。特に最近雨のことが多く、昔のような活気が感じられない。
今年も、前日受付に引き続き、当日もあやしい天気。
9時15分ハーフスタート、9時30分1周の部がスタート。このときは、まだ雨は降っていなかった。しかし、それから1時間ほどすると、ポツポツ・・・。
そして時折、きつい雨に。
うちのような出店業者にとってはきつい雨だが、走っている人たちはこの雨けっこううれしいんですよねー。
雨が降ってなかったら、もう少し売上も伸びただろうに。うちの出張販売の最も遠方の大会にしては、ちょっと思惑外れ・・・。せめて、これでもレースに出ていたら、なにかおもしろいことも見つけられたかも・・・。
とか考えながら後かたづけをしていると、いきなり腰に「グキッ!」。
来てしまいましたがなー、ぎっくり腰。そのあとは、腰をかがめるのがいとうていとうて。やっぱり、不平不満を持ちながら働くのはあかんね。
帰りは渋滞にも巻き込まれ、京都の家まで7時間近くかかってしまった。腰の状態は最悪。かなりつらい帰り道になってしまった。
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2009年05月30日(土)
「ペンション・セミカ」 [宿情報]
「山中湖ロードレース」の時にいつもお世話になっている「ペンション・セミカ」さん。
初めて泊めていただいたのは何年前になるのだろう。そういうことを思い出すとき、うちの場合は子どもがいたかどうかが判断基準になる。
大会事務局のTさんから紹介していただき、このペンションに初めて泊まった時、子どもたちはいなかった。つまり、20年ほど前からお世話になっているということだ。
湖畔沿いから少し山の中に入ったところ。そのペンションには、ワンちゃんねこちゃんがいっぱいいた。犬猫好きの私たちには、願ってもないところだったのである。
もちろん子どもが生まれてからも泊め続けていただいている。うちの子らは、赤ちゃんの時からペンション宿泊を経験していることになる。(二人とも8月生まれなので、生まれる3か月ほど前、母親のおなかの中から「ペンション・セミカ」さんを見ていたことになる。)
「山中湖」は、京都キャロット出張販売3大遠征地の一つ。(あとの二つは、広島の「聖湖」と群馬の「北軽井沢」。ただし、現在「北軽井沢」は出店していません。)
一応子どもたちにも声をかけてみたが、道中の長いのに耐えられないようでノーサンキュー。
ここ3年は「小豆島」と日程が重なり、こちらの大会にはうちの従業員さんに来てもらっていた。だから、私たち夫婦で来るのは4年ぶりということになる。以前は、確か7時間ほどかかったような・・・。
朝5時起き。事務所にいるあんもちゃんにエサをやり、スタートしたのは6時近く。
4年前と一番ちがうのは、新名神が開通したこと。そのせいか渋滞もまったくなく、会場に到着したのは11時だった。
前日受付は、あいにくの天気。
人出はそう多くないのだが、パラパラパラパラと途切れずお客様があった。そのため、休けいなしの5時間の運転の後、8時間半ほど立ちっぱなし。こんな時に子どもがいてくれたら、交替で休めるのになあ。
子どもたちが心配だが、今はメールのやり取りが簡単にできるので、まずまず安心。二人で役割分担をし、食事洗たくなどしっかりやっているようだ。
7時半にかたずけ終わり、「ペンション・セミカ」さんへ。
なじみの宿は、くつろげていい。
マラソン関係のお客さんでいっぱいかと思っていたら、宿泊客は少なかった。たぶん、この翌日に大勢の修学旅行生を受け入れられるとのことだったので、セーブされていたのだろう。
子どもらと来たときは、確かあっちの窓際の席で、食事の後に「黒ひげ危機一髪」とかやったなあ。
こんなかわいい調味料入れもありました。
手作りデザートも、かわいくておいしい。
残念なことに、なじみのワンちゃんネコちゃんたちは、この1年ほどの間に亡くなっていた。
でも、いろいろと事情のある新入りワンちゃんネコちゃんがいた。
新ワンちゃんは、「ここ・オス・1歳」。どんなお客様にも嫌がらずだっこされるらしい。看板犬になれるね。
新ネコちゃんは、真っ黒で足だけが白。写真を撮ろうとしたら逃げられてしまった。残念!
「セミカ」さんは、手作りの雑貨のお店もしておられます。
階段の途中も、こんなかわいい人形たちが・・・。
また来年、よろしくお願いします。
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