2009年06月27日(土)
第28回六甲マリンパークマラソン [ランニング]
今日はブラブラ走ったので、写真がいっぱいになった。セレクトするのもめんどくさいので、全部公開。説明は最小限にしますので、全部見てくださいね。
六甲ライナー「マリンパーク駅」の南へ徒歩5分。
受付の時、私に近づいてこられた方があった。
「私・・・、シューズ・・・、京都キャロットで買いました・・・。」
身振り手振りで何とかわかった。そういえば、昨日、「京都キャロット・産大前店」に来ておられたような・・・。いやいや、まちがいない。岐阜の石田求さんでした。
聴覚障害がある方なので心配だったが、ちゃんとうちの店にたどりつかれてよかった。
私のブログの常連さん・三宅さんと3人で、パチリ!
もうこれで、今日この大会に来てよかったと思った。
4周走り終わって、本部で給水させてもらおうと思ったとき・・・。
「わー。」
「おー。」
「こられてたんですかー。」
「いやー、今日は、正装ですやん。」
私のライバルのぼり馬こと「くのいち・あやの」さん。
この6月、3回目。不思議なご縁です。やっぱりこのスタイルが似合ってますね。
「藤井さん、ゆっくり行かれるんでしたらいっしょに走りませんか。」
「いやー、ボクは写真撮らんならんし、急に立ち止まったりするし、あきませんわー。」
(こんなかわいい女性からのおさそいを辞退するなんて、ああもったいない。)
「くのいちあやの」さんは、甲賀流か伊賀流かそれとも・・・と思っていたが、いまだ正体不明。しかし、大会スタッフである官浪さんと原さんが彼女の事を話されていたので、「はぐれくのいち」ではないらしい。今後が期待される、有力「くのいち」である事はまちがいない。(意味不明でしょうか。)
ネコちゃんにエサをあげておられたご夫婦と、ちょっとだけしゃべらせてもらった。
「この公園、ネコちゃん、たくさんいますね。」
「そうでしょう。私たち、避妊手術をしてもらって増えないようにしてるんですけど・・・。」
「そうなんですかー。手術代もたいへんでしょう。」
「一度には無理なんで、グループで積み立てて、順番にしてるんです。」
「それはいいことですね。うちの姉もおんなじようなことしてますわ。なんか、安く手術してくださる先生がおられるみたいで・・・。」
さっきから、何でこんなにネコちゃんが出てきてんのかなと思ったら、このご夫婦を待ってたんやね。自転車のかごにいっぱいエサを積んで・・・。
カメラを向けても逃げるネコちゃんが少ないのは、こういうわけがあったんや。
私は4周(20.6Km)を走る予定が、結局6周(30.9km)。
1周、31分43秒。
2周、1時間04分55秒。(33分12秒)
3周、1時間40分07秒。(35分11秒)
4周、2時間15分33秒。(35分26秒)
5周、2時間57分27秒。(41分54秒、休憩5分含む)
6周、3時間34分06秒。(36分38秒)
まあ、よう走りました。
この大会は、3月、6月、9月、12月と、年4回あるらしい。また、スケジュールが合えばぜひ参加したい。
(主催者さんの話によると、冬は六甲山が見事に見え、この前の海の色も鮮やかに変わるそうである。ということは、12月がおすすめですね。)
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2009年06月26日(金)
「じゅんさい」 [グルメ情報]
昨日から、廉は高校のテスト週間。
お昼すぎに帰ってくるので、3人で食べに行くことにした。
すぐ近くで、ボリュームがあって、おいしいところ・・・。
すぐに思いつくのが、「ナリケンの店」こと「じゅんさい」さん。(うちでは勝手に「ナリケンの店」と呼んでいる。)
真樹の元同級生、ナリケンが引っ越しする前はよく行ってた店らしい。元ナリケンちは、ナリケンいわく、「国際会館駅から2歩」。その言い方で言うと、この「じゅんさい」さんも、駅から2歩。
(実際は、陸上競技部跳躍パートでも2歩は難しい。)
今まで何度もこの「ナリケンの店」に挑戦し、駐車場がいっぱいであきらめたことばかり。昨日がやっと2回目だったと思う。
ここのランチは、選べる一品+ハンバーグ。
廉は鶏のから揚げ、私はエビフライにした。ヨメさんはちょっと変わって、オムライス。
学校の給食を食べている真樹に悪いなあと思いながら、3人でおいしくいただきました。(3人とも、¥1000です。)
夕方、ナリケンにメール。
「ナリケン、元気かい?
今日の昼、『じゅんさい』に食べに行った時、ナリケンのことを思い出した。
野球、やってんのかなあ。」
ナリケンからの返事。
「はい。
サードで頑張ってます。」
よかったよかった。短いメールやけど、元気そう。
ナリケンは、そのまま静岡の高校に進学するんやろな。
でも、バリバリ関西弁の阪神ファンは、静岡では肩身が狭いやろなあ。
ナリケン、京都に戻ってこれたらいいのに・・・。
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2009年06月25日(木)
よりちゃんへ [学校]
よりちゃん。
よりちゃんがこのブログ見てくれてたらいいんやけど・・・。
昨日、別所に帰ってきました。
うちより先に「小谷屋」に寄り、よりちゃんのお母さんに会ってきました。こんな感じです。
「おばさーん、いやはりますかー。」
「はーい、どなたー。」
「かんろくのいんきょのこうじです。」
「ああ、こうじさん。まあ、あんた、よう来てくれたねー。」
「あばさん、去年も富士山に行ったあと、ちょっとだけお菓子持って来ましたやん。今年もおんなじとこ行ったら、おばさんのこと思いだして、またちょっだけお菓子こうてきましたわー。
去年こうてきた『富士山頂』っていうお菓子は人気で、今年売り切れてましてん。そやし、富士山の形の水ようかんこうてきました。」
「いやー・・・。そんな、うちにまで・・・。ありがとうなあ。」
「ついでついで。うちのおじいさんにみやげこうたついでです。」
「なんぼついでゆうたかて・・・。」
「あんたとこのおじいさんは、元気やでー。私より8つも上やけど、しっかりしてはるわ。私もそこらの草やらひかんならんと思ってんにゃけど、もう体が動かへん。」
「そら、無理したらあきませんで。自分のできること、ちょろちょろやらはるくらいでちょうどいいんちゃいますか。」
「こうじさん、遠いとこまで行って、手広く商売してはんにゃね。」
「いやあ、みんなみんなヨメさんが段取り立ててやってくれてますねん。ボクは、車の運転だけですわ。」
「そうかーあ。・・・うちのよりさだも、どうしてることやら。別所に帰って来て、『山の家』にでもやとてもうたらええにゃけど・・・。」
「ほんまやねえ。調理士の免許持ってはんにゃしねえ。」
「もうええ歳やし・・・。」
「そらそうですわ。同級生ですもん。53ですわ。誕生日がきたら、54でっせ―。」
「ほんまやなあ。」
「ボクの方がちょっとだけはよ54になりますねん。」
「こうじさん、何月生まれ?」
「ボク、12月です。」
「そうかー。よりさだは、2月13日生まれやねん。」
(この言葉に、ちょっと感動。別所の人なら、そのわけがわかるはず。)
「8月の閉校式の日に帰ってきやはったらいいのにね。」
「ほんまや。帰ってくるかなあ。さあ、どうやろなあ。」
「今な、私、プランターでええかげんなもん作ってんねん。」
「あっ、トマトですか。」
「これは、ミニトマト。しょうざえもんのおばさんに、苗もうてん。」
「これよろしいで。ボクも別所に住んでるとき作ったことありますけど、いーっぱいすずなりになりますで。」
「そうかー。畑とちごて、プランターやから心配やねん。できたらええにゃけど・・・。」
ほかにも何やかやと、およそ20分ほど。
私が帰るときに言った言葉。
「また、おばさんのこと思い出したら来ますわ。」
おばさんはそれにはこたえず、ただ「ほほえみがえし」。
よりちゃん。
よりちゃんのおかあさんは、ボクが想像してたより元気でした。顔色もよかった。
そして、よりちゃんのことを話すとき、いつも心配そうに、でもうれしそうに話さはります。
もしこのブログを見たら、お母さんに電話したげてね。きっと、よろこばはると思うよ。
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2009年06月24日(水)
沖縄学 [沖縄]
昨日6月23日は、沖縄「慰霊の日」。
1945年3月26日、慶良間列島(渡嘉敷島など)に米軍が上陸。4月1日には沖縄本島にも上陸。そして、6月23日、沖縄戦の司令官であった牛島満中将の自決をもって、組織的な戦闘は終結したとされる。
犠牲者は、一般住民94000人(推計)、日本軍94136人、米軍12520人。この3ヶ月たらずの間に、20万人以上の命が奪われた。
この中の一人が、うちの実家の本家の先代、藤井勘六さんである。
私の父・善一のいとこ。現在「かんろく」家を守っておられる藤井克己さんのお父さんである。
勘六さんは、准尉として内地勤務。赴任先を京都・沖縄のどちらか選べたそうだ。そのとき、「日本がやられるときは、京都も沖縄も同じ」と言って沖縄に行かれたそうだ。
私の父が出征するときも、「絶対に死ぬなよ」という言葉で見送ってくださったそうだ。
その勘六さんは沖縄戦で玉砕し、もちろん遺骨などは一切なし。いなかの家に戻ってきたのは、名前を書いた木の札だけだったそうである。
おとなりのおじさんが戦死されたことは知っていたが、くわしいことを聞いたのはつい3年ほど前のこと。
私たち沖縄以外の住民は、沖縄のことを知らなさ過ぎる。日本国内の米軍基地の75%が沖縄に集中していることを、なんとも思わない日本人が多すぎる。これは、学校教育との関係が深いのではないだろうか。
小学校から「英語教育」を必修化するくらいなら、日本のさまざまな問題が集約されていると言ってもいい「沖縄」のことをもっともっと学ばせてほしい。
そんなことを考えている人は、あまりいないんでしょうか。
・・・と、かく言う私も、沖縄のことをいろいろ調べだしたのはわずか5、6年前のこと。
なかなか現地に行くことは難しい。私の乏しい読書経験から、沖縄に関する本として次の3冊を推薦したい。
「子乞い」
たぶん6年ほど前。本屋さんで変わった題名の本が目についた。
そのとき、ちょうどうちの子はいなかの学校で学年一人。遊び相手もいない学校でふさぎこんでいた。
よく似た境遇の地域と学校。一気に読んでしまった。
この原作が、後にテレビドラマ「瑠璃の島」になり、コブクロの主題歌「ここにしか咲かない花」も大ヒットした。
沖縄の問題を考えるという意味では、ちょっと特殊な部類にはいるかもしれない。しかし、私が沖縄に関心を持つようになったきっかけを作ってくれた本である。
この本が縁で、2006年6月、10月、翌年3月と、3回も鳩間島に行くことができた。3回とも子どもといっしょに行ったのだが、何かはつかんで帰ってくれたと思う。
うちの子らが通っていた別所小・花一中は、統合により今はない。鳩間小中学校も、今月の19日、在校生4人(兄弟)が島を出てしまい在籍0。またも廃校の危機。
無理を承知で始めた里親制度であったであろうに。この先どうなるのか心配だ。
(著者・森口豁氏は、沖縄についてのたくさんの著書がある。ぜひ、ほかの本も読んでみてください。)
「平和は退屈ですか」
平和を守るためになにかをしたい。でも、なにをしていいかわからない。その答えが、この本の中にある。
「ひめゆり」の語り部たちと若者との論戦も興味深い。
戦争体験のないものが戦争を伝えていくには・・・。そうか、こういうふうに考えたらいいのか。ちょっと、目からうろこだった。
若い人にこそ読んでもらいたい本である。
「沖縄に学ぶ子どもたち」
えー、こんな小学校があったのかー。
小学生のころから沖縄を学ぶことの大切さ、この本を読むとよくわかります。子どもは、ちょっと材料を出してやると、その後は、自分たちでどんどん興味を広げていく力がある。
こんな小学校で、先生をしてみたかったなあ・・・。
シンガポールとかマレーシアに研修旅行に行ってる高校 !
何で沖縄に行かんかなあ。沖縄には、自分を見つめなおす材料がいっぱい詰まっているのに、ああもったいない。
以上。
沖縄に関心のある方は、ぜひ「沖縄に学び、沖縄を学ぶ」気持ちを持ち続けていってください。
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2009年06月23日(火)
京のハイビスカス・ふたたび [雑感]
きくの毎日の散歩コースに、花好きな奥さんがおられる。このブログにも何回か紹介させていただいた「花背造園」の奥さん。
4/28のブログにも書いたが、京都では珍しい南国の花・ハイビスカスを育てておられる。そのときは室内で開花した。しかし、外に出したほうがいいということで、1ヶ月ほど前から家の外に出しておられた。
そして、昨日・・・。
朝から大雨。
もう、きくの散歩はパスさせてもらおうと思っていたら、10時半ころに雨がやんだ。急いで散歩へ。
「花背造園」さんの前を通ってビックリ !
ハイビスカス、咲いてるやないですか。約2ヶ月ぶり。
カメラ、持ってくんの忘れたー。こんなときに限って。
夕方にはしぼむと聞いていたので、昼過ぎにカメラを持って現地へ。
バチバチ撮っていたら、「花背造園」のご主人が帰ってこられた。
「花の写真、撮ってくれてんのー。」
「はい。めずらしいですもんね。前は、部屋の中やったでしょう。」
(ここから4枚の写真は、昨日撮ったもの。)
ここからは、今日の写真。
昨日の花とおんなじなんかなあ。
ちょっと、こんな写真もいれーの。
もういっちょ、こんな写真もいれーの。
以上。
おまけ(きくのおとぼけ顔)つきの、ハイビスカス観察記でした。
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2009年06月22日(月)
第25回SAIKOロードレース・続き [ランニング・出張販売]
表彰式が始まる頃、フルマラソン60歳以上の世界記録保持者である保坂好久さんがうちのテントに来られた。(なんと ! 2時間36分30秒ですぞ。)
今年はくわしくは聞かなかったのだが、大会プログラムを見ると、去年1周の部・50歳代で優勝。10.7kmを38分14秒で走っておられる。59歳の時に50代優勝だから、立派である。
今年は、60歳で60歳以上の部だからぶっちぎりだったんでしょうね。(ちなみに、去年の60代優勝タイムは42分台。)
保坂さんは、前日受付の時、うちの店でシューズを買ってくださった。2足ともソールの薄いレーシングタイプのものだった。
そして今日は、「ランナーズ・7月号」を買ってくださった。
巻頭特集「時にはハードに! 時には楽しく! 工夫次第で今より速くなれる」(P.10〜)で、保坂さんのことが4ページにもわたって書いてある。
お世話になった民宿のおかみさんに見せに行かれるのだそうだ。
ランナーズの記事を見てみると、保坂さんの本業は自然食品会社の社長さん。サプリメント系のものは一切口にせず、健康野菜を欠かさず食べておられるとのこと。
自分で考え、自分でよいと思ったことを取り入れそれを継続し、きちんと結果を出しておられる。ちょっと失礼かもしれませんが、「本物の大人ですねえ。」
すぐヘナヘナとなってしまう若いランナー、こういういいところは見習いましょう
早めに片づけたつもりだったが、やっぱり今日も昼ごはんはかなり遅くなった。
「道の駅・朝霧高原」。
昨日はここらから富士山がくっきりときれいに見えたのに、きょうは名のとおり霧の中。
食堂に先に入って待っていたら、「どこにいるか、全然わからんかったわー。」とヨメさん。
「ハゲちらかしたオッサンしかおらへんなあと思ったら、それが・・・。」
「なんてー !」
(ヨメさんの肩越しに見えている写真は、「雨のバラード」の湯原昌章ご夫妻です。と言っても、分からんかな。)
ごはんの後の楽しみは、「田子の月」。お菓子やさんです。「シャトレーゼ」の上等版みたいな感じ。
ここは、そこで買ったお菓子を食べる場所があり、コーヒーやお茶がサービスで出る。これがうれしゅうて・・・。
残念なことに、銘菓「富士山頂」は売り切れ。あーん、おみやげに買って帰ろうと思ってたのに・・・。
富士山型のお菓子をかじってしまってから、写真を撮っていないことに気づき、もう一回ひっ付けてパチリ ! (歯型付き富士山 !?)
帰りの高速では、いつもの岡崎付近が渋滞。思っていたより遅くなってしまった。
「でもなあ、前はこっちらへん出張販売に着てた時、帰りはたいてい12時過ぎてたやんなあ。」
「そうや、子どもといっしょに温泉入って、ばんごはんも食べて、別所(うちのいなか)まで帰ってたんやから・・・。」
「子どもらは、車の中でそのまま寝てしもて・・・。ますみちゃんが、そのふたりを寝間まで運んで・・・。」
「ほんまや、ほんまや・・・。ようやったわ。アンタは、なーんもせんとなあ。私一人の力で、ふたりの子どもを立派に育てたもんやなー。」てか。
いっつもしみじみ話の最後がこうなって、チャンチャンなんやねー。
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