2008年08月15日(金)
北京・柔道100kg超級(石井慧選手応援ツアー2日目) [石井慧選手関連]
ゆっくり朝食をとり、柔道会場へ。
昨日「石井慧Tシャツ」を着ていた人が多かったので、今日は「毘沙門ポロシャツ」を着ている人が多かった。
いずれにしても黒地なので、おそろいで20人以上がかたまっておれば目立つはず。
ただ、チケットが連番で取れなかったらしい。「どうすんにゃろ?」
会場は、北京科技大学体育館。
大学の門のところでバスからおろされ、大学構内をだいぶ歩く。構内に住宅もあり、コンビニもあり、かなり大きな大学だという印象。
体育館前にチェックゲートがあり、そこで持ってきていた水のペットボトルを没収されてしまった。「やっぱり、きびしいな。」と思っていたら、いっしょに来た渡辺さんはまったく調べられなかった。「なんで!」
受け取ったチケットに書いてあるシート番号をさがすと、左のはしのほう。あまり見やすい場所ではない。
4枚連番が取れたようで、あとの3人はお父さんと息子さん2人でこられている泉さん親子だった。
まだ少し時間があったので、北京オリンピックオリジナルグッズが売ってあるテントを見に行った。
小さなテントのため、なかなか前に出て見ることができない。値段も大きくは書いてないので、よく分からない。
ちょっと離れたところから、ちらちらちら見。
今朝、ホテルでだいぶ「元」に換金できたので使わなくては。廉と真樹と眞寿美さんには、かわいいものを。と思いながら、真樹用みたいなものばっかりになってしまう。
まず、マスコット人形5体セット(一番小さい分)。携帯ストラップ。マスコットのガラ入りタオル。
廉には、胸にマスコット5体が入っているアディダスのポロシャツ。(これは高かった。280元、約4500円。)
そのとき、足元にねこちゃんが。
店の後ろで補充用の商品を整理しているお兄ちゃんになついているようだ。
ここで、ちょっと考える。
ここで働いている人たちは、この価格のグッズを買うことができるのだろうか。
ガイドの陳さんの話によると、北京で働く人の給料の平均は5000元(約8万円)くらい。日本の3分の1。
それで換算すると、あのポロシャツは13500円。安いと思った携帯ストラップも、28元、約450円。これも実質3倍の1350円。この値段なら、とても買えません。
12時前になったので会場に戻ると、泉さん親子が忽然と姿を消していた。
「どこ行かはったんかなあ」と思いながらあたりを見回すと、目の前に中村美里選手が。すぐ見つけられ、次々いっしょに写真をとお願いされていた。ちょっと気の毒、ちょっとうらやましい。でもあつかましいお願いはやめておいた。
1回戦が始まった。
前日のこと。万里の長城に向かうバスの中で、ヨメさんからメールが。「鈴木負けたー。一回戦一本。」
これをバスの中にいたみなさんに知らせると・・・。
「やっぱりなー。7月の末までサーフィンしてたといううわさもあったし。」
「ええお膳立てができたなー。これで、慧が金、塚田が銀くらいでかんにんしたろか。」
うーん、この余裕はナニ?
私は、前日の鈴木選手の1回戦負けがあったのでドキドキしながら見ていた。強いと思われている選手も、こんなことがあるんや。
初戦(2回戦)対ビアンケシ(イタリア)、内また3分23秒 一本勝ち。・・・なのだが、正直に言ってほとんどおぼえていない。ドキドキしているうちに終わってしまったという感じ。
同じ会場で、女子78kg超級の試合が行われていた。
これはお得。あの塚田真希選手が見られる。
字はちがうがうちの娘・真樹と同じ名前。真樹も、中学の体育で柔道着を着たとき、みんなから「にあう、にあう」と言われたそうだ。
わたしにとってはおまけのような試合だったので、こちらはお気楽に見ることができた。塚田選手の積極性がヒシヒシと感じられる試合だった。
初戦が終わった後、美智子さんらが私を探しに来てくださった。応援ツアーの一団は、全員最前列に移動したらしい。確か、その場所も4人分しか確保してなかったはずだが・・・。
3回戦、対シュハビ(エジプト)。
大内刈り2分41秒、一本勝ち。
まったく問題なし。まったく危なげなし。
堂々とした戦いぶりは、しろうとの私が見てもほれぼれする。
「美しい一本にはこだわっていない」と言っていたそうだが、前に前に突き進むひたむきな姿勢は見る人の胸を揺さぶる。
一部の批判していた人たちは、今日のこの柔道をどう評価するのだろう。
4回戦、対トメノフ(ロシア)。
残り1分を切って、相手がともえ投げに来たところをつぶして寝技へ。
上四方固め4分44秒、一本勝ち。
前からふしぎだったことを渡辺さんに聞いた。「寝技で固められたらたいていそのまま決まってしまうでしょう。逃げられへんもんなんですか。」
「きっちりいい場所を固めたら、まず無理ですね。」
決勝トーナメントまで少し時間があいたので、遅いお昼を食べに行くことに。
会場内(ゲートの内側)は飲み物だけで、食事はできない。大学を出て少し歩いたところにお粥専門店があるということで、その店をめざした。
「お粥ってこれまた、このでかい人らの腹持つんかな?」と心配になった。
お粥専門店と言ってもお粥ばかりでなく、普通の中華のメニューも充実していた。まとめていろいろ注文してくださったようで、その中には今話題のギョウザもあった。これがまた、意外にあっさりしていておいしかった。
お粥専門店と言うだけあって、次々出てくるお粥もみんなおいしかった。
こんなん食べられるのも、石井さんファミリーのおかげです。感謝、感謝。
店を出て、決勝トーナメントの応援の打ち合わせ。
試合会場では、「日テレ」さんにすごくお世話になったようだ。
日テレさんからは石井慧選手の取材に3人来られていた。お一人が、元広島の山本浩二監督の息子さん。そして、その人といつもいっしょに行動されていたすっごい美人の方。(私はてっきり、その方は山本浩二さんの息子さんの奥さんだと思い込んでいました。後で聞いてびっくり、日テレのキャスター森麻希さんでした。)
決勝トーナメントも最前列は4枚しか確保してなく、どうすんのかなと心配していると・・・。もう一人の日テレの助っ人さん(ドイツ人と日本人のハーフの方、5か国語ペラペラ)が、次々入場して来られる本来のチケットを持ったお客さんに「ナンタラ、カンターラ。」
私が思うに、「すんませんけど、この人ら石井選手の関係者でっさかい、席かわってもらえませんやろか。」といろんな言葉で言ってくれてはったようだ。
すごい。
それを聞いたお客さんも、「よっしゃ、よっしゃ」ゆうて(?)納得してくださった。よっぽど彼の頼み方がよかったんやろね。そのやり取りを横で見ている私は、ただただ感心するばかり。
「外国語がしっかりしゃべれたら、こんなこともできるんや。」ええ勉強になりました。
女子の決勝トーナメントに中国選手が残っていたせいか、私たちの後ろに陣取っていた中国大応援隊がたいへんな騒ぎだった。あれは応援というより、威嚇に近い。
それにしても、おまけのつもりで見ていた塚田選手の戦いぶりもすごかった。オール一本勝ち。
準決勝、対ボラウデル(スロベニア)戦も、見事横四方固めで一本勝ち。これで銀メダル以上、決定!
そして、石井慧選手の準決勝。
これに勝てば、銀メダル以上が決まる。
大ベテラン塚田真希選手に比べれば、経験も浅く緊張するものと思っていたがまったくその気配がない。
堂々とした落ち着いた戦いぶりだった。100kg超級では小がらな方だが、それを感じさせない。
優位に試合を進め、そのまま終わりそうだったその時。石井慧選手の執念を見せつけられた。
残り1秒で、上四方固め、一本勝ち。
相手のグゼジャニ(グルジア)は、ギブアップ。
これは、しびれた。
なんて、強い。なんて、がむしゃら。石井慧選手を批判していた人たちは、この試合を見て唖然としたにちがいない。
男子100kg超級決勝の前に、女子78kg超級の決勝。
塚田真希選手の相手は中国のトン・ウェン。
会場が異様なふんいきになってきた。中国おかかえ応援隊の集団が、あらん限りの声を出している。
それに引き替え、当事者トン・ウェンは、何回も何回も帯をゆるめてはしめ直している。そんな試合、だるいって!
そんな相手のペースに惑わされず攻め続けた塚田真希選手は、えらい!
会場内の中国おかかえ応援隊以外の人はすべて、塚田真希選手を応援していたように思う。もちろん私たちも声を張り上げて応援した。
攻め続け優位に立ったまま終わるかと思われた残り8秒。トン・ウェンの背負い投げに敗れた。(私には、まぐれにしか見えなかった。)
この時点で、私のおなかはもう満腹。
石井慧選手の準決勝のすばらしい戦いぶり。
塚田真希選手の情熱。それに応えるみんなの応援。
そのせいか、男子決勝の場に出てきた石井選手を落ち着いて見ることができた。今までどおりにやれば、負けるはずがない。
試合前に、いつものジャンプ一発!
決勝の相手は、タングリエフ(ウズベキスタン)。
石井選手は冷静。なぜか、相手が自信なさげに見える。
しっかり組み、前へ前へ。このスタイルは決勝でも貫かれていた。
逃げ腰の相手に「指導」が2回。絶対優位に立つ。それでもその後、前へ前へと攻め続けていた。
そして、試合時間5分の終了を告げるブザーが。
金メダル!
柔道、世界一!
それを目の前の、ここでこうして見られるなんて!
この直後は、大騒ぎ。
父・義彦氏は、満面の笑み。
母・美智子さんは、目がしらを押さえる。
妹・愛さんも、「やったね!」という感じ。
その中で、一人ハラハラと泣いておられる方がいた。伯母の藤井豊栄さん。親兄弟とはまたちがった何かが思い浮かんだのだろうか。
身内でも関係者でもない私を快く受け入れ、よくぞここまで連れてきてくださった。最高の舞台で最高の試合を見せていただきました。
石井慧選手、石井ご夫妻、ツアーでお世話をしていただいたみなさん、本当にありがとうございました。
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2008年08月14日(木)
万里の長城と北京ダック(石井慧選手応援ツアー1日目) [石井慧選手関連]
4時半、起床。
4時45分、家を出発。
京都駅前の駐車場に車を置き、5時46分発「はるか1号」に。
7時11分、関空着。
7時半集合だったので、そこらをうろうろしていると石井美智子さんから電話があった。急いで集合場所に行くと、黒Tシャツ軍団が。
石井慧選手の後援会の応援ツアーに便乗。お母さんの美智子さんは、仕事中骨折され、松葉杖姿。大変な中で、本当にお世話になった。「ああ、この人たちについていったら北京に行けるんや。」
みなさんの中心で説明されているのが、父・義彦氏。柔道家なので体は大きい。しかし、顔や話し方が井筒監督にそっくり。ちょっとびびって、ちょっとほっこり。(すいません。)
女性がかたまっておられた中から、「こうじさん」の呼び声。お母さんの美智子さんでした。
私が中学校を卒業して以来なので、37年ぶり。(母校別所小・花一中は小中併設校だったので、4歳下の美智子さんとも行事などでいっしょに。)
私の記憶では、お姉さんやお兄さんに似て丸いほっぺだった印象。ところが、しゅーとしたかっこいい人になっておられました。
でも、そのおとなりになつかしい丸いほっぺが。美智子さんの姉・豊栄(とよえ)さんです。私の2歳上。いなかでは、「とよえちゃん」と呼んでいました。
39年ぶりでも私はまったく抵抗なく、最初から「とよえちゃん」。とよえちゃんは、最初の1、2回は「こうじさん」、でもそのあとは普通に「こうちゃん」が出てきました。
ちなみに、美智子さんは私の同級生の妹なので、子どもの時は、同級生が妹を呼ぶのと同じように呼びすてでした。でも、今はさすがにそれはできません。「みちこさん」とか「みちこちゃん」と呼ばせてもらいました。
美智子さんの方は、知らぬ間に「こうちゃん」と呼んでくれていて、ほっとしました。私のことをそう呼んでくれる人がそばにいるだけで、心強い。なんと言っても、31年ぶりの海外旅行ですから。
そう言えば、石井義彦さんが何回も「みちこー、みちこー」と呼んでおられた。美智子さんが「はずかしいからそんな大きい声で呼ばんといて。」と言われると、「美智子に、『みちこー』ゆうて何が悪いねん、ねえー。」って、こっちにふられても・・・。(松葉杖を使って歩いておられた奥さんを気づかっておられたのです。)
私は、「<み>ちこ」さんだと思ってましたが、義彦さんは「みち<こー>」と<こー>を高く言っておられました。
20人ほどのグループを見渡すと、石井先生の教え子らしき人が多く、気を使うおえらいさんらしき方がおられなくてほっとした。なんせ、こちらは柔道のど素人。専門的な話ばっかりになったらどうしようと心配でした。
その中に、小学生の男の子を連れたご夫婦が。3人そろっての「石井慧Tシャツ」がとてもお似合いです。私が最初の集合にちょっと遅れたので、こちらのお母さんからいろいろと手続きなどを教えてもらいました。
飛行機は、エアチャイナ。添乗員さんも中国人の方で、日本語が通じない。私は最後尾の左窓側の席。
一番びっくりしたのは、機内サービスのジュースがぬるかったこと。ビールを常温で飲むとは聞いていたが、まさかジュースを冷やさないなんて。
そのあと出てきた軽食は、かたまりかけているおそば。味は悪くなかったが、量が少なすぎる。これでは、現役柔道家らしきあの人たちの腹は持たんぞ。
北京は、日本との時差1時間。
「時計を1時間早めてください」とアナウンスがあったが、めんどくさいのでそのまま。これくらいなら、計算まちがえません。
暑いと聞いていたが、やっぱり京都よりはだいぶすすしい。ただ、空の色があやしい。曇り空にも見えるが、それにしては雲の位置が低すぎる。これが、話題になっていたガスかなあ。
北京空港はだだっ広い空港だったが、電車並みの間隔で飛行機が発着していた。管制塔、大いそがしやろね。
建物に入ると、オリンピックぽい人(?)であふれかえっていた。ツアー客を待ち受ける関係業者の方たち。この風景、どこもいっしょ。
ツアーガイドさんが、日本人に似た中国の方なので親近感を覚える。
私たちをガイドしてくださるのは、最初の案内に書いてあった方ではなく、陳さんという若い女性の方だった。
空港前から貸切バスに乗ると、運転手さんがどこかで見たような・・・。巨人の谷選手(谷亮子選手のだんなさん)のような方でした。
ここから高速道を使って、万里の長城へ。
バスの席は、ホテルで同部屋になる渡辺さんの横にすわらせてもらった。
渡辺さんは、大阪清風高校柔道部のご出身で、石井慧選手のだいぶ上の先輩にあたる。現在も、道場で子どもたちに柔道を教えておられる。石井慧選手の北京行きが決定した時、真っ先に応援ツアーに申し込まれたそうだ。
どちらかというと私に似たツアー便乗型だが、私との大きなちがいは柔道の専門家であること。でも、そんなに大がらな方でなく、やさしそうな方でほっとした。
ガイドの陳さん。
ほんとにいい人。
「ワタクシはー、・・・」から必ず始まるお話。
同じ言葉(説明)を必ず2回くり返す。
そしてその間に必ずはさまる愛想笑い。
北京の外国語大学を卒業し、日本の旅行会社の北京支店に就職されたとのこと。日本にも4、5回行っているとおっしゃっていた。
メイン会場である「鳥の巣」の横を通り、バスはスピードを上げる。
高速道路は、4車線。幅は広いのだが、運転はけっこう荒い。横入りあり。堂々停車あり。
「ここは、大阪かー。」
雲行きがあやしかった空から、ポツポツ雨が。万里の長城、1時間くらい歩く予定って言ってはったのに・・・。
「鳥の巣」から、わずかに聖火の炎が。
ここで、赤羽さんらが10000m走るんや。
「お母さんランナー、私たちに夢を!」
ああ、今まさにオリンピック会場に来てる。石井慧選手のおかげ。お母さんが、別所出身やったおかげ。深いかかわりのなかった私を、快く受け入れてくれはったみなさんのおかげ。
万里の長城に近づくにつれて、雨足が激しく雷も。
ガイドさんの話によると、こんな大雨は3年ぶり。
バスは、日本旅行者の特典で、普通は入れない入り口の近くまで。しかし、雨はさらにきつく。かさをさしていても、服がビチャビチャ。万里の長城を歩いている人を見ると、ほとんどがかさでなく、ビニールのカッパ。(たぶん、どこかで売ってたんでしょうね。どれも似たカッパやったから。)
入り口近くの売店(?)で休けいさせてもらい、そこでトイレに。温かいお茶をいただいたが、それが体にしみた。
そんなに山の上でもないようなのだが、とにかく寒い。
「ここは、別所かー。」
(私や美智子さんのふるさと別所は、夏でも雨の日は寒い。)
けっきょく、雨がきついということで、写真だけ撮って引返すことに。
「ここまで来たんやから、歩いてみたかったなあ。」という声もあったが、ちょっと雨がきつすぎた。仕方なく、ホテルへ向かう。
この帰りに、めっちゃ笑うことがあった。
バスのドアが、大雨のため半開き状態に。高速道路上に停車し、運転手さんが修理を試みておられたが、ダメ。けっきょく、ガイドの陳さんが手で押さえることに。(「わしがやろかー」と石井義彦氏。)
ホテルに入るまで、グルグル迷路のようなところを通った。すぐ横がオリンピック選手の練習場所(卓球場とサッカー場)だったため、ホテルの周囲を鉄線で囲い、不審者が入れないようにしてあるらしい。
ホテルはすごくきれいで、日本のホテルとなんら変わりない。ただ、スタッフがまったく日本語が話せない。これは、ちょっと困る。
部屋に入ると、トイレ・バスルームのドアがきっちり閉まらない。でもまあ、こんなこともないと「中国」という感じがしないから、いいか。
「男同士やし、いいですやん、ねっ。」とか言っていたが、ほかの部屋でも同じようなことが起こっていた。もっとひどいところは、お湯がでなかったそうだ。
「中国、満喫!」
晩ごはんを食べに出かける時、ホテルのそばでねこちゃんが。
日本のねこといっしょやね。ニャーニャー鳴いとる。近くにレストランぽいところがあったので、そこでエサをもらってんにゃろなあ。
それにしてもワンちゃんを全然見かけんなあ。なんか前に、犬禁止令見たいなんが出たとか聞いたことある。それが今も続いてるんかなあ。
晩ごはんは、ガイドの陳さんおすすめの北京ダックのおいしいお店。
中華定番の回すテーブル。
私は、石井義彦氏と、家族3人で来られているお父さんにはさまれた。二人ともでかいし。なんぼでも食べられそうやし。でも、おふたりとも私にすごく気を使ってくださった。
「すんませんなあ、こんなへなちょこおじゃま虫に。」
北京ダックがおいしかったのは、言うまでもない。
ここでツアーメンバーの話題を独占したのが、「ピヨコちゃん」。なにかの粉を固めたお菓子(?)のようだが、そんなにおいしいものではなかった。
このかわいいお菓子で盛り上がるのも、このメンバーの平均年齢が若いから。(私より年上は、わずかお二人だけだった。)
みんなお腹いっぱいになって、ホテルへ。
北京ダックを含む豪華な中華料理をいただいて、ビールもいっぱい飲んだのに、料金は格安だった。この量なら、あのでっかい人たちも満足したにちがいない。
翌日の試合が12時からだったので、ホテルではゆっくりできた。エアコンを入れなくてもすずしく、眠りやすい夜だった。
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石井慧選手の応援に、北京へ! [石井慧選手関連]
今日から3日間、北京へ行ってきます。
柔道100kg超級日本代表・石井慧選手の応援に。
石井慧選手は、私の小中時代の同級生である藤井修平君のおい。(修平君の妹・美智子さんが石井慧選手の母。)
石井慧選手の頭脳的な柔道が花開くか、しっかり見てきます。
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2008年08月13日(水)
8.6滋賀反核平和マラソン(まとめ) [ランニング]
守山市役所から草津市役所へ。
ここは中抜きもなく、本来のゆっくりペースに戻り、少しではあるがほかの人としゃべったりする余裕もあった。そしてこのあたりから、私の胸の中にふつふつと疑問がわいてきた。
「核兵器廃絶と平和を求めて走ります
核兵器はいらない! まもろう憲法9条」
これがもらったチラシの一番トップに書いてあった言葉だ。
自分の好きなランニングを通して、「反核平和」が訴えられるなんて。こんなうれしいことはない。そう思って参加したのに・・・。
各お役所でのセレモニーの時間に追われ、速く走れる人だけが走り、ゆっくりランナーは伴走車に収容。私も何度も収容された。
「参加にあたっての注意事項」には、次のような説明が書かれていた。
・伴走車がつきますので、走らないときは車中で待機していただきます。
・一区間平均2.2km 約6分/km程度のスピードで走ります。
(参加者の力量に合わせてスピードの調整を行うことがあります)
これを読んだ限りでは、キロ6分ペースを守れる人は走り続けることができると思ってしまう。私も、休けいをはさみながら30kmをキロ6分ペース、3時間なら十分に可能と思って参加した。
そして一番の目的、「核兵器廃絶と平和を求めて走ります」。私のイメージとしては、共に走るメンバーとゆっくりジョギングしながら語り合う。沿道の人たちとも、平和について意見を交換する。
でも実際は、全然ちがった。
初めにお役所でのセレモニーありき、それに伴う中抜き(ワープ)ありき。それならそうと、そのへんの事情をきちんと要項に書いてほしい。
この大会に何回も参加されている方ならいざ知らず、私のように意気込んで初参加した者には、ちょっとがっかりでした。
収容された車の中でも言っていたことですが・・・。
私たちより上の世代は、「反核平和」に対してあまり説明を必要としない。以前は今に比べればしっかりとした平和教育がされていたように思う。
ただ、何事にも無関心な(と思われる)若い世代には、ねばり強い働きかけが必要だ。
「今までやってきたことをまったく同じように続けていくだけの平和運動に未来はない」と私は思います。
今回の参加メンバーも、平均年齢は高かった。
最近少しずつではあるが、若いランナーが増えてきているように思う。その人たちが参加しやすいような工夫、参加してよかったと思ってもらえるような努力は十分だったのだろうか。
主催者さんにはいろいろな制約や事情があるとは思います。これだけの準備をしていただくのには、かなりの労力を使っていただいたことでしょう。
それに対しては、敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。
ただし、「マラソン」の看板を掲げる以上は、参加者が満足できる内容を追求してほしいです。
私は30kmの道のりを、「核兵器廃絶と平和を求めて走る」つもりでした。
結局走った距離は、13kmくらい? (まったく不明)
平和を求める何かができた? (こちらも???)
戦争の強制はもってのほかですが、平和の強制もあっさり受け入れることはできません。(何であれ、私はすべての強制が大嫌いです。)
平和を求める活動で一番大事なものは、セレモニーではなく、一人一人との地道でねばり強い対話ではないでしょうか。
すべてがそこから始まるような気がします。
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2008年08月12日(火)
犬にかまれて手がジンジン [わんこ・にゃんこ]
昨日、真樹が雲ヶ畑に遊びにいった。
雲ヶ畑の中学生を中心にキャンプをするところによせてもらう(参加させてもらう)。
まず、同い年のTさんのうちへ。ヨメさんが車で送って行った。
ここには、うちのきくと顔が似ている「ろく」ちゃん(オス)がいる。
ヨメさんは、去年初めてろくちゃんに会い、その時ろくちゃんは腹を見せて喜んでいたそうだ。
そして、今年・・・。
「やられたー。」
腕を押さえながら、ヨメさんが帰ってきた。
今年も去年とおんなじ調子で手を出したらしい。そこを、ガブッ!
「ろくちゃんにかまれてもたー。血が止まらへん。」
この時、昼の1時前。
「北村クリニックやったら、時間外でもみてくれはんでー。とにかく、行ってみよう。」
しぶっているヨメさんを連れて行った。
「北村クリニック」は、うちから長代川沿いに200mほど南へ行ったところ。先生一人だが、何でもみてくれはる。診察がていねいで、信頼できる。(私も何回もお世話になった。)
玄関が閉まっていたのでインターホンを鳴らすが反応無し。
「やっぱり無理か。」と思い、帰ろうとした時、玄関が開いた。よかった。(先生は、その時お電話中だったそうだ。)
診察の結果、即手術。左手首2箇所(動脈近く)を10針くらい縫ったらしい。化膿止めのお薬もいただいた。本当にみてもらえてよかった。
教訓。
「こんなかわいい私が、犬にかまれるはずがない・・・は大まちがい。人間も機嫌が悪い日があるように、犬にもある。犬に近づく前には、必ず『そばにいってもいい?』と犬に聞いてから近づこう。」
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2008年08月11日(月)
「シロクロ」〜シリーズご近所猫1〜 [わんこ・にゃんこ]
昨日の夕方、きくちゃんといつもの散歩コースを歩いた。
北稜高校の近くまで行って、真っすぐな新しい道から帰ろうと花背造園さんの前を通った。家の前に奥さんがおられたので会釈をして通り過ぎようとしたら、呼び止められた。
「うちの猫のこと、書いてくださったんですね。」
「あっ、見ていただけましたか。」
「東京にいる息子が帰ってきて、『おかあさん、うちの猫のこと、書いてあったよ。』と教えてくれて。」
「そうなんですか。花背造園さんで検索してくれはったんかな。」
「息子のお嫁さんにうちの名刺作ってくれるように頼んだんですけど、その時『はなせ』の字を確かめようとしたら偶然見つかったみたいです。」
この後、いろいろなお話を聞かせてもらった。
4月22日のブログ「ちょび」の記事の続きに、花背造園さんの「ひなたぼっこねこ」の訃報を書かせてもらった。その猫ちゃんは、いつもゆったりひなたぼっこをしているので、ボーとしているうちのきくは気づかず通り過ぎてしまうことも多かった。あんなかわいいねこちゃんが・・・。
そのねこちゃんの名は、「にゃみ」。シリーズご近所猫の1番バッターに登場してもらおうと思っていた矢先の事故だった。
ひき逃げされたのは、お昼の3時ごろ。ひいていった車はそのまま走り去ったそうだ。
ひかれた直後、それを教えてくれたのは花背造園のワンちゃん。奥さんはすぐ道路に駆け寄ったが、「にゃみ」ちゃんは虫の息。頭をやられていたので、まもなく息を引き取ったとのこと。
「にゃみ」ちゃんは、9歳。初めのうち避妊手術をしていなかったので、最高26ぴきまで増えてしまったそうだ。
道路の反対側などめったに行ったことがなかったのに、事故の日はなぜか反対側に渡っており、戻ろうとしてひかれたらしい。
真っすぐな新しい道をビュンビュンと飛ばす車が・・・。
最近、花背造園さんの前で同じねこをよく見かける。
奥さんに聞いてみると、「のらねこです。でも、エサはやってます。」
「名前はつけてはるんですか。」
「シロクロです。」
なんと、わかりやすい名前。
「一緒にいるのが、孫の『ハナゲ』です。鼻毛がはえているみたいでしよ。」
名前も付けてエサをやってはっても、のらねこはのらねこなんや。
「シロクロがミケ猫を産んで、それが今度はシャム猫を産んでね。そのねこがかわいくてかわいくて。顔はデビルみたいなんやけど。今度、写真に撮ってください。」
わかりました。絶対車にひかれないように育ててくださいね。
「話はかわりますけど・・・、『花背造園』さんて、花背の方ですよね。私、花背の別所のもんなんです。」
「まあ、そうなんですか。主人は花背の八桝の出身なんです。私は九州なんですけど。」意外なところで意外なつながりが。
花背造園の奥さんは、ねこちゃんもワンちゃんも大好き。4年前に亡くなったワンちゃんは、23歳まで生きたそうだ。お母さんシーズー、お父さんコリー、のかわった犬だったらしい。鼻のにゅーと出た大き目のシーズー(?)、想像できません。
おうちの前には、いつもきれいな花がいっぱい。動物を愛し花を愛する人。こんな人が増えてほしいです。
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2008年08月10日(日)
京都ランナーズ例会(8月第2日曜) [ランニング]
京都ランナーズの例会は、原則第2日曜と第4日曜。ただし、7月第4と8月第2は夏休み。
今年は秋の陸上競技大会との関係で、8月第2も開催することになった。
この話題が春の総会で出た時、「そんなくそ暑い時に、無理にせんでも。」と意見を出した。「来ても10人くらいやろ。」と思っていたが、それよりは多いようだ。
4時の太陽はどうだろうと思ったが、意外とまし。
少しだけ風もある。
結局走るのは15人くらい。
今日は、宣言タイムレース。みんな時計をはずし、1周の予想タイムを申告する。
私は、昨日のダメージが今日にどれくらい影響するのかよく分からない。合宿の時の4.5kmが24分ちょうどだったので、それからすると22分くらいか。
みなさんの申告タイムをカンニングすると・・・。
外峯さん16分10、論外。
吉川さん19分50、うん?今日はゆっくり?
初代さん19分55、優勝ねらってるな。
粟津さん20分00、強気。
私は最初22分。それを見た粟津さんが「そんなにかかりませんよ。」と優しい声で。
よっしゃ、そんなら21分で。
さあ、スタート。
みなさん意外と、スローペース。本当に早い人は3分後のスタートなので、こうなるのかな。
それでも私はついていけない。この人らは、5分を切るペースやから、無理せんとこ。ゴール地点で300m以内を目標に。
私と同レベルの人がおらず、一人ポツンとなってしまった。
3分後スタートの中に、外峯さんがいるはず。後ろを確認し、写真を撮らねば。
御所の半分を過ぎたころ、猛烈なスピードの外峯さんが。カメラを構えて待っていたが・・・。「ああっ」と言ってる間に通り過ぎてしまった。外峯さんもあのスピードの中、なんか声をかけてくれた。
デジカメをを確認すると、外峯さんのお腹のアップ。こりゃいかん。この個人情報は、消去!(腹黒く写っているわけではありません。)
1周目のゴール。前の人が見えていたので、目標の300m差、21分くらいはゲットできたかも。
2周目はきつかった。
前も後ろも人影なし。ちんたらちんたら走ってしまった。それでも、最後ちょっとがんばったからまずまずかな。
ゴール地点には、なにやら振り続けている外峯さんがいた。そんなちょっとしたことも、うれしい。感謝、感謝。
私が最終ランナーかと思っていたら、松若さんが2周目を走っているらしい。その最後尾に自転車でついているのが、山嵜さん。あんまり遅いので、見に行くことにした。しばらくするとほかの人もついてきた。
丸太町の角で、松若さん発見。割と元気そう。いいペースです。
そこからみんなで、ワッショイワッショイ。いまだかつて京都ランナーズの例会で、こんなにぎやかな最後尾があっただろうか。
松若さんを抜いて、写真を撮るのがしんどかった。こっちは、もう足がよれよれ。
がんばって走ったかいがあり、まずまずいい写真が撮れた。ちょっとぶれてるのも多かったけれど。
全員ゴール後、宣言タイムレースの成績発表と表彰。
私にもチャンスが・・・。
1位・外峯さん16分11(1秒差)
2位・吉川さん19分53(3秒差)
3位・松若さん28分43(6秒差)
私は21分23(23秒差)で9位。あきません。
ライバル初代さんは、19分38(17秒差)で7位。私はアンパンマン系には勝てないのか。次回にリベンジを!
(2周8.2kmは、43分58秒でした。)
ブログ「パオパオだより」の話題。
「吉川さん、合宿のときの久保田さんとのツーショット、載せときましたし。美男美女の・・・。」
「あっ、見ました見ました。最後の『ひっつきすぎやぞー』っていうコメントが効いてましたね。ええ突っ込みです。滋賀の反核平和マラソンにも行かれたんですよね。」
「はい。久保田さんも来てはりましたよ。しゃべる暇もなかったんですけど、お父さんの歳だけ聞いときました。61歳ですって。安心しました。おんなじ歳くらいやったら、どうしょと思ってたんですけど。お父さん、こないだのブログの写真、ディスクトップに入れてはるんですって。自慢の娘や。」
「そら、そうでしょう、あの人やったら。」
「外峯さん、こないだのブログの続きのくわしいやつ、外峯さんに見てもらってから載せますわ。」
「えー、まだ書かはるんですか。」
横から冨田会長が、「しっかり検閲せなあかんで。藤井さん何書くかわからんからな。」
「いやあ、そんなことないでしょう。それより、もうすぐ北京行かれるんですよね。気をつけて行ってきてくださいね。」
「ありがとうございます。いろいろと心配なこともあるみたいで・・・。そや、うちのヨメさんしっかり保険かけてますねん。」
「3000万のでしょう。」と横から吉川さん。
「いつもほったらかしやのに、日程とかくわしく聞くしおかしいなとは思ってたんですけど・・・。どうも100万円で殺し屋雇って2900万円を儲けようという魂胆が・・・。」
木村さんが。
「藤井さん、こないだの合宿のブログ見せてもらいました。あんなはように、あんなくわしく書いてくれはったら、『走人ニュース』吹っ飛んでしまいますやん。頑張ってはりますねえ。」
「いや、いかにボクが仕事をしてへんかの証明ですわ。」
「あれも、立派な仕事ですやん。」
「いえいえ、毎日、ヨメさんに、『役に立たんことばっかりに時間使うなー』ゆうてしかられてますねん。」
「そんなことないですよ。あれだけ書ける人は、そうそうおられません。これからも、どんどん書いてください。」
「ありがとうございます。」
「ええのか、悪いのか・・・」
7対3くらいで、ええほうが勝ってると思っとこ。そうでないと続けられません。
◎今日は廉の17歳の誕生日。「ブログに載せんといて」と言ってたけど、1枚くらいはいいでしょう。(サッカーで、よく焼けています。)
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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