2008年08月09日(土)
夕涼みRUNin大阪城公園 [ランニング]
3月の4時間走の時、大阪城公園まで1時間ちょっとで行けたので、2時間あれば十分かなと高をくくっていた。
あの時は午前、今日は午後。大阪の渋滞をすっかり忘れていた。
大阪城公園に着いたのは、5時55分。もうスタートして10分もたってるし。
4時間走と同じ所がスタートゴールだと思って走っていったが、だーれもおらん。「おかしいな、おかしいな」と思いながら、大阪城の中を迷走。
かなり走った後やっとそれらしきランナーを見つけた。その人たちに着いていき、やっと本部が分かった。大阪城って、広くてややこしいんやね。知らんかった。
本部に着くまでに、濃紺上下で軽快に走る女性発見!
「伊藤さん、こんにちは。」(4/26、6/1のブログ参照。)「うわー、藤井さん。」(おぼえてくれててありがとう。)
計時のところにおられた田中千洋さんのダンナさんにごあいさつ。「今から走らせてもらってもいいですか?」とお聞きすると、「エイドの所で言ってください。」とのことだったので、田中千洋さんをさがす。
「もう来られないと思ってました。」
「道路の渋滞で・・・。」
よかった。やさしい笑顔で迎えてくださって、走る気がわいてきた。
走ろうとしたら、顔真っ黒けのワンちゃんが。
飼い主さんも負けず劣らずの顔真っ黒けだったので、ちょっとびびったが、「ワンちゃんの写真撮らせてください。」と言うと、ニヤッ。かえらしいおっちゃんでした。
急いで着替え。せめて、「2時間半走」にしようと思ったが、結局45分遅れの「2時間15分走」になってしまった。中途半端!
大阪城内迷走が約30分。たぶん、5kmくらいは走ったはず。汗ビチャビチャ。こんなにアップ(?)したのは、初めてです。ランシャツランパン5本指ソックス、着替えるのにかなり手間どる。
3時間で30kmを目標にしていたので、45分の遅れは痛い。少しでも取り戻そうと思ったが、無理は禁物。
最初の1周(1.85km)が11分弱。キロ6分ペース、なかなかよろしい。
1周目の途中、「こんばんはー」と言いながらスーと抜いていく女性ランナーが。
「はやっ!」と思ってよく見ると、石川の折戸小百合さん。
こんな遅い時間の大会にも来てはんにゃ。終わるのは9時くらいやけど、その後どうしはるのかな。
折戸さんのフォームを観察すると、典型的な「ねこ走り」。あまりヒザを上げず、小またのさささ走り。これは、ムダがない。
途中、雷、稲光。その後に雨まで降り出してきた。
それでも参加者がかなり多く、ランナーの途切れるところがない。こんだけいたら、雷が自分に落ちることもないやろう。
3月の4時間走の時はまったく違うコースだったが、そこにもたくさんのねこちゃんがいた。大阪城には、かなりたくさん住み着いているようだ。
そのねこちゃんたちも、雷と雨がきつくなるとどこかへ行ってしまった。
1周11分くらいのペースを守り、順調に走り続けた。
何周目かは忘れたが、やっと伊藤さんに追いついた。何とか追い抜いて、パチリ。
「余裕ですね。」
「45分も遅刻してますから、元気、元気。」
たぶん抜けたのはこの1周だけ。さすがにこの後は、こっちもペースダウン。
二人で楽しそうに走ってはったなあ。うらやましい。
ちょっと薄暗い箇所もあったが、要所要所に走路員が配置されていた。とにかく、走っている人間の数が多いので、それだけでも安心感がある。
夕方から夜にかけての大会だったので、さすがに子どもは少なかった。コース上で見たのは、小学校高学年らしき女の子一人だけだった。
その代わりと言うか・・・、本部前で赤ちゃんの泣き声が・・・。お母さんが走っておられるようだ。
12周走ったところで残り約5分。
そのちょっと前、折戸さんが「残り1周ですね。」と言って抜いていかれた。そんなん言われたら、もう1周行かなしゃーない。
最後の1周は、いっぱい写真撮りながら走ろう。お世話になったエイドの人たちも撮らせてもらおう。でも、すごい人数の人たちが世話係りに来てくれはったんやなあ。
右ヒザと左アキレス腱が、悲鳴を上げていた。
12周目には、右足ふくらはぎに「ぴぴっ」。もうちょっとでこぶらがえり。
それでも最後は気持ちよくゴール。13周(1.85×13=24.05km)。45分遅れた割にはがんばったね。大阪城内5km迷走も入れたら、だいたい目標の30km近く。いい練習ができました。
遅れてきてご迷惑おかけしました。田中ご夫妻を初め、スタッフの皆様に心から感謝します。
汗びちゃびちゃのランシャツランパン姿のまま駐車場に向かおうとすると、「女子優勝の折戸小百合さん、いらっしゃいますか。」のアナウンス。あっ、写真、写真。こないだ「乗鞍天空」で失敗してるし、今日はしっかり撮らせてもらおう。(折戸さんは帰ってしまわれたようで、写真は撮れなかった。)
本部前に引き返すと、伊藤さんとお友だちが帰られるところにばったり。
「お疲れさまでした。」
「あっ、ちょうどよかった。伊藤さんと一緒に走ってられた方ですよね。さっき撮らせてもらった写真に写ってるんですけど、ブログに載せさせてもらっていいですか。」
「はい、ぜんぜんかまいません。」
「お名前もいいですか。」
「はい。橋本えい子です。どうぞ、どうぞ。」
何でこんな若くてかわいい人たちが、愛想よくしゃべってくれはんにゃろ。フシギ。一応マジメに走ってるのと、私にはかわいい奥さんがいる(ここ大事!)のが安心感を与えるのかな。
「伊藤さん、『たたらぎ』のブログ、読んでくれはりました? 伊藤さんは、うちのヨメさんも認める『かわいい人』ですから・・・。」 「えー、そんなー・・・。」
お二人は15周走ったそうだ。ケロッとした笑顔は、さすがに若い。明日、階段上れへんということもないんやろね。
橋本さんが、「みんなで写真とってもらいましょ。」
こんなうれしいことがあっていいんでしょうか。これはええ冥土のみやげに・・・、ってちょっと早すぎる?
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2008年08月08日(金)
墓そうじ [雑用]
いなかの墓そうじは私の仕事。
たぶん、40年ほどかかさずやっている。一族で墓参りする日に都合が悪いことが多く、それならその前の都合のつく日にそうじにいっておがんでこよう。それが定着してしまった。
まずその前に、うちの近所のそうへい君に沖縄みやげを。
そうへい君は真樹の一年下。小学生の時は複式で共に学んだ仲間だ。
去年の3月、廉と美ら海水族館に行った時おみやげを買ったが、渡す前になくしてしまった。その時買ったのが「チンアナゴ」のマグネット。ひょっとしたらどこかからでてくるかもしれないので、今回は「チンアナゴ」のシャーペンにした。(私は、チンアナゴのファンです。)
残念ながら、留守。
仕方ないので父の家に行き、バケツ、たわし、ブラシ、鎌、熊手、くわを貸してもらいお墓へ。
喫茶「カウベル」さん(森口さん)の駐車場に車をとめさせてもらう。
保育園の手洗い場で水をくみ、裏のお墓へ。
この保育園は、私や私の姉兄も通っていたところ。
手前から、ひーおじい、ひーおばあ、父の妹(幼児期に死去)、父の姉(20歳ころ死去)、おじい、あばあ。
この間に小さな普通の石が置いてある。17年前に亡くなった私の母。
今年は例年に比べると、草が少ない。後ろの土も予想していたほどずってきてはいない。これは早くかたずけられるかも。
だいぶ前のことだが・・・。
墓そうじは、墓のまわりをきれいにしたらいいものと思っていた。墓参りに行き、お墓本体がこけだらけで父にしかられた。それ以来、墓石もゴシゴシ磨くように心がけている。
ただ、うちの場所は山の上の方なので、水くみがたいへん。効率よく水を使わねば。
まずまずきれいにそうじができた。
墓そうじが終わり、「カウベル」の駐車場に戻ると、さっきは留守だった森口ご夫妻が帰ってきておられた。
8月16日の地蔵盆のことをお願いしておいた。ヨメさんと廉と真樹は行けるが、私は北京なので無理。
その話から、北京のテロの話題になった。
「テロで死んでも、一銭も出んらしいな。」と森口さん。
「いやー、うちのヨメさん、その保険金ねらってたのにー。」
もう一回、そうへい君ちへ。
やっぱり留守だったので、お手紙を。
「そうへい君へ
まいにちを楽しんでますか。
私と真樹は、7月30日から8月2日まで沖縄旅行にいってました。(ブログを読んでくれたかな。)
おみやげを買ってきたので使ってください。
8月6日は広島に原爆、8月9日は長崎、そして8月15日戦争が終わりました。
63年前の中学生は、どんなことを考えていたのかな。今75さいくらいの人に話を聞いてみるのもいいかもね。
では、また。
’08.8.8
藤井廣司 」
家に帰ると、ヨメさんが・・・。
「ひっひっひっひー、保険入っといたし。死んだら3000万円やし。」
「でも、森口さんゆうてはったで、テロで死んでも一銭も出んて。」
「ちゃんと調べてあるって。テロは出るらしい。ひっひっひっひー。」
恐るべし。
「かあちゃんな、パオパオに保険かけてな、死んだ時の3000万ねらってはるらしい。中国の殺し屋100万円で雇って、2900万円の儲けをねらってはんにゃて。」
子どもたちは、恐ろしい告白を聞いてしまった顔をしていた。(このかあちゃんなら、やりかねん。)
(注)一部誇張した箇所があります。「ひっひっひっひー」
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2008年08月07日(木)
8.6滋賀反核平和マラソン (つづき) [ランニング]
このマラソンに参加しようと思ったわけ。
?先日の京都ランナーズ合宿で、びわこランナーズの星さんからこのマラソンのチラシをいただいた。
?真夏に走れる大会はなかなかない。走る距離も74kmまで自由に選べる。
?人類史上初、民間人大量殺戮の目的で広島に投下された原爆。その日を忘れないために何かをしたい。
朝早いのはにが手なので、ゴールに照準を合わせ逆算して30kmくらいを走ろう。近江八幡駅からゴール滋賀県庁までが30.9km。よし、これで。
実行委員会に何度も電話したが、留守電ばかり。当日飛び入り参加でもなんとかなるか。コース予定ルートに、ランシャツランパン姿で立ってたら、気づいてもらえるやろ。
とりあえず、近江八幡駅へ。
駅に着くと、駅前が北と南の2箇所あることに気づいた。ランナーは、市役所方面から走ってくる。バスを待っていた女子高校生がいたので、「市役所はどっちですか」と聞いてみた。
「地元の者じゃないんで・・・。」と言われたが、しばらくして「わかりました。」携帯で市役所の位置を調べてくれていた。ありがとう、助かりました。
急いで北口へ、GO!
北口で待っていると一人のランナーが。心細かったので、ホッとした。「この大会だけ走ってます。」って、えらい。8.6を忘れないためにかな?
予定時刻を5分以上過ぎたころ、やっと伴走車が。あれっ、武内さんやん。
ランナー集団は、駅前交差点を右折。はよ、追いかけなー。でも、なかなか追いつけん。
やっと追いついたら、先頭を引っ張る長身の女性発見。紫のランスカ、かっこいい。
給水地点で一時ストップ。ああ、やっぱり久保田奈津美さんや。向こうから気づいてくれて、お腹の前らへんで小さな手の振り。あのー、それって若い女の子どうしのあいさつじゃないんですか。こんなおっちゃんである私も、そのお仲間に入れてもらえたんかな?
篠原駅前までの4.1km。気持ちよく走れたと思ったら、「車に乗ってください。」
次の野洲市役所のセレモニー予定時刻に間に合わないので、中抜き。
要請文は以下の通り。
1.住民のいのちと安全、生活をまもる立場から、戦争へのいかなる協力もおこなわないこと。日本政府からの有事法制に基く戦争協力の以来に対して、拒否することを宣言されること。
2.戦争放棄をうたった平和憲法を守り、憲法9条改悪に反対していただくこと。
3.住民の願いにこたえる平和行政を実施していただくこと。
4.沖縄の米軍基地移設に反対し、米軍基地撤去と海兵隊の撤退を、日米両国政府にはたらきかけていただくこと。
5.日米地位協定の見直しをするよう日本政府に働きかけていただくこと。
6.日米安全保障条約を廃棄し、米軍基地を全面撤去するよう日米両国政府に働きかけていただくこと。
野洲市役所からほとんどの人が再び車へ。
私は走り足りなかったので、選抜チームに入りランへ。この選抜チームが、時間が足りないということでキロ4分半ペース。そんな無茶な。私は付いて行けなくなり、途中で車に収容。
かなり時間設定に無理がある。要項に「キロ6分ペースで走ります」と書いてあったから参加したのに・・・。これではちょっと・・・。
守山市役所でも、同じようにセレモニー。
その最中、私の携帯にメール着信。「またヨメさんからの怒りメールか。」と思ったらちがった。
中1の時共に学んだ明美ちゃんから。
「暑いですね、いかがお過ごしですか?もうすぐオリンピックですね。応援に行かれると聞いていたのでメールしました。暑いので体には気を付けて行って来て下さい。私、日本より応援してます。コウチャンファイト」
その返信。
「メールありがとう。今、滋賀県の反核平和マラソンを走っている最中です。くわしくはブログで。」
ここで、なつかしい人に出会った。
玉木昌美さん。
ずいぶん前だが、家族でホノルルマラソンを走られるということで、京都キャロットでおそろいのウェアを注文してくださった方だ。
あれはもう12年も前のこと。
その時小4だったおねえちゃんは、現在22歳。今は競歩をやってられるそうだ。小2だった弟君も、現在20歳。時の経つのは早いものです。
でも、小4と小2でよくがんばったねえ。
そうそう、あのめっちゃ早い女性ランナー松見輝子さんもここから参加。こら、しゃべらしてもらわななあ。
(注)もうちょっと続きますが、今日はここまで。
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2008年08月06日(水)
8.6滋賀反核平和マラソン [ランニング]
今回は、ゴールから逆に掲載しました。
最後は、嵐のような暴風雨の中のゴールとなりました。全員ずぶぬれのゴール。でも、これはこれでいい思い出として残るでしょう。
最後のアピール文を読まれたのは、びわこランナーズの女子エース的存在である松見輝子さん。その後、少しだけお話させていただきました。
「松見さんの写真、うちのブログに載せます。」
「ありがとうございます。わたしもブログ書いてるんで、載せさせてもらっていいですか。」
「はい、ぜひ載せてください。私のブログ、すごくいいブログですから。」
「・・・(キョトン)」
「(あっ、この人はマジメな人。じょうだんは、ほどほどに。) なんていうブログなんですか。」
「グーブログでね、『これもトレーニング』っていうんです。M見という名前で書いてます。」
うーん。また新しい展開が。これは、楽しみ。
(注)このマラソンの詳細は、明日へ。
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2008年08月05日(火)
しっかり! 三鷹高校・土肥校長 [学校]
◎毎日新聞 2008年8月4日
「都立三鷹高:挙手禁止通知で校長が公開討論を要求」
東京都教育委員会が職員会議で教職員による挙手や採決を全面禁止した問題で、通知の撤回を求めている都立三鷹高の土肥信雄校長(59)や教育評論家の尾木直樹さんらが4日、都教委との公開討論を求めて都庁で記者会見した。「お互いの意見を述べ合って都民、国民に判断してもらいたい」と訴えており、都教委に20日までの回答を求めている。
都教委の通知は06年4月に都立校向けに出されたが、土肥校長は校長会などで「教員の言論の自由を奪う」と撤回を求めてきた。先月10日、都教委に公開討論を申し入れたが拒否されたため、尾木さんや漫画家の石坂啓さんら4人の識者とともに会見に踏み切った。
会見で土肥校長は「生徒に民主主義を教えるのが学校なので、教員組織も民主的にならなければ」と主張。尾木さんは「職員会議で挙手を求めることは校長の決定権を何ら侵害しない。職員の意向を知らなければ実践は成り立たない」、石坂さんは「萎縮(いしゅく)した大人たちに囲まれていると、子供たちが損をしている気がする」と訴えた。
一方、都教委都立学校教育部の担当者は「通知は職員会議で教職員が意見を言ったり、議論することまで禁止したわけではなく、公開討論をする内容ではない」と否定的。土肥校長らは都教委が公開討論に応じなければ、さらに撤回要求に向けた活動を強めていくという。【木村健二】
6月2日のブログ「こんな校長先生がおられたら・・・」の続きです。
今の私ができることは、正々堂々正論を述べている人たちにエールをおくること。この人たちを無視して何も答えられないとしたら、それはうまく答えられないからか、へんに答えてしまうと自分たちの都合が悪くなるからです。
私は何もできませんが、土肥校長、しっかり信念を貫いてください。
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2008年08月04日(月)
サッカー部合宿はスキー部合宿の10分の1 [家族]
廉が、4日間のサッカー部合宿から帰ってきた。
合宿先は、去年と同じ「縄文真脇温泉」(石川県能都町)。近くに芝のサッカー専用グランドがあり、練習環境は抜群。
部員が約60名、先生2名、OB2名、女子マネージャー5名、総勢70名ほどの大集団だったそうだ。そのため、去年は1台だったパスが2台に。(1年だけで30名を越えており、1台占拠していたらしい。)
やっと3年が引退で、廉にもチャンスがまわってくるかと思ったら、下がこの多さでは・・・。1年に圧倒されるな!
私と真樹が沖縄に旅立った日(7/30)の夜、友達のライブを見に四条に出かけ、12時前に注意を受けたらしい。。夜に、家にも電話がかかってきたとのこと。その後あっさりとかえされたそうだが、家に着いたのは夜中の1時半。まあ、高校生らしいと言えば高校生らしいかな。まさか、「父は沖縄で遊びほうけています」とばらしてへんやろなあ。
ヨメさんも一人で心細かったやろ、と思ったら大まちがい。いなか育ちの私とちがい、シティガールだった眞寿美さんはウラの世界の専門家(?)
それでも、いまや二児の立派な母やから、以外と「きくちゃん、どうしょ」とか言って心配してたんかな。
この事件の2日後から、合宿へ。
私たちが沖縄から帰ってきた時、「キュンキュン」いって喜んでくれると思っていたきくちゃんは肩すかし。廉の時はどうかと思ったら、またまた肩すかし。なーんでかな。
廉は中学の時クロカンスキーをやっていて、光華中高の合宿に参加させてもらい、気絶するまで練習した経験がある。あれに比べれば、サッカー部の合宿は10分の1くらいのしんどさだそうです。(ほー)
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