2019年06月13日(木)
おりこうさん [私の好きな人]
はるばる東京からご来店くださったひこちゃんご夫妻。
写真アップOKということで、記事の付け足し。
ひこちゃんは、私が美人ランナーと言うだけのことはあるでしょう。
ダンナさんは、本当に仏様のような印象の人です。見た目も「石仏」みたいな・・・。
ひこちゃんがダンナさんのことを、「おりこうさん」とおっしゃっていたのがおもしろかった。いや、うらやましかったのかも・・・。
私なんか、ヨメさんに「アホでしょ」とか「変なヤツです」とか「気持ち悪いちゅうねん」とか言われているのにね。
オッサンツーショット!
ぎりぎり親子でも行ける歳の差です。
ひこちゃん、お人形さんみたいやね。
こんなきゃしゃな体型で、ウルトラに挑戦されているのだからすごい!
お二人が帰られる間際に、私たちを撮ってくださった。
「うちのヨメさん、ゆりやんレトリィバァに似てるでしょ。」
「そんなことない、そんなことない。美保純に似てないですか。」
「いやー、もっとお笑い系ですよ。」
今うちの中では、「天才ピアニストのますみ」似ではということになっています。名前もいっしょやし。
ああ、話しが脱線してしもたー。
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【今日のきく】
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ひこちゃんご夫婦ご来店 [私の好きな人]
東京在住のひこちゃんご夫婦が、「京都キャロット」にご来店。
宇治に行きたいお店があり、東京からダンナさんの運転で日帰りで来られたそうだ。その帰りに、京都市の北の端にある「京都キャロット」まで来てくださった。
またまたおみやげをいっぱい。
前から聞いてみたかった話もできた。(ここには書けません。)
そして帰られる前に・・・。
ひこ「(男)二人の写真も撮っておきましょうか。」
パオ「オッサン二人の写真はいらんでしょう。」
ひこ「でも、(主人のこと)好きなんでしょう。」
パオ「・・・、そうなんですよー。」
ヨメ「おかしいでしょ。」
パオ「女の人なら初対面でも全然抵抗ないんですけど、男の人には壁を作ってしまうんですよね。でも、ダンナさんは第一印象がすごくよくて・・・。」
ヨメ「こうゆう変なやつなんです。」
これが、今日の会話中の一番のヒットかな。
(注)ただいま、写真を公開してもいいかを問合せ中。それによって、もうちょっと書き足す予定です。
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2019年06月12日(水)
ヤクルトのつつごー [私の好きな人]
◎日刊スポーツ6/12(水) 19:28配信
ヤクルト村上、王と森に並ぶ高卒2年目17号2ラン
<日本生命セ・パ交流戦:楽天7−4ヤクルト>◇12日◇楽天生命パーク
ヤクルトの高卒2年目村上宗隆内野手(19)が、17号2ランを放った。
3点を追う4回無死一塁、楽天先発熊原の2球目カーブの落ち際をすくい上げ、右翼席に運んだ。「崩されることなく、しっかり自分のポイントで打つことができました」。高卒2年目での17号到達は、60年の王(巨人)、15年の森(西武)の記録に並んだ。
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明るい話題がない。
それは政治の世界の話ではなく、野球の話。
ついこないだやっと16連敗を止めたヤクルト。
そのあとセパ交流戦に突入し、チームが変ったかのように勝ち進むかもと思ったのは夢だった。
今日で交流戦7試合目にして2勝5敗。
「どこまで負けるねん!」
ヤクルト唯一の希望の星は、うちでは「ヤクルトのつつごー」と言っている村上宗隆選手(背番号55)。63試合目で17号ホームランてすごすぎる。シーズン終了時には39本というペース。
まだ19歳。2月生まれやから、今シーズン終了時も19歳。ええ選手、育ってきましたなあ。いっそのことホームラン王めざしたら。ええと思うよ。
今、ヤクルトファンの楽しみってそんなことしかないねん。
はー。(とため息。)
今日も寮の管理代行17時間バイト。
「ヤクルトは負けてばっかりやな」とお掃除のKさん。
「そうですねん。毎日ガックリ。」
「これでも食べて元気だしよし。」
「いつもありがとうございます。」
家に持って帰って、ヨメさんと食べようっと。
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【今日のきく】
今日の深夜散歩。
きくが首をブルブル振るもんやから、首輪が取れてしまいましたわー。
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2019年06月04日(火)
なまナリケン98 [私の好きな人]
「いっしょに写真撮っとこう。あっ、ナリケンは立たんでええ。立ったら、でかすぎて写真からはみ出す。」
「はい。」
「今でも、体重100キロ超えてるんやろう。」
「いえ、98キロくらい・・・。」
「変わらん、変わらん。」
ナリケンが洛北中の2年の時、浜松に引っ越すことになって、お別れを言いにいって以来10年ぶり。私のこのブログにも何回も登場してもらいましたが、「なまナリケン」は本当に10年ぶり。
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天安門事件から30年。
てん「あんも」ん事件から30年。
そう、生まれた日が分からない真っ黒な子猫に「あんも」と名付けた。暗黒の天安門事件と黒猫を結び付けてね。
最初は変な名前かと思ったこともあったが、毎年6月4日になると「天安門事件」の話題が上るので、誕生日を忘れたことはなかった。それだけでも幸せな猫だったのかもしれない。
今生きていたら30歳。8年前の誕生日前に死んじゃったから21歳11か月の猫生だった。
今日ナリケンに会って、10年前にアパートにいたマルチーズのことが話題になった。
つい最近死んじゃったって。
「えっ、何歳やったん?」と聞くと、「21歳。」
「ボクが4歳くらいの時からいましたから。」
「猫で20歳以上は時々聞くけど、犬の20歳以上はめずらしいねえ。」
うちの夫婦の人物評価で、犬猫の占める割合は大きい。
飼っている犬や猫が長生きしているだけで、その人物や家庭の評価がぐーんとアップする。
もちろん、ナリケンやナリケンちの評価もぐーんとアップ。
うちで今まで飼ってきた犬や猫は、みんな15歳以上生きてくれた。
きくは今14歳と3か月なので、ナリケンちのマルチーズちゃんに負けないくらい生きてほしい。
さて、話は戻って・・・。
ほんまに、よう来てくれた。
二人でしゃべったことは、全部非公開ということで。
まっ、「『焼肉・南山』で一人1万円の焼肉を食べよう」と約束したことは公開しとこか。
「安い肉ばっかり食べてるんで、いい肉食べたらお腹こわすかも」と気を使って言ってくれてたけど、「いい肉、食おうぜ!」
それまで、焼肉貯金しとかな。
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2019年05月30日(木)
ひこちゃんのおみやげ [私の好きな人]
東京のひこちゃんが神戸へ。
スケジュールが合えば、「神戸マラソンのコースの一部を試走しましょうか」という話になっていた。ところが、諸般の事情で実現せず。残念!
ひこちゃんは昨日戻られたのだが、「渡すつもりだったおみやげを送ります」とのメールをいただいていた。
そして今日、そのおみやげが届いた。
あー、びっくり。
「こんなにたくさんかいなー。」
「なんか、ええもんばっかりやでー。めっちゃ高くついてんでー。」
夜にさっそく二人でいただいた。
「こんなおいしいお茶は久しぶりやなあ。」
「たまにはええお茶も飲まんとなあ。」
「自分らではなかなか買えへんしなあ。」
「かわいらしい東京ばななやなあ。」
「どれ食べよう。」
「悩むなあ。」
「うっ、『お父さんありがとう』って書いてあるで!」
「ははは、アンタはお父さんみたいな存在なんやわ。」
「なんでやねん、計算合わんやろう。」
なんやかんや言いながら、おいしくおいしくいただきました。このおみやげのおかげで、この先もだいぶ楽しめそう。
ひこさんとダンナさん(お茶はダンナさんから)、たくさんのおみやげ、本当にありがとうございました。
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<以下、実話に基づいたフィクションです>
ヨメ「でも、なんでこんなにたくさんのおみやげくれはったんやろう。」
パオ「ヒヒヒヒヒ・・・。」
ヨメ「一回会っただけなんやろう。」
パオ「そうや。下山さんの伴走に行ったときにな。」
ヨメ「それだけ?」
パオ「あっ、ひょっとしてボクの財産を狙われてる?」
ヨメ「何が『ボクの財産』やねん! どこにそんなもんあんねん!」
パオ「ますみちゃんかて、ボクの財産に目がくらんで結婚したんやろう。」
ヨメ「たしかに・・・。いやいやいや、あると思ってた財産はすべてウソやったー。」
パオ「ああやっぱり財産目当てやったんかー。」
ヨメ「そうに決まってるやろう。こんな気持ち悪いおっさん。」
パオ「あああ・・・。」
フィクションですよ、みなさん。
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【RUN】
最近体調が芳しくなく、ほとんど走れていない。
となると、すぐに体重増。今月は4回も65kgを超えてしまった。
去年の今ごろは58kgだったのに・・・。
夕方、いつもの十王堂橋往復5kmコースへ。
キロ5分半ペースで27分35秒。
次の日曜は「たたらぎ5km」。キロ4分半ペースで行けますかねえ。
今日も町内をダウンジョグ。
屋根の上で、気持ちよさそうに寝ているネコちゃん発見。
おー、ここにも。
今日は町内会の会合で「猫問題」の話し合いがあるらしい。
ヨメさんが出席してくれるのだが、このネコちゃんたちが楽しく暮らしていけるような話し合いになってほしい。
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【今日のきく】
夕方7時すぎ、お散歩へ。
近くの田は、やっと田植えが終わったようだ。
5時台6時台は、よく散歩中のワンちゃんに出くわす。でも、7時をすぎるとほとんど会うことはない。
これからどんどん暑くなっていくので、夕方のお散歩はできるだけ遅い方がいいですね。
今日の一人晩ごはん。
ヨメさん曰く「キムチだけでも食べられるやろう」。
「いや、それだけでは・・・。」
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2019年05月21日(火)
ひこちゃん [私の好きな人]
以前私のこのブログにコメントを入れてくださったひこさん。
「ひこ」と言えば「輝彦」「晴彦」「和彦」「義彦」など、私の世代の名前ではポピュラーなもの。そのため、最初は私と同世代のオッサンかと思っていました。
ところがどっこい、今年3月の「かつしかふれあいランフェスタ」でお会いすると、なんてかわいい小顔の美人ランナーなこと。
そんなひこさん(いやひこちゃんですね)からメールがきた。
5月19日の「柴又100K」、完璧な日よけ対策をして臨まれたのに、残念ながら24分オーバ―だったそうだ。
最終関門を通過したのに、ゴール関門には間に合わなかったみたいですね。悔しいね。
でも、これで「99の会」(あと一歩でウルトラマラソン制限時間内完走を逃したランナーの会)の入会資格ゲットです。
私が長らく会長を務めていたのですが、2017年の「沖縄100K」を13時間58分で完走して勇退。今、会長職は空き状態です。
副会長の「傘美人」さん(広島)はどうしてるんかなあ。知らん間に完走してしまってるんかなあ。
まっ、そんな会自体がうそぴょんなんですけど・・・。
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【RUN】
今日は歯医者さん。
駐車場の近くの団地で、かわいいネコちゃん発見。
でも、このネコちゃんも避妊手術はしていないみたい。
ちゃんと生きて行けるんかなあ・・・。
歯医者さんが遠いので、帰ってきてボーっとしていたらもう夕方。
練習不足で体重増加。ちょっとだけでも走らにゃ。
たったの3kmだけ。16分11秒。
うちの町内のかわいいネコちゃん。
歯医者さんの近くで見たのとそっくり。
なんか、お腹が大きいように見えたけど・・・。
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2019年04月19日(金)
ショーケン [私の好きな人]
◎朝日新聞2019年4月11日31面
寂聴 残された日々 46 ショーケンとの再会
切れぬ悪縁 次はあの世で
ショーケンこと萩原健一さんが三月二十六日に亡くなって、早くも二週間が過ぎた。その間、私はショーケンの追悼文を書きかけては胸に迫ってきて、涙があふれ書けなくなってしまう。仕方がないので、彼と一緒に仕事をした雑誌を繰り返し読んで気をまぎらわせている。
ショーケンは生前、私とつきっている間、いつも私のことを「おかあさん」と呼んでいた。毎朝早く電話がかかり、疳高い声で「おかあさん、お早よう」と呼びかける。「うるさいなあ、まだ寝てるよ」「もう六時すぎたよ。年寄りのくせにいつまで眠るの。あんまり眠ると、早く呆けるってよ」
そういうショーケンは毎朝五時から一時間半も歩きつづけている。自慢のスタイルを保つためだそうだが、毎朝の電話で彼が私に伝えたいのは、二人の女性の噂話をしたいためであった。二人ともショーケンの熱烈なファンで、ひたすらショーケンと一緒に歩きたいために、毎朝やってくるという。一緒に歩くのは他にも男女十人くらいがいるらしい。
ショーケンが私に話したのは、その中の二人の女性のことだけで、一人は人妻だが、自分はそっちの方が好きだけれど、夫と別れてこないと相手にはできない話を早朝から聞かされても、腹も立てないのだから、私もいい加減阿呆になっている。
◇ ◇ ◇
そもそものつきあいの始めは、ショーケンが大麻事件で逮捕された後、世間で騒がれて居場所がなくなった時、ふとした縁で、京都の私の寂庵へ頼ってきて、かくまったのが縁であった。新幹線の三時間、トイレに身をひそめてやってきたという。おどおどして、目を伏せたきりで見るも哀れな姿だった。夕方だったので先ず夕食をすすめたら、すき焼きの前で泣きだしてしまった。
「いただきてもいいのでしょうか」「どうぞ、とにかくたくさん食べて精をつけなきゃ」泣きながらすき焼きを食べていたショーケンの姿を、ありありと想いだす。あの世では、誰とすき焼きを食べていることか!
長いつきあいの中で、彼の恋人とか、妻と呼ばれた女性に巡り逢ったが、ほとんどの人は、私に「早くショーケンと縁をお切りなさい。ろくなことありませんよ」という。縁を切るも何も私とショーケンとは、あかあさんと息子の関係を一度もふみ誤ったことがないので、別れようもない。ただ長い歳月に、気まぐれなショーケンは、何度も私との音信を断ち、全くつきあいのとだえたことも幾度となくあった。
◇ ◇ ◇
寂庵は尼寺なので、ショーケンのような危険な男を置くわけにはいかず、私の判断で、近くの禅寺の天龍寺へ預けることにした。平田精耕管長が雲水と共に預かってやると言って下さったので、法衣一切を買い整え、寂庵え頭を剃って、天龍寺へ私が送りこんだ。法衣を身につけたとたん、ショーケンは一見見事な雲水になりきるのは、さすがの役者だった。
ところが天龍寺で、ショーケンは、ありとあらゆる悪いことをしてくれたが、寺では一旦預かった以上は一切寺の責任だといって一事も私に伝えなかった。以来、私は天龍寺に頭が上がらない。
不貞で不良のショーケンとの悪縁は、現在の夫人との結婚までつづいいたが、突然の死で、この世の縁は一旦切れた。しかし、すでに九十七歳を目の前にした私は程なくあの世の入り口で「おかあさん!おそかったね!」と手を振って迎えてくれるショーケンに再会することだろう。
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◎大人のミュージックカレンダー 2015年7月26日
テンプターズ、傷だらけの天使、ショーケン! 執筆者:小野善太郎
私は「萩原健一」とは言わないな〜。「ショーケン」一辺倒。
ショーケンがザ・テンプターズの一員として世に出たのは1967年10 月25日、17歳の時。
グループ・サウンズ(GS)の2本柱はザ・タイガースのジュリー(沢田研二)とショーケンだったが、ジュリーより2歳(も)若い。
デビューはタイガースから8か月あまりも遅れたとはいえ、優等生的な印象のジュリーでは満足し得ない女性ファンの渇望は、その間にデビューした幾多のグループをスルーした後、ついにショーケンと出逢ったことで一気に満たされて、翌1968年にこそGSブームは爆発的に全開。
1968年1月に発足した『オリジナル・コンフィデンス(オリコン)』のチャートで、以降1位を獲得したGSの曲は、タイガースの「花の首飾り」と「シー・シー・シー」、そしてテンプターズの「エメラルドの伝説」の3曲のみというのも象徴的で、かのビートルズに対峙するローリング・ストーンズの感があったが、ストーンズのミック・ジャガーとショーケンは、あらま、同じ7月26日生まれ!
ところが、翌1969年3月にタイガースから加橋かつみが脱退したあたりを境に、GSブームは下り坂に転じる。
そして、タイガースもテンプターズも解散を余儀なくされた1971年初頭、一時代を築いた超人気者だったからこそ、これからの道のりは厳しそうと思えたように、最後の裏技的にジュリーとショーケンが組んだ新バンドPYGが直ぐに立ち行かなくなったのも当然と納得したものだ。
しかし、むしろストーリーはそこから始まったのだった。
ジュリーはPYGの音楽的母体の井上(堯之)バンドを伴ったソロ歌手として1972年には「許されない愛」のヒットで初めてNHK『紅白歌合戦』にも出演、翌1973年には「危険なふたり」で日本歌謡大賞も受賞して、タイガース時代を大きく乗り超えて行く。
一方、ショーケンは役者の道へと進み、1972年にスタートしたTVドラマ『太陽にほえろ!』でブレイク。
石原裕次郎やベテランの芸達者たちに囲まれて、時に浮きまくりながらも、既存の役者では絶対に表現出来なかった同時代的感覚をヴィヴィッドに発散し続け、新たな人気が高まる中、あっけなくカッコ悪く死ぬという、通常あり得ないドラマの幕切れも衝撃的。
だが、ジュリーが太陽ならば、ショーケンは暗闇で月のように光源を反射する映画のスクリーンでこそ私には輝いて見えた。
特に1974年、従来の若者像とは真逆の、明るい将来など信じられない心象を演じ切った神代辰巳監督の『青春の蹉跌』で、定評ある老舗の『キネマ旬報』主演男優賞を、前年の深作欣二監督作品『仁義なき戦い』での菅原文太に続いて受賞。
そして、神代や深作らを監督として招いた、映画みたいなTVドラマ『傷だらけの天使』では、相棒役の水谷豊とのコンビで、カッコ良いんだかカッコ悪いんだか分からんカッコ良さ、というようなシラケの1970年代を体現する存在として、その水谷豊や松田優作らの、孤高の先駆となった。
もはや歌手ではないように見えたが、ジュリーが井上バンドの演奏で唄っていたのと同じく、実はショーケンもまた、出演するTVドラマや映画を担当することになった井上バンドの音楽を背に受けながら、全身で唄っていたと思えてならない。
演技する歌手ではなく、唄う役者でもなく、演技を唄う。それがショーケンなのだ。
ともあれ、ショーケンも今日で65歳かあ。今そこにいる(だけで)奇蹟、てな気もする。
ま、暴力的行為はアカンがのう、今や日本映画界絶滅種の’危ない’大物役者として、ヌルい世間に映画で物申していただきたいと思うのは見果てぬ夢なのか。
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ショーケンが好きやった。
グループサウンズ時代のショーケンが。
「グループサウンズ」ってゆっても、今の若い人にはチンプンカンプンやろね。
「だいたい5人くらいでガチャガチャやるやつ・・・」
これで分かってもらえますかね。
私が中1の時(1968年)、グループサウンズが絶頂期。
夜8時からの歌番組が週に3つもあった時代。そのどれもがグルーブサウンズをガンガンやっていた。
テンプターズが解散して、ショーケンは俳優としても成功した。でも、私はそのあたりをほとんど知らない。
テンプターズの時のショーケンが一番かっこよかった。あとの俳優時代はおまけかな。
最後の仕事は、NHKの夜のドラマではないだろうか。初老のオッサンたちがラグビーをし始めるやつ。
ちょっと見かけたけど、ショーケンの危うさが活かされていない内容だったので見るのをやめた。最後の仕事があれでは、気の毒やねえ。
ショーケンには、ショーケンにしかできない「かっこよくて危うい役」を、やってほしかったなあ・・・。
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