パオパオだより

2019年04月19日(金)

ショーケン [私の好きな人]

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◎朝日新聞2019年4月11日31面

   寂聴 残された日々 46 ショーケンとの再会

       切れぬ悪縁 次はあの世で 

 ショーケンこと萩原健一さんが三月二十六日に亡くなって、早くも二週間が過ぎた。その間、私はショーケンの追悼文を書きかけては胸に迫ってきて、涙があふれ書けなくなってしまう。仕方がないので、彼と一緒に仕事をした雑誌を繰り返し読んで気をまぎらわせている。

 ショーケンは生前、私とつきっている間、いつも私のことを「おかあさん」と呼んでいた。毎朝早く電話がかかり、疳高い声で「おかあさん、お早よう」と呼びかける。「うるさいなあ、まだ寝てるよ」「もう六時すぎたよ。年寄りのくせにいつまで眠るの。あんまり眠ると、早く呆けるってよ」

 そういうショーケンは毎朝五時から一時間半も歩きつづけている。自慢のスタイルを保つためだそうだが、毎朝の電話で彼が私に伝えたいのは、二人の女性の噂話をしたいためであった。二人ともショーケンの熱烈なファンで、ひたすらショーケンと一緒に歩きたいために、毎朝やってくるという。一緒に歩くのは他にも男女十人くらいがいるらしい。

 ショーケンが私に話したのは、その中の二人の女性のことだけで、一人は人妻だが、自分はそっちの方が好きだけれど、夫と別れてこないと相手にはできない話を早朝から聞かされても、腹も立てないのだから、私もいい加減阿呆になっている。

     ◇     ◇     ◇

 そもそものつきあいの始めは、ショーケンが大麻事件で逮捕された後、世間で騒がれて居場所がなくなった時、ふとした縁で、京都の私の寂庵へ頼ってきて、かくまったのが縁であった。新幹線の三時間、トイレに身をひそめてやってきたという。おどおどして、目を伏せたきりで見るも哀れな姿だった。夕方だったので先ず夕食をすすめたら、すき焼きの前で泣きだしてしまった。

 「いただきてもいいのでしょうか」「どうぞ、とにかくたくさん食べて精をつけなきゃ」泣きながらすき焼きを食べていたショーケンの姿を、ありありと想いだす。あの世では、誰とすき焼きを食べていることか!

 長いつきあいの中で、彼の恋人とか、妻と呼ばれた女性に巡り逢ったが、ほとんどの人は、私に「早くショーケンと縁をお切りなさい。ろくなことありませんよ」という。縁を切るも何も私とショーケンとは、あかあさんと息子の関係を一度もふみ誤ったことがないので、別れようもない。ただ長い歳月に、気まぐれなショーケンは、何度も私との音信を断ち、全くつきあいのとだえたことも幾度となくあった。

     ◇     ◇     ◇

 寂庵は尼寺なので、ショーケンのような危険な男を置くわけにはいかず、私の判断で、近くの禅寺の天龍寺へ預けることにした。平田精耕管長が雲水と共に預かってやると言って下さったので、法衣一切を買い整え、寂庵え頭を剃って、天龍寺へ私が送りこんだ。法衣を身につけたとたん、ショーケンは一見見事な雲水になりきるのは、さすがの役者だった。

 ところが天龍寺で、ショーケンは、ありとあらゆる悪いことをしてくれたが、寺では一旦預かった以上は一切寺の責任だといって一事も私に伝えなかった。以来、私は天龍寺に頭が上がらない。

 不貞で不良のショーケンとの悪縁は、現在の夫人との結婚までつづいいたが、突然の死で、この世の縁は一旦切れた。しかし、すでに九十七歳を目の前にした私は程なくあの世の入り口で「おかあさん!おそかったね!」と手を振って迎えてくれるショーケンに再会することだろう。

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寂庵の庭に咲いたアセビの花=京都市右京区

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◎大人のミュージックカレンダー 2015年7月26日

   テンプターズ、傷だらけの天使、ショーケン!  執筆者:小野善太郎

私は「萩原健一」とは言わないな〜。「ショーケン」一辺倒。
ショーケンがザ・テンプターズの一員として世に出たのは1967年10 月25日、17歳の時。
グループ・サウンズ(GS)の2本柱はザ・タイガースのジュリー(沢田研二)とショーケンだったが、ジュリーより2歳(も)若い。
デビューはタイガースから8か月あまりも遅れたとはいえ、優等生的な印象のジュリーでは満足し得ない女性ファンの渇望は、その間にデビューした幾多のグループをスルーした後、ついにショーケンと出逢ったことで一気に満たされて、翌1968年にこそGSブームは爆発的に全開。

1968年1月に発足した『オリジナル・コンフィデンス(オリコン)』のチャートで、以降1位を獲得したGSの曲は、タイガースの「花の首飾り」と「シー・シー・シー」、そしてテンプターズの「エメラルドの伝説」の3曲のみというのも象徴的で、かのビートルズに対峙するローリング・ストーンズの感があったが、ストーンズのミック・ジャガーとショーケンは、あらま、同じ7月26日生まれ!

ところが、翌1969年3月にタイガースから加橋かつみが脱退したあたりを境に、GSブームは下り坂に転じる。
そして、タイガースもテンプターズも解散を余儀なくされた1971年初頭、一時代を築いた超人気者だったからこそ、これからの道のりは厳しそうと思えたように、最後の裏技的にジュリーとショーケンが組んだ新バンドPYGが直ぐに立ち行かなくなったのも当然と納得したものだ。
しかし、むしろストーリーはそこから始まったのだった。

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ジュリーはPYGの音楽的母体の井上(堯之)バンドを伴ったソロ歌手として1972年には「許されない愛」のヒットで初めてNHK『紅白歌合戦』にも出演、翌1973年には「危険なふたり」で日本歌謡大賞も受賞して、タイガース時代を大きく乗り超えて行く。

一方、ショーケンは役者の道へと進み、1972年にスタートしたTVドラマ『太陽にほえろ!』でブレイク。
石原裕次郎やベテランの芸達者たちに囲まれて、時に浮きまくりながらも、既存の役者では絶対に表現出来なかった同時代的感覚をヴィヴィッドに発散し続け、新たな人気が高まる中、あっけなくカッコ悪く死ぬという、通常あり得ないドラマの幕切れも衝撃的。

だが、ジュリーが太陽ならば、ショーケンは暗闇で月のように光源を反射する映画のスクリーンでこそ私には輝いて見えた。
特に1974年、従来の若者像とは真逆の、明るい将来など信じられない心象を演じ切った神代辰巳監督の『青春の蹉跌』で、定評ある老舗の『キネマ旬報』主演男優賞を、前年の深作欣二監督作品『仁義なき戦い』での菅原文太に続いて受賞。

そして、神代や深作らを監督として招いた、映画みたいなTVドラマ『傷だらけの天使』では、相棒役の水谷豊とのコンビで、カッコ良いんだかカッコ悪いんだか分からんカッコ良さ、というようなシラケの1970年代を体現する存在として、その水谷豊や松田優作らの、孤高の先駆となった。

もはや歌手ではないように見えたが、ジュリーが井上バンドの演奏で唄っていたのと同じく、実はショーケンもまた、出演するTVドラマや映画を担当することになった井上バンドの音楽を背に受けながら、全身で唄っていたと思えてならない。
演技する歌手ではなく、唄う役者でもなく、演技を唄う。それがショーケンなのだ。

ともあれ、ショーケンも今日で65歳かあ。今そこにいる(だけで)奇蹟、てな気もする。
ま、暴力的行為はアカンがのう、今や日本映画界絶滅種の’危ない’大物役者として、ヌルい世間に映画で物申していただきたいと思うのは見果てぬ夢なのか。

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 ショーケンが好きやった。
 グループサウンズ時代のショーケンが。
 
 「グループサウンズ」ってゆっても、今の若い人にはチンプンカンプンやろね。
 「だいたい5人くらいでガチャガチャやるやつ・・・」
 これで分かってもらえますかね。

 私が中1の時(1968年)、グループサウンズが絶頂期。
 夜8時からの歌番組が週に3つもあった時代。そのどれもがグルーブサウンズをガンガンやっていた。

 テンプターズが解散して、ショーケンは俳優としても成功した。でも、私はそのあたりをほとんど知らない。
 テンプターズの時のショーケンが一番かっこよかった。あとの俳優時代はおまけかな。

 最後の仕事は、NHKの夜のドラマではないだろうか。初老のオッサンたちがラグビーをし始めるやつ。
 ちょっと見かけたけど、ショーケンの危うさが活かされていない内容だったので見るのをやめた。最後の仕事があれでは、気の毒やねえ。

 ショーケンには、ショーケンにしかできない「かっこよくて危うい役」を、やってほしかったなあ・・・。

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