2022年01月11日(火)
「メメント」 [映画]
◎ウィキペディア(Wikipedia)より
「メメント」 日本公開2001年11月 113分
『メメント』(原題:Memento)は、2000年に公開されたアメリカ映画。クリストファー・ノーラン監督作品で出世作であり代表作の一つ。監督の弟であるジョナサン・ノーランが書いた短編『Memento Mori』[1]が元になっている。ストーリーを終わりから始まりへ、時系列を逆向きに映し出していくという形式を取りながら、妻を殺した犯人を追う男性を描く。
その革新的な内容が口コミで広がり、封切り時に11館だった上映劇場が500館以上に拡大し、10週目にして全米チャート8位にランクインした。また、アカデミー賞において脚本賞、編集賞にノミネートされるなど、興行的にも批評的にも高く評価された。
また、2017年には2000年代の映画としては4作品目(劇映画としては初)となるアメリカ国立フィルム登録簿に追加された。
■物語
本作品は、分割されたシークエンスが本来の出来事とは逆の順(新しい出来事順)から映し出されていく形式となっている。これにより観客は状況が把握できず、記憶の長続きしない主人公レナードと同じ視点から物語を見ることができる。また各シークエンス間には、より過去の出来事であることを表す「白黒のシークエンス」が短く挿入され、そこでは主に過去の回想を通して主人公の特殊な境遇が説明される。ただしこの白黒のシークエンスは、通常の時系列順(古い出来事順)に映される。実際の作品ではカラーのシークエンスと白黒のシークエンスが交互に映されていく。物語開始時点では両シークエンス間には時間的に隔たりがあるので一見繋がりを持たないように見えるが、物語が進むにつれ同じ時間軸上にあることが次第に明らかとなり、最終的に両シークエンスは連続した一つのシークエンスとして結合する。
メメント(memento)とは、ラテン語で「思い出せ」の意であり、mementos,mementoesで「記念品」「思い出」を表す英語になる。 一般にメメント・モリ(memento mori)=「死を思え」の一語として知られる。
おとといのこと。
私が大阪新春マラソンから帰って、ヨメさんも鍼灸の仕事が終わり晩ごはんまで時間ができた。ヨメさんは、少しでも時間ができると映画を見る。アマゾンプライムかなんかよう分からんが、無料で見られるものを厳選して見ているらしい。
ただし無料のものには限りがあり、よく「なんかええ映画ないかなあ」とつぶやいている。
「ボクの生涯一位の映画は『メメント』やなあ。あれは見てうなったわ。」
「タダで見られるやつか探してみよ。」
私の話などまともに受け入れないヨメさんだが、よっぽど見る映画がなくなったのか、探し出して真剣に見出した。
「そうかー、20年前の映画やったんかー。そのころはまだボクも集中力があって、2時間近い映画でもしっかり見てたんやなあ。」
と言いつつ、20年ぶりに見る映画に集中できない。
レナードの「記憶が10分」ほどではないが、最近の私の記憶力もひどいものだ。自分では、だいたい2か月前までならだいじょうぶと思っている。3か月より前はほぼ全滅。だからと言って、もっともっと前のことを覚えているかと言うと、そんなこともない。
ヨメさんは、そんな私を見て「ええわなあ」と言う。「自分の都合の悪い事を全部忘れられたら、ええわなあ。」
いやいやいや、そこまちがってます。自分に都合の悪いことも都合のいいことも、まとめて全部忘れてるんですよー。
「でもな、ますみちゃんがかわいいことだけは忘れてへんねん。」
「ああ気持ちわる! 頼むし、もう私には関わらんといて。」
「なんちゅうことゆうねん!」
そうねえ、ますみちゃんのことが分からんようになったら私の人生も終わり。
ってゆうか、ヨメさんはいつも「アンタはすでに死んでいる」ゆうてますけど・・・。
「メメント・モリ!」 (死を思え!)
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【今日のきくみー】
朝5時半すぎに起きたら、みーちゃんが「さむかったー」と訴えてきた。
ストーブをつけたら、すぐにゴンゴロリン。
「そんなんしてる時間ないんですけど・・・・。」
でもそのおかげか、出て行く前はずっと見送ってくれていた。
ありがたいねえ。
ヨメさんがバイト先に送ってきてくれたきくちゃんの写真。
いろいろと食べる物を工夫したら、前よりは食べるようになったと喜んでいた。
きくちゃんも穏やかな感じ。
これからも、しっかり食べてやー。
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【追加】
今日1月11日は、私の母の命日。今は更地になってしまった旧修学院病院で息を引き取った。今年で31年になる。
去年は母の生まれ故郷の小野郷を追悼ランしたが、今年はバイト日だったので何もできず。
1月11日という覚えやすい日なので、忘れっぽい私でも覚えていた。
2年前に亡くなった父の命日が1月29日なので、その日に両親揃っての追悼ランということにさせてもらいましょうかねえ。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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