パオパオだより

2016年12月09日(金)

今日はともやさんの誕生日 [私の好きな人]

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2002年の宵々山コンサートについて語る永六輔さんと高石ともや=佐々木泰造撮影

◎毎日新聞11月29日夕刊・寄稿

   私の永六輔、私のボブ・ディラン
          2人のホメロスに乾杯=高石ともや(フォーク歌手)

 今年の7月7日、七夕に永六輔は星になった。京都・祇園祭の宵々山(よいよいやま)に八坂神社傍らの円山公園音楽堂で僕らはコンサートを30回やり続けた。僕やきたやまおさむらのフォーク歌手勢と永さんが連れて来るゲスト勢の芸が火花を散らすチャーミングな音楽フェスだった。初回は渥美清さん。そして黒柳徹子さん、三波春夫さん。永さんが連れて来るゲストはいつも強者(つわもの)だった。作詞家として有名な永さんなのに40年以上続けたTBSラジオの番組で自作の曲は一度もかけたことがないと自慢するほどに自ら作品を誇ることが少なかった。

   ■  ■

 少年少女合唱団とステージで「上を向いて歩こう」を歌った時のこと。「高石君、なぜ皆はこの歌を明るく笑いながら歌うの」。隣の僕に聞いてきた。「この歌の詩は12歳の少年がつらくて涙が止まらない、思春期の悲しい詩なのに」。信州に疎開していた時の体験だという。「ともや! 君が歌う時は涙をボロボロ流しながら歌いなさい」。耳元での静かな命令にハイと返事をして自分の心にしまい込んでいた。

 相方の作曲家、中村八大さんに男の赤ちゃんが生まれて喜びのあまり、「こんにちは赤ちゃん、オレがおやじだ」と何度も叫びかける姿に感動して作詞した歌が、レコードが完成すると「私がママよ」に変わっていた。

 「京都、大原三千院……」。永さんを乗せて大原あたりを通過する時、運転していた友人が大声で歌った。「やめなさい! そんな変な歌」「『女ひとり』は名歌じゃないですかあ」。僕が褒めると「地名を入れればどんな名所の歌でも作れます。ともや、君は京都暮らしなのだから、地名の入らない京都の歌を作りなさい」。永さんの晩年、テレビ番組「遠くへ行きたい」で京都を巡った時、地名のない京の歌「街」を歌った。「いい歌だね」。そっと褒めてくださった。

 1970年代初めに永さんは「作詞家辞めます」宣言をしている。「宵々山コンサートで、きたやまおさむや高石らのフォーク歌手と仕事をして気がついたんだ。歌は自分で作って自分で歌うのが一番自然なんだ」。著作『大往生』がベストセラーになった62歳の夏、永さんは死をテーマに自分が作詞した「生きるものの歌」を野外ステージでひとりで歌いあげた。

   ■  ■

 その年一年を僕がふり返る「年忘れコンサート」を続けて40年になる。今年は永さんに捧(ささ)げる曲をともくろんでいたら「ノーベル文学賞ボブ・ディラン」。現実離れした知らせにほこりをかぶった『ボブ・ディラン全詩302篇』を開いてギターを弾く。「時代は変わる」「戦争の親玉」「炭鉱町のブルース」「神が味方」。そうさ、ボブ・ディランは僕らのヒーローだったのさ。胸にハーモニカを構え、ギターを弾きながら、ただ一人で立ち、世界に向ってメッセージを発する。彼の歌い方そのものが新しい時代の始まりだった。

 彼のLPを買い集め、彼の詩を日本語に直訳して、限りある音符の中に言葉を詰め込み、速射砲のように新しい時代に向け撃ち放つ。そんなフォークソングとのやりとりを始めて僕も、もう50年が過ぎた。

 ノーベル賞の事務局長は僕らのヒーローを古代ギリシャの詩人、ホメロスに例えて偉大な詩人と称賛した。そうか、永六輔も最後に自作を歌って吟遊詩人になったんだ。

 12月9日は私の75歳の誕生日、その翌日の授賞式に同じ75歳のボブ・ディランは欠席らしい。星を見ながら2人のホメロスに乾杯だ。そして50年歌い続けた自分にも……。(たかいし・ともや)
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 今日12月9日は、高石ともやさんの誕生日。
 私と同じ12月、それも「9の日」とはうれしいねえ。

 本当なら「9の日平和ラン」をする日なので、それプラス「ともやさん誕生日おめでとうラン」にしたかった。しかし、今日は寮2(出町)24時間。走る時間がありません。

 メールアドレスを知らないのでFAXで「おめでとう」を送ろうかとも思ったが、家を出るのが早朝6時ずぎなのでやめときました。
 でも前に「ウルトラ用のシューズのことを、もっとブログに書いてください」とおっしゃっていたので、たぶんこのブログを見てくださっているんでしょう。だから、ここに書いておきます。
     ◇     ◇     ◇
 「高石ともやさん、75歳のお誕生日おめでとうございます。いつまでもいつまでもいい歌を歌って、私たちを楽しませてください。また、体力の続く限りこの先も走り続けてください。」
     ◇     ◇     ◇
 ボブ・ディランにノーベル文学賞が決まった時、「日本やったらきたやまおさむかなあ」と言っていましたが、高石ともやさんを忘れていました。
 でも私がともやさんに一番望んでいるのは、東京オリンピック聖火ランナーの最終走者です。その時、78歳8か月になっておられますが、それくらいのこと全然平気ですよね。
 
 あさってのホノルルマラソンは、40回連続出場。もうそれだけでも、「最終走者」の資格十分です。
     ◇     ◇     ◇
 (ウィキペディアより)
 ランナーとしても活躍し、国内外のマラソンやトライアスロンの大会にも数多く参加している。ホノルルマラソンには、第5回の1977年(36歳)の初参加以来、毎年連続出場している。
 また、日本初のトライアスロン大会(第一回全日本トライアスロン皆生大会)にて優勝を飾っているほか、トランス・アメリカフットレース(アメリカ大陸横断レース)の第二回大会に参加し日本人初の完走者となっている。
     ◇     ◇     ◇
 今日はホノルルのホテルで「2016ホノルルマラソン 陽気に走ろう! 宵々パーテー」をされるんですね。いいお誕生日になりそうです。

 めざせ、東京五輪聖火最終走者!
 いや、「股のぞきの研究」で有名になった「イグ・ノーベル賞」でもいいですよ。

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