2019年01月11日(金)
28年目の29回忌 [家族]
今年は母の命日の「母供養ラン」ができない。
今日は、早朝から寮2の管理代行のバイト。明日の朝まで寮に缶詰。
せめて少しは思い出話を。
1991年1月11日の明け方、私の母は亡くなりました。
1925年(大正14年)3月生まれなので、65歳でした。私が今63歳なので、あと2年で追いつくということですね。
当時私は35歳。小学校の先生になって12年。結婚して6年。やっと子どもを育てていく気になって、そのちょっと前にヨメさんの妊娠が分かったばかりの頃でした。
母はまだまだ生きるものと勝手に思い込んでいましたが、最後はあっけなかった。そのあと残された父が、「泣いてたまるか」という感じで一人踏ん張っている姿ばかりが思い出されます。
その姿を見ていて、「愛情」について考えさせられました。父と母、二人が結婚できて、40数年いっしょに暮せたことは幸せだったにちがいない。
私は父のようなまねはできないし、うちの夫婦も父と母のようにはなれていない。もう結婚して33年が過ぎたんですが・・・。
「こうじばっかり甘やかして・・・」と私が小さい時、よく姉や兄が言っていました。
そら、4人兄弟の末っ子やから親は甘やかすやろう。上の子から見たらそれが顕著でも、末っ子は何の意識もない。まあ、大事にされて当たり前てな調子ですかな。
愛を与えるほうは力が入っていても、もらうほうはほぼ何も感じとらんちゅうのが世の常でしょう。
母の教えの最たるものは、「なにくそ、がんばれ!」ですね。
その反動か、私は「絶対にがんばらない人間」に育ってしまいました。「一番嫌いな言葉は『努力』です」と言って、よくヒンシュクを買っていました。
たいそうなと思われるかもしれませんが、ほんとうに努力した経験がない。唯一の例外は眞寿美さんと結婚するとき。人生で一度だけがんばって、両親に話をしました。
ヨメさん曰く、「がんばらんでよかったのにー。」
なんちゅうことゆうんじゃい!
天国のおかちゃんよ、ヨメさんに雷落としたって落としたって。
早う、愛妻と愛犬が待つ我が家に帰りたいわー。
(実態は迷惑がられとるだけやけど、妻からも犬からも。)
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 1 )
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コメント
大正15年7月生まれの母は昭和63年の七夕に62歳で逝きました・・丸々昭和を生きたのです・・あれから30年・・平成を知らずに・・父は母を追うように4年後に67歳で・・
平成最後の歳に父と同じ歳に・・偉大?父を歳で追い越せる・・これだけでも私の人生において十分だと・・
長年の高脂肪を何の改善もせずに生活・・ようやく狭心症?らしき兆候が・・コレステロール値がかなり高い・・
仕事辞めてからの不摂生のツケが・・
働かずもの食うべからず・・・粗食が1番のようですね・・