2024年08月24日(土)
あしたは3000 [ランニング]
明日は西京極で、市民総体3000m。
マスターズ男子は、10時45分スタート。
真夏の3000mはきついが、せっかくのいい機会なのでがんばってこようと思う。
レース当日までに、1000m4分20秒、2000m9分20秒、3000m14分30秒を目標に練習していた。
ところが、1000m4分32秒、2000m9分32秒、3000m14分57秒まで。これは暑すぎたせいということにしておきましょう。
今日はレース前日。
なんやかやで、晩ごはん前にしか走りに行けなかった。
1000m1本!
なんとか4分28秒。
明日は4:35、4:40、4:45で3000m14分切りと思っていたのだが、厳しいねえ。
夕方、真樹のところへ。
初めて私一人で来たので、ぺんちゃんは不思議がっていた。
昨日ランチを食べたあと、「ニトリ」でテレビが置ける棚を買ってきた。その組み立て。
ちょっと失敗もあったが、だいたい1時間で完成。
ただ中腰でねじ締めをしていたので、腰の具合がかなり悪化。これは、明日のレースにかなり影響が出そう。
でも、真樹が帰ってから送ってくれた画像を見て安心した。
私が組み立てているときは、大きな音がしたりしてずっと隠れていたのに、ぺんちゃんは棚を気に入ってくれたみたい。
落ち付ける場所ができてよかったね。
私も明日がんばってくる。
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2024年08月23日(金)
まっきバースディ [家族]
今日で真樹は30歳。
「あのハナこぺこぺやった子が30やてー⁉」
今日はいろいろな人から「おめでとう」のメッセージをもらっていた。
沖縄県名護市で親しくしてもらったたくさんの友だち。こちら京都では、中学時代の同級生・あーちゃんファミリーからのビデオレター(お父さんからのハッピバースディの演奏付き)。
みなさん、真樹のことを気にかけてくださってありがとうございます。真樹はほんとうに恵まれています。
私の姉夫婦からも「まきちゃんに」と引っ越し祝いをもらい、それで中華のランチコースに行くことができた。
伊勢丹京都の11階「點心茶室」さん。
11階からのいい眺めがあるかと期待していたが、残念ながらこのお店は窓がなかった。
でもいろいろおしゃべりしながらのランチ、おいしかったねえ。
真樹が生まれた1994年8月23日は暑い暑い日だった。今日も同じように暑い暑い日になった。
コース料理だったので、おいしいものが少しずつ出てきて食べやすかった。
最後のほうに、フカヒレごはんとフカヒレそば。
デザートも3種類出てきて、大満足。
お店を出たところにあったガチャガチャで、金の猫ゲット!
「やったー、金メダルやー。」
家に帰ると、「みーちゃん、まきになでられとるがなー。」
真樹はみーちゃんの味方やでー。
「オアフ」のシュークリームを買ってきたので、真樹の家で3人+ぺんの記念撮影。
パオパオは、ぺんちゃんが新しい住まいに早くなじんでくれたことが一番うれしい。
真樹も、ぺんちゃんに負けてたらあかんでー。
次の1年も、がんばれ!
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2024年08月22日(木)
若く見える [アルバイト]
しばらく会えてなかった「まさむね君」。
今日はいつもの大学前のバリカー閉鎖のときではなく、7時過ぎにトイレに行ったとき。なにげなく歩道側を見ると、ワンちゃんがウロウロしているのが見えた。
もしや「まさむね君」ではないかと近づいて行くと、そうでしたー。
飼い主さんいわく。
「いつもここで、警備員さんがいないか探しているんですよ。」
そう言ってもらうとうれしい。
何かいつもとちょっと違うと思ったら、まさむね君、ヘアカットをしてもらったらしい。
「わこう見えますやん。」
「みんなにそう言われるんです。」
そらよかったわ。
まさむね君は今日も元気に「ワン、ワン」。
なかなかタイミングが合わず、しょっちゅう会えるわけではないけど、おっちゃんのこと覚えといてやー。
今日の夕方、ますみさんが超久しぶりにちょこっと走ったらしい。
昨日、結婚記念日のプレゼントということでランニングTシャツとキャップを買った。ただし私は給料日前でお金がないので、プレゼントする相手に支払いを代行してもらうという情けないことに。
自撮り写真を見せてもらうと、後姿は「若こう見える」。
これで、9月1日の北海道も気持よく走ってもらえたら最高!
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2024年08月21日(水)
ぼろ負けもまた楽し [ヤクルト]
◎デイリー 8/21(水) 21:06配信
阪神が5カードぶりの勝ち越し!
佐藤輝が球団史上3人目の新人から4年連続2桁本塁打
西勇がセ・パ両リーグ50勝
「阪神10−4ヤクルト」(21日、京セラドーム大阪)
阪神が最下位のヤクルトに連勝し、5カードぶりに勝ち越した。
初回は佐藤輝の先制適時二塁打と大山の12号2ランで3得点。二回は西勇の適時二塁打、中野と森下の連続適時打で3点を挙げた。五回にも近本の2点適時打が飛び出した。
六回には佐藤輝が10号2ラン。岡田、田淵に続いて、球団3人目となる新人から4年連続の2桁本塁打となった。お立ち台でスタンドから大歓声を浴び「しっかりいい当たりを打とうと思って打席に立てました」と振り返り、「狙ってはいなかったですけど、しっかり良い反応ができた。これからもっと大事な試合が続いていくとおもうので、良い場面で打っていけるようにやっていきたい」と力を込めた。
投げては西勇が6回4安打3失点。これで阪神移籍後の50勝となり、史上7人目のセ・パ両リーグで50勝を記録した。お立ち台では「毎回チームのために貢献したいと思いながら、この日のために頑張っている。きょうのゲームは初回と二回の点数で勝ったと思って投げるのは難しい。ゼロでいきたかったんですけど、6回でマウンドを降りてしまって」と反省を忘れなかった。
チームは引き分けを挟んで3連敗の中、ヤクルトとの3連戦を迎えた。初戦も取り、5カードぶりの勝ち越し。逆転優勝へ、勢いを加速させたい。
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今日はだいぶ前から約束していた「阪神×ヤクルト」観戦。
ほんとうは、今日は真樹が夏休みをとって京都に帰ってくる予定の日だった。神戸空港着予定だったので、三宮で合流して京セラドームへ向かうつもりだった。
ところが状況が変わり、真樹は8月11日に帰省。
今日は3人でイオン桂川でお買い物をし、近くの駐車場に車を置き球場に向かうことにした。
お昼ごはんはイオン内のフードコートで食べるつもりだったが、もう私のお腹が減りすぎて、葛野大路五条の「ザ・めしや」さんで。お腹いっぱいになった。
京セラドーム大阪前のイオンで食料調達。
真樹が「食べ物もってはいってだいじょうぶなん?」と聞いてきたので、「建前上は全部ダメ。でも大阪は缶以外は黙認やな。」
初めてのビジター応援席。
シフト最上段のこの一角は、ヤクルトファンしか入れない。いつも周りの阪神ファンにビクビクしながら見ているので、今日はほんとうに楽。ただし真横にトランペット集団がいるので、心静かに応援するのはムリ。
外野の最上段なので、選手は豆つぶにしか見えない。最も近いレフトのサンタナ選手は、真下なので陰に隠れてしまっている。
ヤクルトの3種類のユニフォームを着ての応援。これに縦じまのユニフォームもあるので、ヤクルト応援席は統一感まったくなし。でも、それもヤクルトファンらしくて好き。
私と真樹がお弁当などを買っているとき、一人パン屋さんに並んでパンを買っていたますみさん。
「そんなにパンが食べたかったんか?」
「食べたかった!」
執念のパンでした。
耳にはイヤリング、首にはネックレス。
イオン桂川で買った、安いけどこだわりのアクセサリーです。
1回に3点取られ、2回にも3点取られ、「えっ、もう6対0?」
ドドドッと疲れが出てきた。
5回表に2点を返し、「6対2やったら、後半勝負なるなあ」と思っていたら、その裏また2点取られ8対2。
もうこれで息の根を止められた。
6回表に1点返したと思ったら、その裏に2点取られ10対3。
一番盛り上がったラッキーセブンの攻撃前。
これはやっぱりビジター応援席でないと味わえない。
私は、ヤクルトファンが日本一と思っている。
たぶん12球団一お上品。
人に不快な思いをさせるような人に出会ったことがない。
最終回7点差で、阪神は聞いたともないようなピッチャーを登板させた。
「ヤクルト、なめられとるなー。」
ヒット、ヒットと続き、1点が入った。
それでも10対4の6点差。
私らの後ろのお兄さんの応援が熱くて、こちらも熱くなった。
声を振り絞って、これぞ「渾身の応援」という応援だった。
ありがたい。
「負けた、負けたー。」
「疲れた、ダダ疲れー。」
「でも、楽しんだなあ。」
また、弱いヤクルトを応援に行きたいなあ。
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2024年08月20日(火)
39(サンキュー) [家族]
今日8月20日は、私たちの結婚記念日。
めでたく39年。
このごろ二人で撮った写真がない。
5月22日の「神宮球場弾丸ツアー」。ジェットスターで行きましたねえ。それが一番最近の写真かな。
高石ともやさんは、80になられた時「あと10年、90までは歌いたい」とおっしゃっていたそうだ。まさか、その2年後に亡くなられるとは。
この先のことは誰にもわからない。
でも、いつまでも「サンキュー」の気持ちは忘れたらあかん。
「ますみちゃん、39年間、サンキュー。」
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2024年08月19日(月)
高石ともやさんの笑顔 [私の好きな人]
◎HTB北海道ニュース 8/19(月) 15:58配信
北海道雨竜町出身のフォーク歌手 高石ともやさん死去 82歳
「受験生ブルース」など日本フォーク界けん引
北海道・雨竜町出身のフォーク歌手、高石ともやさんが病気のため亡くなりました。82歳でした。
所属事務所は病気で入院治療中のフォーク歌手高石ともやさんが17日に82歳で亡くなったことを発表しました。高石さんは北海道の雨竜町出身で1966年にデビュー。2年後にリリースしたレコード「受験生ブルース」が大ヒットし日本フォーク界をけん引する存在となりました。
また、札幌市立西園小学校やクラーク記念国際高校などの校歌の作詞や作曲を手がけ、音楽活動の傍ら国内外のマラソンやトライアスロンの大会で好成績を残すなど多岐にわたる分野で活躍しました。
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◎パオパオだより2008年6月8日「第16回みかた残酷マラソン全国大会」より
このレースに、私ははっきりとしたテーマを持っていた。
ガンと長く付き合っておられる高石てるえさん(ともやさんの奥様)と三宅誠孝さん(ともやさんのマネージャー、元京都市会議員)を励ます。そして、このお二人を励ますことによって高石ともやさんも励ます。
でも、迷惑かもしれないので、出場チームの紹介をされていたともやさんのところへことわりに行った。
「迷惑じゃないですか。」
「いやあ、ぜんぜん。」
よかった。これでお二人への応援メッセージを書いたのぼりをはためかせ走り続けることができる。
メッセージは次のとおり。
「ガンに負けるな高石てるえさん(三宅誠孝さん)」
「陽気にいこう高石てるえさん(三宅誠孝さん)」
今まで何百回レースに出たかわからないが、こんなんつけて(背負って)レースに出るのは初めて。さて、どうなることやら。
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「みかた残酷のコンサートを休まはるって、よっぽど体の具合が悪いんやろうなあ」とうちの夫婦で話し合っていた。でも、まさかこんなことになるとは・・・。
高石ともやさんとはいろいろな思い出があるのだが、一番はこの「パオパオだより」を見ていてくださったこと。
特に私のシューズレポートはしっかり読んでくださっていたようで、お会いするたびに「あのシューズは・・・」とご自分から話しかけてきてくださった。
ますみさんは「ええかげんなアンタのレポートなんか、信用ならん」とよく言っていたが、高石ともやさんは私を信用していてくださったように思う。
まあそういう意味では「めずらしい人」でした。
2008年の「みかた残酷」の記事を読み直して、「私の『のぼりラン』はここが原点だったのか」とあらためて思った。
あれも少しは喜んでもらえたのかなあ。
高石ともやさんのモットーは「陽気に行こう」。
いつも笑顔でおられた高石ともやさんはすごい。
また、「いくつになっても日々成長」と言い続けられていた。
私もそうでありたい。
ちょっとだけでもまねができたら・・・。
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