2020年05月03日(日)
貴船→花背LSD [ランニング]
今日5月3日は憲法記念日。
いや、千尋さん(旧姓伊藤さん)の結婚記念日。
いやいや、「ユリカモメウルトラ70km」の日ですよ。
それも中止になってしまったので、京都走ろう会例会に行くか。と言ってもこれも中止で、自主練習会となっている。それなら70kmを走るつもりでいたことを重視して、できるだけ長い距離を走ろう。
いろいろと調べてみたが、人との接触が極力少ないところと言えば私のいなか。貴船口から芹生、灰屋、大布施を通って花脊別所の家まで走ればかなりの距離になりそう。このコースは車で何度も通ったことがあるので、道も迷わない。
「これで行こ!」
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「昭恵」チックな眞寿美さんと、「シェパード」チックなきくちゃんに見送られ、午後1時15分ころ自宅出発。
自宅から全部走ると長すぎる。
まだ右アキレス腱が痛いので、スタートゴールを調整して無理のないように。
叡電・二軒茶屋駅から貴船口駅までは電車で。
13時19分が行ってしまったところだったので、次は13時39分。
新型コロナウイルスの影響で、間引き運転をしているらしい。
電車に乗ってみると、乗客は私を入れても三人だけ。
ゴールデンウィーク中だというのに、これはひどい。
9分で貴船口駅に到着。
貴船口駅は改築されてきれいになったけど、もうちょっと和風ぽくしてほしかったなあ。
午後1時50分、貴船口駅をスタート。
ここから山間部をぐるっと回り、花脊別所の我が家まで行き、終バス午後5時58分に乗って帰る予定。4時間しかない。
あとでまちがいに気づいたのだか、今日の設定コースは29kmくらいあると思っていた。ということは、平均キロ8分ペース。山間部ではかなりきつい。休けいもしていられない。
貴船神社までは2km弱、14分。
旅館はほとんど休業中だったが、川床は準備万端。でも、いつから営業できることやら。
神社内の建物にこいのぼりが釣るしてあった。
コロナ騒動のおかげで、「こどもの日」もだいなしですね。
貴船口から奥宮までは標高100mほど登っているだけ。
この先から本格的な山道になる。
浄水場のところで4km。
この先からますます坂がきつくなり、時々歩いた。
2年前の暴風台風の被害だと思われる倒木があちらこちらに。
もうちょいで5kmというところで、軽トラが連なって下りてきた。
「なんやー、ふじいくーん。どこいくん?」
「トレーニングです。」
幡枝の「古村ショップ」の古村さんだった。
「えっ、猟ですか。もうその時期終わってるでしょ。」
「害獣駆除や。1匹もおらんかったけど。」
「お店、やめたんやなあ。」
「そうなんです、3月末に。」
「もう何も残ってへんの?」
「いえ、ちょっとは残ったものを家に置いてます。」
「24.5でええのんないか。」
「あると思います。ヨメさんにゆうときますわ。」
それにしても、何もないこんな山奥で知り合いに会うとはねえ。古村さんとは縁があるんですね。
やっと芹生峠。
ここまで6km、54分。
標高680mなので花脊峠よりは低いが、3kmで300m以上上っているので坂が急だった。
キロ9分ペースのままで行ってしまうと、終バスに乗り遅れる。
幸い、峠を越えるとちょうど走りやすい下り坂。
休まずキロ6分ペースで。
芹生はだれも住んでおられないと思っていたのに、どのおうちにも人がおられた。
ここは、父が材木を買ってもらっていた米田さんのうちだと思う。今は高級料亭になっているみたい。
芹生を過ぎると、次は灰屋まで人家がない。
10kmになったところで一度休けい。1時間19分09秒。下り4kmは25分くらいで走れた。
持って来たお茶を初めて飲む。
バスの時間が気になって、あまりゆっくりもしておられない。3分半ほど休んで再スタート。
灰屋の最初の家が見えた。
ここで12.3km。
ん?
ここから灰屋口まで3kmくらいやろ。灰屋口から別所の家まで9kmもないしー。ということは、全部で25km弱か。どこを計算まちがいしたんかな。
でも、これで気持ちに余裕ができた。
旧京北町のバスを見送る。だれも乗っておられませんでした。
養鱒場の跡地が、「蛙の駅」になっていた。
なんかおもしろそう。
灰屋口で15.5km。
ここで標高350m。
ここから大布施まではほぼ平坦。
気温は18℃。
曇っていて走りやすかったのだが、ポツポツと雨が降り出した。予報では6時くらいからになってたのに。
大布施トンネルを初めて走って通過した。
花脊小中学校の入り口近くで19km。
この先を右折して別所に向かう。
角子橋バス停前で20km、2時間25分06秒。
このあたりまではずっとキロ6分半ペース。
本降りになってきたので、腰に巻いていたウインドブレーカーをはおる。
喜代春君のとこのワンちゃんたちも、雨なので外には出ていなかった。でも多数の鳴き声が聞こえてきた。
紅葉橋の手前から別所になる。
ここからののぼりがまたきつい。
滝谷口の前の坂を含む1kmは8分半かかった。
でも、山の家グランド前バス停からはほぼ平坦。
兄夫婦の家を通りすぎ、姉夫婦の家を通り過ぎ・・・。
着きましたー。
約23.7km、2時間54分。
バスの時間まで1時間以上。余裕の到着。
予定していた29kmには全然足りなかったが、楽しく走れたのがよかった。
ペース 7分21秒
カロリー 1665
平均心拍 153
最大心拍 215
ピッチ 157
心配していた右アキレス腱はなんとかもった。
しかし、体がビチャビチャになって寒くて仕方なかった。
家に入って、ストーブをたいて温まった。ここをゴールに設定しておいてよかった。
バスはだいたい時間通りに来た。
別所下の町から二軒茶屋まで45分ほど。510円。
バス停から家に向かうとき、「きくちゃんお散歩中」に遭遇。
ひょっとして、オッサン迎えに来てくれたん?
それやったらうれしいんやけど・・・。
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【今日のきく】
夜のお散歩。
ずっとしっぽタレタレだったのに、このごろましになっている。
これも元気になってきている証拠かな。
おめめもパッチリ開いているしね。
べっぴんさんやわ。
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2020年05月02日(土)
手ぬぐいラン [ランニング]
紙マスクもバフももひとつ。
手ぬぐいをマスクのようにして使うというのはどうでしょう。
ヨメさんが「京都キャロット」通販のお客様からいただいた手ぬぐいがあった。宮城県丸森町の方言が、ネコちゃんのイラストとともにかかれているかわいい手ぬぐい。
さっそく着けてみると、まあまあいい感じ。
大そうじ係みたいですけど。
昨日ヨメさんにアキレス腱を見てもらったのでだいぶましになった。それでも大事をとって、十王堂橋往復5kmにしておいた。
家まであと300mのところまで戻ると、ヨメさんがきくのお散歩中。ちょっとストップして写真を撮ってもらった。
白Tシャツに白手ぬぐいなので、威圧感はなさそう。
これで走っていても、そんなに違和感はない。
きくちゃんをなでてから再スタート。
今日の5kmは、28分46秒。
アキレス腱の痛みがましだったので、そこそこ走れた。
手ぬぐいは、まだ呼吸がしやすい。
その分、私の呼気もたくさん出ているのだろうが、何もしないよりはまし。次もこのスタイルで、もう少し長く走ってみることにしよう。
ゴールしてから、また戻る。
今日は、きくは引っ張らなくても自分で全部しっかり歩いたらしい。
ただし、もうちょっとで家というところで固まってしまった。
ここは「オッサンだっこ」の出番。
きくはこのごろ元気が出てきたので、オッサンの顔をガブガブ。
「きくちゃん、ええでー。かみちゃちゃくったりー」と横で声援を送るヨメさんでした。
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【今日のきく】
あまりにも暑いので、初プール。
きくは大喜び。
これでまた若返るかな。
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2020年05月01日(金)
「苦海浄土」 [書評]
◎NHK 「100分で名著」より
国などの救済対象となった被害者だけでもおよそ5万人にも及び、世界に例をみないほど大規模な公害問題を引き起こした水俣病。その被害者である漁民たちの運動や患者たちの苦悩・希望を克明に描ききった一冊の本があります。「苦海浄土」。1950〜60年代の日本の公害問題を知る上での原点ともいうべき本であるとともに、そこに込められた深い問いやメッセージの普遍性から「20世紀の世界文学」という評価も受けている名著です。「100分de名著」では、水俣病公式確認から60年の節目を迎える今年、「苦海浄土」に新たな光を当て、現代の私たちに通じるメッセージを読み解いていきます。
著者の石牟礼道子(1927-)はもともと一介の主婦でした。しかし自らの故郷を襲った惨禍に出会い、やむにやまれない気持ちから水俣病患者からの聞き書きを開始、「苦海浄土」を書き始めます。以来、水俣病患者や彼らにかかわる人々に寄り添い続け、全三部完結まで足かけ四十年以上、原稿用紙にして二千二百枚を越える文章を書き継ぎました。第一部が出版された1969年の日本は高度経済成長の只中。いわば経済発展の犠牲者ともいえる水俣病患者たちは、まだメディアで断片的にしか伝えられることはなく、その全貌はほとんど知られていませんでした。そんな中での「苦海浄土」出版は、経済成長に酔いしれる日本人たちに大きな衝撃を与えたのです。
この書は単に公害病である「水俣病」を告発するだけにとどまりません。「苦海浄土」に描かれた人々の生き方からは、「極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳」「苦しみや悲しみの底にあってなお朽ちない希望」が浮かび上がってくます。さらには、公害を生んだ近代文明の根底的な批判や、そうした近代の病を無意識裡に支えてきた私たち一人一人の「罪」についても鋭く抉り出します。この本は、単なる公害告発の書ではなく、文明論的な洞察がなされた著作でもあるのです。
番組では、批評家・若松英輔さんを講師に招き、新しい視点から「苦海浄土」を解説。そこに込められた「人間の尊厳」「近代文明批判」「歴史観と生命観」「罪とゆるし」など現代に通じるテーマを読み解くとともに、想像を絶する惨禍に見舞われたとき、人はどう再生し、生きていくことができるかを学んでいきます。
■石牟礼道子
熊本県天草郡河浦町(現・天草市)出身。水俣実務学校(現 熊本県立水俣高等学校)卒業後、代用教員、主婦を経て1958年谷川雁の「サークル村」に参加、詩歌を中心に文学活動を開始。1956年短歌研究五十首詠(後の短歌研究新人賞)に入選。
代表作『苦海浄土 わが水俣病』は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛された。同作で第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが、受賞を辞退。
1993年、週刊金曜日の創刊に参画。編集委員を務めたが「手伝いをしただけ」である事を理由に2年で辞任している。
2002年7月、新作能「不知火」を発表。同年東京上演、2003年熊本上演、2004年8月には水俣上演が行われた。
1986年5月には穴井太(俳人・故人)の世話により句集「天」(天籟俳句会)を刊行。
代表句「祈るべき天とおもえど天の病む」「死におくれ死におくれして彼岸花」がある。2018年2月10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため、熊本市の介護施設で死去。90歳没
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◎メディカルノートより
「水俣病」
■概要
水俣病とは、熊本県八代海沿岸及び新潟県阿賀野川流域において発生した公害病のひとつです。高度経済成長にあった日本で発生し、1956年5月に公式発見されました。第二水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病と並び日本における4大公害病のひとつに数えられます。
水俣病は、メチル水銀が工場排水に混じって環境中に排泄され、これらを多く取り込んだ魚や貝をヒトが摂取したことで発生しました。しかし、メチル水銀が原因だと判明し、環境に配慮した対策がとられたのは1968年のことで、多くの方が水俣病に罹患する事態となりました。
メチル水銀の排泄に関して整備が行われて以降、発生の大元になった水俣湾流域を含め、2018年現在の日本においては基準値を超えるメチル水銀は確認されていません。
■原因
メチル水銀はビニールの原料であるアセトアルデヒドをつくる過程で発生しますが、高度経済成長期の日本においては、このような物質への対策が遅れており、環境中に多く排泄されることになりました。
海水中に排泄されたメチル水銀は、魚や貝、エビなどの魚介類の中で食物連鎖を介して蓄積されます。その後、メチル水銀を体内に蓄えた魚介類を人が食べ物として摂取すると体内でメチル水銀が蓄積することになり、水俣病が発症します。
体内に取り込まれたメチル水銀は、毛髪を通して徐々に体外に排泄されますが、多くは神経を障害し、治すことのできない神経症状をもたらすようになります。水俣病は遺伝することやうつることはありません。ただし、妊娠中の母親がメチル水銀を摂取することで胎盤を介して胎児にもうつることがあります。
■症状
メチル水銀が、特定の神経に障害をもたらす結果、さまざまな神経症状が現れます。主に、感覚や運動、体幹のバランス、視覚・聴覚に関係する部位が障害を受けます。具体的には、感覚障害として手足にじんじんとするしびれを感じたり、触られた感じや痛み・熱などを感じにくくなったりします。
運動障害としては真っすぐ歩けない、ボタンをかけることができない、日常動作がぎこちなくなる、などがあります。また、言葉が不明瞭になったり、相手のいっていることが聞こえにくくなったりします。視覚に対する影響として、視野が狭くなることも特徴的な症状のひとつです。
症状の出方には個人差があり、感覚障害を認めるだけの方もいれば、複数の症状が重なって生じることもあります。重篤な場合には、亡くなる方もいます。
■検査・診断
神経学的には、水俣病で出現しうる口周囲の触覚や痛覚の感覚障害、舌の二点識別覚の障害、求心性視野障害などを確認します。
また、指定された期間、特定の地域に居住し、メチル水銀に対しての暴露を受けたことを証明することも必要です。赤ちゃん筆などの毛髪や臍帯(さいたい:へその緒)などを用いて、当時をさかのぼる形でメチル水銀を測定することもあります。
■治療
水俣病で障害を受けた神経障害は治療できません。そのため、治療の基本は神経機能を回復させたり残存機能を最大限発揮させたりするためのリハビリテーションや作業療法が中心になります。けいれんや不随意運動がある際には、症状緩和のための薬物が対症療法的に使用されます。
また、急性期には体内のメチル水銀の排泄を促進するためのキレート剤使用や透析などが行われますが、一度起きた神経障害に対しての効果は乏しいです。
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久々の書評。
他人の読んだ本に、人は興味がない。最近やっとそのことが分かった。
映画も同じ。他人が感動した映画など、どうでもいい。
だから、このブログの「書評」「映画」カテゴリーがおざなりになった。
けっこういい本を読み、いい映画を見たんですけどね。それはあくまで「私にとって」のこと。ほかの人にとっては、「ああ、しょもなー」という程度のものですよね。
今回の「苦海浄土」。
ずっと前から呼んでみたいと思っていたもの。コロナのおかげでじっくりと読む時間ができた。本文だけで354ページ。あとがきや解説を含めると411ページ。飽き性で読書中に幽体離脱してしまう私にとっては高い高い壁だった。でも、一気に読めました。メーデーである今日5月1日に読了できてよかった。
1954年に最初の症状が現れ、1956年に公式発見となった水俣病。1955年生まれの私にとっては、決して他人事ではない。
「森永ヒ素ミルク事件」はピッタリ1955年だし、このころが公害のはしりの時期だったようだ。
半分くらいまで読んだとき、ヨメさんに言った。
「苦海浄土は、恐山の、ほれ、なんやったかいな・・・。」
「イタコか。」
「それそれ。石牟礼道子さんは、水俣病患者に乗り移ってイタコとなって小説を書かはったんやわ。そやし、第1回大宅壮一ノンフィクション賞を辞退しやはったんや。ノンフィクションとちゃうし。」
しかし、「イタコはフィクション」と自覚してはるとこがすごいと言えばすごい。
これぞ、真の小説家かも。
水俣市はチッソ工場と共に発展した街である。チッソ工場に勤められた人は「会社いき」と呼ばれ、生涯安泰を保障されたようなものだったらしい。
そこにあらわになった水俣病患者。その人たちに向かって「会社をつぶす気か」と多くの人たちが圧力をかけたそうだ。その中でも、チッソ第2労組(いわゆる御用組合)が果たした役割は大きい。会社や政府は、被害者を分断することに力を注いでいた。
ん?
どこかで聞いたことがあると思ったら、「原発」、「米軍基地」。
65年たってもいっしょやん。
今の「原発」「米軍基地」の問題を考える上でも、この「苦海浄土」は読む価値があると思う。
長らく読みたいと思っていたのに読まなかった「苦海浄土」。なぜ今ごろ読むことに踏み切れたかと言うと、私の好きな伊藤比呂美さんが石牟礼道子さんを絶賛されていたから。
今日伊藤比呂美さんのツイッターを見てみると、「正義で人をぶん殴る気持ちよさを自覚してないイカれたフェミニストはみんな富岡多恵子を読め、頼むから富岡多恵子を読め」というのをリツイートしておられた。
うれしいねえ。私の大好きな富岡多恵子も絶賛されているみたい。好きな人がつながっていくのを見るのは快い。
富岡多恵子は「逆髪」以来ご無沙汰しているので、また読もうっと。
あっ、「苦海浄土」の続編と言われる「神々の村」、「天の魚」も読まなければ。
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【追加】これだけは書いとかなあかん。
1959年12月30日、チッソと水俣病患者の間で、見舞金契約が結ばれた。その趣旨は
(1)チッソは、水俣工場からの排水が水俣病の原因とは考えていない。
(2)将来、水俣工場の排水が原因と分かっても、チッソに何も要求しない。
(3)死亡者に30万円、生存者に10万円(未成年者は3万円)を、見舞金として支給する。
(4)翌年以降、生存者には毎年10万円(未成年者は3万円)を年金として支払う。
(5)年金受給者が死亡した場合、弔霊金及び葬祭料を一時金として支払い、死亡の月を以って年金の交付を打ち切る。
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【RUN】
右アキレスけんが痛い。
走れる日はできるだけ10km以上を目指してきたのだが、今日は無理せず5km。東北部クリーンセンター往復。
ヘロヘロでしたー、31分12秒。
早く治さないと。
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【今日のきく】
きくのおめめがパッチリ。
ヨメさんがいろいろとしてくれたおかげで、細目しか開けられなかったきくの目がまん丸に開くようになった。
「うれしい!」
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2020年04月30日(木)
松ヶ崎橋左回りラン [ランニング]
今はやりのバフ。
「京都キャロット鍼灸院」にも入荷。
たしかにこれを着けて走っていたら文句も出ないだろう。ただし、「接触冷感 ひんやり」と書いてあったがどうなんでしょうね。私のような暑がりには無理かも。
メーカーは、「高品質商品をリーズナブルな価格で」がモットーのOTAFUKU。キャロットの販売価格は1400円です。
よろしければ、どうぞ。
まだ右アキレス腱の痛みが引かないので、10kmをゆっくり走ることにした。たしか松ヶ崎橋をまわってかえってきたら10kmになったはず。
午後5時半スタート。まずは地下鉄・北山駅へ。
スタートして300mくらいで、ご近所犬・アルちゃんに遭遇。
いつも元気なアルちゃんを見ていると、それだけでうれしくなる。
圓通寺裏のかしこい黒犬君。
かわいいねえ。
地下鉄・北山駅前を左折。
北山通をまっすぐ東へ。
北山通は人が多いかもと心配だったが、人影まばら。
松ヶ崎大黒天の近くで5km、32分52秒。
だいたいキロ6分半ペース。
松ヶ崎橋を渡って左折。
上高野で左折して宝ヶ池通へ。
宝が池通も、ほとんど人には会わなかった。
同志社もシーンとしていた。
いつもなら部活の子たちでにぎわっているのに。
最後はいつも通り叡電の線路に沿って我が家まで。
10.5km、1時間05分07秒。
平均6分29秒ペース。
これで4月は247.1km。走った日は22日。
目標が「月間250km以上・20日以上」なので、まあまあ合格というところでしょうか。目標が見当たらないのによくがんばったと言っていいですね。
5月もがんばろう!
レース、出たいなあ。
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【今日のきく】
私がランから帰ってくると、玄関先にきくとヨメさんが。
「ラインを確認してたら、きくがアジサイの株に頭突っ込んどった。そのショックで、元気なくなってしもた。」
犬の散歩中に「スマホでよそ見」はダメ。
でも、そのあと二人びきで散歩に行ったら復活。
大事にならないでよかった。
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2020年04月29日(水)
勝手に「はんなりマラソン」〜マスクランはプチ地獄〜 [ランニング]
走ってきました、勝手に「はんなりマラソン」。
北大路橋東詰め南側をスタートする7kmコースを3周して21km。
久しぶりに「900ラン+100ウォーク」で。
マスクをつけての長距離に初挑戦。
キロ6分ペースくらいだったので、最初はそんなに息苦しさは感じなかった。しかし、気温が上がり汗ばむようになってからはジワジワと苦しくなってきた。
最後の3周目はもうヘロヘロ。体に力が入らず、ちょっとフラっとなった。
「プチ地獄、見ましたわー。」
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午前9時45分、車をコインパーキングに入れて北大路橋の下へ。
「10人くらいは来てはるやろなあ」と思っていたのに、なんとゼロ。大会役員さんが念のために来られているかとも思ったが、その姿も見られなかった。
「さびしー!」
スタート予定時刻まで時間があったので、そこらを1kmほどアップジョグ。
予定通り、10時ちょうどにスタート。
今日はアシックスのグライドライドで。次々と大会が中止になっているが、12月の「沖縄100K」はあるだろうと思って(ウルトラにグライドライドを使うつもり)。まだだいぶ先だが、それに向けてがんばるしかない。
今日は「900ラン+100ウォーク」で21kmやってみる。
ほんとうはここで21km走って5月3日の「ユリカモメウルトラ70km」に臨み、6月23日の「一人沖縄平和ラン」につなげる予定だった。
しかし「ユリカモメ」は中止になり、この情勢だと6月の沖縄行きもむずかしいかもしれない。どうしましょうかねえ。
マスクをして走り出すと、やはり呼吸がしづらい。
それでも今はしんぼうしないとね。
いつもは最初の1kmはウォークなしにしているのだが、今日はスタートからいきなり100mウォーク。それでも1kmは5分56秒だった。速すぎる。もっと抑えなければ。
南側折り返しの出町橋で1.56km。
ラクロスの練習をしている若者がいた。
スタート地点に戻って3.13km。
そこで、「パオパオさん!」と声をかけてくる人あり。「京都キャロット」の上得意様だったしげちゃんパパさんでした。
そこから話すこと17分。
しげちゃんパパは超真面目なランナー。片や私は典型的な不真面目人間。こういう場合、私は「腹が立つ」対象でしかありえない。うちのヨメさんがそうで、「毎日毎日腹が立ってしょうがない」らしい。
その点、しげちゃんパパは大人ですねえ。私のええ加減な話をきちんと受け止めておられる。
まあここにはくわしく書けないが、有意義な会談だった。
一つだけ、今年大学4年のしげちゃんのお兄ちゃん。いろいろとたいへんやけど、腐るなよー。それだけは言ってあげたい。
しげちゃんパパは南側へ。
私は反対側の北側へ。
御薗橋の下は通行止め。
これは上に上がるしかない。
橋の上まで上がって折り返し。
御薗橋で5kmちょっとということですね。
北山大橋手前にかわいいワンちゃん。
年配の男性が連れて来られていた。
「けんた・オス・18歳」
「1月までは歩けてたんですけどね、今はこんな感じです。」
私が手を触らせてもらうと、起き上がりたいような動作をしていた。
その年配の男性は、手押し車にけんた君を乗せてここまで来られていた。きくよりも大きく見えたけんた君。この重そうなワンちゃんを一人で手押し車に乗せたりできるこの方は、スーパーおじいちゃんでしょうか。
1周目7kmは、43分。
100mウォークを入れてもキロ6分10秒ペース。
マスクで息苦しい割にはしっかり走れている。
北大路橋から北側は人が多かったが南側は少なかった。人が少ないところでは、100mウォークの時だけマスクを外させてもらった。
いつもは「900m走ったら100m歩ける。楽しみー」という感じだったが、今日は「900m走ったら、空気が吸える―」という感じ。もうマスクを外した時の空気がうますぎてすごかった。
2周目7kmも43分。
これで14km、1時間26分。
3周目はかなり気温が上がった。
マスクに汗が入り、息を吸うとマスクがへばりついてきた。手の先まで酸素が届いていない感覚。ちょっとふらつくようになってきた。
何回も通ってそんなに気にならなかった葵橋の北側。コンクリがはがれてボコボコですやん。こんなこと放置しているくらいやったら、コンクリ全部はがして土の道に戻せよ。
ふらつきながらも3周目終了。この7kmも43分半で行くことができた。
21km、2時間09分41秒。私が想定していたよりも速かった。
平均ペース 6分11秒
消費カロリー 1005
平均心拍 136
最大心拍 205
ピッチ 165
日陰のあるところを探してダウンジョグ。
ここらも歩いている人は皆無。
もしマスク着用義務のレースがあったとしても、私は無理。
これからの練習も人のいないところをよって走ることにしよう。マスクランは無理です。倒れます。
まあこんな中でも21km走れたことはよかった。
ただし、家に帰ってトイレに行くと「血尿!」
ヨメさん曰く、「アンタは10kmまで。それ以上走ったら血尿ちゅうこっちゃ。」
ほんまそうかもね。でも、だからってどうしたらいいの?
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【今日のきく】
いっしょの時に買った苗なのに、元気に育っているものともう息絶え絶えのものと。これが不思議でしょうがなかった。
やや、やっぱり。
きくが踏んだやつがやられていたみたいー。
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2020年04月28日(火)
坂下りダッシュ! [わんこ・にゃんこ]
「ますみちゃん、きくがめーまんまるにひらいて、タッタタッタ坂をおりとるー。」
「えー、そんなことできるんですか。」
今日も宝が池。
私がマスクを持って来るのを忘れたので、できるだけ人の少ないところに行った。池から少し離れた坂のあるところ。そこにきくを連れて行くと、急に張り切って、坂をすごいスピードで駆けおりて行った。
「ここええやん。またここに連れてきて、走ってもらおー。」
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午後2時すぎから宝ヶ池へ。
今日は駐車場が満杯。ちょっと待ってやっと停めることができた。
今日は、駐車場から右側にある丘を登ってみた。
けっこうきつい上りだったが、きくはスイッチが入ったみたいで平気な顔で上って行った。
坂のだいぶ上まで上がって・・・。
「いけ―!」
タッタタ、タッタタ・・・。
きくは目をまん丸に開き、すごいスピードで下りてきた。
ここでだいぶ走り回ったので、もう宝が池一周はいいかなあ。
と思ったら、今日は調子よくタッタタ、タッタタ。
けっきょく宝が池一周。
ここだけで合計2kmほど歩いている。
帰りに上賀茂のスーパーへお買い物。
ここも駐車場がいっぱいで、ヨメさんだけ降ろして、私ときくはまたお散歩。
近くの菖蒲園公園のまわりをウロウロ。
家に着いた後もオバサンとお散歩。
そのあとは、疲れが出たのかぐっさり。
歳とってるから無理したらあかんけど、これだけしっかり歩いたら足腰鍛えられてるかなあ。
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【RUN】
ガーミンのGPS捕捉がかなり遅くなってきた。買って4年以上たっているのでしょうがないんでしょうか。
捕捉に時間がかかるので、その間町内をアップジョグ。
雨の時に避難しているいつもの場所、今日はいい天気なのにまたあのネコちゃんが。
今日は佛大グランドへ。
佛大も休校中で、グランドもひっそり。
5km、30分29秒。
グランド入口の100mほど手前、お寺さんの入り口で写真を撮っておいた。
今日は半そでTシャツで全然OK。
我が家で10km、59分43秒(29分13秒)。
このあと町内を1kmダウンジョグして、今日は合計12km。
暑くもなく寒くもなく、こんな時にレースがあればなあ・・・。
明日は、本当は「第1回かも川はんなりマラソン」が予定されていた。
新型コロナウイルスの関係で大会は中止。「京都キャロット鍼灸院」のお試し鍼灸も予定していたのに・・・。
私はもちろん「勝手にはんなりマラソン」を決行します。
北大路橋→出町橋→御薗橋→北大路橋で1周7km。これを3周して21km。走りますよー。
よろしければ、いっしょに(もちろん離れて)走りませんかー。
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