2020年05月17日(日)
京都走ろう会自主練習〜「走らんことには」〜 [ランニング]
今日は5月第3日曜。
ほんとうなら「奥びわ湖健康マラソン」に一人で出張販売に行っていたところ。滋賀からの帰りに、「鯖街道」のランナーを応援するのも楽しみにしていた。でも、その両方が中止。
それなら「京都走ろう会例会」にというところだが、こちらも8月末までは活動自粛で自主練習になっている。
それでも、5月3日には10名ほどが練習に来られていたらしい。こころづよいねー。
今日私には目当てがあった。
ゼッケン1番の佐藤光一さんといっしょに走られている高岡翼さん。かなりのご高齢だが、お名前が今風。そのお名前の由来を聞いてみたかった。
走り終わった後、率直にお聞きした。
「高岡さん、お名前『翼』という字ですよね。今の子に多い名前ですやん。」
「はい、私は翼と書いて『たすく』というんです。『翼』は、最近生まれた子の名前の10位以内に入ってますね。」
「そうですよね。高岡さんの時代には珍しい名前やったでしょう。どういう由来でそのお名前にしやはったんかなあと思って、前から聞いてみたいなあと思ってたんです。」
「僕は昭和16年の生まれで、太平洋戦争が起こるちょっと前やったんです。そやから戦闘機の翼と、日本人みんなを『たすく』という意味で父がつけたと聞きました。」
「はー、そうやったんですかー。」
佐藤光一さんと仲がいいので歳が近いのかと思っていたが、佐藤光一さん86歳、高岡翼さん79歳の7歳差だそうです。
佐藤さんいわく、「若い時の7歳差は大きいけど、僕らくらいになったら気にならへん。」
「いくつになっても、とにかく走れるうちはこうやって出てきて走らんことには」とおっしゃっていた。ほんまその通りですね。見習おう。
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今日は鴨川河川敷を走るので、マスクをしなくては。
ただしマスクには耐えられないので、日本手ぬぐいでおそうじおじさん風に。
出雲路橋西詰のクスノキ前に到着したのは、9時45分。
向こうのグランドでアップされている佐藤さん。自転車に乗ってこられた粟津さん。あれっ、二人だけ?
いつも10kmを走るときは3.1kmコースをアップジョグしているのだが、今日はお腹の調子がよくなく1.5kmくらい。
でも、アップから戻ると人がだいぶ増えていた。よかったー。
みなさんと少ししゃべった後、それぞれがまちまちにスタート。北出さんがあっという間にスタートされたので、私は単独のスタートになった。
スタートしてしばらく行くと、福田さんに遭遇。このごろ福田さんとお会いする確率が高い。たぶん福田さんは、毎日鴨川を走ってられるんでしょうね。
最初の1kmが5分近くかかった。
右アキレス腱も初めから痛いし、今日はだいぶ時間がかかりそう。
丸太町橋折り返しは12分12秒。
出雲路橋に戻って25分22秒(13分09秒)。
このちょっと先で5km、25分55秒。
鍵谷さん。
山本さん。
岩井さん。
高岡さんと佐藤さん。
北出さん。
御薗橋で39分20秒(13分57秒)。
競歩の柴田さん。
出雲路橋ゴール、51分53秒(12分32秒)。
日本手ぬぐいのマスクは息苦しくはなかったが、ずいぶん遅くなってしまった。やっぱり、右アキレスけんの痛みが、大きく影響したみたい。まあ、それでも「走らんことには」ですね。
走っている後ろ姿がどんなんか、自撮りしてみた。
前より後ろ姿の方があやしいですね。
私がスタートした時点で8名。粟津さんと斉藤さんは写真が撮れなかった。そのあと岩井さんと柴田さんが加わったので、ちょうど10名。いや、走っている途中コーツさんにも出会ったので11名ですね。
やっぱり一斉スタートじゃないのが物足りん。
早く元に戻してほいなあ。ダメでしょうか。
おっ、前から見ても眉毛のないこわいオッサンでした。
またこの日本手ぬぐいマスクで走ろうっと。
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【今日のきく】
今日は午後4時すぎに、二人びきのお散歩。
町内で野良猫が子猫を生んで大騒動。
親猫とまだ目のあいていない子猫4ひきを、我が家で預かることになった。私らはどうちゅうこともないけど、きくはストレスがたまるやろなあ。すまんなあ。
でも、散歩に出たときはでも、しっぽピーン!
できるだけたくさん散歩に出るようにしような。
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2020年05月16日(土)
「おきつね山のじょん」 [わんこ・にゃんこ]
綾部の「カフェ・じょんのび」さんから、「おきつね山のじょん」が送られてきた。
昨年7月に死んじゃったじょん君の物語。
私が「カフェ・じょんのび」を知ったのは、走友・谷村さんから教えてもらって。じょんのび村村長さんが、長岡京市市会議員のおっはーさんのお父さんとも知らなかった。
じょんのび村村長さんは「天橋立トライアスロン」の実行委員もされていたようで、第1回第2回と連続出場していた私とも何か縁がありますね。
人間の死亡率は100%。もちろん犬の死亡率も100%。
すべての人、すべての犬に「その日」は来る。
今日、ヨメさんと話していた。
「日本人て、宗教にのめりこんでいる人は少ない。でも、死ぬ時だけは別やな。こだわりがあるな。」
私もそう。
ふだん宗教的な行事にはまたく無関心。なーんにもしていない。
でも、8ひきの猫と初代番犬・えりの死にはふだんにはない感情がわいてきた。(あっ、もちろん母や父の死にも。忘れてた!)
「納得のいく死を迎えたい」、それは人も犬猫もいっしょ。そういう意味ではうちの犬も猫も15歳以上生きてくれたので、みんなにありがとうと言いたい。父も98歳だったし、母の65歳はちょっと早かったけど急死ではなかったし・・・。
じょん君の死にはちょっと引っかかるところもあったようだが、「泣くのをやめて、もう一度じょんとレン(じょんの母)にお礼を言おうよ」というじょんのび村村長さんの言葉は重い。
いつか来るきくの「その日」に、泣かずに「ありがとう」と言えるように自分を鍛えたいと思う。
じょん君ありがとう。
じょんのび村村長さんありがとう。
じょんのびかあさんありがとう。
いろいろなことをしっかりと考えるいい機会になりました。
じょん君の思い出はいっぱいあるけど、やっぱりこの二つかな。
「第25回9の日平和ラン〜じょんのび村から〜」2011年10月9日
「わんわん運動会inみわ」2013年3月31日
じょん君、わすれへんでー。
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※「おきつね山のじょん」の売上金は、不幸な犬猫の保護をされている方々に寄付されるそうです。入手方法は以下の通りです。
下記の口座に振り込んでいただければ、入金確認次第郵送いたします。
ゆうちょ振替口座 00940−7−322220 小原英明
頒価 1,000円 送料 1冊180円 3冊まで310円
住所、氏名、連絡先がわかるようにして下さい。
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【今日のきく】
今日は24時間バイトからの朝帰り。
きくは2階で寝ているものと思っていたら、私より早起きして雨の中を散歩に行っていたらしい。私の出る幕なし。
そのあとも雨が降り続いていたが、午後4時すぎにやっとやんだ。
「雨がやんだらお散歩行こな」ときくと約束していたので、張りきってGO!
何回も坂を下りたがっていたが、前に畑の持ち主さんから注意されたのでここはしんぼう。
近所にええ坂がないか探さなあかんね。
今日の晩ごはんは、私の大好きな豆ごはん。
ワラビののり巻き、カニカマサラダもおいしかった。
食べ過ぎて、今日は走れず。
夜のきくのお散歩。
最初は寝ぼけていて、全然乗り気じゃなかった。
でもそのうちスイッチが入り、しっぽピーン!
◯ッコも◯ンコも出て、よかったなあ。
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2020年05月15日(金)
あんももう9年 [わんこ・にゃんこ]
5月15日は葵祭。
5月15日は沖縄の本土復帰の日。
だからあんもちゃんの命日は絶対に忘れない。
ところが今年は葵祭が中止。沖縄の本土復帰48年もほとんどニュースになっていない。みんな新型コロナウイルスのせい。
でもこないだいなかに帰った時、あんもを始め8ひきの猫ちゃんと初代番犬・えりのお墓参りをしてきた。2年前の台風で大木が倒れ掛かり、どこが誰のお墓か分からなくなっていたけど。私が川から見つけてきた「あんも石」もどっかへ行ってしまった。
あんもが死んじゃった夜、きくにもお別れをしてもらった。
9年前なのできくはまだ6歳。血気盛んやったなあ。
今日、私は24時間バイト。
その間に、ヨメさんがきくを動物鍼灸院に連れて行ってくれた。また足腰が弱ってきたのが心配で。その道のスペシャリストがおられるらしい。
ラインでの報告を見ると、施術の効果があったようでだいぶ元気になったみたい。
21歳11か月まで生きてくれたあんもを見習って、きくもまだまだがんばってもらわんとね。(現在15歳2か月です。)
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2020年05月14日(木)
旧花脊峠ラン [ランニング]
今日は兄と父の相続の話をするために、いなかへ。
午後3時半ごろ花脊峠を越えたのだが、その時の気温が25℃。
夏ですね。
「賢兄愚弟」はうちの兄弟のための言葉かと思う。
何事もきちっきちっと進める兄と、なーんもでけへん弟。
あらゆる書類をそろえてくれていて、私はただ「お願いします」と言うだけ。賢い兄のおかげで、アホな弟も生きていける。ありがとうございます。
せっかくいなかに帰ってきたので、ちょっとは走らないとね。
ここは人との接触を気にしなくていいので。
午後5時ごろ、花脊峠方面に向かってスタート。
「花脊山の家」はずっと閉鎖中。
小4の子たちが来る施設なので、休校が続くとずっと閉鎖になりますね。
町の一番端にある寒暖計は20℃。
この時間でこの温度はめずらしい。かなり暑い。
旧道別れで約2.5km。
ここでパッとひらめいた。
「ふつう通り峠に行くより、旧花脊峠に行く方がおもしろいで。」
私が小さい時、冬は大雪でバスがよく止まった。
京都から花脊峠に向かうバスは、「峠下」でUターン。そこで降ろされた乗客は、バス通りではなく旧峠越えの道を歩いて帰る。もちろん雪をズボズボと踏みながら。
最終バスで降ろされると、街灯のない暗くて細い山道を歩いて帰ることになる。私も小学生の時に何回か歩いたが、今から思うと「八甲田山」並みの雪中行軍でした。
それから55年ほどたっているので、どんな道だったのかまったく記憶がない。まして、反対に別所側から旧峠に行く道など・・・。(こちらからも歩いて行ったはずだが。)
走り出すと、意外にいい道。コンクリ舗装がしてあり、普通の車でも上がって行けそう。坂もそんなにきつくなく、まあまあ走って上がれた。
500mほど進んだところがもう旧花脊峠。
あまりにも早く到着してビックリ。
現在の花脊峠が標高759mに対して、旧花脊峠は725m。
「こっちの道をきれいにした方が車は走りやすいんちゃうん」と思ったくらい。
しかし下りに入って、広い道が続いたのは少しだけ。
その先は倒木だらけの道なき道になった。
小さな川が流れていたので、とりあえず川から離れないように歩けるところを探し探し下りて行った。
1回足元を踏み外してシューズが水につかったが、慎重に下りて行ったのでこけることはなかった。
2年前の台風の被害。
峠の北側はほとんど倒木がないのに、南側は悲惨。
林業をされる方がほとんどないので、この山が元に戻ることはないと思われる。
途中から登山道らしきところに出て一安心。
まだ明るかったからよかったものの、日が暮れてしまうと遭難していたかもしれない。
途中に石垣が積んであるところもあった。
石の色からして55年前にもあったんでしょうね、記憶にないけど。
なんか向こうの方が明るい。
たぶん、バス通り。
うーん、まちがいない。
やっと広い道に出られる。
出ましたー。
ここも「旧道別れ」というのかな。このちょっと下が「峠下」バス停。
旧峠越え部分は約1.8km、22分。
ものすごくさまよった気になっていたが、たったの22分かーい。
ここから花脊峠への急坂上り。
自撮りピンボケ。
百井別れを過ぎて、ジグザクカーブを登っている時、後ろから追いついた車から声をかけてくる人あり。
「走ってんのかー。」なんと、多鶴子姉。
「こんなとこで会うとはな。」
人と会ったのはここだけ。
接触を気にせず走れるのがなにより。
きつい上り坂だが、キロ9分以内で走れていた。
深い呼吸もできている。
水飲み場で給水。
峠まであと少し。
車で通った時に撮った同じ場所で、もう一回撮影。
肉眼では、京都市の南の方までよく見えていた。
花脊峠到着6.2km、56分。
もう6時を過ぎているのに、気温は20℃。
「旧道別れ」で7.5kmだったので、バス通りで峠越えは3.2km。旧道1.8と新道3.2、そんなに変わらんようにも思えますが・・・。
下りは順調で、キロ6分を切るペースで。
田植えの準備をしている人あり。
自宅に戻って9.9km、1時間16分06秒。
山あり谷ありのおもしろいコースが走れてよかった。
着替えてすぐに帰る。
うちの入り口にかわいい花が咲いていた。
夕食は、ヨメさんが作ってくれたカレイのフライやグラタンにみき江姉が持って来てくれたワラビ2種類味。
しっかり走れた日はごはんもうまい。
早く、普通に走れる日が戻りますように!
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2020年05月13日(水)
打ち切り工事に300億 [沖縄]
◎朝日新聞デジタル5月1日
辺野古の護岸工事、完成前に打ち切り 支払い302億円
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画に伴う名護市辺野古の埋め立てで、防衛省が2014年11月〜15年3月に発注した護岸などを造る工事6件について、軟弱地盤による設計変更を理由に完成前に打ち切っていた。うち5件は本体工事の着手前だったが、契約金の7割強にあたる約302億円が支払われた。識者は公金の二重支出となる可能性を指摘している。
防衛省が朝日新聞の取材に明らかにした。
埋め立て現場の大浦湾では14〜16年のボーリング調査で、当初の設計が前提としていなかった軟弱地盤の存在が確認された。政府はその存在を認めないまま18年12月に土砂投入を開始。19年1月に軟弱地盤の存在と、地盤改良のための設計変更が必要だと認め、今年4月21日に設計変更を県に申請した。
防衛省によると、設計変更で護岸の配置がかわり、今年2、3月に6件の工事契約を打ち切ったという。
6件のうち北側の「K9」護岸の新設は、本体工事に着手し、3割が完成。埋め立て土砂の陸揚げに使われている。この工事には契約金額とほぼ同額の約10億円が支払われた。
残り5件は本体工事に入っていない。4件の支払額は契約金より最終的に約2億〜83億円減額。防衛省の担当者は「着工しておらず、実態に合わせて減額して契約を終えた」と話す。
残る1件も着工していないが、当初の契約金より67億円多い224億円が支払われた。防衛省は取材に、ボーリング調査や汚濁防止膜の設置、台風対策などの費用にあたると説明している。
設計変更後の工事では護岸の位置がかわるため、改めて工事が必要になる。公金が二重に支出される可能性について、防衛省は取材に「事業全体を進める上で必要な作業が実施されており、作業実績などに応じて経費が支払われた」として、6件の工事に対する支払いに問題はなく、無駄な支出にはあたらないと説明。設計変更後の新たな契約は「今後検討を行うことから、お答えすることは困難」と回答した。(藤原慎一)
■元会計検査院局長の有川博・日大客員教授(公共政策)の話 ボーリング調査で地質を確認している最中に契約を結んで工事を始めたことや、軟弱地盤が判明した後もそのまま工事を進めたことは、通常の公共工事では考えられない進め方だ。設計変更によって護岸の配置がかわれば、これまでの工事で無駄になるものは当然出てくるだろう。公金の二重支出となり、公金が海を汚すためだけに使われたとの批判も免れず、一連の経緯は厳しく検証されねばならない。
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新型コロナウイルス関連のニュースの中で、個人的に唯一「よかった」と思えたもの。それは、辺野古新基地建設工事のストップ。作業員に感染者が出たのはお気の毒だったが、他の工事が一時見合わせているときもこの工事だけは強行していた。あれだげの大規模な工事で、ものすごく多くの人が働いているのだから感染者が出ても不思議ではなかった。
4月17日からストップしているので、もうすぐ1カ月になる。
でもそのもっと前に、全然ちがう「工事ストップ」があったんですね。
「護岸などを造る工事6件について、軟弱地盤による設計変更を理由に完成前に打ち切って」、それでも「うち5件は本体工事の着手前だったが、契約金の7割強にあたる約302億円が支払われた」とは!
ああ何たる無駄遣い。
そもそもこの辺野古新基地建設総工費は3500億円の予定だった。それが今や9300億円に修正。しかしほとんどの人が、「それで済むはずがない」と思っている。
1日も早く普天間基地を閉鎖。辺野古の工事は中止。予定していた工費は全額新型コロナウイルス対策に使ってほしい。
「もう埋めてしまったところは大公園に」というのはどうでしょう。
人を殺す軍隊のためにではなく、人を生かす公園にしてもらえたらうれしいのになあ。「ビーチ―パーリィー」もできるし・・・。
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【今日のきく】
今日のバイト帰り。
きくは熟睡していたのだが、「オッサン帰ってきたでー」と何回も言うと起きてくれた。
リードを外して町内散歩。
きくは競歩選手くらいの速さで歩き出した。迷走に次ぐ迷走のあと、大◯ッコ。
そのあとは徘徊老人くらいのスピードになってしまいました。
◯ッコしたいときは早歩きするんやねえ。おもしろい。
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2020年05月12日(火)
テ―ピングラン [ランニング]
「右アキレス腱が痛い」とばっかり言っているので、ヨメさんが見かねて「テーピングしたろー」と。
3本のテープを貼ってくれたけど、どうかなあ。
今日はお昼寝を1時間し、きくの狂犬病注射、きくのお散歩×2もしたので走る時間がなくなってしまった。
せっかくテーピングをしてもらったのに、走らないわけにはいかない。私は夕食後に走ることはめったにないのだが、今日は特別に走ることにした。
今日のうちの夕食はハンバーグ。
私は、中学までマルシンのハンバーグしか食べたことがなかった。だから高校生になってお店でハンバーグを食べたとき、ベチャベチャでビックリした。「これはハンバーグちゃう」と思った。
それを知っているヨメさんは、パリパリのハンバーグを作ってくれた。愛情あふれてますやんか。パリパリのハンバーグはうまい!
そのあと、古村ショップで買ってきたイチゴも食べた。久しぶりのフルーツ、おいしかった。
お腹ポンポンになって30分後くらいに、ランスタート。
これは、お腹ゴロゴロになるパターン。
午後9時前スタート。
夜は横道から出て来る車に轢かれかける。そのため、リフレクターのたすきをして。
5km、30分30秒。
このペースなら、夕食直後でもなんとか走れた。
テーピングもいい感じ。痛みが軽減されているような気がした。また、ヨメさんにしてもらおう。
うちのご近所で大きな歌声。
「こんな時間にこんな大きな声で、ちょっとなあ」と思って見てみると、その歌声の主はネコちゃんだった。2ひきで鳴き合っていた。
「夜は静かにしてねー。」
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【今日のきく】
今日は、はたえだ動物病院へ。
狂犬病の注射とフェラリア予防の薬。
ちゃんと指定の駐車場に入れて、私は車で待機。
予約がしてあるので、そんなに時間がかからないはず。以前のようにきくが大暴れすることもないので、すんなりと診てもらえたようだ。
診察室から戻ってきても元気元気。
「なんぼでも歩かせてもらいます」という感じ。
ヨメさんは、「15回狂犬病の注射うったら、長寿犬に認定してもらえんにゃてー」と喜んでいた。
すぐ近くの古村ショップをのぞいてみると、ちょうど古村さんがおられた。
古村さんは知る人ぞ知る、往年の名ランナー。たしか私の一回り上だったので77歳くらいか。頼まれていた24.5のシューズを持って来たのだが、2足も買ってくださった。
ついでにちょっとお野菜やイチゴを買い、きくのお楽しみの宝が池へ。
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また近くのコインパーキングに車を入れて、宝が池の北口から。
入ったすぐのところに長い坂がある。
上りはたいへんなので、私の背中に乗せて。
そして一番上から、「きくの逆落とし」。
「きくが喜ぶ」というより、「それを見ている私らが喜んでくれるのを分かって、きくがはりきる」という感じ。犬って、こういうところがかわいい。
そのあとは、落ち葉の上をザクザクと歩いた。
このザクザク音がまた気に入ったみたい。
道を挟んだ反対側に、ゴルフ場みたいな芝生が広がっていた。
ここでもリードを外してやると、ててて、てててとなんぼでも歩いた。
目を離していると、池にはまりかけてましたけど・・・。
このごろ散歩が少ないと、夜中に起きて歩き回るらしい。
でも、宝が池に行った日はぐっすり。
舌をしまうのを忘れるくらいよく寝ます。
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